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2017年8月31日 (木)

人気商売は厳しい!

芸能界のように人気商売は、つくづく厳しいと思う。仮に成功して有名俳優やタレントになっても、ギャラが上がり続ければ、使いにくい俳優やタレントになってしまう。その結果、いつの間にか消えていく。そして、あの人は今になってしまう。

例の『ギリシャ・ローマ名言集』にも次の言葉がある。

「新しい称賛が生まれなければ、古い称賛も消えてしまう」

(プブリリウス・シュルス)

落語や歌舞伎では、同じ演目でも、いろんな工夫をして、常に、ある意味「革新」している。そうしないと観客に飽きられてしまう。すなわち、過去の称賛に溺れず、新しい称賛を受けるような演技が求められる。

そうかと言って、役者や芸人が、全く異なる新分野を目指しても、それぞれのプロがいるわけで競争も激しい。そんな中で、いかに勝ち残るか。なかなか大変な仕事だ。

これは一般企業でも同様だ。商売も人気商売と言えなくもない。老舗だからといって、今までのビジネスの継続だけでは、企業を存続させることは難しい。やはり時代を感じて、求められるものを提供しなければならない。

ただ、闇雲に新分野に取り組んでも、成果は期待できない。まず自社の持っている経営資源や能力を十分に分析して、それを活用して、新分野を切り開いていくことが求められる。これらは以前から指摘されていることだ。人気商売は厳しい。

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2017年8月30日 (水)

2018年日亜修好120周年とタンゴの苦い思い出

2018年は、日亜修好120年だ。1898年に、日本はアルゼンチンと「日亜友好通商航海条約」を結んで国交樹立した。来年が、それから120年。

アルゼンチンと言うとアルゼンチン・タンゴが有名だ。男女のカップルが、まるで恋の駆け引きをするように踊る。その音楽と雰囲気がうまくマッチングしている。また音楽だけでも十分楽しめる。無趣味の私と違って多趣味の父は、アルゼンチン・タンゴの音楽が好きでレコードも持っていた。ダンスも習ったそうだ。

その父と苦い思い出がある。確か高校受験の直前、勉強中に、父がアルゼンチン・タンゴのレコードを回して機嫌よく聴いていた。でも、気が散って仕方ない。そこで、聴くのを止めてくれと談判。それで喧嘩になった。

かなり険悪な状態になり、しばらく、口も利かなかった。試験の方は見事失敗。原因を父になすりつけて言い訳。父にすれば、試験の直前に、勉強しても大した効果は上がらないというのが持論。日頃の勉強が足りないからだと指摘されて、ますます炎上。

それからしばらくして、母から告げられた。「お父さん、大事にしていたレコードと蓄音機処分したよ。お前が奪い取ったようなもの。謝ってきなさい」と。これには、父に悪いことをしたと思ったが、後の祭り。結局、タイミングを逃し、生涯、謝ることはできなかった。

そのアルゼンチン・タンゴを、この歳になって、CDで懐かしく聴いている。ネットでダンスも観てみた。国民性が出ていて面白い。修好100年の時も、いろんな催しがされたようだが、今回は、宝塚歌劇団出身の女優中心に公演が2017年の10月に「(日本語訳)タンゴのすべて」と称して行われるようだ。関心ある方はネットで確認してほしい。

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2017年8月29日 (火)

『万葉集』の秋風

まだ暑いけれど、雑草抜きをしていると、さわやかな風が吹くようになった。それがすっと汗をぬぐい取ってくれる。そして、秋となると、人恋しい季節。流風でも、感じないことはない。

さて、今回は、『万葉集』の中から、女性の歌を取り上げてみたい。

君待つと 我が戀ひ居れば わが屋戸の

すだれ動かし 秋の風吹く

巻四 四八八番 額田王(ぬかたのおおきみ)

この歌の前書きに、「額田王、近江天皇を思ひて作る歌一首」とある。すなわち、天智天皇を思って詠んだ歌ということになる。

「あの方をお待ちして、恋い焦がれていると、(その心を察するように)私の家の戸口のところの簾を動かす秋風が吹く」という感じかな。

風をだに 戀ふるはともし 風をだに

来むとし待たば 何か嘆かむ

巻四 四八九番 鏡王女(かがみのむおおきみ)

これは、先の額田王の歌に対するもの。鏡王女は、額田王の姉とも、親とも言われる。渡来人であることは間違いなさそうだ(*注1)。

「その秋風の音にさえ、恋しがっているあなたは羨ましい。私は、風だけでも、やって来ると思って待つなら、何も嘆くことは有りません」という感じ。待つものがない寂しさが伝わる。

額田王も鏡王女も、天智天皇に愛されたが、この時は、額田王に愛が移っていた。鏡王女は中臣鎌足の正室になった(鎌足が天智天皇から下賜。もう少しマイルドに言えば譲られた。注2)。鎌足は、鏡王女が好きだったので大事にしたと伝えられる。鏡王女も、それに応えた。この歌は、鎌足が亡くなった後の歌と言われる。

*注1

額田王はバイリンガルだったと言われるが、鏡王女は、そのようだったとは言われない。姉妹だったとしたら、少し変。やはり鏡王女は渡来一世で、額田王は鏡王女の子供で、二世であるように思う。天智が人妻の鏡王女を略奪していたら、成り立つ話。まあ、この辺は、いろいろ想像されるが、事実は不明だ。

*注2

この時、鏡王女は、既に天智の子を宿していたと言われる。なお、鎌足は、存命中に、「藤原姓」を名乗れていない。天智の血をひく子供のみだ。よって、鎌足の他の子供は中臣姓。

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2017年8月28日 (月)

タレントのギャラは、お布施のようなもの

ある有名なお笑いタレントが、ギャラで文句を言っているらしい(彼はネタで冗談だと言うかもしれないが)。ベテランお笑いタレントとしては、文句を言いたいのも分かるような気もするが大人げない。

新人のタレントが安ギャラに嘆くのと意味が違う。彼は、既に富豪の域だろう。それが不満を他局で言うのはおかしい。このタレントの終わりが見えてきたように思う。

一般企業でも、成果主義と言ってみても、実際は企業全体が儲からなければ、いくら成果が高くても、その受け取る金額は小さくなる。せいぜい同僚との若干の金額差で嬉しくなるだけだ。

企業全体が儲かっていれば、成果配分の場合は、受け取り金額の差は大きくなる。要するに、企業全体が儲からなくては仕方ない。番組でもそうだが、番組予算が大きいところはタレントへの配分が大きくなるが、そうでないところは、タレントに、そんなに回せない。

よって、基本的に、タレントのギャラは、お布施のようなものと考えたらいい(*注)。人気番組に出れば、ギャラは高くなるだろうし、今は大した番組でなくても、将来、当たれば、番組予算も増え、ギャラも期待できる。

もちろん、タレント事務所の取り分とかイロイロあるだろうが、基本は、そのような考えでいいはず。不満を言う前に仕事をしろと、このタレントには言いたい。このような不遜な姿勢であるなら、テレビ局は使う必要はないだろう。基本的に、彼の話法は、全く面白くないのだから、それを何とかしないと、いずれ消えていくだろう。

*注

お寺は檀家からのお布施を期待する。但し、金持ちからは多くを期待できるが、そうでない檀家からは期待できない。それで不満を言うお寺もあるにはある。でも、本来のお寺の役割を務めなかったら、その存在価値も薄れる。そうなれば、結局、檀家も減り、寺自体の運営が難しくなるのだ。

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2017年8月27日 (日)

映画『シャレード』を観る

何回観ても飽きない映画が、いくつかある。私の中では、1963年制作の『シャレード』が、その一つだ。まず、話の筋と展開が面白い。そして、豪華キャスト。オードリー・ヘップバーン、ケイリー・グラント、ウォルター・マッソー、ジェームズ・コバーン、ジョージ・ケネディ等。

話の筋は、戦前、軍に国の金塊を運ぶのを横領した5人。その内の一人が、ランバートなる男。その妻がレジーナ(オードリー・ヘップバーン)。ランバートは、列車から突き落とされ殺される。彼は、埋めていた金塊を独り占めし、逃げようとして殺されたのだ。

そこで、残りの4人が、換金されたお金を巡って、レジーナに、その在り処を追求する。彼女には、全く覚えはなかった。また謎の男ピーター・ジョシュアが、接触してきていた。彼は敵なのか、味方なのか。疑心暗鬼になるレジーナ。

話の展開は、これくらいで置いておこう。ただ、多くの人間は、身近にあるのに価値のあるものを知らないことを、この映画は指摘している。なお、映画の原題は、「CHARADE」。意味は、「ジェスチャー」の意味もあるが、ここでは「見え透いた見せかけ」とか「偽装」の意。映画の内容に相応しい。

また、音楽と共に、ジバンシィとタイアップして、たくさんの服を着たオードリー。彼女の魅力をフルに惹き立てている。この映画は若い頃から観ているが、通算10回以上になるだろう。筋は分かっているのに、あらゆる要因で観たくなる映画だ。

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ベリーダンスを観る

ダンスミュージックは、自身で映像を浮かべることができれば、それだけで楽しむことができるが、やはりダンスとセットの方が鑑賞しやすい。

最近、少し気になって、ネットで、ベリーダンスをじっくり観てみた。映画などで踊られるシーンがあるが、それ以外では、本格的に観たことがなかった。中東の踊りとしては、有名だが、踊りの意味はあるのだろうか。その点は、結局、分からずじまい。

ダプカと言われる踊り(多人数で踊る足踊り)と比べれば、一人で踊ることが多いようだ(数人で踊るものもある)。踊り手は女性。一般人として、気が付いた特徴を備忘録的に記す。

●踊る時間は5分程度。激しい踊りなので、これくらいが限度かも。

●その姿は、かなり扇情的だ。それが目的かとも思える。

●観客に女性も多い。カップルで楽しんでいる雰囲気。

●衣装は、最初は、上に羽織っているが、しばらくして脱ぎ捨てる。

●踊り手、体の各所を動かす。まず腰を振って、尻振りダンス。

●ロングの髪の毛も、踊りの重要な要素になっている。

●上半身全体を使い、胸全体を上下左右に動かせる踊り手もいた。

●腕、指先の細かい動きは、インドの踊りほど感じさせない。

●コブラダンスに見られるように、体全体をくねくねさせて、コケティッシュなものもある。

●踊り手の全てが全てスタイルがいいとは限らない。また評価はスタイルだけでは決まらないようだ。

●音楽と踊りが妙にマッチしている。

気づいたのは、大体以上くらい。場を盛り上げる踊りとしては、いいかもしれない。日本でも、各所で公演されているらしい。

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2017年8月26日 (土)

『方丈記』を再読

ずっと前から、朝に、時々出かけて、ある所で声を掛けてくる高齢のお婆さんがいる。全く知らない方だ。一応、挨拶は返しておく。このように見知らぬ高齢のお婆さんに声を掛けられることは、たまにある。

このお婆さんは割と頻繁なのだが、詮索することはせず、挨拶だけだ。認知症とかではなさそうだ。ところが、最近は会わなくなった。会わないと少し気になる存在。大体、後で分かることだが、多くは施設に入られたりして、最終的には人知れず亡くなっている。人間とは、そういうものだ。

「ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまりたるためしなし。

世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし」

鴨長明著『方丈記』を久しぶりに読んだ。学校時代に学んだが、彼の言っていることは、今になって、よく理解できる。そして、過去に何回か読んだが、その度に、少し受ける印象が違う。それは加齢による理解の差であろうか。

長明は、全国的な内乱、大火、辻風、遷都(人災)、飢饉、大地震などを挙げて、この世に住むことの難しさを説いている。その結果、彼は無常観を持つに至り、都を捨て、世俗を離れる。

そのため、無駄なものは切り捨て、出家して、世捨て人を目指す。現世が嫌になったのかもしれない。50歳ころの出来事だ。彼が最終的に住んだ方丈の庵は、2.778坪。高さは七尺。その前の住処は277.8坪あった。

そして驚くことに、祖母の家は、2778坪もあった。すなわち祖母の家の千分の一まで庵は小さく設計された。中頃の住処と比して百分の一、見事な比例計算。彼が60歳くらいの話である。

更に驚くことに、この庵は解体でき、いつでも、どこにでも移動できるようになっていたという。そして最終的には日野に定住する。草庵の生活を悦び、閑居を楽しむ姿勢。しかし、草庵にも捉われない。出家後、捉われのない生活を目指したのは間違いない。

そして、出した結論が、先に示した『方丈記』の一文だろう。人は、どこともなく現れて、どこかに消えていく。その繰り返しを行ってきた。せいぜい、この世を楽しんで生きたいものである。

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2017年8月25日 (金)

谷崎の『秘密』を読む

誰にも秘密はあるかもしれない。ただ、第三者から見れば、その多くは大した意味を持たないことが多い。それでも、人は秘密を持ちたがる。それはなぜなのか。自己防衛本能が働くからであろうか。

さて、最近の高校の副読本にも選ばれているらしい谷崎潤一郎の『秘密』を読了。これも短編小説だ。隠遁している主人公の「私」は、新しい刺激を求めて、あまり行ったことのない下町のお寺に寄宿する(東京の下町の説明がしてあるが、土地勘なく、よく分からない)。

そこから古着屋で見つけた着物で女装して出かける。ところが、誰も気づかない。でも、そこから見える世界は違った。全く新しい世界だった。「私」は段々、凝っていく。そして、ある映画館に行く。席に座ると、次々席が埋まっていき、隣に、男女のペアが座った。

女は、普通の女ではない。推定するに、いわゆる玄人筋風。その女が突然、煙草を「私」に吹きかけながら、目を注ぐ。そこで、「私」は気づく。ああ、あの女だ。実は、「私」は、かつて上海旅行した時、船上で関わりのできた女だった(*注1)。

当時、女は、妙に蠱惑的な魅力のあったが、上陸後も、お互い、正体を明かさなかった。少なくとも、女の方は「私」に対して強い恋心を持っていることは分かっていたが、「私」は黙って姿を消す。今回は、それ以降、初めての再会であった。

そこで「私」は改めて、ちょっかいを出し、逢引の誘いをかけてみる。そうすると女の方は、きちんと「私」を見抜いていて、「やっと、捕まえた」と言う。更に、話に乗ってきて、馬車を向かわせるので、指定の場所で待ってと言う。以下の展開は省略する。

誰でも、秘密の時間を持ちたい時はあるかもしれない。この小説は、たまたま秘密の行動が、過去の秘事を掘り返すことになる。読んでいて、谷崎は、「女装の秘密」、「秘密の恋」に加えて、ブログてば紹介していないが、その後の展開の部分のヒントは、彼の実体験に基づくものなのだろうか。

谷崎は、秘密を小説にすることで、この女と決別したとも考えられる。でも、うろ覚えだが、確か『千夜一夜物語』にも似たような話がある。これが、谷崎の本当の「秘密」なのかもしれない。

ちなみに、小説の最終部分は次のようになっている。「私の心はだんだん「秘密」などという手ぬるい淡い快感に満足しなくなって、もっと色彩の濃い、血だらけな歓楽を求めるように傾いていった」(注2)

*注1

この作品が発表されたのは1911年。彼は、その後、1918年と1926年に上海に行っている。よって実体験に基づくものではない。

*注2

谷崎は、その後、倒錯した性を描いている。この文言は、予告の意味があるのかもしれない。もちろん、作品は、そのようなものだけではないが、過去の恋愛経験も生かして、時々、文章にして、様々な形の恋愛の揺れを楽しんだ可能性がある。

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2017年8月24日 (木)

亀山雲平のこと

最近知ったのだが、姫路には、亀山雲平という偉人がいたということ。だが、子供時代も、その様な人物がいると教えられなかった。ところが、彼の遺した道は、後世に大きな影響を与えているようだ。以下、備忘録として記す(現在、残念ながら、十分な資料がないので中途半端なので、情報が入り次第、追記していく)。

彼は1822年(文政5年生まれ)、姫路で、姫路藩士亀山百之、頼家夫妻の次男として生まれた。当時は、酒井忠実(ただみつ)が藩主だった。父親の亀山百之は、山崎闇斎門下で朱子学を学んでおり、幼児の頃から、その薫陶を受けるが、10歳の時に父を亡くす。その頃に、藩校・好古堂に入る。

1843年に、兄が急死したため、22歳で、亀山家の家督を継ぐ。140石であった。1846年には、好古堂の助教授に任じられる。

1850年には藩からの抜擢で、江戸に上り、昌平坂学問所で学ぶ。佐藤一斎の門下で、頭角を現す。

1853年に、昌平坂学問所を去り、1855年に、好古堂教授に就任、1854年には、江戸在番に任じられる。

1861年には、藩主酒井忠顕の命により抜擢されて大監察(お目付)に。なお、当時、姫路藩では、尊皇派と佐幕派が争っていた。

1864年、佐幕派が尊皇派を弾圧(甲子の獄)。佐幕派と目されていた雲平は、関係者の一律死罪に強く反対し、意見を通す。

1868年、鳥羽伏見の戦いで姫路藩は幕府方につき大敗。そのため、岡山藩から攻撃されるが、雲平は恭順の意を伝え、無血開城を成功させる。

1871年(明治4年)に隠居し、「雲平」を名乗る。

1873年、松原八幡神社内に、「久敬社」という書院を開き、学問を講じる。

1884年、教え子の増加に伴い、新たに塾舎を建て、「観海講堂」と名を改める。国に尽くす無私の人材育成を目指す。門弟三千人。

1898年、姫路神社、射楯兵主神社の社司を兼ねる。

1899年5月6日、死去。

こうしてみると、晩年、人材育成に力を入れたことが大きな功績と言えるかもしれない。また、生活姿勢は質素そのものであったが、周囲で生活に苦しむ者がいれば援助したという。性格は、几帳面、誠実と評価されている。灘のけんか祭りの隆盛にも貢献したらしい。

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2017年8月23日 (水)

ナスとカボチャ(ナンキン)と端唄

本日、8月23日は、処暑。朝夕、涼しくなると言うけれど、朝は多少そんな感じもしないではないが、夕方は暑いまま。暑いのは、寒いのと比べて、耐えられるけれど、やはり、もう少し涼しくなってほしいと思う日々。

さて、今年は、ナスもカボチャも作っていないけれど、比較的作りやすい野菜だ。ナスは苗を買ってきて植え付けるだけだけれど、割と実がなる。カボチャは、実を言うと過去にも植え付けていない。

たまたま買ってきたカボチャを料理する時、ワタと種を取るが、それをゴミとして捨てずに、土の中に埋めると、自然発芽して、やがて成長して、花が咲き実がなる。この成長度合いは、サツマイモ同様、物凄い勢いだ。

そのことを端唄にしたものがある。少し面白いので取り上げておく。それが次のもの(文言は異なる表現のものもある)。

背門(うら)の段畑に、茄子とかぼちゃの 喧嘩がござる 

かぼちゃ元より いたづらものだよ

長い手を出し 茄子の木にからみつき

其処で茄子の木が 黒くなつて 腹をたて

其処へ夕顔 十ぶんいりて これさ

まてまてかぼちゃ 背(せい)が低いとて

色が黒いとて 茄子の木は地主だよ

をらやそなたは 棚借り身ぶんで

他(よそ)の地めんへ はいるがむりか やんれ

それ 奥州街道で かぼちゃのつるめが

垣根をこわして 大家がはら立つ 

大工が喜ぶ 十日の手間取り 

どうするどうする 面白や

幕末に流行った俗謡らしい。色黒の田舎侍をからかったとも言われる。主客のナスにカボチャが集(たか)る感じ(違う意味で、歌っているという解釈もあるが、ここでは止めておく)。なお、「十ぶんいりて」とは、仲裁に入り、の意。

先に記したように、カボチャの成長は早く、力強い。よって、木の塀だと倒される恐れもあるのも事実。壊されると、風が吹けば桶屋が儲かる方式で、大工に仕事が回ってくる。それは誰が負担するのかという問題。

そうなると、一時の欲で、カボチャを植え付けるのは、メリットはないということになる。呼ぶ客は選ばなければならない。そうしない、とんでもない損失を被る。最近は、木の塀は少なく、ほとんどブロック塀だから、そういう問題は起こらないけれど。集る奴らには気をつけなければならぬのは今も変わらない。

*追記

昔話を読んでいると次のようなものがあった。

「昔、あるところに、貧乏な百姓がいた。軒下に、カボチャの芽が出していたので、手間暇かけて育てた。カボチャは段々大きくなり、添え木を立てると、そのてっぺんまで延びた。それで放置すると、ついに、屋根まで這い上がった。

屋根の上に、なり花が咲いた。日当たりがいいので、実が次第に大きくなった。はしごをかけて毎日見守ると、間もなく、手で抱えるくらいの大きさになった。でも、大きくなるのが嬉しいので、そのままにすると、さらに大きくなり四斗樽くらいの大きさになった。

でも、まだ放置すると酒桶くらいの大きさになった。そうして、とうとう貧相な家を潰してしまった。百姓は、居る家がないから、カボチャに穴を開け、中身を出しで、家の代用にした。でも、壁を崩して少しずつ食するので、秋になると、薄くなって、冬になると腐りだした。

そうして、住めなくなり、どこにも住めなくなった。カボチャは屋根を決して這わせてはいけない」。

家で、カボチャを作る時は、屋根に這わせたりはしないが、今後は、買ってきたカボチャの種は、ゴミとして捨てることにしよう(笑)。

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2017年8月22日 (火)

二つの女王のドラマ

現在、NHKで放送されている海外テレビドラマ『女王ヴィクトリア・愛に生きる』(主演はジェナ・コールマン。声は蓮佛美沙子)を少し関心を持って観ている。若くして女王になったヴィクトリア。彼女の母親がドイツ人であるため、様々な、さざ波が生じる。時代背景と共に、女王を取り巻く人々の思惑も描いている。

やはりイギリスだなと感じる。その底辺には、皆それぞれ「高慢と偏見」があり、そのぶつかりあいだ。民族、出身、身分、男と女等々。『高慢と偏見』と言えば、ジェーン・オースチンの小説を思い出すが、日本で言えば、平安時代の京都の貴族的(笑)。その人たちの微妙な駆け引きが女王を取り巻いて起こる。

だが、現実は、その積み重ねで、確実に、彼らの世界が動いていく。ところが、女王は、夫選びに、まるで正反対の男を選んでいく。好きになったドイツ人のアルバートは、ある意味、ストレートな物言いで考え方も素直。

彼女は、当初、反発しながらも、それが新鮮であった。今後、どのように展開していくのだろうか。言えるのは、女王も、普通の愛を求めているということだろう。

そして、もう一つのドラマはラジオドラマ。『斜陽の国のルスダン』(主演は花總まり)。宿命で、国政の経験はなかったが、グルジア女王になったルスダン。ちなみに、グルジアと聞くと、民族の気質は明るいらしい。またソビエトの外務大臣を務めたシュワルナゼを思い出す。彼は後に、グルジア(現ジョージア)大統領になった。彼も、そういう雰囲気を持っていた。

さて、グルジアは当時、モンゴルの脅威に直面し、西欧に警告するも、モンゴル軍に攻められ、国は崩壊。女王は、西に活路を求めるも、ホラズム王国の大軍に脅かされる。その後も、誇りを失うことなく王国を双肩に担うが、最終的には、モンゴルの属国になる。それまでの展開が、どのような話になるのか。

二人の女王の時代背景も取り巻く環境も全く異なるが、自らが権力者の地位にありながら、女性の感性で権力を見ており、興味深い内容だ。ただ、ヴィクトリア王朝は、英国が最も隆盛を誇ったのに対して、グルジアは、大国に挟まれて、苦難の道をたどるしかなかった。これは単に指導者の差と言うことではないだろう。

いずれも深夜放送なので、録画、録音して楽しむしかないが、未知の話なので面白い(ラジオの方は番組のホームページの「聴き逃し」で翌日の昼からネットで聴ける)。

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フィンテックという言葉

少し前の報道では、あるメガバンクが、大掛かりなリストラを計画しているという。原因としては、マイナス金利で収益悪化、更に企業が資本市場から資金調達するため、国内に新規融資先が見つかないこともある。

最近、フィンテックという新しい言葉を聞くようになった。ファイナンスとテクノロジーの合成語らしい。そこで金融関係の合理化が進むという。ただ、治安のいい日本では、基本的に、現金払いでも問題なく、海外のようなフィンテックは不要と言われる。

というのは、日本では、既に広義のフィンテックは、機械化により実現されているからだ。それに、先に記したように、治安のいい日本では、現金支払いに抵抗はない。そこに合理化のためのフィンテック需要は薄い。

しかしながら、ロボットは、製造の分野では、かなり進んでいるが、サービス分野では、まだこれからだ。日本でも、情報化が更に進んで、ロボット化(AI)の進展で、金融機関の事務、営業が不要になると言われている。

そこで、リストラ計画が必要になってくる。その規模は、半数以上の行員という。更に、事業の再構築が金融界で進む。すなわち、人員のリストラをすると共に、新しい人材を招く必要性がある。それは、マーケテイング、事業コンサルタント、トータル設計アドバイザー、IT関係者等だ。

これから金融機関の姿が大きく変わるかもしれない。預金者としても、冷静に観察しつつ、付き合うべき金融機関の再選定が必要だ。基本的に、預金者の側に立って動けるところがいいだろう(*注)。

*注

文献として、森本紀行著『銀行員大失業時代』を参考にした。ただ、彼は、日本は、金融資産の大半が普通預金だが、米国は十数%だと指摘している。しかし、日本と米国では、金融資産保有者構造が大きく異なる。米国は、貧富の差が大きいが、日本も、その傾向は出ているものの、それほどでもない。

日本が米国の金融資産運用を真似することには疑義がある。日本の多くは、高齢者が金融資産を持つと言われる。彼らは本来、資産運用は必要がない。年金もあることだし。また、金融資産もなく、年金も十分でない人が、資産運用投資をすべきかと言えば、それは却ってリスキーだろう。

マイナス金利下、厳しい経営を迫られる金融機関としては、金融資産保有者の資金を運用に回したいのは分かるが、それは預金者に必ずしもプラスになるとも言えない。むしろ、若い人々に、長期定額投資を促し、資産形成に寄与していくことが求められる。

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2017年8月21日 (月)

谷崎の『信西』を読む

谷崎潤一郎の小説は、説明が丁寧過ぎて、あまり好きではない。分かりやすいことは確かだが、行間まで描かれると、若干、楽しみに欠ける。しかしながら、女性にはファンが多いそうだ。分からぬでもない。

ただ、彼の短編小説は好きだ。程よい長さの小説は、読むのに苦労しないし、時間の空き時間に、ちょっと読める。それに題材も面白い。中学生時代に、『春琴抄』とか『刺青』を読んだが、今回は『信西』を初めて読んだ。信西とは出家名で、俗名は藤原通憲(みちのり)。

大河ドラマ『平清盛』でも、登場した。学者の家に生まれたが、家を継ぐことなく出され、秀でた能力を発揮するが、学者の跡を継げない悩ましさ。そこで、彼なりに、官界遊泳術を発揮するが、天才肌にありがちな、先が見えすぎる。そこで、独断専行して、周囲から疎まれる。

小説では、信西が藤原信頼と対立し、藤原信頼と源義朝は、信西を襲撃する場面。信西は危険を察知し、郎党と共に、信楽山の奥に逃げ込む。そこでの信西と郎党のやりとりを記している。

信西には、弱気な発言が目立つ。基本的に、信西は学者肌。闘争慣れしていない。よって状況判断を誤り、自らを死地に追い込んでいる。どんなに理屈で正しくとも、人間関係は複雑。そのことを理解しなかった信西の悲哀を谷崎は描いているとも言える。

それは、その人の持つ運命なのか、宿命なのか、現代人も考えさせられる。

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2017年8月20日 (日)

秋の気配~ツクツクボウシ 2017

チャリンコで、うろうろしていると、暑い中にも、少し風を感じる。残暑とは言え、暑さのピークは過ぎたのか。家に帰って、しばらくすると、朝には、いつものジィジィと鳴く蝉がいたのに、午後には、ついに、ツクツクボウシが鳴き始めた。暑い日は、まだ続くのだろうが、秋は近づいている感じだ。

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医療のロボット治療化

新聞の投書欄を見ていると、度々、最近の医師は、パソコンの画面ばかり見て、患者の方を見ないという苦情がよくある。分かるわかる。どこの医師も、そのようだ。検査データとにらめっこして、患者の様子などは確認せずに、診察しているようだ。

昔の医師たちは、患者の各所を全感覚を通じて観察して、診察していたが、検査技術の進展により、そういうことを軽視しているようだ。ということで、それなら、今後ロボット診療が普及して、診察医は不要になっていくかもしれない。

今、多くの医師たちが、やっていることは、ロボットで十分代替できる。となれば、医師は、自らの専門性を高めつつ、患者に寄り添い、生活環境の改善、食事指導、それぞれの患者に相応しい運動の提案、正確な投薬管理(現在、処方箋がでたらめとは言わないが、不十分)、治療が、これからの役割になっていく(*注)。

*注

先の読める医師たちは、より関連ビジネスに進出するだろう。投薬をロボット管理する薬局(患者の状態、生活環境、薬剤の評価、副作用等)、患者が適切に運動するよう指導とコーチ付のスポーツセンター、患者ごとに適正な食事指導食提供ビジネス、患者をバックアップする生活支援サービスを統合する動きになる。

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2017年8月19日 (土)

狂言『茫々頭』を読む

若い頃、髪質が固くて、朝に少し手入れをするが、毛が立つのを修正できずに、出社したところ、先輩女子社員から、「あんた、頭茫々やで、なんとかしい」と言われたことがあるが、馬耳東風で対応(笑)。そのため、その後も、いろいろ嫌味を言われた。

さて、狂言にも『茫々頭(ぼうぼうがしら)』というものがある(和泉流では『菊の花』)。登場人物は、主人と太郎冠者。そして、ほとんど太郎冠者の一人語りだ。主人に無断で出かけた太郎冠者。主人はもちろん、叱ろうとする。ただ、彼が京都見物に行っていたと聞いて、許して、都の様子を聞き出そうとする。

ここから、太郎冠者のおしゃべりが始まる。北野から祇園に向かう途中に、道端で見事な菊の花が咲いているのを見つけたので、一折折って、茫々の頭に挿していく。しばらくすると、美しい上臈が通りかかる。

その上臈から、次の歌を詠みかけられる。

「都には 所はなきか 菊の花 茫々頭に 咲くぞ乱るる」

上臈はからかったのだが、これに対し、太郎冠者は次のように返す。

「都にも 所はあれど 菊の花 思う頭に 咲くぞ乱るる」

これには、上臈も、少し感心し、田舎人なのに面白い人だと言われて誘われる。誘われるままに、祇園の野遊びについて行く。ところが、太郎冠者は入り口近くの上座に座らされたと言う。主人は、どうも話を聞くと、周りに緒太の金剛(緒の太い草履)がたくさんあったと言うから、そこは靴脱ぎだったはずと推定。

そんなことは知らない太郎冠者の前を、酒や魚を持って、どんどん運んでいくだけ。太郎冠者の方は、ほったらかしで、ちっとも接待されないことを怒り、帰ろうとすると、下女が追ってきて、「返せ、返せ」と言うので、腹立ちまぎれに持ってきた他人の緒太の金剛を返したと主人に話して、叱られる。

この狂言の面白さは何だろう。まず京都人が田舎人を見下していることだ。京都人は常に「格」を争う(位取りのこと*注)が、今回も、その例。上臈は、冷やかした歌を相手は分からないだろうと思っている。ところが、案に相違して、太郎冠者は歌を返した。

そこで、誘いをかけて試してみる。案の定、田舎者の太郎冠者は上臈の真意を理解せず、のこのことついて行く。そこで、冷たくあしらって、分からせようとする。ところが、太郎冠者の方は、もてなしとはどういうものか知らず、上座と勘違い。

漸う上臈の誘いが嘘だったと気づき、腹立ちまぎれに、他の客の緒太の金剛を持ち出して、下女と大騒ぎ。要するに純朴な田舎人と、いけずの京都人の対比を狂言にしたものと見える。

*注

京都人はプライドが高いので、相手より常に上位であると思いたい。仮に、トータル的に相手の方が優れていても、相手の欠点・弱みを探し出し、自らの優位性を確認する。

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2017年8月18日 (金)

減塩食を作る その二十 オムレツ

今回の減塩料理はオムレツ。但し、オムレツ自体、既に減塩料理。敢えて減塩料理としては取り上げなかったが、一応記すことにした。

強いて言えば、玉ねぎとひき肉を炒める時に、塩を入れるかどうかということぐらい。後は、卵を焼く時、無塩バターを使うこと。その他に、料理にかけるケチャップが多すぎないようにする。

量によってカロリーは多めになるので、作る量は注意。後は、レタス、トマト、キュウリ等のサラダ類。量が多くなければスープも考えられる。

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2017年8月17日 (木)

『ギリシャ・ローマ名言集』の楽しみ

ブログで度々取り上げているギリシャ・ローマの名言は、柳沼重剛編の『ギリシャ・ローマ名言集』だ。毎日、ぱらぱらとページをめくると、いろんな名言が現れる。人口に膾炙したものも含まれるが、そんなに有名でないものも含まれる。そこから、いろんなヒントを頂ける。もちろん、この本だけを頼りにしてるわけではないが、日常の楽しみでもある。

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2017年8月16日 (水)

大きい墓に思う

先日、お寺に墓参りに行って、周囲の墓を見て回ると、二、三の大きな墓が無くなっていた。少し寂しい感じ。昔からあった古いものや比較的最近建てられた大きな墓もだ。

一体、どうされたのだろうか。子孫の方が、墓を移転されたとも考えられる。あるいは子孫が絶えて墓じまいされたのかもしれない。

母が、私に、子供時代、「お前が、仮に立派に出世しても、お墓は大きくしてはいけない」と常々言っていたが、このことを意味しているのかもしれない。

以前にも記したが、最近の日本は、お墓を安易に作り過ぎる。確か、沖縄のように先祖代々の墓一つでいいと思う。そこに親戚一同が揃うのが望ましい。それなら、それなりの墓でもいいだろう。

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2017年8月15日 (火)

『昔ばなしの謎』を読む

昔話は、子供が主として読むものだろうが、大人が読んでも結構面白い。その形成過程は不明なものも多いが、それを分析した古川のり子著『昔ばなしの謎』を読了した。昔話を分析した本は、いろいろあるが、この本は、かなり深いところに突っ込んでいる。

分析している昔話は、「桃太郎」、「かちかち山」、「花咲爺さん」、「浦島太郎」、「鬼の子小綱」、「三枚の護符」、「蛇婿入り」、「蛇女房」、「産神問答」、「ミソサザイは鳥の王」、「ホトトギスと兄弟」、「鉢かづき姫」、「一寸法師」の十三点。

それぞれの分析内容は、なるほどと思わせる。昔話は、日本文化の底辺を為すものかもしれない。大人であっても、改めて、その話を吟味してみるのも悪くない。

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2017年8月14日 (月)

夏の生き物たち 2017

朝夕は、幾分涼しくなってきた。少し過ごしやすくなるかもしれない。草抜きも少しサボっていたが、ちょっとずつ機会を増やしていくつもり。でも、全然追いつかない。放置する人もいるが、少しみっともないし。熱中症になれば、元も子もないし、難しいところ。

さて、蛇を見つけた時は正直驚いたことは先日、記した。大人になって普通の大きさ(1.2メートルくらい)の見るのは久しぶりだったから。いつもは細くて短い蛇。それとは全く違って迫力があった。

今から思うと、例の事件のヤマカガシだったかもしれない。ただ、それ以後、見ていない。多分、水気の多いところにいるのだろう。考えられるのは、ヤツデの下か周辺。あそこは、格好の場所だろう。草抜きする時は注意しよう。

そして、最近見たのが大きいトカゲ。草抜きしていて、少し大きい石を取り除くと、そこから現れた。結構大きく、いつも見るのとは倍近く大きい。なぜ、こんなに大きくなったのだろう。ところが、今年に限って言えば、ヤモリは少ない。何かに食われているのかもしれない。

更に、驚いたのが、風呂に湯を張ろうとして、浴室に入ったところ、大きな蜘蛛が出現。足の長い蜘蛛は、よく室内で見かけるが、それより胴体が大きく迫力があった。外に出そうと追いかけたが逃げられてしまった。今、どこにいるのだろう。ゴキブリを食べてくれるとは聞くが、微妙な気持ち。

また、空を見上げると、俊敏に飛び回る鳥が。ツバメではなさそう。あまり見かけない鳥だ。そして、同時に巨大とも言える蝶が飛んできた。ジャコウアゲハの一種かもしれないが、とんでもないほど大きい。初めて見た。

こうして見ると、比較的大きい生き物が出現している。ただ、蟻だけは、いつもと変わらず、せっせっと働いている。それでも若干、数が減った感じ。秋を感じているのだろうか。

*追記

蝉の鳴き声は相変わらず。彼らの鳴き声が続く限り、夏は終わらない。ツクツククボウシは、いつ鳴き始めるだろうか。トンボは、少しずつ現れる頻度が増えている。

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2017年8月13日 (日)

映画『大いなる陰謀』を観る

北朝鮮情勢が怪しくなっている。グアムにICBMを打ち上げるという問題だ。これは日本にとっても、重大なこと。日本本土を超えてミサイルが発射されるのだから、憂慮すべきことは明らか。今までのミサイル打ち上げと根本的に異なる。

さて、見方を変えれば、北朝鮮は大国の罠に嵌っているとも言える。死の商人にとっては、常に武器の消費地を世界で探している。内戦をしている国々は格好の対象だし、為政者が軍事優先の国なら、彼らを取り巻く周辺国家との関係性を把握する。

大国の為政者は、概ね、死の商人の献金を受けている(*注)。それも多額だ。為政者にとって、死の商人のバックアップをすることは必然の成り行きだ。日本は、長らく武器の国際売買に関わってこなかったが、安倍政権になり、武器輸出を容認するようになり、他の大国の為政者と同じ道を歩むかもしれない。

さて、映画にも、そのようなことを扱ったものに、『大いなる陰謀』がある。1976年制作で、ロバート・レッドフォード監督で、出演は、彼以外に、トム・クルーズ、メリル・ストリープなど。

ウォーターゲート事件を調査したワシントン・ポストの二人のジャーナリストの手記をベースにしている。ウォーターゲート事件は、当時政権を握っていたニクソン共和党政権が、野党民主党を盗聴した事件。これでニクソン大統領は失脚した。

映画は、これを直接的に描いたわけではないが、米国の対テロ政策の裏側を描いている。つまり政治家とジャーナリストの関係(持ちつ持たれつ、癒着、リークなど)、政治とは関係なく動く戦場の軍隊、大学教授と無気力な学生を絡めた内容になっている。

戦争の多くは仕組まれたものだが(例えば、政権支持率が下落し、それをカバーすべく、他国での戦争介入を起こす。それは死の商人の思惑に合致する。もちろん、介入の理由は、それなりに付けるが)、それに対して、メディアや知識人の何と無力なことか。それにも増して、一般国民の無関心が、世界各地の戦争を生んでいく。考えさせられる映画だ。

*注

更に、金融市場関係者からも多額の献金を受けている。市場が動けば、大きな利ザヤが稼げる。戦争や紛争の情報を政治家から、いち早くキャッチし、投資すれば潤う。あるいは先回りし、政治家に紛争や戦争を促す(もちろん、その結果、何も知らない一般投資家は多額の損失をする)。

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2017年8月12日 (土)

星座の季節とアクエリアス

立秋も過ぎ、暦上は秋。でも、朝は少し涼しくなったものの、昼間は暑いし、夜は熱帯夜が続いている。今年ほどクーラーを使った年はない。残暑は、まだ厳しいようだ。それでも、もう少しすれば、秋を感じられるのだろうか。

時々、夜空を見上げるが、まだ、感傷的になるには遠い。それでも、先日、久しぶりに、音楽アクエリアス(Aquarius/Let The Sunshine In)を聴いていると、そういう雰囲気になる。歌っていたのは、フィフス・デメンション。ミュージカル『ヘアー』の音楽だ。1979年に作られたベトナム反戦という反体制であるヒッピー文化の象徴だ。

ただ、歌詞の内容がなぜ反戦であるのかは、なかなか理解しがたい。初めの部分を少し訳すと、「月が第七宮に入り、木星と火星が直列する時、平和が諸々の惑星を導く。そして、愛が、それぞれにあるべき位置にいる星たちの舵を取る。今は、水瓶座の時代の夜明け」となる。

どうも西洋占星術を知らないと十分に理解できない内容。でも、音楽のリズムは好きだ。どこかウキウキする感じ。なんとなく、反戦を感じながら、聴くとしますか。今、世間は、世界の大国と東アジアの小国が、一発触発の情勢とマスコミは囃す。でも、戦争になれば悲劇が訪れ、日本も巻き込まれる。静かに星座を眺められる世の中でありたいものです。

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2017年8月11日 (金)

猫との共生ガイドライン

江戸時代になって、猫が町に放たれて以来、猫は自由に過ごしてきた。しかし、猫に野放図な餌やりをする人によって、猫の頭数は著しく増加。野良猫の糞尿で、町は不衛生に。そのことは今も続いている。

そこで、兵庫県は、やっと重い腰を上げて、「猫と共生するための基礎的な知識や考え方を示したガイドライン」を作成したようだ(このガイドラインは、兵庫県動物愛護センターのホームページで公開)。

県によると、兵庫県動物愛護センターと県内4支所で殺処分された頭数は年々減っているとはいうものの、2015年で2260頭。ただ、ごみあさりや糞尿の悪臭などの苦情・相談件数は、2015年で2998件で、年々増えている(*注)。

ガイドラインは、猫による住民への迷惑行為や殺処分の減少につなげるのが狙いらしい。まず、求められるのが、猫の屋内飼育。猫に運動量はそれほど必要ではなく、屋内で飼っても問題はないようだ。

野良猫は、本来、餌を得るため、それぞれの領域を守っているが、人間が餌をやると、領域の意味がなくなる。その結果、頭数が増加する。野放図な餌やりを止め、野良猫の避妊、去勢措置により、頭数を減らしていく。

この共生ガイドラインには共感する。ただ、ネズミは大喜びにならないように、地域で適正に野良猫を管理していく思考が求められる。

*注

ごみあさりはカラスの方がひどいと思うが、猫の糞尿の悪臭には、苦しめられているのは事実。また、糞尿は、犬の散歩で、かつて糞が放置されていたが、最近は少なくなったが、尿の臭いは、猫同様に臭い。犬の散歩による尿の放置にも対策をしてほしいものだ。

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2017年8月10日 (木)

「れきはく玉手箱」を観覧

兵庫県立歴史博物館で開催されている特別企画展「れきはく玉手箱」を観覧してきた。兵庫県政150周年記念先行事業の一環らしい。この博物館に収録されている膨大な資料のガイドという位置づけのようだ。

内容は、いろんなものが展示されていた。大きくは、一、「ひょうごのイロイロ/再発見、二、「学芸員のおすすめ/こだわりの城郭資料、三、「あけてびっくり/お宝発見、四、「その日その時/記憶の森、五、「思わず心躍る資料との出会い。

よって様々な切り口で、いろんな資料が展示されていた。一つ一つじっくりと見れば一日では足りない感じ。本来、これらをベースに、専門にまとめた展覧会が望まれる。ネタは、尽きないほどお持ちなので、後は、どのように展示するかだけだ。2017年9月10日まで。

なお、特別企画展を観覧した人を対象に、8月11日(金)には、学芸員による城郭展示解説がある。11時と14時の二回。また、同様に、8月13日(日)には、学芸員による展覧会ガイドがある。これも11時と14時の二回。

なお、8月19日(土)13時より、「姫路はりこ・お面の絵付け」体験ができる。定員25名。費用1000円。電話(079-288-9011)で予約申し込み受付。

また、8月26日(土)14時より、ロビーコンサートがある。出演は、池内里花(マリンバ)&岸元大周(ピアノ)。無料。

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兵庫県立武道館は、第3期の受講生募集 2017

兵庫県立武道館では、第3期(平成29年10月~12月)の受講生を9月6日(水)より募集する。詳しいことは、ホームページで確認してください。いずれも先着順で、定員に達した時点で終了。

姫路藩古武道講座、トレーニングジム、スタジオレッスン、トレーニング講座各種、合気道、武術太極拳、弓道、少林寺拳法、剣道、空手道、柔道、なぎなた。

小さい子供さんも参加できるメニューがあり、費用もリーズナブルなので、日程に合わせて、申し込んでみては。

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2017年8月 9日 (水)

「類は類を呼ぶ」は間違い?

人間、いくつになっても学ぶことはある。実は、子供時代から、「類は類を呼ぶ」という表現が正しいと思っていたのだが、どうも間違いらしい。親も、間違った表現の方で話していたし、それが当たり前と思っていた。

本来、「類は友を呼ぶ」とか「類は友を以て集まる」が正しいらしい。ところが、「類は類を呼ぶ、友は友を呼ぶ」と言えば、正しい表現らしいから、ややこしい。「類は類を呼ぶ」だけでも、意味は通ずると思うけれど、駄目なのかな。

それはそれとして、これを機に、同様な表現を備忘録的に残しておく。

●「こくまるがらすは、いつも、こくまるがらすの傍にいる」(ギリシャのことわざ)

●「犬は犬に、牛は牛に、驢馬は驢馬に、猿は猿に、最も美しく見える」(エピカルモス)

●「牛は牛連れ、馬は馬連れ」

●「蝉は蝉に親しく、蟻は蟻に、鷹は鷹に親しい」(テオクリトス)

●「同年輩の者同志は悦び」(ギリシャのことわざ)

●「鳥は鳥と連れ立つ」(ギリシャのことわざ)

●「似たものは似たものと最も容易に交じり合う」(ローマのことわざ)

●「似たものは似たものに、いつも近づく」(ギリシャのことわざ)

●「同じ羽毛の鳥は群がる」

●「同気(同類)相求む」

●「似たもの夫婦」

●「目の寄るところへ玉も寄る」

●「蓑のそばに笠が寄る」

その他にもあるかもしれないが、これくらいにしておこう。

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2017年8月 8日 (火)

嫌なネーミング~「日本ファーストの会」設立

小池百合子氏側近の若狭勝衆議院議員が、政治団体「日本ファーストの会」を2017年7月13日付で設立したらしい。自民党にも、民進党等野党にも満足できない有権者を惹きつけて受け皿になろうとするものだ。

その動き自体は否定しないが、ネーミングが悪すぎる。「日本ファースト」とは、「日本第一」ということであり、国家主義的右翼的色彩が強い。確かに、「都民ファーストの会」自体、そのトップ(野田氏)は、かなり右寄りの人物だから、そういう意味では、それを踏襲しているとも言える。

ただ、これは一般国民が望む政党の姿ではない(*注)。更に海外からも警戒されるネーミングだ。これでは、所詮、以前にも記したように「自民党右派の分党」による権力闘争に過ぎない。党(政治団体)の性格を国民に正しく表明しない限り、大きな支持は得られない。

これなら、次の選挙で、民進党に投票した方がましと考える人が増えるだろう(但し、民進党が共産党と選挙協力しないという条件で)。

*追記

若狭氏は、二大政党を目指すとしていたが違和感がある。小選挙区制が続く限り、二大政党は馴染まない。むしろ、多党連立になる。「日本ファーストの会」も、多党の一つになる可能性があるだけである。

*追記

この政治団体が、政治理念に、どういう意思を持っているのか明らかになっていないが、国民の多くが望んでいるのが、以前にも記したように、「民主系保守政党」だ。現在の自民党が変な右翼に乗っ取られて、本来の保守政党の役割を果たしていない。

よって、真正保守党が求められている。その党は、更に民主的運営が望まれる。よって、「民主系保守政党」。よって、ネーミングは、例えば「民保党」になる。政党名に英語を入れるのは、避けた方がいいだろう。さあ、どうしますかな。

*注

若狭氏は、後日、「日本ファースト」は政党名でなく、政治団体名で、政党名には使わないと表明。それでも、政治団体名としても使うのは不適当だろう。

*2017年8月25日

最近、小池氏の動向は、右翼的色彩を強めている。もちろん、本来の「右翼」は否定しないが、最近の自民党中心の若手に見られるのは、本旨の右翼を理解しない疑似右翼だ。右翼風と言ってもいい。国家主義でもなく、単なる私欲による「言葉の利用」に近い。

そういう言論は、国を誤らせる。小池氏も同類かもしれない。であれば、新党ができても、期待できない。

*2017年9月27日追記

小池百合子氏は、「希望の党」を設立した。この新党が、どの方向を向くのかは現段階では、わからない。ただ、小池氏は、自民党と対峙した新たな保守政党を目指すようだ。それ自体は、正しい判断だろう。

今まで、自民党の政権運営に不満を持つ保守層が支持する可能性は高い。また選挙では、新しい受け皿として、無党派層を取り込む可能性は高い。

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大臣になりたくなかった人

某大臣が、大臣になってから、本当は大臣なりたくなかったというような趣旨の発言をして話題になっている。昔は、末は博士か大臣かと言われるほど、憧れの地位であった。時代も変わったものだ。ただ、議員である限り、大臣になる可能性は誰にもある。大臣になる覚悟が足りなかったと言われても仕方ない。

この議員は、首相からの大臣就任要請は断ったのに、派閥の領袖の要請には抗することができなかったようだ。派閥のボスの要請であっても、自分の能力からして無理と判断して断っていれば、この人の評価は高まったかもしれない。

タキトゥスの言葉に次のようなものがある。「もし皇帝になっていなかったら、世評は一致して彼こそ皇帝の器であると認めていたであろうに」(*注)。某大臣の場合は、そこまで能力的に認められていないようだが、少なくとも世評に晒されることはなかった。

*注

タキトゥス『同時代史』より。

*追記

この大臣は沖縄に行って、「地位協定見直し」に言及したらしい。できるかどうかはともかく、その認識は正しい。年齢的に、最早、失うものはないのだから、米国と交渉してほしいものだ。

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2017年8月 7日 (月)

懐かしい「ザッツ・ザ・ウェイ」を聞く

最近、某ウーロン茶のテレビCMで流れる「ザッツ・ザ・ウェイ」を懐かしく思う。持っている「オールディーズ コレクションCD」にも収録されているが、テレビで流されると、印象は強く残る。この曲は、1975年のダンスミュージックで、KC&The Sunshine Bandが歌っている。

内容は、ベッドで愛し合う男女のベッド・トーク。男が、あれこれ女性に要求している。まず、手に取れ、私を褒めろ、愛してくれ、お前の中で抱かれたい、甘い言葉を囁いてくれ、身を揺さぶってくれ等々。

身をくねらせる彼女を弄んでいる感じで、あれこれ言っている。まあ、愛し合う二人の中では、何を言っても許されること。寝物語を音楽にすれば、こうなるのかも。

ダンスミュージックで流行っただけあって、なかなかリズムのいい音楽である。これを広告に使うとは、なかなかやるね。でも、ウーロン茶では、さすがに、このようなハイな感じにはならないから、ウーロンハイにすれば、マッチするかも(笑)。

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2017年8月 6日 (日)

ついに鰻を食する 2017

鰻がらみの記事にはしたものの、今年は、まだ鰻を食していなかった。ただ、最近、夏バテ気味で食が細っている感じ。これでは駄目だと思い、今年二回目の土用の丑ということで、鰻の蒲焼を一尾購入。

フライパンで温めて、鰻丼にして食した。酒を足して蓋をして蒸し焼きすると、出来立ての感じ。少し久しぶりだが美味しかった。確かに、これならパクパク食べられる。不思議な感じ。誰が考え出したのか知らないが、うまい食を考えたものだ。先人に感謝!

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幽霊と落語『三年目』

一応、肝試しの季節である。以前にも記したが、子供の頃、夕方、暗くなってから、近くのお墓に行く肝試しがあった。二人ペアになって、お墓に言って指令された物を取ってくるもの。でも、照明もない、真っ暗な、お墓周辺は不気味。幽霊が出ても、おかしくない雰囲気。

ビビりながら恐る恐る行ったものだ。火の玉みたいなものを見れば大騒ぎ。ぶるぶる震えながら物を取って帰途へ。あのハラハラ感は今も忘れられない。一般に、子供の夜の外出は禁止されていたから、稀な外出であったが、夜は出掛けたくないと思ったものだ。

さて、落語にも、幽霊を扱ったものがある。有名なものは『三年目』というもの。仲の良い夫婦が、妻が病に伏し、亡くなる寸前に、夫は「俺は二度と妻を持たない」と約束。男にとって、難しい約束だと思うけれど、気持ちが高揚すれば、そんな安請け合いもしてしまう。

この落語でも、やはり、親類の勧めもあり、止む無く後妻を迎える。でも、夫は、亡き妻との約束を反故にしたので、こわごわだ。亡き妻が、恨み言を言って、幽霊として出てくるはず。そうなれば、後妻は逃げ出すだろうと。ところが、一年経っても、二年経っても出てこない。

もう大丈夫と安心した三年目に、亡き妻の幽霊が現れる。夫が、「三年目の今頃になって、一体どうして、なぜ出てくるのだ」と問い詰めると、幽霊は「入棺の時に髪を剃られてしまったので、その毛が生え揃うのを待っておりました」とオチ。

亡き妻は幽霊になっても、夫一筋のいじらしさ。それに対して、現生の夫は、去った者をすぐ忘れてしまういい加減さ。でも、あまりできない約束はしてはならないという教訓。死ねば終わり。遺された者が何をしようと、それは勝手。そのように割り切った方がいい。

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2017年8月 5日 (土)

夏の甘酒 2017

今年の夏は、ちょっと厳しい。そこで、どうしても冷たい飲み物が欲しくなる。だが、これが夏バテの原因にもなる。そのことは分かっていても、ついつい。ちょっと胃腸がお疲れ気味になった。

そこで、父が夏に、よく飲んでいた甘酒を頂いて、少し元気回復かな。父が飲んでいたのは缶入りだが、私は小瓶入り。しばらく、これのお世話になる。それと、もっと食事を摂らなければ。

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2017年8月 4日 (金)

真夏にチャリンコで遭遇する人々

暑い中、チャリンコで買い物に出かけると、思いがけないことに出会うことがある。少し前だが、買い物をしての帰り道チャリンコを漕いでいると、向こうから少し大柄の元気そうな女子高生が同じくチャリンコに乗ってやって来た。

そこに、強い風が吹いたところ、彼女のスカートが見事に舞い上がり、花が開いたようになった(笑)。彼女は、がに股で運転していたので、白いパンツ丸見え。ところが、彼女は、恥じらう様子もなく、わいわい言いながら走り去った。大和撫子は、何処に。

次に最近よく遭遇するのが、紫外線除けと思うが、顔半分をスカーフのようなもので覆って、ちょっと怪しいファッションで、自転車を運転する中年の女性たちだ。かなり強い違和感を感じるが、強い日差しによる日焼けが嫌なのだろう。あれで、頭も覆えば、泥棒かギャング。

彼女らにすれば、真っ当なファッションスタイルと考えているのかもしれないが、何だかねえ。でも、これは日傘を差しながらチャリンコを運転するより安全なことは確かだ。日本も、中東のように暑いらしいから、今後は、こんな自転車ファッションが増えるのだろうか。しかしながら、結構、むせるだろうなあ。

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2017年8月 3日 (木)

最早、小沢一郎氏は過去の人

安倍政権の内閣改造は、基本的に骨格は変えていないので、一部実力議員を大臣にはしたものの、多少化粧をしたというに過ぎないだろう。よって、今後も、何も変わらないだろう。むしろ、外相には懸念が残る。

さて、野党を見ていると、民進党は崩壊寸前の様相。そうした中、一部マスコミに、未だ小沢一郎の政界への影響力を期待する向きがあるが、最早、彼は過去の人であろう。かつては、政界をかき回し、小選挙区制や政党助成金を作った人だが、今は、悪影響が出ている始末だ。

彼がやったことが全て悪いとは言えないが、策士、策に溺れるの感があり、信頼性に欠け、政界では、最早、お荷物状態。既に、その影響力はなく、その発想も古い。彼は政界しか見ておらず、有権者の方を見ていない。

よって、彼の考え方では、有権者の共感は得られないのは明らか。対有権者への政治感性が劣化しているのは間違いない。仮に民進党一派や小池氏が新党を作るにしても、彼抜きの考え方か望ましい。

数は力という彼の発想に新規性はない。確かに権力を握るには数は必要だが、単なる算数的思考で、政界遊泳術に長けていても、人々の心に訴えるものはない。彼は早く政界引退して、せいぜい彼の失敗を教訓に次世代の政治家の教育に携わるべきだ。

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2017年8月 2日 (水)

人口減少下の日本

人口構成のの歪みから、今後、人口が減少することは以前から指摘されてきた。そのことにより、今までの多くのシステムが機能しなくなることも多くの専門家は指摘してきた。ただ、一般人は危機感は薄いかもしれない。せいぜい、高齢者が、年金カットされたり、介護保険料がアップしたり、医療費の個人負担が増えて、その痛みを知るくらいである。

でも、本当は、若い人たちの方が、今後、より深刻だ。人口減少のカレンダーをまとめた書籍に河合雅司著『未来の年表~人口減少日本でこれから起きること』がある。2016年から2065年までのトピックとして具体的に何が起こるか記してある。内容は極めて悲観的なものだ。

問題は、若い人たちは、これらの諸問題をどう捉えるかに尽きる。現象対応すれば、多くは無駄になる。基本的に、多すぎる高齢者も、いつかは解消する。寿命は医療科学で延ばしても限界があるからだ。それを見越した考え方も求められる。よって、じっくり考えれば、海外を巻き込んでビジネスチャンスがあるかもしれない。

それでも、これから半世紀ぐらいは過渡期とみることもできる。それゆえ、厳しい時代が待ち受けているのも確かだ。しかし、知恵の出し方で面白い時代になるかもしれない。それは今までの既成概念を取り除くことによってのみ可能だ。その後は、人口8千万になって、また違ったものが見えてくるだろう。

*追記

この著作では、後半に、人口減少に対する処方箋も示されているが、ありふれた内容で、特に参考になるものはない。前半の「人口減少カレンダー」だけは参考になる。

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2017年8月 1日 (火)

今年のスイカ 2017

今年は、割とスイカを食した方かもしれない。年によっては、全く口にしない時もある。今年は、割と早くからスイカを買い求め食した。いつもの鳥取産だが、少し甘さが足りなかったかも。でも、美味しかった。しかし、売り場には、もう鳥取産は並ばなくなって、今は他県産。

旧盆のお供えには、スイカも選びたいが、最近は、小さいスイカだ。食べきれないこともあるが、お盆になると、スイカへの食欲も減ることもある。他の果物類が、美味しくなるからだ。今年のお供えは、どうしようか迷っている。

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子供と蛇

先日、宝塚の参道で、子供が、蛇を捕まえて、刺され、それが毒蛇(ヤマカガシ)だったため、死線をさまよった報道があった。親は、確かに心配であろうが、これくらいのことを経験した方が、将来のためでもある。叱らないで欲しい。

子供の頃、母には、マムシには気をつけろと度々言われたが、ヤマカガシについては、言われたことはない。そのような蛇は、しょっちゅう出現していたし、毒蛇とも思わなかった。毒々しい色をしていれば、一応警戒するが、そういう雰囲気はない。

ただ、ガキ大将が、青大将をつかみ、振り回して、周囲のみんなを、わーわーと泣き叫びさせ、どぎまぎさせたが、子供には、そういう元気があった(*注)。今回の子供が蛇に噛まれた事件を見て、まだ、こんな子供がいるのだと、少しほっとしたのも確かだ。

今後も、これに懲りることなく、屋外に出ることを怖れず、必要な知識を身につけて、夏休みを楽しんでほしい。

*注

なお、そのガキ大将は、蛇のどこを掴めば、噛まれないか知っていて、私も教えてもらった記憶がある。それでも、こわごわで、掴めなかった。

そういうと、母も、屋内に蛇が入り込むと、さすがに素手ということはなかったが、蛇を掴むポイントを知っているようで、金ばさみで掴んで、淡々と屋外に出していた。ゴキブリが出ると、あれだけ騒ぐのに、蛇を見ても、全く動じることはなかったのが不思議だった。

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姫路城関連ニュース 2017年8月

最近の姫路城関連ニュースとして、2017年8月の記事を以下に示します。情報は、随時追加していきます。

●JR姫路駅前のピオレでは、「リアル謎解きゲーム しろまるひめと姫路城の秘密」を催している。参加無料。対象は、小学生以上。1階で受付。8月31日まで。

●日本城郭研究センターでは、姫路城の城下町絵図などを集めた「描かれた姫路城展」を催している。所蔵品など約60点をパネル展示。9月3日まで。

●姫路城は、8月28日、午後8時より午後10時まで、ライトダウンする。

●「しろひめまる」は、次の日程で姫路城に現れる。

 8月13日、20日、27日。

●好古園では、『四季の写真展』を催す。期間は開催中~8月3日と8月5日~8月31日の期間で、それぞれ25点展示。平成28年度フォトコンテスト応募作品の中から選ばれたものだ。場所は潮音斎ロビーにて。

●姫路駅前小溝筋商店街では、「姫路城写真・絵画コンテスト作品」を募集している。姫路城を被写体に含む写真及び姫路城または姫路城を含む風景の絵画。写真・絵画両部門合計30作品を募集(定数に達した時点で締め切り)。募集期間は、2017年8月6日到着分まで。賞に応じて、当商店街の金券がもらえる。

詳しい問い合わせ先は、株式会社マス・ブレーン(担当:野勢さん)

TEL:079-296-4305  月曜~金曜の9時30分より18時まで。

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