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2018年6月30日 (土)

赤染衛門と大江国衡 その一

やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて

 かたぶくまでの 月を見しかな

   (百人一首 59番 赤染衛門)

この歌は、赤染衛門の姉妹(どちらか不明)に通う中関白藤原道隆が訪ねると言って、約束を違えたので、彼女が代詠したもの。「(おいでにならないことを知っていたら)ためらわずに、寝てしまったでしょうに。ついに月が西の山に傾くまで月を見てしまいましたよ」という感じ。

赤染衛門(あかぞめえもん。推定956年~1041年)は、平安中期の女流歌人。その出生は少し複雑で、母親の前夫の平兼盛と婚姻中に、身籠ったとされ、再嫁した赤染時用(ときもち)の赤染家で出産されたと言われる。こういうのは現代でもある。まあ、それはともかく、親権は、裁判で、赤染家になっている。

その彼女が、大江匡衡と結婚する。その大江匡衡(まさひら。952~1012)も歌人だが、本職は儒者。大江重光の子。大江家は、菅原道真の失脚後、儒家の中心的存在になった。そういう環境で育った。いわゆる学者一門の一人。

当時隆盛の藤原家と交流があり、願い文や奏上分などを代作している。文章博士・東学学士・式部大輔。学者としては一流であった。それゆえ道長の信望も厚かった。そういうところから、年号の勧進などもしている。また、単なる頭でっかちの学者ではなく、晩年、尾張に三度、叙せられたが、守地方官としても有能で善政をしたと言われる。

一般に、この二人はおしどり夫婦と呼ばれている。ところが、結婚当初は、必ずしも、そうでもなかったらしい。

次回に続く。

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2018年6月29日 (金)

姫路の中学生が「よしこがもえた」を朗読

1945年6月22日と、7月3日、4日に、姫路市は、B29戦略爆撃機による空襲で市街地を焼き尽くされたことは以前にも記した。両親も逃げ惑って怖かったことを何回も語ってくれたことを思い出す。この空襲で、死者合計514名(341名と173名)、1万戸以上が全壊、全焼した。

今回、この空襲を扱った物語を姫路山陽中学校の放送部員が、7月4日に、校内で放送するようだ。読むのは、姫路空襲を題材にした絵本で、『よしこがもえた』というもの。作者は、たかとう匡子(まさこ)さんで、絵(版画)は、たじまゆきひこさんが担当している。

「よしこ」というのは、作者の妹さん。戦争中、どこの家庭も貧しかった。そんな中、1945年7月3日、7歳で小学一年生になった姉の、まさこは、3歳の妹の面倒をよく看ていた。空襲の中、避難するが、家族は、ついにばらばらに。

両親に、はぐれた姉妹は、手をつなぎながら、また、他人の励ましを得ながら、逃げる。ところが、焼夷弾の威力で、ついに手を放してしまう。そして、一瞬の内に、よしこの髪の毛に火が付き、彼女は、焼け転がっていく。

その後、両親が二人を探し当ててくれるが、事実を知って号泣。愛する人を失う苦しみを淡々と綴っている。人間が、生きたまま、物を焼くように焼かれている地獄模様。それを目の当たりにした作者。消えることのない記憶。惨い戦争は、遺された人々をも、後悔として、業火のように苦しめさせる。

では、なぜ、そんなことになったのか。根本的、多面的に、かつ長期的視点で、若い人は、考え続けて欲しい。

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2018年6月28日 (木)

姫路・手柄山関連施設情報 2018年7月

姫路・手柄山関連施設情報 2018年7月。随時更新。すべての情報を網羅したているわけではありません。個人的に選択したものです。

●水族館では、7月21日より、「企画展 むかし話と妖怪の世界」展が始まる。妖怪についての資料と、それに登場する生き物などの紹介。9月24日まで。

●7月1日午後2時より、黒田権大さんの語りによる「姫路空襲体験談を聞く会」が開かれる。

●姫路市平和資料館では、「写真が語る戦前から戦後の姫路」展が催されている。高橋秀吉コレクションにみる戦争の記録だ。7月8日まで。

●手柄山温室植物園では「ベゴニア展」が開催中。約50種200点を展示。7月8日まで。

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姫路城関連ニュース 2018年7月

2018年7月の姫路城関連ニュース をお伝えします。随時更新。

●姫路文学館では、7月29日14時より15時30分まで、しの笛風の音によるしの笛の演奏がある。

●世界遺産姫路城マラソン2019のランナーなどの募集が、7月23日より始まる。8月21日まで。定員を超えた場合は抽選にて決定。9月下旬までに当落が通知される。

●姫路動物園では、7月23日、「大暑の日」にちなんで、11時からホッキョクグマに氷がプレゼントされる。

●日本城郭研究センターでは、7月21日13時30分より15時まで、市民セミナーとして、「明治日本の産業革命と江戸のモノづくり」として、講演会が開かれる。講師は、国立科学博物館の鈴木一義さん。定員180名。当日受付で先着順。

●姫路文学館では、文学館コンサートとして、7月16日、10時から11時まで、北館3階講堂で、広嶺中学校コーラス部による合唱がある。

また同日、13時30分より、14時30分まで、望景亭和室で、尺八教室による尺八の演奏がある。

●姫路動物園では、7月16日、10時30分より、ホッキョクグマに魚がプレゼントされる。

●好古園では、7月16日から、「四季の写真展」が、開かれる。8月6日まで。

●姫路市立美術館では、7月15日10時より正午まで、館長の永田萌さんによる講演がある。題は「姫路が育てた夢見る心」。定員100名で、7月10日までに、イベント名、住所、氏名、年齢、電話番号を記して、葉書、FAX、ホームページから申し込む。

●兵庫県立歴史博物館では、特別展として、7月14日より、『ふしぎジオラマミュージアム』展を催す。9月9日まで。

●姫路文学館・北館では、『絵本作家 いわむらかずおの世界』展が開かれている。姫路との関わりは不明。9月2日まで。

●好古園では、園内、潮音斎・活水軒ロビーで、「夏の剪画展」が開かれている。7月6日まで。

●姫路城では、7月1日より、空からの姫路城を疑似体験できるサービスを始める。VR(バーチャル・リアリティー)技術で、姫路城を上空から眺める疑似体験できるもの。

具体的には、「姫路城VRアプリ」をダウンロードし、ゴーグル型の「ヘッドマウントディスプレー(有料。1000円程度)」を購入し、スマートフォンをセットすれば、地上から見えない姫路城の魅力を堪能できる。

スマホの位置情報で利用者が姫路城にいると認識されれば、映像が視られる。日本語のほか、英語、中国語、韓国語にも対応。「ヘッドマウントディスプレー」は城付近で販売される。

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2018年6月27日 (水)

初夏の小動物たち 2018

先日、玄関を出ようとすると、小動物発見。小さなトカゲだ。どこから入ったのだろう。とにかく外に出してやった。勢いよく、草むらに入っていった。この時期になると、いろんな小動物が出てくる。嫌なゴキブリやムカデもそうだが、彼らが活動しやすい湿度と温度。

昨日は、大きなアリを発見。シャクヤクを植えているので、花の咲く時期には、比較的大きなアリが集まってくるが、今回見たのは、それより、どっしりとした大きなアリ。一瞬、例のヒアリかなと思ったが、それとは違うようだ。でも、少し不気味。

今まで、このようなアリは見たことがなかった。先日の、モグラと推定される庭の木の根元の掘り返し事件といい、彼らは、どのような習性で行動するのだろうか。彼らは彼らなりに必死に生きているのだろうが、慣れないと不気味だ。

基本的に、彼らも食べ物には、熱心だ。ナンジャモンジャの花には、いろんな蜂が集まっている。食事中に、邪魔をすると、刺されることは滅多にないが、ブーンと襲ってくる(笑)。誰も食事中は邪魔されたくないのは、分かる。

それから、先日、草取りをしていると、トンボが現れた。何回も確認したが、やはりトンボ。少し早すぎる感じ。また、靴箱を整理していると、ヤモリが現れた。今年は、ヤモリの出現が少なかったので、ほっとする。「家守」だから。

これから、まだまだ、いろんな小動物が現れてくるのだろう。

*追記

そして、これは初夏の小動物と関係ないが、街を歩いていると、ハトに襲われた(笑)。髪の毛を梳かすように、ハトが飛んできたのだ。これには、後ろを歩いていた、お婆さんがびっくりして声を上げていた。

一般に、彼らは、人間とぶつかることは、極めて少ない。自動車とぶつかって死ぬ動物はいるが、目測を誤るのだ。でも、自転車や歩いている人とぶつかることはない。彼らはぶつかる直前に、ぱっと逃げる。

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2018年6月26日 (火)

相如と文君の恋 補説

いろいろ噂話はあるものの、相如と文君は、鴛鴦夫婦であったことは確かだろう。その要因はいくつかある。個人的な感想を記しておこう。

一、まず卓文君の、ひとめ惚れであったこと。惚れた弱みとは、よく言うけれど、世間一般とは逆のケース。

二、相如が能力が豊かで、魅力的な人柄であったこと。これは彼が苦難に陥った時、友人たちが、手を差し伸べていることからも明らか。そして、彼らの申し出に素直であった。

三、文君は17歳て寡婦になっており、引け目があったこと。

四、卓家は富豪であったが、家格は、相如の方が高かったこと。

五、相如の方も、官職の「郎」を買った時は実家は裕福であったが、後に逼塞したこと。

六、はじめて恋愛関係になった時、相如は35歳、文君は17歳と年齢差があったこと。

七、文君は確かに美人であったが、後に「史上、最も愛に忠実だった」と称えられるように、夫に誠実であったこと。親に見放されても、ホステスをやるなど覚悟があった。

等々が考えられる。

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2018年6月25日 (月)

相如と文君の恋 その三

中国では、卓文君の評判はいいらしい。何しろ、お嬢様だったのに、苦しい生活の中、夫を支え、立派に出世させたから。その理由については、これから記そう。

ただ、成都の相如の自宅は、非常に惨めなものであった。文君も、ここでは何もできないと悟り、再度、夫に臨邛に戻ることを促し、戻ってからは、ありとあらゆるものを売って、そのお金で、一件の呑み屋を買い取る。

そこで、文君は、ホステスになり、接客する。相如といえば、褌一つで、下働きをし、夜は繁華街でアルバイトをする。そういう噂は、卓王孫の耳にも入る。これには、彼も恥じ入る。そして、ついに周囲の人たちの説得に応じて、多額の財産分与を決心。

それによって、彼らは、再び成都に行き、田畑や邸宅を買って、優雅な生活を送った。その後、武帝の時代になって、彼は文学を好んだ。そこで相如が以前創作した辞賦「子虚の賦」を読んで大いに感動し、お気に入りとなる。

武帝は、作者のことは知らなかったし、昔の人の作品だと思っていた。ところが、相如と同郷の者が、今の時代の者で、作者は司馬相如であると伝えると、早速、召し出される。そして、「子虚の賦」を天子に相応しいものに改作したとのこと。

その後も、相如は、文武ともに活躍する。ただ、「武」と言っても、どちらかというと外交力。どこでも、彼自身人気があったようで、それを利用しつつ、地域をまとめ上げる。もちろん、文君の内助の功が大きかったのは言うまでもない。

*追記

ただ、相如が晩年、側室を置きたいと言った時は、文君は、それに対して、「その時は別れます」と、はっきりと言っているという。彼女の漢詩『白頭吟』というものは残っていて、夫の浮気心をなじっている。

しかしながら、これは後世の創作で、史実ではないともいう。でも、妻の援けを受けて出世しても、それを忘れ、糟糠の妻の存在を疎ましく思うのは、男の常。可能性がないこともない。まあ、昔のこと故、事実は闇の中。

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2018年6月24日 (日)

相如と文君の恋 その二

宴が終わってから、卓文君を恋い慕うラブレターの「琴歌(きんか)」を贈る。内容は次の通り(文献により、多少、読み下しが異なる)。

 その一 鳳(ほう)や鳳や

鳳や鳳や 故郷に帰る

四海に遨(ごう)遊して其の凰を求む

時に未だ通遇せず 将(たす)くる所なし

何ぞ悟らん今夕 其の堂に升(のぼ)れば

艶なる淑女ありて 此の房に在らんとは

室は邇(ちか)く人遐(とお)く 我が腸を毒す

何に縁(よ)りて 頸(くび)を交えて鴛鴦(えんおう)とならん

 その二 凰(おう)や凰や

凰や凰や 我に従って棲み

孳尾(じび)を託して 永く妃と為すを得

情を交え 体を通じ、心を和諧せん

中夜相い従うも 知る者は誰ぞ

双び与(お)き 倶(とも)に起(た)ちて 翻って高く飛ばん

我が心に感ずる無くば 予をして悲しましむ

「その一」は解釈は不要であろう。「その二」も不要であろうが、かなり直接的でエロいプロポーズ。枕を重ねた時の情交の風景を夢想している感じ。彼女が寡婦であることを意識したものになっている。処女であれば、こういう内容にしなかっただろう。

この手紙を受け取った卓文君の反応は早い。早速、相如のもとに出かけ、駆け落ちして、成都に向かう。ただ生活は苦しく、文君は父親に泣きついて援助を求めたが、激怒した卓王孫は、にべもなく断り、決して援助しようとはしなかった。

次回に続く。

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2018年6月23日 (土)

沖縄の中学生による戦没者追悼式における「平和の詩」

2018年6月23日の沖縄全戦没者追悼式で、沖縄県浦添市の中学生が、平和の詩「生きる」を朗読した。戦争を経験していないのに、若い人の感性は研ぎ澄まされている。彼女には、天から言葉が降りてくるのだろう。全文を掲げておこう。

沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子

「生きる」

私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

 

私は今、生きている。

 

私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

萌え出づる山の緑、

優しい三線の響き、

照りつける太陽の光。

私はなんと美しい島に、

生まれ育ったのだろう。

 

ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

 

私はこの瞬間を、生きている。

 

この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

 

たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ

私の生きる、この今よ。

 

七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

燃えつくされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

 

みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

 

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

心から、誓う。

 

私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。

生きる事、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭わないことを。

 

あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を

一緒に生きているのだ。

 

今を一緒に、生きているのだ。

 

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 

私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

 

大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

 

これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

 

摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。

*追記

彼女のような若い人たちがいる限り、日本も大丈夫かな、と思う。多くの若い、これからの人たちは、戦争を経験しなくても、彼女のような感性を大切にしてほしいものだ。そして、後世に伝え続けて欲しい。

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相如と文君の恋 その一

「女の助けがなければ、どんな男が何をやっても優秀にはなれない」(シェイクスピア『恋の骨折り損』より)。さて、司馬相如と卓文君の場合は、どうであったのか。『史記』に取り上げられ、よく知られた話だが、改めて記す。

ちなみに、卓文君は、現代中国でも、夫を出世させた女性として人気があるそうだ。その夫の司馬相如は前漢の人。文章家である。中国の成都の割と裕福な家に生まれた。若い頃、読書と剣術を好んだという。「相如」というのは、本名ではなく、戦国時代の趙の将軍・藺相如に憧れて、改めたという。

金持ち故、官職を買って、「郎」(君主の侍従)になり、景帝に仕えた。ところが、景帝は、文学には全く関心がなかった。それゆえ、相如は仕事が面白くない。そこへ、たまたま景帝の弟の梁の孝王が景帝のもとを訪ねてきた。

彼は、一流の当時の文化人を引き連れていた。そこで、相如は、孝王の客分になろうと決心。病を理由に(仮病だが)、職を辞して、景帝のもとを去り、孝王のもとに行き歓迎される。支援を受けて、住み活動することに。その時の代表作が、「子虚の賦」である。

ところが、彼が35歳の頃、孝王が亡くなる。止む無く、成都に帰ることに。だが、実家は、逼塞しており、生活できない状態。この状態を知った親友の王吉は、当時、臨邛(りんきょう)県の県令であったことから、当地に誘う。

相如は、それに従い、赴く。そこで、王吉は、相如がなんとかやっていけるように一芝居打つ。それが、大富豪である卓王孫の家での宴会に、相如を連れていき、彼を持ち上げることであった。

まず、相如の琴の才能を知っていたので、琴を披露することを勧める。あまりにも見事なので、出席者は、皆は魅了される。そして、そこに、17歳で、夫を病で失い寡婦になっていた卓文が実家に戻っていた。

彼女も、相如の琴に魅せられ、ひとめぼれしてしまう。彼女が隙間から、ちらちらと、こちらを見ているのは相如も察していた。なぜなら、それほど美人であったから。卓文君は、早速、熱烈なラブレターを送る。

次回に続く

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2018年6月22日 (金)

弁護士的視点では世論は読めない

以前にも少し記したが、報道番組で、コメンテイターとして、弁護士が、度々登場する。しかし、彼らの意見は、弁護士的視点に限定された狭いもの。すなわち、法の範囲内の判断しか下せない。一つの意見として、聞くことも可能だが、時代が読めず、世論的に、ピントの外れた意見が多い。

彼らの専門的知見は、必ずしも世論を代表するものではない。法律の番人として、法的見解が、国民の意見と反することもある。それを彼らの立場で、滔々と述べられても、しらけるだけである。

報道番組では、現在の法律の詳しい説明を彼らに求めるのはいいが、意見を求めてはならない。それらは世論をミスリードしかねないことをマスコミは、しっかり押さえておく必要がある。

*追記

弁護士がコメンテイターとして出演する報道番組が、割とあるが、できるだけ視ないようにしている。また、彼らにコメントを促す司会者の不見識を強く感じる。

だが、そもそも、番組は、弁護士をコメンテイターとして、使ってはならない。彼らに席を設けること自体゛、間違っている。

*2018年7月23日追記

報道によると、野村修也弁護士が、思想・信条の自由の侵害で懲戒請求されたとのこと。テレビ等によく出演している、この弁護士は考え方が偏っている。

彼のみならず、お昼の報道番組に出演している某弁護士たち(男と女)も、それぞれの出演番組で、変なコメントをする。男の方は野村弁護士と同様であり、女の方は、ピントの外れたコメントを続けている。

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2018年6月21日 (木)

北朝鮮の非核化費用は核保有国が負担すべき

米国トランプ大統領が、米朝会談後、「北朝鮮の非核化費用は、日韓が負担すべき」と言ったようだが、明らかにおかしい。これは、トランプ大統領独特の観測気球とも捉えられるが、核拡散させたのは、核保有国だ。責任は彼らにある。

確かに、北朝鮮が核を持つことによって、近隣諸国に、リスクがあるが、非核化の費用を日韓に頼るのは非常識。むしろ核を持っ国々によって処理されるべき問題だ(特に米国と中国、ロシア)。

すなわち、北朝鮮の非核化費用は、非核の日韓ではなく、核保有国が負担すべきだ。安倍首相は、トランプ氏の意向を汲むような発言をしたが、大きな間違いだ。こんなことで国民負担を増やして、どうするのか。

日本は、せいぜい、非核化がなされた後で、日朝の話し合いの中で、インフラや「平和産業」(*注)に投資できる。よって、日本が投資できるのは、かなり先の話になる。

政府は、米朝会談に煽られて、日朝会談を、セッティングすることに傾きつつあるが、当面、意味はない(拉致問題にしても、長年、国が放置してきたつけがあり、今や、すぐに解決する問題ではない)。

*注

「平和産業」とは、武器製造に転換できない産業を指す。例えば、自動車産業は、厳密には平和産業ではない。

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2018年6月20日 (水)

謡曲『草子洗小町』を読む その三

だが、これを真に受けた天皇は、「小町は、歴史ある歌の家系なのに、なんてことを。歌の道も衰えたものよ」と嘆かれる。小町も、御前の前で恥をかくことに。小町は強く無念に感じる。小町は黒主に出典をただすと、万葉集にあるが作者は不明だと言う。

(ここら辺から、黒主の工作が怪しくなる感じ。大体、こういったことは、いつか、ボロが出る。)

小町は、万葉集七千首(*注1)を知らぬ歌はないと言う(凄いなあ)。それでも、もしや、異本があるのかと訝るが、黒主は、あくまでも、小町が、古歌を盗んでまでも、勝とうとした言い張る。

(まあ、疑われると、強気に出るのは、どこの犯人も同じ(笑)。)

小町は、いろいろやり取りする中で、どうやら黒主の悪だくみだと見破り、言い争う。あきらめきれず、黒主に、詰問するが、黒主は、シラを切り通す。更に、黒主は、証拠として、予め書き込んだ万葉集の草子を取り出し示す。

(多くの矛盾点を小町が指摘する。それに対して、ついに黒主が決めてと思っている偽装した証拠品提出。}

ところがところが、よく見ると、墨の色が違い、後で書き加えられたと思い、天皇の許しを得て、銀のたらいに御溝水(みかわみず。清水)を汲んで、一同の前で、草子を洗うと、加筆された歌だけが流れて消える(*注2)。

(まあ、偽装のいい加減さが露呈。プロなら、少なくとも、こんな過ちはしないだろう。)

嘘がばれた黒主は、もう逃げられない。これまでよと、自害しようとするが、帝も小町も、歌人の熱心さから来たことと許し、水に流す。小町に薄衣、風折烏帽子を着せ、笏拍子を打って座敷を静め、小町は勧められて舞を舞って、和歌の徳を称える。

(偽装が発覚して、自殺をしようとする黒主。最初から、こんなことを企まなかったら、、、)

人は、競争に、どうしても勝ちたいと思うと、こんなことになる。これは女には負けたくないと思った黒主の過ち。でも、現代でも、こんなことはあるだろう。

*注1

『万葉集』には、実際は約4500首、収録されており、7000首というのは間違い。

*注2

実際に、草子を水で洗うというのは、ちょっと無理筋。例えば、「月の光」で透かして見たと考えれば、文学らしくなる。月の光を「川」と「水」と捉えれば、意味が通じると思う。

*追記

もちろん、この謡曲の内容は、完全な後世の創作。時代の異なる人々を同時代に並べて、作者は楽しんでいる。なお作者は、世阿弥元清。

*追記

姫路キャスパホールでは、2018年8月19日(日)に、第25回記念キャスパ能として、『草子洗小町』が演じられる。

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2018年6月19日 (火)

謡曲『草子洗小町』を読む その二

それでは、具体的に、謡曲『草子洗小町』を読むとしよう。場面は、宮中の清涼殿における御歌合せの会。そこで、「水辺の草」という題で、大伴黒主が小野小町と歌を競うことに。

黒主は、とても、かなわぬ相手だと思い、悪いことと知りながら、小町の私邸に、もぐりこみ、彼女が作る歌を盗み聞き。そして、悪だくみ。万葉の草子に、この歌を書き込む。

  まかなくに 何を種とて 浮き草の

  波のうねうね 生い茂るらん

翌日、清涼殿では、柿本人麻呂と山辺赤人の影像を掛けた上で、天皇をはじめ、小町、黒主、貫之等男女の歌人が列席して、勝負が始まる。貫之が、小町の歌を詠みあげ、天皇が称賛される(*注)のに、黒主は、これは古歌だとクレーム。よくやるなあ。

*注

天皇は、なぜ、この歌に反応されて称賛されたのか。この歌の表面的な解釈は、「種を蒔いたわけでもないのに、何の種をもとにして、こんなにたくさんの浮き草を波の上に繁茂させているのやら」という、そんなに特別の歌ではない。

裏には、天皇家の繁栄を詠ったものとも言えるし、小町の私的な思いを表現したものとも捉えられる。また、小町がバイリンガル(古代朝鮮語)であったかは不明だが、この歌には、別の意味が込められており、天皇が察知したとも考えられる。残念ながら、その意味は不明だ。

次回に続く。

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2018年6月18日 (月)

久しぶりに大きな地震 2018

先ほど(2018年6月18日7時58分)、比較的大きな地震があった。姫路は、比較的地震の少ない地域だが、家は大きく揺れた。報道では、震度4とのことであるが、体感は、過去の神戸の経験だと5くらいあったと思う。

大阪で、震度6とのことだから、最近の地震では、大きい方だ。被害の程度は、どのようだろうか。天候は、雨の予測なのに、晴れているから、出かけようと思った矢先の出来事。何が起こるか分からないものだ。

*追記

今回の地震で明らかになったのは、都市インフラは依然として地震に弱いということだろう。これは、「ジャパンリスク」でもある。

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謡曲『草子洗小町』を読む その一

今回は、久しぶりに、謡曲を取り上げる。今回は、小町関係の謡曲『草子洗小町(そうしあらいこまち)』を、何回かに分けて読むとする。

この物語の主人公は、六歌仙の内の小野小町と大伴黒主。小野小町は、その美貌から、後世、いろいろと厳しく取り上げられるが、この謡曲では、珍しく、小町を褒めたものだ。

『古今』では、小野小町は、「いにしへ(古代)の衣通姫の流なり。あはれ(憐れ)なるやうにて、つよ(強)からず。いはば、よき女のなやめるところあるに似たり。つよからぬは、女の歌なるべし」と評されている。

衣頃姫は、以前にも取り上げたが、半島からの移民であると推察されている。その肌が透き通って見えることから、その名がついた。小野小町も、その系統の女性というのである。そして、極めて女性的と評している。

これに対して、もう一人の大伴黒主については、「そのさまいやし(卑し)。いはば、薪おへる(負える)山人の花のかげに休めるがごとし」と、けちょんけちょんに評されている(笑)。風体は、怪しく、杣人(そまびと)が美しい花のそばで休んでいる感じ。ちょっと言いすぎの感。まあ、体裁を構わない人だったのかもしれない。多分、変人だったのな(笑)。

ちなみに、小町は、『古今』には、十八首、収録されていて、大伴黒主は、三首のみ収録されている。その差は大きい。この謡曲の作者は、そういうことを意識して、作ったようにも思う。そのことを意識すると分かりやすいかも。

次回に続く。

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2018年6月17日 (日)

内部留保はリスク保険

国から、企業の内部留保が多過ぎるという意見が出るが、時価会計が続く限り、経営者としては、リスクの保険が必要で、それが内部留保に走らせる。それは経営者の本能であろう。

特に日本は自然災害が多く、今後も巨大な災害が予測されている。そのような場合、企業が被害を受けても、誰も助けてくれない。保険でカバーできるものは限られる。

日本には、そもそも時価会計は馴染まないが、簿価会計のリスクを指摘されて、時価会計に転換したが、これを改めない限り、企業経営者の内部留保姿勢は変わらない。

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日本の物価は上がらない!

日本銀行のお偉方が、額を寄せ合って、「なぜ物価が上がらないのか」悩んでいるらしい。でも、今更、何をという感じ。以前にも記したが、こんなに充足した日本で、物価を上げるのは至難の業だ。

まず、必要なものは、ほとんど揃っているし、特に買わなければならないものはない。更に、人口減少が需要を更に縮小させている。

ところが、経済活動等というものは、常に売り上げを追い求めているから、売り上げを確保しようと、購買力のある流通業者は、需要喚起のために価格を常に下げようと努力する。

更に、世界の中の日本なので、国内だけでなく、世界中から安価な物は流入するから、物価は、むしろ下がる。世界中の賃金水準が同じになって、初めて、物価の下落が収まることになる。

しかしながら、不思議なことに、国内では、人が足りないから、AIだ、ロボット生産だと価格を下げる方に注力する。更に、物は世の中に溢れることになる。

結局、世界の人口が収縮しない限り、この傾向は続くことになる。最早、物価を上げることに熱心になるより、別の方策が求められる。日本銀行のワンパターン思考では、何も解決しない。

*追記

基本的に、現在の経済状況では、資金量を増やすのではなくて、中小企業に配慮しつつ、資金量を徐々に絞ることが大切だ。

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2018年6月16日 (土)

ナンジャモンジャの開花 2018

梅雨の時期なのに、毎朝、冷やとした寒さ。今朝、起きて、ふと庭を見ると、ナンジャモンジャの花が咲きかけている。まるで白い雪が降ったかのよう。毎年、見る風景だが、今年の天候には似つかわしい感じ。

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2018年6月15日 (金)

情報に弱い阪神タイガース

残念な試合を続ける阪神タイガース。最近は、試合を視ることも少なくなった。相変わらず、ワンパターンな試合運びで、試合に負ける。もちろん、阪神タイガースが試合に弱いのは、それだけではない。原因としては、次のことが挙げられる(素人的視点かもしれないが)。

一、長期的な見通しによるチーム作りをしていない。要するに目先に振り回されている。それの大きな原因は、フロント陣のいい加減な運営がある。外野(株主やファン)に煽られて、チームや監督を信用していない。

二、自軍の強み、弱みを正確に把握してない。開幕してから、力不足を感じて、補強に手を出すナンセンスさ。

三、伝統的に、投手の力に依存し過ぎる。得点力が低ければ、投手にプレッシャーがかかりすぎる。結局、投手陣が疲弊して、長期に戦えない。

四、自軍の能力把握は必要だが、戦う相手の研究を疎かにしている。相手チームの強み、弱みの研究が足りない。もちろん、相手チームの選手の分析も、十分できていないように感じる。

五、相手チームの研究が足りないから、選手の補強がドラフトも含め、デタラメ。自軍に既に居るのに、いい選手がいると、そちらに目がいき、ポジションが重複する選手を取ったりする。結局、何人かの選手が働き場を失うことになる。競争は大切だが、それも程度問題。

六、阪神タイガースの選手は、なぜ打てないのか。能力的に、特に劣るとは思わない。何かが足りない。一番に挙げられるのは、相手チームの投手、捕手の研究が全く不足している。行きあたりばったりの対応では、選手は対応できない。

七、選手が課題をもって練習していない。ただ体力を付けるだけでは、相手に対応できない。練習方法も、辛い下半身強化を怠っている。上半身だけを強化しても、身体バランスを崩し、シーズンを通して働けないことは明らかなのに。

八、どうしたことか、阪神では、優秀な資質を持った選手も育たない。それは、ちょっと活躍すだけで周囲がチャホヤして、選手を駄目にするからだ。それにスポーツ新聞を中心として、マスコミが加担している。

阪神タイガースの問題点は、多くの経営者にも、参考になるだろう。

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2018年6月14日 (木)

庭を荒らされる 2018

ふと庭を見ると、土が掘り返され、へこんだり、盛り上がったりしている。近くに行って、よく見ると、木の根元が掘り返されている。それが数か所も。こんなことは、住んでいて初めて。

犯人は誰か。イタチか野良猫か。あるいは、見たことはないが、ハクビシンか狸か。アライグマの可能性もある。そういうと、最近、姫路駅付近にキツネがいるというから、もしかして。

犯人は誰か。どんな対策をしたらいいのだろう。

*追記

いろいろ調べてみたら、セミの幼虫を食するモグラの仕業の可能性が高くなった。モグラを見たことはないけれど、どこにいるのかなあ。そして、今年は、セミの鳴き声が静かかも。

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無遠慮な客たち

以前にも記したが、高齢者は概して声が大きい。そして、私も他人のことは言えないかもしれない。でも、公共の場では、声には気をつけている。時々、相手の人に聞こえないから、もう少し大きい声で、と言われることもあるが(笑)。

先日も、ある喫茶店に行くと、私と同年齢くらいのおば様たちが、がやがやとやってきて、席を作っていた(椅子を勝手に移動し、彼女らの席を確保)。まあ、それはいいとして、その後が、大変姦しい。大きな声で、話だしたら止まらない、止まらない。

周囲の人も迷惑そうにしているが、それにも気づかない。傍若無人そのもの。こういう場面は、各所で経験する。別に、今に始まったことではない。だが、もう少し、周囲に配慮してほしいものだ。

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2018年6月13日 (水)

高齢者に厳しい地下駐輪場~姫路の場合

女性高齢者にとって移動手段は、公共交通以外では、自家用車と自転車であろう。ただ、駐車場の問題もあり、ちょっとした買い物では、自動車より自転車を使われるようだ。ところが、姫路市では、駐輪場は意外と整備されていない。

そんなことを言うと、各所に駐輪場は整備されているという声が来るかもしれない。しかし、商店街に駐輪場はないし、公共の駐輪場は地下駐輪場だったりして、高齢者に厳しい。という声を時々、高齢者から聞く。

やはり高齢者にとって、駐輪場は地上のものが望ましい。確かに、あるところにはあるが、ないところにはないのが現状。特に、ヤマトヤシキが閉店した二階町周辺は、特に厳しいようだ。高齢者に配慮した駐輪場整備が求められる。

*追記

最近、テレビで報道していたが、「地下自動駐輪場」(機械式立体地下駐輪場)というものがあるらしい。そういうものがあれば、地上でセットして、自動で楽に駐輪できる。

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2018年6月12日 (火)

日本の観光政策は正しいか

現在、観光関係は、外国人観光客の増加で潤っているとは言うものの、実際は、それほどでもないとも聞く。もちろん、彼らが望む観光資源を活かしたところは成功している。だが、皆が皆、いい成果が上がっているとも言えない。

ただ、この成果は、円安効果であることは間違いない。本来、観光政策は、円安であろうとなかろうと、日本に来てくれる外国人観光客を対象としなければならないのだが、政府は、ただ観光客数を増やすことに熱心だ。そのために、本来望ましくない対策を講じなければならないことになっている(例えば、民泊)。

この流れは、あまり望ましくない。観光客は以前のように所得制限して、選別することが本来望ましい。また現在は、免税範囲を拡大して、国民経済的に非効率なことをしている。これは数字を欲しがる政権の歪と言えないこともない。

いずれ本来あるべき観光政策に修正されるとは思うが、望ましくない観光客が日本の資源に悪い影響を与えているのは望ましくない。やたら外国人観光客を増やす政策は、早く止めるべきだろう。

*追記

そもそも長い年月をかけて観光国として発展してきた諸国と、拙速に、外国人観光客数で競うのはナンセンス。本来、じっくりと観光資源を見極めながら、保護する資源と公開する資源とを分ける必要がある。

その上で、それらの観光資源に関心のある海外の人々を招くのが「観光」というものだろう。単にイメージで日本に来られても、継続的な訪問につながらない。いろんな資源ごとに、海外旅行客の開発が望ましい。数を追った拙速な観光政策は、内外の混乱を増すだけだ。

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2018年6月11日 (月)

杜撰(ずさん)という言葉

言語学者でもないので、以下、頓珍漢なことを記すかも。

最近、ふと、杜撰(ずさん)という言葉が気になった。意味は、『広辞苑』では、「著作で、典拠などが不確かで、いい加減なこと。誤りが多いこと」とか、「物事の仕方がぞんざいで、手落ちが多いこと」とある。

この語源の説には、いろいろあるようで、一番知られているのが、「杜黙(ともく)の作った詩が、多く律に合わなかったという故事」から来ているとするもの(*注)。そうであれば、「杜」は、「ト」と読みそうなのに、「ズ」と読む。なぜか。

実は、杜の「ズ」というのは呉音である。呉音とは、奈良時代以前に日本に伝わった言葉で、揚子江下流域のもの。本来、「ヤマナシ」の意味だが、俗語で、「本物の反対」の意味とか「正規のものでない」とかいう意味がある。漢音では、「ト」と読む。

また、撰の「サン」は漢音で、呉音では「セン」読む。一般に、「詩文を作る」という意味では漢語の「サン」という説明になっている。だが、本来は、「そろえる」「えらぶ」「定める」等の意味がある。

よって、漢音で統一すれば、「トサン」となり、呉音で統一すれば、「ズセン」となる。これらの読みが、どこかで混同している。中国は広い。それに時代と共に、言葉の意味も変わるということだろうか。それとも、日本における混乱か。

それにしても、最近、一部だけかもしれないが、杜撰な処理をする公務員が目立つ。

*注

このほかにも、いろいろ説があるのだが、意味は、ほぼ同じだ。

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2018年6月10日 (日)

立憲民主党は保守政党

現在のところ、かつてとは、大きく政治状況は変化した。変わらないのは、多数を握る自民党の独断政治だけだ。そして、昔の自民党と違って、派閥間の競争もない。それが政権を堕落させている。

また、そこから抜けようとする勢力もない。それは禅譲を期待するような政治家や、尤もらしい主張をするが、人気取りに見える政治家では、現在のトップに対抗はできないからだ。そのようなタイプに、今更、自民党を抜けて、一旗揚げようとは思わないだろう。

むしろ、期待できるのは、野党の立憲民主党だ(*注)。この党は、一部の右寄りの人たちから、「左より」の党と見られているが、実際は、そうではない。確かに旧社会党系の議員はいる。しかしながら、政策や考え方を、つぶさに見ると極めて保守的色彩の強い政党だ。それは枝野代表の発言からも明らかだ。

もちろん、自民党の一派閥程度の勢力しかない現在の党勢では、自民党に対抗できるとは思わないが、この党の真の姿勢を知り、自民党がいい加減な政権運営を続ければ、保守的な人々の支持を受けることも可能だ。それは保守の論陣を張る産経新聞の論調を見ても明らかだ。

これに対して、現在の安倍政権は、政権運営で、やや自信過剰になっている。また政治運営や政治姿勢にも問題がある。そして、やっていることと言えば、保守というより革新に近い。もちろん、すべての政策が間違っているわけでもない。でも、かつての自民党の政策とは大きく異なる。それは安易に米国の要望に従うからだ。

立憲民主党が、すぐに政権を握ることはないだろうが、国民が納得する政治姿勢を見せれば、遠い将来、政権が移動する可能性も否定できない。自民党内に、現在のトップに対する対抗馬が育たない(あるいは育てない)現状、やはり、政治は、政党間の競争環境下、切磋琢磨する方が望ましい。

*注

ただし、立憲民主党は、党ができて日が浅く、基盤も、まだできていない。今まで、野党は、主義主張が異なるのに安易に合従連衡し、多くの失敗を重ねてきた。同じ志を持つ者のみで今後も進められるかどうか。この党が成長するかは、今後の展開次第。

*追記

ちなみに立憲民主党の枝野氏の考え方は、自民党の岸田氏に近いように思う。

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2018年6月 9日 (土)

花菖蒲の開花 2018

花の少ない今の時期は、アジサイ、ヤマアジサイ、あるいはバラが咲いている。そして、花菖蒲が先日、開花した。雨に打たれながらも、しなやかに咲いていた。色は紫。紫は、高貴な色とされるが、難しい色でもある。

服で言えば、最も着こなしが難しいと言われる。下手に着ると、却って下賤に見えることもある。だが、花菖蒲は、美しい。そして、雨に打たれているぐらいが、ちょうどいいのかもしれない。

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「姫路港ミニクルーズ」募集案内 2018

2018年7月16日(月)に、10時から15時まで、「姫路港ふれあいフェスティバル」が、姫路港飾万津臨港公園で催されるが、その一環の催しとして、「姫路港ミニクルーズ」がある。それは飾磨港を発着し、姫路港沖を約45分間周遊するもの。

発着時間は、A 10時30分発とB 11時45分発の二種類。現在、参加者を募集している。定員は400名(1グループ4人まで)。往復はがきまたはメールで、姫路港管理事務所「姫路港ミニクルーズ」係に申し込む。

参加者全員の住所、氏名、年齢、電話番号、希望の発着時間(AまたはB)を明記して、下記に申し込む。

〒672-8063 姫路市飾磨区須加294

メール himejikoukanri@pref.hyogo.lg.jp

*2018年7月5日追記

「姫路港ミニクルーズ」の申し込み期間は既に終了しています。

*追記

以前にも記したが、このような催しは、かねがね期待していたので、大変嬉しい。姫路港の活性化につながると思う。今回は一日だけで試験的催しのようだが、今後は、観光客向けに、定期的に催されることを望みたい。

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2018年6月 8日 (金)

アメフトで事件を起こした選手の行方

大学のアメフトの東西交流戦で、悪質タックルをした選手の行方が気になる。確かに謝罪会見は、立派であった。だが、別の角度で見れば、監督・コーチのの指示があったとしても、ある意味、一つ間違えば殺人タックルになった「実行犯」でもある。

その彼が、安易に大学フットボールの世界に復帰できるかというと、随分怪しい。怪我をさせられた選手は、「戻ってきて、正々堂々と戦いたい」と言っていたが、その言葉は美しいとしても、世間一般の常識では許されない。

仮に学生であっても、成人した大人。数年程度、謹慎が望ましい。すなわち、大学生の間は、アメフトの試合に出場することは遠慮した方がいい。もちろん、謹慎が解ければ、後は周囲の理解が得られれれば、社会人で、やってもいい。

彼に同情して、優しく接するのはいいが、それも程度問題。彼には、今、考える時間が必要だ。頭のいい彼は、誰にも経験できない、この苦い教訓を活かして、優れた社会人として成功してほしい。

*2018年8月17日追記

事件を起こした例の選手が、アメフト部復帰を望んでいるとの報道。しかし、これは許されることではない。いかに監督、コーチの指示があったとはいえ、それに従った判断は、明らかに間違い。自己の欲のために、やってはいけないことを選択した罪は大きい。

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2018年6月 7日 (木)

パージが求められる日本の組織

最近、日本の各方面の組織の弛みが目立つ。最近の例だけでも、財務省理財局の文書改竄(ざん)問題、日本大学のアメフト問題より発した統治の問題、企業の各種データ改竄問題、神戸市教育委員会の不都合な情報隠蔽等がある。

これらは組織の惰性、弛みが原因だ。すなわち緊張感が足りない。本来、組織には、それぞれ与えられた使命がある。ところが、それを放棄して、自己保身に熱心になっている人々を生んでいる。

基本的におかしくなった組織文化をただすには、トップを含めて管理責任者をパージするしかない。パージとは、「一掃、抹消、粛清」の意味がある。戦後、戦犯が、公職追放された。それと同様の措置である。

ところが、問題組織は、現在、必死になって自らを守ろうとしている。そして、周辺も、きっちり処分しようとしていない。処分が非常に甘いのだ。公務員であれば、懲戒免職含めて、公職追放して、3年間は公職に就くことは不可、というぐらいの処分が適当だ。

他の民間組織にしても、ドラスティックな改革をしないと根本的な解決には覚束なく、組織的問題は解決しない。今こそ、日本の各不良組織に、パージが求められ、清新な緊張感のある組織に衣替えが必要だ。

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2018年6月 6日 (水)

梅雨入りとアジサイ 2018

いよいよ梅雨入り。じめじめとした天候は苦手だが、これを楽しむのも一法。そして、先日、記したように、今はドクダミの天下。ちょっとした空間があれば、繁殖をして、白い花を咲かせている。

少しだけなら、ドクダミも可愛らしいが、あまり多量だと、ちょっとという感じ。確か2年前に、ドクダミ除けとしてアジサイを一株植えた。なかなか大きくならなかったが、今年になって、やっと花を咲かせた。

当初の目的通り、その部分の周辺だけ、ドクダミは生えない。本来、好きな花ではなかったが、こういうやり方で、雰囲気を変えることになった。今後、どれくらい大きくなるのであろうか。

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2018年6月 5日 (火)

1/3亭主

ある新聞の投稿欄に、最近、亭主を喪った高齢の女性の話があった。彼女は、夫の生前中、よく「1/3妻」と言われたそうだ。というのは、彼女の夫は、こまめ。それに対して、彼女は、おおざっぱ。このような性格の夫は、どうしても妻のアラが見える。

それで、日頃から、チクチクと妻をけなしていたようだ。だが、見方を変えれば、妻からすれば、このような夫は「1/3亭主」であろう。妻からすれば、どうでもいいことを気にかける。他人との付き合いでも、そのような傾向が出る。

そのような欠点をカバーしていたのは、この女性のような妻であろう。ということは、非常にバランスのとれた夫妻であったと推察されるが、当人たちにとっては、お互いストレスであったかもしれない。

*追記

父の場合は、彼女の夫君同様、こまめであったが、母の領域には手を出さなかった。自分の持ち物に対しては、こまめに管理していたが、母が、生活管理面で、多少デタラメでも、金銭面で、問題なければ、ほとんど何も言わなかった。時々、嫌味を言っていたが。

もちろん、昔の人だから、男子厨房に入らず、ということで、母の妊娠中も何も手伝いはしなかった。その徹底ぶりは、今の若い女性からすれば、即離婚問題に発展するだろう。でも、当時は、それが普通だった。相互不可侵が常識だったのだ。

現在は、妻が、自分の領域に、夫を入れ過ぎる。そして、自分のやり方と異なれば、強い苦情を言い立てる。やはり自分の領域に入れるには、それなりの準備と相手の理解が必要だろう。

そうしないと、妻の側は、どんどん不満が膨らむばかりである。夫にすれば、協力したつもりが、妻の認識とのズレが不満を生む。男女の理解の仕方の違いをお互い理解する努力が望まれる。そして、現代でも、不可侵領域は必要であろう。

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