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2017年1月15日 (日)

放蕩息子~落語『六尺棒』から

大体、商家の子供は、金遣いが荒い。子供時代、同級生の実家が商売している子供は、いずれも贅沢ななりをしていたが、小遣いも多いようであった。でも、皆が皆、立派な商売をしているわけでもない。自宅にあるお金を、くすねている者も多かったようだ。

それらの多くは、商売用のお金。親が金銭教育をしていなかったのだろう。商売用のお金と、本当の家のお金は区別しなければならないが、商売用のお金も、家のお金と勘違いするのだろう。お金の意味を子供に教えていない結果だ。

そういうことは、今も昔も同じだろう。落語に商売屋の放蕩息子がよく登場するが、彼らも金銭感覚が躾けられていなくて、お金を湯水のように使うことしか頭がない。そこで、今回は、落語『六尺棒』を取り上げてみよう。

放蕩息子が、午前様で酔っ払って家に帰ってくる。店の潜り戸を叩くが応答がない。実は、番頭の代わりに父親が潜り戸のところに頑張っていて、開けてやらないのだ。そして言う。「こんなに遅く、表をお叩きなさるのは、どなたでございますか」と。そうすると息子は、「私だ、私だ」と言うが、親父は、「えっ、私ではわかりません。お名前を言ってください」と返す。

息子は、「何を言っているんだい。幸太郎だ」。それに対して、親は、「おやっ、幸太郎さんですかい、、、。私どもには幸太郎というバカ息子がおりますが、近頃は、宅にも帰ってきません。このようでは、終いには、この身代も潰してしまいますので、一昨日、親類縁者相談の上、勘当と決めました。あなたは、お友達なら、そう伝えてください」と返す。

更に付け加えて、「それに比べて、お隣の清六さんは、何という親孝行な息子さんでしょう。それを思うと、涙がちょちょ切れます」と言う。ところが、息子の方は、糠に釘。馬耳東風。親父の繰り言を聞いても、一向に平気。

「勘当とは、お勝手が過ぎやしませんか。私の方からお願いして、こしらえてもらった倅(せがれ)ではございません。あなたの勝手に比べて、花魁のなんとまあ、親切なこと」と惚気(のろけ)る。更に、「勘当なら、私はあきらめのために、火をつけます」と、ついには喚(わめ)き散らす始末。

さすがに、これ以上、長く息子の大声と、やり取りしていると、近所迷惑なので、父親は、潜り戸をがらりと開けて、六尺棒を持って息子を追いかける。だが、さすがに酔っていても息子は若いので走るのが速い。それに対して、親の方は、ふうふうと追っかけるが、ぐるりと回って、息子の方は、潜り戸をすっと入り、ぴしゃりと閉めて、親を締め出す。

親は返ってきたが、戸が開かない。そこで、「これっ、番頭、番頭」と戸を叩くと、「こんなに遅く表を叩かれるのはどなたですか」と息子。「むむ、もう入っているな。俺だ、俺だ」と言うと、「俺ではわかりません。お名前を仰ってください」と、かつて言われた親の物真似。これに親は、「馬鹿野郎。そんなに真似がしたけりゃ、今度はお前が六尺棒を持って、追いかけて来い」で終演。

この落語は、演者にもよるが、割と面白く、よく聞く方だろう。バカ息子に限らず、親の思いは、なかなか子供には伝わらないもの。子供が改心するには、何かのきっかけが必要だが、大きくなってからでは、一定の時間がかかる。程度の差はあれ、親の悩みは尽きない。幼児時代に、日々の家庭での、子供への金銭教育を含めての社会教育は大切と気づかされる。

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