古典文学・演芸

2017年3月12日 (日)

『和漢朗詠集』の梅の花

庭では、梅の花が、少しずつ開花している。どういう塩梅で咲くのかは分からない。多分、微妙なものが影響しているのだろう。

さて、先日、『万葉集』の梅の歌を取り上げたが、今回は、『和漢朗詠集』の梅を取り上げてみよう。その名の通り、中国の詩文の影響を強く受けている。

まず、一番最初に取り上げられたもので、「立春」と題して、次のものがある。歌の内容は立春に、作者の希望を詠ったものだ。よって、梅は、まだ咲いていない。

 吹(かぜ)を遂(お)うて潜(ひそ)かに開く

 芳菲(ほうひ)の候を待たず

 春を迎えて乍(たちま)ちに変ず

 将に雨露の恩を希(ねが)はんとす

春を感じ取るのが早い梅の花を詠んでいる。暦と一致しようとする梅の花を称賛しているとも捉えられる。

次に、梅の花の咲き方を詠んだものを取り上げよう。

 東岸西岸の柳

 遅速同じからず

 南枝北枝の梅

 開落已(すで)に異なり

柳の芽吹きが東岸と西岸で異なるように、梅の花も、同じ木であっても南枝と北枝とでは、咲く時期が異なると詠んでいる。これは、まさに、私が今感じていること。時代は変わっても、人の感じることは、大して変わらない。

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2017年3月 3日 (金)

『万葉集』の梅の花

自宅の梅の花が、今か今かと咲くのを待っているが、咲きそうで、なかなか咲かない。そして、咲いてしまうと、あっと言う間に散ってしまうことも多い。そう考えると、梅の花に関しては、咲くまでの蕾の段階がいいのかもしれない。

ところで、『万葉集』には比較的、梅の花が多く詠まれている。この頃は、まだ中国の花である梅の花が日本でも主体であったことが分かる。その中で、少し気に入った歌を五首取り上げてみよう。

梅の花 散らすあらしの 音のみに

 聞きし我妹(わぎも)を 見らくしよしも

   (巻第八 一六六〇)

梅の花を散らしてしまうという嵐の音。そのような噂だけを聞いていたのに、実際、あなたにお会いできて嬉しい、というような趣旨。憧れの彼女に会えた嬉しさを素直に表現している。

春されば まず咲く宿の 梅の花

 独り見つつや 春日暮さむ

   (巻第五 八一八)

春が来ると、まず咲くのは梅の花。この花を家族と離れて、ただ独りの私は、寂しく長い一日の春を暮すことよ。憶良らしい歌。

恨めしく 君はあるかや やどの梅の

 散り過ぐるまで 見しめずありける

   (巻第二十 四四九六)

あなたは少し恨めしい人よ。庭の梅の花が散り過ぎるまで、見せてくれないなんて。主人が梅の花を独り占めしているのをからかった歌かな。

見むと言はば いなと言はめ 梅の花

 散り過ぐるまで 君が来まさぬ

   (巻第二十 四四九七)

前の歌に対する返歌。いやいや、見たいと仰ってくださったら、決して否などと申しませんよ。梅の花が散り過ぎるまで、おいでなさらなかったのは、あなたです。うまい返しだなあ。

梅の花 香をかぐはしみ 遠けども

 心もしのに 君をしぞ思ふ

   (巻第二十 四五〇〇)

梅の花が漂わす香の高さほどに、遠く離れているけれども、心は一途にお慕い申し上げています、という感じ。但し、ここでは恋愛の歌ではない。敬意に近い。

こうして見ていくと、万葉の人々が梅の花をどのように捉えていたか少し分かる感じ。

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2017年2月15日 (水)

妻を求める~狂言『伊文字』より

笑いというものは、いつも面白いことを言ったり、したりする人も面白いが、真面目な人が、本人は気づかず、おかしなことをやっているのが、案外目立って、おかしいもの。そういう観察は昔から行われてきたが、狂言の面白さも、そういうところにある。

今回、取り上げる狂言は、神仏に願って妻を得ようとする「妻定め物」という部類のものでで、『伊文字』というもの。妻が欲しいと主人が太郎冠者を伴い、清水の観世音にやって来て、一晩籠る。社殿近くで仮寝をすると、「西門の一の階(きざはし)に立った者を妻にせよ」との有り難い霊夢を授かる。そこで、早速、西門に向かうと、そこにはそれらしい女が頭から衣を被って立っている。

主人は恥ずかしくて声を掛けられないので、代わりに太郎冠者が女に声をかけると、確かに霊夢の人である。そして女が「恋しくは、問うても来たれ 伊勢の国伊勢寺本に住むぞ わらはは」と歌を詠み、立ち去ってしまう。

ところが、太郎冠者は、上の句の「恋しくは、問うても来たれ」しか覚えられない。折角の住所が分からなくなる。そこで、困って、歌関を作って、往来の人に相談して、和歌の下の句を継がせようとする。ちなみに、「歌関」とは、関所になぞらえて、和歌を詠まないと、通行させまいとすることを言う。通行人は先を急いでいるのに極めて迷惑なこと。

でも、この主従は、自分たちのためなら、そんなことにはお構いなし。神頼みまでして尋ねた大切な女の住所。何とか知りたいの一念。主人は、太郎冠者の任せた後悔。太郎冠者は、女の歌を覚えられなくて、主人の要望を叶えられなかったら大変という思い。

そういうことで何回か通行人に尋ねた結果、ある通行人が、きっと「い」の文字のつく国の名だろうと伊勢の国を言い当てる。ところが、また「伊勢の国 い」でつかえたので、今度は、「い」の字のついた里の名と推察し、見事に推理して去り終演。

記憶喪失の男が、誰かの助けを得て、過去を思い出すような雰囲気(笑)。部分記憶のつなぎ合わせで全体を思い出す。誰でも、有りうることです。流風なども和歌で示されると、覚えられるかどうか不安。太郎冠者を決して笑えない。でも、主人は、太郎冠者に任せず、直接、女に尋ねるべきであったのは確か。

*追記

ついでに記せば、霊夢などは嘘であろう。どうも寺の方で仕組んだ感じがする。寺には、それなりのものを主人は納めているはずだから、適当に、女を見繕ったとするのが自然。女は、夜のうちに主人を確認したものだろう。一種の見合いと言えないこともない。

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2017年1月15日 (日)

放蕩息子~落語『六尺棒』から

大体、商家の子供は、金遣いが荒い。子供時代、同級生の実家が商売している子供は、いずれも贅沢ななりをしていたが、小遣いも多いようであった。でも、皆が皆、立派な商売をしているわけでもない。自宅にあるお金を、くすねている者も多かったようだ。

それらの多くは、商売用のお金。親が金銭教育をしていなかったのだろう。商売用のお金と、本当の家のお金は区別しなければならないが、商売用のお金も、家のお金と勘違いするのだろう。お金の意味を子供に教えていない結果だ。

そういうことは、今も昔も同じだろう。落語に商売屋の放蕩息子がよく登場するが、彼らも金銭感覚が躾けられていなくて、お金を湯水のように使うことしか頭がない。そこで、今回は、落語『六尺棒』を取り上げてみよう。

放蕩息子が、午前様で酔っ払って家に帰ってくる。店の潜り戸を叩くが応答がない。実は、番頭の代わりに父親が潜り戸のところに頑張っていて、開けてやらないのだ。そして言う。「こんなに遅く、表をお叩きなさるのは、どなたでございますか」と。そうすると息子は、「私だ、私だ」と言うが、親父は、「えっ、私ではわかりません。お名前を言ってください」と返す。

息子は、「何を言っているんだい。幸太郎だ」。それに対して、親は、「おやっ、幸太郎さんですかい、、、。私どもには幸太郎というバカ息子がおりますが、近頃は、宅にも帰ってきません。このようでは、終いには、この身代も潰してしまいますので、一昨日、親類縁者相談の上、勘当と決めました。あなたは、お友達なら、そう伝えてください」と返す。

更に付け加えて、「それに比べて、お隣の清六さんは、何という親孝行な息子さんでしょう。それを思うと、涙がちょちょ切れます」と言う。ところが、息子の方は、糠に釘。馬耳東風。親父の繰り言を聞いても、一向に平気。

「勘当とは、お勝手が過ぎやしませんか。私の方からお願いして、こしらえてもらった倅(せがれ)ではございません。あなたの勝手に比べて、花魁のなんとまあ、親切なこと」と惚気(のろけ)る。更に、「勘当なら、私はあきらめのために、火をつけます」と、ついには喚(わめ)き散らす始末。

さすがに、これ以上、長く息子の大声と、やり取りしていると、近所迷惑なので、父親は、潜り戸をがらりと開けて、六尺棒を持って息子を追いかける。だが、さすがに酔っていても息子は若いので走るのが速い。それに対して、親の方は、ふうふうと追っかけるが、ぐるりと回って、息子の方は、潜り戸をすっと入り、ぴしゃりと閉めて、親を締め出す。

親は返ってきたが、戸が開かない。そこで、「これっ、番頭、番頭」と戸を叩くと、「こんなに遅く表を叩かれるのはどなたですか」と息子。「むむ、もう入っているな。俺だ、俺だ」と言うと、「俺ではわかりません。お名前を仰ってください」と、かつて言われた親の物真似。これに親は、「馬鹿野郎。そんなに真似がしたけりゃ、今度はお前が六尺棒を持って、追いかけて来い」で終演。

この落語は、演者にもよるが、割と面白く、よく聞く方だろう。バカ息子に限らず、親の思いは、なかなか子供には伝わらないもの。子供が改心するには、何かのきっかけが必要だが、大きくなってからでは、一定の時間がかかる。程度の差はあれ、親の悩みは尽きない。幼児時代に、日々の家庭での、子供への金銭教育を含めての社会教育は大切と気づかされる。

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2017年1月14日 (土)

馬鹿げた禅問答~狂言『左近三郎』から

海外の観光旅行者を狙ったニセ僧侶がいるそうだが、迷惑千万なことだ。彼らは中国に本部があり、組織的に動いているらしい。彼らに限らず、その他にも、ニセ僧侶は結構いるかもしれない。尤も、本当の僧侶も、実態はニセ僧侶とあまり差はないかもしれないと思う時もある。宗教の堕落は日本に限らず、世界で存在している。

そういうことをからかった狂言に『左近三郎』がある。読みは「さこのさむろう」。左近三郎は猟師の名。彼が山に狩りに行くと、僧と出会う。そこで、むくむくと悪心。無理やり同行して、いろいろ質問する。

聞けば、僧の宗旨は禅宗。それならばと、「酒は飲むか、魚は食うか、妻はいるか」など尋ねる。そうすると、僧は、当然のように、ことごとく否定する。ならばと、弓に矢をつがえて脅し、僧に肯定させて、あざ笑う。脅されると信念も何もない僧。

更に、おちょくりの挙句、檀那になろうと言い出す始末。だが、僧は左近三郎が猟師と知って「殺生する者は檀那にできないと」と断る。しかし、三郎は、達磨大師の文を引用して殺生も科(とが)にならないはずだと反論。その後も、三郎は、殺生の是非について問答を仕掛ける。結構、頭のいい奴だ。教師が生徒に言い負かされるのと同じ。あるいは親が子供に言い負かされるのと。

殺生のことについて、僧は、鹿を射たら鹿になってしまうだろうと言うと、坊主を射て出家になろうと左近三郎は言い返す等々、禅問答が果てしなく続く。これは、ああ言えば、こう言う、まるで漫才。結局、これらの禅問答の末に、お互い笑いあい、二人は意気投合して、三郎は、僧を家に連れて帰り終演。

この僧は禅僧と名乗っても、それほど深く修行したとも思えない。実際は、そういう僧は、うようよいたのだろう。専門家と名乗っても、必ずしも専門家と言えないのと似ている。むしろ在家の三郎の方が禅僧と名乗ってもいいくらいだ。

この狂言は、一休同様、当時の仏教の堕落を揶揄したものだろう。そして、禅問答が本来、お互いの悟りの程度を測るものだったものにもかかわらず、言葉解釈遊びになって、訳のわからぬものになってしまったものをからかっている。残念ながら、この狂言の皮肉は、現代でも、宗教界に限らず、あらゆる分野で通用する。是非、あちこちで公演してほしいものだ。

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2016年12月16日 (金)

漢詩『西山』を読む

今回は、『唐詩選』にある常建の『西山』を取り上げる。常建は、盛唐の詩人。官を辞して、太白山、紫閣峰などを放浪した。題の西山が、どこの山かは分かっていない。訓読は、参考参照。若干、分からない言葉もあるが、解釈を試みると、次のようになるかもしれない。

「旅をするため(小さい)舟に乗りこんだ。丁度、日は西山に落ちかかっている。西山は、舟が去るに従って、追いかけるように見えていて、遥かに続く大空と連なり一体となっている。

見える物の姿は、すがすがしいことこの上なく、林や峰は、夕日に照らされ濃淡が麗しくしている。高く聳える木々の中を流れるように揚子江は暗く、日没後の霞だけが漂っている。遠く中州や渚は、きらきらと月に照らされ明るくなったり暗くなったりしている。

ただ雲だけは、まだ鮮やかな白さを表している。林は暗く、シャーマニズム独特の楚の国の雰囲気だ。岸も遠くなり荊門山も閉じられた雰囲気。夜になると、いよいよ空気は、しんと静まり、物寂しく北風が厳しく吹く。

砂地の川辺では、雁や鷺がねぐらにしており、舟を留めた辺りは、水草で蔽われている。満月が前方の入り江にとどまっている。そこに、どこからか物悲しい琴の音が揺れながら合わさっていく。(うつらうつらとしていると)やがて寒々と夜が明けた。私の袂を露が濡らしている」ぐらいかな。

ちょっと解釈は難しかった。少し間違っているかも。でも、雰囲気は分かる。内容は、舟に乗って夕方から翌朝まで流れるように観察している。まるで動く水墨画の世界。

*漢詩『西山』の訓読

一身 軽舟と為る

落日 西山の際

常に去帆の影に随(したが)い

遠く長天の勢いに接す

物象 余清に帰し

林巒 夕麗を分てり

亭亭として碧流暗く

日入りて狐霞継ぐ

洲渚 遠く陰映し

湖雲 尚お明霽(せい)なり

林は昏くして楚色来り

岸は遠くして荊門閉ず

夜に至りて転(うた)た清(けい)

蕭蕭として北風厲(はげ)し

沙辺 雁鷺泊し

宿処 葭蒹蔽う

円月 前浦に逗(とど)まり

孤琴 又揺曳す

冷然として夜遂に深く

白露 人の袂を沾(うる)おす

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2016年12月13日 (火)

世話を焼く人~漢詩『蜂媒』

蜂は、花と花の間を飛び回り、そのお蔭で、あらゆる作物ができる。その代り、蜂は、花から蜜を得ている。そういうことを詩にしたものに、漢詩『蜂媒(ほうばい)』がある。作者は、劉後村。これは号で、南宋の文学者、詩人で、劉克荘のこと。若い時、筆禍を起こすが、後許され、復帰している。引退後は農村に住み、長生きした(82歳で没)。詩の内容は次のようになっている。

蜜口 香を伝えて好信通ず

花の為に評品して東風に嫁せしむ

香鬚 花英を粘し得て去る

疑ふらくは是れ纏頭利市の紅かと

「蜂は、花と花の間を飛び回って、それぞれの花を品定めして、一つの花の香りをもう一つの花に伝える。そして、めでたく結ばれて実を成す。蜂の方はというと、花から蜜を得て、満足、満足となる」という感じかな。

裏の解釈は、男と女を世話をする仲人のことを揶揄している。意訳すると、「仲人という人種は、あちこちの若い女性を品定めして、男に甘い言葉で、あなたに好い報せで良い人よと伝えて結婚させる。仲人は、男と女をくっつけて、祝儀や謝礼として巻物をもらったようだ」ぐらいかな。

最近は、こういう世話焼きおばちゃんの数が減ってしまった。家という意識が無くなり、跡継ぎを強く意識しなくなったからかもしれない。でも少子化の今、婚姻率を高めるには、ある意味、仲人は必要悪でもある。お見合いは、相手の素性が事前に分かるので、リスクは小さいのだけれど、若い人たちは恋愛に憧れる。でも、ある程度の年齢になったら、夢を見るのもやめた方が宜しい。仲人に依頼するのも一つの手段と割り切ればいい。

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2016年11月30日 (水)

隣の芝生は~狂言『宗八』より

最近、包丁を買い替えた。ずっと親が使っていた包丁を使っていた。ところが、刃こぼれが多く、だましだましつかっていたが、もう限界と思い、新しい包丁に。和包丁にするか洋包丁にするか悩んだが、肉料理が比較的多いので、今回は洋包丁にした。少し重いが、特に問題はなし。

さて、久しぶりに狂言を取り上げてみよう。今回は、その包丁も登場する『宗八』(惣八となっているものもある)。残念ながら、まだ鑑賞したことはない。あらすじは、次のようだ。

宗八とは料理人の名前。このあたりに住む財力も権力もある主人が、僧と料理人を雇おうとする。そこで高札を立てて人材募集。昔は、人材情報誌もないから、町中に人材募集の案内を立てたようだ。

それを見た、かつて料理人で、現在は僧である人物が応募し、召し抱えられる。また、逆に最近まで僧だったが、今は料理人の宗八も召し抱えられる。主人は、僧に般若心経を唱えるよう、料理人の宗八には、鮒をなますに、鯛を背切りにするように命じる。そして、用事で出かけてしまう(*注)。

残された僧と料理人は、それぞれ前職が嫌になって転職したのに、新しい仕事に戸惑ってしまう。なぜなら、僧の方は経を開いても、漢字が読めず、宗八も、精進料理はできるが、魚料理など経験もなく分からないからだ。

お互い困惑していると、お互いの元職を知って、お互い教えあう。それがため、嫌になって辞めた仕事をやる破目に。でも、そうなれば、昔取った杵柄だから、ちょちょいのちょい。だが、今の仕事をするとのなると、そうは簡単にいかない。

そうこうするうちに、主人が帰ってくるが、二人はやるべき仕事が混乱。宗八は鯛を持って読経。僧の方は包丁で経巻を叩いている始末。その様子を見て、主人に追い込まれて終演。

この狂言は、転職は、そんなに容易くないと言っているように思う。隣の芝生は青いとか言うけれど、仕事には、それぞれ積み重ねたノウハウが必要。それに転職すれば、新しい職場環境で人間関係も再構築せねばならない。であれば、遠回りしないためにも、できれば今の仕事を頑張る方がいいということになる。

*注

流派により、主人は奥に引っ込むというのもある。

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2016年10月24日 (月)

晩年の良寛の恋

元知事と元女優の老いらくの恋が話題になっているが、元気な余生と言えよう。超高齢社会では、高齢者も様々だが、恋愛も珍しくない現象かもしれない。ただ、元気であっても、晩節を汚さないようにしてほしいものだ。

さて、孤独感が強く、浮いた話など、あまり聞かない良寛だが、晩年、恋に近いことがあったようだ。彼の場合は、プラトニック・ラブに近いかもしれない。相手は、貞心尼という女性。医師の夫と23歳ごろ死別して、その後、出家している。

彼女は、美人の誉れ高く、歌文にも秀でていた。その彼女が30歳ごろ、春に良寛を訪ねた。そして、次の歌を呈して、良寛の法弟になることを願い出る。詞書には、「師常に手まりをもて遊び給ふとききて奉るとて」とある。

 これぞこの 仏の道に 遊びつつ

   つきや尽きせぬ 御法(みのり)なるらむ

当時、良寛は70歳くらいで、籠っていて留守にしていた。秋に、この歌を見て返す。それが次の歌。基本的に、この時点では、本人に直接会っていないので、真面目に返している。

 つきてみよ 一二三四五六七八 九の十

   十とをさめて またはじまるを

手まりをつくように、仏の修行も繰り返すことが大切と詠んでいるようだ。その後、良寛との交流は74歳で亡くなるまでだ。よって4年弱の間の交流ということになる。良寛は、貞心尼が、訪ねてくることを、ことのほか喜び、それを歌にして残している。

 君や忘る 道やかくるる このごろは

   待てど暮らせど 音ずれのなき

やはり貞心尼が美人だったことが影響しているのだろうか。あるいは詩文を高く評価したからであろうか。首を長くして、彼女の来訪を持っている気持ちを表している。待つ身は辛いものだ。

貞心尼は良寛と違い、結構忙しく、そんなに頻繁に訪れることはできないことを考慮しない歌(笑)。それでも、晩年の一休のような恋とは異なり、貞心尼の美しさに惹かれながらも、精神的な心の交流を楽しんだようだ。

*追記

貞心尼は、良寛の没後、良寛とのやり取りをまとめ、『はちすの露』という本にまとめた。

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2016年10月23日 (日)

草引き相撲と良寛

子供時代、草引き相撲をやったものだ。何の草だったか忘れたのでネットで調べると、「オオバコ」が使われることが多いとあったが、記憶は曖昧だ。とにかく、ある草を取ってきて、お互いにそれぞれ引っ掛けて引き合う。そして切れたら負けという単純なものだが、楽しかった。

ネットで見ると、オオバコ保存の環境団体は批判しているようだが、ナイーブすぎる。子供の遊びだし、もっとおおらかになれないものか。いろいろ大人の理屈をつけて、あれは駄目、これは駄目と言うのは、どこかの環境団体が各国の日本の伝統文化を否定して鯨捕獲を批判するのと同類だ。

それはそれとして、良寛の漢詩に、草引き遊びを題材にしたものがある。それはつぎのようなもの。

 也(ま)た児童と百草を闘はす

 闘ひ去り闘い来たりて転(うたた)風流

 日暮寥寥人帰りし後

 一輪の名月素秋を凌ぐ

良寛は、手まりを持ち歩き、子供と、常時、戯れた。子供たちも、彼を遊び相手として認めた。多分、草引き相撲もしたのだろう。子供たちと、日が暮れるのも忘れるほど遊んで、子供たちが去ったあとの取り残された寂寞感。そこの秋空に月が輝いている。彼の強い孤独感が表れている。

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