« 生活中心主義への移行 | トップページ | 対中英国外交の強かさ »

2018年2月 2日 (金)

映画『街の灯』を観る

チャップリンの映画『街の灯』を観た。1931年制作の無声映画。題名は有名だから知っていたが、じっくり観たのは初めて。ドタバタ喜劇の中に哀愁を取り入れた映画。放浪者のチャーリーが祖母と花売りで生計を立てている盲目の貧しい娘に恋をする話。

チャーリーは彼女のために働き貯蓄することに。何をどう勘違いしたか、娘は彼を大紳士と勘違い。彼は以前、金持ちの紳士の自殺を思いとどまらせ助けていた。紳士は、いろいろ便宜を図ってくれ、彼の話を聞き大金を提供してくれるが、強盗に襲われ、紳士は記憶を失う。

警察に連絡するが、チャーリーは、持っているはずのない大金を持っていたため、疑われ犯罪者にされてしまう。彼はどうにか逃げて、彼女に大金を届け、これで借金を穴埋めし、目の手術をしなさいと言って静かに去る。

帰る途中で、警察官に逮捕され、投獄される。やがて解放されるが、みすぼらしい姿で街を歩いていると、娘は花屋をオープンさせていた。何気なく見ると、あの娘だった。彼女は目が見えるようになっていた。

だが、彼女は彼とは認識しない。哀しく去ろうとしてると、花と小銭を恵もうとする彼女。その時、ふと彼の手に触れる。その瞬間、助けてくれた彼だと知る。この映画は、日本的に言えば、「情けは人の為ならず」ということになろう。若い人は、本当の意味を誤解している人も多いようだが、この映画で再認識ほしい。

|

« 生活中心主義への移行 | トップページ | 対中英国外交の強かさ »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/99784/66348185

この記事へのトラックバック一覧です: 映画『街の灯』を観る:

« 生活中心主義への移行 | トップページ | 対中英国外交の強かさ »