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2017年7月25日 (火)

落語『後生鰻』について

引き続き、土用の丑絡みの落語を取り上げる。それが『後生鰻』というもの。これも覚えとして記す。

浅草の天王橋(後に須賀橋という)の傍らで、一軒の鰻屋があった。しかし、なぜか、商売は、暇で暇で仕方ない状況。客は来ないが、一応、一尾の鰻を捌こうとしていたら、そこに観音詣での隠居が通りかかる。

捌こうとしていたのを見た隠居は、「生あるものを殺すのは、まことに不憫。わしが、その鰻を買い求めよう」と言う。代金を支払うと言うので、買い取ってもらった。その隠居はも川の上から、「来世は、鰻なんかに生まれてくるなよ」言い含めて逃す。

ところが、鰻屋は、また、川で鰻を捕まえて、また捌こうとすると、また隠居がやって来て引き取っていく。これに味を占めた鰻屋は、隠居の通る時刻を見計らって、まな板の上に鰻を置いて待つことにした。その上で、高く売りつける。

ところが、ある時、鰻も売り切れで、まな板の上に乗せるものがない。そこで、赤子を裸にして乗せていると、そこに隠居が通りかかり、「これはまた、何ということを」と魂げて、早速、買い取ると、鰻同様、川の上から、投げ入れたとさ。

おいおい、これでは、不憫という思いとは、ほど遠い。鰻も赤子も、同じ扱いとは、この隠居は、呆けていたのか。現実に、このようなことをやれば犯罪だが、この落語は、何を伝えようとしたのだろうか。

正しいことをやっているつもりでも、惰性になれば、人を誤らせるという教えなのか。救ったつもりが結果的に救ったことにはならないブラック・ユーモアか。それはともかく、流風は、鰻を不憫と思わず、美味しく頂きます。但し、命を頂くのだから、残さずに。

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