2018年の姫路城薪能で『大会(だいえ)』
今年の姫路城お城まつりでの薪能では、能『羽衣』、狂言『因幡堂』、能『大会(だいえ)』が演じられる。日時は平成30年5月11日午後6時始となっている。場所は、姫路城三の丸広場特設会場。今回は、能の『大会(だいえ)』を取り上げてみる。覚えとして、あらすじを記す。
舞台は比叡山。ここの山洞の庵で読経している僧のもとに一人の山伏が現れる。そして、言うには、以前、命を助けられた者だと礼を述べる。いわゆる、報恩の話だ。
僧に、身に覚えのないことであったが、実は、かつて京童たちにいじめられていた鳶(とび)を助けたことがあった。鳶は天狗の仮の姿というが、その天狗が今度は山伏の姿でやってきたのである。
山伏は、「お礼をしたいので、何でも望みがあれば、言ってください」と言う。僧は、「今更、この世で、望みなどないが、ただ一つ、釈迦が霊鷲山で法華経を説法しているところを拝みたい」という。
山伏は、「それは、容易いことで叶えることはできる。ただ、それを見ても、信心を起こして、絶対に尊いとか、手を合わせてはならない」と約束させて、木の葉を舞い上げて去っていく。
僧は、それを信じて、杉の木立に立ち寄り、目を瞑り、待っていると、声が聞こえてきたので、目を開けると、そこには大天狗が扮する釈迦如来が大勢の弟子に囲まれて説法していた。夢か現か幻か。
ところが、僧は、余りの尊さに、先ほどの約束をすっかり忘れて、手を合わせて、信心を起こしてしまい、感激の涙を流しながら、一心に祈る。まあ、ありうる話。信心が強いと、そうなるのは止むを得ない。
そうすると、突然、天地が響きだす。天狗は大慌て。実は、この大会は天狗の幻術だった。僧が拝んだため、天から帝釈天が現れ、ばれてしまったのだ。信心深い僧を幻惑したとして、大天狗を責め立てる。娑婆で言えば、一種の営業妨害に腹を立てたと見ることもできる(笑)。
天狗の通力も破れ、元の姿に戻った天狗は、「信心深き者を幻惑するとは、なんという不届き者」と、帝釈天にさんざん懲らしめられ、幻術を解き、これに対して、天狗はひれ伏し、謝る。天界に帝釈天は帰っていき、天狗は命からがら、ほうほうの体で岩窟に逃げ帰る。
これは何を物語っているのだろうか。助けてもらったお礼をするのもいいが、方法を誤るといけないよと諭しているのか。あるいは、他の専門分野を勝手に侵してはならないということだろうか。
*追記
実際に、この能は観たことがないので、姫路城薪能に行ってみようと思う。どんな感じだろう。
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