マスコミ評論及び各種書評

2017年5月30日 (火)

『老いる家、崩れる街~住宅過剰時代の末路』を読む

姫路でも、元々は商業施設であった跡地に市街地にマンションを建てる動きが活発である。人口減少下、コンパクトシティを目指しているのかもしれない。結果的に、人の流れが大きく変わるかもしれない。

ただし、以前にも記したようにマンションは資産として考えるには多分に疑念がある。長期的には、所有者も変わるだろうし、持ち分以外にも、共通利用区分に管理費や修繕費が求められる。本来、修繕費は高くつくはずだが、購入時はなぜか低く抑えられ、修繕時に慌てて追加徴収する事例が多い問題もある。

10年以上前に、都市部に持っていたマンションを、これらの負担が大きいので、二束三文で売却した。確かに大きな売却損であったが、今から考えると正しい判断だったと思う。都市部では、住宅は借りる方が正しい。借家賃がもったいないと考えない方がいい。

他方、中古戸建空き家住宅は、たくさん存在している。なぜか中古住宅のまま流通はしていないように見える。更地にして新しい家を建てる動きも増えているような気もするが、これでいいのだろうか。

そういうことを改めて考えていたら、最近、マスコミの方がよく取り上げる野澤千絵著『老いる家、崩れる街~住宅過剰時代の末路』を購入して読んだ。記事で本を購入するのは私としては珍しい(書評ではないけれど)。

日本の住宅政策の誤りを鋭く指摘している。現在、約820万戸の空き家がある。野村総合研究所の予測では、2033年には、3戸に1戸が空き家になる(約2170万戸)と言っている。予測通りにはならないかもしれないが、かなりの空き家が生じることは間違いないだろう。

そう考えると、現在、明らかに、新規にマンション、アパート、新築住宅、全て造り過ぎ。その結果、住宅ストックが増えすぎて、国は、将来、空き家対策で悩むのかもしれない。それは単に住宅だけの問題ではない。災害、インフラ、社会サービス、公共施設、地域コミュニティ、生活環境にまで深く影響する。

この危機感は、国や地方だけでなく、私たちも持たないといけない。市街化調整地域の抑制も求められるだろう。確かに、マスコミが強い関心を持っている書籍だけの読みがいはある。空き家増加は、私たちの生活に大きく影響することは間違いなさそうだ。多くの方に関心を持って頂きたいものである。

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2017年5月26日 (金)

日本画鑑賞入門のテキスト

長い間に集めた日本画に関する書籍や図録は、割とあるほうかもしれない。その時、その時に催される日本画の展覧会で手に入れた図録や、たまたま、ある時に興味を持って購入した日本画関係の書籍を長らく処分せずに持っているからだ。

ただ、専門家ではないので、その集め方に統一性はない。関心のままに集めたからだ。そういう意味では、真に日本画の歴史的流れは把握していなかった。今回、たまたま見つけた『マンガでわかる「日本絵画」の見かた』(矢島新監修、唐木みゆイラスト。誠文堂新光社刊)を読んで、改めて、そうだったのかと日本絵画の歴史を再確認した。

本来、この本を読んで、個別の資料を集めるべきだが、残念なことに、その逆をやってしまった次第。若い方は、このような誤りはして欲しくない。この本では、日本絵画の歴史を順を追ってわかりやすく説明してある。それから各自掘り下げて鑑賞してほしい。

時代時代の代表的絵画を示しながら、エピソードを交えて、イラストで示してあるので、理解しやすい。日本絵画入門書として、若い方で、日本絵画に興味を持った方は、是非読んでほしいと思う。

*追記

ついでに記しておくと、日本画鑑賞の書籍は他にも持っていたが、あまりにも専門的で文章ばかりなので、一般人には難しかった。一応、蔵書としてあるのだが、書棚に眠っている。いつか読むだろうか。

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2017年4月19日 (水)

沢庵の『不動智神妙録』を再読

最近は、塩分が多く含まれる、たくあんを食することが減ったが、以前は、よく食べていた。あのポリポリ感が好きであった。たくあん漬けは、昔から関西では普及していたようで、果たして、沢庵が考案者であるかどうかは不明なようだ。だが、彼の名を冠として被せることで、全国的に普及したのかもしれない。

今回は、以前にも、一文を取り上げた彼の著作『不動智神妙録』を再読した。但馬国出石の生まれの彼は、戦国時代、織田、豊臣、徳川の時代を生きていたので、バランス感覚が鋭い。よって、徳川家の方針に反したとして、流罪になったりしている。その後も、権力におもねることなく、仏教を独立したものとして捉え続けた。

その彼が、友人でもある柳生但馬守に対して、剣禅一如を説いたものが、『不動智神妙録』だ。貫かれる精神は、「今の世に順じれば道に背く、道に背くまじとすれば、世に順ぜず」というもの。

これを現代的に解釈すれば、例えば、マスコミが権力に近づいて取材しようとするが、近寄り過ぎると危なく、道を誤りかねない。そして、正しい道を追いかけると、権力に反することになる。よって、独立した精神を持ち、背骨をしっかりして取材することが必要だということになる。

比較的短い文章なので、関係者は熟読してほしいものである。また多くの各分野の指導者を目指す人にも参考になるかもしれない。

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2017年4月 4日 (火)

現実的になってきた「ABEXIT」

海外からも危険視されている戦前の日本の「教育勅語」を教育の現場で使うことを安倍政権は容認している。このことにより、海外からは、この政権を危険視するようになっている。政府は、内容には、問題のない文言もあると言うが、「教育勅語」という言葉を使うこと自体、既に誤っている。

世界の感性に鈍感な安倍政権は、アベノミクスの終焉も兼ねて、「ABEXIT」と揶揄される始末。政権に危機感が無さ過ぎる。自公政権は、右翼とのつながりの強い岸信介の流れから反動右翼「日本会議」との強い結びつきがあり、黒い噂が絶えない。

その結果、教育勅語をはじめ国家主義的志向を強めている。政権は、右翼の「日本会議」系の議員を多く採用し大臣になっている。このことに関して、国民の危機感は弱いが、同盟国の米国からは強く懸念されている。ロッキード事件のように海外から政権をひっくり返す動きもないとは言えない。

既にデータは収集済みとの噂もある。政権戦略が不十分な野党は依然として弱体化しているが、それでも政権は夏まで、もたないかもしれない。政界は混乱する可能性が強い。経済界も、与党との付き合い方を慎重にしないと、自社の株価や業績に影響すると考えるべきだろう。「ABEXIT」は近づきつつある。

*追記

与党も、次の首相を誰にするか真剣に考えた方がいいだろう。可能性としては、非日本会議系ということになる。よって現在の閣内には適切な人物はいないということになる。

*2017年4月6日追記

安倍政権は、公権力を強める「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ「テロ準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案を強行採決しようとしている。これも国家主義的色彩の強い政策だ。国民にとって危険この上ない。それに、このような法律でテロを防止できないことは明らか。

必要なのはテロを招かない政治だ。今村復興相が、福島原発事故で自主避難した人々に思い遣りのない発言をするようなことが、むしろ危ない。そういうことが積もり積もって、テロまでも行かなくても社会不安の要因になり、国の信用をなくす。いかに政府が国の隅々まで、目配りするかとが問われている。法務大臣といい、防衛大臣といい、復興相といい、国民を守る視点が欠けている。この政権は、やはりおかしい。

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2017年3月 9日 (木)

映画 007「トゥモロー ネバー ダイ」と米国のマスコミ

米国大統領選で、米国のマスコミの偏向報道が、トランプ政権側から指摘されているが、確かに、以前から、そういうところがある。従来から、米国のマスコミは、かなり偏向報道で、その主張は明確にして、支持政党を明らかにしている。

よってバランスの取れた報道ではなく、一般読者の視点には立っていない。極論すれば、要するに、米国のマスコミは、政党の付属組織に近い。その結果、支持する政党が政権を握っている限り、まともな批判もできない。逆に、今回のように、支持しない人が大統領になると、あらゆる機会を捉えて批判を続ける。

場合によっては、事実を歪めて報道する。大統領選では、確かに偽ニュースが飛び交った。これは明らかにマスコミのあるべき姿ではない。これが民主主義の国米国で行われているのだから驚きだ。それを信用して、日本のマスコミも、そのまま報道していたのには呆れた。そのため、大統領選の予測を失敗している。

さて、そういうこともあり、ある映画を思い出した。それが007「トゥモロー ネバー ダイ」だ。メディア王のエリオット・カーヴァー(ジョナサン・プライス)が、情報操作して、世界を牛耳ろうとする。彼は「トゥモロー」紙を通じて、自ら作り出す事件を報道し、マスコミ権力を握ろうと工作。

まず、英国と中国の対立を錯誤させて煽り、第三次世界大戦をもくろむ。英国も中国も、政治家たちは、疑心暗鬼になるが、諜報部はジェームズ・ボンド(ピアース・ブロスナン)の情報により、カーヴァーによる情報操作と把握する。

ジェームス・ボンドが、その野望を突き崩していく物語。最終的に、カーヴァーを殺すが、Mは、「カーヴァーは海上で事故死した」と情報操作させるというオチがついている。当時、この映画は、割といい興行成績を収めている。人々もマスコミの姿勢を疑っていたのかもしれない。

私たちがマスコミ報道を、どのように読み解くか問われている。学校で習ったのは、報道を、まず疑え、というものであった。ところが、現代は情報社会。情報が溢れて、それを全て読み解くのは至難の業。でも個々人が、意識して、それなりの切り口を持つことは意味がある。

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2017年2月 4日 (土)

トランプ発言に過剰反応する日本のマスコミ

米国がトランプ政権になって、トランプ政権の数々の発言が問題だとして、日本のマスコミも取り上げて騒いでいるが、もう少し落ち着いて報道する必要があるだろう。更に野党も尻馬に乗って無責任に政府を攻撃するがポイントがずれているのは情けない。

そもそも、トランプ大統領の発言は、ある意味、共和党の綱領と、そんなにずれがあるわけではない。彼は、それを国民に分かりやすく、若干、誇大にして発言しているだけだ。よって、共和党政権としては、その是非はともかく、当然の発言であると言える。

もちろん、間違った発言に対しては、適切に反応することは必要だが、過大に反応する必要もない。合理的な説明さえできれば、政権は理解する能力を十分に持っている。

もう一つ、大切なことは、米国の病の解消には、ドラスティックな政策転換が求められているのも事実である。米国は、民主主義、自由主義、人権が表看板だったが、いずれも行き過ぎて、社会が、ぎすぎすした状態になっている。格差も極端に大きい。

これを是正するためには、しばらく、民主主義、自由主義、人権という表看板を修正しなければならない。特に、移民で国家を成長させてきたことも、社会に大きな歪を生んでいる。よって、移民、難民の受け入れも、一時的に止めて、社会を立て直す時期に来ている。

これらを理解せず、トランプ政権を過去の米国政策をベースに海外から批判しても、あまり意味はない。米国の実情を把握し、冷静な報道が求められる。

*追記

また日本のマスコミが、日本在住の米国人をコメンテーターとして活用しているが、彼らは総じて米国民主党系の人物。よって意見が偏り、特にトランプ氏に悪意を持った発言になる。これが報道を歪める。米国人の意見を聞くのはいいが、バランスが求められる。

*追記

米国および周辺国家が、パラダイム・シフトを理解するには、少し時間がかかるだろう。そのための混乱が現在、起こっている。

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2016年10月26日 (水)

いつまで放送するのか東京問題~スピンという罠

マスコミが毎日のように、報道番組で、東京都知事、東京オリンピック、豊洲市場移転問題を延々と扱っている。放送局が東京に在るから、どうしても、そちらに関心が行くのだろうが、国全体として見れば、おかしなことだ。

これらの騒動に隠されて報道されていないことはたくさんある。それなのに、これらは無視されている。関心をそらせ、当局にとって不都合な情報を流さないようにすることを情報操作、すなわちスピンと言うが、これがされている可能性もある。

例えば、年金減額法案については、マスコミはそんなに大騒ぎしていない。その他にも、一般国民にとって大切なことは、もっといろいろある。残念ながら、限られた報道によって、世論は、操作形成される。それは、例えば、選挙等の結果に大きく影響するだろう(マスコミの報道が特定の政党あるいは候補者を支援することにつながっている)。

ポケモンGOと同様、マスコミ(情報)によって人間がロボット化されれば、多くの人たちは、それらにコントロールされることになる。マスコミは、巧妙にスピンドクターに操られないようにしないでもらいたい。

そのためには、バランスの取れた報道を心掛け、現象の裏を読み、スピンドクター等の悪意に注意する自覚が求められる。決して視聴率の罠に、はまらないようにしてもらいたい。また視聴者としても、マスコミが一つのテーマを繰り返し報道するようになったら、怪しいと疑うべきかもしれない。

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2016年9月27日 (火)

品のない司会者たち

最近、テレビで、時事問題に限らず、司会者が絶叫型評論で強弁するのをよく見受ける(多いのは関西のテレビ局。主として読売テレビや関西テレビに出演)。彼らが、どれほどの人物かは知らないけれど、傲慢な感じを受ける。一体、強弁すれば受けると思っているのだろうか。もしそうだと言うなら、大きな勘違いだろう。

彼らは、フリーのアナウンサーであったり、実質お笑いを卒業した芸人だったりする。確かに、それなりに地位を築いたのだろうが、所詮、彼らの意見は狭い範囲での見解に過ぎない。深い教養による発言は、ほとんどない。マスコミは、いつまで彼らを放置し、くだらない番組を続けるのだろうか。

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2016年9月14日 (水)

中国という深み~戸部良一著 『日本陸軍と中国』を読む

日本と中国がいがみ合う原因はいろいろあるだろうが、やはり戦前の関東軍の暴走が中国に日本の悪い印象を与えていることは否定できない。しかしながら、関東軍の暴走以前に、その兆しがあったことを認めざるを得ない。

それを客観的に検証した書物に戸部良一著 『日本陸軍と中国~「支那通」にみる夢と蹉跌~』(ちくま学芸文庫)がある。帯には、「なぜ戦争を回避できなかったのか?いまこそ歴史の失敗に学ぶ」とある。もともとは、1999年12月に講談社から刊行されたものを文庫化したものらしい。そして、中国語に翻訳されてもいるという。

この本では、「支那」という言葉がたびたび出てくるが、著者は当時の雰囲気を出すため、そのように記しているようだ。父も言っていたが、中国人は、蔑視だと「支那人」と呼ばれるのを嫌うという。だが、「シナ人」という言葉は、もともとChinaから来ている。戦前は、「Chi」と「Shi」の使い方の混同がある。本来ローマ字読みすれば、「チナ」だが、それが「シナ」と呼んだ理由らしい。ただ、戦前、日本は中国、朝鮮に蔑視感を持っていたことは確かなようだ。

さて、日本は、明治維新以後、欧米列強の植民地政策に敏感に反応したことは以前にも記した。そのため中国の情報収集のスペシャリスト(支那通と言うらしい)を育成する必要があった。最初は、地勢、文化、人性などの調査であった。ところが時代が進むに従って役割が違ってくるようになる。それは諜報活動であったり、政治工作であったり、軍事工作であった。

支那通と言われる人々は、初め中国に共感、あるいは同志感で臨んでいたのに、いつの間にか、不信感につながっていく。それが積み重なり、やがて暴挙につながっていく。なぜ、そのようになったのか。その過程を探るのが本著の目的かもしれない。

読んでわかったことは、基本的に、彼らは日本的に中国を理解しようとしたことに無理があったということだろう。国という立場が異なれば、それが理解できたはずだが、彼らは4千年の歴史を誇る中国という深みに嵌ってしまったと捉えることができる。日本を統治するより複雑な歴史を歩んだ中国。

彼らは、易姓革命を繰り返してきたような国家。漢民族が権力を握った時代もあるが、異民族が権力を握った時代もある。そんな中で、巧みに生きてきた中華民族。中国には、「敵の敵は味方」という考え方があるように、その発想は縦横無尽だ。

そういうことを十分理解せず、彼らを利用しようと入り込んだ日本の支那通は、彼らに見事に翻弄されていく。すなわち、情報操作したつもりが逆に情報操作されたり、利用したつもりが逆に利用されていたということだ。

それに彼らは個別に活動して、ある地域には深く入り込んで詳しくても、中国全体の動きを見る大局観に欠けていた。いわゆる「虫の目」は持っていても、「鳥の目」思考が抜けていた。そこでは発想がどうしても狭くなる。思い込みも強くなる。

ところが、中国の各種組織は、それぞれの思惑で混沌としているのに、巧みに支那通に利用されながら、逆に反日に利用して、見事に国内統一の流れに持ち込んでいく。そんな中、支那通の思いは打ち砕かれ中国に悪意を持つようになる。その結果、戦争の泥沼に引きずり込まれる。

この本を読んで感じるのは、日本の思い込みが危機を招いたということだろう。「理解」というのは、難しく、立場が違えば、当然、その意見は異なる。それを無理やり統一させようとすると無理が来る。現代でも、「相互理解」という言葉がよく使われるが、「相互」の意味を案外理解していない。

それぞれの国家主義者や安保関係者、あるいは右翼と言われる人々は、相手国の一面しか捉えていないことが多い。相手国の事情を一面的に見て自分の立場で単純に攻撃している場合も多い。すなわち、「相互無理解」が相手国不信感を増殖させている。

お互いに理解することは無理でも、理解する努力は怠ってはいけないということだろう。果たして、現代の一般日本人も、どれほど中国を理解しているのだろうか。この書籍は、その理解の一つに役立つだろう。

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2016年9月13日 (火)

コメンテイターとして不適切な人々

時事問題を扱うテレビ番組で、ずっと気になることがある。それは、コメンテイターとして、やたらと外国人と弁護士を活用していることだ。彼らは、おおむねコメンテイターとして不適切な人々だ。それが学者や専門家であっても同様だ。

まず、外国人コメンテイターの発言を聞いていると、どうしても出身国の意向が強く出る。だから客観的意見とは、ほど遠い。出身国の考え方で意見を述べられても、違和感を強く感じる。彼らはコメンテイターとしては不適切であろう。どうしても聞きたいのであれば、スポットで参考意見として聴取すればいいことで、コメンテイターにする必要はない。

それから弁護士のコメンテイターも不適切だろう。各種法律問題が生じた時、法律問題について説明を求めるのに便利なのだろうが、それはスポットで流せばいいこと。常時のコメンテイターにする必要はない。

それに彼らにコメントを求めても、官僚と同様で、法律の枠内での話しかできない。つまり、どうでもいいコメントしか述べられない。よって、いてもいなくても同じ。視聴率を気にするテレビ局が、彼らをコメンテーターとして登場させることは不思議でならない。

*追記

更に付け加えるならば、司会者のアナウンサーがコメントを発する例があるが、不適切であろう。彼らは基本的に「行司」の役割だ。出過ぎた発言は問題が多い。特にフリーの男のアナウンサーに多い現象だ。極論を発して、彼らの存在価値を強く示そうとしているのかもしれないが、彼らは、マスコミにとって「害虫」に近い。

*追記

マスコミは、本来、権力に批判的であるべきだが、何でもかんでも、政府を擁護するコメンテイターがいる。それは読売・日本テレビ系、あるいは時事通信系に多い。テレビによく出ている田崎史郎氏は、その極端な例だ。いつまで、マスコミは、彼をコメンテイターとして使い続けるのだろうか。多くの人が疑問に持っている。マスコミの姿勢が問われる。

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