マスコミ評論及び各種書評

2017年3月 9日 (木)

映画 007「トゥモロー ネバー ダイ」と米国のマスコミ

米国大統領選で、米国のマスコミの偏向報道が、トランプ政権側から指摘されているが、確かに、以前から、そういうところがある。従来から、米国のマスコミは、かなり偏向報道で、その主張は明確にして、支持政党を明らかにしている。

よってバランスの取れた報道ではなく、一般読者の視点には立っていない。極論すれば、要するに、米国のマスコミは、政党の付属組織に近い。その結果、支持する政党が政権を握っている限り、まともな批判もできない。逆に、今回のように、支持しない人が大統領になると、あらゆる機会を捉えて批判を続ける。

場合によっては、事実を歪めて報道する。大統領選では、確かに偽ニュースが飛び交った。これは明らかにマスコミのあるべき姿ではない。これが民主主義の国米国で行われているのだから驚きだ。それを信用して、日本のマスコミも、そのまま報道していたのには呆れた。そのため、大統領選の予測を失敗している。

さて、そういうこともあり、ある映画を思い出した。それが007「トゥモロー ネバー ダイ」だ。メディア王のエリオット・カーヴァー(ジョナサン・プライス)が、情報操作して、世界を牛耳ろうとする。彼は「トゥモロー」紙を通じて、自ら作り出す事件を報道し、マスコミ権力を握ろうと工作。

まず、英国と中国の対立を錯誤させて煽り、第三次世界大戦をもくろむ。英国も中国も、政治家たちは、疑心暗鬼になるが、諜報部はジェームズ・ボンド(ピアース・ブロスナン)の情報により、カーヴァーによる情報操作と把握する。

ジェームス・ボンドが、その野望を突き崩していく物語。最終的に、カーヴァーを殺すが、Mは、「カーヴァーは海上で事故死した」と情報操作させるというオチがついている。当時、この映画は、割といい興行成績を収めている。人々もマスコミの姿勢を疑っていたのかもしれない。

私たちがマスコミ報道を、どのように読み解くか問われている。学校で習ったのは、報道を、まず疑え、というものであった。ところが、現代は情報社会。情報が溢れて、それを全て読み解くのは至難の業。でも個々人が、意識して、それなりの切り口を持つことは意味がある。

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2017年2月 4日 (土)

トランプ発言に過剰反応する日本のマスコミ

米国がトランプ政権になって、トランプ政権の数々の発言が問題だとして、日本のマスコミも取り上げて騒いでいるが、もう少し落ち着いて報道する必要があるだろう。更に野党も尻馬に乗って無責任に政府を攻撃するがポイントがずれているのは情けない。

そもそも、トランプ大統領の発言は、ある意味、共和党の綱領と、そんなにずれがあるわけではない。彼は、それを国民に分かりやすく、若干、誇大にして発言しているだけだ。よって、共和党政権としては、その是非はともかく、当然の発言であると言える。

もちろん、間違った発言に対しては、適切に反応することは必要だが、過大に反応する必要もない。合理的な説明さえできれば、政権は理解する能力を十分に持っている。

もう一つ、大切なことは、米国の病の解消には、ドラスティックな政策転換が求められているのも事実である。米国は、民主主義、自由主義、人権が表看板だったが、いずれも行き過ぎて、社会が、ぎすぎすした状態になっている。格差も極端に大きい。

これを是正するためには、しばらく、民主主義、自由主義、人権という表看板を修正しなければならない。特に、移民で国家を成長させてきたことも、社会に大きな歪を生んでいる。よって、移民、難民の受け入れも、一時的に止めて、社会を立て直す時期に来ている。

これらを理解せず、トランプ政権を過去の米国政策をベースに海外から批判しても、あまり意味はない。米国の実情を把握し、冷静な報道が求められる。

*追記

また日本のマスコミが、日本在住の米国人をコメンテーターとして活用しているが、彼らは総じて米国民主党系の人物。よって意見が偏り、特にトランプ氏に悪意を持った発言になる。これが報道を歪める。米国人の意見を聞くのはいいが、バランスが求められる。

*追記

米国および周辺国家が、パラダイム・シフトを理解するには、少し時間がかかるだろう。そのための混乱が現在、起こっている。

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2016年10月26日 (水)

いつまで放送するのか東京問題~スピンという罠

マスコミが毎日のように、報道番組で、東京都知事、東京オリンピック、豊洲市場移転問題を延々と扱っている。放送局が東京に在るから、どうしても、そちらに関心が行くのだろうが、国全体として見れば、おかしなことだ。

これらの騒動に隠されて報道されていないことはたくさんある。それなのに、これらは無視されている。関心をそらせ、当局にとって不都合な情報を流さないようにすることを情報操作、すなわちスピンと言うが、これがされている可能性もある。

例えば、年金減額法案については、マスコミはそんなに大騒ぎしていない。その他にも、一般国民にとって大切なことは、もっといろいろある。残念ながら、限られた報道によって、世論は、操作形成される。それは、例えば、選挙等の結果に大きく影響するだろう(マスコミの報道が特定の政党あるいは候補者を支援することにつながっている)。

ポケモンGOと同様、マスコミ(情報)によって人間がロボット化されれば、多くの人たちは、それらにコントロールされることになる。マスコミは、巧妙にスピンドクターに操られないようにしないでもらいたい。

そのためには、バランスの取れた報道を心掛け、現象の裏を読み、スピンドクター等の悪意に注意する自覚が求められる。決して視聴率の罠に、はまらないようにしてもらいたい。また視聴者としても、マスコミが一つのテーマを繰り返し報道するようになったら、怪しいと疑うべきかもしれない。

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2016年9月27日 (火)

品のない司会者たち

最近、テレビで、時事問題に限らず、司会者が絶叫型評論で強弁するのをよく見受ける(多いのは関西のテレビ局。主として読売テレビや関西テレビに出演)。彼らが、どれほどの人物かは知らないけれど、傲慢な感じを受ける。一体、強弁すれば受けると思っているのだろうか。もしそうだと言うなら、大きな勘違いだろう。

彼らは、フリーのアナウンサーであったり、実質お笑いを卒業した芸人だったりする。確かに、それなりに地位を築いたのだろうが、所詮、彼らの意見は狭い範囲での見解に過ぎない。深い教養による発言は、ほとんどない。マスコミは、いつまで彼らを放置し、くだらない番組を続けるのだろうか。

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2016年9月14日 (水)

中国という深み~戸部良一著 『日本陸軍と中国』を読む

日本と中国がいがみ合う原因はいろいろあるだろうが、やはり戦前の関東軍の暴走が中国に日本の悪い印象を与えていることは否定できない。しかしながら、関東軍の暴走以前に、その兆しがあったことを認めざるを得ない。

それを客観的に検証した書物に戸部良一著 『日本陸軍と中国~「支那通」にみる夢と蹉跌~』(ちくま学芸文庫)がある。帯には、「なぜ戦争を回避できなかったのか?いまこそ歴史の失敗に学ぶ」とある。もともとは、1999年12月に講談社から刊行されたものを文庫化したものらしい。そして、中国語に翻訳されてもいるという。

この本では、「支那」という言葉がたびたび出てくるが、著者は当時の雰囲気を出すため、そのように記しているようだ。父も言っていたが、中国人は、蔑視だと「支那人」と呼ばれるのを嫌うという。だが、「シナ人」という言葉は、もともとChinaから来ている。戦前は、「Chi」と「Shi」の使い方の混同がある。本来ローマ字読みすれば、「チナ」だが、それが「シナ」と呼んだ理由らしい。ただ、戦前、日本は中国、朝鮮に蔑視感を持っていたことは確かなようだ。

さて、日本は、明治維新以後、欧米列強の植民地政策に敏感に反応したことは以前にも記した。そのため中国の情報収集のスペシャリスト(支那通と言うらしい)を育成する必要があった。最初は、地勢、文化、人性などの調査であった。ところが時代が進むに従って役割が違ってくるようになる。それは諜報活動であったり、政治工作であったり、軍事工作であった。

支那通と言われる人々は、初め中国に共感、あるいは同志感で臨んでいたのに、いつの間にか、不信感につながっていく。それが積み重なり、やがて暴挙につながっていく。なぜ、そのようになったのか。その過程を探るのが本著の目的かもしれない。

読んでわかったことは、基本的に、彼らは日本的に中国を理解しようとしたことに無理があったということだろう。国という立場が異なれば、それが理解できたはずだが、彼らは4千年の歴史を誇る中国という深みに嵌ってしまったと捉えることができる。日本を統治するより複雑な歴史を歩んだ中国。

彼らは、易姓革命を繰り返してきたような国家。漢民族が権力を握った時代もあるが、異民族が権力を握った時代もある。そんな中で、巧みに生きてきた中華民族。中国には、「敵の敵は味方」という考え方があるように、その発想は縦横無尽だ。

そういうことを十分理解せず、彼らを利用しようと入り込んだ日本の支那通は、彼らに見事に翻弄されていく。すなわち、情報操作したつもりが逆に情報操作されたり、利用したつもりが逆に利用されていたということだ。

それに彼らは個別に活動して、ある地域には深く入り込んで詳しくても、中国全体の動きを見る大局観に欠けていた。いわゆる「虫の目」は持っていても、「鳥の目」思考が抜けていた。そこでは発想がどうしても狭くなる。思い込みも強くなる。

ところが、中国の各種組織は、それぞれの思惑で混沌としているのに、巧みに支那通に利用されながら、逆に反日に利用して、見事に国内統一の流れに持ち込んでいく。そんな中、支那通の思いは打ち砕かれ中国に悪意を持つようになる。その結果、戦争の泥沼に引きずり込まれる。

この本を読んで感じるのは、日本の思い込みが危機を招いたということだろう。「理解」というのは、難しく、立場が違えば、当然、その意見は異なる。それを無理やり統一させようとすると無理が来る。現代でも、「相互理解」という言葉がよく使われるが、「相互」の意味を案外理解していない。

それぞれの国家主義者や安保関係者、あるいは右翼と言われる人々は、相手国の一面しか捉えていないことが多い。相手国の事情を一面的に見て自分の立場で単純に攻撃している場合も多い。すなわち、「相互無理解」が相手国不信感を増殖させている。

お互いに理解することは無理でも、理解する努力は怠ってはいけないということだろう。果たして、現代の一般日本人も、どれほど中国を理解しているのだろうか。この書籍は、その理解の一つに役立つだろう。

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2016年9月13日 (火)

コメンテイターとして不適切な人々

時事問題を扱うテレビ番組で、ずっと気になることがある。それは、コメンテイターとして、やたらと外国人と弁護士を活用していることだ。彼らは、おおむねコメンテイターとして不適切な人々だ。それが学者や専門家であっても同様だ。

まず、外国人コメンテイターの発言を聞いていると、どうしても出身国の意向が強く出る。だから客観的意見とは、ほど遠い。出身国の考え方で意見を述べられても、違和感を強く感じる。彼らはコメンテイターとしては不適切であろう。どうしても聞きたいのであれば、スポットで参考意見として聴取すればいいことで、コメンテイターにする必要はない。

それから弁護士のコメンテイターも不適切だろう。各種法律問題が生じた時、法律問題について説明を求めるのに便利なのだろうが、それはスポットで流せばいいこと。常時のコメンテイターにする必要はない。

それに彼らにコメントを求めても、官僚と同様で、法律の枠内での話しかできない。つまり、どうでもいいコメントしか述べられない。よって、いてもいなくても同じ。視聴率を気にするテレビ局が、彼らをコメンテーターとして登場させることは不思議でならない。

*追記

更に付け加えるならば、司会者のアナウンサーがコメントを発する例があるが、不適切であろう。彼らは基本的に「行司」の役割だ。出過ぎた発言は問題が多い。特にフリーの男のアナウンサーに多い現象だ。極論を発して、彼らの存在価値を強く示そうとしているのかもしれないが、彼らは、マスコミにとって「害虫」に近い。

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2016年9月12日 (月)

コメント者名未記載のコメントの取り扱いについて

時々、コメントを頂くのですが、「コメント者名(ライター)」が未記入の場合があります。一応、整理の都合上、仮名でもなんでもいいので、記していただきますようお願いします。当方で、勝手に名を付ければ不愉快だと思いますし。

なお、「コメント者名」が未記入の場合、コメントは念のため非公開とします。このことは、プロフィール欄でも、記載追加しました。

以上。

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2016年8月26日 (金)

針小棒大報道に思う

NHK特集『貧困の子』が問題になっているようだが、このような不適切な事例に限らず、非常にマイナーな事例を取り上げて、針小棒大に報道する例は、以前からある。それはマイナーな事例を取り上げて、まさに、それがすべて一般的と錯覚させる報道になりがちだ(*注)。

もちろん、弱者の事例を取り上げるのが悪いわけではない。弱者救済は、それなりに意味がある。ただ、弱者の現象は非常に多様だ。一般論的な伝え方は問題がある。伝える側が、それらの人々が全体のどの程度の比率であるかも伝える必要がある。

そうしないと、たとえば、このことを国会で取り上げて、議論すれば、ミスリードする可能性もある。政治家から言われれば、官僚は、それに対応せざるを得ない。国としては、あまり必要ない政策でも、新たに法案を上げて、一般的に執行可能なように仕組むだろう。

彼らにすれば、予算を計上する口実が増えるのは確かだ。ただ、一般予算にするのが適切かは疑問だ。むしろ無駄な予算の執行になりかねない。こういうことが積み重なると、結果的に、国としては、無駄な税金をつかうことになる。

それゆえ、一部の現象面だけて見てオーバーな報道するのは、どうかと思う。針小棒大報道することによって悪影響がないか、マスコミは吟味するべきだろう。

*注

例えば、保育問題も、その一種だ。保育問題は、大都市問題で、全国的課題とは言い難い。また、待機児童の解決策は、地域によって、異なるだろう。それを国が一般予算化させてしまうのは、ロスが大きい。実際、一般予算化による補助金政策は、様々な問題を起こしている。

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2016年8月18日 (木)

客家の考え方

以前、客家(ハッカ)について記していると思ったのだが、調べてみるとブログの記事にはしていなかったようなので、改めて記しておく。客家とは、漢民族の一部だ。現在、世界に7000万人程度いるとされる。これは華僑人口の三分一とも言われている。もともとは、2000年前くらいに、戦争や争乱等で中国北部から追われた難民・流民だ。

現在でも、そうだが、難民の生活は厳しい。難民として、彼らは中国北部から南部に逃れるが、彼らが住まいできる場所はない。従来から住んでいる住民からすれば迷惑な存在。そこで、地域の住民がいない山裾の地を新たに耕したりするが、それも更に山奥に追いやられる。

いわば、彼らは賤民扱いで差別され続けてきた。そこで、彼らは独特の生活様式を確立し、強く結束する。そこでは、自然とリーダーシップが養われ、各種の処世術が生まれる。そして、長男だけは跡を継いで残れるが、次男、三男は、出ていかなくてはならない。それは昔の日本の農家と同じだ。職業も、先住者が独占しており、在来の職業には就けない。

そこで、何をしたかというと、識字教育だ。当時は、中国人の多くは文字が読めなかったから、字を知っていれば、なんとか仕事にありつける。その典型が、役所や軍だ。字が読み書きできるだけで、上の地位を獲得できる。彼らの中から、科挙に受かり役人になって出世しているし、軍人も将校になっている。彼らが教育熱心なのは頷ける。

そのため、彼らの中から出色の人物が現れる。例えば、朱子、王陽明、孫文、洪秀全、鄧小平、葉剣英、朱徳、賀竜、寥承志、郭沫若、台湾の李登輝、陳水扁、シンガポールのリー・クアンユー、ゴー・チョクトン。経済人では、タイガーバームで有名な胡文虎、香港の李嘉誠、インドネシアの林紹良、タイの陳有漢、台湾の張永発、等が有名だ。

客家の基本的精神は、次の四つという。

 一、刻苦耐労の精神

 二、剛健弘毅の精神

 三、創業勤勉の精神

 四、団結奮闘の精神

これを、もう少し具体的に記すと、高木桂蔵氏によると、次のようになる。

 一、強い団結心

 二、新取・尚武の精神

 三、文化・伝統保持への自信

 四、教育の重視

 五、政治への高い指向性

 六、女性の勤勉性

彼らの考え方は、基本的に、国や権威は、何の頼りにもならないというところから来ている。国など全く信用しない。日本国民が国の言うことに従順なのが不思議でならない。彼らは、国などを信じることが愚かと考える。

そこから、彼らは目の前の現実を客観的に、しっかり捉え、見据え、的確な判断をし、手段を講じて、なんとか切り抜けることを常に考える。そして、落ち着き先で、血縁、郷縁、語縁等をグループで固め、その地の文化を吸収しつつ、ネットワークを構築する。

そのために、学校を作り、新聞を発行して、情報交換し、ネットワークを強化している。そのようにして、盤石な人間関係を作っていく。それによって作られた信用は大きい。結果的に相互に助け合っている。そのことから、彼らは、「東洋のユダヤ人」と言われることもある。国同士は対立していても、それぞれの国にいる客家人同士は、しっかりつながっている。

われわれ日本人も、彼らから学ぶことも必要だ。そして、いくつかは、すでに学んでいる。例えば、近江商人は、客家の考え方に非常に似ている。彼らが難民がルーツかどうかはわからないが、その発想は非常に似ている。その昔、近江商人は客家人と交流があったのかもしれない。あるいは、その関係の書物を得て、考え方を取り入れた可能性もある。

*参考

客家については、客家研究家の高木桂蔵氏の書籍が参考になる。

  『客家~中国の内なる異邦人』(講談社現代新書)

  『客家の鉄則』(ゴマブックス)

両著作とも蔵書にあったが、古いので今は発行しているかは不明。『客家の鉄則』は、客家の精神を、一、仲の鉄則、二、業の鉄則、三、血の鉄則、四、財の鉄則、五、生の鉄則に分けて、具体的事例に基づき解説してある。

これは客家人に限らず、中国人の考え方でもあると思う。残念ながら、日本の政治家、外交官、あるいは外交研究者・学者は、十分理解していないことが、日中関係をこじらせる要因と思う。この本をできれば一読してほしいものだ。

*追記

ただ、客家人は、同族で固まりすぎる欠点も持つ。よって場合によっては、ビジネスの広がりに限界があるとも指摘されている。しかしながら、概ね大きな賭けをしないので、手堅いとも言える。

*追記

現在の中国のトップは、残念ながら、客家人ではなく、派手な上海人だ。だから、大きな「アドバルーン」を打ち上げ、国際的トラブルが多いとも言える。行き過ぎた行動をすれば、いずれ、ひっくり返る可能性もある。その点、客家人は、なかなか、その本音は見せない面もあるが、その考え方はしなやかで、他者とうまくやっていく能力が高い。

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2016年8月11日 (木)

日本のあるべき方向性~『日本の転機』を再読

日本は、戦後、実質、米国の支配下にあり、米国との軍事同盟を維持してきた。ただ、いつまでも米国の核の傘の下で核不拡散体制のままでいいのかどうか。微妙な時期に来ているように思う。では、どうすればいいのかという知見は残念ながら持ち合わせていない。

しかしながら、ロナルド・ドーアの本を読むと、彼は一つのヒントを提示しているかもしれない。彼は1925年生まれのイギリスの社会学者だ。専攻は、日本の経済および社会構造、資本主義の比較研究。

その本とは、『日本の転機~米中の狭間でどう生き残るか~』(ちくま新書)だ。先日、再読した。この本の分析は、日本の政治学者にはないものだと思う。2012年の発刊だが、今でも政治家の方も政治家を志す方も、十分参考になるだろう。残念ながら、日本の政治学者は視野が狭く、程度が低いと感じる。

その内容は次のようになっている。

第一部 米中関係の展開と日本

第二部 まぼろしの核兵器

第三部 では、どうしよう?

詳しい内容は避けるが、著者が述べているように、新たな核兵器管理体制を築いて、米国との軍事同盟はゆるやかな解消に向かうことは、日本にとって、よいことかもしれない。そのためにも、日中関係の関係改善は避けて通れない。

個人的認識では、米中関係は、以前にも記しているように、表では喧嘩しても、テーブルの下では常に握手している関係だ。日本政府関係者は、どうしたことか、知ってか知らずか、表の喧嘩をそのままに受け止めている対応をしているのは残念なことだ。

そもそも日中関係は歴史的にも良好な関係の方がいいのが国にも国民にとってもプラス。特に中国国内の安定が、日本に平和をもたらす。大体、中国国内が不安定になると、本来、海洋国家でない中国が海外展開して、周辺国とトラブルを起こすのは歴史的事実。

現在の中国の南シナ海、東シナ海への進出は、中国内の不安定の裏返しの行動だ。トップの政治戦略、戦術が適切でないことは明らか。でも、日本が内政干渉することはできない。ただ、内政の安定に協力できる分野はあるだろう。

そうすれば、中国内政が安定し、日本にとってもメリットが大きい。もちろん、中国が問題にする領土問題も、前に進めることができるだろう。現実的かどうかはともかく、著者も、ある解決方法も提案している。

昔から隣国との付き合いは難しいとされるが、長い付き合いの中国との関係は無視できない。政治家の方も、外遊先に欧米諸国が選ばれることが多いが、もっと中国を選定されてはと思う。そのためにも、この書籍は一読の価値はあると思う。

*追記

一部に誤解を与えてしまったようだが、ロナルド・ドーアの意見は、傾聴に値するが、すべての意見に賛成というわけでもない。念のために、記しておく。

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