文化・芸術

2018年7月17日 (火)

花火大会のこと 2018

西日本豪雨災害が起こったため、今回も、花火大会を遠慮しようかという議論があるという。そういう気持ちは分からぬでもない。

しかしながら、そもそも花火大会は、慰霊と厄除けの行事の余興が始まりという。よって、そういう意味での花火大会は、やってもいいと思う。

配慮も行き過ぎたら問題になる。支援は支援と割り切り、それぞれの地域の催しは継続するべきと思う。そこに改めて意味を重ねれば、そういう催しも有効となる。

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2018年7月16日 (月)

羹に懲りて、、、、

有名な中国の言葉として、「羹に懲りて膾を吹く」というものがある。意味は、「一度失敗したことに懲りて、無益な用心をすること」とされている(*注)。

念のために記せば、「羹(あつもの)」とは、熱い吸い物、「膾(なます)」とは、日本で言う、生の魚や貝類を切ったもので刺身のようなもの。このような言葉があるということは、中国人も、かつては、刺身のようなものを食していたことになる。

いろいろ調べてみると、中国人も11世紀くらいまでは、膾を食していたとのことだ。それが疫病が流行り、多くの死者が出たため、食べ亡くなったようだ。そして、生水も飲まなくなった。

ところが、最近、訪日している中国旅行者は刺身を食しているようだ。でも、彼らの国に帰れば、やはり食さないのだろうか。

食材が国際化する現在、無益な用心とは、必ずしも言えないかもしれない。日本でも、寿司や刺身が、いつまでも味わえるかどうか。でも、残してほしい食文化でもある。

*注

この言葉は、『楚辞』の第九章にあり、本来の意味は、「用心深く身の安否を顧みよ」というもの。

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2018年7月15日 (日)

ドラマ『バカボンのパパよりバカなパパ』は面白い

NHKのドラマというと、真面目に取り組むためか、相対的に、根暗なものが多い。女性には受けても、男には面白くない内容が多い。よって視聴することは滅多にない。

ところが、今放送しているドラマ『バカボンのパパよりバカなパパ』は面白い。漫画家、赤塚不二夫の私生活を描いたものだが、題名通り、結構楽しませてくれる内容。

日常の何でもない行為に真面目に取り組む赤塚不二夫。彼は天才と言われた漫画家だが、それなりに作品を生む苦しみがあったのは確かだろう。

それを妻や、元妻、スタッフたちが泣き笑いも含めて、支えている。再婚相手の妻とのやりとりも、どこの家庭にもありそうで、納得。彼も女の感性には翻弄されたようだ。

気楽に視られて、いい作品だと思う。次の展開に期待。

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『姫路城現代美術ビエンナーレ2018展』を観覧

イーグレひめじB1F姫路市民ギャラリーで開催されている『第六回世界文化遺産 姫路城現代美術ビエンナーレ2018展』を観覧してきた。2年ごとに開かれるビエンナーレ。今回は、イタリア文化会館・大阪が特別協力している。

立体(彫刻)11点、平面(絵画・版画・写真)28点、海外作品14点。今回注目したのは、いずれも無題であること。すなわち鑑賞者が、それぞれに感じ取り、制作者の意図とは違っていても、いいということ。

題を付けられると、鑑賞者は、どうしても題を意識してしまう。そうすると、その時点で作品に広がりが無くなる。よって無題は効果的。鑑賞者の状態で、作品は、様々に受け取られる。

以前にも、同様なことを記したが、今回、そういう意図が感じられた。今後も、このようにしてほしい。企業関係者も、所属部署によっては、いろんなアイデアをもらえるはず。仕事の合間に寄って欲しいと思う。

2018年7月22日(日)まで。

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2018年7月14日 (土)

改めてハザードマップを確認する

今回の西日本豪雨は100年に一度と言われるほど規模が大きかった。国も含めて多くの人々が準備行動を起こせなかったのは、ある意味仕方ないと思う。しかしながら、多くの死者を出したわけで、逆に言えば、豪雨対応に慣れていなかったとも言える。

実際、私も、以前から市役所から、ハザードマップを配布されていたが、じっくり読み込みすることは怠っていた。悪く言えば、ざっと眺めただけで、自分のところは大丈夫だという気持ちしかなかった。

今、改めてハザードマップを見てみると、自分の住んでいる地域が、必ずしも安全ということではないと確認した。一応、水害でも、床下浸水があるくらいなのだが、小規模だが、過去に発生した内水氾濫(*注)地域に若干近いのだ。

問題は、逃げる判断と、どこに逃げるかということ。今後、十分検討したいと思う。

*注

内水氾濫とは、集中豪雨などの大雨時には、河川の氾濫が起こるより前に、道路側溝や下水道、水路からだけでは、降った雨を流しきれなくなり、建物や土地・道路が浸水してしまうこと。

*追記

調べたところ、私の場合、近くの避難所に行くことは、却ってリスクを高めることが分かった。避難所のある所は、自宅より災害リスクが大きいのだ。ハザードマップを確認することは意味がある。

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2018年7月13日 (金)

盛りすぎのドラマは興味削ぐ

最近は、刑事ドラマから、やや脱して、男女のコミカルなドラマが増えつつある。これは歓迎すべきことだ。

ところが、あるドラマは、有名人気女優を使うのはいいが、テーマが、いくつも入っており、視聴者としては、集中できない。いろんな現代的なテーマを盛り込みたい制作者の思いは分かるものの、分かりにくい側面がある。

制作者としては、シンプルなテーマのドラマでは、飽き足らないのかもしれないが、一つのテーマを丁寧に描いた方がいいと思う。いくつものテーマを一つのドラマで扱うと、制作者は一体何を描きたいのか、視聴者には伝わらない。

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2018年7月12日 (木)

人の分類の危うさ

人を分類するのに、よく使われるのが、血液型分析だ。A型はこう、B型はこうと、その特性を謳い上げ、区別するもの。確かに、暇つぶしには面白いのだが、根拠はないという。同じ血液型でも、地域性はあるし、親の影響もある。

ところで、政治の世界で、あの議員はタカ派だ、ハト派だと呼んで、マスコミは、区別している。そもそも、この分類は何を意味するものだろうか。

ある場合には、思想的には、右翼系だ、左翼系だと言っている。自身を勝手に、どちらかの属に居ると言って、反対方を攻撃する手段に使われているが、最早、日本では意味はない。

世の中はは複雑である。学者の世界のように、本来、割り切れるものでもない。それを何か色付けして分類するのは、学者や文化人の悪い癖だ。マスコミは、それが分かりやすいから、利用して、はやし立てる。

その結果、議員たちも、その気になって、「私はタカ派だ」「私はハト派」だと自認するようになる。大体、タカ派というのは強硬的、ハト派というのは柔軟的と捉えられているようだ。

しかし政治の世界では、どの議員も、両方持ち合わせているのが本来の姿であろう。それを時と場合で、どちらを、どのように判断するかが問われている。

つまり、政治は、現実と理想の綱引きだ。現実的に対応するか、非現実的に対応するかで、見方が変わってくる。分かりやすく言えば、崖っぷちにいるのに理想を言っても仕方ないし、そうかと言って、平時に理想も語らず現実ばかり見ているのも辛い。

最早、タカ派とかハト派という呼び方は止めるべきだろう。

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2018年7月 8日 (日)

西日本豪雨2018に思う

今回の豪雨で、西日本の多くの地域が被災している。死者という点では、広島県、愛媛県が大きい。そして災害の多くは、土砂災害と洪水による水の氾濫によるものだ。当地(姫路市)は、地域によって多少格差はあるものの、大きな被災はなかった。それでも、大きな川の近くに住む人たちにとっては、ドキドキものだっだろう。

報道によると、7月8日午前0時現在、死者51人、安否不明者76名とのこと(毎日新聞)。当初、これほどの被害を受けるとは、私自身考えていなかった。各地で暴風雨が猛威をふるったようだ。亡くなった方にはご冥福を祈りたい。また不明者も、早期に発見されることを期待する。

やはり自然は怖い。だが、彼らに恩恵も受けている。日本に住む限り、自然と上手に付き合うしかない。ニュースを見ていると、かつて被害を受けていた地域が再度受けている。別の報道(朝日新聞)によると、過去の死者・行方不明者の内訳を分析すると、土砂災害の9割が「土砂災害危険箇所」だそうだ(内訳は、この範囲内で73%、危険箇所から30メートル内近接場所が15%)。

すなわち、リスクを予定されている地域に住む人々が被害を受けていることになる。こういう地域には住まない方がいいのだろうが、そうもいかない事情があるのだろう。となれば、他の地域より、強いリスク管理が求められる。

ところが、洪水に関しては、想定外が実に66%という。つまり、あまり予測できないとも言える。今後、行政が、力を入れる必要のあるポイントだ。山の開発制限と維持管理強化と川の管理運営の見直しと共に、川沿いに住む人たちのリスク管理強化が求められる。

それに洪水になる時の状況の変化のスピードは極めて速い。洪水予測システムと早期避難の仕組みが必要かもしれない。そして危険地域に住む人は、自分なりに判断して、より早く逃げるという意識の転換が大切だ。

*2018年7月9日追記

その後の被害者情報を見てみると、各社の情報がまちまちだが、本日の午前5時現在、死者90人、行方不明者77人となっている。なお避難所には約2万人がいるとのこと。被害は甚大だ。

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2018年6月29日 (金)

姫路の中学生が「よしこがもえた」を朗読

1945年6月22日と、7月3日、4日に、姫路市は、B29戦略爆撃機による空襲で市街地を焼き尽くされたことは以前にも記した。両親も逃げ惑って怖かったことを何回も語ってくれたことを思い出す。この空襲で、死者合計514名(341名と173名)、1万戸以上が全壊、全焼した。

今回、この空襲を扱った物語を姫路山陽中学校の放送部員が、7月4日に、校内で放送するようだ。読むのは、姫路空襲を題材にした絵本で、『よしこがもえた』というもの。作者は、たかとう匡子さんで、絵(版画)は、たじまゆきひこさんが担当している。

「よしこ」というのは、作者の妹さん。戦争中、どこの家庭も貧しかった。そんな中、1945年7月3日、7歳で小学一年生になった姉の、くにこは、3歳の妹の面倒をよく看ていた。空襲の中、避難するが、家族は、ついにばらばらに。

両親に、はぐれた姉妹は、手をつなぎながら、また、他人の励ましを得ながら、逃げる。ところが、焼夷弾の威力で、ついに手を放してしまう。そして、一瞬の内に、よしこの髪の毛に火が付き、彼女は、焼け転がっていく。

その後、両親が二人を探し当ててくれるが、事実を知って号泣。愛する人を失う苦しみを淡々と綴っている。人間が、生きたまま、物を焼くように焼かれている地獄模様。それを目の当たりにした作者。消えることのない記憶。惨い戦争は、遺された人々をも、後悔として、業火のように苦しめさせる。

では、なぜ、そんなことになったのか。根本的、多面的に、かつ長期的視点で、若い人は、考え続けて欲しい。

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2018年6月23日 (土)

沖縄の中学生による戦没者追悼式における「平和の詩」

2018年6月23日の沖縄全戦没者追悼式で、沖縄県浦添市の中学生が、平和の詩「生きる」を朗読した。戦争を経験していないのに、若い人の感性は研ぎ澄まされている。彼女には、天から言葉が降りてくるのだろう。全文を掲げておこう。

沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子

「生きる」

私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

 

私は今、生きている。

 

私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

萌え出づる山の緑、

優しい三線の響き、

照りつける太陽の光。

私はなんと美しい島に、

生まれ育ったのだろう。

 

ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

 

私はこの瞬間を、生きている。

 

この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

 

たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ

私の生きる、この今よ。

 

七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

燃えつくされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

 

みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

 

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

心から、誓う。

 

私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。

生きる事、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭わないことを。

 

あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を

一緒に生きているのだ。

 

今を一緒に、生きているのだ。

 

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 

私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

 

大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

 

これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

 

摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。

*追記

彼女のような若い人たちがいる限り、日本も大丈夫かな、と思う。多くの若い、これからの人たちは、戦争を経験しなくても、彼女のような感性を大切にしてほしいものだ。そして、後世に伝え続けて欲しい。

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