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2018年6月30日 (土)

赤染衛門と大江国衡 その一

やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて

 かたぶくまでの 月を見しかな

   (百人一首 59番 赤染衛門)

この歌は、赤染衛門の姉妹(どちらか不明)に通う中関白藤原道隆が訪ねると言って、約束を違えたので、彼女が代詠したもの。「(おいでにならないことを知っていたら)ためらわずに、寝てしまったでしょうに。ついに月が西の山に傾くまで月を見てしまいましたよ」という感じ。

赤染衛門(あかぞめえもん。推定956年~1041年)は、平安中期の女流歌人。その出生は少し複雑で、母親の前夫の平兼盛と婚姻中に、身籠ったとされ、再嫁した赤染時用(ときもち)の赤染家で出産されたと言われる。こういうのは現代でもある。まあ、それはともかく、親権は、裁判で、赤染家になっている。

その彼女が、大江匡衡と結婚する。その大江匡衡(まさひら。952~1012)も歌人だが、本職は儒者。大江重光の子。大江家は、菅原道真の失脚後、儒家の中心的存在になった。そういう環境で育った。いわゆる学者一門の一人。

当時隆盛の藤原家と交流があり、願い文や奏上分などを代作している。文章博士・東学学士・式部大輔。学者としては一流であった。それゆえ道長の信望も厚かった。そういうところから、年号の勧進などもしている。また、単なる頭でっかちの学者ではなく、晩年、尾張に三度、叙せられたが、守地方官としても有能で善政をしたと言われる。

一般に、この二人はおしどり夫婦と呼ばれている。ところが、結婚当初は、必ずしも、そうでもなかったらしい。

次回に続く。

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