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2018年2月15日 (木)

神戸市の衰退現象を考える

かつて神戸市に住んでいる時は、日常的に刺激を与えられる街であった。各地で、季節を問わず、いろんな催しがあったので、お金を掛けずに、過ごすことができた。また海と山が近いので、一日で両方を楽しむことも可能だった。

住むのに問題というのは、物価が高かったことだ。大体、住居費が高くつく。イメージ戦略を功を奏したのか東京並みに高い。その他の物価も、結構高い。観光を対象としたビジネスとしては、いいのだろうが、生活者には若干辛い面もある。

もちろん、そのような店ばかりではない。できるだけ安く提供してくれる店を探したものだ。それでも、総合的に、住めば、各地に住まいした経験からすれば、当時は魅力的な街であったかもしれない。

ところが、いざ神戸を離れてしまうと、今は、それほど魅力を感じなくなった。強く惹きつける観光資源は意外とない。外国人観光客にも不人気と言う。なんとなくわかる感じがする。最早、日本のどこにもある、ありふれた街になってしまっている。

理由を考えると、ある時点から「コンパクトシティ」を目指したからだろう。一所に何でも一応揃っているのは確かに便利だが、魅力という点では劣る。そして、そこに高齢者が集まりすぎることが街の活力を奪っていく。

つまり刺激的な街づくりや人の集まりが薄れているのだ。それがかつての神戸の魅力を劣化させている。ただ、これは神戸だけに限らず、各地の高齢社会が招いているとも言える。整然とした街づくりが、いつもいいとは限らない。街を活性化させる再戦略の構築が必要だろう。

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