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2017年9月 4日 (月)

蘆花の「写生帖」から

徳冨蘆花の『自然と人生』の中に「写生帖」という項目がある。それは彼が感じたことも記している。ただ、その中には見聞きしたことに共感して、そのまま載せている。例えば、次の一文がある(現代表記に変更)。

「わたしは普段そう思うのですよ、人間はどんなことがあろうと、決して自棄(やけ)を起こすものじゃありませんね。それは、もう海人(あま)が塩焼くという世知辛い世の中ですもの、五十年七十年の間には随分憂い辛いこと、たまには死にたい程悔しいこともありますわ。意地の悪い天道様、自分一人を継子になさって、ああいやだいやだ、いっそ舌でもくい切るか、淵川へでも身を投げてしまおうと、こう思うこともあるのです。

でもね、ここが人間一生浮沈の別れ時で、その処を眼をねぶって、じっと持ちこたえていさえすると、天道さまの秤(はかり)は、すぐとまた逆戻り、沈むだものは浮き上がって、枯株にも芽がふきます。ここの辛坊ができないで、つい自棄から一生を、ささ(酒)は憂さにして仕舞うというは、情けないわけじゃありませんか。」

明らかに女性の発言のように思う。彼は、よく遊びに行く花柳界で生きてきた年輩女性の生きざまの言葉に共感したのではないか。どこにも言葉は落ちているということだろう。問題は聴く姿勢があるかどうかということ。

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