古典文学・演芸

2017年9月 5日 (火)

『万葉集』にみる遠距離恋愛

今回は、『万葉集』にみる遠距離恋愛を見てみよう。それが天智天皇と鏡王女(おおきみ)の相聞歌。但し、天智天皇が、まだ皇子だった頃の話で、当時、彼らは相思相愛の仲。まず、天智天皇の歌が次のもの。

妹が家も 継ぎて見ましを 大和なる

 大島の嶺に 家もあらましを

(巻第二 九十一番)

「あなたの家を、いつも見ることができたら、いいのになあ。あなたの家を見渡せる大島の嶺に家があったらと思う」という風な感じ。

これに対し、鏡王女が返した歌が次のもの。

秋山の 木の下隠り 行く水の

 我れこそ増さめ 思ほすよりは

(巻第二 九十二番)

「秋山の木々の下に隠れ流れる水、それは表からは見えないけれど、同様に、私の想いの方が、あなた様より優っていることでしょう。(心から深くお慕い申し上げています)」

木々の下とあるが、落ち葉が川に浮いて水が流れている状態と思う。それを歌に詠み込んだ鏡王女は、慎ましやかな人物であったと想像できる。歌としても、天智天皇の歌より優れていると思う。

それはそれとして、当時は交通もそんなに発達していなかったから、会うのは大変だったことがわかる。鏡王女の名から、彼女の親は、渡来系の鏡づくりの職人軍団の長であったと推定出来る。彼らの居場所は特定されたであろう(鏡を作る技術は秘密とされた)から、行くのも大変だったに違いない。

それでも、相互に惹き合う何かがあったのだろう。今でも、そうだが、恋人たちは、離れていると思いは増すものだ。

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2017年8月29日 (火)

『万葉集』の秋風

まだ暑いけれど、雑草抜きをしていると、さわやかな風が吹くようになった。それがすっと汗をぬぐい取ってくれる。そして、秋となると、人恋しい季節。流風でも、感じないことはない。

さて、今回は、『万葉集』の中から、女性の歌を取り上げてみたい。

君待つと 我が戀ひ居れば わが屋戸の

すだれ動かし 秋の風吹く

巻四 四八八番 額田王(ぬかたのおおきみ)

この歌の前書きに、「額田王、近江天皇を思ひて作る歌一首」とある。すなわち、天智天皇を思って詠んだ歌ということになる。

「あの方をお待ちして、恋い焦がれていると、(その心を察するように)私の家の戸口のところの簾を動かす秋風が吹く」という感じかな。

風をだに 戀ふるはともし 風をだに

来むとし待たば 何か嘆かむ

巻四 四八九番 鏡王女(かがみのむおおきみ)

これは、先の額田王の歌に対するもの。鏡王女は、額田王の姉とも、親とも言われる。渡来人であることは間違いなさそうだ(*注1)。

「その秋風の音にさえ、恋しがっているあなたは羨ましい。私は、風だけでも、やって来ると思って待つなら、何も嘆くことは有りません」という感じ。待つものがない寂しさが伝わる。

額田王も鏡王女も、天智天皇に愛されたが、この時は、額田王に愛が移っていた。鏡王女は中臣鎌足の正室になった(鎌足が天智天皇から下賜。もう少しマイルドに言えば譲られた。注2)。鎌足は、鏡王女が好きだったので大事にしたと伝えられる。鏡王女も、それに応えた。この歌は、鎌足が亡くなった後の歌と言われる。

*注1

額田王はバイリンガルだったと言われるが、鏡王女は、そのようだったとは言われない。姉妹だったとしたら、少し変。やはり鏡王女は渡来一世で、額田王は鏡王女の子供で、二世であるように思う。天智が人妻の鏡王女を略奪していたら、成り立つ話。まあ、この辺は、いろいろ想像されるが、事実は不明だ。

*注2

この時、鏡王女は、既に天智の子を宿していたと言われる。なお、鎌足は、存命中に、「藤原姓」を名乗れていない。天智の血をひく子供のみだ。よって、鎌足の他の子供は中臣姓。

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2017年8月26日 (土)

『方丈記』を再読

ずっと前から、朝に、時々出かけて、ある所で声を掛けてくる高齢のお婆さんがいる。全く知らない方だ。一応、挨拶は返しておく。このように見知らぬ高齢のお婆さんに声を掛けられることは、たまにある。

このお婆さんは割と頻繁なのだが、詮索することはせず、挨拶だけだ。認知症とかではなさそうだ。ところが、最近は会わなくなった。会わないと少し気になる存在。大体、後で分かることだが、多くは施設に入られたりして、最終的には人知れず亡くなっている。人間とは、そういうものだ。

「ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまりたるためしなし。

世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし」

鴨長明著『方丈記』を久しぶりに読んだ。学校時代に学んだが、彼の言っていることは、今になって、よく理解できる。そして、過去に何回か読んだが、その度に、少し受ける印象が違う。それは加齢による理解の差であろうか。

長明は、全国的な内乱、大火、辻風、遷都(人災)、飢饉、大地震などを挙げて、この世に住むことの難しさを説いている。その結果、彼は無常観を持つに至り、都を捨て、世俗を離れる。

そのため、無駄なものは切り捨て、出家して、世捨て人を目指す。現世が嫌になったのかもしれない。50歳ころの出来事だ。彼が最終的に住んだ方丈の庵は、2.778坪。高さは七尺。その前の住処は277.8坪あった。

そして驚くことに、祖母の家は、2778坪もあった。すなわち祖母の家の千分の一まで庵は小さく設計された。中頃の住処と比して百分の一、見事な比例計算。彼が60歳くらいの話である。

更に驚くことに、この庵は解体でき、いつでも、どこにでも移動できるようになっていたという。そして最終的には日野に定住する。草庵の生活を悦び、閑居を楽しむ姿勢。しかし、草庵にも捉われない。出家後、捉われのない生活を目指したのは間違いない。

そして、出した結論が、先に示した『方丈記』の一文だろう。人は、どこともなく現れて、どこかに消えていく。その繰り返しを行ってきた。せいぜい、この世を楽しんで生きたいものである。

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2017年8月23日 (水)

ナスとカボチャ(ナンキン)と端唄

本日、8月23日は、処暑。朝夕、涼しくなると言うけれど、朝は多少そんな感じもしないではないが、夕方は暑いまま。暑いのは、寒いのと比べて、耐えられるけれど、やはり、もう少し涼しくなってほしいと思う日々。

さて、今年は、ナスもカボチャも作っていないけれど、比較的作りやすい野菜だ。ナスは苗を買ってきて植え付けるだけだけれど、割と実がなる。カボチャは、実を言うと過去にも植え付けていない。

たまたま買ってきたカボチャを料理する時、ワタと種を取るが、それをゴミとして捨てずに、土の中に埋めると、自然発芽して、やがて成長して、花が咲き実がなる。この成長度合いは、サツマイモ同様、物凄い勢いだ。

そのことを端唄にしたものがある。少し面白いので取り上げておく。それが次のもの(文言は異なる表現のものもある)。

背門(うら)の段畑に、茄子とかぼちゃの 喧嘩がござる 

かぼちゃ元より いたづらものだよ

長い手を出し 茄子の木にからみつき

其処で茄子の木が 黒くなつて 腹をたて

其処へ夕顔 十ぶんいりて これさ

まてまてかぼちゃ 背(せい)が低いとて

色が黒いとて 茄子の木は地主だよ

をらやそなたは 棚借り身ぶんで

他(よそ)の地めんへ はいるがむりか やんれ

それ 奥州街道で かぼちゃのつるめが

垣根をこわして 大家がはら立つ 

大工が喜ぶ 十日の手間取り 

どうするどうする 面白や

幕末に流行った俗謡らしい。色黒の田舎侍をからかったとも言われる。主客のナスにカボチャが集(たか)る感じ(違う意味で、歌っているという解釈もあるが、ここでは止めておく)。なお、「十ぶんいりて」とは、仲裁に入り、の意。

先に記したように、カボチャの成長は早く、力強い。よって、木の塀だと倒される恐れもあるのも事実。壊されると、風が吹けば桶屋が儲かる方式で、大工に仕事が回ってくる。それは誰が負担するのかという問題。

そうなると、一時の欲で、カボチャを植え付けるのは、メリットはないということになる。呼ぶ客は選ばなければならない。そうしない、とんでもない損失を被る。最近は、木の塀は少なく、ほとんどブロック塀だから、そういう問題は起こらないけれど。集る奴らには気をつけなければならぬのは今も変わらない。

*追記

昔話を読んでいると次のようなものがあった。

「昔、あるところに、貧乏な百姓がいた。軒下に、カボチャの芽が出していたので、手間暇かけて育てた。カボチャは段々大きくなり、添え木を立てると、そのてっぺんまで延びた。それで放置すると、ついに、屋根まで這い上がった。

屋根の上に、なり花が咲いた。日当たりがいいので、実が次第に大きくなった。はしごをかけて毎日見守ると、間もなく、手で抱えるくらいの大きさになった。でも、大きくなるのが嬉しいので、そのままにすると、さらに大きくなり四斗樽くらいの大きさになった。

でも、まだ放置すると酒桶くらいの大きさになった。そうして、とうとう貧相な家を潰してしまった。百姓は、居る家がないから、カボチャに穴を開け、中身を出しで、家の代用にした。でも、壁を崩して少しずつ食するので、秋になると、薄くなって、冬になると腐りだした。

そうして、住めなくなり、どこにも住めなくなった。カボチャは屋根を決して這わせてはいけない」。

家で、カボチャを作る時は、屋根に這わせたりはしないが、今後は、買ってきたカボチャの種は、ゴミとして捨てることにしよう(笑)。

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2017年8月19日 (土)

狂言『茫々頭』を読む

若い頃、髪質が固くて、朝に少し手入れをするが、毛が立つのを修正できずに、出社したところ、先輩女子社員から、「あんた、頭茫々やで、なんとかしい」と言われたことがあるが、馬耳東風で対応(笑)。そのため、その後も、いろいろ嫌味を言われた。

さて、狂言にも『茫々頭(ぼうぼうがしら)』というものがある(和泉流では『菊の花』)。登場人物は、主人と太郎冠者。そして、ほとんど太郎冠者の一人語りだ。主人に無断で出かけた太郎冠者。主人はもちろん、叱ろうとする。ただ、彼が京都見物に行っていたと聞いて、許して、都の様子を聞き出そうとする。

ここから、太郎冠者のおしゃべりが始まる。北野から祇園に向かう途中に、道端で見事な菊の花が咲いているのを見つけたので、一折折って、茫々の頭に挿していく。しばらくすると、美しい上臈が通りかかる。

その上臈から、次の歌を詠みかけられる。

「都には 所はなきか 菊の花 茫々頭に 咲くぞ乱るる」

上臈はからかったのだが、これに対し、太郎冠者は次のように返す。

「都にも 所はあれど 菊の花 思う頭に 咲くぞ乱るる」

これには、上臈も、少し感心し、田舎人なのに面白い人だと言われて誘われる。誘われるままに、祇園の野遊びについて行く。ところが、太郎冠者は入り口近くの上座に座らされたと言う。主人は、どうも話を聞くと、周りに緒太の金剛(緒の太い草履)がたくさんあったと言うから、そこは靴脱ぎだったはずと推定。

そんなことは知らない太郎冠者の前を、酒や魚を持って、どんどん運んでいくだけ。太郎冠者の方は、ほったらかしで、ちっとも接待されないことを怒り、帰ろうとすると、下女が追ってきて、「返せ、返せ」と言うので、腹立ちまぎれに持ってきた他人の緒太の金剛を返したと主人に話して、叱られる。

この狂言の面白さは何だろう。まず京都人が田舎人を見下していることだ。京都人は常に「格」を争う(位取りのこと*注)が、今回も、その例。上臈は、冷やかした歌を相手は分からないだろうと思っている。ところが、案に相違して、太郎冠者は歌を返した。

そこで、誘いをかけて試してみる。案の定、田舎者の太郎冠者は上臈の真意を理解せず、のこのことついて行く。そこで、冷たくあしらって、分からせようとする。ところが、太郎冠者の方は、もてなしとはどういうものか知らず、上座と勘違い。

漸う上臈の誘いが嘘だったと気づき、腹立ちまぎれに、他の客の緒太の金剛を持ち出して、下女と大騒ぎ。要するに純朴な田舎人と、いけずの京都人の対比を狂言にしたものと見える。

*注

京都人はプライドが高いので、相手より常に上位であると思いたい。仮に、トータル的に相手の方が優れていても、相手の欠点・弱みを探し出し、自らの優位性を確認する。

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2017年8月15日 (火)

『昔ばなしの謎』を読む

昔話は、子供が主として読むものだろうが、大人が読んでも結構面白い。その形成過程は不明なものも多いが、それを分析した古川のり子著『昔ばなしの謎』を読了した。昔話を分析した本は、いろいろあるが、この本は、かなり深いところに突っ込んでいる。

分析している昔話は、「桃太郎」、「かちかち山」、「花咲爺さん」、「浦島太郎」、「鬼の子小綱」、「三枚の護符」、「蛇婿入り」、「蛇女房」、「産神問答」、「ミソサザイは鳥の王」、「ホトトギスと兄弟」、「鉢かづき姫」、「一寸法師」の十三点。

それぞれの分析内容は、なるほどと思わせる。昔話は、日本文化の底辺を為すものかもしれない。大人であっても、改めて、その話を吟味してみるのも悪くない。

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2017年8月 6日 (日)

幽霊と落語『三年目』

一応、肝試しの季節である。以前にも記したが、子供の頃、夕方、暗くなってから、近くのお墓に行く肝試しがあった。二人ペアになって、お墓に言って指令された物を取ってくるもの。でも、照明もない、真っ暗な、お墓周辺は不気味。幽霊が出ても、おかしくない雰囲気。

ビビりながら恐る恐る行ったものだ。火の玉みたいなものを見れば大騒ぎ。ぶるぶる震えながら物を取って帰途へ。あのハラハラ感は今も忘れられない。一般に、子供の夜の外出は禁止されていたから、稀な外出であったが、夜は出掛けたくないと思ったものだ。

さて、落語にも、幽霊を扱ったものがある。有名なものは『三年目』というもの。仲の良い夫婦が、妻が病に伏し、亡くなる寸前に、夫は「俺は二度と妻を持たない」と約束。男にとって、難しい約束だと思うけれど、気持ちが高揚すれば、そんな安請け合いもしてしまう。

この落語でも、やはり、親類の勧めもあり、止む無く後妻を迎える。でも、夫は、亡き妻との約束を反故にしたので、こわごわだ。亡き妻が、恨み言を言って、幽霊として出てくるはず。そうなれば、後妻は逃げ出すだろうと。ところが、一年経っても、二年経っても出てこない。

もう大丈夫と安心した三年目に、亡き妻の幽霊が現れる。夫が、「三年目の今頃になって、一体どうして、なぜ出てくるのだ」と問い詰めると、幽霊は「入棺の時に髪を剃られてしまったので、その毛が生え揃うのを待っておりました」とオチ。

亡き妻は幽霊になっても、夫一筋のいじらしさ。それに対して、現生の夫は、去った者をすぐ忘れてしまういい加減さ。でも、あまりできない約束はしてはならないという教訓。死ねば終わり。遺された者が何をしようと、それは勝手。そのように割り切った方がいい。

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2017年7月25日 (火)

落語『後生鰻』について

引き続き、土用の丑絡みの落語を取り上げる。それが『後生鰻』というもの。これも覚えとして記す。

浅草の天王橋(後に須賀橋という)の傍らで、一軒の鰻屋があった。しかし、なぜか、商売は、暇で暇で仕方ない状況。客は来ないが、一応、一尾の鰻を捌こうとしていたら、そこに観音詣での隠居が通りかかる。

捌こうとしていたのを見た隠居は、「生あるものを殺すのは、まことに不憫。わしが、その鰻を買い求めよう」と言う。代金を支払うと言うので、買い取ってもらった。その隠居はも川の上から、「来世は、鰻なんかに生まれてくるなよ」言い含めて逃す。

ところが、鰻屋は、また、川で鰻を捕まえて、また捌こうとすると、また隠居がやって来て引き取っていく。これに味を占めた鰻屋は、隠居の通る時刻を見計らって、まな板の上に鰻を置いて待つことにした。その上で、高く売りつける。

ところが、ある時、鰻も売り切れで、まな板の上に乗せるものがない。そこで、赤子を裸にして乗せていると、そこに隠居が通りかかり、「これはまた、何ということを」と魂げて、早速、買い取ると、鰻同様、川の上から、投げ入れたとさ。

おいおい、これでは、不憫という思いとは、ほど遠い。鰻も赤子も、同じ扱いとは、この隠居は、呆けていたのか。現実に、このようなことをやれば犯罪だが、この落語は、何を伝えようとしたのだろうか。

正しいことをやっているつもりでも、惰性になれば、人を誤らせるという教えなのか。救ったつもりが結果的に救ったことにはならないブラック・ユーモアか。それはともかく、流風は、鰻を不憫と思わず、美味しく頂きます。但し、命を頂くのだから、残さずに。

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落語『素人鰻』について

夏の土用の丑に、夏痩せを防ぐ方法として、鰻の蒲焼を食するようになった。これは江戸中期以降からで歴史がある。以前にも取り上げた落語『素人鰻』を再度記す。というのは、調べてみると、過去に記したのは簡略版。覚えとして、もう少し詳しく記す。

明治維新になると、武家は失業。殿さまも同様だ。食い扶持を作るため、神田川の金次郎という有名な料亭で働いていた料理人に勧められて、鰻屋を開業。この辺が、武家の商法。修業もせず、いきなり開業はあり得ないと思うが、そこが殿様出身の悲しさ。

もちろん、これには訳がある。蒲焼の名人と言われた金次郎が来てくれるならと、乗り気になって、鰻屋を開業したのだ。ところが、この金次郎、酒癖が悪く、酔うと、すぐ喧嘩をおっぱじめるタイプ。

主人は、金次郎に禁酒の約束をさせて、雇い入れるが、開店祝いに主人の友人が祝い酒を持ち寄り、彼にも一杯飲ませたのが悪かった。金次郎は、べろべろに酔ってしまって、「こんな家には、いてくれと言われても、いてやらねえ」と言って飛び出してしまう。

翌日には、帰ってくるのだが、今度は冷酒に呑まれてしまい、再度飛び出す。そこに客がやってきたから大変。主人は、「人間のする仕事だから、自分にできないこともあるまい」と奥方に手伝わせて、鰻の料理に取り掛かるが、失敗の連続。

ある時、二人の男が集まって、一杯やりたいなと言うが、二人とも一文無し。そして、もう一人の男が、横丁に開業したばかりの鰻屋について話す。

「その鰻屋に行ったところ、酒は出てくるが、鰻は、いつまで経っても出てこないので、催促すると、鰻の丸焼きが出てきた(*注)。馬鹿にしているのかと、怒鳴ると、主人が出てきて、今日は料理方が不在なので、また月の機会にしてくださいと言う。そして酒代は、宜しゅうございますと言うので、さんざん飲んできた。要するにタダ酒よ。

今通りがかったら、どうも料理方は留守のようだから、あそこに行けば、酒にありつける。一緒に来い」と誘う。二人で鰻屋にタダ酒をせしめようと行く。主人は、料理人が不在なので、鰻の蒲焼はできないと断るのだが、彼らは、何とかして酒をせしめようとする。

主人に言って、無理やり、料理をさせようとする。だが、鰻の扱いを知らない主人は、鰻をうまく捕まえられない。そこで、二人を交えて、鰻を捕まえるために大騒動。ついに主人は鰻を追いかけて、表に出ていき、店は留守になる。

そこにお内儀が帰ってきて、「主人はどこに行きましたか」「たった今、鰻を捕まえに表に出たよ」「まあ、何ということ。おとといも、鰻を捕まえに出て、今朝帰ってきたばかりなのですよ」「全く、冗談じゃねえ。おや、向こうの横丁から出てきた出てきた。鰻をつかんで汗だくだ。おやおや、また店を通り過ぎた。一体、どこに行くんだ」「もうヘロヘロ、どこに行くか分かりません。鰻次第です」とオチ。

鰻に翻弄され、鰻で客に精を付けるどころか、客に馬鹿にされて、商売も上がったり。見通しの甘い素人商売は、鰻のタレのようには行かない。今でも、飲食業は誰でも出来そうということで、多くの人が参入して失敗を繰り返している。この落語の教訓を知っておれば、そうそう安易に飲食業はやらないはず。落語にも学べることはある。

*注

初期の蒲焼(1400年頃)は、鰻をぶつ切りにして焼いたものに練り味噌を付けて食したようだ。現在の蒲焼スタイルになったのは1700年代とのこと。

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土用の丑と小噺

まもなく土用の丑。今年は、鰻が少し安いようだ。最近は、買わない年もあった。既に売り場には、内外の鰻の蒲焼きが並んでいる。美味しそう。少し買ってみますかね。でも、一尾では多すぎる。よって半身かな。

そういうと、子供の頃、父が鰻をもらってきて、自ら、さばこうとしたが、ぬるりぬるりと逃げ回り大騒ぎした。それでも、ついには、捌いて、かば焼きになったが、売られているものとは、少し違った。

恐らく、母が作った、たれの甘辛さが薄かったものと思われる。よって、あっさり目のかば焼きとなり、そんなに美味しくはなかった。それ以後、父が鰻を捌くことは見たことがないから、母を責めることもできず、懲りたのかもしれない。

小噺にも、似たようなものがあり、これは鰻屋の主人が籠から逃げた鰻を取り損ね、大騒ぎするもの。取りに行こうとすれば逃げ、この繰り返しで、店を空けてしまうというもの。まさか、鰻屋の主人が、鰻を捕まえられないということはないと思うが、以前に記した落語『素人鰻』のような殿様が始めた鰻屋かも。

別の小噺では、川を泳いでいる鰻の親子の内、子の方が、好い匂いに誘われる。それが何と、鰻のかば焼きの匂い。親にねだると、「お前もかば焼きにされてしまうぞ、とんでもない」と言って断る。

でも、子の方はあきらめられない。そこで考える。自らの尻尾をしゃぶってみようと。なめると美味しいので、少しずつ食べているうちに、頭ばかりになった。そして、「痛いよ、痛いよ」と泣き出す。

親鰻は、それを聞いて、「それみたことか。いっそ猫にでも食われてしまえ」と言う。強烈なアイロニー。鰻さえ、美味しいと思うぐらいの、かば焼きが食べたい(笑)。

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