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2017年6月29日 (木)

仏教の世界観 その四

更に、上に行くこと四千由旬のところには、山から離れて、空中に日天・月天・星宿天の住居がある。日天・月天は、須弥山の周囲を旋回し、その一回が一昼夜となる。まだ上に行くこと四千由旬。そうすると、そこに四天王の住居がある。そして、終に頂上が忉利天(とうりてん)という帝釈天の住居である。

その上は、空居の天で、須弥山の頂上から虚空に四万由旬の高さの耶麻天から次々に兜率天(そとつてん)・化楽天(けらくてん)を経て、六十万由旬の高さの他化自在天(たけじざいてん)に至る。

そして、欲界天の上には色界天がある。ここにいる天人は、欲心は極めて低いという。ただ、欲望から離れているものの、物質的形体を離れることはできない。よって生死有限の憂いから完全に逃れることはできない。四禅天に分かれ、更に十七天に分かれる。

色界天の更に上には、無色界天がある。ここの天人は、心だけあって肉体を持たない。それゆえ、全く欲望がなく、極めて寿命が長い。受・想・行・識の四蘊だけで構成されている世界だ。空無辺処天・識無辺処天・無所有処天・非想非非想天の四天に分かれる。

非想非非想天が最も高く、一世界の最高の場所とされる。色究竟天とも言う。形ある世界の最も上位に位置する。ここを一名、有頂天という(*注)。

こうして見てくると、仏教の世界観は壮大だ。宇宙観とも言えそうだ。そんな中、人間は、悩み、悲しみ、喜び生活している。人間は、ちっぽけな存在と言えばちっぽけ。だが、仏教の世界観、宇宙観は、人間そのものと捉えれば、見え方が違ってくるかもしれない。現代の科学的見方とは別にして、十分に参考にできるかもしれない。

*注

一般に有頂天になると言えば、物事に熱中して我を忘れることだ。それほど、極めた状態。得意の絶頂とも言う。逆に言えば、一番危ない時でもある。

以上

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