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2018年10月12日 (金)

小栗上野介とその妻

報道で知ったのだが、幕末、勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行であった小栗上野介(小栗忠順)の妻が姫路出身であるとのこと。覚えとして記しておく。

小栗上野介と言えば、死後も隠し金の噂があり、そこから様々な小説で描かれている。彼は、三河小栗氏第12代当主。妻は道子と言い、林田藩の藩主だった建部政醇(まさあつ)の娘。彼女は、後光が差すほどの美人だったらしい。

小栗は、幕末の厳しい情勢下、先見の明で、米国の造船所見学がきっかけとなり、近代化には、まず造船所の必要性を主張し、「横須賀製鉄所」を建造した。これは日本で初めて、蒸気機関を原動力とした工場だった。

また神戸港開港にあたって、日本で初めて株式会社「兵庫商社」を設立した。外国との個人取引では、利益を搾取されると考えた結果という。生野銀山も、横須賀造船所から蒸気機関の設備を取り入れ再建が進んだという。

兵庫関係以外では、軍事力強化、兵器の国産化、学校の設立、フランスから人事システムの導入、ホテルの建設など、幅広く手掛けている。ある意味、この人は天才だったのだろう。米国との不平等取引の交渉では、米国側が舌を巻いたほどらしい。

これらのことをやったことは大きいのだが、幕府側人間として、新政府軍に斬首されている。だが、皮肉にも、新政府は、彼のやった事業を引き継ぐことで、新しい時代を切り開くことができたは確かだ。彼は先見の明があったのだ。

それにしても、これらのことをやるには、多額の資金を要したはず。一体、どのようにして資金を調達したのだろうか。これが、いろんな噂の元と言える。

このような夫を持った道子は大変だった。やがて官軍に追われ、身籠っていた彼女は、小栗に何かと世話になっていた人に庇護され、生き延びた。生まれた娘は、後に、矢野龍渓の弟で実業家の貞夫に嫁いで、小栗家を再興している。

道子の辿った辺りを追いかければ、小栗上野介の謎は判明するかもしれない。どこかの作家さんにお願いしたいものだ(笑)。

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