« 2018年9月 | トップページ | 2018年11月 »

2018年10月31日 (水)

渋谷村の大騒ぎ 2018

渋谷で、ハロウィンの大騒ぎがマスコミで報道されている。車をひっくり返したり、痴漢騒ぎ、暴力騒ぎ、喧嘩騒ぎ。更に、ネット技術を悪用した諸問題発覚。ここは現代日本が凝縮されているとも言えるが、純粋な東京人は、こんなことをしないだろう。

要するに、田舎から出てきた人たちが、ここぞとばかり、発散し、気を晴らしているように見える。よく旅の恥のかき捨てというが、それに近い。見方を変えれば、東京には、地方のように、祭り文化が、きちんと形成されていないとも言える。

それを「馬鹿」と捉えるか「未熟」と捉えるべきか。ある意味、都市の「祭り文化の遅れ」とも捉えられる。これをどのように整えるかはリーダーの役割だ(必ずしも行政の役割とは言えない)。まず祭の主催者が必要だろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月30日 (火)

戦中・戦後の不明なこと~『昭和の怪物 七つの謎』

親もそうだったが、戦時中のことは、ほとんど話さなかった。時々、外征していた学校同期の人が訪ねてきて、ひそひそ話をしていたが、母や私が、部屋に入ると、話は中断した。父は、国内の軍事訓練だけで、外征には行っていないので、友達から聞きだそうとしたのかもしれない。

そのように、軍事に関与した人は、戦後、ほとんど沈黙を守った。それがため、真実が伝えられず、一部の声の大きい人たちによって、捻じ曲げられた。それは真実を隠し、嘘を伝えた軍人たちの話を、そのまま伝えた。概ね、そのような軍人は、現地で、あくどいことをしたり、虐待・虐殺に関与していたと言われる。

それでも、なかなか真実は分からない。だが、戦後も約70年以上経って、鬼籍に入ろうかという人々が真実を伝えるようになった。保坂正康氏は、当時の政界・軍部のトップ層にいた人たちを、いろんな角度から取材し、読み取り、分析した書籍に『昭和の怪物 七つの謎』がある。内容は次のようになっている。

第一章 東條英機は何に脅えていたのか

第二章 石原莞爾は東條暗殺計画を知っていたのか

第三章 石原莞爾の「世界最終戦論」とは何だったのか

第四章 犬養毅は襲撃の影を見抜いていたのか

第五章 渡辺和子は死ぬまで誰を赦さなかったのか

第六章 瀬島龍三は史実をどう改竄したのか

第七章 吉田茂はなぜ護憲にこだわったのか

詳しい内容については、記さないが、いろんな戦中・戦後史を読んでも、もやもやがあったが、これを読んで、かなりすっきりした。結局、歴史観や哲学のない人をトップにしてはならないと強く感じる。多くの人に目を通してほしい書籍だ。

*追記

結局、言えることは、安倍改憲は、「日本国憲法」の成り立ちから言って、「天皇」の存在を否定することになる。よって、現在の自民党政権は、「非保守」ということになる。

戦後、日本は、「天皇」の存在と「日本国憲法」の成立により、日本の分割統治は避けられたことを国民は忘れてはならない。同時に、「日本国憲法」は、「天皇の存在」を守った。それに手を入れることは避けなければならない。

後は、従来のように、解釈により、憲法にぶら下がる各種法律を整備することで、各種矛盾は避けられる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月29日 (月)

姫路城関連ニュース 2018年11月分

姫路城関連ニュース 2018年11月分をお伝えします。随時更新。姫路市書写の里・美術工芸館及び埋蔵文化財センターの催しも含めます。また姫路城の催しの詳しい案内は、ネットで「姫路城便覧」を参考にしてください。なお、催しの選択は個人の嗜好です。

●大手前公園で、恒例の「姫路全国陶器市」が10月31日より始まる。今年は、壊した小鉢や、小さい皿で、いいものがあれば購入予定。11月4日まで。

●姫路城三の丸広場で、姫路城菊花展が開催中。11月9日まで。

●姫路城三の丸広場で、11月10日、11日の両日、「人間将棋 姫路の陣」が催される。2015年以降、毎年、催されているもの。雨天時は、会場を白鷺小中学校体育館に変更する。

また11月10日には、イーグレひめじ・あいめっせホールで、全国将棋サミットが開催される。午後2時から6時まで。観覧は無料。

●11月11日(日)、「2018年 こころの祭 姫路」が市内35か所で開かれる。市内のお寺の秘宝公開や個人宅で工芸や音楽が披露される。ガイドマップを観光案内所等で入手して行ってみると、意外な発見があるかも。10時から16時まで。

●11月17日と18日の両日、「ひめじ花と緑のガーデンフェア」が大手前公園で開かれる。これは「ひめじ植木市」がリニューアルしたもの。10時から16時まで。

●11月16日から18日まで、書寫山圓教寺では、恒例の「書寫山もみじまつり」が催される。時間は、10時から20時まで。詳しいことは、ホームページで。

●11月18日、「名古山霊苑スタンプラリーと仏舎利塔ヨガ体験」が催される。9時から12時まで。スタンプラリーは約2km。記念品あり。先着150名。当日受付。雨天時はヨガのみ。

●兵庫県立歴史博物館では、「スケッチでたどる近代兵庫のあゆみ」が開催中。スケッチ作者・沢田伸さんによるもの。観覧無料。11月25日まで。

●11月16日より、イルミネーションイベント2018として、「姫路城 光の庭」が催される。時間は18時より21時まで。12月2日まで。

●11月23日より25日まで、大手前公園で、恒例の「姫路食博2018」が催される。県内のご当地グルメが集結。時間は10時から17時まで。

●兵庫県立歴史博物館では、特別展として「ほろよい ひょうご~酒と人の文化史~」が開催中。酒にまつわる、様々な庶民文化を紹介する。播磨には、古代から酒造りにゆかりのある地域があり、有数の酒蔵もある。更に兵庫県下に目をやると、神戸・灘の酒を含め、もっと多くの酒蔵がある。11月25日まで。

●11月25日(日)、姫路キャスパホールで、「第18回姫路ビデオ映像芸術祭」が開かれる。開場13時。開演13時30分。映像13作品。入場無料。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月28日 (日)

端唄「とんとん唐がらし」と健康

医者からは、塩分を控えよと、強く言われる。その代用として、料理に、とうがらし等を勧められる。ちなみに、端唄「とんとん唐がらし」というものがある。

とんとん唐芥(とうがらし)の粉(こ)

ひりりと辛いは

山椒の粉

にほいのよいのが

紫蘇(しそ)の葉

そういうと、山椒の実も紫蘇の葉も、塩の代用になる。そういう意味で、作られたものではないだろうが(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月27日 (土)

信用できない小泉親子

信用できない小泉親子について記してみよう。親子とは、当然、小泉純一郎・進次郎親子だ。お二人とも、その発言は、勇ましいが、多くの思惑が感じられて、嫌な感じがする。もちろん、政治家である以上、ある程度の思惑や裏があるのは分かる。

まず小泉純一郎氏は、郵政改革を争点にして、選挙で勝った。その是非はともかく、国民も、ある程度、納得して投票した。だが、その後がいけない。多くの議席確保で、公約にないことを次々と法案を通し、ある意味、国民を裏切った。

今は、原発ゼロを盛んに主張するが、その裏の思惑が見え隠れして、全く信用できない。確かに、原発はない方がいい。だが、総合的エネルギー政策と廃炉問題をどのように考えているのか。ある人によると、彼は不勉強で何も考えていないという。

それは政権にあった時と変わらないらしい。要するに、政争の具として利用しているに過ぎない。その後も、思惑を隠し、与野党の議員たちと交流している。目的は国民を扇動し、政界をかき回しているだけ。政界に各種提案するのは容認するとしても、「仕掛け人」として、野党の動きを詮索しているような感じを受ける。元首相であった自覚がなく、品がない。

彼の息子の進次郎氏も、親と同様、男前を活かして、その話ぶりは、一般庶民受けして、人気があるが、風見鶏気質は親と同じだ。一般人向けに話はうまいが、内容はない。芸能人と勘違いしていないか。それに、残念ながら、彼も、親と同様、政策をしっかり学んでいる雰囲気はない。つまり真っ当にリーダーを張れる資質は持ち合わせていない。

それなのに、何の目的か不明だが、野党に秋波を送るなど、嫌な奴という感じ。将来、政界の寝業師を目指すのなら、ともかく、勿体ないことだ。わざわざ、人間の質を落として、裏側に回るのなら、表での政治活動は控えるべきだ。人間、両方はなかなか、こなせないものだ。

私達も、この親子の耳障りのいい発言は、額面通り、受け取らない方がよさそうである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月26日 (金)

青臭いということ

拙ブログに対して、批判的な言葉として、「流風さんは、ええ歳して、いつまでも青臭い」というものがある。まあ、確かに、拙ブログては、そういう議論をしているかもしれない。若い人たちが、青臭い議論をしても、熟年者が、そういう議論をするのは許されないのだろうか。

でも、ある人は次のように語っている。「あいつは、いくつになっても書生っ気で困る、という人もいるが、人間は、書生っ気がなくなったら、もうおしまいだよ」

流風は、今後も、青臭く、書生っ気を発揮して、ブログを記していくつもり。

*追記

「ある人」とは、杉浦重剛。明治・大正時代の国粋主義的教育者かつ思想家。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月25日 (木)

「ダイワロイネットホテル姫路」を見学 2018

2016年に商業施設「姫路フォーラス」が閉店した。その跡地がどうなるのか関心があったが、東館・西館共にマンションになるという噂があり、残念だと思っていた。

ところが、西館にはホテルが造られた。それが2018年10月17日にオープンした「ダイワロイネットホテル姫路」。なお東館跡地は、マンションになっている。少し時間があったので、寄ってみた。

見たのは外観、外観廻り、とフロントだけだが、いい感じ。フロントも受け付けも雰囲気がいい。早速、パンフレットを頂いてきた。最近は、パンフレットを作っていないホテルも多くよかった。

このホテルは位置的には姫路駅から北側に歩いて約5分。お城にも近いし、好適地。このホテルは、大和ハウスグループの「ダイワロイヤルが運営しているらしい。ホテルは13階建て。218室。予約は、どこでもそうであろうが、ネットがお得とのこと。

*追記

なお、一階には、テナントで、「ホリーズカフェ」が入居。ついでに利用してみたが、店内は広く席数も多い。ホテル客でなくても利用したくなる明るい雰囲気。それに、コーヒーは懐かしい味で、私的には大変、美味しかった。調べてみると、京都に本社のあるチェーン店であった。なるほど。日常的に利用する喫茶店としてキープしておこう(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

定年70歳の是非を考える

政府が音頭を取って、定年を70歳延長を検討しているという。確かに、一部製造業では、後継者が育っていないため、明らかに人材不足。そんなところでは、元気な高齢者に、働いてもらうのが有効なのも確かだ。

ただ、すべての業種で、定年を70歳まで延ばすべきかと考えると、大きな疑問だ。概ね、若い人たちは反対だ。特に、IT関係で反対が多い。サービス産業でも、同じことが言えるかもしれない。

新しい企画、デザイン、設計分野では、「定年は35歳」と言われており、そもそも定年延長に意味はない。もちろん、ある程度は経験でカバーできるが、時代についていけない面がある。

これらから、明確なことは、業種や職種で、定年の見直しが検討されるべきということ。全産業で、定年を70歳に延長するのは問題が多過ぎる。

*追記

公務員も、定年延長は慎重に考えるべきだ。例えば、現業部門の延長の可能性は検討されても、事務・企画部門の定年延長は不可であろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月24日 (水)

老害という病気~麻生太郎

一般に、頑健な体の持ち主は、弱者に対する思い遣りに欠けると言われる。もちろん、そうでない人も多くいるだろう。ただ、健康を壊した経験をしないと、病気を持つ人の気持ちは分からない。

ちょうど、麻生太郎大臣は、そのようで、彼は78歳になるまで病気をしたことがないそうで「病院に世話になったことはほとんどない」と発言。ラッキーな健康な生活をしてきたのだろう。それゆえ、病気を持つ弱者の気持ちに配慮できないようだ。

それを反映するように、彼の知人が「不摂生が理由で病気になった人の医療費を健康のため努力している人が負担するのは、あほらしい」という発言に対して、彼は「いいことを言う」と同調したらしい。

これは政治家の資質としては大問題。政治家は、安易に他人の意見に同調してはいけない。今回も、彼らしく、「人間は生まれつきがある。一概に言える簡単な話ではない」と付け加えたが、一旦、同調してしまった後で、どんな言い訳をしても、既に遅い。

彼は、思いやりのない政治家として、位置づけられる。相変わらず、言葉が軽く、早く引退された方がいい。麻生氏の「老害」という病が軽口を生んでいる。どうも、この病気は死ぬまで治りそうにない。いつまで政治家でいるつもりだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月23日 (火)

ひとひねり足らないドラマ

最近のドラマで、ひとひねり足らないドラマがある。すなわち、現実の現象を、そのまま映した内容のドラマがあるということ。

ところが、こういうドラマは不人気だ。それは、映像でも、現実を見せつけられるからだ。むしろ、それを否定して、現実には、ありえないと思われるドラマがヒットする。

つまり人々は、非現実を見て、憂さを晴らすということだろう。現実現象をコピーしたドラマは避けるべきかもしれない。多くの人は、ドラマに、ノンフィクションを期待してるわけではないのだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

モンブランが倒産!2018

神戸の洋菓子製造会社モンブランが倒産した。モンブランと言えば、現役時代、お土産やお茶菓子として、よく買ったものだ。主として、チョコレート菓子を買ったが、何となく好きな味だった。

その後も、時々買っていた。この懐かしい味がなくなるのかと思うと少し寂しい。厳しい競争環境下、工夫が足りなかったのか、戦略ミスかは不明だが、企業が生き残るのは、いつの時代も大変だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

男の自惚れ~万葉集より

日頃、見慣れている異性が、場面が変わって、オシャレしている姿を見ると、驚くことが多い。昔、中年のおばさんがパートで勤めていた。その人は実務的に仕事をてきぱきと、こなしていたが、ひつっめ髪で、風采は上がらない感じだった。

ところが、ある日、パーティが催されることになり、当日、あまり見たことがない美人がいるなあ、と思っていたが、それが、あのおばさんだった。いつもと違って、化粧も施し、オシャレな服を着て参加していたのだ。これには、誰も、びっくりした。どう見ても、同一人物とは、じばらく思えなかった。

さて、男というのは、まず外見で判断する。まあ、これは女性もそうかも。ただ、最近のことは分からないが、一般に男は選んだ女性を自慢することは少ない。むしろ、他人には、卑下して表現することが多い。

ところが、嫁自慢する人もいるにはいる。お目出度い感じもしないではないが、本人が幸せであれば問題はない。そう思える人は確かに幸せだろう。

万葉集にも、次の話がある。歌垣の集まりでの話である。歌垣というのは、一種、祭りのようなもので、歌を掛けあい、踊るもの。そして、恋愛の場でもあった。それは現代も同じ。わいわいやって、熱くなる。その結果、男女の愛が生まれる。

祭りというものは、豊年を祈願したり、感謝するものだが、段々、それが男女が知りあう場となった。それは何も独身同士に限らず、夫婦者も含めてだ。当時は、性の解放が進んでいたとも言える。

その中で、住吉の歌垣も有名であった。昔、そこに氏名不詳だが、一組の田舎の夫婦がいた。ある時、歌垣の集いがあり、地域の男女が集まって野遊びしていた。その中に、例の夫婦も参加していた。ただ、当時は、別居婚であるから、別々に参加した。

ところが、妻の姿を見て、びっくり。あまりにも、いつもの容姿と異なり、他の女と比べても抜きん出ている。日頃、農作業で真っ黒な顔も、化粧して、派手におめかししている。それを見て浮気心も萎えて、いよいよ妻を愛するようになったとさ。それで直接口に出して褒めて詠んだ次の一首。

住吉の 小集楽(をづめ)に出でて うつつにも

 おの妻すらを 鏡と見つも

「小集楽(をづめ)」とは、歌垣の集まりのこと。「鏡」とは、喩で、その光る様を示す。とにかく、その衝撃をうまく歌にしている。これは、男の自惚れと言えないこともない。

*追記

ある解説者によると、これは二人が田舎者だったための錯覚だと指摘している。まあ、そうだとしても、少し言いすぎかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月22日 (月)

観光消費第一主義の危うさ

姫路市内の商店街を歩いていると、中国語や韓国語での案内がある。中国人・韓国人観光客を迎えるという意味は分かるものの違和感はぬぐえない。一体、そこまでする必要があるのか。商店街を歩いているのは、何も中国人や韓国人の人たちばかりではない。

ここは日本なのだ。彼らは日本語を経験することを期待している。もちろん国によっては英語が通じないと苦情を言う人たちもいる。確かに、個別対応では、観光客に合わせて言葉を選ぶ必要はある。

例えば、メニュー版などは外国語併記もいい。ただ、外国人観光客は、「日本文化」を楽しむために来日している(異文化体験)。日本人と日本語会話できることを期待している。言葉以外にも、ジェスチャーなどで会話できることを楽しむ向きもある。漢字圏であれば、筆談を交えてもいい。

どうしても、必要な会話は、翻訳機を臨機応変に使えばいいことだ。最近の翻訳機はレベルも上がっており、日常会話では問題はない。いずれにしても、外国人観光客への過剰な対応は、彼らも望んでいないだろう。

むしろ過剰対応は、観光消費を促すための媚に映ってしまう危険性もある。観光客に媚び諂(へつら)うばかりでいいのか、ということになる。彼らが何のために日本を観光しているのか、それぞれに考える必要があるだろう。本来の「観光」の意味を思い出した方がいい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月21日 (日)

第21回 姫路ミュージック・ストリート2018の案内

既に、拙ブロクで、姫路城関連催しの案内で紹介しているが、第21回 姫路ミュージック・ストリート2018の案内を転記しておく。毎年恒例の催しだが、秋の音楽の催しとして彩を添える。好きなジャンルの音楽を昼食を早めにとって、聴きに行ってほしい。

●10月28日(日)に、12時から16時20分まで、恒例の「姫路ミュージック・ストリート」が催される。会場は、、南風会サロン(藤原歯科2階)、姫路文学館、淳心学院心城館。

内容は、以下の通り。

◎姫路文学館 「クラッシックアラカルト」と「サクソフォーンとピアノの調べ」

◎南風会サロン 「中国古箏の調べと歌にのせて」と「菊池ひみととドラム・ベースが奏でるアンサンブル」

◎淳心学院心城館 「白鷺舞う秋の笛の音」と「さあ、楽しい音楽の時間です!」

より詳しいことは、ネットで「姫路ミュージック・ストリート」を検索して調べてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

姫路カレーフェスティバルの案内 2018

先日、姫路大手前通りがきれいに整備されたことを記したが、早速、その大手前通りで、2018年10月27日に、「姫路カレーフェスティバル」が催される。場所は、大手前通りの両側の歩道、西二階町・二階町商店街。

時間は、11時より17時まで。ネットで「姫路カレーフェスティバル」を検索すれば、催しの概要が分かるが少し紹介しておこう。播磨地域を中心に上郡町から神戸まで特色あるカレーを提供している約40店舗が出店する。

カレーライスは、ファストフードとして、歓迎される食べ物だし、日本のカレーは、インド人も驚くほど美味しい。それが一日だけとはいえ、姫路に集合するのだ。こんなラッキーな催しはない。是非、ホームページをチェックして、味わってほしいものです。

*2018年10月28日追記

天候が危ぶまれたが、昨日は、見事に、晴れ渡り、催しを後押し。今回、占めて催された「姫路カレーフェスティバル」だが、来年以降も定期的に催してほしい。ただ、一日だけの催しは勿体ない感じもする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月20日 (土)

第67回姫路城菊花展(2018)に行く

姫路城の近くに行ったので、第67回姫路城菊花展(2018)に行ってきた。姫路城は、本日は天候もよく、多くの人で賑わっていた。外国人だけでなく、日本人も多い。駐車場はどこも満杯のようだった。天気が良ければ、皆考えることは同じ(笑)。

さて、その菊花展は、10月14日に始まったのだが、残念ながら、まだ蕾が多く、満開とは言えず、行くのが、やや早すぎた感じ。開花には、もう少し必要かも。2018年11月9日まで。観覧無料。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

三木美術館『牧進展』を観覧

久しぶりに三木美術館(姫路)に行ってきた。今、開館10周年記念展として『牧進展』を開催している。牧進氏とは、三木美術館の創設者の三木茂克氏(故人)と短期的だが濃密に交流があったらしい。三木氏は、牧進氏の、花鳥風月を繊細に描き、その装飾性を愛したらしい。

今回は、日本画18点を展示。そのほとんどの題材が、植物や花である。対象に花を好むのは女性画家に多いが、日本画も昔から対象は花鳥が多い。ただ、私的には、華やかな花より、その構図の面白さに関心がいく。様々な構図を考えておられる。

構図を分析すれば、現代アートに転化できるかもとも思わせる。絵の好きな人たちに、多くのヒントを与えるかもしれない。2018年11月18日まで。

なお、二階のアートスペースでは、「TAKAKO OHO」展が催されている。銅版画、絵画、陶アクセサリー等。繊細な作品ばかりで、女性が好みそうなもの。こちらは11月11日まで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新しいCDカセットレコーダーを買う

CDレコーダーは定期的に買い直ししている。というのは、割と商品寿命が短い。CDの音が飛ぶようになったら寿命と言われるからだ。最初に買ったのは確かソニーの製品だったが、現役時代は、そんなに聴かなかったので、割と長持ちしたのは、あまり使わなかったから。

その後、いろんなメーカーのCDレコーダーを買ったが、駄目になるのが他の音響機器と比べて早かったように思う。カセットレコーダーの方も割と傷みやすいが、それでも、CDレコーダーの方が短いと思う。

今回は、CDカセットレコーダーを新しく購入(今回は東芝製)。カセットテープは、ほとんど持っていないのだが、音楽テープの内、CDで販売されていない楽曲があり、また父の遺した落語テープも聞いてみようかなと思ったから。

そして、このCDカセットレコーダーは、リモコン付き。今は何でもリモコンが付いているが、CDカセットレコーダーのリモコン付きは初めての購入。そして、割と便利。深夜、寝床で音楽を聴いている時、途中でストップさせるのは従来、少し面倒だったが、これだと楽。

この機器は、どれくらい、もってくれるだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月19日 (金)

播州弁 その五十一 浜手言葉

今回の播州弁は、典型的な「浜手言葉」を取り上げる。一般に播州弁は言葉が怖いと外部の人たちから言われることが多い。その言葉のほとんとが、「浜手言葉」。漁師のいう言葉は、播州に限らず、どうしても荒くなる。

それは漁業が生死をかけた厳しい仕事だからだ。一瞬の判断を誤れば、命はない。そこで、言葉が厳しくなる。それは仲間の命を守るためだ。播磨地域の浜言葉を列挙する。但し、浜手言葉も、西と東では、異なるらしい。その辺は、知識がないので、ご容赦を。

● 「わい」「わし」 → 私

● 「わえ」「われ」 → お前

● 「ののさん」 → 神様 

● 「やっさ」 → 屋台 

● 「おんどりゃ」 → 怒った時の言葉

● 「おんまく」 → 思い切り、全力で

● 「かちます」「かちまわす」 → 殴る、痛い目に遭わせる

● 「かばちたれ」 → 屁理屈を言う奴

● 「だぼ」 → 相手をくさす喧嘩言葉

● 「はた」 → 側(そば)

● 「なんどいや」 → なんだよの意味

● 「まくれる」 → 転ぶ、落っこちる。本来は、めくれるの意。

● 「へっさ」 → 久しく

● 「あっかい」 → 駄目だ

● 「ごうわく」 → 腹が立つ

● 「けったい」 → 妙な

● 「べっちょない」 → 大丈夫だ

● 「めげる」 → 気が滅入る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月18日 (木)

姫路市市立美術館所蔵品展「日本画の世界」観覧

姫路市立美術館は現在改修中のため閉館している(2019年2月末まで)。ということで、現在、イーグレひめじ地下1階の姫路市民ギャラリー特別展示室で、所蔵品展を開催している。美術館内でも、度々やっている無料の催したが、やや点数が多い。

今回は26点。なかなか見ごたえのあるものばかり。私は、酒井抱一「雲雀に春草図」、橋本関雪「貴人対面図」、松岡映丘「伊衡の少将」、三木翠山「祇園会」、朝見香城「白鷺城」、池田遙邨「華厳」等が目についた。

観覧無料だし、時間が許せば、ちょっと行ってみて欲しい。2018年10月21日まで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「鈴木省一 いしのまきのあさ」写真展観覧

先日、案内していた姫路文学館で催されている「鈴木省一 いしのまきのあさ」写真展を観覧してきた。

宮城県石巻市が、東日本大震災の被害を受けて7年。その後の石巻の朝の風景をカメラで写し取っている。よって「すべてが青」だ。ある意味、異様だが、それが写真家が感じる心象風景なのかもしれない。

孤独で寂しい寒々しい「青」。でも、「青」い朝は、すべての始まり。やがて「赤」に染ませるべく多くの人たちが頑張っていることを表現しているのだろうか。

東北の秋は、西日本の秋とは異なるだろう。冷たい風に吹かれつつ、彼らは生きている。私たちに何ができるだろうか。明日は我が身なのだ。

2018年10月28日まで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「石ノ森章太郎とジュン展」を観覧

先日、案内していた姫路文学館での「石ノ森章太郎とジュン展」を遅まきながら、観覧してきた。正直、この漫画の存在は知らなかった。観覧して分かるのは、石ノ森氏は哲学者であるということ。なんとなくわかるのは、この世の中の深淵を探ろうとしていたのではないかということ。そして、生と死の関係。生と宇宙の関係。

こういうことを極限まで追求していくと怖くなる。石ノ森氏は大丈夫だったのだろうかという気もする。ただ、そういうものをベースに漫画にしているので、一つ一つに深さがある。最近の漫画とは一味も二味も違う。ところが、それを理解する読者がいなければ、受け入れられない。

そのはざまで、彼も揺れ動いたかもしれない。それが「ジュン」ににじみ出ているような気がする。そして、これは若い時、家族から漫画家になることを反対された時、支えてくれ若くして亡くなった彼の姉に対する鎮魂歌でもあるようだ。

2018年10月28日まで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

泥沼の銀行系投資信託

拙ブログでは、投資信託での運用は薦めていない。自らの経験でも、運用実績は、詳しく計算していなかった。ところが、先日計算してみると、通算でプラマイゼロと思っていたが少しマイナスだった。これは投資先としては明らかに失敗。

もちろん、投資信託で利益を上げている方もいるだろう。流風だけ、駄目なのかもと思わないでもないが、金融庁からも指摘があったようだが、銀行系投資信託は、実質破綻している。そのため多くの投資家は、運用赤字が続いている。

以前、知りあいで、退職金に信託銀行から勧められて、多額の投資信託に投資して、相当の損失を出していると言っていた。その後は、担当者が代わり、追及しても「投資家の自己責任」ということで銀行側は逃げてしまう。なんと無責任なことか。

今も、その様子には変化がなく、信託銀行の投資信託の運用は「自転車操業」の状態らしい。すなわち、運用に失敗した投資信託の穴埋めに、異なる投資信託を開発して、勧めるが、それも赤字。まるで泥沼に預金者を引き摺り込んでいる風。

金融と証券の融合が始まって、かなりの年数が経つが、銀行は投資運用に、いつまでも疎いということかもしれない。証券と金融の融合は、見事に失敗している。預金者は、銀行のアドバイスを無視した方がいい。なぜなら預金者のことなど全く考えていないから。

*追記

また証券会社経由の投資信託でも、銀行が運用する投資信託は、同様に投資を避けた方がいい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月17日 (水)

新聞の現在に思う 2018

若い人が新聞を読まないそうだが、勿体ないことだ。総覧性のある新聞には、いろんなヒントが含まれている。もちろん、現役時代は、くまなく読むというのは至難の業。それでも、毎日読んでいれば、それなりに収穫はある。それらはネットでは得られない。

それでは、どの新聞を読むか。若い時、日本経済新聞を取ったが、情報量が多過ぎて、短時間に読みこなすことは大変だった。それに高い(笑)。ところが、最近、ある調査では、信頼できる新聞となっていた(*注)。

逆に、信頼できない新聞としては、朝日新聞、読売新聞、産経新聞となっていた。以前にも記したが、朝日新聞は記者の思いが入りすぎる傾向がある。それを編集者が容認している。最近は、少し修正の方向があるようだ。

読売新聞、例の事件で御用新聞であることが明確になった。信用度はがた落ちである。産経新聞は、自民党の御用新聞に加えて、「右翼」的報道に熱心だ。右翼的と記したのは、所詮、彼らの利権を主張するから事実が歪む。

それでは、若い人は、何を読むべきか。一般的には、高齢者同様、まず地方紙辺りか、バランス報道の毎日新聞が読みやすいだろう。特に地方紙は、仕事中、接触の少ない地元情報が満載だし、それなりに適度に政治経済にも触れている。

その上で、日本経済新聞をスポットで購入し(土、月がお薦め)、違う雰囲気を読みとれば十分だ。若い人たちも、新聞を敬遠せずに、読んでほしいものだ。

*注

日本経済新聞は、かつて一般紙を目指し、部数を伸ばすことに焦点が行き、記事が劣化していた。それゆえ、しばらく読んでいなかったのだが、先日、久しぶりに読んでみると、記事は比較的充実していた。本来の経済紙に戻っているような気もする。それが評価されているのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

姫路大手前通りがきれいに

姫路駅から姫路城につながる50メートル道路の東西の大手前通りが整備され、きれいになった。長い間、工事で歩くのも不便だったが、やっと工事が終了し、以前のように、見晴らしもよくなった。

よって、今は旅行者の方も快適に歩くことができる。いろんな場所からカメラを向ける人たちを見受ける。外国人旅行者の場合、駅からバスに乗る方はまれで、ほとんど楽しそうに歩いている。

更に、歩行者用通路と、自転車用通路を分け、木のベンチも設置。そこで、水分を摂ったり、ゆったりとしている高齢者も多い。後は、催しなどで、どのように活かすかだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月16日 (火)

消費税増税言明と株式投資

安倍首相が、消費税増税を2019年10月実施を言明した。前提条件として、リーマンショック級の事態がない限りとしている。これに反応して、円高の動きになっている。そして、株価の大幅下落。この流れはしばらく続くかもしれない。

過去の例で見ると、消費税を上げると米国は日本に様々な要求をしてくる。まるで税収増加を目当てにするように。これがため、いつになっても、日本の財政再建はかなわない。米国は、日本が財政再建すれば、まずいと考えているのだろうか。

それはそれとして、株価は、しばらく下落して、2019年の参議院選挙に向けて、徐々に上げていくパターンを政府は望んでいるのかもしれない。それがための、首相の消費税増税実施表明と言えなくもない。

選挙前まで消費税増税問題を曖昧にして、選挙後に増税する過去のパターンよりはましかもしれない。いずれにせよ、国民は負担が増える。無駄な歳出を止めてほしいものだ。

他方、株価下落は、投資経験のない方にはチャンス到来かもしれない。銘柄によっては、一流企業の配当利回りと今後の業績を検討して、投資することは有益と思われる。そして投資後は、株価の上げ下げをあまり気にせず、株価売却益を考えないことだ。

*追記

ただ、円高と株価連動は、今やおかしい。企業の為替対策は進んでおり、為替の変動で、利益が変わるのは純利益ぐらい。やはり企業の業績動向は経常利益で見ると、よく分かる。

株価を過剰に意識した経営から、そろそろ脱するべきだ。配当重視から、従業員重視に転換するのが望ましい。それには持ち株対策が求められる。また投資家も、短期投資から、長期投資に切り替えるべきだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月15日 (月)

利発な子ども~狂言『伊呂波』

最近、ノーベル賞を受賞された日本の学者(*注)は、子どもの頃、先生に納得いかないところは、いろいろ質問して、困らせたそうだ。教師より詳しく賢い生徒というのは、なかなか厄介な存在だろう。

狂言にも、利発な子供が父親を言いくるめるものがある。それが『伊呂波』だ。子どもには、教育を授けたいと思うのは親としての気持ち。成人した我が子を寺に預けて勉強させようとする父親に、子は必要ないと言う。

そこで、「白いものは何か」と子に問うと、「鷺」だと答える。では、「黒いものは何か」と問うと、「烏」と答える。それではと、いろは四十八文字を教えようと思い、「いろはにほへとちりぬるを、、、」を吟ずると、子は、一文字ずつ、教えてくれという。

ここまでは順調(笑)。そこで、親が「い」と教えると、子は、「燈心」と答える。なぜだと言うと、「藺(い。いぐさのこと)を引くと、燈心が出る」(藺草の髄を燈心にしたことから)と言う。まるで、一休さんの頓智。

次に、「ろ」を教えると、子は「櫂(かい)」と答える。また、なぜだと問うと、「船には櫓櫂がある」と言う。これも頓智、更に進んで、次に「ちり」を教えると、「お座敷に塵があるので、掃き集めて火にくべろ」言う。これでは、まるでなぞかけ。

親も呆れてしまって、「そういうのは走り智恵と言って、何の役にも立たない。ちなみに、「走り智恵」とは最近は、あまり使わない言葉だが、『広辞苑』に次のように示されている。すなわち、「はしりぢえ。先走りするちえ。物事をはやのみこみして考えの浅いこと」とあると。

そして、父は子に、口写し(言う通りに)で覚えろと命ずる(*注2)。ところが、子の方は、親が叱る言葉まで、覚えて、そっくり言い返す始末。最後には、腹を立てて怒る父親の口調まで真似る。ついには、父親は、子を引き倒すが、子も、それを真似て親を引き倒す。

まあ、このような子どもは、いつの時代にもいる。ああだと言えば、こうだと言う。大人になっても、それが抜けきらない人もいる。でも、子ども時代の基礎知識は、無条件に受け入れる方が賢明なのも確か。

将来、ノーベル賞を受賞するような子どもは、稀だ。稀な人が、その精神を続けて、成果を上げる。だが、一般社会では生きにくい。自分の子どもに、それを期待してはならないだろう。

*注1

映像から受ける、この学者のイメージは不遜に映る。それは彼の妻の様子を見れば分かる。もちろん、偉い先生には違いないだろうが、実名は記さない。世間ずれしてないとも思えないが、製薬会社と、いろいろ揉めているらしい。人間的に、あまり好きになれないタイプだ。もちろん、実際のことは分からない。

*注2

ちなみに狂言の世界は、口写しで教える。

*追記

以前取り上げた同じく狂言の『察化』と展開が似ている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月14日 (日)

官僚のロジックの見直し

最近は蔵書の再読が多く、あまり書店に行っていないのだが、久しぶりに行ってきた。そこで見つけたのが、保坂正康著『昭和の怪物 七つの謎』。特に、第六章「瀬島龍三は史実をどう改竄したのか」に注目した。

瀬島龍三氏については、彼の著作を通じて、拙ブログでも取り上げた(*注)。よって、彼について詳しいことは、ここでは避けるが、確かに、色々噂のあった毀誉褒貶の多い人物である。それは大本営参謀であり、後にロシアに捕えられ、シベリアに抑留されたからだ。

問題は、ロシアは瀬島だけは丁重に扱い、日本軍のことをいろいろ聞きだしたと推定されることだ。凡そ、官僚になるタイプは頭はいいし、頭が切れることは確かだ。ただ、犯罪に与した場合、尋問に耐えきれず、すべて白状するのが一般的。

瀬島も軍事官僚の一人で、日本軍の情勢、仕組みなどすべてロシアに伝えたものと想像できる。そして、彼は、戦争責任者の一人であるが、多くの言い訳をしている。

それはロシアに対しては、自分は、そんな責任のある立場でなかったといい、日本に向けては、日本の立場をしっかり守って、ロシアに対峙したと言うのである。

保坂正康氏は、この官僚体質は今も昔も変わっていないと指摘する。財務省の官僚も、自分の都合のいいようにロジックを使い分け責任逃れしている。でも、いつまでも、このような保身体質でいいわけがない。

官僚の定年を35歳~40歳として、いつまでも官に居れないようにすべきかもしれない。すなわち、在籍年数を10年程度に制限すればいい。そうすれば保身に汲々とすることもない。

現在は天下り禁止にしているが、能力ある者は、頭が柔らかい間に、民間に転職すればいい。官のの仕組みと、その知識を民間で更に、能力を磨けば、企業にとっても望ましい。そして、癒着しないルールと罰則をきちんと作ればいい。

その上で、実績ができれば、再度、官に戻る仕組みが求められるかもしれない。その方が政策にバージョンアップが期待できる。

*注

拙ブログ 2005年7月20日付 「大東亜戦争と私達」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月13日 (土)

播磨国総社が平成31年 初ゑびす祭 福娘募集の案内

もうそんな時期かと思うが、姫路・播磨国総社が「平成31年 初ゑびす祭」の福娘の募集をしている。毎年、初詣も、初ゑびすも総社に参ると決めている。

初ゑびす祭では、とんど焼と共に、福娘を見るのが楽しみ(笑)。別に商売をやっているわけではないが、ちょっとだけ投資している株が儲かりますようにお願いする(笑)。

さて、その福娘の応募資格は、30歳未満の未婚女性。高校生は不可。条件としては、健康的で笑顔が素敵なこと。正月の巫女奉仕、初ゑびす祭(1/14、1/15、1/16)、節分祭(2/3)に参加できること。また12/23には福娘研修がある。募集人数は若干名。

総社のホームページの「福娘募集コーナー」から履歴書フォームをダウンロードして、必要事項記入の上、写真を添付してメールまたは郵送で申し込む。応募締め切りは平成30年11月末日までとなっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月12日 (金)

小栗上野介とその妻

報道で知ったのだが、幕末、勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行であった小栗上野介(小栗忠順)の妻が姫路出身であるとのこと。覚えとして記しておく。

小栗上野介と言えば、死後も隠し金の噂があり、そこから様々な小説で描かれている。彼は、三河小栗氏第12代当主。妻は道子と言い、林田藩の藩主だった建部政醇(まさあつ)の娘。彼女は、後光が差すほどの美人だったらしい。

小栗は、幕末の厳しい情勢下、先見の明で、米国の造船所見学がきっかけとなり、近代化には、まず造船所の必要性を主張し、「横須賀製鉄所」を建造した。これは日本で初めて、蒸気機関を原動力とした工場だった。

また神戸港開港にあたって、日本で初めて株式会社「兵庫商社」を設立した。外国との個人取引では、利益を搾取されると考えた結果という。生野銀山も、横須賀造船所から蒸気機関の設備を取り入れ再建が進んだという。

兵庫関係以外では、軍事力強化、兵器の国産化、学校の設立、フランスから人事システムの導入、ホテルの建設など、幅広く手掛けている。ある意味、この人は天才だったのだろう。米国との不平等取引の交渉では、米国側が舌を巻いたほどらしい。

これらのことをやったことは大きいのだが、幕府側人間として、新政府軍に斬首されている。だが、皮肉にも、新政府は、彼のやった事業を引き継ぐことで、新しい時代を切り開くことができたは確かだ。彼は先見の明があったのだ。

それにしても、これらのことをやるには、多額の資金を要したはず。一体、どのようにして資金を調達したのだろうか。これが、いろんな噂の元と言える。

このような夫を持った道子は大変だった。やがて官軍に追われ、身籠っていた彼女は、小栗に何かと世話になっていた人に庇護され、生き延びた。生まれた娘は、後に、矢野龍渓の弟で実業家の貞夫に嫁いで、小栗家を再興している。

道子の辿った辺りを追いかければ、小栗上野介の謎は判明するかもしれない。どこかの作家さんにお願いしたいものだ(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月11日 (木)

播州弁 その五十 なんとなく意味が分かる言葉

今回は、播州弁ではあるけれど、なんとなく意味が分かる言葉。比較的、標準語と差異が少ないものを取り上げる。文字にすると分かりにくいものもあるけれど、会話の中だと、なんとか理解できる。

● 「おまはん」 → あなた、お前

● 「あむない」  → 危ない

● 「せやけんど」 → そうやけれど

● 「そないに」  → そんなに

● 「ちゃう」 → 違う

● 「どっこも」 → どちらも

● 「どんならん」 → どうにもならないこと

● 「ちーとま」 → 少しの間

● 「ないよんなる」 → なくなる

● 「なんもかも」 → 何もかも

● 「のーなる」 → なくなる

● 「はそむ」 → はさむ

● 「しゃしゃりでる」 → でしゃばる

● 「じゃまくさい」 → 面倒だ

● 「ひんね」 → 昼寝

● 「ぜっぺ」 → 是非

(接続詞)

● 「ほたら」 → そしたら

● 「へてから」 → それから

● 「ほな」 → そしたら

| | コメント (0) | トラックバック (0)

怪しい広告

ある新聞の投書欄にあったが、ある人が、家内の機器トラブルで、地域紙の折り込み広告を見て、注文したところ、ぼったくりに遭ったという内容のものであった。

テレビ広告、新聞広告、あるいは折込広告、ポスティングなどの広告は、参考になるものもあれば、問題のあるものもある。

なかなか、その見極めは難しいが、初めから信用するのは危なかしい。特に業者の顔が見えない時は、使うのを止めた方がいいだろう(*注)。

そのためには、見積もりを取るのが基本だ。リフォームであれば、信用できる業者の選択を日頃からやっておく必要もある。緊急時に慌てると、変な業者に依頼して、とんでもないことになる。

そして、信用できる業者とは、何らかの取引を継続的にして、つないでおくのも大切だ。業者も人間、仕事を継続的に受けておれば、その対応も違う。いろいろ問題点も指摘してくれる。

また、企業力は伴わないのに、派手にテレビ広告等をしている業者は怪しいと考えるべきだろう。これはリフォーム業者に限らない。どう考えても、テレビ広告すれば、採算が取れそうにない商品を扱っている業者は特にそうだ。

ある経営者は、かつて会社を潰している。そういう目線を常に当てておくのもいい。物に関しては、実際、物を見て、触って、確認して、購入したい。怪しい広告には安易に飛びつくのは注意したいものだ。

*注

以前、新聞の折り込み広告を見て、市内のリフォーム会社に問い合わせしたところ、担当者がやってきて、調子のいいことを言っていたが、とりあえず見積もりを依頼した。

ところが、相見積もりしている業者とは、あまりにも価格差があり、理由を問うと、怒りだし、電話を切られた経験がある。

現在も、そのリフォーム会社は、派手な広告・宣伝をしている。本当に大丈夫かなと思う。いずれにせよ、見積もりをとってみないと、業者の顔は見えない。そして、見積もりは無料であることの確認は必要である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月 9日 (火)

久しぶりに映画『ラストエンペラー』を観る

つい最近、昔テレビで視た映画『ラストエンペラー』をふと思い出し、ブルーレイを入手し、久しぶりに観てみた。清朝最後の皇帝。宣統帝・愛新覚羅溥儀の生涯を描いたものだ。1987年第60回アカデミー賞、作品賞をはじめ9部門を受賞しているだけあって、面白い筋立てで、映像の美しさも評価できる。

ただ、じっくりと観ると、イタリア・イギリス・中国合作ということで、それぞれの国の思惑が見え隠れする。イタリアは、イタリア映像文化のアピール、英国は、外交文化の正当性のアピール、中国は歴史文化のアピールだ。

その中で、特に違和感を感じたのは、映画全体に流れる英国の思惑だ。つまり、この映画では、日本の中国侵略を絡めて描いている。そこでは、イギリスは、自国の過去の行いには一切触れていない。

イギリスは、中国への侵略国。それも麻薬で、中国をずたずたにした。とても紳士の国とは言えない行いをした。自国では紳士だが、海外では、海賊の血を引いて暴虐の限りを尽くした。

ところが、この映画での、溥儀のイギリス人家庭教師のレオナルド・ジョンストン(ピーター・オトゥール)の役割は、あくまでも「善人」である。善人面と言うべきか。彼は、帰国後に『紫禁城の黄昏』という本を著しているのだが、あくまでもイギリスの立場で、歴史の一面しか見ていない。

それを材料に、映画に取り入れているから、この映画も一面的にならざるを得ない。この辺が、老獪だ。これが実在の人物を歴史映画にする難しさだ。時代小説風と言えば、それまでだが、妙な感じだ。

ちなみにイギリス映画は、不思議と、自国の弁護、言い訳するようなものが多い。「他国から責められても、我が国は悪くない」というようなものだ。これはどうしてもイギリスの外交文化戦略に映画を利用していると言わざるを得ない。

そういう面を無視して、娯楽映画として視れは、それなりに面白いことは確かだ。だが、海外の文化洗脳には注意したい。

*追記

中国も、この映画で、日本の侵略行為を批判しているが抑制的だ。また日本への原爆投下も描いており、戦争の悲惨さを描いているが、総花的と言えないこともない。あれもこれも描こうとすると、焦点がぼけてしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月 8日 (月)

播州弁 その四十九 じゅるじゅる

今回の播州弁は「じゅるじゅる」。どちらかというと、子ども言葉で、「道がじゅるじゅるやったで」とか言う。「じゅるじゅる」とは、ぬかるんでいる状態を指す。そして、子供は、わざと、そのじゅるじゅるの道を通ったりする。

また、子供時代、鼻から青鼻水を垂らしている子がいた。それを服の袖でぬぐうから、汚いこと、この上なし。それを見て「また、この子、また、じゅるじゅるにして、汚いなあ」とお母さんが言っていた。

この場合は、鼻水が垂れている状態を指す。最近は、そのような、お子さんは見かけない。冬に、外で遊ばせないから当然だ。元気に走り回っている子供を見ないのは寂しい気持ちもする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月 7日 (日)

叱責、叱言、注意

昔から、叱られなくなったら人間終わりと言われてきた。叱責、叱言(こごと)、注意を部下、後輩に言うには、それなりの覚悟がいるものだ。言えば、うるさがられるだろうし、今後、気まずい思いをお互いするかもしれない。それでも、本人のためを思って言う。

企業では、うるさ型の上司や小姑型のお局様は煙たがられる存在だが、彼らは、ある意味、貴重な人々。そうそう、他人のことを思って、叱責、叱言、注意をしてくれないものだ。ところが、言われた時は、少しショックで嫌な思いをする。

でも、注意を受けるということは、自分が、まだ見込みがあると思われている証拠。人間の完成は死ぬまで その研鑽に終わりはない。時々、叱責を受けて、逆恨みする人たちがいるが、彼らは進歩の停止の表れであり、二度と注意されなくなったら、最早、終わりだ。

叱責、叱言、注意を受ければ、一旦受け止め、その意味を深く考察し、感謝した方がいい。もちろん、人間は感情の動物。常に自分は正しいと思っている故、かちんとくるかもしれない。しかし、少し時間をおいて、なぜ叱責等を受けたのか冷静に考えてみるとよい。

その時、なぜ自分だけと思わない。自分だけが期待されていると考える。なかなか喜んで叱責、叱言、注意を受けるというわけにはいかないだろうが、そのように努力することも大切だ。

そう考えると、地位を上り詰め、誰からも注意を受けないトップは、ある意味、危ない存在であると自覚が必要だ。利害関係のない外部に叱咤してくれる人を求めることも大切だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月 6日 (土)

秋が来たと思ったのに、、、、2018

先日、扇風機をしまったら、今日は何という暑さ。これはサラリーマンが家を買って、転勤させられるのに似ている(笑)。秋が来たと思ったのに、この暑さは台風の影響か。

でも、夜に雨が降っているから、ガーデニングも難しい。やぶ蚊が多いので。今年のやぶ蚊は強烈に痒いし。

ということで、外出したものの、すぐ戻ってきた。家の中は、まだ涼しい。ということで、今日はDVD鑑賞と読書三昧の予定。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

播州弁 その四十八 こさえる

今回の播州弁は 「こさえる」。「こっさえる」とも言う。「お父さん、あそこに棚をこさえてな。高くて手が届かんのや」とか言う。「こさえる」とは、「作る」の意味。

播州人からすれば、普通の言葉だが、他所の人は、確かに分かりにくいようだ。本来、「こしらえる」から派生した言葉。そう言われれば分かるだろうが、音だけ聞くと分からないのも理解できる。

今では、播州に限らず、関西で使われる。「そろそろ子供をこさえよか」とも言う。頑張ってください(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月 5日 (金)

キキョウ、茶の花、キンモクセイの花 2018

気温の変化が、徐々に秋を感じさせる。木々や植物たちも、それに反応している。まずキキョウは今年は酷暑のため元気がなかったが、ようやく、それらしく次々と咲くようになった。でも、もう終わりかけかも。

そして、茶の花は、和菓子のデザインに、よく使われるような雰囲気で咲いている。茶の木は、本当に少しずつだが、大きくなっている。ただ、今年は、2本の内、小さい方が枯れてしまった。暑さに耐えられなかったのかも。水遣りが足りなかったと少し後悔。

この季節になると、例の香りを漂わせるキンモクセイも満開だ。ただ今年は匂いが薄いように思う。肥料をやると、木が成長し過ぎて、後の手入れが大変だし、難しいところ。

その他の木々では、小さな苗で、なかなか大きくならなかったゲッケイジュの木が、ここへ来て、急に葉を広げている感じ。それは今年、初めて花が咲いたギンモクセイも同じ。そして、ヒイラギも成長している。必ずしも十分な世話ができているわけではないが、彼らは日々成長している。

*2018年10月6日追記

今朝、新聞を取りに行くと、キンモクセイの匂いが庭一面に濃厚に漂っていた。昨日、匂いを薄く感じたのは、錯覚だったかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月 4日 (木)

播州弁 その四十七 「こないだ」と「じきに」

今回の播州弁は「こないだ」と「じきに」。

「こないだ」は、例えば、「こないだ、流風、見かけたけれど、元気なさそうやったで。ちょっと見に行ってくれへんか」とか、あるいは、「こないだ、Aに会ったけど元気そうやったで」と言う。一応、流風は元気です(笑)。

これは初めての人には分かりにくい言葉。「こないだ」は、「つい最近」の意で、実は「この間」が変化したもの。まるで英語読み(笑)。早口言葉にすれば、分かりやすいかも。播州人に限らず関西人は、よく使う言葉なので、覚えていて損はない。

次の「じきに」は、「お父さん、現場で倒れたらしい。じきに病院に行って」とか言う。「じきに」は、「すぐに」という意で、漢字にすれば「直に」。文字変換すると意味も分かりやすいが、聞くと、戸惑う人もいる。でも、なんとなく分かってもらえる言葉の一つ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人に任せるということ

色々と聞いて、結局、結論が出ないことが多い。国などの議論を見ていても、あまりにもたくさんの人が集まって議論すると、様々な意見が出て、収拾がつかないことが多い。

確かに、それぞれの主張には、それなりの意味を持っている。だが、優先順序を無視して議論しても、時間の空費に終わる。以前にも取り上げたが、北条早雲の『早雲寺殿二十一箇条』の中に、次の一文がある。

「数多(あまた)まじはりて事なかれといふことあり、何事も人にまかすべき事也」

変な解釈をしている人もいる(それも出版されている)が、解釈を誤るのは、「人」の意味。ここは、単に普通の人を指すのではない。つまり「人物・識見共に優れた人」という意味。普通の人がたくさん集まって議論しても、議論は堂々巡りして結論が出ないことが多い。

もちろん、そういった議論が全て無駄とは言わない。ただ誰も責任を取らない無責任議論は、どこかで打ち切る必要がある。そして、ある段階に達せば、それなりの人物に任せるのがいい、と早雲は言っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月 3日 (水)

急がれる、『(仮称)姫路城歴史文化博物館』の整備

姫路には、姫路城に関する歴史文化博物館が未だない。そういう計画はあるとは聞いたが、その後、どうなっているのだろう。各種資料は、姫路市城郭研究室、姫路市立文学館、姫路市立美術館、県立歴史博物館に分散している。

関心のある人は、それぞれに観覧しに行かれるだろうが、多くは、面倒くさいのでパスされる。これは非常に残念。せっかく、来られた姫路城観光者に、深く理解してもらうためにも施設の充実が早く求められる。

流れの観光客も、一つの場所で観覧できるようにするのが、本来の方向だ。それが観光サービスというものであろう。次の市長に、どなたが選ばれても、『(仮称)姫路城歴史文化博物館』を早期に推進してほしいものである。

*追記

また、市立美術館の早期移転も望まれる。本来、国際化と自治体の規模からして、近い将来、姫路市役所公館が市役所近辺に必要だが、市立美術館は、その付属施設の位置付で移転させるのがベストだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月 2日 (火)

播州弁 その四十六 こきつかう

今回の播州弁は「こきつかう」。「あの会社、厳しくて人使いが荒いと評判やて」「そうか、そんなに、こきつかうんか。やっぱりブラック企業なんやな。やっぱり試験を受けるのは止めとくわ」とか言う。

つまり「人を酷使する」という意味。人使いの厳しさは様々。自分にも厳しくて、部下にも厳しい場合は、まだ、ついていこうと思うかもしれない。そうではなくて、自分には甘く、部下にだけ厳しいのは遠慮したい。

ただ、こき使うだけは、人はついてこない。部下に愛情がなくてはならぬ(*注)。

*注

ある企業で、某営業課長は、大変厳しく部下を指導していた。部下にも能力以上のものを課す。そして、口で厳しく部下を指導すると共に、裏では、部下の数値が上がるように、得意先に手を回してバックアップしていた。これが本来の上司のあり方だ。

ブラック企業の管理者は、部下に、ただただ無理な数字を押し付けるだけで、本人は何もしないことが多い。これでは、企業は伸びないし、人も去っていくだけ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月 1日 (月)

三欠くということ

昔から、長者になるには、「三欠く」が必要だと言われてきた。「三欠く」とは、義理欠く、人情欠く、交際欠くということらしい。世間で、義理、人情、交際が重視されてきたことを真っ向から否定したもの。

すなわち、義理とは、儒教的な意味ではない。「広辞苑」に、「特に江戸時代以後、人が他に対し、交際上のいろいろな関係から、いやでも務めなければならない行為やものごと」の意味。

かつて、義理を欠くことは恥、義理を重んじることは徳目とされてきたが、義理を優先すれば、合理的判断はできない。ズルズルと人間関係に引っ張られ、やるべきことができなくなる。それでは財産は築けないということだ。

次に、人情とは、同じく広辞苑では、「自然に備わる人間の愛情」とある。これ自体は悪くないが、これを重視し過ぎると、我身を滅ぼしかねないということ。現実を冷徹に見通すことが財産形成を傷つけない。

その次の交際は、各種交際は、いろいろと支出を伴う。それは大きいものから小さいものまで、様々だが、最低限度の付き合いに留めないと、支出増加は防げない。他人は、人の財産形成に関心はない。交際を、ほどほどにすることが財産形成に役立つ。

これらは、個人に留まらず、企業経営でも同じことだ。

これらをもじって、別の「三かく」もある。以下に紹介しておこう。原安三郎は、六十歳を過ぎれば、健康法として、「三欠主義」を次のように言っている。

一、一切義理、見栄、面子などで頭や体を労しない。

二、少しでも気にそわぬこと、いやだと思うことはやらない。

三、会合でも、人の依頼でもドンドン断る。

としている。要するに自然体で無理しないこと。

また、別の人は、高齢者の健康を維持する「三かく」として、次のように言っている。

一、汗をかく~運動

二、字を書く~頭を使って手を動かす

三、恥をかく~新しいことに挑戦する

いろんな考えがあるだろうが、案外、参考になるかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2018年9月 | トップページ | 2018年11月 »