マスコミ評論及び各種書評

2018年6月29日 (金)

姫路の中学生が「よしこがもえた」を朗読

1945年6月22日と、7月3日、4日に、姫路市は、B29戦略爆撃機による空襲で市街地を焼き尽くされたことは以前にも記した。両親も逃げ惑って怖かったことを何回も語ってくれたことを思い出す。この空襲で、死者合計514名(341名と173名)、1万戸以上が全壊、全焼した。

今回、この空襲を扱った物語を姫路山陽中学校の放送部員が、7月4日に、校内で放送するようだ。読むのは、姫路空襲を題材にした絵本で、『よしこがもえた』というもの。作者は、たかとう匡子さんで、絵(版画)は、たじまゆきひこさんが担当している。

「よしこ」というのは、作者の妹さん。戦争中、どこの家庭も貧しかった。そんな中、1945年7月3日、7歳で小学一年生になった姉の、くにこは、3歳の妹の面倒をよく看ていた。空襲の中、避難するが、家族は、ついにばらばらに。

両親に、はぐれた姉妹は、手をつなぎながら、また、他人の励ましを得ながら、逃げる。ところが、焼夷弾の威力で、ついに手を放してしまう。そして、一瞬の内に、よしこの髪の毛に火が付き、彼女は、焼け転がっていく。

その後、両親が二人を探し当ててくれるが、事実を知って号泣。愛する人を失う苦しみを淡々と綴っている。人間が、生きたまま、物を焼くように焼かれている地獄模様。それを目の当たりにした作者。消えることのない記憶。惨い戦争は、遺された人々をも、後悔として、業火のように苦しめさせる。

では、なぜ、そんなことになったのか。根本的、多面的に、かつ長期的視点で、若い人は、考え続けて欲しい。

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2018年6月22日 (金)

弁護士的視点では世論は読めない

以前にも少し記したが、報道番組で、コメンテイターとして、弁護士が、度々登場する。しかし、彼らの意見は、弁護士的視点に限定された狭いもの。すなわち、法の範囲内の判断しか下せない。一つの意見として、聞くことも可能だが、時代が読めず、世論的に、ピントの外れた意見が多い。

彼らの専門的知見は、必ずしも世論を代表するものではない。法律の番人として、法的見解が、国民の意見と反することもある。それを彼らの立場で、滔々と述べられても、しらけるだけである。

報道番組では、現在の法律の詳しい説明を彼らに求めるのはいいが、意見を求めてはならない。それらは世論をミスリードしかねないことをマスコミは、しっかり押さえておく必要がある。

*追記

弁護士がコメンテイターとして出演する報道番組が、割とあるが、できるだけ視ないようにしている。また、彼らにコメントを促す司会者の不見識を強く感じる。

だが、そもそも、番組は、弁護士をコメンテイターとして、使ってはならない。彼らに席を設けること自体゛、間違っている。

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2018年6月 8日 (金)

アメフトで事件を起こした選手の行方

大学のアメフトの東西交流戦で、悪質タックルをした選手の行方が気になる。確かに謝罪会見は、立派であった。だが、別の角度で見れば、監督・コーチのの指示があったとしても、ある意味、一つ間違えば殺人タックルになった「実行犯」でもある。

その彼が、安易に大学フットボールの世界に復帰できるかというと、随分怪しい。怪我をさせられた選手は、「戻ってきて、正々堂々と戦いたい」と言っていたが、その言葉は美しいとしても、世間一般の常識では許されない。

仮に学生であっても、成人した大人。数年程度、謹慎が望ましい。すなわち、大学生の間は、アメフトの試合に出場することは遠慮した方がいい。もちろん、謹慎が解ければ、後は周囲の理解が得られれれば、社会人で、やってもいい。

彼に同情して、優しく接するのはいいが、それも程度問題。彼には、今、考える時間が必要だ。頭のいい彼は、誰にも経験できない、この苦い教訓を活かして、優れた社会人として成功してほしい。

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2018年6月 7日 (木)

パージが求められる日本の組織

最近、日本の各方面の組織の弛みが目立つ。最近の例だけでも、財務省理財局の文書改竄(ざん)問題、日本大学のアメフト問題より発した統治の問題、企業の各種データ改竄問題、神戸市教育委員会の不都合な情報隠蔽等がある。

これらは組織の惰性、弛みが原因だ。すなわち緊張感が足りない。本来、組織には、それぞれ与えられた使命がある。ところが、それを放棄して、自己保身に熱心になっている人々を生んでいる。

基本的におかしくなった組織文化をただすには、トップを含めて管理責任者をパージするしかない。パージとは、「一掃、抹消、粛清」の意味がある。戦後、戦犯が、公職追放された。それと同様の措置である。

ところが、問題組織は、現在、必死になって自らを守ろうとしている。そして、周辺も、きっちり処分しようとしていない。処分が非常に甘いのだ。公務員であれば、懲戒免職含めて、公職追放して、3年間は公職に就くことは不可、というぐらいの処分が適当だ。

他の民間組織にしても、ドラスティックな改革をしないと根本的な解決には覚束なく、組織的問題は解決しない。今こそ、日本の各不良組織に、パージが求められ、清新な緊張感のある組織に衣替えが必要だ。

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2018年5月 1日 (火)

盗撮と監視社会

最近、よく報道される事件として、盗撮がある。携帯電話の普及で、その機能としてカメラ機能があり、持ち運びが簡単なことから、犯罪に手を染める人々がいる。犯罪者の心理はよく分からないが、そういう趣味の人がいるのだろう。あるいは魔がさすのであろうか。

男には、ありがちだが、性的欲求不満がたまった結果かもしれない。つまり、それをコントロールできない人がいるということだろう。非常に困ったことだ。まっとうな欲求のはけ口を見つけて欲しいものである。こんな事件で人生を台無しにするなんて、全く馬鹿らしい。

ところで、社会も、堂々と盗撮している。それは「監視カメラ」だ。最近は、あらゆるところに設置してある。当然、当人は知らぬ間に撮影されているわけで、知らず知らず監視されている。

別に事件を起こさなければいいではないかという向きもあるが、あまりうれしいことではない。犯罪抑止力や事件の捜査に役立つというが、それは当局の立場からの判断。また、タクシー内のドライブレコーダーはともかく、監視カメラの存在も気になる。

これらは、監視というが、立場が違えば、「盗撮」されている感じになる。物の進化が、我々の生活を逆に脅かしているとも言える。よって、これらとの付き合い方を間違うと、厄介なことになる。盗撮はやってはならないが、監視のない社会が望ましいのは言うまでもない。

では、監視をなくするには、どうすればいいのか。社会全体で考える必要があるのではないか。

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2018年4月30日 (月)

分かりやすいニュース解説の裏

最近は時事解説で、分かりやすさが求められているようだ。民放では、元NHK記者のI氏がよく登場する。彼の話ぶりは、いかにも真実らしく聞こえる。もちろん、彼は嘘を言っているわけではない。彼なりの情報収集と分析による知識に基づいて説明している。

ただ、彼の話を鵜呑みするのは、どうかと思う。すべての事象には多くの見方があり、彼は一部を切り取って説明しているに過ぎない。情報の出所も不明だ。仮に明確にしていても、その情報源には偏りがある。

すなわち「分かりやすい」説明とは、なかなか厄介なのである。どれかの情報を取り、どれかの情報は切り捨てる。選択は解説者の意思が入る。よって、「私の分析では」と一言付け加えればいいが、それは無視されて、一般論のように説明され、それが真実のように伝えられる。これは危ういことだ。

これはNHKのニュース解説や民放のニュース解説にも言える。いずれも解説者の主観が入る。ちょっと間違えば、真実から遠いところにある。怖いことだ。ニュースは、疑いながら、限界はあるだろうが、自分なりに分析することが求められる。視聴者は、このような番組を見るなとは言わないが、警戒心は持つ必要があるだろう。

*追記

結局、ニュース解説は、コメンテイターの意見同様、一つの意見と考えておいた方がいい。よって解説者の人物査定が必要ということになる。

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2018年4月 9日 (月)

信用されなくなったNHK報道

NHKは公共放送の位置づけだが、近年、その報道姿勢に疑問を持たれている。安倍政権になって、政権に配慮した報道が目立つようになった。それは官僚同様、幹部が政権圧力に抵抗することなく、忖度することになったことだろう。

川柳に、「NHKの 世論調査は 信じない」(大阪 佐伯弘史さん。仲畑流万能川柳より)というのが出てくる始末。これは、多くの国民の感じを代表していると思う。いちいちマスコミに圧力をかける政権もなんだが、それに従うマスコミも、その存在感はない。

単なる政権付きの報道機関になり下がってしまったのだろうか。果たして、こんなところに受信料を払うのは適切か、大いに疑問だ。このような状態が続くのなら、解散しても、国民に何の問題もないだろう。その他の報道内容も民放と大差ないのだし。

*追記

なお、共同通信の世論調査も、信用されなくなった。明らかに作為が感じられる。政権のお抱え新聞と言われる「読売新聞」より悪い。

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2018年3月 6日 (火)

表現の自由と自制

ある日本の書籍で、チンギスハンの肖像に落書きしたとして、モンゴルの人の怒りを買っているようだ。それに対して、表現の自由だと反発する人々もいる。ただ逆に天皇の肖像に落書きされたら、日本人は、これを許すだろうか。多分、外務省を通じて強く抗議するだろう。

国によって、人々が大事にしているものを、わざわざ言論等で犯す必要はない。それらは尊重されるべきものだ。表現の自由には、相手を慮り、配慮し自制することも時には必要だ。なんでもかんでも表現の自由で片づけるのは、視野を狭くする。

*追記

但し、行き過ぎた言論の自主規制にも問題を孕む。その辺の判断は難しいが、極論は排すべきだ。基本的に国際間の人間関係を壊すような言動は慎む必要がある。今は、常に隣に外国人がいる感覚が求められる。

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2017年11月27日 (月)

自らを貶める不思議な国~韓国

韓国は自らを貶める不思議な国だ。「慰安婦像」を世界に拡散する思考は全く理解できない。捏造された歴史観で、「慰安婦」をネタに集(たか)り構造ができていると見ることができる。

どの国にも、国家主義者、民族主義者、あるいは極端な右翼や左翼はいるだろうが、最早、「慰安婦」はビジネス。すなわち、「反日」はビジネスになりうると計算しているのだ。韓国国内はもとより、海外にまで「慰安婦像」を設置するなど、自らの恥を拡散しているようなもの。

まともな人間なら、そんな馬鹿げたことはやらない。そんなものを造って設置したところで、大した意味はない。そもそも70年以上前の不明な事柄を、しつこく表すのは、日本に対抗するものが韓国にないのだろう。

そこで考え出された低レベルのアイデアが「慰安婦像」だ。これは当時の「慰安婦」(その存在の有無、あるいは是非はともかく)と言われる方を慰めるに値しない。彼女らは単に利用されているだけだ。そもそも反日の人たちは、あの「戦争」というものを全く理解していない(*注)。

若い人たちも、単に観念的に取り上げているだけに過ぎない。そういう暇な人たちが、まともな仕事をせずに、集って騒いでいる。日本は、マスコミも、取り上げず無視すればいい。日本が大騒ぎすれば、彼らの術中に嵌るだけのことだ。

*注

戦争の本質を見れば、歴史的に、略奪と凌辱に尽きる。為政者は、戦争に巻き込まれないように努めることが重要な使命。為政者が駄目だと国民が不幸になる。

*追記

他方、日本としては、きちんとした反論・主張を英文でを常々示しておくことが求められる。

*追記

この問題以外にも、韓国人の泥棒が、日本の寺にある仏像を盗み、それを韓国に持ち帰っても、なんだかんだと理由を付けて、日本に返還しない。非常識国家と言われても仕方ない。

*追記

不安定な朝鮮半島情勢下、政府は、韓国内の邦人退避計画を策定する方針を決定。当面、韓国への旅行は控えた方がよさそうだ。

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2017年8月15日 (火)

『昔ばなしの謎』を読む

昔話は、子供が主として読むものだろうが、大人が読んでも結構面白い。その形成過程は不明なものも多いが、それを分析した古川のり子著『昔ばなしの謎』を読了した。昔話を分析した本は、いろいろあるが、この本は、かなり深いところに突っ込んでいる。

分析している昔話は、「桃太郎」、「かちかち山」、「花咲爺さん」、「浦島太郎」、「鬼の子小綱」、「三枚の護符」、「蛇婿入り」、「蛇女房」、「産神問答」、「ミソサザイは鳥の王」、「ホトトギスと兄弟」、「鉢かづき姫」、「一寸法師」の十三点。

それぞれの分析内容は、なるほどと思わせる。昔話は、日本文化の底辺を為すものかもしれない。大人であっても、改めて、その話を吟味してみるのも悪くない。

*2017年12月29日追記

先日、NHKで、童話を題材にした『昔話法廷』を放送していた(舌切り雀)。いろんな角度から勧善懲悪を見る。なかなか味のある番組だった。いろんな昔話を題材に、今後も取り上げて欲しいものである。

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