古典文学・演芸

2018年1月18日 (木)

菅茶山の漢詩「冬夜読書」を読む

寒い日が続いている。今日は少し暖かい。でも、また寒くなるだろう。しばらく、このような気候に慣れるしかない。冬は、夏より読書が進むとかと言えば、寒すぎると頭の方も凍える。そして暖房し過ぎると眠くなる(笑)。よって読書の方も、そんなに順調に進まないことになる。

さて、今回は、備後生まれ、すなわち現在の広島県福山市生まれの菅茶山(さざん、あるいはちゃざん)の漢詩を取り上げてみよう。彼は、豪農の家に生まれ、町の雰囲気を変えるには教育しかないと考え、19歳の時に、京都に遊学。

後に帰郷後、私塾黄葉夕陽村舎を設立する。やがて郷学として認められ、福山藩の簾塾になり、子弟の教育に努めた。門人に頼山陽等がいる。取り上げる漢詩は「冬夜読書」というもの。

冬は山堂を擁して樹影深し

檐鈴(えんれい)動かず夜沈々

閑に乱帙(らんちつ)を収めて疑義を思えば

一穂(いっすい)の青燈萬古の心

解釈としては次のようになるかもしれない。

「しんしんと降る雪は山堂をすっぽりと包みこみ、樹影が深く落ちている。軒にある風鈴も少しも動くことはない。そのように夜はひっそりして静まり返っている。乱雑に散らばっている書物を整理して、疑問点を洗いだす思索を続ければ、たった一本の灯でも、古来から伝わる智を開いて教育を広める大切さを改めて認識させる」ぐらいの感じ。

教育者としての気概を感じさせる漢詩だろう。流風には、とても教育者には、なれそうにありません(苦笑)。せいぜい反面教師かな(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 9日 (火)

犬の物語 その五~白犬・黒犬の話

権力者というものは、常に危うい。下剋上もある。信用してる家臣たちの裏切りもある。それらの要因は、いろいろあるだろうが、日頃の言動・行動のチェックが欠かせない。だが、本当に自分を守ってくれるものは何か。今回は忠犬の話。

兵庫県神崎郡神河町の法楽寺に伝わる話。昔(大化の改新の前)、枚夫長者という豪族がいたそうな。ある時、朝廷から蘇我入鹿の戦いのために召集される。手柄を上げて帰って来るのだが、その枚夫をもてなそうと、家来が狩りに誘い出す。

牧夫は、日頃から可愛がっている白と黒の二匹の犬を連れていく。ところが、山深く入り、崖の上まで来ると、突然、家来は弓に矢をつがえ、枚夫を殺そうとする。最早、これまでと覚悟し、自分が殺されたら、亡骸が何一つ残らないように食い尽くしてほしいと犬たちに頼む。

犬たちは、主人の言葉が分かったのか、家来に向かって猛然と飛びかかり、弓づるを食い切、家来の喉元に噛みつき殺してしまう。その後、彼は、犬たちを今まで以上に可愛がり、彼らの死後は、その霊を慰めたという。そのため寺を建てて供養し、その時から、この寺は犬寺と呼ばれるようになった。ちなみに、白犬は雄、黒犬は雌ということだ。

*参考

兵庫県立図書館提供資料

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 8日 (月)

犬の物語 その四~人身御供と犬

昔話に、「人身御供」の話は多く伝わる。「人身御供」というのは、一つの生贄で、それを出せば、村の安寧が得られるというもの。ただ、この「人身御供」の実態は、権力者(あるいは地域の不埒な者)が、娘を差し出せというものだろう。

暴力団が店に対して、「みかじめ料」を要求するのに似ている。出さなければ、商売できなくなるぞと脅す。同様に、「人身御供」を出さないと、村に様々な災難が待ち受けていると脅したのだろう。

姫路市香寺町には次の話が伝わる。香寺町犬飼は、かつて沢村と呼ばれていたそうな。ある時、村の百姓の堤佐助の娘が氏神の人身御供に選ばれる。当然、一家は悲しみ嘆く。たまたま、そこを訪れていた伊勢神宮の御師・芝左太夫は、このことを可哀想に思う。

そこで、愛犬を伴い、娘の身代わりになって、櫃の中に入って氏神のところに行く。そして、その夜、大きな猿が現れる。犬が、この猿に飛びかかると、噛み殺してしまう。そうすると、猿は狸に変わった。

狸の正体は何か。まさか本物の狸ではあるまい。地域の悪者が猿に扮してしたのだろう。それ以後、この村では、人身御供の風習はなくなり、氏神の祭神が伊瀬神宮の内官外宮に改められる。

そして芝左太夫は、そこの神官になったと伝えられる。更に村は犬飼村と呼ばれるようになったという。昔は、神官もいいことをしたようだ。

*追記

人身御供の話は、播磨地区以外でも伝わる。篠山市犬飼の大歳神社にある話。ある年に、村の氏子が行方不明となる。それも一名とか二名ではない。そこで、これは神が怒ったものだと判断し、人身御供をくじで上げることを決める。

くじに当たった家は、悲しみ、何とか、この災難から逃れようと、祈祷をする。そうすると、満願の明け方に、一人の童子が現れる。そして、似たような事例を挙げ、「鎮平犬」という犬が化け物を退治し、厄を逃れたことがあるから、この犬を借りてきて、箱に納めておけ、と伝える。

村人は、この犬を借りてきて、お告げどおり箱に納め、木陰で隠れ刀を持ち待ち構えた。そうすると夜半になって、怪物が現れ、拝殿の供え物に手を掛けようとしたところ、、「鎮平犬」が怪物に噛みつく。村人も、駆けつけ、切りつけ、退治に成功。怪物の正体は、大狸であったとか。

*参考

兵庫県立図書館提供資料

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 7日 (日)

犬の物語 その三~狂言『犬山伏』より

世の中、偉そうにしている連中がいる。基本的に勘違いしているのだが、そのことが分からない。そういう人たちを批判的に扱ったものに狂言『犬山伏』がある。厳しい修験道をした山伏は、一般人より上位だと錯覚している。その修行者の山伏が、威張っているので、犬を使って、ちょっとした工夫でからかう。

雨が降りそうだったので、傘を持って檀家周りをしている僧が、途中で檀家の茶屋に立ち寄る。そこで、のどかに休憩していると、山伏がやってくる。結構、威張り腐っている。喉が渇いたと茶屋に茶を所望する。

ところが、茶屋が持ってきた茶が熱すぎるとか、ぬるすぎるとか文句たらたら。見かねた僧が茶屋と悪口を言っているのを聞き咎めて、態度が生意気だと絡む始末。ついには、僧に今夜の宿まで、山伏の肩箱を持って行けと命じる。

茶屋は仲裁するが、両者は、お互い、いかに自分が偉いかと騒ぎだす始末。宗教者によくあることだ。僧の方も負けずに反論するが、乱暴な山伏の圧に押され、かないそうにないと判断し逃げ出そうとする。

それを引き留めた茶屋の提案で、ここにいる人食い犬を祈って勝負するように勧める。実は、犬の名前は「トラ」と言い、名前を呼べば、なつくと僧に教える。いよいよ勝負の時、まず僧が文言に「トラ」を入れたものを唱えると、犬は僧に、なつく。

それを知らない山伏は、いろいろ唱えるが、犬はそっぽを向いたまま。挙句の果ては山伏に吠えかかり、ついには追い込んで終演。犬の特性を利用して、因業な山伏を退散させる話になっている。こういう話で溜飲を下げた庶民が目に見える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 6日 (土)

犬の物語 その二~童話『花咲き爺』より

ちなみに先に記した犬族の話が、童話の『花咲か爺』の「ここ掘れワンワン」につながったのだろうか(笑)。今更ながら、童話の『花咲か爺』を読み返すと、登場する犬は、桃から生まれたことになっている。

そこには、性教育があると分析する学者もいるようだが、「桃」の正体は何か。桃は仙果でもあるようで、仙人に力を与える果物。まあ、出生不明なものは皆、桃から生まれるのかも。要するに捨て犬と考えることもできる。

そして、話の展開では、川から流れていた桃を発見するのは、いつも婆さん(川で洗濯しているから当然と言えば当然)で、それを取るように爺さんに指示する力関係(笑)。物語は、ここから始まっている。つまりは、すべては婆さんの勿体ないが基礎(笑)。

桃を割ると犬が出てきて、びっくりするが、それなりに世話をすると大きく成長。後は、柴刈りに行く爺さんに無理やり同行して、「ここ掘れワンワン」ということで、掘ってみると金銀財宝が出てくる。

それを聞いた隣の婆さんが、犬を無理やり連れだし、爺さんに行かせるが、逆に災難に遭って怒って犬を殺して松の木を植える。後の話は省略するが、松の木から臼になり、臼が灰になり、そして花の肥料となって花を立派に咲かせて「花咲か爺」になる。

犬といえども、生前と死後に、霊妙な働きをする話だ。これは動物を通じて人間の心に大きく影響することを示唆している。中途半端な気持ちで動物を飼ってはならないということかもしれない。改めて童話からも、いろいろ学べる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 4日 (木)

犬の物語 その一~『播磨国風土記』の犬

今年は、戌年なので、今回は、『播磨国風土記』の犬の記事を取り上げてみよう。

まず、以前取り上げた「賀古の郡」では、景行天皇が、印南の別嬢(いなみのわきいらつめ)を追いかける話で、逃げ惑う彼女探していて、彼女が飼っていた犬が、海に向かって長く吠えたため、居場所を突き止められたという話。まさに飼い犬に手を噛まれた別嬢。犬に罪はないのだけれど、、、。ありうる話です。

もう一つは、「讃容(さよ)の郡」で、鹿庭山で、山の四面に十二の谷があり、皆、鉄を産するとある。それを孝徳天皇に献上したのが、別部(わけべ)の「犬」の孫たちであった。別部とは、和気氏のことで、そこの「犬族」。実際は犬を先祖と崇める一族で隼人と言われる。

隼人は中国からの渡来人とされる。彼らの一部が、古くから、この地の特殊性を見出し、住みついたのだろう。後には、彼らから派生した職業は「山師」と軽蔑されるが、当時は、新しい文化を作った一族と言える。そのルーツが「犬族」たちだった。いずれにせよ、この地が古くから大陸との交流があったことを窺わせる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月17日 (日)

『平家物語』を通読

長らくツンドク状態であった『平家物語』をやっと通読した。有名な話は何回も読んでいるが、そうでない箇所は読んでいなかった。全体としては、約6割くらいの話は知っていたが、残りの部分は読んでみて新鮮な部分もあった。

ただ、『平家物語』自体、どれくらい史実に忠実であるかは分からない。よって、正確な「平家史」とは必ずしも言えない。史実の上に物語を重ねているからだ。そもそも「物語」は、伝聞も含め創作が中心だ。よって、浪曲や講談の題材と似ている。

それでも、後世の人々は、平家の辿った道を教訓にしてきた。そういう意味では、このベストセラーの作者は、その編集能力が優れていたことは確かなようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年9月 5日 (火)

『万葉集』にみる遠距離恋愛

今回は、『万葉集』にみる遠距離恋愛を見てみよう。それが天智天皇と鏡王女(おおきみ)の相聞歌。但し、天智天皇が、まだ皇子だった頃の話で、当時、彼らは相思相愛の仲。まず、天智天皇の歌が次のもの。

妹が家も 継ぎて見ましを 大和なる

 大島の嶺に 家もあらましを

(巻第二 九十一番)

「あなたの家を、いつも見ることができたら、いいのになあ。あなたの家を見渡せる大島の嶺に家があったらと思う」という風な感じ。

これに対し、鏡王女が返した歌が次のもの。

秋山の 木の下隠り 行く水の

 我れこそ増さめ 思ほすよりは

(巻第二 九十二番)

「秋山の木々の下に隠れ流れる水、それは表からは見えないけれど、同様に、私の想いの方が、あなた様より優っていることでしょう。(心から深くお慕い申し上げています)」

木々の下とあるが、落ち葉が川に浮いて水が流れている状態と思う。それを歌に詠み込んだ鏡王女は、慎ましやかな人物であったと想像できる。歌としても、天智天皇の歌より優れていると思う。

それはそれとして、当時は交通もそんなに発達していなかったから、会うのは大変だったことがわかる。鏡王女の名から、彼女の親は、渡来系の鏡づくりの職人軍団の長であったと推定出来る。彼らの居場所は特定されたであろう(鏡を作る技術は秘密とされた)から、行くのも大変だったに違いない。

それでも、相互に惹き合う何かがあったのだろう。今でも、そうだが、恋人たちは、離れていると思いは増すものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月29日 (火)

『万葉集』の秋風

まだ暑いけれど、雑草抜きをしていると、さわやかな風が吹くようになった。それがすっと汗をぬぐい取ってくれる。そして、秋となると、人恋しい季節。流風でも、感じないことはない。

さて、今回は、『万葉集』の中から、女性の歌を取り上げてみたい。

君待つと 我が戀ひ居れば わが屋戸の

すだれ動かし 秋の風吹く

巻四 四八八番 額田王(ぬかたのおおきみ)

この歌の前書きに、「額田王、近江天皇を思ひて作る歌一首」とある。すなわち、天智天皇を思って詠んだ歌ということになる。

「あの方をお待ちして、恋い焦がれていると、(その心を察するように)私の家の戸口のところの簾を動かす秋風が吹く」という感じかな。

風をだに 戀ふるはともし 風をだに

来むとし待たば 何か嘆かむ

巻四 四八九番 鏡王女(かがみのむおおきみ)

これは、先の額田王の歌に対するもの。鏡王女は、額田王の姉とも、親とも言われる。渡来人であることは間違いなさそうだ(*注1)。

「その秋風の音にさえ、恋しがっているあなたは羨ましい。私は、風だけでも、やって来ると思って待つなら、何も嘆くことは有りません」という感じ。待つものがない寂しさが伝わる。

額田王も鏡王女も、天智天皇に愛されたが、この時は、額田王に愛が移っていた。鏡王女は中臣鎌足の正室になった(鎌足が天智天皇から下賜。もう少しマイルドに言えば譲られた。注2)。鎌足は、鏡王女が好きだったので大事にしたと伝えられる。鏡王女も、それに応えた。この歌は、鎌足が亡くなった後の歌と言われる。

*注1

額田王はバイリンガルだったと言われるが、鏡王女は、そのようだったとは言われない。姉妹だったとしたら、少し変。やはり鏡王女は渡来一世で、額田王は鏡王女の子供で、二世であるように思う。天智が人妻の鏡王女を略奪していたら、成り立つ話。まあ、この辺は、いろいろ想像されるが、事実は不明だ。

*注2

この時、鏡王女は、既に天智の子を宿していたと言われる。なお、鎌足は、存命中に、「藤原姓」を名乗れていない。天智の血をひく子供のみだ。よって、鎌足の他の子供は中臣姓。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月26日 (土)

『方丈記』を再読

ずっと前から、朝に、時々出かけて、ある所で声を掛けてくる高齢のお婆さんがいる。全く知らない方だ。一応、挨拶は返しておく。このように見知らぬ高齢のお婆さんに声を掛けられることは、たまにある。

このお婆さんは割と頻繁なのだが、詮索することはせず、挨拶だけだ。認知症とかではなさそうだ。ところが、最近は会わなくなった。会わないと少し気になる存在。大体、後で分かることだが、多くは施設に入られたりして、最終的には人知れず亡くなっている。人間とは、そういうものだ。

「ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまりたるためしなし。

世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし」

鴨長明著『方丈記』を久しぶりに読んだ。学校時代に学んだが、彼の言っていることは、今になって、よく理解できる。そして、過去に何回か読んだが、その度に、少し受ける印象が違う。それは加齢による理解の差であろうか。

長明は、全国的な内乱、大火、辻風、遷都(人災)、飢饉、大地震などを挙げて、この世に住むことの難しさを説いている。その結果、彼は無常観を持つに至り、都を捨て、世俗を離れる。

そのため、無駄なものは切り捨て、出家して、世捨て人を目指す。現世が嫌になったのかもしれない。50歳ころの出来事だ。彼が最終的に住んだ方丈の庵は、2.778坪。高さは七尺。その前の住処は277.8坪あった。

そして驚くことに、祖母の家は、2778坪もあった。すなわち祖母の家の千分の一まで庵は小さく設計された。中頃の住処と比して百分の一、見事な比例計算。彼が60歳くらいの話である。

更に驚くことに、この庵は解体でき、いつでも、どこにでも移動できるようになっていたという。そして最終的には日野に定住する。草庵の生活を悦び、閑居を楽しむ姿勢。しかし、草庵にも捉われない。出家後、捉われのない生活を目指したのは間違いない。

そして、出した結論が、先に示した『方丈記』の一文だろう。人は、どこともなく現れて、どこかに消えていく。その繰り返しを行ってきた。せいぜい、この世を楽しんで生きたいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧