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2018年8月31日 (金)

『宗竺居士家訓』を読む その十 新人の人材育成

今回は、『宗竺居士家訓』を読むの第十項で、新人の人材育成について述べている。

現代語解釈は流風。

十、「人は、その道に通じなければ、他者を率いる人材にはならない。そこで、預かった子弟を基礎となる事務を徹底的に習得させる。そのようにして、ようやく、その根本を十分に理解した時、実地訓練として、支店に代理勤務をさせてみる」

原文(仮名遣いは一部修正)

十、「己れ、其の道に通ぜざれば、他を率いる能わず。宜しく子弟をして小僧の執るべき事務を習熟せしめ、漸を追うて其の奧に達する時は、支店に代勤して実地に当たらしむべし」

人材育成の基礎は、新人教育において、基礎の基礎を徹底的に仕込むことが大切と説く。現代で言えば、大卒は、企業で働く基礎ができていないのに、プライドだけ高い場合が散見される。

しかしながら、まず新入社員には、まず企業の「丁稚」レベルの接客・作業の仕事をまず習得させる。そして全体の仕事の流れの内容を完全把握させる必要がある。その上で一般事務(業務・会計)の内容・意味を十分理解させる必要がある。それをしないで、中途半端に、いきなり営業・現場の一線に出すと、本人も苦しむし、会社にも迷惑を掛けることになる。

この家訓は、人材育成について、慎重な姿勢を促したと捉えられる。

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2018年8月30日 (木)

『宗竺居士家訓』を読む その九 事業専念

今回は、『宗竺居士家訓』を読むの第九項。事業専念について。

現代語訳は流風。

九、「志を持って事業に取り組む以上、わき目も振らず専念しなければも成功は覚束ない。連綿と続く我が家には、やるべき家業がある。よって、それらを十分こなすだけで、身を立てるには十分だ。少し苦しくなったからと言って、他の事業に乗り出してはならない。(特に、相場に手を出したり、大きな得意先だからと言って金を貸してはならない)

原文(一部現代仮名遣いに修正)

九、{志(こころざし)専(もっぱ)らならざれば、業成らず、我家累代の家業あり、依って以て家を起こし、身を立つるに足る、決して他業に指を染むるなかれ。(なお、相場、大名貸をいましむ)

事業に専念することを重視している。もちろん、老舗だからと言って、それだけで慢心してはならない。事業は、時代に合わせて革新が必要だ。事業をやる軸がぶれなければ、問題はない。経営者は、営々と続いてきた自社の核となるものを再認識して、それを元に革新・進展させていく姿勢が求められる。

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官僚言葉「原則として」の弊害

官僚言葉の常套句に、「原則として」という表現がある。今回、話題になっている中央省庁での障害者雇用水増し問題は、障害者雇用に関する文言で、対象が「原則として障害者手帳を持っている人」となっていることが、運用する役人たちを混乱させている(2018年1月より削除しているらしいが)。

問題の根本は、ここにあるが、枝葉末葉の議論になっている。「原則として」を外して、対象は「障害者手帳を持っている者に限定する」とすれば解決する問題だ。「原則として」は予算を獲得するために、あるいは関係者から攻撃を避けるため、官僚の独特の例外規定を残すやり方だ。

「原則として」は、言外に「例外もある」と言って、曖昧にするやり方。現代の法律は複雑で、いろんなことに配慮しなければならないのは分かる。それに、例外規定を、それぞれに作るのも煩雑だが、今後、あまり使わない方がいいのではないか。

*追記

なお障害者雇用については、障害者等級、障害の種類、働ける期間、時間、個々の能力査定等を見極め、それに相応しい仕事があるかどうか。そして、経営者の理解の程度も加味して検討する必要がある。

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2018年8月29日 (水)

テキスト・メッセージは伝わらないか

若い人たちは(最近は、若者だけでなく)、スマホで、LINEとかメールで、いろいろやり取りしており、また即返が求められるようである。では、本当に、彼らの意思疎通は正確に行われているのだろうか。流風は、多少、疑問を持っている。

そもそも、即答できるような、やり取りは、あまり意味がない。すなわち、瞬間の刹那的な言葉には限界がある。もちろん、切れる人同士のやり取りは、それなりに通用するのだろうが、一般人では、却って、誤解を招きかねない。

あるいは、どうでもいい、やり取りで、お互い無駄な時間を消費している。若い時は、気づかないが、人の一生の持ち時間は限られており、それをお互いに奪い合っていることを認識すべきだ。今のままで本当に、いいのだろうか。

米・豪の女優、ニコール・キッドマンは、「テキスト・メッセージは正確に伝わらないから、使わない」としている。必要な意思疎通は、電話か、直接会って伝えるそうだ。これには、流風も同意だ。多くの人は、メッセージの伝え方の再考が求められている。

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『宗竺居士家訓』を読む その八~人材の入れ替え

今回は、『宗竺居士家訓』を読むの第八項で、人材について述べている。

現代語解釈は流風。

八、「事業経営の要は、人材にある。それは有能な人材、才智のある人材を採用し、彼らが持つ特別な能力を発揮できるように、それなりに地位に就けることが大切だ。当然、すべきこととして、組織の新陳代謝を促し、新進で意気込みのある人材を採用せよ」

原文(仮名遣いは一部修正)

八、「事業経営の要は、俊秀の材、有為の士を用いて、おのおの、その特技を揮(ふる)わしむるに在り、須(すべか)く老朽を淘汰して、新進の人物を雇用すべし」

どんな企業組織も、時間が経てば、保守化し、老成する。それを成熟を捉えることも可能だが、そのままだと、企業は衰退する。これを防ぐには、組織改革して、新風を送り込むため、新進の人材を取り込むことが必要だ。

確かに、そうすると組織に波風が立つが、それを恐れてはならない。もちろん、それには長期的視野と短期採算性をバランスさせることも大切だ。

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2018年8月28日 (火)

『宗竺居士家訓』を読む その七~会計監査

今回は、『宗竺居士家訓』を読むの第七項。

現代語解釈は流風。

七、「本店に於いては、各支店の会計報告を精査し、よく監査せよ。但し、基準がバラバラにならないように統一して、乱れることのないように努力せよ」

原文(仮名遣いは一部修正)

七、「本店に於いては、各支店の会計報告を徴し、よく之を監査して、その統一を図り、紊乱(びんらん)を防止するに努むべし」

支店の会計は、事業によって、その扱いは多少異なるゆえ、事業の性格をよく理解した上、監査せよ。ただ、会計監査の様式は統一感のあるものにせよ、ということだろう。

現代でも、会計監査は、形だけのものになりがちだが、本来は、監査役は事業について、十分理解していないと、本来の監査はできない。事業の問題や課題の抽出も監査の役割と言える。それには深い洞察力が求められる。

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2018年8月27日 (月)

『宗竺居士家訓』を読む その六~一生、天職に努めよ

今回は、『宗竺居士家訓』を読むの第六項。

現代語解釈は流風。

六、「人は一生、天職に命を捧げるものだ。よほどの事情がない限り、楽隠居など考えないことだ」

原文(仮名遣いは一部修正)

六、「人は終生天職を尽くさざるべからず。故に、已むを得ざる事情のほかは、決して閑地に退いて安逸を貪るなかれ」

よく「生涯、現役」と頑張る高齢者がいるが、その役割を変化させれば、それは尊いことである。現代は分業社会で、「天職」とは、なかなか認識しがたいが、それなりに自身の「役割」を知り、それを「天職」と考えるのも悪くない。

広く世界を見渡せば、違う場所で、その能力が求められることもある。仕事自体の認識を換えれば、自分の新しい役割が見えてくる。

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姫路城関連ニュース 2018年9月分

久しぶりに、姫路城関連ニュース 2018年9月分をお伝えします。随時更新。9月分より、姫路市書写の里・美術工芸館及び埋蔵文化財センターの催しも含めます。なお、催しの選択は個人の嗜好です。

●9月30日午前10時より正午までと、午後1時より3時までの2回、姫路城三の丸広場で、「姫路城漆喰塗り体験会」が開かれる。定員は約400名。当日受付。材料が無くなり次第終了。

●姫路城三の丸広場では、9月24日午後6時より9時まで、「第36回姫路城観月会」が催される。また同日、好古園では、午後5時から9時まで、「好古園観月会」が催される。

●姫路市書写の里・美術工芸館では、9月1日より、『姫路藩窯・東山焼展」が開かれる。10月21日まで。江戸後期、姫路市東山の興禅寺山麓で始まった焼物。次期藩主酒井忠学(ただのり)と第十一代徳川家斉(いえなり)の娘喜代姫(きよひめ)との婚約が成立し、その贈答品と調度品を整える必要から生まれた。約100点展示。

●三木美術館では、8月22日より、『牧進展』が始まっています。11月18日まで。同時開催として、「織部と楽~彩りを楽しむ」もあります。また、貸ギャラリーのgalleryアートスペースmikiでも無料の催しをしている。

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2018年8月26日 (日)

『宗竺居士家訓』を読む その五~予備費

『宗竺居士家訓』を読む。今回は、第5項。

現代語訳は流風。

五、「総家は、毎年、総収入の幾分かを割いて、一定の積立金をせよ。各家の等級によって、これを分配する。また、他家へ入り嫁する者にも、これを与えよ」

原文(一部、現代仮名遣い)

五、「毎年総収入の幾分を割いて一定の積立金を為し、同様各家の等級によって之を分配し、かつ、他家へ入嫁する者にも之を与うべし」

要するに、準備予備金と言われるもの。冠婚葬祭等で、緊急の出費に対応できるようにした。冠婚葬祭費用の額を一族で決めておけば、後は、そのルールに従って運用するだけ。無用の出費や手続きが省ける。

これは現代でも、どの家庭でも、仕組みとして導入できる。

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2018年8月25日 (土)

『宗竺居士家訓』を読む その四~同族のルール

『宗竺居士家訓』を読む、今回は第四項。

現代語解釈は流風。

四、「各家の子どもが結婚する時や、借金を作る時、あるいは債務保証する時は、必ず同族の協議を経て、十分に理解が得られてから実行しなければならない」

原文(一部、現代語仮名遣い)

四、「婚姻を結び、負債を起こし、又は債務の保証については、必ず同族協議を経て、而して後、実行すべし」

まず、婚儀については、若い人たちは、この考え方に抵抗があるだろう。昔は、「家」中心主義であったから、このような発想がある。ただ、現代でも、裕福な家では、同様な考え方をしている人は意外と多い。

それは、自家に怪しい人物を取り入れないためでもある。蟻の一穴で、家が滅ぶということもある。蜂の一刺しで死ぬこともある。危ない人物を近寄らせないことは、誰でも大切なこと。君子、危うきに近寄らず、なのだ。

ところが、若い時は、一時の恋愛に喜びを感じる。この家訓は、その危うさを指摘しているとも言える。これでは、家を守れないと。同族の協議で、決めるとしているのも、必ずしも否定できない。

現代は、家と家の結婚ではないが、もう少し、そういう意識を持った方がいいかもしれない。

次に、借金等負債を抱える場合は、慎重にしなければならないとしている。金余りの時代には、金融機関は、あの手この手で貸し出しを言ってくる。あるいは、自らの欲で、事業拡大と称して、借金を作ろうとする場合もあるだろう。

しかしながら、安易な借金は、身を滅ぼすもとだ。また、現代は、借金とわかりにくい表現のものもあるが、支払いを先延ばしにするものも借金だ。同族協議で、新たな知恵をもらえれば、借金は避けることができるかもしれない。

次の債務の保証は、過去に、これで身を滅ぼした人は、たくさんいる。他者の負債を抱え込むリスクは極力排除しなければならない。安易に判を押さないように家訓にしたのだろう。

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魅力薄れる「報道ステーション」

朝日の「報道ステーション」の、割とはっきり言う傾向のある某女性アナウンサーが9月末で降板するらしい。最近は、メインキャスターの男性アナウンサーのレベルが低く、その発言にトンガリもキレもない。それで、最近は、魅力もないので、あまり視聴していなかった。

しかし、時々視て、某女性アナウンサーのキレのあるコメントには、多少なりとも共感していた。彼女は、帰国子女らしく、論理的にはっきり自分の意見を言うタイプ。確かに、流風も現役時代、帰国子女とのやりとりは、なかなか難しかった記憶がある。

男性のキャスターも、彼女とのやりとりに苦労したのかもしれない。しかしながら。報道という立場では、彼女のようなタイプが必要だ。むしろ、男性キャスターを降ろして、彼女をメインキャスターにすべきだったと思うが、局の判断は違ったようだ。

更に、過去に不倫で問題を起こした女性アナウンサーを再活用するらしい。女性は、そういうことを、よく記憶している。そうでなくても、この番組は、もう誰も視ないかもしれない。近い将来、番組の再編で消えていくかも。

*追記

元テレビ朝日アナウンサーが、体操協会の塚原夫妻を擁護する発言を、「報道ステーション」でも、やっていたが、大変違和感がある。他のテレビ朝日の番組でも、彼女は出演して、塚原夫妻を擁護し、他の出演者も、それに同調していた。テレビ朝日は大丈夫か。誤りを誤りと報道できないなら、彼らの存在価値はない。

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2018年8月24日 (金)

『宗竺居士家訓』を読む その三~勤倹努力

今回は、『宗竺居士家訓』の三項。

現代語訳は流風。

三、「勤倹に努めて、家を富ますこと。驕り高ぶった贅沢は、身を滅ぼす。前者に勤め、後者は避けて慎むことが求められる。これは同族の繁栄と子孫が栄える基礎である」

原文(仮名遣いは一部修正)

三、「勤倹以て家を富まし、驕奢以て身を滅ぼす、此を勤め彼を慎まざるべからず、是れ同族の繁栄と子孫長久の基なり。

昔から、勤倹に努めることは、旧家では言い伝えられてきた。だが、若い時は、その意味がなかなか分からない。むしろ、他者から、お金を使うことが奨励されることもある。意味のある、お金の使い方であればいいが、往々にして無駄遣いになる。

そうでなくても、人々は、日々知らず知らず、目に見えない贅沢をしている。油断すれば、お金というものは、あっという間になくなる。それは、お金持ちも同様であろう。この家訓も、そういう意味を持たせているのだろう。

勤倹は、過去の人々の歴史を冷静に見た結果、生まれた教訓だ。

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2018年台風20号、姫路を直撃したが、、、

昨日の昼間は天候もよく、気温は高かった。台風が来る感じでは全くなかった。まるで、CCRの『雨をみたかい』の歌詞の気分。ところが、テレビでは、台風20号関係の報道をわいわいやっていた。

よく見ると、実際、姫路市を直撃するコース。でも、結果的には、大したことなかった。ネットで天気予報を確認しても、少し雨量が多いだけで、風も幾分強かったが、過去には、もっと強い風雨もあった。

朝起きても、特に変わったこともなく、一安心。確かに、風は、今も吹いている。海岸線は高潮警戒が続くのだろう。仕方のないことだが、交通機関も、早めに警戒して、止まってしまった。本日も、多くの人が影響を受けるのだろう。

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2018年8月23日 (木)

『宗竺居士家訓』を読む その二~分を守れ

引き続き、『宗竺居士家訓』を読んでいく。今回は、第二項。

(口語訳。流風)

二、「同族は、分家するなどして、いたずらに、その範囲を広げてはならない。各家には、その器に従ってやるべきことがある。それを無理して、変に欲を出して拡大しようとすると、物事がややこしくなって、もめ事が生じる。思慮深く考える必要がある。同族は、11家に限定する」

原文(仮名遣いは一部修正)

二、「同族は徒に、其の範囲を拡むべからず。物各其度あり、多きを貪らば、粉紜(うん)是より生ぜん、深く鑑みざるべからず、同族は十一家と限るべし」

どのように十一家に分けていたかは勉強不足で不明だが、恐らく、各家ごとに専門分野を設け、他家の分野を侵さず、それぞれの家の分野に徹せよを言っているのだと思う。

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2018年8月22日 (水)

『宗竺(そうちく)居士家訓』を読む その一~人間関係

今回から、『宗竺(そうちく)居士家訓』を読んでみたい。『宗竺遺書』とも言われるもので、これは三井家の二代目当主・三井高平が作った家訓。1900年に『三井家憲』に改訂されるまで、約200年、三井家の考え方の基礎になった。

順々に取り上げてみよう(現代語解釈は流風)。

一、「同族は、人間関係で、親密な人情と誠意を以て、付き合うべし。もし、これに反して、それを損ない、同族が相争うようになれば、終に、我が一族は、滅んでしまう基と考えよ。同族といえども、慎み深く、付き合え」

原文(仮名遣いは一部修正)

一、同族互いに親密の情誼を以てすべし、もし、それ之に反して同族相争わんか、遂には全家滅亡の基と知るべし、慎まざるべからず

親族間では、どうしても甘えが出る。そこから、いざこざが生じやすい。お互いの立場や心を察し、誤解を生まないように誠意を以て慎重に発言し、仲良く付き合えば、問題は起こらないと言っているように思う。

次回に続く。

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2018年8月21日 (火)

蔵書は一代限り

蔵書は、放置すれば、貯まっていくばかり。そこで定期的に処分している。多くは、ネットで引き取ってくれる中古書籍買取店に売却している。図録や週刊誌等は、粗大ゴミ。図録の中には、価値のありそうなものもあるが、買いとってもらえないので、仕方ない。

書籍は、流通に乗れば、誰かが購入するかもしれない。大学は、蔵書が増えれば、押印があるため、焼却処分するそうだが、勿体ないことだ。世の中には、そういうものを欲しがる人が将来出てくるかもしれないのに。

以前にも、記したが、父は、読んだ先から、書籍は処分していた。それらは子供が引き継ぐものではなく、自分のものにしたら終わり、という考えからであった。要するに、蔵書は一代限りという考え方に忠実であった。

*追記

学者に限らず、個人でも、蔵書をたくさん貯めこんでいる人は、よく見られる。だが、上記のように考えると蔵書は基本的には、ゴミだ。必要な情報を取り込めば、それ以上の価値はない。

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2018年8月20日 (月)

改めて、“Be My Baby”を聴く

時々、ラジオ等で流れている、“Be My Baby”を聞く。曲調は、すぐにでも踊りたくなるような、快活なものだ。歌は、ザ・ロネッツが歌っていて、当時、米国の若い女性に支持された。しかし、50年以上前の曲だが、歌詞の意味は知らなかった。

改めて確認すると、その内容は、一目で気に入った男子に、「私のものになって」(英語が、そのような意味になっていないが、解釈で)という積極的女子を描いている。「ものにする」なんて言うと、日本では、男の専売特許のように捉えられてきた。「あの娘を、今度こそ、ものにする」とか言って、勇んでアタックしたものだ。

この曲は、明らかに逆バージョン。以前に記したように、現代は、実際は、選択権は男にありそうで、実際は元気な女性が握っていることが多い。それが戦前と異なるところ。ということで、今は、選ばれる男子になるように努力せねばならいのかも。

*追記

ついでに記せば、「君の瞳に恋してる(“can't take my eyes on you”」も、同様な意味を持っている洋曲だった。

*追記

これも古い話で恐縮だが、朝鮮戦争時の男女の悲恋を描いた映画『慕情』では、歌の中に、「愛は男を王にする」という文句がある。せいぜい、現代の女子は、選択権を行使しつつ、そのようにするべく頑張ってほしいものである。但し、育てようでは、「良い王」にも、「悪い王」にもなりうる。その点は要注意(笑)。

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2018年8月19日 (日)

秋風と『万葉集』の七夕

まだ秋風が吹くというより、台風の影響による風。でも、気温も、やや下がり、過ごしやすい。だが、来週あたりから、残暑で、また厳しいかも。まあ、これは仕方ない。

さて、時期は少し過ぎたが、『万葉集』に七夕の歌を取り上げる。でも、旧暦では、七夕は秋。そういうことで、遅まきながらも取り上げることにした。『万葉集』では、憶良が12首、詠んでいる。その中から、1~2首、見てみよう。

天の川 相向き立ちて 我が恋ひし

 君来ますなり 紐解き設(ま)けな

   (巻八)

少し変な感じのする歌だが、これは憶良が織姫の立場になって作ったもの。衣の紐を解いて待つというのだから、若干、俗っぽい(笑)。織姫が、今か今かと彦星を待つ気持ちかな。今だったら、彦星が織姫を待つ歌になるかも(笑)。

もう一つは、

風雲は 二つの岸に 通へども

 我が遠妻の 言ぞ通はぬ

    (巻八)

これは七夕にこと寄せて、遠くにいる妻が、手紙の一本もよこさないのを憂いている。これは当時の通信事情から、妻が手紙をよこさないのではなく、よこせないことを恨んでいるとも取れる。風や雲は、天の川を自由に行き来しているのが羨ましいという気持ち。

最近は、電話に加えてネットで、瞬時に相手と会話をすることができる。ところが、これが却って、マイナスの効果を生むこともある。手紙のような余韻が残らないからだ。瞬時の会話では、相手の思いを十分考えることができない。

そこに齟齬をきたす。憶良の時代のように、やり取りが、なかなかできないのも不便だが、二人のためには、いいことかも。

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2018年8月17日 (金)

インスタの長文記事は読まない

タレントや俳優の方たちが、ブログ記事を記しているのは、ある意味、宣伝活動であろうが、記事によっては、彼らの人間性の一面が窺えて、面白いものだ。

ところが、最近は、ブログ記事を作成するタレントや俳優は、減っている感じた。ブログで記事を発信する、メリット・デメリットを考慮してのことかもしれない。

その代わりに、インスタで、写真の公開が増えているようだ。ところが、このインスタに、説明文を記している。ちょっとした説明であれば、いいのだが、長文の文章を載せている人もいる。

更に、これをブログに貼り付けて発信している人もいる。だが、段落もなく、非常に読みにくいので、長文のものは読まないようにしている。発信するのも考えないと、効果面で、却ってマイナス効果になりかねない。うざいと思われるだけだ。

単に発信すればいいというものではない。これは私も反省が必要なのだが、タレントや俳優であれば、発信効果を真剣に考えられた方がいい。

*追記

基本的に、インスタのブログへの転用は、あまり感心しない。忙しいのは分かるが、手抜きが明らか。文章を書き込むときは、「ブログ」、写真中心の発信は、「インスタ」と使い分けた方が無難と思う。そして、関連を持たせれば、相乗効果は期待できる。

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2018年8月16日 (木)

姫路の小学校のクーラー設置問題

姫路市でも、小学校のクーラー設置問題が話題になっている。今年のような酷暑が続けば、クーラー無しでは、学習環境ではないことは確か。姫路市長も、設置の意向を持たれているようだが、それなりのお金がかかる。

その他に、設置以後の問題もある。それは設置費用以外に、メンテナンスコスト、電気代、運用等だ。設置すれば、それだけで解決する問題ではない。その後も、継続的コストもかかる。更に、将来的には、更新費用も発生する。

また、運用面では、子供たちの中には、クーラーが苦手という生徒もいるだろうし、設定温度、運用時間、健康管理面での外部気温差の問題等がある。

これらの問題をクリアにしつつ、予算化できるまでは、市民に協力を要請するのも有りだろう。例えば、「子ども学習環境改善基金」として、寄付を呼び掛ける。その他にベルマークの活用の推進。

個人的には、市民として、協力するのはやぶさかではない。なんとか、小学校にクーラーを設置してほしいものである。

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2018年8月14日 (火)

商品券は設計見直しを

かつて、お中元やお歳暮で、物を贈る習慣があったが、今は、あまり、そういうものをしない人が多いようだ。それに人々の嗜好は多様化しており、もらっても、必ずしも喜ばれるとは限らない。むしろ迷惑がられる。

そこで、賢明な人たちは、物の替わりに商品券を贈ってきた。お金を渡せば、それは失礼に当たるかもしれないが、商品券だと、あまり抵抗なく受け取ってもらえるからだ。商品券だと、もらった人は好きなものを購入できるメリットがある。

ところが、最近は、必ずしも喜ばれない。というのは、特に地方では、商品券が使える商業施設が閉鎖、撤退している。そういうわけで、もらっても使えない。結局、金券屋などで換金することになる。

これを解決するには、商品券を使える施設を増やすことが必要だが、あまり積極的でないようだ。相手が大都市に住んでいない限り、商品券は無駄になる。商品券の利用可能先の設計見直しを早急に求めたい。

*追記

現在はネット社会。これに適応できる商品券が欲しい。それを言うと、使える先を限定したプリペイドカードの提供ということになるが、もっと多様化してもいい。

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2018年8月13日 (月)

落語『稲荷車』について

姫路にも、お城近くで観光人力車が、活躍している。割と利用客がいるので、そういう需要があるのだなあ、と少し感心している。姫路城近くで結婚式を挙げた新婚さんや、旅行者と思われる人々が利用している。暑さ、寒さの中、人力車を曳いていくのは、大変なことだと思うが頑張ってほしいものだ。

さて、落語にも、人力車を扱ったものがある。それが『稲荷車(いなりぐるま)』。時代は、明治の初めごろの東京の話。無尽講(*注)に当たって、御馳走になった男が、夜遅くになったので、上野から王子まで、人力車を使うことに。

目的地の王子は、当時、かなり田舎。ところが、その車夫が大変な臆病者。それを見て、男は、いたずら心を起こして、車夫をからかうことに。というのは、男は、自分は、王子稲荷の使いの狐だと言うと、車夫は、それを信じ込む。

そして、自分の名前と住所を告げ、「ご利益をお授けください。車代などは、お賽銭として奉納します」と言う。そう言って、車代も受け取らず去っていく。男は、これを面白がって、家に帰るが、無尽に当たったお金がないことに気づく。

どうやら車の中に置き忘れたと思うが、ただ乗りしてきたため、取りに行きにくい。それでも、大金なので、翌日になって、車屋を訪ねると、車夫は車の中に大金があったが、これはお稲荷様がお授けになったに違いないと、長屋の連中を集めて、飲めや、食えやの大騒ぎ。

そこへ男が、顔を出し、「王子から参りました」と言うと、「福の神のご入来だ」と言われ、恐縮してしまい、「そんなにされては、穴にでも入りたい」とオチ。

つまり、車夫にネコババされて、男が言ったことが禍になり、逆にからかわれた形に。調子に乗ると、こういうことになる。好事魔多し、とは、まさにこのこと。でも、それが分かっていても、当事者になると、それを忘れるのが人間でもある。

*注

無尽講は、別名、頼母子講。限られた人数で出資し、当たると、資金が給付される。現在の地域金融に近い。商いに役立てるもので、宝くじではない。

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2018年8月12日 (日)

推薦入学も一種の「裏口入学」

少子化の現在、各大学は、入学者を増やそうと、あの手この手を使っている。その一つが推薦入学であろう。これは昔からあるが、最近は必ずしも成績優秀者とは限らず、その対象を増やしているようだ。

芸人の裏口入学が話題になっているが、大学が人集めのため、話題になりそうな人間を、なんとか入学させようと画策したのかもしれない。この手のやり方は、一芸に秀でた人材を推薦入学させるとのと似ている。よく考えると、この推薦入学も一種の「裏口入学」と言えないこともない。

また、成績優秀者を試験を免除して、入学させることは昔からあったが、小中高の一貫教育でエレベーター式に推薦するのは、ある意味、人材確保のための裏口入学と言える。つまり学校側の都合と受験免除を受けたい学生側の意向が、合致したケースだ。

だが、概ね、これらの人材は、受験競争を経ていないため、優秀さに欠ける場合が多い。もちろん、中には、本当に推薦された優秀な学生もいるだろうが。だが、大概は、間の抜けた人材が多いことも確かだ。

企業も、それらを調査して採用した方がいい。競争を経験しないと、危機に強い資質を持った人材にはならないのだ。ずっと戦力にならない人材を採用するのがいいのか、真剣に考える必要がある。

*追記

もちろん、世の中には、一つの限られた分野で、ずば抜けて特殊な能力を発揮する人がいる。他分野には全く関心がなく、学校の成績は平均点の高さが求められるので、落ちこぼれる。これらの人々能力を発揮させ救済するため、推薦入学も検討されていい。

ただ、この仕組みを悪用し、芸能人等で、大した能力もないのに、「一芸」に秀でるとして、宣伝のため、無理やり入学させる学校もある。こういったことをしている限り、大学の格付・信用は落ちていく。

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2018年8月10日 (金)

夏の恋の終わり~スカイハイ

少し酷暑から解放されて、蒸し暑さはあるものの、朝夕は、少し過ごしやすくなった。昼間、空を見上げると、秋の空のようにも思える。まるで「スカイハイ」の感じ(笑)。昔ヒットした、この曲は、テンポがよく、かっこいい曲調だが、実際は失恋の歌。

せっかく、好きな彼女を獲得したのに、急に捨てられた男の嘆きが、この歌。彼女を得た時は、天にも昇る気分だったのに、そこから投げ出された気持ちを、うまく表現している。今も、夏の恋が終わったケースが、世界で見られるのだろう。

山高ければ、谷深し、は株屋の金言だが、恋愛にも当てはまるということだ。でも、若い人は、大いに経験すればいい。それも人生の味付けになる(*注)。

*注

但し、女性の場合は、あまり恋愛グセを付けない方がいいかもしれない。うまく行かなければ、かつてシャーリーンが歌った『愛はかげろうのように』のような人生を歩みかねない。

*追記

若い方は、以上の二つの曲は、ご存じないだろうから、ネットで訳付きのもので歌詞の内容を確認してほしい。

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2018年8月 9日 (木)

平和の配当

有名な中国の古歌に次のようなものがある。

日 出ずれば 作(はたら)き

日 入れば 息(いこ)う

井を鑿(うが)って 飲み

田を耕して 食(くら)う

帝力 我において 何かあらん

どこかのごだごたも、一般庶民には、どうでもいいこと(笑)。朝起きて、元気であれば、働き、食べ、飲むことができれば、それで十分である。そういう平和があり難い。あまり欲を出すと、心の平和は保たれない。

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2018年8月 8日 (水)

今すぐに止めるべきテレビ番組 2018

テレビ放送の番組は、明らかにマンネリ。一つの局が成功すれば、他局は、すぐにまねるから、結局、特色のある番組は、どんどんなくなっていく。j毎年、似たようなことを記しているが、今回、独断で、不要な番組をリストアップしてみた。

一、お昼の報道番組。そもそも、偏ったネタの集中的情報提供になる報道番組は不要だ。そもそも、これらの番組が、どれくらい必要か疑問。ニュースだけを丁寧に、きちんと報道すれば、本来、これらの報道番組は、要らないはず。

二、グルメ番組。料理の味は、結局、本人が確認しないと、判断できない。他人の評価を放送されても、意味はない。昔の感覚で、番組を作り続けているが、不要だ。

三、各種料理番組。毎日毎日、多様な料理が紹介されるが、実際に作っている人がどれくらいいるだろうか。一般家庭のレパートリーは限られている。それにちょっと作るのに不安に感じれば、ネットで検索すればすべて解決する。古い感覚で惰性で番組が作られている。

四、洋の東西を問わず、三流の外国ドラマ。彼らの文化を学ぶ対象にも、なりえない。

五、地上波での朝のゴルフ中継。ゴルフ好きの人には専門チャンネルで放送することが望まれる。

六、二時間ドラマ等、長時間ドラマ。映画の場合は、ともかく、ドラマで、二時間は必要ないだろう。大体、だらだらと内容もなく、一時間ドラマで十分なものが多い。

七、健康医療関係番組。大体、健康管理は、個別なもので、普遍的なものではない。万人に通用しないのに、あれがいい、これがいいと勧め、視聴者を混乱させるだけ。いい加減に止めるべき。

*追記

これらの番組をすべて中止にすれば、相当空き時間が取れる。そこにどのような番組を嵌め込むかが各局の腕前だろう。そして、早く取りかかったところが、一抜けることになる。

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2018年8月 7日 (火)

リーダーの資質と覚悟

現在、バブル崩壊時の日本を描いたドラマ『ハゲタカ』が民放で放送されている。確か、以前、NHKでも、放送されていたように思う。その主人公が、経営者に「覚悟はできているのか」と迫る場面がある。

そして、時は移り、現在、大企業の不正が、次々と明らかになっている。大企業の不正はなぜ起こるのか。リーダーの条件が問われる問題だ。不正の事象を見ていくと、本来、組織の風通しがよければ、起こることはないと思われる。それを阻害しているものは何か。

基本的にトップの経営姿勢であろう。不正を許さぬ姿勢を貫けば、問題は起こらない。それが起こるのは、不都合なことは隠蔽しようとする組織力学が働くからだ。トップに恥じをかかせれば、自分の立場が危うくなると考える人々の存在だ。

そのような組織風土が生まれたとすれば、明らかにトップの責任。一般的に企業のトップあるいは重役の任期は、2期4年が限度だ。オーナー企業を除いては、トップも代えていく。もし、それを延ばそうとすれば、恣意的な力が働く。

組織を自分思い通りに運営しようとする。それは独善的で独裁的な運営になりがちだ。経営が、うまく行っている時はいいが、少しおかしくなると、急激に業績を悪化させ、企業全体が崩れていく。

前置きが長くなったが、それではトップの資質と覚悟は、どのようなものだろうか。基本的に言えることは、エリートが必ずしもトップに相応しいとは言えないことだ。確かに、知識を得る努力は尊敬に値する。

だが、企業業績は結果で、正しいプロセスを踏まなければならない。不都合なことが起こった時、保身に回ると、決断に迷いを生じやすい。保身が邪魔をするのだ。例えば、本来なら、身を引く決断をすべきところを、地位にしがみつこうする思考が誤らせる。

本当のトップは、定めた目標(ゴール)のためには、右往左往しない。もちろん、大きな成果を望める代わりに大きなリスクもある。仮に失敗しても、世間の評価は気にしないと覚悟ができている。

*追記

ただ、サラリーマン社長の覚悟には限界があるとも言える。よって彼らの任期は、2期4年が限度だ。ということは、彼らによって運営される企業は定期的に見直し、「解体」「再編」される必要がある。

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2018年8月 6日 (月)

鄭板橋の漢詩『偶然の作』を読む

中国の昔の人の詩句に次のようなものがある。

英雄なんぞ必ずしも 書史を読まん

ただ 血性を攄(のぶ)れば 文章となる

仙ならず 仏ならず 賢聖ならず

筆墨の他に 主張あり

これは清の時代の画家であり書家であった鄭板橋(てい はんきょう)の『偶然の作』と題する詩の最初の四句。なぜか、この部分だけ、中国文学研究家によって、取り上げられる。また彼の書は、隷書、楷書、行書が一体となった不思議な書風だが、現代日本でも人気があるようだ。

この詩句の解釈としては、次のようになるかもしれない。

「英雄にとって読書は必ずしも必要ではない。ただ自らの騒ぐ血の性を、そのまま表せば、文章になる。その文章は、仙人、仏、聖賢の範疇にも属さない。彼が書いたり画いたりしたもの以外に、その主張があるのだ」と。

これは何を語っているのか。英雄と言われる人は、「天の啓示(天命)」を受け、それを実行に移すことで、彼のオリジナリティーが示される。いくら学問をしたところで、これらは得られるものではないと言っているように思える。

すなわち、「天の啓示(天命)」を、直観で感じ取り、実行に移せることができる人のみ、英雄になるということだろう。やがて、「天の啓示」は志や使命感として反映される。

*追記

なお、清の文人で、当時、自由人と称された、袁枚(えんばい)さえも、「古代の聖人にとって、徳は心にあり、功業は世間にあり」、と同様なことを言っている。人々を動かす「本当の文章」は、国家をも左右するということだろう。

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2018年8月 5日 (日)

スダチの季節 2018

毎日、本当に嫌になるくらい暑い。出かけても、すぐ涼しいところに入りたくなる。これなら、自宅に居るのと同じ(苦笑)。でも、若い人は、比較的多く、街中に出かけている。年寄りは、ほとんど見かけない。年齢の差は大きい。若い人も過信してほしくないけれど。

さて、雑草が生い茂る中、スダチの木を見てみると、たくさん実をつけていた。この木は、母が植えたもの。毎年、たくさんの実をつける。だが、自宅で消費するのには限界がある。いつも余ってしまう。

結局、黄色くなるまで放置して、完熟した実をレモン代わりに使用することが多い。まるでユズ状態。未だ、スダチとユズの違いは分からずじまい。スダチも放置すれば、ユズくらいの大きさになる。

味もそんなに変わらない。所詮、ミカン類の同類なのだ。まあ、それはそれとして、今年は、どのように食するか。サンマも高いし。茶碗蒸しに使っても、そんなに量はいらないし。今年も、やはり放置するのだろう(笑)。

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2018年8月 4日 (土)

昔の人の治水の知恵の再評価

姫路市の市街地を流れる市川は、姫路城主・池田輝政が、江戸初期、城下町を水害から守ろうと大改修した際、市川を東に迂回させて大きくし、現在の規模や形状になった。そして、姫路城から東北の市川に堰などを設け対策をして姫路城下は守った。

しかしながら、下流域は、大雨で、度々氾濫した。明治中期には、下流で堤防が決壊している。その後も、浸水被害が相次いでいる。歴史的に、この川をを巡って、色々対処してきた。毎年、暴風雨に襲われると、今でも周辺は心配な地域だ。

兵庫県は、改めて、江戸・明治期から残る堰(せき)や突堤について、治水効果を検証したらしい。というのは、下流域の古い堰などの存廃を決めるためだ。新技術を投入して、精査したらしい。

それによると、川の流れに対して角度をずらし、斜めに設けられた「花田井堰(江戸後期築)」は水位を平均11センチ下げた。これは、流れに垂直の積り水位を下げる効果が高いという。

また護岸沿いの石積み突堤「水制工(明治後期築)」(5基)は、護岸から突堤を島のように飛び出させることで、護岸付近の水流の向きを変え、流速を毎秒6メートルから2メートルに毎秒4メートル緩めていることが判明。

その他にも、姫路城主。本多忠政が江戸初期に築いたとされる飾磨樋門も、一定の治水・利水効果があるとした。

県姫路土木事務所は、伝統的な工法の意義に驚いているという。県は、これらの工法の効果が明らかになったので、これらの施設は補強して残すことにした。改めて先人の知恵に学びたいものだ。

*注記

記事の内容は、神戸新聞の報道をベースにしたもので覚えとして記した。

*追記

これらのことは、子どもの頃、川遊びをしていて、おもちゃのポンポン船を浮かべて、同様のことを考えたことがある。大小の石をいろんなところに並べて、水の流れの変化を楽しんだものだ。治水のヒントは、案外、そういうところからも生まれるのかもしれない。

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2018年8月 2日 (木)

日本銀行の信頼性に疑問

日本銀行が投資信託のデータに間違いがあり、修正したとの報道があった。30兆円もの誤差があったとのことだが、何をか言わんである。彼らは、概ね高給を取っている。何をやっているのだろうか。

「貯蓄から投資へ」と旗を振り、アベノミクス効果で、投資信託残高は増えているとしていた。これはすべて誤りだったということになる。それが増えているどころか、減っていた。まるで、詐欺行為だ。少なくとも、証券会社は、このデータに基づき、顧客に嘘をついていた。

そうなると、一体、アベノミクスは何だったかということになる。逆に言えば、国民は賢明であったということかもしれない。以前にも記したが、投資信託は、その運用内容が不明なものが多い。そして無責任体制。

もちろん、銘柄によっては、長期に少しずつ投資すれば、ペイするものもあるかもしれない。ただ、そういものを除けば、ベンチャー株に投資するのと同様、リスクが大きいことも確かだ。

いずれにせよ、日本銀行は大きな汚点を残したことになる。

*追記

日本銀行は、0.2%まで金利上昇容認したとのこと。またマイナス金利の適用も縮小するそうだ。黒田日銀は、物価上昇率2%を目標にしてきたが、いくら金融緩和しても、未だ達成できない状況。政策は、明らかに失敗と言える。日本銀行に世界経済を動かす力があると錯覚したのが、間違いの元だろう。

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