« 寒い中でも、、、、 | トップページ | 放蕩息子~落語『六尺棒』から »

2017年1月14日 (土)

馬鹿げた禅問答~狂言『左近三郎』から

海外の観光旅行者を狙ったニセ僧侶がいるそうだが、迷惑千万なことだ。彼らは中国に本部があり、組織的に動いているらしい。彼らに限らず、その他にも、ニセ僧侶は結構いるかもしれない。尤も、本当の僧侶も、実態はニセ僧侶とあまり差はないかもしれないと思う時もある。宗教の堕落は日本に限らず、世界で存在している。

そういうことをからかった狂言に『左近三郎』がある。読みは「さこのさむろう」。左近三郎は猟師の名。彼が山に狩りに行くと、僧と出会う。そこで、むくむくと悪心。無理やり同行して、いろいろ質問する。

聞けば、僧の宗旨は禅宗。それならばと、「酒は飲むか、魚は食うか、妻はいるか」など尋ねる。そうすると、僧は、当然のように、ことごとく否定する。ならばと、弓に矢をつがえて脅し、僧に肯定させて、あざ笑う。脅されると信念も何もない僧。

更に、おちょくりの挙句、檀那になろうと言い出す始末。だが、僧は左近三郎が猟師と知って「殺生する者は檀那にできないと」と断る。しかし、三郎は、達磨大師の文を引用して殺生も科(とが)にならないはずだと反論。その後も、三郎は、殺生の是非について問答を仕掛ける。結構、頭のいい奴だ。教師が生徒に言い負かされるのと同じ。あるいは親が子供に言い負かされるのと。

殺生のことについて、僧は、鹿を射たら鹿になってしまうだろうと言うと、坊主を射て出家になろうと左近三郎は言い返す等々、禅問答が果てしなく続く。これは、ああ言えば、こう言う、まるで漫才。結局、これらの禅問答の末に、お互い笑いあい、二人は意気投合して、三郎は、僧を家に連れて帰り終演。

この僧は禅僧と名乗っても、それほど深く修行したとも思えない。実際は、そういう僧は、うようよいたのだろう。専門家と名乗っても、必ずしも専門家と言えないのと似ている。むしろ在家の三郎の方が禅僧と名乗ってもいいくらいだ。

この狂言は、一休同様、当時の仏教の堕落を揶揄したものだろう。そして、禅問答が本来、お互いの悟りの程度を測るものだったものにもかかわらず、言葉解釈遊びになって、訳のわからぬものになってしまったものをからかっている。残念ながら、この狂言の皮肉は、現代でも、宗教界に限らず、あらゆる分野で通用する。是非、あちこちで公演してほしいものだ。

|

« 寒い中でも、、、、 | トップページ | 放蕩息子~落語『六尺棒』から »

古典文学・演芸」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/99784/64761729

この記事へのトラックバック一覧です: 馬鹿げた禅問答~狂言『左近三郎』から:

« 寒い中でも、、、、 | トップページ | 放蕩息子~落語『六尺棒』から »