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2017年5月28日 (日)

社会保障制度を悪用する外国人

日本は、度々、法律の甘さが指摘される。多分、それは国内だけを意識した法律、仕組みが、最早、国際的時代には通用しないということかもしれない。そのような法律の穴を見つけて、不正をする輩が絶えない。

例えば、一部報道に出ているが、社会保険制度を食い散らす外国人がいる。前々から指摘されている生活保護に加えて、医療制度の穴を狙って悪用されているという。本来、社会保障制度は外国人のためにあるものではないだろう。

それに、外国人に入れ知恵する日本の人たちもいるから困ったものだ。日本の社会保険制度は、それでなくても高齢化で、その仕組みの維持には危機にあるのに、外国人によって食い荒らされているのは、政治・行政の怠慢ではないか。

そのことにより、一般国民の負担が増えるのなら、明らかにおかしいし、消費税の増税も認められないだろう。国民の納得が得られるように、厚生労働省や財務省は早急にメスを入れるべきだろう。

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2017年5月27日 (土)

懐かしい言葉~寝押し

先日、新聞を読んでいると、懐かしい言葉に接した。それが「寝押し」。まだ、ズボンプレッサーなど普及していない子供時代、母が父のズボン類を夜、敷布団の下に敷いていた。朝、それを取り出すと、見事に折り目がついていた。

流風も学校に上がって、制服を着るようになると、同様にした。ところが、どうしても、うまく行かない。折り目がダブっていたりする。結局、母が、アイロンを当て直して修正。でも、父のは問題なくて、流風のは問題が出るのか。

後で、分かったことだが、父は、軍隊仕込みで、寝る姿勢が晩から朝まで一定。それに比べて、流風は激しい寝返りの繰り返し。その差と判明。その後も、何回もやっても、うまくは行かなかった。

今は、クリーニングに出すか、洗濯しても形状が変わらないものを使用。ずぼらな人間にも優しい時代だ。クリーニングに出すと余分にお金はかかるが。でも、今後も寝押しすることは多分ないだろう。

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2017年5月26日 (金)

日本画鑑賞入門のテキスト

長い間に集めた日本画に関する書籍や図録は、割とあるほうかもしれない。その時、その時に催される日本画の展覧会で手に入れた図録や、たまたま、ある時に興味を持って購入した日本画関係の書籍を長らく処分せずに持っているからだ。

ただ、専門家ではないので、その集め方に統一性はない。関心のままに集めたからだ。そういう意味では、真に日本画の歴史的流れは把握していなかった。今回、たまたま見つけた『マンガでわかる「日本絵画」の見かた』(矢島新監修、唐木みゆイラスト。誠文堂新光社刊)を読んで、改めて、そうだったのかと日本絵画の歴史を再確認した。

本来、この本を読んで、個別の資料を集めるべきだが、残念なことに、その逆をやってしまった次第。若い方は、このような誤りはして欲しくない。この本では、日本絵画の歴史を順を追ってわかりやすく説明してある。それから各自掘り下げて鑑賞してほしい。

時代時代の代表的絵画を示しながら、エピソードを交えて、イラストで示してあるので、理解しやすい。日本絵画入門書として、若い方で、日本絵画に興味を持った方は、是非読んでほしいと思う。

*追記

ついでに記しておくと、日本画鑑賞の書籍は他にも持っていたが、あまりにも専門的で文章ばかりなので、一般人には難しかった。一応、蔵書としてあるのだが、書棚に眠っている。いつか読むだろうか。

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2017年5月25日 (木)

李下に冠を整さず、というと

どこかの首相が、学園関係者に便宜供与したのではないかと前々から話題になっている。強い指示をしていたという状況証拠から言うと、かなり怪しいことは確かだ。少なからず、彼らと交流があったことから、その疑念は深まるばかり。

首相に限らず、トップにある人は、その職務権限において、他者から怪しまれるようなことはしてはならないだろう。法律上は問題なくても、そのような立場に身を置くことは好ましくない。

昔から、李下に冠を整(ただ)さずと言うが、今回は、この話の謂れを取り上げよう。中国・戦国時代の話だ。斉は威王が位にあった。国内は、佞臣(ねいしん)周破胡に握られ混乱していた。彼は有能で自分に都合の悪い人間を除外し、能力的に自分の意のままになる出来の悪い人間をかわいがった。

これを見かねた後宮にいた虞姫という女が「周破胡を退け、賢明な北郭先生を用いるべきだ」と大胆にも王に訴える。ところが、このことが、周破胡の耳に入ってしまう。彼は、そのことを恨んで、虞姫と北郭先生の二人の関係は怪しいと言いふらす。

このことにより、王は虞姫を幽閉する。破胡は、これ幸いと買収した役人を使って彼女を罪に落とそうとする。ただ、王は、この調べ方に疑問を持って、改めて虞姫に直接、質(ただ)す。

彼女は、「王のために尽くしてきました。よこしまな人間に陥れられたけれど、私は潔白です」と主張。更に、「『瓜(か)田で履を履き替えず、李下に冠を整さず』というように疑われることを避けなかったこと、幽閉されても誰一人申し開きしてくれる人がいなかったことが私の至らなさです」と言った。

そして、「群臣が皆悪いことをしている中で、破胡が最も悪いことをしている」と再度、警告する。王は、その真心のある言い分に目が覚め、即刻、佞臣を罰し、賢臣を改めて任じて、国政は安定することになったという。

為政者は、常に用心深く、慎みを忘れてはならない。他人から、怪しいと嫌疑をかけられるような行いや言動は極力避けなければならないと先人は教えている。教養のない政治家が跋扈すれば、国政は危うい。

*参考

「李下に冠を整さず」は、『文選』・楽府・君子行にある。この文の前に、「君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に處(お)らず」という一文がある。意味は、「君子たる者は、人から疑いを招くようなことを未然に防ぎ、嫌疑をかけられるようなことはしない」ということ。

某国の首相は、その点で非常に甘く、三流政治家の域を出ない。周囲の佞臣たちは、それをいいことに彼を利用している。

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2017年5月24日 (水)

姫路市立動物園が、ステージ出演者募集中

初めて知ったのだが、姫路市立動物園が、園内施設を使ったステージ出演者を募集している。園内施設を使って、イベントやステージショーを行うことができる。

ステージ利用料は無料だが、一、非営利目的に限る、二、他の入園者の利用や園の運営を妨げる行為はできない、三、施設利用料はかからないが、必要な物品機材・人員・費用等は自己負担になる、四、その他の使用上の「注意事項」を事前に確認し遵守する必要がある、等の条件がある。

どちらかと言うと、子供向けの催しがいいとは思うが、関心がある人は、直接、動物園に問い合わせてほしい(079-284-3636)。利用申し込み受付は、使用予定日の6か月前から2週間前としている。

その後、利用したい方は、直接、動物園事務所に連絡、訪問して(9時から17時)、相談・打合せすることになる。また、電話、郵送、FAX、メール等だけの申し込み・予約・仮押さえはできない。

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ピーチクパーチクと言えば

ピーチクパーチクと言えばヒバリの子だと思うのだが、ある新聞のコラム欄を見ると、ツバメの子たちの鳴き声として記されていた。

でも、ツバメは、ピーチクパーチクと鳴かないと思う。彼らの鳴き声は様々だけれど、チュピチュピとかジージー、ジャージャーが比較的多いのではなかろうか。

確かに、ヒバリも、ピーチクパーチクというより、ピーツクピーツクと鳴くように思う。でも、ツバメよりは鳴き方はピーチクパーチクに近い。

いずれにせよ、賑やかな鳴き声を表したものかもしれない。若い女性の話声も、それに相当するかもしれない。喫茶店で、甲高い声で話されているのを聞くと、若干苦痛ではあるけれど。

そういうと、昭和期には、晴乃ピーチクパーチクという漫才師がいた。遠い記憶だけれど、彼らも賑やかだった。

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2017年5月23日 (火)

シャクヤク咲く 2017

少し前から、シャクヤクが咲いているのだが、記すのを忘れていた。深紅のシャクヤクは色が映える。ただ一部移植したものは、咲かなかった。また、新たに植えた白いシャクヤクは、まだ蕾のままだ。待て切れず、花屋で、切り花を買って玄関に飾っている。

ボタンは、同じところに植えていると、うまく咲かないことがあるので、移植すると咲くことが多い。それに対して、シャクヤクは、移植すると、株分けのためか、咲かないことが多い。仮に咲いても花が比較的小さい。

よって、前から植えているところは、年々、花の大きさが大きくなる感じ。ただ、あまり大きくなると、茎で花を支えられなくなるので、適度な大きさにする必要がある。そこで、株分け。来年は、いろんなところに植えたシャクヤクで、にぎやかになる予定だ。

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2017年5月21日 (日)

市民を遠ざける共謀罪

当局は、法律を作れば、犯罪を減らせると考える単純脳の人が多いのだろうか。ここで共謀罪の是非を論じる気はないが、一つ問題点を挙げておこう。

かつて祖父は、政治家とは、できるだけ距離を置け、近づくなと遺言した。そして、父は宗教関係者とは適切な距離を置けと言い遺した。そして、現在、言えることは、当局(警察)とは近づくなということになるかもしれない。

もちろん、交通事故や犯罪などでも警察の厄介になることは当然避けるとしても、それ以外での接触についても、共謀罪が成立すれば、極力避けるべしとなるだろう。よくサスペンスドラマでも演じられるように、殺人事件の第一発見者は被疑者になりやすいという。

今までも、その様な事態を想定して、事件や怪しい人物を見ても、警察に通報しない人はいただろうが、今後は、更に警察と距離を置く人が増えるだろう。すなわち、触らぬ神に祟りなし、の思考が働く。

その時、何が起こるか。要するに、法律の趣旨とは違って、捜査を遅らせ、また未然に犯罪を止めることが、むしろ困難になることが想定される。皆が、社会に無関心になるからだ。それが最も恐ろしい。

また、政府は、オリンピック・テロを未然に防止するためと言っていたが、そんなことは、この法律で止められるものではない。前にも記したが、政府関係者が、世界に対してテロを呼び込まない慎重な発言や政治・行政が重要なのだ。あるいは、無暗矢鱈と海外の政治家の意見に同調しないことだろう。

そのようなことを無視して、法律を作ったら、国際的犯罪を防げると考えているのなら甘い。またテロに対して、当局の人員で、十分対応できると思っているのだろうか。机上だけで考えた法律の有効性には疑問が残る。市民を遠ざける共謀罪成立に夢中になった政府の責任は重大だ。

これで、果たして治安が従来のように守られるか不安だ。むしろ、社会は不安定になっていくのではなかろうか。共謀罪だけで、市民の協力なくして、警察力だけで治安が守れるとは決して思わない。市民を遠ざけた代償は大きいと将来、当局は後悔するだろう。

*追記

特定の国やテーマ別の人権状況について事実調査・監視を実施している、プライバシーの権利に関するケナタッチ国連報告書では、日本の共謀罪について、「プライバシーや表現の自由を不当に制約する恐れがある」と懸念を示した。

更に、法案にある「計画」や「準備行為」の定義が曖昧で、恣意的に適用される可能性がある、と指摘している。また、いかなる行為が処罰の対象となるかも明記されておらず、問題があるとしている。

*追記

277の対象犯罪は、あまりにも広すぎるにもかかわらず、政治家関係の犯罪(公選法違反罪や特別背任罪)は除外されている。政治家に都合がよ過ぎないか。裏社会と何かと噂のある政治家が対象外になるとは笑わせる。

*追記

この法律が戦前の治安維持法と似ている点が指摘されているが、政府は、当時と現在は状況が異なるので、あり得ないとしている。しかし、社会状況が変われば、この共謀罪をベースに治安維持法的な法律が将来、作られる可能性は否定できない。若い世代は、強い警戒が必要だろう。マスコミも含めて、いかに当局を監視するかが問われる。

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2017年5月20日 (土)

老兵は死なず、と言うと

「老兵は死なず」というと、連合国軍最高司令官だったダグラス・マッカーサーが言ったとされる。その英文は、Old soldiers never die,but fade away。それを一般には直訳して、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と訳された。

ただ、これでは、軍人の彼の本意は伝わらない。この言葉は、彼の軍人精神を表した言葉として指摘される。当時、占領軍として絶対権力を握っていた彼が、朝鮮戦争に原爆を使おうして、トルーマンに追われた。

そういう悔しさを表しつつ、軍人として律していく精神を表している言葉だろう。私が、ここに居なくなっても、心は常に皆と共にあると言いたかったのだろう。

さて、映画にも、最近視聴した戦前の英国映画で、邦題『老兵は死なず』がある。但し、原題は、The Life and Death of Colonel Blimp である。直訳すると、「傲慢な保守的軍人の一生」となる作品。この映画は、戦後、日本に入ってきたものだろうから、邦題は、マッカーサーの言葉を意識したもののように思う。

映画は、美人女優のデボラー・カー主演。ボーア戦争(英国とオランダの争い)が1902年に終わり、武勲を立てたクライヴ・キャンディ中尉がロンドンに帰還することから始まる。彼は、カウニッツというドイツのスパイが英国を中傷している噂を聞き、ベルリンに向かう。

彼は、そこで、エディスという英人家庭教師と共にカウニッツを懲らしめに行く。殴り合いになり、彼は、ドイツ軍将校の代表と決闘しなければならなくなる。1943年の英国の制作だが、老軍人をからかった映画だ。

第二次世界大戦の頃に、このような映画を作る余裕があった英国。それはともかく、デボラ・カーは一人三役をこなしている。一人目が、先に示したエディスという女性。クライヴは、好きだったが、他の男(決闘したドイツ軍人)に譲ってしまう。

そして、後に、1918年、西部戦線に出征中、エディスに似た従軍看護師のバーバラを見初め、年齢の差20歳だったが結婚する。その後、妻は亡くし、第二次世界大戦が始まり、現役を退けられると、またまたエディスに似た、自動車運転手の婦人部隊員のショニィ・キャノンと出会うことになる。もちろん、彼女は恋愛対象ではないが。

これは何を示しているのか。男は似たようなタイプの女性を好むということだろうか。あるいは男はロマンチックだということだろうか。一応、戦争映画のはずだが、どこか喜劇仕立てになっている。

騎士道精神から脱せない老軍人の悲喜劇とも言える。若い兵たちは、ナチスの非道のやり方には、老軍人のやり方では対処できないと批判し追い出してしまう。果たして、彼は時代に取り残されたのだろうか。

時代が変わったのかもしれないが、彼の妻に対する思いは、いつまでも変わっていないと終わっている。全体を通じても、白黒映画だが面白く、163分が、そんなに長く感じられなかった。名作と言っても差し支えないだろう。

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2017年5月19日 (金)

久しぶりに、お節介を受ける

若い頃は、スーパーに行くと、よく、お節介を受けた。食品売り場で、少し立ち止まると、必ず(笑)。特に大阪時代は多かった。どちらかというと、住居費の安い下町に住んだことも影響しているのだろう。

売り場にいると、ほんの一瞬立ち止まったのを見逃さず、お節介してくる。あの商品は、値段の割に美味しくないとか、魚の見分け方、野菜の見分け方、調理の仕方等、本当にいろいろ。話しかけてきたのは、ほとんど、おばちゃん。年齢的には、中年から、お婆さんまでいろいろ。

そのことを知人に話すと、「お前には、それだけ隙があるか、話しかけやすいか、どっちかやろな」と言われた。そういうと、若い頃、高齢者に、よく道を尋ねられた記憶がある。ちょっと安心感があるのかな。

それはともかく、長い間、お節介は受けていなかった。ところが、最近、スーパーの売り場で、果物を物色して買い物していると、中高年のおばさまより、「そっちよりこっちの方が美味しい。こちらにしい」と言われて、まさにかごに入れていたものを戻して、入れ直した次第。

よくわからないので、どちらでもよかったのだが、有無を言わせぬ言い方。逆らえなかった(笑)。売り場で、お節介している女性は、時々見かけるが、直接、お節介を受けたのは本当に久しぶり。喜んでいいのか。頼りなく見えたのか。

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2017年5月17日 (水)

今年は多い出現のジャコウアゲハ

毎年、ミカンの花の季節になると、やって来るジャコウアゲハ。いつもは、他のアゲハチョウと比べて、あまり見かけることはないのだが、今年は、非常に多い出現率。雨の日は分からないが、晴天の日は、毎日のように見かける。

それは雄だったり、雌だったり、大きい個体、小さい個体、様々で、一つの個体ではない。飛び方に特徴があり、すぐわかる。産卵が多かったのだろうか。彼らにとって環境がよくなったのだろうか。

咲きだした夏みかん、スダチ、レモンの花だけでなく、様々の木の間を心地よく飛んでいるように見える。その時だけ、雑草抜きの手を止め、じっくり眺めることにしている。彼らのダンスは、少し、癒される。

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番藤右衛門のこと

以前、池田利隆に家老として仕えた番大膳のことを取り上げた。そもそも、番家が、池田家に取り立てられたかを一応、記しておこうと思う。番大膳の父、番藤右衛門は、池田輝政時代に仕えた、馬屋頭であった。

主人の池田輝政が、輝政の父・恒興、兄・元助と共に、1584年の小牧長久手の戦いに秀吉方として、参戦する。総大将・豊臣秀次と共に、駒を進めたが、家康側に奇襲されて、敗走させられ、先方隊の池田隊にも、攻め込んでくる。

圧倒的に不利な状況で、死闘を繰り広げるが、父・恒興、兄・元助は共に戦死。この報を聞いた輝政も、後を追って切りこもうとしたが、馬の口を執っていた蕃藤右衛門が「ここで主君を死なせるわけにはいかない」と馬の口を話さなかった。

輝政は、怒って、鞭を藤右衛門にあて、大暴れするも、彼は血だらけになっても、決して馬の口を離そうとしなかった。そのお蔭で、輝政は、戦場が脱することができた。それなのに、輝政は、藤右衛門を恨んだ。

すなわち、死すべきところで死ねなかったことを悔いたのだ。そのため、彼に対して、生涯、加増しなかったという。結局、番藤右衛門は、大小姓頭として、三百石取りで終わっている(三百石が高いか低いかという議論はある。要するに家老にはしなかった)。輝政の頑なな姿勢が読み取れる。

ところが、代が代わって、利隆の時代になると、番家は取り立てられ、家老に遇されてる。池田家も、番家があっての家名の存続と理解したのだろう。頑固親父には困ったものだ(*注)。

*注

あるいは、池田輝政は、取り立てたかったが、周囲とのバランスで、できなかったのかもしれない。それで、利隆に、彼の子供を取り立てるように申し送りしていたとも考えられる。いずれにせよ、番一族は、肝の座った人が多かったのかもしれない。

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2017年5月16日 (火)

復讐の連鎖~『タイタス・アンドロニカス』より

かつて、日本には、仇討ちを認めていた時代があった。ただ、いかなる理由であっても、仇討ちされると、その家族は、仇討ちした人を恨むようになる。それで、逆に、仇討ちを考え実行すれば、それは復讐の連鎖になる。とめどなく、怨みが続いて行く。

シェイクスピアの作品にも、それを描いたものに、『タイタス・アンドロニカス』がある。ローマとゴートの戦いである。ローマのタイタス・アンドロニカスは、ローマの貴族で、ゴート討伐軍の将軍だ。

彼は、ゴート軍を討伐するのに成功するが、成功の生贄に、ゴート人の女王タモーラの長男を惨殺する。それに怨みを抱いたタモーラが、ローマの皇帝サターナイナスに、そのことは秘して、皇帝妃になる。そこから、元々タモーラの情夫エアロンの悪知恵を活用して、復讐を成し遂げていくが、、、。

話は、この辺で留めておくが、シェイクスピアも、戦争が、その実態としても、随分と残酷な物語を描いたものだ。彼の初期の作品のようだが、その後は、若干オブラートに包んで描いているように思う。

とにかく、戦争に限らず、争いは、相互に怨みを持たせる。人間には、闘争本能が組み込まれているそうだが、それを好いように使うことが人類の永遠の課題だろう。

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2017年5月15日 (月)

男女の思いのズレ~映画『凱旋門』から

凡そ、男女の恋愛関係には、その思いにズレが生じるのは致し方ない。ただ、そこから悲劇が生じる。今回は、久しぶりに、洋画を鑑賞した。それが『凱旋門』(原題はArch of Triumph)。1948年制作のアメリカ映画。主演は、イングリッド・バーグマン、シャルル・ボワイエ。あらすじを備忘録として残す。

舞台は凱旋門のあるパリ。時代は、第二次大戦前の不穏な雰囲気漂う時期。当時、パリには、いろんな国からの亡命者で溢れていた。

オーストリア医師のラヴィック(シャルル・ボワイエ)も、亡命者の一人。ナチを逃れて、不法入国していた。当然、旅券もない。生きるため、闇のアルバイト医師をしていた。その彼が、ある夜、ナチの収容所で、彼の恋人を拷問にかけ殺したゲシュタポの手先ハーケを見つける。

復讐心に燃えたラヴィックは、その場は見失う。その帰途、セーヌ河で身投げしようとしているイタリア女ジョーン・マドゥ(イングリッド・バーグマン)を見つけ、止めさせる。彼女は行くところがないということで、とりあえず、亡命者が宿としているところに泊めてやり、何かと世話を焼き、ホテルの手配もする。

そんなこんなで、彼女は彼のことが忘れられず、逢瀬を重ねるうち、二人の関係は深まる。彼女は、売れない俳優で歌手であったところから、彼は知り合いのモロゾフを通じて、カフェの歌手の仕事を紹介する。

そういうこともあり、二人は、リヴィエラで暮らすことになるのだが、幸せは続かなかった。ラヴィックの不法入国がばれて、即刻スイスに追放される。3か月後、彼はパリに戻ってくるのだが、彼女は消えていた。というのは、孤独に耐えかねて、青年富豪のアレックスと同棲してしまっていたのだった。

ラヴィックが探し求めた結果、ジョーンは戻ろうとするが、嫉妬に狂ったアレックスは彼女を刺してしまう。その頃、ラヴィックは、ハーケを見つけ、罠に嵌めて殺害し、復讐を成し遂げていた。その夜には、ニュースで、連合国の対独開戦を伝えていた。

疲れて、うとうとしているところに、ジョーンから電話が鳴り響き、殺されると言う。彼が駆けつけると、アレックスは、おろおろして助けをラヴィックに求め、救急処置もし、医療施設の手配もする。手術は専門医師の到着を待つべきであったが、ラヴィックは、最早、時間がないと、自らやるが成功はしなかった。結果的に彼女は亡くなる。

その後、ラヴィックも敵国人として、収容所に引っ張られていく。最後に、パリ市民の象徴である凱旋門が夜の闇に浮かんでいたというような内容。果たして、彼の手術の失敗は不可避だったのか、あるいは故意か。恋人を永遠に手元に留めるには、その方法しかなかったのか。いずれにせよ、ジョーンが死地に陥って、初めて、思いが一致したのは皮肉なことであろう。

若い人たちがご覧になると、単なるメロドラマにしか映らないかもしれない。2時間12分の映画としては、疲れを催すという批判もないではない。まあ、これは、ある程度の年齢にならないと理解は難しいかもしれない。

ただ、戦争の場面こそないが、戦争映画でもある。戦争で被害に遭うのは、いつも一般国民であることは確か。見方を変えれば、それなりに意味のある映画だと思う。

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2017年5月14日 (日)

初夏の万葉集

昨日の雨で、雑草たちが、一斉に生えだした。しばらく、雑草取りに追われそうだ。また木々たちも、一層緑を濃くしている。まさに初夏の雰囲気。そこで、万葉集の歌を取り上げる。学生時代に習った持統天皇の歌だ。

 春過ぎて 夏来たるらし 白妙の

   衣干したり 天の香具山

  (巻第一 二十八番)

改めて、鑑賞してみると、女性にしてはスケールの大きさを感じる。ただ、洗濯物(干し物であり、洗濯物とは限らないが)で夏を感じるところは女性的。流風なんて、洗濯物で季節は感じない。ただ、今は、冬と違って、早く乾くことは確かだが。

香久山は、もともと天上にあり、天下った山というこで、神聖な山らしい。それで「天の香具山」となっている。その雄大な山と干してある白い洗濯物の対比。また色彩的には、緑と白の対比でもある。やはり秀歌のようだ。学生時代は、何も感じなかったが(笑)。

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続かないカメラの趣味

最近の若い方たちは、何でも写真で記録しているようで、食事まで写真で記録している姿を見かける。スマホ・携帯の普及で、いつでも写せる環境が整っていることもあるだろうが、私には違和感がある。そんなことをする前に、しっかり食事しろと言いたくなる。もちろん、食事記録を健康管理に使うのなら、それもいいのだが。

さて、私も、若い時、カメラを持って、一応旅行はした。ただ、その技術は上がらず、研究熱心でもなかったので、すぐに飽きた。その後も、他者が撮られた写真などを見て、一応、憧れるのだが、その興味はなかなか続かない。

フィルム写真カメラからデジタルカメラに移行しても、あるいは携帯カメラが普及しても、写真を写すことに、それほど関心はない。性格的に、一度に、あれもこれもできないので、カメラに注意が行くと、観光が楽しめないこともある。過去の観光写真を見て、思い出に浸るのもいいが、最近は、写真で敢えて残さず、観光は、記憶と割り切っている。

それでも、現在はガーデニングで、成長した木々や花々を撮ろうと一瞬、思うのだが、ずぼらな私は、結局、チャンスを失い、季節が終わっていることの繰り返しだ。この調子だと、一生、カメラとの縁はなさそうだ。

せいぜい、写真展などで、他人様が写された見事な写真を楽しむだけなのも、案外、悪くないと思う日々だ。その結果、過去に買った安物のカメラ類は、ほとんど使わず、押し入れに眠っている。

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2017年5月13日 (土)

姫路市が外国人旅行者向けに、英語の交通地図を作製

先日、神姫バスに乗っていると、若い運転手の方が、英語、中国語、韓国語で、流暢に話されていて少しびっくりした。姫路も、国際都市になったのかと(笑)。もちろん、このような運転手ばかりではなかろう。外国人観光客の方々から話しかけられて、十分対応できないケースも考えられる。

そこで、姫路市は、外国人旅行者向けに、英語の交通地図を作製した。それが“Himeji Transportation Guide”というもの。先日、観光案内所で、一部もらってきた。それは、まずJR姫路駅構内の案内に始まり、姫路駅を降りたところの、バス停留所、タクシー乗車場所も示している。

更に、姫路の主たる観光地に行くバスルートマップ、所要時間、料金、バリューチケットや、タクシー料金の目安なども示されている。また、バスの乗り方も細かく紹介している。

このように外国人観光客が、基本的に尋ねたいことなどが網羅されている。今後も、旅行客の要望を聴きながらバージョンアップさせていくことが望まれるが、現状、よくできていると思う。外国人観光客の方は是非、手に取ってほしいと思う。

*追記

ちなみに、一般の日本人旅行客向けの、このようなパンフレットは作られていない。ややちぐはぐで片手落ちの感じはする。

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2017年5月12日 (金)

古い文庫本の処分

古い文庫本を久しぶりに読み返そうとしたが、誌面の変色と文字が小さすぎて、読みにくい。名作も多いのだが、思い切って処分することにした。最近の文庫本は、少し文字が大きいので読みやすい。結局、買い直すことになるが、仕方ない。読書意欲を減退させる誌面の変色と小さい文字では、楽しめないのだから、やむを得ない。

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アリゲーターガーを釣った人

本日(2017年5月12日)付のニュースになっているものに、姫路の男性が、「アリゲーターガー」を釣ったという話題。兵庫県揖保川下流域(たつの市)のウナギ保護区で、巨大外来魚「アリゲーターガー」が出没し、以前から問題になっていた。

「アリゲーターガー」は、アリゲーターの名の通り、鋭い歯を持つ獰猛な肉食魚だ。誰かが飼い続けることができなくなって、放流したもののようだ。大変な迷惑なこと。輸入の生き物の扱いが国として甘いから、こういうことが起こるとも言える。

それはともかく、対策として、地元漁協が捕獲作戦を何回か、していることは以前にも報道があり、知っていたが、いずれも失敗していた。そのことを5月1日の新聞報道で知った姫路市在住の釣り歴25年の32歳の男性(氏名は非公表)が、それならと、「アリゲーターガー」の習性をインターネットで調べた。

その後、翌日、揖保川支流の中川に行き、釣り禁止区域を調べ、ウナギ保護区の下流で、タチウオ用のワイヤとチヌ用の針を使い、餌はサンマの切り身を仕掛けたところ、約40分後、当たりがあり、一気に釣竿を立て、格闘すること、約10分で、仕留めたという。5月2日午後10時頃だったらしい。体長1.09メートル、重さ9.6キログラムだった。

地元漁協は、大規模な駆除作戦をしたものの、6度、試みたが、成果が得られていなかった。ひとまず胸をなでおろしているらしい。流風に釣りの趣味はないが、この男性の心意気を高く評価したい。このような釣りのプロが姫路市にいらっしゃるのは喜ばしいことだ。

感謝状でも贈られるのかな。こういう人がいるのなら、懸賞にしてもよかったのかもとも思う。世の中、それぞれの分野で趣味のプロもいる。でも漁協もプロの集まりのはずだが(笑)。習性を調べた知恵の差と言うべきか。

*追記

報道によると、アリゲーターガーを釣った人は食べたかったらしい。まあ、気持ちは分からぬでもない。その後、この魚は、漁協で保管され、近く、姫路市立水族館で解剖するらしい。胃の内容物を調査するためだ。アリゲーターガーについては、同館が、18年に亘り、飼育してきたが、生態が不明な点が多く、雌雄の見分け方や繁殖方法も不明らしい。

*追記

その後の報道によると、アリゲーターガーを解剖したものの、胃の内容物はなかったらしい。よって、捕食行動の解明にはつながらなかった。つまり、冬の間は活動していなかったと推定される。一応、動き出す時期だけが判明したことになる。

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2017年5月11日 (木)

奇妙な安倍首相のあせり

ここへ来て、安倍首相の奇妙なあせりとも取れる発言が目立つ。彼は、自分の能力以上に、自らを見せようとするあまり、指導力を発揮しようとして、全てを抱え込んでいる。それが首相という重責のストレスの加えて、健康上の不安も抱えて、言動を怪しくしている。

更に、彼には悪いが、元々、頭があまりよくない上に、あまり宜しくない取り巻き連中の意見に左右されている。ところが、劣等感の裏返しで、自分は能力において誰にも劣らないと思いたがる。これが裸の王様状態を招いている。

結果的に、国会の討論において、自身で、よく整理して考えないものだから、その発言は強気一辺倒で、支離滅裂になりやすく、非論理的で誠実さは全く感じ取れない。それゆえ、論理的に突かれると感情的になりやすい。

その彼が、今回、憲法改正を第九条の現憲法の条項を残したうえで、自衛隊の存在を明記するというのを優先して議論して進めようと言い出した。理論的に整合性は全くない。更に、それを2020年までにやり遂げたいというのだ。これは自民党内でも、「自民党憲法改正草案」(国家主義的で、国家統制の意味合いが強い。憲法の意味を真に理解していない素人案で決して望ましくないが)でも議論されていないし、憲法審査会でも議論されていない。

そもそも憲法改正は、喫緊の課題ではない。それ以外に、やらなければならない課題は多くある。憲法改正は、国民的議論が広くなされて、納得を得て、初めて国会で議論されるべきもの。それに対して、安倍首相は、憲法改正について、祖父の思いとか、個人的感情で暴走しようとしている。

それにしても、あまりにも、あせりにも似た発言の裏には、何が何でも、自分の政権時に、憲法改正を成し遂げて実績を上げたいという私欲が絡む。そのためには北朝鮮危機を利用しようとする意図も感じられる。あるいは森友問題で、自身の発言から、最早逃げられないような事態を予測して国民の関心をそらせたい意思が働いているのか。

いずれにせよ、感情で政治が、深い思慮なく、独断で自分の考えにこだわり、広く意見を吸収しない姿勢は問題だ。政府与党も、早くトップの変更を考える時期に来たと言える。与党も、いつまでももトップに安倍首相を据えるのはどうか。彼にこだわる必要はない。自民党内には、彼に代わる優秀で適切な人材がいる。

*追記

もともと、自衛隊は、現憲法下、その存在は認められていることは以前に記した。それを改めて、憲法の中に、その存在を記せば、かえって、おかしなことになることは明白。世論調査で、一般国民は、そのことをよく理解していない。一部のマスコミは、そのような調査結果を流して、いかにも憲法改正が必要だとミスリードしている。

*追記

基本的に、安倍首相の政治の進め方は、あまり好きではない。独断政治と言えるだろう。秘密保護法、安保関連法案は、もっと慎重に議論を進めるべきであったし、今、議論している「共謀罪」にしても、問題は大きい。これらは国民主権を脅かし、戦前の国家主義に近づくことになる。明らかに歴史と逆行している。

結局、安倍首相の民主主義の不理解から来ている。これは自民党の党名を否定し、存続にも赤信号を灯すものだが、自民党議員は案外気づいていない。現在の党内は、かつてのように自由も民主も機能していない。

多数は握っているものの、有権者からすれば、かつてのような魅力は薄れている。そういう危機感が持てないのなら、この政党の将来は案外危うい。

*追記

仮に自公政権が、今後も、安倍氏をトップに据え続けたいのなら、彼の取り巻き連中を一掃して、清新なイメージに転換することだろう。また大臣たちを安倍氏の意のままに動くロボット化していては、党内も駄目になる。表現は悪いが、仮に首相は、お飾りになっても、大臣には、それぞれのプロの政治家を充てるべきだ。それができないのなら、安倍首相は、早期に退任すべきだろう。

*2017年5月15日追記

読売新聞社が、安倍首相の憲法第九条改正案について、世論調査しているが、全く信用できない。この新聞社は、安倍首相のお抱えの新聞社だから。世論誘導するのは頂けない。国民は、この権力にすり寄り、偏向報道する新聞を購読してはならないだろう。

*2017年5月17日追記

安倍首相の森友学園不正関与問題にさらに、かねがね噂されていた加計学園問題が首相が関与していた文書が出てきている。最早、首相は退陣か、解散を求められるだろう。米国筋は、そのように見ている。6月解散が現実的か。権力をチェックするためには、与野党の数のバランスが求められる。与党は、真剣に、次の首相候補を決めておくべきだろう。

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2017年5月 9日 (火)

『ひょうごの美ほとけ~五国を照らす仏像~』展の案内

昔は、少し仏像に関心があった。関係書籍も、何冊かある。その形状や、印を結んでいる様子を見て、これは何を意味するのかなどを調べたりしたものだ。確かに、それぞれの仏像には、それぞれの意味があるのだろう。

だが、基本的に偶像に過ぎない。もちろん、偶像には、それなりの役割がある。お墓や位牌同様、遺された者が、先祖と対話する手段にはなりうる。その心の交流の手段が、案外、軽んじられているのは少し残念だ。偶像無しに、自らと心の会話できるのが、ベストだが、いつも、そうできるとも限らない。そう意味では、仏像にも存在価値があると思う。

今回、兵庫県立歴史博物館で催されている『ひょうごの美ほとけ~五国を照らす仏像~』展は、宗教的に見る人もいるだろうが、仏像を美術品として紹介している。兵庫県下にある秘仏を中心に、滅多に見られない仏像が並ぶ。かなり前に、同様の展覧会が開かれたが、久しぶりの感。

それぞれが、どのような経過で制作されたのか、あるいは、なぜ秘仏なのか、いろんな関心をもって見るのもいいかもしれない。兵庫県下の各地の全ての仏像を見るのは、現実には大変なこと。仏像ファンは見逃せないと思う。ただ、私自身は、仏像に関心が薄くなっているので、行くべきかどうか少し迷っている。多分、さっと眺めて終わりとなりかねないから(笑)。

2017年6月4日まで。

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『トロイラスとクレシダ』を読む

シェイクスピアの作品も、その創作目的がよくわからないものがある。それが『トロイラスとクレシダ』。一応、トロイ戦争の末期を描いたもの。

トロイラスというのは、トロイの王、プリアモスの息子たちの末子。クレシダというのは、トロイの神官、カルカスの娘。トロイラスは、クレシダにぞっこんだ。

対するギリシャ側は、スパルタ王として、メネラオスがおり、彼の兄、アガメムノンは、ギリシャ軍の総司令官である。メネラオスは、妻のヘレネをトロイ王の息子パリスに奪われている。

これらを軸としながら、いろんな人が絡んで、いろんな話をする。それは非常に無駄話が多い。話好きの人たちが集まって、やいやいやっている感じ。戦争という緊迫感は、各所に見られるものの、その会話は漫談に近い。

日本で言えば、源平合戦のような感じだ。その中で、男女の愛の頼りなさを絡ませている。一旦、トロイラスとクレシダは、恋仲となったものの、捕虜の交換でクレシダがギリシャ側に引き渡されると、彼女は、ギリシャ軍の司令軍のディオメデスの愛を受け入れてしまう。

ここら辺は、男女の恋愛観の違いを描いているようにも見えるが、別の角度から見ると、女性の貞操観のなさを表している。戦争という悲劇を描きながら、人間喜劇の面もある。一体、シェイクスピアは、この作品で何を描こうとしたのだろうか。再度、読み直す必要があるかもしれない。だが、分かりにくいのは確かだ。

*追記

読んだのは、例によって松岡和子氏の訳本だが、一部、理解に苦しむ翻訳があった。それは男言葉と女性言葉の混乱だ。違和感がある。

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2017年5月 8日 (月)

リンゴとキュウリのサラダ

子供のころ、母がよく作ってくれたリンゴとキュウリのサラダを思い出して作ってみた。リンゴの季節は終わりだが、キュウリは夏の野菜でこれから。年中作れるけれど、今の時期の最適の組み合わせだ。

まずキュウリは、塩をまぶして板摺して、スライスする。リンゴも、八等分にカットして、スライスする。両方を混ぜて、変色しないように、少し塩をして、マヨネーズで和えるだけ。簡単だけれども好きなサラダ。久しぶりに作ったけれど、懐かしく美味しかった。

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2017年5月 7日 (日)

白髪を嘆く~『万葉集』より

今のところ、白髪は目立つということはない。ただ、耳の周りは、白髪が少し見える。年齢には勝てない。ただ、私より若い人でも、時々、白髪の人がいる。苦労をされた結果であろうか。ある人は、そんな歳ではないのに、一瞬で白髪になられた方もいた。肉体的なものより精神的なものも影響するのだろう。

さて、『万葉集』(*注)にも、白髪を嘆く歌がある。若い人たちに、白髪爺と詰られたのか、若干、自意識が強かった若い時を思い出しながら、白髪を笑われることに反発した歌である。長歌と短歌で構成されている。

長歌の内容は長いので、ここでは、挙げないが、かいつまんで紹介すると、「みどり子の若子髪には」ではじまっている。

内容は、赤ん坊のころから大事に育てられ、あなた様のような若いころには、黒髪がいっぱいで、いろんな髪型にしたり、それに合う服装をしたりして、めかしていたものだ。そうすると、どんな男も足元に及ばなかったものだ。。

いろんな女性からの贈り物を身に着け、自他共に認めるファッショナブルな格好をすれば、春には鳥さえ、鳴いて飛び回るし、秋には、天雲さえも、ゆったり私になびく有様。大路を歩けば、女官も振り向き、噂する。

まるで、我が世の春と思ったことなのに、今では惨めな姿をさらし、あなた様にどのように思われていることか。あなたも歳をとれば、私のようになるのを覚悟しなさい、と言う風な歌だ。

そして、反歌として、二首を挙げる。

 死なばこそ 相見ずあらめ 生きてあらば

  白髪子らに 生ひずあらめやも

「若いまま死んでしまったならば、こんな目に遭わずに済んだであろう。けれども、生きていれば、あなた様にも白髪が生えてこないはずはない」

 白髪し 子らに生ひなば かくのごと

  若けむ子らに 罵らえかねめや

「あなた様にも、白髪が生えて来れば、若い人たちに、罵られずに済むことはないでしよう」

最近は、若い人も、白髪ぐらいでは、高齢者を詰ったりしないだろう。せいぜい、パートナーに、「あなた、歳を取ったねえ」と言われる可能性もあるが、案外、近くにいると気づかないものだ。せいぜい、病気などで寝込んだりすると、改めて指摘されるぐらいかもしれない。

そして、最近は、毛を染められたりしたら、全く分からない。流風は、白髪になっても、染めることはしないだろうから、若い人たちから、からかわれるのだろうか。まあ、誰も気にしないだろうね。多分、白髪を嘆くこともない。

*注

『万葉集』 巻第十六 三七九一~三七九三より

 

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2017年5月 6日 (土)

播磨地域も自転車で活性化

ちょっとしたサイクリングブームらしい。そういうこともあって、姫路市は、播磨圏域連携中枢都市圏(*注1)の各市町の公共交通機関のバス停や鉄道駅から観光地までつなぐ「はりまクラスター型サイクルスタイル」の構築を推進しているという。

元々、播磨圏は、移動手段として、鉄道やバスはあるものの、それ以外は車の移動に頼っており、交通網としては十分ではない。そこで、それを補うため、自転車の活用を考えているようだ(*注2)。それを今回は姫路市だけでなく、西播磨圏まで広げる試み。

まず地元の交通事業者と連携して、「サイクルエイドステーション」の整備や、サイクリングのモデルコース(*注3)を検証するとしている。

「サイクルエイドステーション」とは、サイクル観光を楽しむ人たちのために、サドル引っ掛けタイプのサイクルスタンドを設けたり、組み立てや簡単なメンテナンス(空気入れやパンク修理)ができる用具の無料貸し出しなどをする。ただし、メンテナンスは、利用者自身でするというもの。

「姫路駅前サイクルステーション」(神姫バス姫路駅旧待合所)では、これらに加えて、レンタルクロスバイクの貸し出し、広域観光ルートの紹介、更衣室での着替え、手袋、パンク修理用リペアチューブなどの小物販売も行っている。

その他の「サイクルエイドステーション」は、主要バス停留所に展開。現在のところ、神姫バス山崎待合案内所、農家レストラン「且緩々」、書写山ロープウェイ山麓駅、道の駅はりまいちのみや、(株)あさひ(姫路東店、姫路大津店、飾磨店、名古山店)、神河町観光協会の10か所。

なお、中距離対応型レンタルクロスバイクの貸し出しは、神姫バス姫路駅旧待合所以外に、神姫バス山崎待合所、農家レストラン「且緩々」、書写山ロープウェイ山麓駅でも行っている。

サイクリングブームを活かして、これらの施策で、播磨地域での観光の幅が広がれば、言うこと無しだ。それに伴う各種サービスも生まれるかもしれない。地域活性化に、大いに期待したい。

*追記

播磨の自転車観光についてのコンセプトとしては、「bGo(ビーゴー)」というイメージデザインしている。デザインは、加西市出身の北川一成氏によるもの。播磨の別称「播州」や自転車の英語表記の「bicycle」の「b」と、自転車で観光地を巡ろうというメッセージ「Go」を込めたものらしい。

*注1 

播磨圏域連携中枢都市圏とは、西播磨地域8市8町(姫路市、たつの市、宍粟市、相生市、加古川市、高砂市、加西市、兵庫県市川町、福崎町、神河町、佐用町、太子町、上郡町、稲美町、播磨町)を対象とする。

*注2

姫路市では、既に、レンタサイクルや姫ちゃりを展開しているが、必ずしも地域をカバーしているとは言い難い。更に、播磨圏域連携中枢都市圏に広げると、全く不十分で、これが観光の障害になっている。

また、長距離サイクリングの利便性を図っているとも言える。

*注3

姫路市では、2017年5月8日から、「はりまサイクリング紹介マップ」を無料配布するようだ。街歩き・町歩きマップと共に、広く普及することを望みたい。

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2017年5月 4日 (木)

シェイクスピアの『ペリクリーズ』を読む

若い時、それなりに関心を持ったシェイクスピアの作品だが、最近は、松岡和子氏の翻訳シリーズ(ちくま文庫)をよく読むようになった。彼女の翻訳は理解しやすく、文字も少し大きく、さらに紙面構成がゆったりとしているので読みやすいのだ。

そういうことで、シェイクスピアのあまり有名でない翻訳本も、すらすら読めて楽しめる。今回は、『ペリクリーズ』を読んだ。ペリクリーズはタイアの領主。彼は、アンタイオカスの王の娘に求婚を試みるが、この父娘の怪しい関係を読み取ったために、危機に陥り、逃亡の道に。

その先々で、妻に出会えたり、娘を得たりするのだが、その道は厳しく、家族はばらばらになってしまう。彼ら親娘の波乱万丈の物語。夫への愛をいつまでも、持ち続ける妻のタイーサ、絶望的な局面でも、決してあきらめず、積極的に考え、周囲の人間をも感化してしまう娘のマリーナ。

ペリクリーズは、民衆の信頼も厚く、不幸な人々を助ける犠牲的精神も持ち合わせていて、臣下や家族に信頼され、それが結局、大きな幸運を生む。舞台は、地中海沿岸になっており、違った視点で見ると、『千夜一夜物語』に通ずるものがあるように思う。

実際、このような流転の人生は大変だろうが、物語としては面白い。イギリスでは人気が高いそうだ。もっと多くの人に読まれてもいいだろう。

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2017年5月 3日 (水)

謡曲 『小鍛冶』について~姫路城薪能

第68回姫路お城まつりで、平成29年(2017)5月12日には、第47回姫路城薪能が催され、その中で、狂言として『察化』、能としては、『吉野天人』を既に取り上げた。更に、薪能では、『小鍛冶』が演じられる。今回は、その内容を見ていく。姫路にも、刀鍛冶がいらっしゃる(明珍氏)が、その刀鍛冶の物語だ。

京都に高名な刀鍛冶、三条宗近がいた。そこへ不思議な霊夢をご覧になった一条天皇が、新しく御剣を造れと夢のお告げを受ける。それで、帝は、橘道成を勅使として、宗近を訪れ、新しく御剣を造れとの勅命を伝える。

ところが、その時、相槌がいないので、返答を渋る。だが、どうしても必要と、命令は、重ねて蒙る。困った挙句、氏神の稲荷明神に正に神頼み。そうすると、一人の童子が現れる。不思議なことに、彼は、宗近が訪れた理由を既に知っていた。

そして、不思議な力を持つ剣の故事を語り、草薙野の剣が不思議な力を宿っていたと言われるように、それに劣らぬ御剣を、そなたは打つのだと言う。そのため、祭壇を築き、我を待っておれと言って消える。

そして、宗近が神社から帰り、童子の告げに従って、御剣を打つことを決意。打つための準備を整える。その上で、祭壇を造り、祈願していると、霊狐が現れる。これは神の使いらしい。

彼が相槌となって、天下無双の剣を打ち上げる。これが、神体にも等しい『小狐丸』。完成した御剣は勅使に献上され、霊狐は、さらばと告げると、いつの間にか、雲に乗って稲荷山に飛び去っていく。

刀を打つには相棒が必要。それが相槌。良いパートナーがあって、よい仕事ができる。そして、人間、行き詰った時、不思議と、見えない力が応援してくれることはある。周囲が、日頃から、その人の行いを見ていて、援けになるからだろう。

この刀匠に限らず、人は、誰かの支えがあって、目標は達成される。だが、そこには、強い意志が求められるのは確かだろう。日頃から、自らやりたいことを発信することは大切だ。この刀鍛冶も、日頃から精進していたから、好い結果が得られたということだろう。

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2017年5月 2日 (火)

謡曲 『吉野天人』について~姫路城薪能

第68回姫路お城まつりで、5月12日には、第47回姫路城薪能が催され、その中で、狂言として『察化』が演じられることは、先日、紹介した。そして、能としては、『吉野天人』と「『小鍛冶』が演じられる。今回は、『吉野天人』を取り上げよう。

姫路城の桜は、さすがに、もう終わってしまって葉桜状態だが、吉野の方は、まだ楽しめるかもしれない。また、こんなことを言っているが、未だ吉野には行けていない。謡曲の方は、次のような内容になっている。

毎春、花見を、あちこちに訪ね歩いている者が、毎年、千年桜を眺め楽しんでいるが、その千本の桜は、吉野の種を取ってきて、植えたものと知っているので、そのルーツを訪ねようと、若い人を伴って、大和の国に向かう。

そういうわけで、気が急けたこともあって、花を追い求めると、あっという間に、吉野の山に着く。そうすると、山の峰も、頂も、桜の花は満開。更に奥深く、分け入ろうとすると、似つかわしくない卑しからぬ女が現れて、何を噂されているのですか、と問うので、高貴な御姿で、なぜ、山の中にいらっしゃるのですかと逆に問い返す。

そうすると、その女は、「私は、このあたりに住んでいる者で、春の気配が立つ山に日を贈り、花を共にして、ここに暮すだけです」と答える。そうすると、都の者は、「それはそれは。私たちも、同じ心で、花を共にしているのです」と感心する。

それなら、一緒に花を楽しもうということになるが、一向に帰る雰囲気もなく、女に不審な感じを受ける。そうすると、女は「実は、私は、天女で、花の美しさに誘われて、ここまでやってきた」と告白する。

そして、続けて言うには、「せっかくだから、今夜は、ここに泊まって、信心されるなら、五節の舞や小忌の衣(*注)の羽袖を返し、月の夜遊をお見せしよう」と言う。しばらくお待ちくださいと言って消え去る。

そうすると、しばらくして、虚空に音楽が聞こえ、香しい匂いが漂い、花が降ってくる。この花の舞は、平和の治世の印だと思われた。しばらく、天女は留まっていたが、やがて、山桜の中を、花の雲に乗って、行くえ知れずになったのであった。

話は、桜の花の精を題材にしたもの。もちろん、天人は実際には存在しないが、桜の散りゆく姿を幻想的に捉えた作品だろう。桜見物ができるのは、確かに平和な証拠。最近、騒がしい東アジアの情勢も落ち着いて、皆が平和を享受できる世界であってほしい。

*注 小忌の衣について

「五節の舞」については、以前記したので、ここでは重ねて記さない。「小忌の衣」とは、厳重な斎戒を必要とする神事に参列する小忌の責任者が上衣として着用する青摺りの衣のこと。

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2017年5月 1日 (月)

ジャコウアゲハ登場 2017

雑草取りをしていると、黒い物体が飛んできた。ジャコウアゲハだ。毎年、やって来るが、今年は若干早い感じ。見たのは、まだ一頭だけ(蝶を数える単位は頭)。後からクロアゲハを見たが、ジャコウアゲハは、偉いさんが、会いに来たぞと、いかにも見参という感じ(笑)。実に、堂々としている。雰囲気からして、あれはオスだろう。でも、この蝶を見るのは、他の蝶と違って、印象深い。次は、いつ会えるかな。

*2017年5月2日追記

本日は、ジャコウアゲハのメスが登場。羽で分かる。彼女は貴婦人の雰囲気。飛び方も、ゆらゆら。オスとは少し違う。

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狂言『察化』について

第68回姫路お城まつりが、2017年5月12日より14日まで開催される。5月12日には、第47回姫路城薪能が催される。その中で、狂言として演じられるのが、『察化』。察化とは詐欺者の名。最近、日本では、多くの詐欺事件が起こっているが、まさか、そういうとこで、この演目を選んだのではないだろうが。狂言の方は、例によって、太郎冠者による察化を巻き込んでのドタバタ。

連歌の初心講の当番になった主人。そこで都の伯父を宗匠に頼もうと思う。そして、太郎冠者を迎えとして使いに出す。ところが、そそっかしい太郎冠者は、早速、都にやってきたものの、伯父の名前も、顔も、住まいも知らない。

そういうと、流風も、子供のころ、母に買い物を頼まれたが、行先が分からない。それに買うものも忘れたことがある。その時には、近所の人にも呆れられた記憶がある(笑)。

困った太郎冠者は、あほの知恵で、物売りを真似て、大声で呼び回して歩く。流風の場合は、泣いていて、近所の人に呼び止められて、家に帰って笑われた。太郎冠者の場合は、そこにやってきたのが、しめしめと思ってやってきた見乞いの察化と名乗る詐欺師。察化は、太郎冠者を騙して、伯父になり済ます。

そして、主人の家にやってくる。ところが、主人は、察化の素性を知っていた。なぜ知っていたのだろう。過去に関わりがあったのだろう。一応、驚くのだが、事を荒立てたら、ややこしくなると考え、振る舞って帰そうとする。

そういうわけで、大胆にも、太郎冠者にもてなしに担当。何も知らない太郎冠者を適任者と考えたのだろうか。ところが、太郎冠者は失態の連続。さすがに、あきれた主人は、すべて私の物真似をすればいいと太郎冠者に言いつける。

ところが、太郎冠者は、その言いつけを忠実に守るのだが、ますます混乱する。主人はたまらなくなって、太郎冠者を打ち倒すと、太郎冠者は、それを真似て、察化を打ち倒して終演。多分、太郎冠者は、抜けているが真面目人間。現代でも、真面目人間が、案外、喜劇の材料になりうる。そういう目で、この狂言を楽しむのもいいかも。

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