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2017年7月 8日 (土)

三木清の『人生論ノート』を読む

社会人になってから、専門書ばかり読んでいる私を懸念して、父から、歴史書や哲学書を読むように注意されたことを以前にも記した。なぜ学生時代に言ってくれなかったのかと多少恨んだが、仕方ない。仕事の合間を縫って、それらを読んだものだ。

もちろん、それは無駄ではなかったと思うが、最近思うことがある。父は、本を読んでも、基本的に読み終わったら処分することが多かったので、蔵書は極めて少なかった。ただ、その中に、三木清の『人生論ノート』があったことは記憶している。しかし、なぜ、この本を薦めてくれなかったのか。あるいは、私が聞き逃したのか。

その『人生論ノート』だが、蔵書の入れ替えはあったはずだが、父が亡くなる寸前まで、この本は、珍しく蔵書としてあった。最近、遅まきながら、それを思い出して、この本を手に入れた。三木清は、兵庫県たつの市生まれの哲学者だ。ドイツ、フランスに留学して、帰国後、マルクス主義哲学、西田哲学を研究した。

1930年に、治安維持法で検挙され、1945年に反戦議員を匿った罪で逮捕され投獄。終戦を迎えるも、釈放されず、獄中で死亡した。なお、念のために記すと、彼はマルクス主義者ではない。研究しただけだ。当時、当局は、変な理屈をつけて、多くの人を不当逮捕している。残念ながら、共謀法にも、そういうリスクを含んでいる。

さて、その『人生論ノート』だが、極めて簡略に、物の見方をまとめている。父が生前、各種判断の拠り所にしたのではないかと思う箇所が何か所もあった。父に何事も相談すると、いろいろアドバイスしてくれたが、恐ろしく、ほとんど間違いはなかった。まさしく正鵠を得るというものであった。

いろんな歴史書、哲学書を読むのもいいが、遠回りしないためにも、まず三木清の『人生論ノート』を若い人は読むのを勧めたい。理解できない部分は、読み飛ばしてもいいだろう。後日、理解できる時が来る。

文庫本で、170ページほどで、「死について」から始まり「個性について」まで、23項目について短く論じているので読みやすい。いろんなことを考えたり、判断する材料にはなる。一旦通読して、その後は、それぞれの関心事を、その都度、読み直すのもいいだろう。

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