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2018年7月 9日 (月)

池田輝政の酷政

拙ブログで、「姫路八天堂」について、記したが、ここでは、池田輝政の重税政策を扱ってみよう。関ケ原の戦いは、東軍の勝利に帰したが、これが播磨地域に、後々影響を与えていく。

いろんな選択の中、池田輝政が、播磨国の主として1600年、姫路城に入る。当時、播磨は52万石。ところが、彼は一挙に62万石に引き上げた。実に約2割増。これは、明らかにおかしい。というのは、秀吉の時代の1995年に、太閤検地が行われたばかりだったから。

つまり、彼は姫路城築城及び、その周辺の城下町建設の費用を無理やり捻出しようとした結果だ。石高を水増しして、年貢を増収しようとしたのだ。辻褄を合わせるため、帳尻合わせの新たな検地を行うが、極めて、いい加減だったという。

これは完全な支配者による、ご都合主義。この結果、当然ながら、領民の不満は募っていく。それを宥(なだ)めるため、一部、村民の苦情を受け付けるが、それも適当そのもの。その内に、池田家は鳥取に移封。

だが、池田輝政の取った政策は、その後も残り、幕府領になった地域を除いては、引き下げはされなかった。これは、どんな政策も、一旦、施行されてしまうと、その修正が難しいことを表している。

為政者は、自らのエゴのため、安易な政策をしてはならないということになる。姫路城は、輝政のお蔭で、現在も存在していると言えるが、先人の多くの血と汗が流れていることを忘れてはならない。当時の農民たちの怨嗟が聞こえてくる。

*追記

輝政には輝政の事情があったのだろうが、そのとばっちりを受けた農民は、苦労している。これが後の一揆の大きな要因になっている。

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