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2018年8月 4日 (土)

昔の人の治水の知恵の再評価

姫路市の市街地を流れる市川は、姫路城主・池田輝政が、江戸初期、城下町を水害から守ろうと大改修した際、市川を東に迂回させて大きくし、現在の規模や形状になった。そして、姫路城から東北の市川に堰などを設け対策をして姫路城下は守った。

しかしながら、下流域は、大雨で、度々氾濫した。明治中期には、下流で堤防が決壊している。その後も、浸水被害が相次いでいる。歴史的に、この川をを巡って、色々対処してきた。毎年、暴風雨に襲われると、今でも周辺は心配な地域だ。

兵庫県は、改めて、江戸・明治期から残る堰(せき)や突堤について、治水効果を検証したらしい。というのは、下流域の古い堰などの存廃を決めるためだ。新技術を投入して、精査したらしい。

それによると、川の流れに対して角度をずらし、斜めに設けられた「花田井堰(江戸後期築)」は水位を平均11センチ下げた。これは、流れに垂直の積り水位を下げる効果が高いという。

また護岸沿いの石積み突堤「水制工(明治後期築)」(5基)は、護岸から突堤を島のように飛び出させることで、護岸付近の水流の向きを変え、流速を毎秒6メートルから2メートルに毎秒4メートル緩めていることが判明。

その他にも、姫路城主。本多忠政が江戸初期に築いたとされる飾磨樋門も、一定の治水・利水効果があるとした。

県姫路土木事務所は、伝統的な工法の意義に驚いているという。県は、これらの工法の効果が明らかになったので、これらの施設は補強して残すことにした。改めて先人の知恵に学びたいものだ。

*注記

記事の内容は、神戸新聞の報道によるもので覚えとして記した。

*追記

これらのことは、子どもの頃、川遊びをしていて、おもちゃのポンポン船を浮かべて、同様のことを考えたことがある。大小の石をいろんなところに並べて、水の流れの変化を楽しんだものだ。治水のヒントは、案外、そういうところからも生まれるのかもしれない。

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