« 天下の悪法とは~『韓非子』に学ぶ | トップページ | 新じゃがの季節 2017 »

2017年3月 3日 (金)

『万葉集』の梅の花

自宅の梅の花が、今か今かと咲くのを待っているが、咲きそうで、なかなか咲かない。そして、咲いてしまうと、あっと言う間に散ってしまうことも多い。そう考えると、梅の花に関しては、咲くまでの蕾の段階がいいのかもしれない。

ところで、『万葉集』には比較的、梅の花が多く詠まれている。この頃は、まだ中国の花である梅の花が日本でも主体であったことが分かる。その中で、少し気に入った歌を五首取り上げてみよう。

梅の花 散らすあらしの 音のみに

 聞きし我妹(わぎも)を 見らくしよしも

   (巻第八 一六六〇)

梅の花を散らしてしまうという嵐の音。そのような噂だけを聞いていたのに、実際、あなたにお会いできて嬉しい、というような趣旨。憧れの彼女に会えた嬉しさを素直に表現している。

春されば まず咲く宿の 梅の花

 独り見つつや 春日暮さむ

   (巻第五 八一八)

春が来ると、まず咲くのは梅の花。この花を家族と離れて、ただ独りの私は、寂しく長い一日の春を暮すことよ。憶良らしい歌。

恨めしく 君はあるかや やどの梅の

 散り過ぐるまで 見しめずありける

   (巻第二十 四四九六)

あなたは少し恨めしい人よ。庭の梅の花が散り過ぎるまで、見せてくれないなんて。主人が梅の花を独り占めしているのをからかった歌かな。

見むと言はば いなと言はめ 梅の花

 散り過ぐるまで 君が来まさぬ

   (巻第二十 四四九七)

前の歌に対する返歌。いやいや、見たいと仰ってくださったら、決して否などと申しませんよ。梅の花が散り過ぎるまで、おいでなさらなかったのは、あなたです。うまい返しだなあ。

梅の花 香をかぐはしみ 遠けども

 心もしのに 君をしぞ思ふ

   (巻第二十 四五〇〇)

梅の花が漂わす香の高さほどに、遠く離れているけれども、心は一途にお慕い申し上げています、という感じ。但し、ここでは恋愛の歌ではない。敬意に近い。

こうして見ていくと、万葉の人々が梅の花をどのように捉えていたか少し分かる感じ。

|

« 天下の悪法とは~『韓非子』に学ぶ | トップページ | 新じゃがの季節 2017 »

古典文学・演芸」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/99784/64963808

この記事へのトラックバック一覧です: 『万葉集』の梅の花:

« 天下の悪法とは~『韓非子』に学ぶ | トップページ | 新じゃがの季節 2017 »