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2018年6月25日 (月)

相如と文君の恋 その三

中国では、卓文君の評判はいいらしい。何しろ、お嬢様だったのに、苦しい生活の中、夫を支え、立派に出世させたから。その理由については、これから記そう。

ただ、成都の相如の自宅は、非常に惨めなものであった。文君も、ここでは何もできないと悟り、再度、夫に臨邛に戻ることを促し、戻ってからは、ありとあらゆるものを売って、そのお金で、一件の呑み屋を買い取る。

そこで、文君は、ホステスになり、接客する。相如といえば、褌一つで、下働きをし、夜は繁華街でアルバイトをする。そういう噂は、卓王孫の耳にも入る。これには、彼も恥じ入る。そして、ついに周囲の人たちの説得に応じて、多額の財産分与を決心。

それによって、彼らは、再び成都に行き、田畑や邸宅を買って、優雅な生活を送った。その後、武帝の時代になって、彼は文学を好んだ。そこで相如が以前創作した辞賦「子虚の賦」を読んで大いに感動し、お気に入りとなる。

武帝は、作者のことは知らなかったし、昔の人の作品だと思っていた。ところが、相如と同郷の者が、今の時代の者で、作者は司馬相如であると伝えると、早速、召し出される。そして、「子虚の賦」を天子に相応しいものに改作したとのこと。

その後も、相如は、文武ともに活躍する。ただ、「武」と言っても、どちらかというと外交力。どこでも、彼自身人気があったようで、それを利用しつつ、地域をまとめ上げる。もちろん、文君の内助の功が大きかったのは言うまでもない。

*追記

ただ、相如が晩年、側室を置きたいと言った時は、文君は、それに対して、「その時は別れます」と、はっきりと言っているという。彼女の漢詩『白頭吟』というものは残っていて、夫の浮気心をなじっている。

しかしながら、これは後世の創作で、史実ではないともいう。でも、妻の援けを受けて出世しても、それを忘れ、糟糠の妻の存在を疎ましく思うのは、男の常。可能性がないこともない。まあ、昔のこと故、事実は闇の中。

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