マスコミ評論及び各種書評

2018年5月 1日 (火)

盗撮と監視社会

最近、よく報道される事件として、盗撮がある。携帯電話の普及で、その機能としてカメラ機能があり、持ち運びが簡単なことから、犯罪に手を染める人々がいる。犯罪者の心理はよく分からないが、そういう趣味の人がいるのだろう。あるいは魔がさすのであろうか。

男には、ありがちだが、性的欲求不満がたまった結果かもしれない。つまり、それをコントロールできない人がいるということだろう。非常に困ったことだ。まっとうな欲求のはけ口を見つけて欲しいものである。こんな事件で人生を台無しにするなんて、全く馬鹿らしい。

ところで、社会も、堂々と盗撮している。それは「監視カメラ」だ。最近は、あらゆるところに設置してある。当然、当人は知らぬ間に撮影されているわけで、知らず知らず監視されている。

別に事件を起こさなければいいではないかという向きもあるが、あまりうれしいことではない。犯罪抑止力や事件の捜査に役立つというが、それは当局の立場からの判断。また、タクシー内のドライブレコーダーはともかく、監視カメラの存在も気になる。

これらは、監視というが、立場が違えば、「盗撮」されている感じになる。物の進化が、我々の生活を逆に脅かしているとも言える。よって、これらとの付き合い方を間違うと、厄介なことになる。盗撮はやってはならないが、監視のない社会が望ましいのは言うまでもない。

では、監視をなくするには、どうすればいいのか。社会全体で考える必要があるのではないか。

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2018年4月30日 (月)

分かりやすいニュース解説の裏

最近は時事解説で、分かりやすさが求められているようだ。民放では、元NHK記者のI氏がよく登場する。彼の話ぶりは、いかにも真実らしく聞こえる。もちろん、彼は嘘を言っているわけではない。彼なりの情報収集と分析による知識に基づいて説明している。

ただ、彼の話を鵜呑みするのは、どうかと思う。すべての事象には多くの見方があり、彼は一部を切り取って説明しているに過ぎない。情報の出所も不明だ。仮に明確にしていても、その情報源には偏りがある。

すなわち「分かりやすい」説明とは、なかなか厄介なのである。どれかの情報を取り、どれかの情報は切り捨てる。選択は解説者の意思が入る。よって、「私の分析では」と一言付け加えればいいが、それは無視されて、一般論のように説明され、それが真実のように伝えられる。これは危ういことだ。

これはNHKのニュース解説や民放のニュース解説にも言える。いずれも解説者の主観が入る。ちょっと間違えば、真実から遠いところにある。怖いことだ。ニュースは、疑いながら、限界はあるだろうが、自分なりに分析することが求められる。視聴者は、このような番組を見るなとは言わないが、警戒心は持つ必要があるだろう。

*追記

結局、ニュース解説は、コメンテイターの意見同様、一つの意見と考えておいた方がいい。よって解説者の人物査定が必要ということになる。

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2018年4月 9日 (月)

信用されなくなったNHK報道

NHKは公共放送の位置づけだが、近年、その報道姿勢に疑問を持たれている。安倍政権になって、政権に配慮した報道が目立つようになった。それは官僚同様、幹部が政権圧力に抵抗することなく、忖度することになったことだろう。

川柳に、「NHKの 世論調査は 信じない」(大阪 佐伯弘史さん。仲畑流万能川柳より)というのが出てくる始末。これは、多くの国民の感じを代表していると思う。いちいちマスコミに圧力をかける政権もなんだが、それに従うマスコミも、その存在感はない。

単なる政権付きの報道機関になり下がってしまったのだろうか。果たして、こんなところに受信料を払うのは適切か、大いに疑問だ。このような状態が続くのなら、解散しても、国民に何の問題もないだろう。その他の報道内容も民放と大差ないのだし。

*追記

なお、共同通信の世論調査も、信用されなくなった。明らかに作為が感じられる。政権のお抱え新聞と言われる「読売新聞」より悪い。

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2018年3月 6日 (火)

表現の自由と自制

ある日本の書籍で、チンギスハンの肖像に落書きしたとして、モンゴルの人の怒りを買っているようだ。それに対して、表現の自由だと反発する人々もいる。ただ逆に天皇の肖像に落書きされたら、日本人は、これを許すだろうか。多分、外務省を通じて強く抗議するだろう。

国によって、人々が大事にしているものを、わざわざ言論等で犯す必要はない。それらは尊重されるべきものだ。表現の自由には、相手を慮り、配慮し自制することも時には必要だ。なんでもかんでも表現の自由で片づけるのは、視野を狭くする。

*追記

但し、行き過ぎた言論の自主規制にも問題を孕む。その辺の判断は難しいが、極論は排すべきだ。基本的に国際間の人間関係を壊すような言動は慎む必要がある。今は、常に隣に外国人がいる感覚が求められる。

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2017年11月27日 (月)

自らを貶める不思議な国~韓国

韓国は自らを貶める不思議な国だ。「慰安婦像」を世界に拡散する思考は全く理解できない。捏造された歴史観で、「慰安婦」をネタに集(たか)り構造ができていると見ることができる。

どの国にも、国家主義者、民族主義者、あるいは極端な右翼や左翼はいるだろうが、最早、「慰安婦」はビジネス。すなわち、「反日」はビジネスになりうると計算しているのだ。韓国国内はもとより、海外にまで「慰安婦像」を設置するなど、自らの恥を拡散しているようなもの。

まともな人間なら、そんな馬鹿げたことはやらない。そんなものを造って設置したところで、大した意味はない。そもそも70年以上前の不明な事柄を、しつこく表すのは、日本に対抗するものが韓国にないのだろう。

そこで考え出された低レベルのアイデアが「慰安婦像」だ。これは当時の「慰安婦」(その存在の有無、あるいは是非はともかく)と言われる方を慰めるに値しない。彼女らは単に利用されているだけだ。そもそも反日の人たちは、あの「戦争」というものを全く理解していない(*注)。

若い人たちも、単に観念的に取り上げているだけに過ぎない。そういう暇な人たちが、まともな仕事をせずに、集って騒いでいる。日本は、マスコミも、取り上げず無視すればいい。日本が大騒ぎすれば、彼らの術中に嵌るだけのことだ。

*注

戦争の本質を見れば、歴史的に、略奪と凌辱に尽きる。為政者は、戦争に巻き込まれないように努めることが重要な使命。為政者が駄目だと国民が不幸になる。

*追記

他方、日本としては、きちんとした反論・主張を英文でを常々示しておくことが求められる。

*追記

この問題以外にも、韓国人の泥棒が、日本の寺にある仏像を盗み、それを韓国に持ち帰っても、なんだかんだと理由を付けて、日本に返還しない。非常識国家と言われても仕方ない。

*追記

不安定な朝鮮半島情勢下、政府は、韓国内の邦人退避計画を策定する方針を決定。当面、韓国への旅行は控えた方がよさそうだ。

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2017年8月15日 (火)

『昔ばなしの謎』を読む

昔話は、子供が主として読むものだろうが、大人が読んでも結構面白い。その形成過程は不明なものも多いが、それを分析した古川のり子著『昔ばなしの謎』を読了した。昔話を分析した本は、いろいろあるが、この本は、かなり深いところに突っ込んでいる。

分析している昔話は、「桃太郎」、「かちかち山」、「花咲爺さん」、「浦島太郎」、「鬼の子小綱」、「三枚の護符」、「蛇婿入り」、「蛇女房」、「産神問答」、「ミソサザイは鳥の王」、「ホトトギスと兄弟」、「鉢かづき姫」、「一寸法師」の十三点。

それぞれの分析内容は、なるほどと思わせる。昔話は、日本文化の底辺を為すものかもしれない。大人であっても、改めて、その話を吟味してみるのも悪くない。

*2017年12月29日追記

先日、NHKで、童話を題材にした『昔話法廷』を放送していた(舌切り雀)。いろんな角度から勧善懲悪を見る。なかなか味のある番組だった。いろんな昔話を題材に、今後も取り上げて欲しいものである。

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2017年8月 2日 (水)

人口減少下の日本

人口構成のの歪みから、今後、人口が減少することは以前から指摘されてきた。そのことにより、今までの多くのシステムが機能しなくなることも多くの専門家は指摘してきた。ただ、一般人は危機感は薄いかもしれない。せいぜい、高齢者が、年金カットされたり、介護保険料がアップしたり、医療費の個人負担が増えて、その痛みを知るくらいである。

でも、本当は、若い人たちの方が、今後、より深刻だ。人口減少のカレンダーをまとめた書籍に河合雅司著『未来の年表~人口減少日本でこれから起きること』がある。2016年から2065年までのトピックとして具体的に何が起こるか記してある。内容は極めて悲観的なものだ。

問題は、若い人たちは、これらの諸問題をどう捉えるかに尽きる。現象対応すれば、多くは無駄になる。基本的に、多すぎる高齢者も、いつかは解消する。寿命は医療科学で延ばしても限界があるからだ。それを見越した考え方も求められる。よって、じっくり考えれば、海外を巻き込んでビジネスチャンスがあるかもしれない。

それでも、これから半世紀ぐらいは過渡期とみることもできる。それゆえ、厳しい時代が待ち受けているのも確かだ。しかし、知恵の出し方で面白い時代になるかもしれない。それは今までの既成概念を取り除くことによってのみ可能だ。その後は、人口8千万になって、また違ったものが見えてくるだろう。

*追記

この著作では、後半に、人口減少に対する処方箋も示されているが、ありふれた内容で、特に参考になるものはない。前半の「人口減少カレンダー」だけは参考になる。

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2017年7月 8日 (土)

三木清の『人生論ノート』を読む

社会人になってから、専門書ばかり読んでいる私を懸念して、父から、歴史書や哲学書を読むように注意されたことを以前にも記した。なぜ学生時代に言ってくれなかったのかと多少恨んだが、仕方ない。仕事の合間を縫って、それらを読んだものだ。

もちろん、それは無駄ではなかったと思うが、最近思うことがある。父は、本を読んでも、基本的に読み終わったら処分することが多かったので、蔵書は極めて少なかった。ただ、その中に、三木清の『人生論ノート』があったことは記憶している。しかし、なぜ、この本を薦めてくれなかったのか。あるいは、私が聞き逃したのか。

その『人生論ノート』だが、蔵書の入れ替えはあったはずだが、父が亡くなる寸前まで、この本は、珍しく蔵書としてあった。最近、遅まきながら、それを思い出して、この本を手に入れた。三木清は、兵庫県たつの市生まれの哲学者だ。ドイツ、フランスに留学して、帰国後、マルクス主義哲学、西田哲学を研究した。

1930年に、治安維持法で検挙され、1945年に反戦議員を匿った罪で逮捕され投獄。終戦を迎えるも、釈放されず、獄中で死亡した。なお、念のために記すと、彼はマルクス主義者ではない。研究しただけだ。当時、当局は、変な理屈をつけて、多くの人を不当逮捕している。残念ながら、共謀法にも、そういうリスクを含んでいる。

さて、その『人生論ノート』だが、極めて簡略に、物の見方をまとめている。父が生前、各種判断の拠り所にしたのではないかと思う箇所が何か所もあった。父に何事も相談すると、いろいろアドバイスしてくれたが、恐ろしく、ほとんど間違いはなかった。まさしく正鵠を得るというものであった。

いろんな歴史書、哲学書を読むのもいいが、遠回りしないためにも、まず三木清の『人生論ノート』を若い人は読むのを勧めたい。理解できない部分は、読み飛ばしてもいいだろう。後日、理解できる時が来る。

文庫本で、170ページほどで、「死について」から始まり「個性について」まで、23項目について短く論じているので読みやすい。いろんなことを考えたり、判断する材料にはなる。一旦通読して、その後は、それぞれの関心事を、その都度、読み直すのもいいだろう。

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2017年6月25日 (日)

マスコミの役割は権力チェック

いつの時代も、権力は腐敗する。権力者は、そのつもりでなくても、権力の持つ力を頼ってくる輩が、巧妙に近づいてくる。それを客観的に常にチェックするのがマスコミの役割だ。それができなければ、マスコミの役割を放棄したに等しい(*注)。

つまりマスコミは、常に権力と戦う姿勢が求められる。よって権力を怖れるようでは何もできない。安倍政権になって、日本のマスコミは委縮していると海外からも指摘されるほど情けない状況にある。

もちろん、重箱の隅をつつくような報道は、ほどほどにする必要もある。ただ、それも政治姿勢に関わるのであれば遠慮する必要もない。逆に言えば、権力者も、マスコミにチェックされて姿勢を正すこともできる。

権力側は、うるさいと感じるマスコミでも、敬遠しないことだ。彼らの後ろには国民がいることを忘れてはならない。

*注

権力チェックできない典型的な新聞が「産経新聞」。最早どうしようもない。既にマスコミの役割を放棄している。それに次いで、「読売新聞」が政権に取り込まれて後追いしている。大新聞と言われて久しいが情けない。

またNHKの政治部も、官邸に近づきすぎて、物が言えない状態になっているようだ。情けない。そもそも政治家に近づいて情報を取ろうとする態度がマスコミ人として如何なものか。上記の新聞社に限らず、政治部記者は、危うい存在だ。政治家と、いかに距離を保つかが問われる。

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2017年6月24日 (土)

騒ぎすぎる報道の是非~若手棋士と女性元アナウンサーの死

マスコミは、事象を捉えて大袈裟に報道したいのだろうが、やはりやり過ぎがなくならない。

最近の例であれば、若手棋士が28連勝したと各紙が一面で報道した。確かに偉業なのだろうが、世界から見れば、どれほどの意味があるだろうか。社会面で大きく扱えばよかったのだと思う。一面記事にすることもなかろう。

また元フリーの女性アナウンサーが闘病の上亡くなったことを一面で報道したり、テレビでも大々的に報道している。確かに、若くて癌という難病にかかり、闘病生活を続けていたことは確かだ。

けれども、マスコミは女性の気を引きたいのだろうが、一面で扱うテーマではなかろう。死者は皆平等だ。淡々と報道すればいい、彼女のご冥福はお祈りするが、夫の歌舞伎役者が仕事に利用しているようにも見えてくる。

いずれにせよ、これらは、結局、マスコミは、センセーショナルな話題を提供して、部数が上がり、あるいは視聴率が稼げればいいと判断しているのだろう。報道のあり方が大きく問われる。

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