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2017年7月21日 (金)

平均点教育の限界

学生時代、クラスに勉強もできるし、スポーツも万能という者がいた。いつも羨ましいなと遠くから眺めていた。彼は、特別努力せずとも、何でも、すっと理解できるようであった。後に、東大に進学したと聞く。できる人というのは、そんなものだろう。塾に行って、詰め込み教育して進学するのとは全く異なる。

彼は、高いレベルで平均点が高かったわけだが、問題は、平均点が60点くらいの者だ。今は知らないけれど、当時は、平均点教育がまかり通っていた。要するに平均して「可」レベル。そういう人間が私も含めて多かったと思う。義務教育というものは、そのようなものと学校側も判断していた。

つまり高い平均点を出す人間を探し出すことに、多くの学生が参加していたという風にも受け取れる。逆に、一科目は優れているが、他はからっきし駄目という人間は低く評価された。このような教育は、戦後、焼け野原になった日本での人材不足を補うためになされた教育政策だ。

ところが、戦後70年以上も経つのに、同じような思考をする人たちがいる。それは時代錯誤というものだろう。現在の環境に相応しい教育が求められる。情報化の時代には、知識はネットに溢れている。記憶力より、どう捌いて、いかにオリジナルを創造するかが問われる。

実際、スポーツや将棋の世界等では、情報力を活かして、若い人たちが、特別の能力を発揮して、大人顔負けの実績を残している。もちろん、彼らの中には、他の分野でも、学習すれば、高い平均点を出す人たちもいるかもしれない。

今でも、専門バカは駄目だという人もいるが、専門を極めた人が、人間的に駄目ではないだろう。道を究めるには、それなりの障害に打ち勝たなければならない。そこで、人間的なものは養われる(もちろん、適切にアドバイスしてくれる先人は必要だが)。そのように考えれば、専門化教育は、今こそ、求められる。これを従来の発想で否定してはならない。

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