古典文学・演芸

2018年10月28日 (日)

端唄「とんとん唐がらし」と健康

医者からは、塩分を控えよと、強く言われる。その代用として、料理に、とうがらし等を勧められる。ちなみに、端唄「とんとん唐がらし」というものがある。

とんとん唐芥(とうがらし)の粉(こ)

ひりりと辛いは

山椒の粉

にほいのよいのが

紫蘇(しそ)の葉

そういうと、山椒の実も紫蘇の葉も、塩の代用になる。そういう意味で、作られたものではないだろうが(笑)。

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2018年10月23日 (火)

男の自惚れ~万葉集より

日頃、見慣れている異性が、場面が変わって、オシャレしている姿を見ると、驚くことが多い。昔、中年のおばさんがパートで勤めていた。その人は実務的に仕事をてきぱきと、こなしていたが、ひつっめ髪で、風采は上がらない感じだった。

ところが、ある日、パーティが催されることになり、当日、あまり見たことがない美人がいるなあ、と思っていたが、それが、あのおばさんだった。いつもと違って、化粧も施し、オシャレな服を着て参加していたのだ。これには、誰も、びっくりした。どう見ても、同一人物とは、じばらく思えなかった。

さて、男というのは、まず外見で判断する。まあ、これは女性もそうかも。ただ、最近のことは分からないが、一般に男は選んだ女性を自慢することは少ない。むしろ、他人には、卑下して表現することが多い。

ところが、嫁自慢する人もいるにはいる。お目出度い感じもしないではないが、本人が幸せであれば問題はない。そう思える人は確かに幸せだろう。

万葉集にも、次の話がある。歌垣の集まりでの話である。歌垣というのは、一種、祭りのようなもので、歌を掛けあい、踊るもの。そして、恋愛の場でもあった。それは現代も同じ。わいわいやって、熱くなる。その結果、男女の愛が生まれる。

祭りというものは、豊年を祈願したり、感謝するものだが、段々、それが男女が知りあう場となった。それは何も独身同士に限らず、夫婦者も含めてだ。当時は、性の解放が進んでいたとも言える。

その中で、住吉の歌垣も有名であった。昔、そこに氏名不詳だが、一組の田舎の夫婦がいた。ある時、歌垣の集いがあり、地域の男女が集まって野遊びしていた。その中に、例の夫婦も参加していた。ただ、当時は、別居婚であるから、別々に参加した。

ところが、妻の姿を見て、びっくり。あまりにも、いつもの容姿と異なり、他の女と比べても抜きん出ている。日頃、農作業で真っ黒な顔も、化粧して、派手におめかししている。それを見て浮気心も萎えて、いよいよ妻を愛するようになったとさ。それで直接口に出して褒めて詠んだ次の一首。

住吉の 小集楽(をづめ)に出でて うつつにも

 おの妻すらを 鏡と見つも

「小集楽(をづめ)」とは、歌垣の集まりのこと。「鏡」とは、喩で、その光る様を示す。とにかく、その衝撃をうまく歌にしている。これは、男の自惚れと言えないこともない。

*追記

ある解説者によると、これは二人が田舎者だったための錯覚だと指摘している。まあ、そうだとしても、少し言いすぎかも。

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2018年10月15日 (月)

利発な子ども~狂言『伊呂波』

最近、ノーベル賞を受賞された日本の学者(*注)は、子どもの頃、先生に納得いかないところは、いろいろ質問して、困らせたそうだ。教師より詳しく賢い生徒というのは、なかなか厄介な存在だろう。

狂言にも、利発な子供が父親を言いくるめるものがある。それが『伊呂波』だ。子どもには、教育を授けたいと思うのは親としての気持ち。成人した我が子を寺に預けて勉強させようとする父親に、子は必要ないと言う。

そこで、「白いものは何か」と子に問うと、「鷺」だと答える。では、「黒いものは何か」と問うと、「烏」と答える。それではと、いろは四十八文字を教えようと思い、「いろはにほへとちりぬるを、、、」を吟ずると、子は、一文字ずつ、教えてくれという。

ここまでは順調(笑)。そこで、親が「い」と教えると、子は、「燈心」と答える。なぜだと言うと、「藺(い。いぐさのこと)を引くと、燈心が出る」(藺草の髄を燈心にしたことから)と言う。まるで、一休さんの頓智。

次に、「ろ」を教えると、子は「櫂(かい)」と答える。また、なぜだと問うと、「船には櫓櫂がある」と言う。これも頓智、更に進んで、次に「ちり」を教えると、「お座敷に塵があるので、掃き集めて火にくべろ」言う。これでは、まるでなぞかけ。

親も呆れてしまって、「そういうのは走り智恵と言って、何の役にも立たない。ちなみに、「走り智恵」とは最近は、あまり使わない言葉だが、『広辞苑』に次のように示されている。すなわち、「はしりぢえ。先走りするちえ。物事をはやのみこみして考えの浅いこと」とあると。

そして、父は子に、口写し(言う通りに)で覚えろと命ずる(*注2)。ところが、子の方は、親が叱る言葉まで、覚えて、そっくり言い返す始末。最後には、腹を立てて怒る父親の口調まで真似る。ついには、父親は、子を引き倒すが、子も、それを真似て親を引き倒す。

まあ、このような子どもは、いつの時代にもいる。ああだと言えば、こうだと言う。大人になっても、それが抜けきらない人もいる。でも、子ども時代の基礎知識は、無条件に受け入れる方が賢明なのも確か。

将来、ノーベル賞を受賞するような子どもは、稀だ。稀な人が、その精神を続けて、成果を上げる。だが、一般社会では生きにくい。自分の子どもに、それを期待してはならないだろう。

*注1

映像から受ける、この学者のイメージは不遜に映る。それは彼の妻の様子を見れば分かる。もちろん、偉い先生には違いないだろうが、実名は記さない。世間ずれしてないとも思えないが、製薬会社と、いろいろ揉めているらしい。人間的に、あまり好きになれないタイプだ。もちろん、実際のことは分からない。

*注2

ちなみに狂言の世界は、口写しで教える。

*追記

以前取り上げた同じく狂言の『察化』と展開が似ている。

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2018年9月19日 (水)

萩の花と古歌 2018

花の色は うつりにけりな いたずらに

 わが身世にふる ながめせしまに

   (百人一首 古今集巻二 小野小町)

キキョウは、既に咲いていたが、続いて、萩の花が咲き始めた。小野小町の上記の歌の「花」は一般的に「桜の花」とされている。しかし、人生の秋を感じるのなら、「萩の花」のような秋の花が相応しいと言えなくもないので、取り上げた。

萩の花を題材にした歌は『万葉集』巻第十にも散見される。

萩の花 咲きのををりを 見よとかも

 月夜の清き 恋まさらくに

    (万葉集 二二二八番)

流風には、この歌の解釈は難しい(苦笑)。以下、独断の解釈。でも、面白い歌。まず、萩の花が満開で、枝がしなるほど咲いている。この状況を見なさいとばかり、月は明るく照らしている。まさに恋心は募るばかりだ、という感じ。

それは、裏を返せば、彼への恋心は募るばかりで、自分の隠している心を照らし出すような月の光。萩の花のように、たくさんの花(女性)が彩るモテモテ男の誰かを、本当は自分も慕っているのを近くから見ている本人の心の情景かな。

萩の花 咲きたる野辺に ひぐらしの

 鳴くなるなへに 秋の風吹く

    (万葉集 二二三一番)

これは解釈は不要だろう。そのままの情景を詠った。見える情景と音の情景を重ねたのが巧い。

萩の花 咲けるを見れば 君に逢はず

 まことも久に なりにけるかも

    (万葉集 二二八〇番)

これも解釈は不要。萩の花に思い出のある彼氏との記憶を詠んだものだろう。回想気分かな。

まあ、秋になれば、女性に限らず、物思いにふける季節です。とは言いつつ、食欲が増して、体重オーバーが気になる所。でも、おはぎが食べたくなった(笑)。

 

 

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2018年8月19日 (日)

秋風と『万葉集』の七夕

まだ秋風が吹くというより、台風の影響による風。でも、気温も、やや下がり、過ごしやすい。だが、来週あたりから、残暑で、また厳しいかも。まあ、これは仕方ない。

さて、時期は少し過ぎたが、『万葉集』に七夕の歌を取り上げる。でも、旧暦では、七夕は秋。そういうことで、遅まきながらも取り上げることにした。『万葉集』では、憶良が12首、詠んでいる。その中から、1~2首、見てみよう。

天の川 相向き立ちて 我が恋ひし

 君来ますなり 紐解き設(ま)けな

   (巻八)

少し変な感じのする歌だが、これは憶良が織姫の立場になって作ったもの。衣の紐を解いて待つというのだから、若干、俗っぽい(笑)。織姫が、今か今かと彦星を待つ気持ちかな。今だったら、彦星が織姫を待つ歌になるかも(笑)。

もう一つは、

風雲は 二つの岸に 通へども

 我が遠妻の 言ぞ通はぬ

    (巻八)

これは七夕にこと寄せて、遠くにいる妻が、手紙の一本もよこさないのを憂いている。これは当時の通信事情から、妻が手紙をよこさないのではなく、よこせないことを恨んでいるとも取れる。風や雲は、天の川を自由に行き来しているのが羨ましいという気持ち。

最近は、電話に加えてネットで、瞬時に相手と会話をすることができる。ところが、これが却って、マイナスの効果を生むこともある。手紙のような余韻が残らないからだ。瞬時の会話では、相手の思いを十分考えることができない。

そこに齟齬をきたす。憶良の時代のように、やり取りが、なかなかできないのも不便だが、二人のためには、いいことかも。

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2018年8月13日 (月)

落語『稲荷車』について

姫路にも、お城近くで観光人力車が、活躍している。割と利用客がいるので、そういう需要があるのだなあ、と少し感心している。姫路城近くで結婚式を挙げた新婚さんや、旅行者と思われる人々が利用している。暑さ、寒さの中、人力車を曳いていくのは、大変なことだと思うが頑張ってほしいものだ。

さて、落語にも、人力車を扱ったものがある。それが『稲荷車(いなりぐるま)』。時代は、明治の初めごろの東京の話。無尽講(*注)に当たって、御馳走になった男が、夜遅くになったので、上野から王子まで、人力車を使うことに。

目的地の王子は、当時、かなり田舎。ところが、その車夫が大変な臆病者。それを見て、男は、いたずら心を起こして、車夫をからかうことに。というのは、男は、自分は、王子稲荷の使いの狐だと言うと、車夫は、それを信じ込む。

そして、自分の名前と住所を告げ、「ご利益をお授けください。車代などは、お賽銭として奉納します」と言う。そう言って、車代も受け取らず去っていく。男は、これを面白がって、家に帰るが、無尽に当たったお金がないことに気づく。

どうやら車の中に置き忘れたと思うが、ただ乗りしてきたため、取りに行きにくい。それでも、大金なので、翌日になって、車屋を訪ねると、車夫は車の中に大金があったが、これはお稲荷様がお授けになったに違いないと、長屋の連中を集めて、飲めや、食えやの大騒ぎ。

そこへ男が、顔を出し、「王子から参りました」と言うと、「福の神のご入来だ」と言われ、恐縮してしまい、「そんなにされては、穴にでも入りたい」とオチ。

つまり、車夫にネコババされて、男が言ったことが禍になり、逆にからかわれた形に。調子に乗ると、こういうことになる。好事魔多し、とは、まさにこのこと。でも、それが分かっていても、当事者になると、それを忘れるのが人間でもある。

*注

無尽講は、別名、頼母子講。限られた人数で出資し、当たると、資金が給付される。現在の地域金融に近い。商いに役立てるもので、宝くじではない。

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2018年8月 6日 (月)

鄭板橋の漢詩『偶然の作』を読む

中国の昔の人の詩句に次のようなものがある。

英雄なんぞ必ずしも 書史を読まん

ただ 血性を攄(のぶ)れば 文章となる

仙ならず 仏ならず 賢聖ならず

筆墨の他に 主張あり

これは清の時代の画家であり書家であった鄭板橋(てい はんきょう)の『偶然の作』と題する詩の最初の四句。なぜか、この部分だけ、中国文学研究家によって、取り上げられる。また彼の書は、隷書、楷書、行書が一体となった不思議な書風だが、現代日本でも人気があるようだ。

この詩句の解釈としては、次のようになるかもしれない。

「英雄にとって読書は必ずしも必要ではない。ただ自らの騒ぐ血の性を、そのまま表せば、文章になる。その文章は、仙人、仏、聖賢の範疇にも属さない。彼が書いたり画いたりしたもの以外に、その主張があるのだ」と。

これは何を語っているのか。英雄と言われる人は、「天の啓示(天命)」を受け、それを実行に移すことで、彼のオリジナリティーが示される。いくら学問をしたところで、これらは得られるものではないと言っているように思える。

すなわち、「天の啓示(天命)」を、直観で感じ取り、実行に移せることができる人のみ、英雄になるということだろう。やがて、「天の啓示」は志や使命感として反映される。

*追記

なお、清の文人で、当時、自由人と称された、袁枚(えんばい)さえも、「古代の聖人にとって、徳は心にあり、功業は世間にあり」、と同様なことを言っている。人々を動かす「本当の文章」は、国家をも左右するということだろう。

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2018年7月 6日 (金)

大江匡衡の逸話 その三

この大江匡衡という人、学者ではあったが、上昇志向が強かった。それは道長への対応を見ても分かる。でも、思うようには、出世しなかったらしい。それで不満を漏らしていた。

ある時、大井川に行って、船に乗って上ったり下ったりして遊んだ。その時、歌を詠む。

かはふねに のりてこころの 行くときは

 しずめる身とも おぼえざりけり

「川舟に乗って、夢中になっている時は、(事故に遭って)身が沈んでしまうようなことも思わない」と。このような時は、務めの憂さも晴れると。

ついでに記せば、北宋の詩人・蘇軾の、ある詩(*注)に次のような言葉がある。

与可が竹を画くとき

竹を見るが人を見ない

豈(あに)、人を見ないどころか

嗒然として其の身を忘れる

(後略)

すなわち、「与可という人が絵を描く時は、竹を見るが、人は全く見ていない。いや、人を見ないどころか、我を忘れている」といった意味だろう。人間、物事に集中していると、世間のごちゃごちゃも一時忘れてしまう。そして、そういった時の方が、いい仕事ができる。

これは宮仕えにしろ、サラリーマンでも同じ。雑念を取り去った時、本当の仕事ができるのだ。でも、大江匡衡は、生涯、雑念を追い払うことができなかったという。家名を上げることに熱心であったことは分かるが、少し残念で哀しい。どこかの国の問題を起こした高級官僚に似てますなあ。

*注

蘇軾 「晁補之所蔵の与可の画ける竹に書す」

(このテーマの記事は、一応、今回で終了)

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2018年7月 5日 (木)

大江匡衡の逸話 その二

人間、それなりの高い地位に就くと、いろんな現象に敏感になるようである。それは極限で、決断を迫られるからだ。今は知らないけれど、かつては政治家トップや一流経営者と言われる方が占いに凝ったようだ。

彼らは、いろんなデータを元に決断を迫られるが、最終的には直観だと言われる。その上で、更に最後の最後は、そういうものに頼りたくなるのかもしれない。その心理は、非科学的なものであっても無視できなくなるのだ。

すなわち、決断力が鈍ると、その直観も働かない。そこで第三者にアドバイスを求めることになる。しかしながら、どんなアドバイスをしてもらっても、彼らは既に答えは決まっていることの方が多い。結局は、考え方の再確認をしているに過ぎない。

さて、平安時代、あの権勢を誇った藤原道長さえ、少しびびった事件があった。それは天皇のお后になっている彼の娘・彰子(しょうし)の御帳の中で、犬の子が生まれたことであった。どのような犬にしろ、当時からすれば、穢れが起きたことは、不審な出来事と思うのは不思議ではない。

道長は心配になって博学だと言われ信頼している大江匡衡に、このことを尋ねる。そうすると、彼は「これは、いい兆候です」と応え、理由として、「犬という字は、大という字の傍に点を打ちますが、その点を上に持っていければ、天になります。更に子という字を書き加えれば、「天子」になります。

また大の下に点を付ければ、太という字になり、子という字を書き加えれば、太子とも読むことができます。つまり、これは太子様がお生まれになり、やがて天子さまになられることを示しているのしょう、と言ったという。

こじつけとも言えるし、御用学者一流のごますりとも捉えられるが、心配りとも言えないこともない。その後、運よく、彼の言った通り、皇子の誕生があり、天皇になられたとのこと。そうなると、彼の読みは当たったことになる。まあ、結果が全て。彼は道長の、より高い信頼を得たことでしょう。

*参考

『十訓抄』

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2018年7月 4日 (水)

大江匡衡の逸話 その一

少し、大江匡衡の逸話について触れてみよう。変人の匡衡に対して、女官たちは、少しからかってやれと和琴を差し出し、「あなたは、博学だから、何でも知っておられると思いますから、これもお弾きになるでしょう。一つ聞かせてください」と言う。

匡衡が困るだろうと思っていたら、これに返事をせず、次の歌を返す。

おふさかの せきのあなたも まだみねば 

あづまのことも 知られざりけり

「おふさかの せき」は、「逢坂の関」。「こと」は、「事」と「琴」を掛けている。「あずま」は、「東」と「吾妻」を掛けている。解釈は、「逢坂の関も、越えてもいないのに、それより東のことも知りません」。裏解釈は、「どなたとも一線を超えて契りを結んでいないので、当然、我妻と言える人はいません」と。

これには、どの女官も返歌が返せず、当初の目論見が外れて、笑うこともかなわず、奧に引っ込んでしまったということだ。

現在でも、なかなか、このような返しをできる人は少ない。もちろん、いろんな世界で、インタビューしたこととは関係ないことを応えて、はぐらかす人はいる。それで笑いを取れる人、そうでない人。その評価は様々。結局、状況判断の是非ということになる。

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