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2018年6月23日 (土)

相如と文君の恋 その一

「女の助けがなければ、どんな男が何をやっても優秀にはなれない」(シェイクスピア『恋の骨折り損』より)。さて、司馬相如と卓文君の場合は、どうであったのか。『史記』に取り上げられ、よく知られた話だが、改めて記す。

ちなみに、卓文君は、現代中国でも、夫を出世させた女性として人気があるそうだ。その夫の司馬相如は前漢の人。文章家である。中国の成都の割と裕福な家に生まれた。若い頃、読書と剣術を好んだという。「相如」というのは、本名ではなく、戦国時代の趙の将軍・藺相如に憧れて、改めたという。

金持ち故、官職を買って、「郎」(君主の侍従)になり、景帝に仕えた。ところが、景帝は、文学には全く関心がなかった。それゆえ、相如は仕事が面白くない。そこへ、たまたま景帝の弟の梁の孝王が景帝のもとを訪ねてきた。

彼は、一流の当時の文化人を引き連れていた。そこで、相如は、孝王の客分になろうと決心。病を理由に(仮病だが)、職を辞して、景帝のもとを去り、孝王のもとに行き歓迎される。支援を受けて、住み活動することに。その時の代表作が、「子虚の賦」である。

ところが、彼が35歳の頃、孝王が亡くなる。止む無く、成都に帰ることに。だが、実家は、逼塞しており、生活できない状態。この状態を知った親友の王吉は、当時、臨邛(りんきょう)県の県令であったことから、当地に誘う。

相如は、それに従い、赴く。そこで、王吉は、相如がなんとかやっていけるように一芝居打つ。それが、大富豪である卓王孫の家での宴会に、相如を連れていき、彼を持ち上げることであった。

まず、相如の琴の才能を知っていたので、琴を披露することを勧める。あまりにも見事なので、出席者は、皆は魅了される。そして、そこに、17歳で、夫を病で失い寡婦になっていた卓文が実家に戻っていた。

彼女も、相如の琴に魅せられ、ひとめぼれしてしまう。彼女が隙間から、ちらちらと、こちらを見ているのは相如も察していた。なぜなら、それほど美人であったから。卓文君は、早速、熱烈なラブレターを送る。

次回に続く

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