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2018年5月28日 (月)

ブログ一時休止のお知らせ

拙ブログを購読頂きありがとうございます。都合により、しばらくの間、休止します。

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2018年5月27日 (日)

姫路北方面のニュース 2018年6月

6月の姫路北方面のニュースをまとめて記す。主として、書写山方面、広嶺山方面、豊富町方面、夢前町方面の話題。随時更新。

●姫路科学館では、6月15日より、特別展して、「夏のむし・ムシ大集合5」展を催す。生き物から学ぶ最先端技術を紹介する。7月8日まで。

●書写の里・美術工芸館では、6月9日(土)より、「清水公照 すみ・いろ・つち」展を催す。8月26日(日)まで。

●書写の里・美術工芸館では、常設展示として、6月9日より、「清水公照コレクション」展が始まる。7月10日まで。

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姫路・手柄山関連施設情報 2018年6月

姫路・手柄山関連施設情報 2018年6月版を記す。随時更新。

●手柄山温室植物園では6月30日より、「ベゴニア展」が開かれる。約50種200点を展示。7月8日まで。

●手柄山温室植物園では、6月16日(土)より「古典植物と山野草展」が始まる。50種150点の展示。6月24日(日)まで。

●姫路市文化センター大ホールでは、6月3日14時30分より、「宮川彬良&アンサンブル・ベガ」による「ぜったい心に効く音楽浴!」が開かれる。公演時間は70分。3歳から入場OK。全席指定でS席一般は2000円、高校生以下1000円、A席は一般1000円、高校生以下500円。

●手柄山温室植物園では、6月2日(土)より「洋ラン原種展」が始まる。約50種150点以上を展示。6月10日(日)まで。

●姫路市平和資料館では、「写真が語る戦前から戦後の姫路」展が催されている。高橋秀吉コレクションにみる戦争の記録だ。7月8日まで。

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姫路城関連ニュース 2018年6月

姫路城関連ニュース 2018年6月版を記す。随時更新。

●姫路市は、姫路城への「ドローン」飛行規制強化をする方向へ。「姫路城管理条例」を改正し、現在、罰金が8000円以下なのを、10万円以下に、増額する。2019年1月施行を目指す。

●6月30日、播磨国総社で、恒例の「水無月大祓式」が行われる。

●姫路文学館では、6月23日より、『絵本作家 いわむらかずおの世界』展が開かれる。姫路との関わりは不明。9月2日まで。

●6月22日より24日まで、恒例の「姫路ゆかたまつり」が催される。

●好古園では、6月17日より園内、潮音斎・活水軒ロビーで、「夏の剪画展」が開かれる。7月6日まで。

●姫路文学館では、6月10日(日)、14時より14時30分まで、望景亭の和室で、カード式手回しオルゴールのコンサートがある。入場無料。

●姫路市立美術館では、「連作の小宇宙展」が開かれている。6月24日まで

●姫路文学館では、特別展として『怪談 皿屋敷のナゾ』展が開かれている。姫路名物のお菊さんの物語を主体に多くのナゾに迫る。展示場所は北館で、6月10日(日)まで。

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2018年5月26日 (土)

落語版「播州皿屋敷」紙芝居原画展を観覧

姫路文学館の南館特設会場で開かれている落語版「播州皿屋敷」を観覧してきた。浄瑠璃の播州皿屋敷の話をベースに、紙芝居で、コミカルに描いたもの。それが紙芝居原画展「中西らつ子 らくご紙芝居≪皿屋敷≫」というもの。

18枚のパネルで構成され、長屋で、お菊さんのことを知らない住人たちが、大家さんに話を聞く。そして、井戸のあった屋敷に、興味津々だが、恐る恐る行く。お菊さんが皿を数えるのを最後まで聞くと不幸になると聞いていたので、7枚当たりで逃げる。

その後の話は伏せておこう。ある新聞には、オチまで紹介されていたが、それは野暮というもの。会場で確認してほしい。話も面白いが、なんといっても、中西らつ子さんの絵がかわいい。

観覧無料。2018年6月10日まで。

*追記

姫路文学館の展示もいいが、姫路各地の学校、公民館も含めて、広く巡回展示してほしい。小さな子供たちも、すぐ理解できる内容だ。

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久しぶりに好古園に行く 2018

天気が良かったので、チャリでうろうろしていると、好古園の前を通ったので、ふと入ってみた。やはり外国人観光客が多い。いろんな植物にシャッターを切っていた。確かに、いろんな絵になりそうな場所はある。

今回は、多くの花は終わっているので、緑豊かな好古園。それなりに楽しめた。皆さんは、ゆっくりと楽しんでおられたが、少し歩くと、汗ばむ。喉が渇くが用意はしていなかったので、しばらくして、外に出た。

なお、園内では、昨日から「サツキ展」(5月27日まで)が催されていた。家のサツキは、咲く花もバラバラなのに比べて、満開の花たち。あのように咲かせるには、それなりの手入れが必要なのだろう。

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2018年5月25日 (金)

カジノは徒花か

政府与党が熱心なカジノ法案。でも、カジノは長期的には経済に寄与しない。最初は、建築物の整備で、建設屋が潤うだけ。カジノ自体は、経済の波及効果もなく、単にお金を消費するだけ。基本的に、バクチの世界で、胴元が儲かり、参加者は潤うことはない。

よって、カジノを誘致した地域は、雰囲気も悪くなり、劣化するのは目に見えている。それに世界的に見て、カジノは、既に十分存在しており、日本でカジノをするメリットも特にない。そもそもバクチは、基本的に消費であり、新しい価値を生み出さない。

大体、経済がうまく回っていれば、カジノの発想はしないものだ。それが大阪を中心として、誘致しようとするのは、それほど経済が悪いからだ。あるいは、為政者に、新しい発想に乏しいと断言できる。

確かに、日本のように、高度成熟社会では、新しいビジネスシステムを生むのは簡単ではない。でも、ネタは、もっと他にあるはず。大きいものを打ち出そうとするから無理が来る。

サービス化社会では、規模の大きいビジネスより、こまごまとしたビジネスをいかに集積して、組み合わせるかに知恵を絞る必要がある。カジノ誘致は、徒(あだ)花になる可能性が大きい。そして、その地域は更に衰退するだろう。

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2018年5月24日 (木)

ドクダミの花の季節 2018

ほとんどの花は終わってしまって、今は緑が次第に深くなる季節。そんな中、日陰中心に、ドクダミの花が全盛。青白い花を咲かせている。見ようによっては少し不気味。それに葉は独特の臭い。手で触ると臭いが移り、なかなか洗っても取れない。

それでも、このドクダミを愛する人は、せっせっと取って、ドクダミ茶にされるとか。そういう方に差し上げようか(笑)。一応、無農薬だし。でも、すべてを取り除けば、寂しくなる。ということで、放置を決定。

ところで、ドクダミと近辺の植物は、どういう関係にあるのだろうか。教えて欲しいものである。彼らが、肥料になるのだろうか。

*2018年5月26日追記

久しぶりに好古園に行くと、入り口付近で、なんと「ドクダミ」が販売されていた。ということは、一瞬、家の庭にあるドクダミが頭に浮かび、算盤をはじいていた(笑)。ドクダミも種類によっては、売り物になるんですね。

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2018年5月23日 (水)

綸言汗の如しだが、、、

以前にも取り上げた言葉として、「綸言(りんげん)汗の如し」を再度、取り上げる。というのは、政治家に限らず、日本各界のトップが、この言葉を、よく理解していないと最近、強く感じるからだ。否、もしかしたら、そもそも知識として、ご存じないのかもしれない。

この言葉は、かつては、読まれていた『礼記(らいき)』にあるもの。孔子が、言行一致を唱えた章で、この言葉がある。意味は、皇帝が、一旦発した言葉は、取り消したり、訂正できないということ。よって、組織のトップにいるものは、言葉を選んで慎重に発言しなければならない。

ところが、どこかの首相といい、どこかのマンモス大学の理事で元アメフトの監督といい、、軽々しい発言をして、自らを貶めている。トップに立つものは、ある意味、冷徹でなければならないが、前者は、権力を握っても、公私混同し、情に流され、自ら墓穴を掘る羽目に陥っている。

後者は、絶対的権力を持つことが、どういうリスクがあるか理解していない。その中での発言の影響力が分かっていない。そして、部下は、何も言えず、無抵抗。最早、善悪の区別もできない状況。ある意味、裸の王様が招いた危機。結局、組織全体を、ぶち壊してしまう。彼は去れば、それで済むだろうが、残された人たちは、大変だ。

最早、両者の行方は、混沌としていて、誰も分からない。結局、迷惑するのは、国民や関係者だ。調子に乗ると、どうしても言葉が軽くなる。そして、いずれ命取りになる。これからトップを目指そうとする人たちは心してほしい。

*追記

現在の政権と日大の統治の方法は非常に似ていて、都合の悪いことは隠蔽して、トップを守ろうとしている。これに一般の日本人は、嫌気がさしている。いずれの組織も解体するしかない。

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2018年5月22日 (火)

ペット規制と社会コスト

日本は、ペットの輸入に関して甘いようだ。また一般人が、ペットを飼うことに関しても規制は緩い。その結果、いろんな不都合なことが起こっている。一番多いのが、飼育放棄。買い始めた時は、可愛く思った動物が、異常に大きくなり、手に負えなくなり、屋外に放棄するものだ。

このことにより、捨てられた動物が、捨てられた環境に馴染み、従来、棲んでいる動物たちが食い荒らされたり、追いやられて棲み処を失っている。その結果、生態系が破壊されるに至っている。

いい加減、ペット規制をしないと、困ることになる。また、ペットではないが、天敵を輸入した結果、それらが繁殖して、現在では、困ったことになっている例も多い。海外からペット類を輸入するには、その後のことの慎重に考える必要がある。

そうしないと、社会コストが増えて、国民は彼らのために余計な負担をすることになる。何とか規制してほしいものである。

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2018年5月21日 (月)

策に溺れる北朝鮮

一般に、北朝鮮の外交は、ロシア仕込みで巧みだと言われる。確かに、日本を含めて、各国は、この国の外交政策で翻弄されてきた。ただ、それがため、信用は、どこの国もされていない。策士策に溺れる、の典型である。

今、米朝会談をやるにあたって、巧みに交渉していると言われる北朝鮮。今度は、中国の後ろ盾を得たとして、強気になっている。だが、このやり方は危ない。なぜなら、米中はテーブル下で、「握っている」からだ。

仮に最悪の事態になって、米国が北朝鮮を攻撃しても、中国は支援することはない。むしろ、それを口実に、中国軍を北朝鮮に派遣して、支配下に置こうとするだろう。そして、最終的には、米中による北朝鮮支配になるものと思われる。

それが果たして、北朝鮮の望むことなのだろうか。ここは静かにして、米国の意向を全て、くみ取り、それに従う方が賢明だろう。米国は、どの政権でも、基本的にビジネス優先主義。考え方によっては、他国と比べて、ある意味、分かりやすく、やりやすい国だ。

それに米国が北朝鮮を守るというのなら、守ってもらえばいい。すなわち、中国は嫌がるだろうが、米国の核の傘下に入ればいい。その先進的な例が日本だ。確かに、プライドは、幾分、傷つけられるだろうが、その後、交渉で、丁々発止とやればいい。

*追記

仮に北朝鮮が米国と同盟関係になれば、日本の役割は低下する。すなわち、米国が大陸に対して朝鮮半島で各地域を睥睨することになるからだ。一部に言われるような、米国から軍隊を撤収することはないだろう。むしろ強化される。そうなれば、日本の役割は二次的なものになる。そして日米安保も変質していく。

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2018年5月20日 (日)

姫路市が公式アプリを発信

姫路市は、来月2018年6月1日より、市政情報を網羅した市民向け公式アプリ「ひめじプラス」を配信する。スマートフォンから無料ダウンロードし、子育てや防災などの欲しい情報のカテゴリーを選べば、自動的に音や表示で最新情報を告知してくれる。

利用者は、生年月日や性別、小学校区を入力すると、自身の暮らす校区の情報やイベント案内が届く。市民に定期的に届けている広域情報誌の紙情報に加えて、このアプリが加われば、より詳しい身近な情報が得られることになる。

姫路市は、様々な市民生活に役立つ政策をしているが、これが徹底していないことを感じたのであろう。そして今はスマートフォン全盛。これに情報を載せることで、市民は効率的に欲しい情報が入手できる。また市民からも要望して、随時バージョンアップすることも求められる。

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2018年5月19日 (土)

動画「きがるにええとこ西播磨!」を視る

兵庫県西播磨県民局や地元7市町でつくる「西播磨ツーリズム振興協議会」が、地元の魅力を発信する動画「きがるにええとこ西播磨!」の配信を「YouTube」で始めたという報道があったので、視てみた。

「おもてなし編」と「ふれあい編」があり、ミス・ユニバース兵庫代表の2名が出演しているようだ。ただ、網羅的なので、各地域の特徴はぼやける感じ。これでは、観光客は、地域の魅力は理解できない。またミス・ユニバース兵庫代表を使ったののも、ケバく、変な感じだ。

観光客誘致を目的とした試みは分かるが、総花的な発信では限界がある。むしろ各地域の深掘りして、オリジナル性や個性を発信する方が効果的と思える。またタレントも庶民的な人を活用する方がいいだろう。

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2018年5月18日 (金)

平群氏女郎の強い想い その二

引き続き、平群氏女郎の歌を見ていく。

草枕 旅去にし君が 帰り来む

 

 月日を知らむ すべの知らなく

「旅に行ってしまわれた、あなたは、いつ帰ってこられるのだろうか。それを知るすべもないのは無念です」

前の歌と、内容は似ているが、やや軽い表現かも。

かくのみや 我が恋ひ居らむ ぬばたまの

 

 夜の紐だに 解き放けずして

「このように私だけが、恋い焦がれている。夜に紐を解くこともできず、もやもやして眠ることもできない」

確かに、恋人を思っていると眠ることも、ままならない。関係の深さを感じさせる。

里近く 君が業りなば 恋ひめやと

 

 もとな思ひし 我れぞ悔しき

「君が近くにいれば、そんなに恋い慕うこともないと思っていたのに、そんなことを思っていた私は、今は悔しく思う」

空間的距離より時間的距離を感じている歌のようだ。心の距離とも言える。

 

万代に 心は解けて 我が背子が

 

 捻(つ)みし手見つつ 忍びかねつも

「いついつまでもと、お互い、心が通じ合って、あなたが、私の手を弄ばれた、その手を今、まじまじと見て、恋しさが募るばかりです」

世界は二人のために、という歌があったが、そういう時を経て、思い出し、にんまりしている様子(笑)。

うぐいすの 鳴くくら谷に うちはめて

 

 焼けは死ぬとも 君をし待たむ

「鶯の鳴く峡谷に身を嵌めて、焼け死ぬようなことがあっても、あなたをお慕いします」

ああ、怖ろし。

松の花 花数にしも 我が背子が 

 

 思へらなくに もとな咲きつつ

「あなたは、待つ身の私のことなど、ほとんど意識にないのを分かっていても、意味もなく、ただただ待っている」

現代で言えば、主婦の気持ちかな。相手の反応がないことに怒っているのかも。

大物家持の愛人とか恋人と言われた平群氏女郎の情熱的な歌の数々。女の情念は、すさまじい。でも、女心は、今も昔も分かりにくい。どこまで、本心を歌に詠ったのか。

万葉の時代の歌は、素朴で素直な感情を表したと捉えるのが一般的だが、やや作為的と感じるのは私だけか。歌に戯れと言うか、遊びがあるような気がするのだが。

 

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2018年5月17日 (木)

平群氏女郎の強い想い その一

女性に慕われることは、男にとって、ある意味、嬉しいことだが、怖い面もある。それでは、万葉の時代は、どうであったのか。『万葉集』に大伴家持に十二首も歌を贈った平群氏女郎(へぐりのうじのいらつめ)の場合を見てみようと思う。

ちなみに、この十二首はも一度に贈ったものではなく、時々に数首贈ったようだ。よって、それぞれの状況は不明。ただ、それを合わせて見ると、女の強い情念を感じさせる。それでは、その歌を2回に分けて、みてみよう。

君により 我が名はすでに 竜田山

 

 絶ちたる恋の 繁きころかも

「あなたのお蔭で、私の浮名は、すでに立ってしまったことよ。一旦、途絶えてしまった恋が、心騒がせる今日この頃です」

こういうことは今でも、あるだろう。両者の間では、既に終わっているのに、噂になる。それで思い出して、もう一度、想いが募る。まあ、個人差はあるだろうけれど。

須磨人の 海辺常去らず 焼く塩の 

 

 辛き恋をも 我はするかも

「須磨の海人が、ずっと居て、塩を焼くように、(あの人への想いから)なかなか抜け出せず、辛い恋を私はしています」

これは片思いの歌かな。思う人に想われず。思わぬ人に想われる。よくあることです。世の中も、恋の世界も同じ。

ありさりて 後も逢はむと 思へこそ

 

 露の命も 継ぎつつ渡れ

「変わらぬ心を持ち続けて、いつか、きっと、逢おうと思うからこそ、儚き露のような命を何とか、持ちこたえて、ようよう、日を過ごしています」

ここら辺になってくると、男からすれば、ちょっと重い。確かに、思ってくれるのはいいが、ほどほどにして、という感じ。男には逆効果かも。

なかなかに 死なば安けむ 君が目を

 

 見ず久ならば すべなかるべし

「この想いが伝わらないのなら、いっそのこと死んでしまったら、もっと気楽なのに。あなたと久しくお会いできないなら、もう、なす術はないてしょう」

想いはそれほど深いのだが、重いなあ。

隠り沼の 下ゆ恋ひあまり 白波の

 

 いちしろく出でぬ 人の知るべく

「心の底を深く隠していた恋心が露わになって、はっきりと顔に出てしまった。そのため、多くの人に覚られてしまったことよ」

この手の歌は、後世にも、多く詠われている。人の気持ちは、今も昔も変わらない。

草枕 旅にしばしば かくのみや

 

 君を遣りつつ 我が恋ひ居らむ

「君を、度々、旅に行かせてしまって、私は、ただ一人、あなた様を恋い慕う日々になってしまうのでしょうか」

一緒に居れば、何もない感情が、離れると、気持ちが揺れる心。男は、そういう気持ちは恋愛初期を除いて、薄いのだが、女性は、関係が強まれば増すかも。

次回に続く

*追記

解釈は、私の独断です。念のため。

 

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2018年5月15日 (火)

麻生氏は辞めたがっているのか

麻生太郎氏は、お坊ちゃま政治家の一人だが、そのキャラクターは面白い。それは失言が多いからだが、今は、ご愛嬌の範囲を超えているように感じる。実際は、どうかしらないが、映像から出てくるイメージは、すぐにでも辞めたいという感じを受ける。

というのは、失言も、わざとしているように思うからだ。それで、むしろ野党から攻撃を受けることを歓迎している雰囲気。それは安倍首相に辞めたいと言っても、強く遺留され続けてきたことに反発しているとも取れる。

いい加減、政府も、彼を解放してはどうか。高齢の政治家いじめにもつながりかねない。安倍首相の、ある意味、パワハラと受け取られても仕方ない。いつまでも、彼を政権維持のために使うべきではないと思う。

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日大アメフトの終焉

日本大学のアメリカンフットボールチームは、自ら終わりを告げたようだ。指導者の誤った指導理念「勝つためには、ルール違反をしてもいい」という考え、そして、それに従った選手たち。一体、スポーツとは何なのか、改めて考えさせられる。

伝統ある、このチームは、東の雄、日大と言われ、西の雄、関学と鎬(しのぎ)を削ってきた。それが勝てないから、何をやってもいいと指導した監督。スポーツ精神は、どこに行ったのか。続く内外の後輩たちへの配慮はなかったのか。

一定のルールの下で、勝つための技術、戦法、戦略を本来、競うのがスポーツだろう。日大は、残念ながら、最早、アメフトの世界では生きていけないだろう。放置すれば、大学に対するイメージダウンにもなりかねない(*注)。

日大は、「泣いてアメフトを斬る」ということを決断せざるをえないだろう。それほど、大学の実情は厳しい。そして、今回の事件は、アマチュアスポーツ界の(本来の考え方を教える教育的指導を無視した)無目的な「勝つだけ」のスポーツに警鐘となるだろう。

*注

かつて、関西て学生たちから、「ポンキンカン」と揶揄されたマンモス・アホ大学。ポンキンカンとは、日本大学、近畿大学、関西大学のこと。その後、雨後の筍のように設立された超三流大学の出現で、これらの大学のアホさ加減も霞んでしまったが。

今回、日本大学が、このような事件を起こしたことは、やっぱりアホ大学という感。企業は、このような大学卒を採用することは躊躇するだろうし、日本大学出身の社長の企業とは取引が慎重になるだろう。日本大学は、イメージ劣化に、強い危機感を持つべきだ。

*2018年5月17日追記

あの日大の監督は、日本大学の理事であるそうだ。そして、教育担当。全く笑わせる。彼は、悪質タックルをした選手に責任転嫁して、雲隠れ。これは、この大学の体質なのだろう。こんな大学に、果たして、受験しようと思うだろうか。内外の見る目が厳しくなり、日本大学そのものが危ういかもしれない。

*2018年5月19日追記

日大の監督は、やっと監督を辞めると表明したようだが、理事については口を濁している。彼が、今の地位に留まる限り、今までと何も変わらない。それが分かっていないようだ。

*2018年5月20日追記

関学に謝罪に言った日大の前監督は、その後の囲み取材での会話を見ると、全く反省していない。本人に、何をやったか、自覚がないのであろう。どうしようもない。本当に、アホを超えて馬鹿だ。

*2018年5月24日追記

例の日大前監督が、心労」で入院したとか。都合が悪くなると入院するのは、政治家と同じ。反則プレーをした選手が理路整然と記者会見したのと大きな違いだ。人間的にレベルの低い人が、理事や監督になってはいけないという証左だ。これは日大にとっても、アマチュアスポーツ界にとっても不幸。

*2018年5月27日追記

日大の学生によると、日大は、かつてから、相手チームの選手を怪我させるルール違反を奨励する雰囲気があったようだ。それは分かりにくいルール違反。SNSが普及していなかった時代は、もっと惨かったのかもしれない。

*2018年6月20日追記

日本大学は未だアメフト部を廃部していない。むしろ、新しい監督を募集している。大きな判断ミスだ。最早、日大にアメフト部は不要であろう。問題を起こせば廃部にするという方針が求められる。これは他の学校のスポーツ関係部も同様の措置が求められる。

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2018年5月14日 (月)

ミカンの花の開花とジャコウアゲハ 2018

少し体調がよくなったので、庭を見ると、赤いシャクヤクの花が咲いていた。白いシャクヤクは、まだ蕾で、植えて日が浅いので小さい。もう少ししたら咲くかもしれない。先日、一輪だけ咲いていたバラの花は、雨にやられて散っていた。でも、これからバラの季節。結構、にぎやかになる。

さて、今年も、ミカンの花が咲く時期になった。昨年は、強風と雨に蹴散らされ、結局、実も十分にはできなかったし、味もよくなかった。今年の冬は、どうなるだろうか。そんなことには関係なく、ジャコウアゲハが先日から天気のいい日は毎日、飛来する。

今回は、一回り大きい奴で、あちらこちらを悠々と飛んでいた。始め、何かの鳥かと思ったが、飛んできたのはジャコウアゲハだった。木に留まるでもなく、うろうろしている感じ。何を探しているのだろう。そして、あの雰囲気が、私にも欲しい(笑)。

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2018年5月13日 (日)

風邪、快方に向かう 2018春

春風邪をひいて、回復が長引いている。こんなのは久しぶり。10年ぶりかな。楽しみしていた第69回姫路城お城まつりのパレートも見られず、がっくり。また姫路市出身の演歌歌手丘みどりさんの大手前公園でのコンサートも聞くことができなかったのも悔しい(お城まつりは今日までだが、本日は若者向け。関心のある催しがないし、まだまだ行ける体調ではない)。

今年は天候もよく、いい祭り日和だったようだ。せいぜい、新聞とか、後日、放送されるであろうテレビ録画中継でも、視るとしますか。まあ、風邪も快方に向かっており一安心。一時は、どうなるかと思ったくらい。皆さまも、今の時期の風邪には、気を付けてください。

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2018年5月10日 (木)

春風邪でダウン

先週から喉の調子が悪かったのだが、ついにダウン。インフルエンザにも、かからなかったに、春になって、少し油断したのかな。しばらく、ブログは、休憩。それにしても、今日は、少し寒い。布団被って寝るとしよう。

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2018年5月 8日 (火)

歌盗人のこと

 春雨の 降るは涙か 桜花

  散るを惜しまぬ 人しなければ

『古今集』にある、一説に大伴黒主の作と言われている一首。一応の解釈は、そのままに、「春雨が降るのは、涙なのだろうか。桜花が散るのを惜しいと思わない人は誰もいない」という意。

でも、何か事情がありそうな歌だ。例えば、人との別れ、別離の後の春雨を、桜が散ることと重ねているように思う。

さて、表題の「歌盗人」のことを取り上げてみよう。歌盗人と言われた大伴黒主のことを踏まえた話だ。昔、京都に住んでいた若い男が、両親を失い、欝々と暮らしていたが、周囲が、これでは駄目だと思い、世話をしてよき嫁を娶らせる。

これで落ち着いたと思いきや、その男は、むしろ、嫁を、いい留守番ができたと思い、出歩いて、商売もせず、二日も三日も家に帰らない。そういうことで、皆にあきれられて、見捨てられる。

そうこうするうちに、御室の花が盛りの頃、その男は、険しい道を、衣服が濡れるのも恐れず、ずんずんと行く。行き続けると、やがて、ぴかぴか光った銅金の家が見つかる。どうも官人達が居合わせるところらしい。

うろうろしていると、そこに老女が現れ、その男に、いろいろ世話をし、貴人たちが現れ、「そこに居るのは何者ぞ」と問われたら、「我は散る花を惜しんで、このように控えています」と応えるように教える。そうすると、しばらくして、そのように問われるので、老婆に教えられた通り、応えていると、「感心なことだ」と言われる。

ところが、その後ろからは女たちの笑い声が聞こえる。更に、また問われるので、同じように返答していると、「それでは、一首頼もう」と言われて、男は困惑。くずぐずしていると、「歌の詠めない者が闖入したようだ」と騒ぎたてる。

止む無く、謡曲『熊野(ゆや)』の中に、「春雨の 降るは涙か」の歌があったのを思い出し、それを詠むと、「なんということ、そなたは歌盗人。さっさと追い出せ」と言われ、男たちに打たれそうになった。

男は逃げ惑いながらも、ようやく追ってから逃げ去る。それを見て、後ろからは、どっという笑い声。そして、ようやく男が帯などを直そうとすると、銀貨が三枚が零れ落ちそうになる。さては狐に騙されたかと思い、いろいろ確認するが、ついには本物であった。

男が、たまたま思い出した和歌が、大伴黒主のものであったところから、貴人が身分の低い男をからかった。でも、代わりに、褒美を銀貨三枚取らせたという話。まだまだ、この時代は、官人にも余裕があったのかな。

*追記

出典 『折々草』

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2018年5月 6日 (日)

まずい接客

時々行く店がある。一応、割と何でも揃っている。店員は、若い人もいれば、年輩の人もいる。そこでの年輩の人の接客には、いつも閉口する。というのは、こちらが求めているものを指定しているのに、ああだこうだと、別の商品を薦めるからだ。

指定の商品は、棚にちゃんとあるから、それを売ればいいのに、「あれより、これの方がいい」とか「これの方がお客様には向いている」とか。とにかく、お節介。顧客が迷っている時は、彼女の言うことも頼りになるかもしれないが、当方は欲しいものは、決まっている。

それなのに、こちらの言うことは聞かず、あるいは聞き流し、ぐだぐだと話しを続ける。辛抱たまらず、もう、それはいいから、こちらの指定したものを売ってくれと強く言って、やっと彼女の話から解放される。

店には、店の都合で売りたいものがあるのかもしれない。しかし、それは時として、客には迷惑千万。営業でも、弁の立つ営業マンは、相手の要望を聞かず、滔々と話をして、余り成果が上がらない人も見かける。彼らは自分の話ぶりに酔ってしまうのだ。

ビジネスの原則は、まず顧客の言うことを聞くこと。彼女にも、それを伝えたいが、どうも聞く耳をお持ちのようでない。今後も、この店を利用すべきか、迷っている。

*2018年5月9日追記

女優の石田ゆり子さんが、自らの経験に基づき、暑苦しい接客を批難するコメントをしたことろ、それに対して批判する意見が出ているそうだ。止む無く、彼女はコメントを削除したらしいが、彼女の何が悪いのか。

女優も消費者。その視点で、ものを言ってもいいはず。何も販売員の立場で考えることもない。彼女を批判する神経が、むしろ怪しい。

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2018年5月 5日 (土)

京都人との付き合い方

現在、ドラマで、京都を扱ったものがある。それは横山由依さん主演の『はんなりギロリの頼子さん』。ドラマに描かれているように、京都人と付き合うのは、なかなか骨が折れる。それは言葉に裏と表があるからだ。

それは京都人ではなかったが、祖母や母の「京都人的思考」に振り回された経験から言える。本音を隠して、建前を前面に出す。それを、そのまま受け取ると、反発を招く。ただ、内側に入ってしまうと、意外と楽なのも事実。そして、京都人は案外、義理堅い。

それは贈り物への返しにも言える。普通、物をもらえば、その返しをするが、祖母や母は、値踏みをして、それに、いくらか乗せる程度の物を返していた。少なくすることもないし、多過ぎることもない。そのバランスが絶妙だった。

それも、すぐには返さない。すぐにお返しするのは失礼で、機会を慎重に見定めて返す。相手が遠慮なく受け取れる配慮だ。直接返すこともあるが、間接的に相手に分からないように返す場合もある。返す手立ても様々だ。

現役時代、次のようなことがあった。仕事で、京都の業者さんにプレゼンテーションをしたのだが、生憎、条件が折り合わず、ビジネスは成立しなかった。それで仕事は流れた。

ところが、しばらくして、全く知らない業者から私指名で仕事の依頼があった。全く存じ上げない業者で、不思議なことがあるものだと、警戒しながら取引したが、調べてみると、会社自身には問題なかった。

ビジネスは成立し、それなりの成果を得られた。なぜ、私を指名したのか、担当者に聞いても、曖昧な返事だった。それから数年して、どうも、あの京都の業者さんが紹介したものらしき足跡を得たが、確証はない。

その他にも、ある京都の別の業者さんに売り込みに行ったが、残念ながら、商談は不成立だった。ただ、話の中で、ある仕事で、少し困っていることがありそうなので、気軽に知りあいを紹介した。そうすると、後日、しばらくして、上記と似たような話があり、ビジネスが成立した。

このように見ていくと、今のことは知らないが、京都人は義理堅く、ギブアンドテークを重んじると思う。テークしたものは、少し多くギブするのも、祖母と母の行動様式と似ているかもしれない。あるいは縁を大切にするのだろうか(*注)。

京都人は、とっつきにくく、外部の人間は付き合いは難しいと言われる。ただ、付き合うと、それなりにメリットもある。それには、彼らが、まず求めているもののギブが必要かもしれない。期待せず、待てば、いいことがあるかもしれない(笑)。

*注

あくまでも、私個人の見解です。その他にも、いろいろあるのだが、差し障りがあってはいけないので、記すのは止めておく。私自身は、そんなに悪い思いをしたことはない。拙ブログでは、若干、皮肉を込めて、京都の悪口を記してきたが、久しぶりに、褒めておく(笑)。

*追記

もちろん、大阪の業者が、京都人に、いけずして、三倍返しされた話も聞いたことがある(大袈裟に言っていると思うが。笑)。付き合い方を間違えば、大変なことになるようです。

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2018年5月 4日 (金)

人形浄瑠璃『播州皿屋敷』案内

姫路文学館の『怪談皿屋敷のナゾ』に行った時のことを記した時、記し忘れた催しの案内をしておく。2018年5月6日10時30分より、姫路・十二所神社で、人形浄瑠璃『播州皿屋敷』が催される。十二所神社内には「お菊神社」があり、市内の人形劇グループが上演する。観覧無料。

毎年、行きそびれている催しだ。内容は確認していないが、一般に浄瑠璃で演じられると、一般に流布している「播州皿屋敷」の内容(拙ブログても紹介している)と異なるかも。確認するため、今年こそ、行きたい。

*2018年5月6日追記

ついに、十二所神社内での人形浄瑠璃『播州皿屋敷』を観覧してきた。割と多くの人が集まっていた。公演は30分程度。

内容は、やはり浄瑠璃のあらすじ通りで、演じられたのは、その一部。家老青山鉄山が細川家の若殿・巴之助の毒殺策しているのを、お菊が立ち聞きし、それを知った鉄山は、家宝の皿の一枚を隠し、その罪を、お菊に負わせ、責め殺して、井戸に投じる。お菊の怨霊は鉄山を攻撃、悶絶する鉄山を描いている。

面白かったが、子どもさんは退屈そうだった。昔の言葉は分からず、理解できないのだろう。子どもにも理解できるような、現代版時代劇風に改める工夫も求められるかもしれない。そうしないと、後世に、この物語や浄瑠璃が伝えられないような気がする。

また、公演内容を記したパンフレットもなく、ちょっと残念。これでは、外国人も呼べない。印刷代がかかるのであれば、ワープロで印刷したものでもいい。それなら大きな負担には、ならないはず。検討してほしいものだ。

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「姫路城便覧」を見る

姫路城の混雑状況を伝えるホームページとして、「姫路城大入状況」があったが、このほどリニューアルして「姫路城便覧」に改称した。それを見てみた。なるほど、以前より、すっきりした感じ。

また今回は、外国人の問い合わせに対応したようだ。今流行の人口知能(AI)を利用し、自動応答する「チャットボット」を取り入れた。また同サイトで、姫路城周辺の好古園や書寫山といった観光名所の口コミ情報を載せる。

「姫路城便覧」効果で、姫路をより深く理解してくれる外国人観光客が増えればいいと思う。そして、それにつられて、日本人の旅行者へのアピールも有効になるだろう。

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2018年5月 3日 (木)

ジャコウアゲハ登場 2018

ミカン類の蕾が大きく膨らんでいる。それを察したかのように、先日、ジャコウアゲハのオスが現れたのに続き、本日も、オスも現れた。先日のは、やや小さく、本日のは大きめ。いずれも堂々とした飛び方だ。彼らの、悠々とした飛び方は、少し気持ちを、おおらかにしてくれる。メスの登場は、しばらく待たなければならないかもしれない。

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「姫路みなとミュージアム」に行く

先日、中途半端に時間が余ったので、少し気になっていた「姫路みなとミュージアム」に行ってきた。JR姫路駅北側にある神姫バス1番乗り場から20分ほど。姫路港にある姫路ポートセンターの2階にある施設だ。一応、海・みなと・銀の馬車道をテーマとしたミュージアムとなっている。入館無料。

ただ、海と港はともかく、銀の馬車道は、テーマがぼやける感じ。もっと海を中心に手掛けた方がいい。施設も、やや古く、手直しが必要だろう。見せ方が、素人ぽいのも気にかかる。こういう点は、神戸の方が手慣れている感じだ。

私はともかく、観覧している多くの人は、時間つぶしのためのフェリー待ちの利用者のように思った。でも、「姫路みなとミュージアム」だけでも、観光客を集客できる仕組みも求められる。それには、海が眺められる休憩施設の充実も必要だ。周辺マップも必要だろう。

神戸のような規模にできなくても、工夫しだいだ。例えば、周辺マップのパンフレット配布・充実もありだろう。今後の充実に期待したい。

*追記

ご存じない方のために記せば、ポートセンターから、高速いえしまで、家島の宮港、真浦港へ、坊勢汽船で坊勢島(ぼうぜしま)・男鹿島(たんがしま)への船が出ているほか、小豆島フェリーで小豆島の福田港に行ける。

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2018年5月 2日 (水)

耐えること

世の中、冷や飯を食うことを嫌がり、常に勝ち馬に乗ることを目指す人々がいる。そのためには、自分の主張を曲げ、大勢に屈することも辞さない。別の言葉では、日和見主義とか風見鶏とも言う。

こうした生き方が悪いとは言わないが、自分の信念を貫くというのも、一つの生き方である。いつも日向に当たり、冷や飯を食わない人物は、どうしても人間が涵養されず、底の浅い人間になりがちだ。

そうかと言って、ずっと冷や飯を食い続けるのも苦しい。どこまで耐えられるか。多くの人は、皆、試される。長く耐えられた人は、多くの困難に直面しても、なんとかやっていける。少ししか耐えられない人は、ちょっとした困難で音を上げる。

昔は、若い時は辛抱が肝心とよく言われたものだが、最近は、「辛抱」という言葉が流行らないようだ。もちろん、耐えるだけでは駄目で、「こんちくしょー、こんちくしょー」という思いが、自身を強くすることを若い人は認識してほしい。

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2018年5月 1日 (火)

盗撮と監視社会

最近、よく報道される事件として、盗撮がある。携帯電話の普及で、その機能としてカメラ機能があり、持ち運びが簡単なことから、犯罪に手を染める人々がいる。犯罪者の心理はよく分からないが、そういう趣味の人がいるのだろう。あるいは魔がさすのであろうか。

男には、ありがちだが、性的欲求不満がたまった結果かもしれない。つまり、それをコントロールできない人がいるということだろう。非常に困ったことだ。まっとうな欲求のはけ口を見つけて欲しいものである。こんな事件で人生を台無しにするなんて、全く馬鹿らしい。

ところで、社会も、堂々と盗撮している。それは「監視カメラ」だ。最近は、あらゆるところに設置してある。当然、当人は知らぬ間に撮影されているわけで、知らず知らず監視されている。

別に事件を起こさなければいいではないかという向きもあるが、あまりうれしいことではない。犯罪抑止力や事件の捜査に役立つというが、それは当局の立場からの判断。また、タクシー内のドライブレコーダーはともかく、監視カメラの存在も気になる。

これらは、監視というが、立場が違えば、「盗撮」されている感じになる。物の進化が、我々の生活を逆に脅かしているとも言える。よって、これらとの付き合い方を間違うと、厄介なことになる。盗撮はやってはならないが、監視のない社会が望ましいのは言うまでもない。

では、監視をなくするには、どうすればいいのか。社会全体で考える必要があるのではないか。

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