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2018年10月 7日 (日)

叱責、叱言、注意

昔から、叱られなくなったら人間終わりと言われてきた。叱責、叱言(こごと)、注意を部下、後輩に言うには、それなりの覚悟がいるものだ。言えば、うるさがられるだろうし、今後、気まずい思いをお互いするかもしれない。それでも、本人のためを思って言う。

企業では、うるさ型の上司や小姑型のお局様は煙たがられる存在だが、彼らは、ある意味、貴重な人々。そうそう、他人のことを思って、叱責、叱言、注意をしてくれないものだ。ところが、言われた時は、少しショックで嫌な思いをする。

でも、注意を受けるということは、自分が、まだ見込みがあると思われている証拠。人間の完成は死ぬまで その研鑽に終わりはない。時々、叱責を受けて、逆恨みする人たちがいるが、彼らは進歩の停止の表れであり、二度と注意されなくなったら、最早、終わりだ。

叱責、叱言、注意を受ければ、一旦受け止め、その意味を深く考察し、感謝した方がいい。もちろん、人間は感情の動物。常に自分は正しいと思っている故、かちんとくるかもしれない。しかし、少し時間をおいて、なぜ叱責等を受けたのか冷静に考えてみるとよい。

その時、なぜ自分だけと思わない。自分だけが期待されていると考える。なかなか喜んで叱責、叱言、注意を受けるというわけにはいかないだろうが、そのように努力することも大切だ。

そう考えると、地位を上り詰め、誰からも注意を受けないトップは、ある意味、危ない存在であると自覚が必要だ。利害関係のない外部に叱咤してくれる人を求めることも大切だ。

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