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2017年6月29日 (木)

仏教の世界観 その三

次の人間界も、苦の世界と見る。その苦を「生老病死」の四苦とする。確かに、生きることも、苦と言えば、そうなのだろう。老いることも、仕方ないとは言え、見方によっては苦かもしけない。病気になったり、死ぬことも、苦と捉えればそうだろう(*注1)。

それらに、怨憎会苦(おんぞうえく)・愛別離苦(あいべつのりく)・求不得苦(ぐふとくく)・五陰盛苦(ごおんじょうく)を加えて、八苦とする。これらの苦は人間界に生きる限り、避けられない。

怨憎会苦とは、怨み憎む者に会う苦しみを指す。愛別離苦とは、親・兄弟・妻子など愛する者と生別・死別する苦しみを指す。求不得苦とは、求めるものの得られない苦しみを意味する。五陰盛苦とは、五陰は「五蘊(ごうん)」のことで、ここから生じる心身の苦しみを指す。

ちなみに、五蘊とは、色・受・想・行・識のこと。色は物質および肉体、受は感受作用、想は表象作用、行は意志・記憶など、識は認識作用・意識を指す。一切の存在は五蘊から成り立ち、それゆえ、無常・無我であるとする。

人間界の次に、天上界が来る。そのまま天上の世界を意味する。ただ、なぜ六道の中に含まれるかと言うと、三界の欲界が天上界の一部に含まれるからだ。ちなみに、三界とは、欲界・色界・無色界を指す。天人の中でも、一番低い階級の者は、須弥山の水際から四千由旬のところに住んでいる。

そこから四千由旬毎に一万二千由旬の高さまで住んでいる天衆が、全て夜叉(*注2)と呼ばれるそうだ。天竜八部衆(*注3)の一つとして、上天に仕えて、仏法を奉じている。天夜叉・地夜叉・虚空夜叉などに分ける。極めて恐ろしい存在だが、下界の善人を守護しているという。

*注1

生老病死を「苦」と捉えると、より苦しくなるのも事実である。だが、それぞれの段階を「楽」と捉えるには、それなりの人間修業が必要になる。

*注2

夜叉は、元々インド神話で、森林に住むとされる神霊だ。人を害する鬼神である反面、財宝神として信仰されていたものを仏教が取り入れた。

*注3

天竜八部衆とは、天・竜・夜叉・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅(あしゅら)・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩睺羅迦(まごらが)のこと。仏教を守護する八種の異類。

次回に続く。

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2017年6月28日 (水)

仏教の世界観 その二

次に記すことは、以前にも一部記しており重複するが、敢えて書き残しておく。この「器界」の中に、人間はも生前の行為によって、その果報を受ける。子供時代、祖父によく言われたことだ。それは六つの場所がある。すなわち、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上だ。これらは六道とか六趣とも言われる。

悪いことをすれば地獄にいかなあかんよ、といたずらをして、よく叱られたものだが、その地獄は、閻浮提の地下、一千由旬から四万由旬の間に、熱火で衆生を呵責する。それは八つの地獄が重なっているという。これを八熱地獄という。子供のころ、買ってもらった絵本にも、そのように表現されていた。

餓鬼とは、悪行の報いとして餓鬼道に落ちた亡者を指す。やせ細って、咽喉が細く飲食することができないなど、常に飢渇に苦しむ。母も、晩年、病気で物が食べられなくなって、「私も餓鬼道に落ちるのか」と嘆いていた(*注1)。

畜生とは、生前に悪行を為した者が、趣(おもむ)く世界で、禽獣の姿に生まれて苦しむ。子供の頃、母から、「悪いことをしたら、次の世界では人間に生まれない」のだと脅されたことを思い出す。地獄・餓鬼・畜生は三悪道と言って、様々な辛酸をなめる場所だ。

次にくる阿修羅は容貌が醜く、常に疑惑と害心を持っている。よって、常に媚びを売り、闘乱に駆り立てられ、闘争を好み、心の安寧を得られない。それゆえ、仏法の守護神とされる一方、六道の一つとして人間以下の位置づけとされる(*注2)。

*注1

今では、うるさくて邪魔になったり、悪さをしたりする子供を卑しむ時に使っている。

*注2

阿修羅は、元々、天界に住んでいたという。だが、帝釈天が阿修羅の娘をさらったので、それに激怒した阿修羅は大胆にも戦いを挑む。帝釈天は、正式に阿修羅の娘を妻に迎えたが、阿修羅の怒りは収まることなく、戦い続ける。そして、ついに天界から追われる。実に、人間臭い話が伝わる。その後、釈迦に帰依して、改心し、仏教を守護するようになった。

そういうと、有名な阿修羅像は、三つの顔があり、皆、表情が異なる。すなわち、怒り、苦悩、そして改心したものを表しているようだ。でも、改心した顔も辛そうに見えるのだが。

次回に続く。

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2017年6月27日 (火)

仏教の世界観 その一

今回は、仏教の世界観について、若干、備忘録的に記しておく。仏画を見たり、落語を聞いたり、物語を読んでいて、何となく知っている言葉は含まれることがある。しかし、深く考えることもなく、見たり、聞き流したり、読み過ごしたりしていた。

最近、遅まきながら、その意味は知っておいた方がいいと感じる。歳が行ったのかな(笑)。ただし、専門家ではないので、参考書を元に記す(きちんと調べていない)。

まず、仏教で世界というと、その成り立ちから考える時、それを「器界」というようだ。その中心は、よく知られた「須弥山(しゅみせん)」という山。その高さは、四万八千由旬(ゆじゅん。ちなみに一由旬は四十里)である。日月星辰は須弥山の周囲を回転している。

頂上は、帝釈天(たいしゃくてん)が住む忉利天(とうりてん)で、中腹には四天王が住む。同心円をなす九山八海の中心にあり、これを囲む海中には四州がある。その海は香水を湛えている。

詳しく記すと、海は深さ、広さ共に四万八千由旬ある。更に、その周囲を四万二千由旬の山が取り巻く。その外周には、また香水の海がある。そして、それを取り囲む山の高さは二万一千由旬あり、これらの連続が七重になっている。

そして、この七重の山の外に、鹹水海(かんすいかい)が取り巻き、深さ八万四千由旬、広さは三十二万二千由旬で、四大海を構成している。この中に、須弥山の四方に四大州という大国がある。そのうち、南方にあるのが人間界で、「閻浮提(えんぶだい)」と呼ばれる。

四大州の周りには、八つの中州があり、その周囲に、無数の小洲がある。これを粟粒をばら撒いた感じで、「粟散辺土」とも言うらしい。これらの深さは、八万四千由旬ある。これを地輪といい、その下には堅固な金輪というものがある(*注)。

金輪は、八十万由旬の高さを持つ水輪の上に浮かび、この水輪は回転している。その水輪は、百六十万由旬の風輪に支えられている。また、これらを取り巻く大海を二重の山が取り巻いていて、「鉄囲山」と言う。地学も発展していなかった当時の人の空想力は凄い。

*注

地輪が金輪に接する際が、金輪際である。無限に深いという意味で、どこまでもとか、とことんまでとか、断じてという解釈で使われている。

次回に続く。

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2017年6月26日 (月)

古今集のバラ

以前にも記したが、バラの花が次々と咲いている。ただ、雨にやられて、少し惨めな姿になっているものもある。バラは、しおれた花は、次々とカットして処理しないと、次の花が咲かない。本日の朝は、何とか晴れているので、早々に切り取った。

さて、古今和歌集にもバラが詠まれている。例えば、紀貫之の「さうび」と題する歌。さうびとはバラのこと。

 われは今朝 初にぞ見つる 花の色を

  あだなるものと いふべかりけり

「あだなる」とは、艶っぽいとかなまめかしいの意。彼は、バラを見て、「あだなる」の意味を納得したのだいう。バラの中に女性を発見しているのかもしれない。そして、女性はバラに憧れる。彼女らが好む理由かもしれない。

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2017年6月25日 (日)

マスコミの役割は権力チェック

いつの時代も、権力は腐敗する。権力者は、そのつもりでなくても、権力の持つ力を頼ってくる輩が、巧妙に近づいてくる。それを客観的に常にチェックするのがマスコミの役割だ。それができなければ、マスコミの役割を放棄したに等しい(*注)。

つまりマスコミは、常に権力と戦う姿勢が求められる。よって権力を怖れるようでは何もできない。安倍政権になって、日本のマスコミは委縮していると海外からも指摘されるほど情けない状況にある。

もちろん、重箱の隅をつつくような報道は、ほどほどにする必要もある。ただ、それも政治姿勢に関わるのであれば遠慮する必要もない。逆に言えば、権力者も、マスコミにチェックされて姿勢を正すこともできる。

権力側は、うるさいと感じるマスコミでも、敬遠しないことだ。彼らの後ろには国民がいることを忘れてはならない。

*注

権力チェックできない典型的な新聞が「産経新聞」。最早どうしようもない。既にマスコミの役割を放棄している。それに次いで、「読売新聞」が政権に取り込まれて後追いしている。大新聞と言われて久しいが情けない。

またNHKの政治部も、官邸に近づきすぎて、物が言えない状態になっているようだ。情けない。そもそも政治家に近づいて情報を取ろうとする態度がマスコミ人として如何なものか。上記の新聞社に限らず、政治部記者は、危うい存在だ。政治家と、いかに距離を保つかが問われる。

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2017年6月24日 (土)

騒ぎすぎる報道の是非~若手棋士と女性元アナウンサーの死

マスコミは、事象を捉えて大袈裟に報道したいのだろうが、やはりやり過ぎがなくならない。

最近の例であれば、若手棋士が28連勝したと各紙が一面で報道した。確かに偉業なのだろうが、世界から見れば、どれほどの意味があるだろうか。社会面で大きく扱えばよかったのだと思う。一面記事にすることもなかろう。

また元フリーの女性アナウンサーが闘病の上亡くなったことを一面で報道したり、テレビでも大々的に報道している。確かに、若くて癌という難病にかかり、闘病生活を続けていたことは確かだ。

けれども、マスコミは女性の気を引きたいのだろうが、一面で扱うテーマではなかろう。死者は皆平等だ。淡々と報道すればいい、彼女のご冥福はお祈りするが、夫の歌舞伎役者が仕事に利用しているようにも見えてくる。

いずれにせよ、これらは、結局、マスコミは、センセーショナルな話題を提供して、部数が上がり、あるいは視聴率が稼げればいいと判断しているのだろう。報道のあり方が大きく問われる。

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2017年6月23日 (金)

夏越の祓いの時期を考える

毎年6月末には、各神社では、「夏越の祓い」という催しがある。これは、私たちが知らず知らず犯してしまった罪や穢れを紙の人形(ひとがた)に託して祓い清める。暑い夏を厄病にかからぬよう元気に過ごせるようにと神様にお願いするものだ。そういう意味で、輪抜けの神事も行われる。

そこで、つぎのような歌もある。

 御祓する この輪のうちに めぐりきて

  我より先に 秋やこゆらん

夏越の祓いをするようになったら、秋の気配がするというのである。だが、今、その季節感は似合わない。要するに本来、旧暦で、この催しをやらないとおかしい。ということは7月下旬から8月にかけてのやるのが望ましい。

そういうことを無視して、なぜか、6月から7月にかけて、各神社ではやっている。一旦、やり始めると修正できないのだろうか。

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2017年6月22日 (木)

招かざる花

今の時期になると、ドクダミの繁殖が目立つ。一旦、繁殖すると、それを駆除するのはなかなか難しい。ドクダミ茶として活用する人もいるが、今のところ、そのようにする予定はないので、雑草扱いだ。結局、他の草花を植えたりして、ドクダミの繁殖範囲を狭めるしかない。

同様に、繁殖力の強い花がある。それがユリ。自然分球して増えるが、花の後の種子からも増える。そして、予期せざるところに根をつけることになる。これはガーデニングする方としては目障りな存在だ。気づいた時には、結構、根を張っており、完全に取り除くことが難しい。

父も嫌った花だが、花自体は美しくても、多少厄介な存在だ。世の中には、そういう女性もいるなあと思いながら、予定外の場所に生えたユリを除去していく。招かざる花ということになる。

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2017年6月21日 (水)

第二回 スペシャル・アニソンLIVE・姫路、申し込み受付中 2017

今年も、2017年7月22日に、イーグレひめじで、スペシャル・アニソンLIVEが姫路で開催される。今回は、遠藤正明、石田燿子、Gero各氏によるライブ。前回同様、事前申し込み制。定員370名で、石ノ森萬画館公式サイトに直接申し込むのは同じ。申し込み期間は、6月19日から7月4日午後5時必着となっている。

またイーグレひめじ地下一階特別展示室では、前回、世代を問わず評判のよかった「第二回姫路・石巻“縁”展示会」も催される。期間は、7月20日から7月30日まで。但し7月24日は休館。

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若葉の勢い 2017

鶯が去り、初夏の趣。昨日、空梅雨の中、若葉が目立つ木の剪定を少しだけしてみた。そんな中、黄色、乳白色、ピンクのバラも咲き始めた。花の少ない今の時期は有り難い。ただミニバラは元気がない。そして、やっと昨夜から雨模様。

地域によっては、川が干上がっているそうだから、恵みの雨だろう。だが、本日になって、量が多すぎて、洪水の被害を受けているところもある。お天道様は、本当に人の思いの通りにはならない。

そうした状況下、窓を少し開けて見ると、木々が雨に打たれながらも、青葉が美しい。昨日、少し剪定した木々も、若葉が目立った。ヤツデ、カエデ、カシ、モチノキ、ハナズオウ、アオキ等は、若葉に勢いがある。多分、姫路城を取り巻く木々もその様であろう。

 絶頂の 城たのもしき 若葉かな 

 窓の灯の 梢にのぼる 若葉哉   

     (蕪村句集)

そういうと、将棋界やスポーツ界でも、10代の人たちが頑張っている。いかにも若葉の勢い。彼らに負けないように、気持ちだけでも、若葉の気でいよう。

*追記

最近、若葉マークの車をあまり見かけなくなった。若い人が車に乗らないのだろうか。

*追記

蘆花の本を読んでいると、次の一文があった。今の時期より若干早い時期だろうが、季節をうまく表現しているのを読むと、自らの表現力のなさに呆れる(泣)。

「静かに観れば、一庭の新樹日を受けて日を透かし、金緑色に栄えて、宛(さ)ながら一天の日光を庭中に集めたる感あり。其の枝々葉々上には水の如き碧の空に映り、地にはおのおの紫の影を落とせるを見よ」

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2017年6月20日 (火)

未だにかかってくる非通知電話

どういう理由か分からないが、月に一、二度、非通知電話がかかってくる。当局からは、非通知電話には出ないようにとのお達しがあるので、受信拒否扱いしているが、誰がかけているのだろう。

受信記録には残るので、それを消しながら、世の中、暇な人がいるものだと思う。いずれにせよ、押し売り電話同様、迷惑な話。おかしな世の中になったものだ。皆さんは、どのように対応しているのだろう。

*追記

当局からは、振り込み詐欺への対応として、次の指導がある。

 一、「非通知」の電話には応答しない

 二、「留守番電話」に設定し、内容が確認できるまで応答しない。

 三、「知らない相手」には、「会話を録音する」と伝えて録音する。

基本的には、受信登録した以外の電話番号には出ないことが求められる。

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映画『太陽が知っている』を観る

少し前だが、アラン・ドロンが引退を表明した。甘いマスクで一世を風靡した彼も、今は結構なお年。止むを得ないだろう。彼の作品では、『太陽がいっぱい』が有名だが、今回は、『太陽が知っている』を鑑賞した。『太陽がいっぱい』のキャストが多く登場している。フランス・イタリア合作。1968年制作。

基本的に、男の嫉妬を扱っているのは、『太陽がいっぱい』と同じ。南フランスの別荘で過ごす一組のカップル。男は才能にもチャンスにも恵まれず、女の世話になっている。そこに彼女のかつての恋人とその娘がやって来る。まあ、後の展開は想像できる。

出演は、アラン・ドロンの他に、モーリス・ロネ、ロミー・シュナイダー、、ジェーン・バーキン。男女の微妙な心理展開を描いたものだ。面白いと言えば面白いのだろうが、フランス的映画。暇つぶしにはいいかも。

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2017年6月19日 (月)

映画『追想』を観る

最近の映画は、ギスギスした内容のものが多い。ある意味、リアリティがあるが、夢がない(*注)。そういう流れは、ずっと続いている。そういうこともあり、昔の映画を観ることが多い。過去に観たものもあるが、多くは初めて鑑賞するものだ。

今回は、『追想』(原題 ANASTASIA。1956年制作。米国映画)を観た。主演は、イングリッド・バーグマン、ユル・ブリナー。ロシア皇帝ニコライ二世一家はは、ロシア革命(十月革命)で、ボルシェビキに殺害される。その中で、皇女アナスタシアがロシア革命を逃れて生き残っているという噂を題材にしたもの。

日本でも義経や豊臣秀頼等に、そういう噂があり、多くの作品が作られている。それに江戸時代での天一坊事件のようなことを絡ませている。

ロシア皇帝が娘たちにイングランド銀行に1000万ポンド遺したと言われていた。彼らが殺害されて10年後、ロシアの将軍ボーニンは、その遺産を皇女アナスタシアの替え玉を使って、横領を企む。

丁度いい具合に、自殺しようとしていた娘を手に入れ、自己の記憶が曖昧な彼女を利用して、仕向けて教育し、なりすまさせる。厳しい教育のところは、『マイフェアレディ』の趣もあるが、不思議と彼女の場合は、元々の資質もあったことから、呑みこみも早い。

そして、戻っていく記憶。偽者が本物らしく見えてくる。最後は大ドンデン返し。これ以上の説明は控える。よくある内容と言えばそうだが、個人的には、まずまず面白い映画だ。

*注

題材の取り方にも問題があるのだろうが、概して作りが雑な感じだ。作り込んだ感じがしない。映像機材の発展に伴い、安易に映画を作り過ぎるきらいもある。お金を掛ければいいということはなかろうが、制作側に覚悟が薄いように思う。

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2017年6月18日 (日)

まもなく「姫路ゆかたまつり」2017

例年の如く、今年も「姫路ゆかたまつり」が始まる。日程は毎年同じで、6月22日から24日まで。以前は、駅前から大手前公園まで露店が並んだが、諸事情から数年前より、大手前通りの西側、十二所前線より北、西二階町通りの南地域に限定されている。

地域活性化の意味でも、大手前通りの西側の活性化は求められており、止むを得ないとは思う。期間中は、長壁神社近くの城南公園で様々な催しがされる。

いつものことながら、浴衣姿であれば、姫路駅発着の神姫バス運賃が半額になったり、書写山ロープウェイの往復乗車料が2割引きになる。また、姫路城、好古園、市立動物園、美術館などの入場も無料になる。浴衣姿はお得。

各日とも、午後4時30分から午後9時30分までとなっている。天気も良さそうだし、浴衣姿を眺めに出掛けるとしますか。

*追記

なお、二階町でも、「ゆかた祭りライブ2017」の催しがある。ステージは、二階町通りと小溝筋が交差する所。6月22日は午後6時から9時まで。6月23日は、午後5時から9時までなっている。また夜店とか男前Barも同時開催。

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鶯の声止む 2017年6月

毎日、早朝に、庭や近所で「ホーホケキョ」と鳴いていた鶯の声が今朝ピタッと止んだ。距離が近いと、毎朝、囀りというより、鳴くが相応しい、まるで目覚まし時計のようだった。それが鳴かなくなったのだから、少し寂しい感じ(笑)。天候の方は晴天だから問題はないはず。一体、どうしんたんだろう。

その代わりに、雀のさえずりが、あちこちから聞こえてくる。更に見知らぬ鳥の一群が飛び去った。鳥の世界も、生存競争が激しいのかもしれない。そう思っていると、黒い物体が飛び去った。ああ、烏だ。鳥たちは、どのように棲み分けしているのだろうか。

*追記

雑草抜きをしていると、久しぶりに、ジャコウアゲハが飛んできた。やや小ぶり。そして、じばらくして、ツバメの回遊が。両者共に、気持ちよさそうだ。

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2017年6月17日 (土)

姫路市の人の動きから考える

姫路市は、姫路城のグランドオープンから2年経ち、人の流れは落ち着いているように思う。それを裏付けるように、市は、「平成29年度 中心市街地通行量調査結果」を発表したが、通行量が前年に比して10%以上減っている。これは、4月29日一日のみの統計なので、特殊要因によるデータの歪みは考えられる。

ただ、グランドオープン時は、ゴールデンウィークに「姫路お城まつり」を夏から移行させたのに、昨年から、敢えて催し日を外しているから、昨年、通行量が減ったことは理解できるのだが、今年も更に減っているのは、違和感がある。

要するに、コールデンウィークに大きな催しも計画せず、他の地域の催しに取られていることが考えられる。それくらい姫路への誘因が弱くなっていると考えられる。あるいは、ゴールデンウィークの混雑を考えて、観光客が、この日程を避けたとも考えられる。

また、今回の調査から判明したことは、駅周辺への人の通行量が多いということである。駅ビルのピオレ姫路中心に、人々が吸い寄せられている。このあたりは、通行量が横ばいか、若干の変動に止まっている。

また、御幸通り商店街と二階町商店街は、通行量は微減に止まっている。その他は減らしている。今後の対策は微妙だが、比較的勢いのある、駅周辺及び御幸通り商店街と二階町商店街を更に強化していくのか、他の地区をテコ入れするのか、ということになる。

ただ、テコ入れと言っても、他の地区と連動のないテコ入れは、意味がない。比較的勢いのある地域と、いかにつながっていくが望まれる。すなわち、強い地域をより強くし、そこが全体を引っ張っていく施策がいいのではと思う。

*追記

神戸のように、狭い地域で海と山があり、その間を街開発する手法は姫路は取れない。それでも、街の中にいくつか主要ポイントを設定し、その間を行き来する工夫は求められる。そうすれば、街中回遊は可能性がある。そのためには、各ポイントが強いメッセージ性のあるものでなければならないだろう。それで成功すれば、姫路各地で同様の展開が可能だ。

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2017年6月16日 (金)

孝行したい時には親はなし、と言うけれど

孝行したい時には親はなし、と言うけれど、今でも、時々、軽い後悔の念がある。それは母が生前、旅行したいという願いを叶えなかったことだ。ただ、母は、基本的に、家に籠り、旅行はあまり好きでなかった。

よって、たまに、父と市内観光していたくらいだ。多くの人が海外旅行する時代を父と共に不思議そうにしていた。若い時に、少し時間があって、一緒に旅行に行こうと誘っても、大体が嫌と断ってきた。

そして、それでも、晩年、父の病状が思わしくなく、いよいよという頃になって、旅がしたいと言い出すようになっていた。その行先は、なぜか京都と台湾。それならと、母の体調からして、台湾は無理としても、京都に行くかと言うと、うんと言う。

そこで、京都のどこに行きたいのかを聞いても言わない。確か、結婚前、憧れの男性が京都で学んでいたとも聞いたことがある。そういうことが一度行きたいという願望につながったのかもしれない。

だから、行先と言っても分からないわけだと推測した。父が亡くなって後、少しその気になったようなので京都旅行の段取りすると、ドタキャンする厄介な人だった。行く当日の朝になって、急に体調が悪いと言うのである。

全ての段取りを取り消しするのに少し大変だったが、母は、一向にお構いなし。「行けない」の一言だった。そして、「お金出したらるから、お前が代わりに行って来」と言うのである。子供の心、親知らずである。

台湾に行きたいと言ったのは、母の過去の言動を再確認しても、全く手掛かりなし。聞いても、答えてくれなかった。ただ、よく「自分は南方系の顔だち」とは言っていたが、別に台湾と関わりがあるわけでもない。単にイメージを膨らませただけかもしれない。

結果的に、母を京都にも台湾にも連れていくことができなかった。若い方は、親が元気な時に、彼らが望む地域に一緒に旅行されることを望む。私のような後悔はしてほしくない。

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2017年6月15日 (木)

夏のバラ 2017

ナンジャモンジャの木には、今、白い花が咲いている。そして、朝には、相変わらず、この木で鶯が鳴いている。その後は、いろんな木の上で鳴いているようだが、朝はお決まりのナンジャモンジャの木の上。よっぽど気に入っているらしい。

そして、夏のバラの花も満開だ。特に深紅のバラは、例年になく勢いがいい。花も大きい。数も多い。不思議に思っていたが、よく考えると、例年と違うことをやっていた。いつもは油粕だけなのだが、最近は、出し殻をやっている。

どうも、その効果のようだ。花屋が、バラは肥料食いと言われていたが、牡丹ほどではないと思っていた。だが、どうもそのようである。植物は、どれも適切な肥料が必要だろうが、バラは、少し多めの方がいいのかもしれない。それとも、今までの油粕では足りなかったのか。

ただ、この時期、深紅のバラは、多少、暑苦しい。他のバラが、咲くのを待つしかない。贅沢を言えばキリがないのも確か。見事な咲きようを有り難く思うとしよう。

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2017年6月14日 (水)

姫路・仏舎利塔に行く

最近、仏像関係の書籍を買ったからというわけではないが、久しぶりに、姫路市名古山霊苑内にある仏舎利塔に行ってきた。名古山霊苑は、姫路城の西約1キロメートルの丘陵地にある公営の墓地公園だ。仏舎利塔は、その中にある。子供時代、家からか、あるいは学校から行った微かな記憶がある。よって行くのは半世紀ぶり。

ここは、昭和29年4月に、インドの故ネール首相から当時の石見元秀市長に、人類永遠の平和と幸福の祈願を込めて、仏舎利(お釈迦様の遺骨)が贈られたことが始まる。そこで、仏舎利塔を造ることになった。

設計は、当時の建築学の権威・故大岡実博士によるもので、昭和35年に竣工し、内陣の荘厳は昭和38年に完成したもの。鉄筋コンクリート造りの白亜の連立式ドームで、高さは、36.7メートルある。

仏舎利塔を中心に、香炉堂、四方(東北、東南、西南、西北)に納骨堂、北に石仏堂、南には噴水池が配置されている。この見事な配置は日本一の仏舎利塔と言われる。石仏堂は、インド渡来の石仏をはじめ、自由奔放な姿の十六羅漢、妖艶な薬叉女神八体がおまつりしてあった。

仏舎利塔の中に入ると、中央に、仏舎利を納めた金色に輝く厨子が見える。その周囲を十二神将立像が守っている。上を見上げると、ドーム内側は、天井までの高さは27メートルで、中央には直径3.5メートルの蓮の花の花弁型の天蓋がかかっている。天蓋には、二羽の鳳凰と雲中観音、その下には、釈迦三尊像と十大弟子の立像が並ぶ。

また、色鮮やかな天井ドーム内の壁画と、柱にかかる各宗派の開祖の色彩画は、日本画壇の菖蒲大悦画伯の作品という。またプラスチックモザイク仏伝壁画は、釈尊の一代記を表したもので、京都の工芸作家、十三世本願寺絵所徳力彦之助・康乃夫妻による仏伝芸術作品らしい。

更に、ドームの下段の周囲には、聖徳太子を中心に仏教を広めた各宗派開祖の座像と日光・月光両菩薩が安置されている。子供時代の記憶は非常に曖昧だが、当時とは少し雰囲気が変わっているような気がした。

全体としてゴージャスになった感じ。月日の変化を思わせる。近くには、陸軍墓地とか外国人兵士の墓もあった。また、当日は行かなかったが、少し足を延ばすと、「東宝塔跡」が展望広場になっており、姫路城十景の一つらしい。

*追記

交通は、姫路駅より神姫バス。17番乗り場か18番乗り場から「名古山北口」下車。そこから歩いて10分(案内書には5分とあったが、坂をゆっくり上がっていく感覚なので余分に見ておいた方がいい)。入塔時間は、8時40分から16時30分まで。

仏舎利塔内の見学料は大人200円。当日、私以外の見学者はいなかった。やはり霊苑なのが抵抗があるのかな。でも緑も多く、散策の穴場には違いない(笑)。観光で余った時間を活用して行ってみるのもいい。

ただ、陸軍墓地の近くのトイレには、トイレットペーパーがなかったので注意。ティッシュの持ち合わせのない場合は、少し先のパーキング内の喫茶を利用するしかないかも。

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2017年6月13日 (火)

ネットニュースで読売ネタは取り上げるな

以前から言及されていたが、今や、明確に政府のお抱え新聞(御用新聞)になった「読売新聞」。とても真っ当なマスコミとは言えなくなっている。新聞は、政治面だけで構成されているわけではないが、この新聞の評価は、ぐっと落ちた。

元々、公表されているような新聞発行部数ではない。まともな人なら、購読はしないだろう。報道同様、世論調査も、作為の多い新聞だからだ。ところが、ネットニュースでは、依然として、読売新聞の記事を取り上げているところもある。彼らの記事は、国民を錯誤させる危険性があり、ネットでの記事採用は止めるべきだろう(*注)。

*注

なお、コンビニでも、読売新聞の扱いは止めるべきだろう。コンビニは、最早、公共財。人々に与える影響・意味は大きい。

*追記

なお、時事通信の情報も、政権寄りとなっており、ネットニュースで取り上げるのは避けるべきだろう。

*追記

読売新聞、時事通信に限らず、権力に近づきすぎると、マスコミは必ず腐敗し、マスコミの役割を果たさなくなる。これは他のマスコミにも言える。凡そマスコミトップや政治部の人間に対しては、政治とは距離を置き、常に第三者監査できる体制が望ましい。それには、まず社内のマスコミ教育の徹底が望まれる。常にマスコミの使命感は何なのか、再確認してほしいものだ。

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仏像の解説書を新たに購入

仏像関係の書籍は、若い時に購入したものがあるにはあるが、分厚くて専門的なので滅多に読むこともなく、実質、書棚に飾っている状態だ。その後も、仏像の知識は深まらず、現在に至っている。仏像は、仏教が生まれた時には、存在しなかった偶像だ。

その後、布教のため作られたようだ。ただ、非常に多様で、多くの人は、その意味を理解していない。むしろ最近、「仏像ガール」と言われるような女性たちの方が詳しい。書店で、たまたま見つけたもので、そういうのが書籍になっていたので、改めて購入してみた。

それが、『やさしい仏像~一生モノの基礎知識』(吉田さらさ監修、夏江まみマンガ)で、イラスト、マンガを使いながら、それでいて、体系的にわかりやすく説明している。さらっと読んで、お寺めぐりするのなら、重宝な参考書だろう。これなら苦労せず読め仏像が身近なものなる。

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2017年6月11日 (日)

国民に対する説明責任と内閣支持率

国有地払い下げに関する森友問題で、財務省は政権に忖度して、証拠隠滅を図り、信用を大きく落としている。これは諸税の引き上げに、国民が大きく反対するようになるだろうし、国の運営としては決して望ましくない方向だ。国民への説明を誤魔化せば、不信感が募る。今後、財務省は国民の協力が得られにくくなるかもしれない。

加えて加計学園問題では、政府の国家戦略特区の進め方に大きな瑕疵があり、加計学園トップと親しい仲の首相に忖度して、内閣府が文部科学省に対して強権的やり方をして官僚の反発を受け、混乱している。ここでも、国民への説明をあやふやにして、政府に対する不信感は増している。

更に、官僚に対する人事権を内閣府が握ったことは危うい。三権分立が実質機能しなくなって、憲法違反になっていることへの不信感が強まっている。いずれ官僚たちの不満が政権に対して、「クーデーター」を起こす可能性も否定できない。彼らが仕事をボイコットすれば、政権は立ち行かないことは確かだ。

しかしながら、これらの問題(利権)より大きな問題が共謀法案だ。高齢者は、概ね、戦前の治安維持法もあり、反対している。当局の恣意的な判断で、犯罪者を生みだすからだ。当局は、一度、疑いの目を向けたら、それを変えることはない。結局、ほとんどが冤罪になる。戦前、この罪を問われ、多くの方が亡くなっている。

若い方も、一部の方を除いて危機感が薄いように思われたが、最近になって、少しおかしいと感じ取っているようだ。そもそも法律案も曖昧で、十分に練られたものではない。専門家からは、曖昧な内容に加えて、多くの矛盾があると指摘されている。更に恣意的に当局に運用される可能性が十分にある。結局、基本的人権、民主主義、自由主義、言論の自由を危うくするのは明らか。

安倍首相と私は同年齢世代で、後20年もすれば鬼籍に入るかもしれない。今の政権で問題はなくても、将来の政権が、間違った運用をすれば、国民は不幸に陥る。そんな無責任なことをやっていいのか(*注)。

そういうことを感じ取ってか、政権支持率は急降下している。大手マスコミの支持率は、相変わらず、でたらめだから、未だ比較的高いが、回答を誘導する偽装高支持率と言えるだろう。

実質、政権支持率は30%を切っているが、共謀法案を強行採決すれば、国民の心は政権与党から離れていくだろう。未熟な法案である上に、国際条約に加盟するためとか、テロ防止とかの表向きの理由以外の共謀法案の真の意図は何なのか。

国民は、説明すれば十分に理解力を有しており、古い政治のやり方は捨て、丁寧な説明責任が政府に求められる。そのことを明らかにしない限り、政権は危険水域に入っていく。与党に、その覚悟はあるのだろうか。

*注

逆説的に捉えれば、仮に政権交代があれば、この法律を使って、自民党、公明党、維新の党は解体される可能性がある。それほど危険な法律だ。特に宗教団体をバックにしている公明党は一番に槍玉に上げられるだろう。宗教団体は共謀法の対象になりやすい。となれば、自業自得と国民はあざ笑うだろう。

*2017年6月19日追記

やっとマスコミの世論調査で、政権支持率が低下しだしたようだ。それでも、毎日新聞(30%台)を除いて40%台。しかしながら、ある調査では、政権支持率は既に10%を切っている。次の選挙は、安倍首相では自民党は戦えないだろう。

*2017年6月20日追記

支持率急落を受けて、安倍首相は、いろいろ言い訳をしていたが、根本的なことは何も説明していない。何も分かっていない。反省した振りをしただけだ。

*2017年6月26日追記

また安倍首相が獣医学部の新設をもっと認めると頓珍漢な発言をしている。自民党に、彼に代わる人材は本当にいないのか。すぐにでも替えるべきだろう。なぜ彼にこだわるのか不思議でならない。あるいは本当に人材がいないのか。もし、そうだとすれば、自民党の将来は危うい。

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2017年6月10日 (土)

『金重陶陽と華麗なる作家たち』展を観覧

姫路の三木美術館で『金重陶陽と華麗なる作家たち』展が開催されている。金重陶陽(1896~1967)が没して50年。彼は備前焼の中興の祖と言われる。備前焼で初めて重要無形文化財保持者になった。細工物の名手から茶陶への転換を経て、洗練された備前焼の美を追求した。10点展示。

今回は、彼の作品と共に、藤原啓、金重素山、三輪休雪、北王路魯山人、隠崎隆一などの縁のある作家たちの作品も21点展示。これらを見ていくと、また備前焼が欲しくなった。ただ実用的なものに限るが。

同時開催として、『日本の眼で描いたヨーロッパ』展も開催。安井曾太郎、林武、進藤蕃、児玉幸雄、西村功、荻須高徳などの日本人的視点によるヨーロッパ。日本人が多数ヨーロッパに渡った時代の画家たちを通して、かの地を、どのように受け止めたのかを表している。11点の作品。4階には、常設絵画10点も展示。

いずれも2017年8月20日まで。また、この催しのパンフレットを持参すると入館料の割引を受けられる。また、年末まで3回スタンプを押してもらうと、景品がもらえるキャンペーンをしていた。

また、いつものように5階の応接室から座って姫路城を眺めた。いつもながらいい。少し休憩するつもりで行かれるといい。

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2017年6月 9日 (金)

『万葉集』の七夕の歌

まだ時期的に取り上げるのは早い感じもするが、今回は、『万葉集』の七夕の歌を取り上げてみる。『万葉集』には、七夕の歌が130首以上もあるようで、柿本人麻呂の歌が、巻第十に、たくさん収録されている。

但し、今回、取り上げるのは、巻第八にある山上憶良の作品。一五一八番から一五二九番まで十二首収録されているが、当時の別居婚を反映した歌の内容になっている。日頃、会えないため、恋い焦がれる様子を描いている。いくつか取り上げよう。

 天の川 相向き立ちて 我が恋ひし

  君来ますなり 紐解き設(ま)けな

    (一五一八番)

早く共寝がしたい心情をうまく詠んでいる。いつの時代も同じだ。

 風雲は 二つの岸に 通へども

  我が遠妻の 言ぞ通わぬ

    (一五二一蕃)

風や雲は、天の川の両岸を自由に行き来するのに、妻からの便りは一向に何もない。どうしたんだ、という心情かな。

 

 玉かぎる ほのかに見えて 別れなば

 もとなや恋ひむ 逢ふ時までは

    (一五二六番)

再会しても、ほんの少しの時間だけ会って別れてしまえば、かえって、その次にお会いするまで思いは募るという感じかな。

まあ、会えないと、かえって、相手をよく感じるものです(笑)。適切な距離感がいいのかも。現代の恋人たちはいかが。

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2017年6月 8日 (木)

公照さんの自戒自守

姫路市生まれで、東大寺第二百八世管長だった清水公照さんが、自戒自守として、六つの言葉を遺している。

 一、なまけるな

 二、おこるな

 三、いばるな

 四、あせるな

 五、くさるな

 六、おごるな

*追記

なお、先日、中谷元前防衛大臣が、国民を馬鹿にしている安倍首相への忠告として、五つの言葉を紹介していたが、似ているので、取り上げておく。五つの言葉の頭は、「あいうえお」となっている。

 一、あせらず

 二、いばらず

 三、うかれず

 四、えこひいきせず

 五、おごらず

こちらの方が覚えやすいかも。ただ、このアドバイスは最早手遅れの感。安倍政権支持率は20%台に急降下している。野党の質問は、国民の疑問なのに、不誠実な回答をしているためだ。今までの政権で一番ひどい。国民を愚弄していると多くの人が感じている。

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2017年6月 7日 (水)

久しぶりに姫路市書写の里 美術工芸館に行く

姫路観光に来られると、姫路城についで、書写山円教寺に行かれる方も多いと思うけれど、意外と見逃されているのが姫路市書写の里 美術工芸館だ。バスで「書写ロープウェイ」下車して3分ほどのところにあるのだが、竹林の中にあって少し分かりにくいかもしれない。

そこに、久しぶりに行ってきた。姫路駅から、バスで25分くらい。「書写ロープウェイ」は、終点だから、あまり気にすることもない。入館して、以前にも取り上げた姫路市出身の清水公照氏の創作の泥仏、書、画を見て回る。清水公照は、元東大寺管長。いろいろ含蓄のある言葉が並んでいる。理解できないところもあったので、彼の語録をまとめた書籍を帰りに買い求めた。

引き続き、特別展示「播磨に息づく匠の技」展(2017年7月17日まで)を観覧。播磨の工芸作家の作品を展示。山名秀圭、橋立木楽、野村俊彰、椎名光弘、宮下賢次郎、江藤圀雄、三浦信一各氏らの作品で見応えがある。

また当時開催している「河合寸翁と工芸」展(2017年7月17日まで)も観覧。生誕250年の河合寸翁を記念して企画。河合寸翁と工芸品の関わりを作品や資料で紹介していた。彼の着用した衣服、印、茶筅等の他に、彼が産業振興した東山焼、姫路革、かち染、高砂染等が紹介されていた。その他に彼が71歳になった時の鈴木其一による有名な像画や彼の妻の泰子からの手紙も展示。

その他にも、常設展で「郷土人形と玩具」展もあり、館内を見歩いていて、全く飽きない空間だ。入館料も大人300円なので、気楽に行ける。ロープウェイに乗る前に、行かれるのが宜しいかと。観光の穴場には違いない。

*追記

近所の宿泊・飲食施設が廃墟になっていて、それが景観として問題がある。なんとかしてほしいものである。

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2017年6月 6日 (火)

民進党の再評価と再建

民主党時代、政権交代して、初めての政権運営ゆえ、その拙さが目立ったものだが、全ての政策が悪かったというわけではない。ただ、拙速な沖縄問題処理を企みることによって米国との関係悪化、更に福島原発事故のバタバタとした処理、あるいは当時の石原都知事に煽られ、拙速な尖閣国有化の処理ミスによる中国との関係悪化等が、かの党のイメージ悪化を植え付けた面がある。全ての原因が必ずしも民主党にあったわけでないのに。

だが、例え、初めての政権運営であっても、国民の評価は甘くなかったとも言える(*注)。急激な政策転換に国民が付いていけなかった面もある。この辺は、民主党の政権運営の未熟さとも言える。ただ、国民が、もう少し、余裕を以て、長い目で見ることができれば、この政党を育成することができたかもしれない。

ところが、真面目な党ゆえ、攻めることはうまいが、守ることが下手とも揶揄されたように、当時の野党の自民党に攻め立てられて、党内の統制が乱れ、簡単に政権を手放してしまった。ある意味、ずるさが足りない。

そこを民進党になってからも、他党から巧妙に突かれているのが現状だ。よって、どなたかがよく言う「イメージ操作」で、現在の民進党も、低評価のイメージになっている。だが、現在の政権と比べれば、あの拙い民主党政権の方がましだったと思う人々も多くいる。

更に、野党といいながら、与党にすり寄り、党名の「維新」とは程遠い日本維新の党には、裏切られたと思っている人も多い。ところが、それが民進党への投票行動に結びついていない現状がある。有権者への働きかけが足りないし、チャンスタイミングで積極的に動けない。

民進党低迷の原因は、有権者と接する機会が薄いことだろう。そういう民心を把握する努力が足りない。更に、現在野党なのに、議員の中には、未だ与党感覚で物を言う人たちがいて、あまり感じがよくない。よって身近に感じ取れない。

民進党は、もっと草の根の活動を強化し、支持母体を労組主体から脱し、真の国民政党を目指すべきだろう。その結果、それは時間のかかることで、当面、単独で政権を担うことはないだろうが、他党との連携に頼らず、自力を付けてほしいものである。

オール与党化は、国民にとっても決して望ましくない。国民にとっては健全な野党は、ある程度の(場合によっては、単独では難しいかもしれないが、政権交代できる程度の)勢力を持つ必要がある。そのことは国民も理解している。そのため、国民に一定の支持層を固めるには、人材の発掘や日頃の支持基盤の確立など、地道な努力が求められる。急がば回れ、ということである。

*注

民主党が選挙で大敗した真の原因は、野田政権が、消費税増税と原発再稼働を決定したことだ。つまり保守系の野田氏が、国民の民心を察せず財務省や経産省の官僚の言いなりになったことだ。確かに難しい判断だったが、軽率過ぎた。

この点で、民進党の蓮舫氏が、野田氏を幹事長に据えたことは、大きな誤りと言える。野田氏が当時の政策の誤りを反省し、幹事長職を辞し、政界を引退することだ。それが今後の民進党の行方を決める。それができないなら、低迷を脱することは難しい。

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2017年6月 5日 (月)

騒ぎすぎる報道の是非~米国パリ協定離脱

米国がパリ協定を離脱することでマスコミは大騒ぎしている。ただ、人類起源の温室効果ガスと地球温暖化の相関関係は、未だ科学的に証明されていない。パリ協定の出資金を利用しているのは死の商人や欧州の金融関係者という見方もある。

そして、多くの学者も、おかしな観念的議論と感じている。ところが、国際官僚は、官僚の常として、走り出した仕組みを止めることには抵抗を示している。今やパリ協定に大した意味はないのに、マスコミは、馬鹿馬鹿しい情報に乗せられ過剰に反応している。

排出権取引でも、そうであったように、この仕組みは、あくどい、お金集めの手段に成り下がっている。つまりビジネスなのだ。金融ビジネスと言って差し支えない。要するに、地球環境をネタに、金集めしている。つまり、それらしい言い訳を作って、各国に金を拠出させてファンドを作り、国際官僚や国際金融業者がたかるのだ。

そもそもパリ協定があるからと言って、仮に地球温暖化が是認されたとしても、何も解決しないことは明らか。根本的な問題は、食糧・エネルギーを含めて、地球キャパシテイを超えた人口問題であることは明らかだ。そこにメスを入れない限り、何も前進はない。

米国だけでなく、本来、日本も、パリ協定から離脱した方が宜しい。無駄金を使うより、もっと有効な手立てはあるはずだ。例えば、従来のように発展途上国の教育や公害対策に協力するのが現実的だろう。

*追記

なお、麻生副総理は、米国のパリ協定離脱を受け、「その程度の国」と言ったようだ。これで、トランプ氏が大統領でいる間、彼の再登板の目はなくなった。軽すぎる発言が、彼の政治力の限界だ。

*2017年6月10日追記

上記追記に関連して、『プレジデント』(オンライン)で、麻生発言のヨイショ記事があった。この雑誌の限界であろう。最近は、読むこともないが。

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2017年6月 4日 (日)

映画『アラビアのロレンス』を観る

2017年5月21日に、米国トランプ大統領は、中東のリアドで、イスラム諸国家50か国の指導者に対して、IS掃討に関して、「これは善と悪の戦いだ。よりよい未来はあなた方がテロリストや過激派を掃討して初めて訪れる。奴らをやっつけてください」と発言したらしい。

中東の複雑な歴史を作ったのは、戦前のイギリスやフランスだ。特に、英国の三枚舌外交は、現在の中東の混乱の原因を作った。戦後は、米ソが石油資源を巡って争って介入した結果だ。そこには、イスラムの宗派の対立や部族間の対立が付けこまれた要因とも言える。

さて、映画『アラビアのロレンス』は、音楽こそロマンチックだが、その内容は、史実に基づいた戦争映画である。すなわち、当時、対立していたイギリスとドイツとの争いが中東で起こったということだろう。

オスマン帝国は、ドイツ側であったので、そこにアラブとの対立を利用し、送り込まれたのが、英国の陸軍将校のトーマス・エドワード・ロレンスだ。彼は考古学者でもあった。すなわち、インテリ軍人。

彼はファイサル一世に取り込み、アラブを英国的に理解しようとする。そのため、彼らのため(実際は英国のため)に様々な工作をオスマン帝国に対してする。それは成功するが、アラブ人は、精神的に疲労し、またまた部族間で収拾がつかなくなる。

ロレンスは、英国人でありながら、両方の立場を超えて理解しようとしたが、自身の中途半端な立場に、困惑する。それに英国の矛盾外交に踊らされたファイサルは大アラブ王国を目指していた。

そこで、アラブ反乱を指揮した白人のロレンスの存在は目障りになった。他方、英国陸軍にとっては、大アラブ王国を支持するロレンスは邪魔な存在になっていた。彼の悲劇は、以前取り上げた日本陸軍支那通と似通っている。

相手国に入り込むには、彼らを理解しなければならないが、所詮、自国の国益とのバランスで苦しむことになる。結局、誰にも信用されず、自国人でありながら、相手国人にもなれず、不安定な身分。

ロレンスは、帰国後、不幸な亡くなり方をしているが、それが彼の生涯を象徴しているように描かれている。1962年のイギリスの歴史映画で、一応、客観的に捉えている。ただし、実際は、ロレンスは、アラブのためにではなく、終始イギリスのために働いている。ある意味、この映画は美化されている。

それでも、約226分の長編映画だが、よくできたものだろう。監督は、デヴィッド・リーン。主演はピーター・オトゥール。音楽は、モーリス・ジャール。第7回アカデミー賞受賞作品でもある。若い方々も、この映画を見て、中東の複雑な事情を学習するのも悪くない。

*追記

日本の政治家が、こういう知識もなく、中東問題に対して、中途半端なコメントをするのは止めて欲しいものである。妙に中東関係者を刺激するだけで、日本には何のメリットもない。

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2017年6月 3日 (土)

『怖い浮世絵』を読む

先日、浮世絵『江戸の悪』を取り上げた。引き続き、今回は、『怖い浮世絵』を読んだ。同じく、太田記念美術館監修で、著者は同館の首席学芸員の日野原健司氏と主幹学芸員の渡邊晃氏によるもの。

この本は、盛夏に読んだ方がいいかもしれない。いずれも、ぞっとするような浮世絵ばかり。怖い浮世絵として、一、幽霊、二、化け物、三、血みどろ絵、に分類してある。物語は、史実、創作(当時を違う時代に仮託したもの)など。

作者のおどろおどろしい感性が沸き立っている。人間には、それぞれ、そういうものを持ち合わせているかもしれないと思わせる。ということは、現代の諸事件も、浮世絵の題材になりうるということ。

でも、平成の怖い浮世絵という声は聞かない。表現することを怖れているのだろうか。ネタがあり過ぎて、追いつけないのか。人々の関心が次々と移っていくためか。しかしながら、作品として、遺していいのでは。

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花菖蒲と蜻蛉

鶯の鳴き声は相変わらずだが、ふと見ると、花菖蒲(はなしょうぶ)の紫の花が一株だけ咲いていた。先日の暴風雨に負けず、見事な咲き方。今後、順次咲いて行くのだろう。しばらく見ていると、蜻蛉(とんぼ)が一匹だけ、すーっと飛んできた。はやっ!まだ6月に入ったばかりだぞ。

*追記

なお、姫路城西部中堀にある花菖蒲園でも開花が確認された。こちらは、結構、咲いているらしい。

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2017年6月 2日 (金)

チャップリンの映画『独裁者』を鑑賞

世の中には、他人の空似というものがある。私も、現役時代、後輩に、地元に、そっくりな人がいると言われたことがある。最近では、近所のお婆さんに、あなたに似た人に会ったと言われた。でも、あまり、いい気はしない。自分という存在は、自分一人であってほしい。たとえ、似ている人が偉い人であっても。

さて、それはそれとして、先日、チャップリンの映画『独裁者』を観た。原題は、THE GRRAT DICTATOR。1940年制作だ。監督・脚本・主演は、チャールズ・チャップリン。あのヒットラーをからかった作品だ。独裁者の怖さと愚かしさを鋭く描いている。

トメニア国の独裁者は基本的に御都合主義。気分屋でもある。そして忙しい。何もかも決済しなければならないからだ。そして、この映画では、独裁者そっくりの散髪屋が登場するのだ。そして、詳しいことは記さないが、ちょっとしたことで入れ替わる。

本当の独裁者は、かつて次のように語っていた。「基本的人権は認められず。その体制は固められた。民主主義は無用だ。自由は不快だ。言論の自由は必要なし。軍は最強で、現状維持に犠牲は必要だ。ベルトを締めよ。世界平和は願って止まない」と。

ところが入れ替わった散髪屋の親父が独裁者に代わって演説することに。その内容は、是非、映画を観て頂きたい。かなり長演説だが、この映画のテーマであろう。一部を紹介すると、「民衆は権力を取り戻し、自由は再び人々の手に!兵士は良心を失うな!独裁者に惑わされるな!(中略)彼らの言葉を信じるな!彼らには良心も人間性もない!」等々。

こういう映画を見せられると、思うのは日本人は、戦後、基本的人権も、民主主義も、自由も、言論の自由も、占領者に与えられたものだ。自ら勝ち取ったものではないということだ。それゆえ、戦争被害には遭ったが、それらを得る苦労をしていないので、失う危機感が足りない。

どれだけ、基本的人権も、民主主義も、自由も、言論の自由も私たちにとって有り難いものか再確認できる映画だろう。これらは、一度失えば、取り戻すのが、なかなか困難である。この古い映画は、現代日本に警告しているようにも思える(*注)。若い方も、是非、ご覧になってほしい。

*注

現在の安倍政権は、官房長官主導の独裁政権だろう。日本も危うい時期に来ている。

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2017年6月 1日 (木)

浮世絵の中で『江戸の悪』としてまとめた書籍

たくさんある浮世絵を漫然と見ても、それほど楽しくないかもしれない。そこで、一つのテーマを意識した書籍としている『江戸の悪』というものを最近読んだ。太田記念美術館監修で、著者は同館の主幹学芸員の渡邊晃氏によるもの。

もともと、この種の展覧会はしていたものの、図録はなかったので、書籍にしたという。悪人を、一、盗賊・侠客・浪人、二、悪の権力者たち、三、悪女と女伊達、四、恋と悪、五、善と悪のはざま、六、悪の妖術使い、という区分で整理されている。

浮世絵とそれぞれの悪の説明もあり、分かりやすい。切り口を変えると、浮世絵の見方も変わってくる。浮世絵は、様々の展覧会に行ったが、眺めて終わりのことも多く、再度、そういうことだったのかと改めて知った次第。人間、いくつになっても学べるものです。

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