文化・芸術

2009年11月 9日 (月)

期待はずれ

期待が大きいと、失望する確率は高い。それはサービスに対して、よく言われる。人間の心理は微妙なものだ。それでは、なぜ期待してしまうのだろうか。いろいろな要因がある。他者の推薦、評判。広告もそうかもしれない。そういうものを一切遮断することは、現代社会では難しい。

さて、その最近の期待はずれは、映画『わたし出すわ』だ。先日、観に行ったが、どうも前評判ほどではない。シナリオが弱いし、内容がイマイチ。仕上がりも、安く上げたのか、手抜きがわかる。函館をロケに使ったらしいのだが、その印象も弱い。

なぜ、そう感じたのだろうか。多分、お金をテーマとしたものなのに、さらっと描きすぎているのだろう。それが関西人には、食い足りない。関西出身の監督なら、もっとどきつく描いただろう(たとえば、『難波金融道 ミナミの帝王』)。お金をテーマとした映画は、関西人が望ましい(笑)。

今回の映画の内容なら、テレビドラマとしても難しい。可能性のあるのは、舞台で小雪が一人芝居したら面白かったかもしれない。あるいは、朗読劇か。そう考えると、安易な映画作りに対する警鐘になりうる。監督の道楽で、映画を作られては、観客としては、堪らない。

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2009年11月 8日 (日)

紙芝居の思い出

子供の頃は、今の子供のように、テレビも普及していなければ、ゲームもない状態だから、遊びは自分たちで工夫しなければならなかった。屋外の遊びの多くは、近所の兄貴分から、教えられる。それが代々引き継がれるような感じだった。そのことは、以前にも触れたので、ここでは、それ以上に記さない。

遊び仲間は、年齢差が結構あり、同じ年齢の者が群れたりすることは少なかった。ただ、そのような遊びをしていると、年代ごとに、できたりできなかったりする。だから小さい子供は、大きい子供がやっているのに、初めは、ついて行けない。そこで、小さい子どもたちだけで、集まって、できることを考える。

そんな時の楽しみが紙芝居だった。いつも定時に、おじさんが、自転車に紙芝居を乗せてやってくる。そうすると、皆、連絡して、寄り合い、母にねだった小銭を握りしめて行ったものだ。紙芝居は、立ったまま(現在は、座らせることも多いようだが、皆、立って聞いていた)、おじさんの話を聞くだけだから、誰でも参加できる。時には、お小遣いがなくても、少し離れて見ていた。

その時は、日頃は、むずがる小さい子供も、威勢のいい権太も静かに息をつめて、見ていた。どこか独特の子供の空間が形成されていた。冬には、子供の何人かは、青鼻汁をすすりがら、あるいは、どこかに塗りたくりながら、見ていた(笑)。そういうと、最近は、そういうお子さん見ませんねえ。

話の内容はほとんど忘れたが、勧善懲悪ものが多かったと思う。人情物、道徳物、幽霊物もあったような気がする。それを、水あめを舐めたり、柔らかい煎餅をかじりながら、見ていた。

だが、紙芝居の話の筋は、これからというところで続きになり、また来てよということになる。これは今のドラマも変わりはありません。ところが、毎回、いろんな話が出て、話が続かないことも多く、最終結果を知らないで、聞き流したものも多かったと記憶する。

つまり今日はAの話だが、翌日はBの話になり、翌々日は、Cの話になるのだ。そしたら、同じ曜日に来れば、同じ話が来るかと思うと、そうでもない。これは子供泣かせであった。結局、話の筋がすべてわかったものは少なかった。それでも、友達同士、ほぼ毎日、同じ時間に集まり、その待ち時間も含めて楽しんだ。

何が面白かったかと言うと、まず皆が集まることだった。今日は、どんな話になるのだろうかと、わいわい話し合う。そして、話の筋もだが、おじさんの語りが、毎回毎回、真に迫ってきて、面白かったのだ。それを真似する奴もいた。今から思えば、子供たちは、話の筋より、そちらを楽しんでいたのかもしれない。少し大きくなって、本が読めるようになると、話の内容がわかるようになり、紙芝居から、自然に卒業していった。

*特別展『みんなの紙芝居』

姫路文学館で、特別展『みんなの紙芝居』を開催している(平成21年11月23日まで)。紙芝居の歴史と、その実例を紹介している。紙芝居は、マンガの原型なのだ。それに語りが加わっている。それはテレビ漫画の原型だ。そして、子供たちへの影響を常に意識してきた歴史がある。今回は、ついでに訪問したのだが、このような紙芝居にスポットをあてた企画展に、拍手を送りたい。

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2009年11月 4日 (水)

昔のマンガの再放送

先日、ふと朝、テレビをつけたら、懐かしい昔のマンガを放送していた。放送しているのは、サンテレビだが、制作コストを安くあげなければならない地方局は、再放送の取り上げ方が重要だ。最近のサンテレビは、韓国ドラマ、中国ドラマ、B級映画、時代劇の再放送が多いが、これにマンガの旧作が加わったようだ。

これらは大変懐かしいものが多く、他の民放放送がくだらないものが多い中、サンテレビとしては、苦肉の策だろうが、いい線を行っている。同じく、映画館も、旧作の上映を安くして、人気が出かかっているようで、こういうやり方は、多かれ少なかれ、ある程度の需要があるということだろう。

放送しているので視たものは、『鉄腕アトム』と『鉄人28号』だ。確か、『鉄腕アトム』については、子供時代、よく視聴した。アトムの彫刻も彫った記憶がある。確か、学校の休みの宿題に彫刻があって、題材に困り、たまたま家にあった、アトムのおもちゃのケースの表紙にしたと思う。不器用な流風にしては、意外に良くできた思い出がある。図案を真似たのだから、当たり前だけれど。

さて、その『鉄腕アトム』だが、子供の頃、あれだけよく視ていたと思うのだが、あらすじはほとんど覚えていないことに気付いた。だから今見ても、なかなか新鮮だ。子供向けのマンガと言えば、そうなのだが、作者の意図は深くしまい込まれていたようだ。結構、内容は深い。作者は、その時代の為政者や科学者を風刺しているのだ。

もう一つの『鉄人28号』は、少し視た記憶があるが、それほど視ていないかもしれない。しかし、名前はよく知っている。改めて視ると、その内容は、やはり大人の世界の風刺である。これも子供向けのマンガと言いながら、結構、大人の意見を滲ませている。まあ、多くの童話がそうであるように、マンガも書き手は大人だから、そういうことになる。

確かに、現在のように、コンピュータグラフィックの発達した状態から見れば、作画は、手書きで稚拙と言える部分もあるかもしれないが、そのシナリオは深い。作者は、子供たちに何を訴えようとしたのか。人々が、どうあるべきかを子供たちに説いたのかもしれない。

このように、マンガの旧作を視ていると、何もお金を新規につぎ込んで、新しいものを作らなくても、放送ストックがあるのだから、それを見直して、再放送することは意義深いことだ。それも、数年前のものではなくて、何十年も前のものを放送するのがミソだろう。放送局は、放送ストックを見直すだけで、たくさんの宝を発見するだろう。

*追記

なお『鉄人28号』の大きな立像が、JR新長田の駅前にできた。このマンガを知らない世代は、単に震災に打ち勝つという意味で作られたオブジェと捉えているらしい。

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2009年11月 2日 (月)

墓所はどこに~漢詩『壁に題す』

時々、霊園のチラシが入っていることがある。お墓を新規に購入する人に対して、売り込んでいるのだろう。だが、新家を興せば、新たに墓がいるというのも、おかしな慣習である。確かに、昔は、兄弟家族が多く、一族郎党をすべて同じ墓にすると、そのお参りも収拾がつかなくなった可能性もある。

しかしながら、現在は少子化だし、家族も少ないわけだから、同じ墓でもいいはずだ。お墓を新規に作らないといけないというのは、お寺と墓石業者の結託と疑われても仕方ない。もちろん、兄弟家族が全国ばらばらに住んでおれば、遠くにお墓があれば、墓参りも日常的には、いつもいけなくなる可能性もある。しかし、それほど信心深い人も、どれくらいいるだろうか。

やはり先祖の墓は一つでいいと思う。たくさん作っても、何時までも祀られるとは限らない。多くは無縁仏の運命にある。人間は死んで、やがて土に戻る。そういうことが分かっておれば、新規に墓を求めるのも、どうかと思う。

さて、前置きが長くなったが、墓に関して詠んだ詩に『壁に題す』というものがある。作者は村松文三とされるが、別人とも云われる。村松文三は、幕末の勤皇家。詩は、男は学の志を決めて、故郷を出たからには、成就しない限り、帰らなというもの。当時の、学ぶということに対する意気込みと、それが、いかに大変だったかがわかる。

  『壁に題す』  村松文三

  男児志を立てて 郷関を出ず

 学若し成らずんば 死すとも還らず

 骨を埋む 豈墳墓の地を期せんや

 人間 到る処 青山有り

意味は、前半は、すでに示した通りだが、後半に墓という文字が出てくる。すなわち、墓をうずめるところは、先祖の墓とは限らないと、出郷の決心を述べている。そして、人の墓となるようなところは、どこにもあるものだ、と言っている。なお青山とは、かつてよく言われたが、墓を埋めるに相応しい緑が茂っている山のことだ。

こういう決心があれば、お墓は先祖の墓とは別の処につくってもいいのではないか、と言われるかもしれないが、作者の真意ではないだろう。彼の思いは、志と学びに対する必死な気持ちだけだ。先祖代々の墓に入りたくないとは言っていない。

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2009年10月22日 (木)

大阪市立美術館~『道教の美術』展を鑑賞

先日、大阪市立美術館で催されている『道教の美術』展を鑑賞してきた。この美術館に行くのは久しぶりで、駅から近くなのに、少し迷った(笑)。地下鉄天王寺駅から近くなので、少しだけど。若い時は、よく『日展』を観に行ったものだが、最近は御無沙汰。昔と何も変わっていなかった。

さて、その『道教の美術』展だが、道教には、前々から少し関心があったことは確かだ。老荘思想には憧れるし、このブログでも、プロフィール欄に、刺激を受けた書物として、『老子』を挙げている。孔子の考え方は作為があるとする老子の考え方には共鳴できるからだ。

しかしながら、老荘思想は少しわかっても、道教となると、日本では神道・仏教・儒教ほどには馴染みがない。わかっているようで、わかっていない。さらに道教者からすると、老子は敬っても、荘子は論外だとするからだ。ますますわからなくなる。

ところが、日本が、道教と全く関係がないかというと、『道教の美術』展の案内のパンフレットを読むと、浦島太郎も、閻魔さまも、安倍清明も、七夕の織姫・彦星も、道教にルーツがあるというではないか。

それで、これは一応鑑賞してみる価値はありそうと思ったが、関西では、大阪市立美術館以外での展覧はないとのこと。少し遠くなった大阪だが、仕方ないと思って、わざわざ行ってきた。久々に吸う大阪の空気。昔より、少し澄んでいる感じ。ましになったのかな。

その展覧会だが、当日は、テーマにしては、若い人も多く、女性の観覧者も多かった。若い人も、道教に関心があるのだろうか。これは最近多い仏教美術展とは異なり、意外な感じだ。何が、彼らを引き寄せるのか。

不老長寿を究極の理想とする道教だが、果たしてそれだけだろうか。むしろ現世的な利益をかなえてくれるということに、日本の神社と重ね合わせて、わかりやすいからかもしれない。

道教は、中国で自然発生的に生まれた土着信仰に近いと思うが、人間の望むことは、どこでも、そんなに変わるわけでもない。また儒教は、支配者側の考え方だが、道教は、庶民に受け入れやすい考え方なのだろう。

しかしながら、この展覧会では、お経のような法典の展示も多く、観ても、内容は良く分からないものも多かった。結局、絵や像のようなものを多く鑑賞したが、なかなか、それだけで、道教を理解することは難しいようだった。

もちろん、この展覧会は、美術展であり、道教の教義に関するものではない。だが、庶民は、教義を理解したわけではなく、肖像画や各種絵画、あるいは像を見て、有難いと思い、希望を一心に念じたと思うと、そこに道教の根本が潜んでいるようにも感じられる。

だが、結局、日本人は、表面的な理解に留まり、中国人のように深くは信奉しないだろう。でも、裏を返せば、すでに、日本の文化に、意識せずに溶け込んでいることも確かなようだ。神道・仏教・儒教に、道教の影響は強く入り込んでいる。

日本人は、昔から、意識せずに、道教の影響を受けた仏教や儒教を受け入れ、知らず知らず、その文化に触れ続けていたのだろう。今後は、日本の日常の道教を少し、意識してみますか。

*参考 『道教の美術』展 ホームページ

      http://taoism-art.main.jp/concept.html

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2009年10月21日 (水)

異国の丘 その二

異国の丘には、前回紹介した歌謡曲になったものの他に、詩吟にした次のようなものもある。作者は源八岳氏で、本名は木村岳風。

 題名「異国の丘」

  誰が唄うか 遥かに聞こゆ 異国の丘

  哀調 綿綿 望郷の情

  北風に身を削る同胞の歌

  烏拉(ウラル)山辺 日没の天

  耐え忍んで 斃(たお)るるなかれ 異国の丘に

  故郷の 肉親 君を待つ事久しと

  友を励まし 又も唄う 異国の丘

  歌声は 天に通じて 鬼神をも 泣かしむ

解釈は不要だろう。この詩吟の方が、切迫感に富むが、現在では、あまり知られていない。帰国できず、満州に取り残され、極寒の地、シベリアで、強制労働させられた人々の呻きが聞こえる。

ずっと前、若い時に、京都に観光に行った時、歩いていると、たまたまシベリアから帰還された人々の家族の催しがあり、ふと立ち寄った記憶がある。確か、国から何も支援が出ないということで、多くの理解者を得ようとするものだったと思う。

流風は、何もできなかったが、棄てた民に対しては、国は、これほど厳しいのかと実感した。その裏には、いろいろ事情がありそうだが、戦争が、人々の生活を引き裂いたのは事実で、その他にも、色々ある。

*追記

戦後、外地から日本に全ての人が帰還できたわけでもない。いろんな事情から帰れなかった人々もたくさんいる。そして、帰ってきた人々は、世間から冷たい視線を受けている。

シベリアからの帰国者も、そのようであった。極寒の地で、食糧もろくろく与えられず、多くの人がいると、そこでは人間の本性が出る。大きく分ければ、自分の考え方を曲げない人、要領よく転向する人だ。

ソ連から、思想転向を言われても、変えなかった人々は、厳しい環境に置かれ続けたし、結局、彼の地で命を失っている人も多い。他方、要領よく、ソ連の洗脳に乗り、転向して、生き切った人々もいる。必ずしも、洗脳されたわけでもなく、洗脳されたフリをしていただけかもしれない。

流風は、どちらが良いなどと、言える立場でもない。だが、彼らは帰国後、一律に、ソ連に洗脳されたスパイと見做されたと聞く。現実、共産党に入党している人もいる。帰国後も、常に監視されていたとも言うし、仲間同士の相互監視もあったという。

自分の人生を狂わされてしまったことを恨んだ人も多いことだろう。理不尽な世の中とは言え、為政者のミスリードは、国民を苦しめることになる。そうならないためには、何をしなければならないのか。国民一人一人も、考えなければならない課題だ。

(この項、一応、これで終わり)

  

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2009年10月20日 (火)

異国の丘 その一

  異国の丘           増田幸治作詞

  一 

     今日も暮れゆく 異国の丘に

     友よ辛かろ 切なかろ

     我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ

     帰る日も来る 春が来る

  二

     今日も更けゆく 異国の丘に

     夢も寒かろ 冷たかろ

     泣いて笑うて 歌って耐えりゃ

     望む日が来る 朝が来る

  三

     今日も昨日も 異国の丘に

     おもい雪空 陽が薄い

     倒れちゃならない 祖国の土に

     辿りつくまで その時まで

若い人は、先に示した「異国の丘」という歌をほとんど知らいないであろう。子供の頃、両親が歌謡曲の「異国の丘」をよく感慨深く聞いていた。父は、別にシベリアに抑留されたわけではないが、戦友のことを思い出したのだろうか。天皇や政治家がボンクラだと、皆が迷惑すると、嫌そうに語っていた(*注)。ただ、この世代の常として、それ以上には、戦争のことを語りたがらなかった。

その代わりに、母にシベリアで抑留された人々のことをよく教えてくれた。あの極寒の地は、ナポレオンでも、制覇できなかったし、ヒットラーも同様の道を歩んだ。ソ連にとって、どんな軍事力より強い防衛線であることは確かなようだ。そんな地に抑留されたら、生きて帰ることは難しいと。

この歌は、戦争に負け、棄民政策により、ロシア軍に極寒の地シベリアに抑留され、極限における望郷の念が示されている。戦争に負けると、いかに悲惨か。棄民された人々は、シベリアに抑留され、ソ連軍は、日露戦争に負けた腹いせを、彼らに向けた。スターリンの指示であったという。

ちょうど、テレビでは、『不毛地帯』という、その極限に立ち会った人々を題材にしたドラマが放送されている。壱岐正を主人公としている。モデルは、瀬島龍三だ。軍の参謀だった彼は、日米開戦のシナリオを描いたとされる。ただ彼だけでなく、時代の後押しもあったののは確かだ。彼は、文書を作成したにすぎないだろう。

ドラマでは、彼が、シベリア抑留後、帰国し、その後の人生模様を描いている。もちろん、ノンフィクションではないため、事実と異なる部分も多く見られるが、おおよその流れは正しいだろう。ただ彼の側の限られた方角から見た、戦争に対する一つの知見という限界はある(原作は山崎豊子)。それでも、それも参考しながら、シベリアの極限に生きた人々の気持ちを、若い人々は、歌詞から読み取ることは無意味ではないだろう。

*注

流風が察するに、父の言いたいことは、ほとんどの知識人は、米国に戦争には勝てないと判断していたのに、当時の天皇や政府は、軍の暴走を止めることはできなかった。それは明治憲法における統治のあり方が不明確であったことによる。以前のブログにも示したが、「曖昧さ」が、大きな禍を生んだ。

*参考 ドラマ『不毛地帯』のホームページ

      http://www.fujitv.co.jp/fumouchitai/index.html

一応、視聴してみたが、最近の民放のドラマでは、出色の域だろう。時代の雰囲気も出している。出演者も豪華だ。民放でも、テーマを選び、そこそこお金をかければ、いいものを作れるということだろう。今後にも、期待したい。

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2009年10月19日 (月)

良寛の『半夜』を詠む

なかなか大きくならない黄梅の手入れをしていて、ふと、ある詩をうろ覚えだったが、思い出して、本を繰ってみた。そうすると、良寛の詩にあったのは、黄梅ではなくて、黄梅雨だった。旧暦五月の梅雨のことを指すらしい。折角だから、季節外れではあるが、取りあげておく。題は、『半夜』で、次のようなものである。

  首(こうべ)を回(めぐ)らせば 五十有余年

  人間の是非は一夢の中

  山房五月黄梅の雨

  半夜蕭蕭虚窓に灑(そそ)ぐ

誰も、晩年を迎えると、このような感慨に浸るのだろう。あの秀吉も、辞世の句で、同じようなことを言っている。この世は、所詮、夢の夢なのだろうか。確かに、流風も、そろそろ、そういうことを感じないわけでもない。

何かの縁で、この世の中に、ぽとりと産み落とされ、彷徨ってきたのだろうか。結局は、そうなのだろう。山奥の、あばら家に雨が注げば、余計にそう感じるかもしれない。自分の一生は何だったのかと。

そういうと、流風の実家も、築うん十年で、あちこちにガタが来ている。でも、感慨より、むしろ雨漏りの方が心配だ(笑)。無常観に浸るのもいいが、もう少し、この世の中を楽しんでみるとしましょう。

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2009年10月11日 (日)

嘘の報告~狂言『清水』

小さな嘘も、時間が経つにつれて、ばれてしまうことが多い。嘘の上塗りなどすれば、ますます辻褄が合わなくなってくる。世の中、よくできたもので、矛盾は、いつか露呈する。例えば、新人営業が、上司から得意先の新規開発して来いと言われて、活動するが、なかなか成果が上がらない。まあ、そんなに簡単に成果が上がる方がおかしい。

ところが、ある新人は、親戚にねじ込んで、成果を上げたとする。しかし、それは長続きはしない。一時的には、よい顔ができたとしても、本当の営業をやっているわけではないから、その後は、さっぱりと言う例が多い。

まだ、この新人営業の場合は、実数として成果になっているから、まだいいが、ベテラン営業が上司の厳しい追及逃れに、得意先に無理やりねじ込んで、架空の成果報告を上げるようになれば、もう終わりだ。まあ、上司も、部下に合理的な根拠のある数字の成果を求めさせないといけないけれど。

やはり営業は、ターゲットを絞って、地道にやるしかない。営業は派手なようで、極めて地味な仕事だ。人間関係の積み重ねには時間がかかる。成果は、それからだ。もちろん、人間関係ができていても、無理な押し込み販売は、いつか災難を抱えることになる。営業管理職は、各営業の数値から、それらを各種“信号”を察知して、誤りないように指導しなければならない。

さて、狂言にも、嘘を言ってばれる話がある。それは『清水(しみず)』だ。一応、名曲と言われるもので、主従の関係を皮肉った作品だ。そのあらすじを見ながら、感想を述べよう。

そこに出てくる主人は、どうも人使いが荒いようだ。計画性もなく、思いつきで事を進めたりして、部下への配慮も足らない。今でも、そういう社長がいますよね。他社の動きに幻惑されて、うろたえる。そして、とんでもない指示をする。あなたの会社には、いませんか。

ある日、流行りの茶の湯の会を明日催すから、茶の湯に使う、名水と言われる野中の清水を汲んで来いと太郎冠者に命ずる。こういう急な命令は、部下にとって、大いに迷惑。部下の事情にはお構いなし。

ところで、この野中の清水は、印南野にあったと言われる。現在の兵庫県の明石から西、加古川から東、北は美嚢川、南は海に囲まれた地域らしい。でも、大体この地区は、水が得られにくかったから、多分海岸線にあった名水と考えられる。現在でも、日本酒の醸造が確か、されているはずだ。

これら主従がどこに住んでいたかは明確ではないが、舞台は、多分、京都だから遠かったという設定だろう。太郎冠者は、こんな命令をいつも受けていたら、堪らんと思い、嘘を思いつく。

どういう交通手段をとるのか、わからないが、太郎冠者にとっては大変なこと。嘘をつきたくなる気持ちもよくわかる。どうせ、気まぐれな主人だから、気が変わるかもしれない。気が変わってくれたら、超ラッキー(笑)。

そこで、それは清水に恐ろしい鬼が出たということにする。この頃、印南野には、鬼が出るといって有名だったらしい。一体、鬼とは何だったのだろうか。ここでは、そのことについてはパス。以前にも、少し触れたが、いずれまた記してみたい。

それにしても、太郎冠者は、一応、清水まで行ったのだろうか。どこかで油を売って、行ったことにしたのだろうか。いずれにせよ、そういうことで、主人が大事にしていて、持って行った手桶は、恐ろしくて忘れてきましたと告げる。

ところが、これが逆効果。主人は、手桶が惜しいから、血相を変えて取りに行くと言う。こういう時は、鬼さえも、恐ろしくないんだ。大事なものは、恐ろしさを超える(笑)。一体、どんな桶だったのだろうか。塗りものの高級品かな。まあ、誰でも、自分の大事にしているものには、そういう風になるという作者の皮肉かな。

止むなく、太郎冠者は先回りして、鬼になり済まして、主人を脅かす。そして、ひれ伏す主人に、太郎冠者にとって、有難い都合のよいことばかり、命じる。まあ、人使いの荒い主人に、意趣返し。そういうことをやってみたい従業員は、今でもいるだろう。

不審に思いながら帰った主人は、もしやと思いながら、太郎冠者を試すと、鬼と同じ言葉を発し、その声が鬼の声と同じだった。更に疑念を抱いた主人は、もう一度清水に行こうと言い、太郎冠者は先回りするが、見破られてしまう。これは、ある意味、最初から、見破られることを覚悟して、太郎冠者が振るまっていると思われる。

嘘はいけないが、すぐ見破られる嘘で、コミュニケーションを図るのは、少し許されるのかな。上司に、すぐ直言するのもいいが、受け入れられないことも多い。こういうやり方も、一つの方法と言えなくもない。でも、そう度々は許されない。

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2009年10月 9日 (金)

萩の花から思い出す

萩の花は、咲くのが遅く、やきもきしたが、割と長い間咲いている。ただ切り花にすると、長持ちしなかったので、植えたまま鑑賞している。この萩の花言葉は、柔軟な精神らしい。流風も、見習わねば。今更、遅過ぎるか。

そういうと、その枝ぶりは、柳に似ているとも言えなくもない。柳に雪折れなし、と言うから、それと似た花言葉がついたのかもしれない。時期外れだが、五月雨のように咲いているのを見ると、狂言『萩大名』を思い出す。学生時代、習った記憶があるが、うろ覚えなので再確認してみた。

あらすじを確認すると、訴訟のために、在京している田舎大名が、気晴らしに遊山に出かける。太郎冠者の案内で、良い庭を見学することになったが、亭主は、和歌を所望するという。そんな心得のない大名は、太郎冠者に何か良い歌はないかと聞くと、たまたま太郎冠者が覚えていた和歌を教える。それが次のもの。

  七重八重、 九重とこそ 思いしに

          十重咲きいずる 萩の花かな

でも、萩の花をじっくり見ると、七重八重の感じはしない。桜でも、山吹でもない萩の表現としては少し変。確かにたくさんの房が垂れているので、そのように表現したのだろうか。

それはさておき、この大名は、この和歌をきちんと覚えられず、頓珍漢な物言いで、赤っ恥をかいてしまう。太郎冠者は、いつのまにか、どこかに姿を隠してしまう。上司のそういう姿見たくないし、とばっちりが来ても困る。部下というのは、いつの時代も、上司に振り回されるもののようだ(笑)。

でも、こういうことはよくあるんですよね。言われた言葉をすぐ記憶できる人もいるにはいるが、年齢とともに記憶力もあやふやになる。確かに記憶術というのは、あるが、それは若い時から訓練していなければ、歳を経てからではなかなかだ。やはりメモ、メモ。メモを見ながら言っても、いいじゃないですか。昔から、宮廷でも、カンニングペーパーはあったのだから。

それはそれとして、おはぎが食べたくなった。牡丹を見ながら、牡丹餅もいいけれど、萩には、やはり、おはぎだよね。甘党としては。ちなみに、牡丹餅より、おはぎの方が好きだ。それは粒あんだから。プレゼントしてくれるのなら、そちらを頼む(笑)。

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2009年10月 5日 (月)

菊と酒~王之渙の『九日送別』

9月9日は重陽の節句。今年は、もう終わった話題と思われるだろうが、旧暦では、今年は10月26日が、その節句。でも、日本では、あまり話題にされないし、特に催しもされない。せいぜい菊花展くらいだろうか。

しかしながら、その菊花展も、ただ菊の美しさを愛でるだけで終わることも多い。本来は、長寿を願って、この時期に咲く菊の花を飾り、菊の花を酒に浮かべて飲む。でも、このような風流な催しがなされないのは、少し残念な気がする。

さて、漢詩にも、重陽の節句を題材にしたものがある。その一つに、王之渙の『九日送別』がある。「九日」とは、九月九日のこと。これは、この日に旅立つ人を送りだす詩だ。ただ、誰を送ったものかはわからない。また中国語で「故人」とは、「旧友」のことらしい。

  薊庭蕭瑟として 故人稀なり

  何れの処か 高きに登りて しばらく帰るを送らん

  今日暫く同にす 芳菊の酒

  明朝は応に断蓬と作って飛ぶべし

解釈としては、「薊州の町の役所には、君が行ってしまうと、もう友と言える人は誰もいない。酒宴のため、どこかの丘や山に登って、いつか君が帰ってくるのを期待しながら、送るとしよう。

今日の重用の節句の、しばしの間、菊を浮かべた酒を酌み交わそう。明日の朝には、蓬が球形となって風の吹くまま、彷徨うように、私は、どこかに行ってしまいたい気分になるだろう」、ぐらいかな。

この詩に出てくる菊酒は、まだ試したことがないが、一度やってみようかな。中華街に行くと、中国茶の店では、時々「菊茶」が売られている。健康にいいらしい。一度、購入して、飲んでみたが、少し癖のある味だ。それ以来、買っていない。さて、酒の方はどうかな。

流風の庭には、小菊がたくさん咲きそうなので、今年は、その頃に試してみますかな。お酒は、どこのものにしようか。また菊は、確かに除菌効果はありそうだし、除虫菊があるように、虫よけの効果もある。娘さんを持つ父親は、せいぜい菊の花を持たせるべきですな(笑)。また脱線。

それにしても、友を送る時は、多少大袈裟に惜しむのがいいのだろう。別に古い友人が去ったところで、また新しい友人はできるだろうが、そこは惜しむ心を示すのが、情というもの。そして、やはり送別の詩は、春ではなくて、秋の方が相応しいのだろうか。日本では、移動が3月に多いので、当然、春になるのだが。

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2009年10月 4日 (日)

言葉の軽さの弊害?

最近、言葉がやたらと軽く濫用されている。それも言葉の進化と捉えれば、仕方ないのかもしれない。だが、流風が歳がいったからもしれないが、気になることも多い。

例えば、かなりまえから、マスコミでは、「セレブ」という言葉が使われている。もともとの「セレブリティ」を略して、言っているようだが、どうもおかしい。英語表記は、celebrityだ。英和辞書には、「高名、令名、名声」、あるいは、「名声の高い人、名士」と訳されている。英英辞典では、後者の意味合いが強い。

となると、とてもセレブとは思われない人々まで、そのように呼ぶのはいかがだろう。大体、お金持ちだったら、皆、「セレブ」なのか。日本でも、そもそも金持ちにも二種類あり、一つは、代々続く資産家、もう一つは成り上がり。「セレブリティ」は、どちらを指しているのだろうか。

日本では、どうも一緒くたになって解釈されているような感じだ。まあ、もうすでに和製英語になっているのかもしれない。元の意味など、もうどうでもいい感じだ。ちょっと羨ましい存在を指しているのだろうか。裏には、すこし小馬鹿にしているような雰囲気もある。一種の言葉遊びかもしれない。

また、温泉旅館の「美人女将」というのも、気になる。どうみても、美人とは言えない、厚かましそうで、がめつそうで、いけすかない女将に対しても、そのように呼ぶのは、明らかにおかしい(笑)。まあ、「美人」という意味が、曖昧なのも事実だ。時代によっても、その評価基準は異なる。しかし、それらを斟酌しても、言葉遊びにしても、行き過ぎだ。

まあまあ、それでも、美人でない美人女将を、美人と持ち上げておれば、その接客は、多少いいかもしれない。ヨイショはどこの世界でも有効だ。毎日見る顔でもない訳だから、刹那的に美人と言うことにしておこう。褒め殺しという言葉もあるけれど。

それに、男性タレントに「男前」というが、どんな基準で男前と言っているのだろう。若い女性が、キーキャー、キーキャー騒ぐのは、大きな錯覚。作られた偶像さ。まあ、流風が言うと、羨ましがっているように聞こえるかもしれないので、これ以上の言及は避けよう。

これも美人同様、男前基準が曖昧なのだろう。確かに時代によって、その基準は変わるのだろうが、変な男前が多すぎる。あの程度なら、一般人にも、たくさんいるだろう。整形している男のタレントを男前と呼ぶより、ましかもしれないが。

ただ、男前なんかと言われて喜んでいてはいけない。半分、馬鹿にされているようなもの。お前は、それしか取り柄がないとね。男は顔じゃないよ、心だよ、なんて言うつもりはないが、ある程度当たっているだろう。それが男女の明らかに違うところだ。男に対して、男前と言われて悦に入っているようじゃ、そのレベルはしれたことということ。

あれ、また変な方向に脱線。言葉の軽さの弊害は、むしろ流風か(笑)。それにしても、言葉の意味変化の流行は恐ろしい。ほどほどに使わないとね。でも、時々、使っている自分がいる。脳が汚染されたか(苦笑)。

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2009年10月 1日 (木)

こがれ死に、ということ

   ゆく蛍 雲のうえまで いぬべくは

        秋風ふくと 雁に告げこせ

                (在原業平、後撰集)

暑さがぶり返したかに見えたが、朝晩は、日を追うごとに秋らしくなっている。なかなか咲かなかった萩も、やっと咲いた。秋風は、まだ強く感じてはいないが。

最初に示した歌は、ある男に恋い焦がれた良家の女性が、こがれ死にしたことを、その母親に聞いて、男は駆けつけたが、もう既に、その女性は、この世のものではない。季節は旧暦6月の末で、まだ暑い季節に詠ったもので、日の入り後、少し涼しくなった状況を指しており、現実に強い秋風は吹いてはいない。

夜風にあたり、蛍が舞いあがるのを見ながら、情を交わすことができなかった無念を感じながら、男は、この歌を詠んだのであろう。結構、男は、こういう後悔をするものだ。だから、女性も、気持ちの意思表示を明確にした方がいいかもしれない(笑)。男は、概して鈍感だから、態度で示さないと、男には通じないものである。

さて、今でも、男女ともに、いろんな異性に、憧れたりするだろうが、こがれ死にする人は、さすがにいないかもしれない。大体、憧れるというのは、遠くから見て、その実体を知らないから(笑)。まあ、本当のことを知れば、憧れることもない。

ただ現代は、あまりにも、あけすけに相手が見えてしまうことが、異性の魅力を減じているとも言える。自分を全て見せることは、却って、逆効果なのだ。だから、大体は知っているけれど、わからない部分もあるというのが、望ましい。もちろん、悪意があれば問題だが。

でも、憧れる異性があるというのは、最早、羨ましい限りだ。あの若い時分には、もう戻れない。

*出典 『伊勢物語』

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2009年9月29日 (火)

映画『カムイ外伝』鑑賞

映画『カムイ外伝』を観てきた。以前、「小雪さんの犬」に関して、拙ブログで記したが、その時にも、『カムイ外伝』について、少し触れた。その時の記事の一部を若干、修正付加して再掲する。

「子供時代、この漫画はよく読んだものだ。白土三平の作品で、友達同士で、回し読みしていた。実際は、子供が読むような内容ではなく、かなり深刻なものなのだが、何といっても、当時は忍者物が人気があった。

カムイは、抜忍のため、追われ続けるという内容なのだが、いつまでも追われ続けるという過酷なものだ。毎回毎回、危機に陥り、新しい技で、切り抜けていく。とても真似は出来ないのだが、皆、技の名前を言って、その気になっていた。

今から、考えると、白土氏は、何を描きたかったのだろうか。忍者の過酷な世界を通して、作品の裏には、人は、時間に追われ続けるということを示したかったのだろうか。彼も、当時、締め切りに追われていたのではなかろうか。

表向きの深刻なテーマは別にして、そういう意味もあったのではないか、と思われる。映画の方は、かなり活劇が入って、面白そうである。日本の最近の時代劇は、活劇が足りなくて、不満だったのだが、それを満たしてくれそうだ」。

実際、映画を鑑賞してみて、感じたこととは、久しぶりに見る忍者物という感じだ。流風の子供の頃は、結構、忍者物が多く、特撮も多かった。それが、子供心に、わくわくさせたものだ。実際は、あんなに飛びはねたりはできないだろうが、結構憧れたものである。

ところが、最近は、日本の作品にそういうものがなく、不満だった。海外の作品は、そういうもので、結構人気があるのに、日本の作品は、それを無視。あり得ない忍法は、駄目と言うことなのだろうか。

この作品は、それを解消してくれる。ただ、当時と違って、CGを結構使っている。それが最近の傾向なのだろうが、どこか不自然さが漂う。あまり現実的でなくてもいいが、現実と錯覚させるような表現が望まれる。

あまりにも、現実離れしすぎると、若干しらけるものがある。CGは案外、使い方が難しい。特撮の方がまだ許せる。それでも、この映画は、結構楽しめた。今の日本の映画界に、観客は、こういうものを求めているのだと思う。

さて、映画の内容は、抜忍で逃亡者のカムイが、常に、心が落ち着くところはなく、猜疑心で、いっぱいだ。これは犯罪者の心理に似ているかもしれない。追われる人生が、いかに辛いことか。

であれば、人生を追う方がいいのかということになる。しかしながら、追忍も過酷な運命にさらされている。彼らは、抜忍を始末しなければ、国には戻れないだろう。追われる方も、追う方も大変なのだ。

そして、結局、どこに行っても、カムイ以外、ほとんど生き残らないという深刻なものだが、人間は、いかように生きても、いずれ死ぬ。死からは逃れられない。そういうことを間接的に教えているようにも受け取れる。カムイと言えども、いずれ死を迎えるのだろう。

別の見方をすれば、現代人は、自由と言いながら、知らず知らず、多くの拘束の中に生きている。真の自由を求めて、それから逃れようとしたり、あるいは逃れても、自分自身で、真の自由を獲得するのは、大変なことだろう。

全ての人は、限られた範囲内での、自由を享受しているにすぎない。それは真の自由からは、程遠い所にいると、この映画は、示しているのだろうか。またまた、変な解釈癖が出た(苦笑)。だが、この映画は、単純に楽しめる内容でもあるはずだが、それなりのメッセージを発しているのは否めない。

*映画『カムイ外伝』公式サイト

   http://www.kamuigaiden.jp/top.html

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2009年9月21日 (月)

海外に買い取られた美術品~『美しきアジアの玉手箱』を鑑賞

現在、神戸市立博物館で開催されている『美しきアジアの玉手箱』(シアトル美術館所蔵、日本・東洋美術名品展。平成21年12月6日まで)を鑑賞してきた。一般に、所蔵展というのは、総花的になりやすいが、この展覧会も、その域を出ないのは致し方ない。本来は、切り口を明確にして、テーマに基づく展覧会が望ましいが、海外に作品があるため、諸条件が厳しいかもしれない。

それにしても、海外に日本の多くの美術品が所蔵されているのは、嫌な感じだ。しかしながら、これは日本の側にも責任がある。日本は、基本的に「捨てる文化」なのだと思う。時代が大きく変わると、古いものを容赦なく捨て去る。その思い切りには、感心するほどだ。

明治維新後は、没落士族がたくさんの所蔵品を、二束三文で処分した。もちろん、彼らの経済状況からすればやむを得ない。だが、政府は、それらの文化遺産を守ろうとしなかった。極端な例では、お城だって、民間に払い下げしている。

最終的には、国が買い取った例もあるが、多くの文化遺産は、ほったらかしだ。それを見た欧米人で、美術に造詣の深い人たちは、タダ同然で買い上げている。それは戦後も同じだ。戦後は、戦前の華族の没落や農地法改正に伴う大地主の没落により、多くの美術工芸品が食糧に代えられた。

それらを彼らは、またタダ同様の価格で入手している。そして海外に流れている。ただ感心することは、それらの保管状態がいいことだ。彼らには美術品の価値を大切にする文化があるのだろう。それは感謝しなければならないかもしれない。彼らが所有しなければ、この地球上から、すでに失われていたと思える。

さて、この展覧会では、様々な作品が展示されている。ただ絵画、工芸品など、日本の作品だけでなく、中国、韓国、東南アジア、インドの作品もある。98点中、日本のものは、55点にすぎず、その他は、海外のものであるのは、物足りない。展覧会の趣旨だから仕方ないが、流風としては、今回は、あまり他国の作品には興味は惹かれなかった。やはりテーマがぼやけて、総花的展覧会の限界かもしれない。

*追記

『美しきアジアの玉手箱』(シアトル美術館所蔵、日本・東洋美術名品展http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/tokuten/2009_03seattle.html

なお、「鹿下絵和歌巻」は、期間中、ずっと展示されるが、「鹿下絵和歌巻断簡」に関しては、一部展示替えがあるし、展示期間も短い。大半は10月4日までの展示となっており、一幅は10月6日から18日までとなっているので要注意だ。また、これらは、国内所蔵分である。

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2009年9月20日 (日)

追慕の詩~李頎『題盧五旧居』

亡くなった人の家に行くと、その人がいるような錯覚に襲われるが、しかし、その人は、もういない。思い出の家には、懐かしい思いを馳せる。流風家には、もう母親はいない。よく泣き、よく笑った顔が思い出される。

漢詩にも、親ではないが、今は亡き知人を懐かしんだものがある。それは李頎(りき)の『題盧五旧居』で、そういう悲しさを詠んでいる。李頎は、現在の四川省の人。役人になったが、嫌になって、神仙の道を志したと云う。

この詩の題名に使われている盧五という人が、どのような人かは不明のようである。詩からは、先輩か友人のように思える。彼にとっては、良くも悪くも懐かしい人であったのであろう。深い悲しみが読み取れる。詩は、次のようなものだ。

  物在れども人亡くして見ゆる期無し

  間庭に馬を繋いで愁しみに勝(た)えず

  窓前の緑竹 空地に生じ

  門外の青山 旧時の如し

  帳望する秋天 墜葉鳴り

  ●(山に賛)●(山に元)たる枯柳 寒鴟宿る

  君を憶えば涙落つ 東流の水

  歳歳花開くも 知んぬ誰が為ぞや

解釈は、次の通りであろうか。

物質の世界は、何も変わらないが、人は寿命があるため亡くなって、二度とまみえることもない。盧五の旧居の庭に馬を繋ぐと、思わず悲しみがこみ上げてくる。人が住まなくなった庭には、空地に緑竹が生え、荒れ放題だ。ただ、門の外を眺めれば、緑の山々は何も変わらない。人が亡くなっても、変わるものもあるし、変わらないものもある。

季節は、天が高く、葉が落ちる音が寂しく、秋が深まりつつある。枯れた柳には、鳶がねぐらにしている。君のことを思い出すと、滂沱の涙が流れる。君がいなくなって、寂しさを覚えるがどうすることもできない。あるのは、私の心に宿る君の記憶だけだ。だが、花は、そういうこととは関係なしに、毎年、花を咲かせる。一体、誰に見せるためなのだろうか。人間の一生とは、儚いものよ。

流風の場合は、知人達は、まだ元気なので、そういう思いはまだない。だが、親への思いは、時々、感じる。知人たちに対しても、いずれ、そういう時を迎えるのであろうか。

  

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2009年9月12日 (土)

川面に浮かぶ紅葉

   嵐吹く 三室の山の もみじ葉は

        竜田の川の 錦なりけり

              能因法師 (後拾遺集、百人一首)

今回は、秋を題材にした文学を取りあげてみよう。ちょうど、ツクツクボウシも啼き終えたいることだし。上記の歌について、別に解釈を示す必要もないと思うが、一部の読者のために、若干、示しておこう。

三室の山とは、奈良県生駒郡の神南備山の別称らしい。ただ「み室山」となると、神のいます山ということになり、そういうことも含めて詠まれた歌かもしれない。

竜田の川は、同じく奈良県の西北生駒郡にある川で、上流は生駒川と呼び、大和川に注いでいる。近くに竜田神社がある。なお、表記には、「龍田」のものもある。

錦は、最近、着物を着る人が少なくなったので、触れる機会が減っているが、金や銀の糸や、様々な華やかな色の糸を用いて、華麗な模様に織り出した厚地の絹織物をいう。

歌の解釈としては、「嵐が吹き散らして、三室の山の紅葉は、竜田の川に浮かんで、それが水面に映えて、きらきらして、まるで、鮮やかな錦のようであったことよ」(*注)、ぐらいの意味であろうか。

また、竜田を歌ったものには、次のようなものもある。これは、謡曲『龍田』に使われている歌だ。この謡曲は、その他にも、いろんな和歌を組み込んで、作られているが、浅学な流風が記すには、限界がある。また、藤原家隆の歌の一部は、改変されて、「栬(もみじ)葉」が、「紅葉を」に、「渡らし」が、「渡らば」になっている。

    龍田川 紅葉乱れて 流るめり

         渡らば錦 中や絶えなむ

                   (古今集、読み人知らず)

    龍田川 栬(もみじ)葉閉づる 薄氷

         渡らしそれも 中や絶えらむ

                    (壬二集、藤原家隆)

二首ともに、龍田川を人が渡れば、それぞれ条件は違うが、その見事な紅葉で彩られた川を乱すことになると詠っている。そういうと、子供の頃、季節は違うが、女の子たちが、川に花びらを浮かべて遊んでいた。川は流れるので、花が流れる感じだった。それをやんちゃの男の子が川に入っていて、女の子から非難轟々だった。流風じゃないよ。

上記の和歌は、花ではなく、紅葉であるので、そのニュアンスは異なる。秋の風情ということで、感慨深いものがある。秋は、やはり、もの想いにふけるのがいいいのだろうか。流風は、美味しいものがいっぱい食べられるのがいい。花より団子ならぬ、紅葉より、果物(笑)。せっかくのいいテーマも台無しだな。

*注

一般的な解釈を示した。紅葉は、時期によっては、簡単に散らない。紅葉が風に散らされて、実際に川面に浮かんでいる場合も考えられるが、紅葉が川面に映り込んで、そのように見える場合もある。文学的には、そちらの解釈の方が面白い。

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2009年9月 7日 (月)

誰もが知っている“三本の矢”について

どの方もご存じの三本の矢は、毛利元就の遺訓と言われている。子供の頃、絵本にも、そういうものがあり、母が何回も読んでくれた。元就が臨終の時、三人の息子、隆元、元春、隆景を枕元に集め、諭した言葉とされる。

念のために記せば、それは、三人に、一本ずつの矢を渡して、それを折らせた後、三本の矢を一度に折るように命じた。ところが、誰も、それができなかった。それを見届けた上で、元就は、兄弟三人が力を合わせれば、一人でできないことも可能になる。そのようにして、毛利家を守り抜け、と言ったというものだ。

まあ、子供心に、力を合わせれば、一人でできないことは、できるようになるのだなあ、と感じたものだ。確かに、よくできた話だ。戦前の小学校の読本にも、載っているらしい。そのため、両親世代は、皆、それが事実と思っていたらしい。

だが、これは明らかに創作だ。もちろん、元就が、三人に、力を合わせよとは、生前言っていたようなので、全くの嘘と言うことではないかもしれない。ただ、元就の臨終時には、隆元は、すでに亡くなっており、三人が揃うということはあり得ない。それに、元就が臨終のときには、皆、ええおっさんだ(笑)。そんなことさせるわけがない。

ただ、元就は、生前、三人宛に、教訓的な書状を遺しており、そこでは兄弟の諍いを戒めている。そして本家の兄を盛りたてることを命じている。そのことを元に、子供たちのために、創作したのだろう。以前にも触れたが、絵本、童話には、そういうものが溢れている。そこには、子供に対する大人の意思が働いている。

大人の視点で見れば、内容的には、悪くはないが、歴史的人物の実名を使う以上、やはり問題視されても仕方ない。まあ、そんなことを言えば、娯楽時代劇は、全て駄目になってしまうから、そんなに難しく言う必要もないのかもしれない。だが、事実も知っておくのも大切だ。

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2009年9月 2日 (水)

兵庫県立美術館『だまし絵』展鑑賞

8月末に、兵庫県立美術館で開催されている『だまし絵』展を鑑賞してきた。夏休みも、最終ということで、子供づれの客が多く、大変賑わっていた。兵庫県立美術館では珍しいことではないか。あまり行かないので、本当のところはわからないが。

だまし絵、つまりトリックアートについては、過去にも、このブログでも、触れたこともある。基本的に、観る側の先入観により、絵画技法に騙されるわけだ。すなわち、常識の反対側を描いたものとも言える。これは画家のシャレとも捉えることができる。

一般に、女性も、見る方向で、美人に見えたり、見えなかったりする。いつかの『新婚さん、いらっしゃい』に出演していた、ある夫婦の新婦は、自分が不美人なので、どういう方向から見れば、美しく見えるか研究し、彼氏(現在の夫君)には、よく見える角度しか見せなかったという。

これなども、“だまし”のテクニックを使った好例だろう。旦那は、まんまと嵌められたわけだ。まあ、プロセスが、いかようであろうと、本人が幸せであれば問題なし(笑)。逆に言えば、美人に見えても、男は気をつけよ、と言うことかもしれない。美人と見えるのは、錯覚に過ぎないと。

このように、女性は、見る方向で、確かに印象は異なる。同様なことは流風も経験がある。右側から見るのと、左側から見るのでは、ほとんどの人は、全く印象が異なる。そして前面から見た場合とも異なる。

また、バックシャン(今は、こんな表現しないけれど、後ろ姿美人のこと)は、後ろから見ると、美しい髪をしていて、男としては、いかにも、そそられる風情なのだが、顔自体を見ての判断ではないので、実際見て幻滅ということがよくある。時々、見返り美人というのもあるが、滅多にない(笑)。

さて、その『だまし絵』展については、過去にも、似たような展示会を観ているので、そんなに期待もしていなかったのだが、意外にも面白かった。観客が多くて、その熱気に押されたからかもしれない。

西欧・米国のだまし絵と日本のだまし絵が紹介されていた。どちらも甲乙つけがたいが、西欧・米国は、絵画手法をフルに用いた、だましの意図がはっきりしているものが多く、若干、皮肉を込めている。

基本的に、テクニカル重視だが、人間の持っている常識を、裏側から見たようなものが多い。ただ、西欧文化がわからないと理解できないものも多く、その部分は楽しめない。他の西洋画同様、これらの鑑賞は難しい。

日本のものは、全体と部分、過去・現在・未来が同時に存在するという遊び心とユーモアが多いと感じた。例えば、画面から飛び出しそうな幽霊像の裏には、仏教・儒教・道教が反映されているのだろう。現世の存在の錯覚を指摘しているようにも捉えられる。

霊魂は、そこら辺に漂っていると示しているようにも見える。確かに、怖そうに描かれているのだが、そこには生きる人間に対する優しさが含まれているように見える。だまし絵も、使い方では、意外な効果を生むようだ。

*追記

それにしても、だまし絵は、さらっとという鑑賞は難しい。多くの絵の前で、人々は立ち止まるため、鑑賞には時間を要した。入口で、鑑賞用音声ガイドを有料で貸し出しているので、それを借りて解説を聞きながら、鑑賞した方がいいかもしれない。

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2009年8月29日 (土)

不十分な人

書店経営で思い出した映画で、『ユー・ガット・メール』がある。トム・ハンクスとメグ・ライアンが出演していた。あるメールのやり取りをした男女の物語で、題名は、メール着信音だ。実は、二人とも、書店経営者。女性の方は、個人書店。男の方は、大型ディスカウント書店の経営者。男は、女性経営者に自分の身分を知らせていないというものだった。

ありそうで、なさそうな物語だが、確かに、メールだけのやり取りだと、相手のことはよくわからない。本心は隠すこともできる。そこに危うさがあるとも言える。メールでは、いくらでも、きれいごとが書ける。相手の目を見て、書いているわけでもない。だから、嘘が見破られることもない。

この映画は、最終的に、ハッピーエンドになっているが、いつも、うまいこと行くわけでもなかろう。やはり直接会って、判断しないとね。そうすれば、直観力を働かせば、ある程度、いいことも悪いこともわかる。まあ、それでも、映画は、ハッピーエンドが望ましい。楽しみに行っているのに、気分が暗くなる映画は、ちょっとね。

さて、その映画の個人書店の女性経営者を演じているメグ・ライアン、今では歳を取ったなあ(笑)。そら、アラフィフだから仕方ない。彼女は自身の不倫とかで、離婚しているようだ。まあ、いろいろあったのでしょう。

ところで、映画とは関係ないが、彼女が言っている言葉を最後に挙げておこう。

 “ 私って本当に不十分な人。

   そして、私はそういう自分を愛している”

残念ながら、どう言う状況での発言かはわからないが、共感(笑)。完全な人間なんて、いないでしょう。人間は、一生、不十分なままで、いるのでしょう。あの世に逝った人を除いて。

でも、昨日より今日、今日より明日と、少しでも、よくしたいものです。まあ、流風なんて、少し油断をすると、昔に逆戻り。そういうことのないようにね(笑)。そして、不完全を補ってくれる他人がいればベストですね。男女関係に限らず、惹きあうのは、多分、そういうことでしょう。

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2009年8月27日 (木)

旧作映画の流通

最近の大抵の映画作品は、人々の目に接することなく、上映は打ち切られることが多いようだ。もったいないことだとは思うが、映画が作られ過ぎているのだろう。作る前に、何か審査のようなものも求められる。シナリオの作り込みが大切だ。

制作者が作りたいから作るというのは、現在の著作物同様、資源の浪費になりかねない。最終的に、人々の目に接しなければ、自己満足に過ぎない。もちろん、映画の流通についても、問題があることを否定しない。

たとえば、最近の映画は、期待の高い作品を除いては、大体、1週間の上映がほとんどだ。それでは、なかなか作品が浸透しない。昔のように、1年間上映されて、人気が徐々に上がるという手法は現在では取れないのだろうか。

その後は、一部はテレビで放映されるかもしれない。若い時は、よく録画して、観たものだ。中には、ずっと保存しているものもある。一部はDVDになって、レンタルされる。最近は、旧作だと、100円レンタルというものもある。

流風も、そういうもので楽しむことはある。だが、ビデオにしろ、DVDにしろ、映画館ほど楽しめない(ただ、自分の都合に合わせて観るのには便利だが)。映画館の雰囲気は、一種独特だ。多くの人々と一緒に映画を鑑賞するというのは、別の感動を生む。

ところで、そういうことに、やっと気付いたのか、ワーナー・マイカルが、一部のシネマコンプレックスに、旧作を上映する専用スクリーンを設置するようだ。やっと映画市場も、その必要性に気付いたのかな。この会社は、中高年に利用してもらい、平日の鑑賞者を増やす目的らしい。でも、若者にも、意外にも受けるかもしれない。

その鑑賞料が500円(*注)。だとすれば、流風なんて旧作になるのを待ちますか(笑)。新作は、あらゆる分野の新製品同様、評価が定まっていない。結構、観てから、がっくりというものもある。旧作なら、ある程度評価は固まっているわけだから、損はない。

さらに、数年前の作品だけでなく、50年前ぐらい前の名作も上映されるらしい。昔の名作は、白黒でも、それなりに味わい深いものもある。両親世代が楽しんだものが観られるのなら、これも楽しみだ。

特に、戦前、戦中、戦後をテーマにした作品は、見ごたえのあるものが多い。そういうものが、日常的に上映されれば、人々が戦争に苦しんだことを、若い人にも、ある程度理解できるだろう。早く、関西にも、そういう専用スクリーンが、展開されることを期待しよう。

*注

現在の新作の正規の映画鑑賞代は、1500円くらいが多い。そして特別の日や、特定の対象者に対して、1000円にしている。地域によっては、特別の催しに限って、映画鑑賞代も、新作でも特別鑑賞券などで安くしている時があるが、それでも、せいぜい1000円だ。

旧作が500円は、場所代を考えても、リーズナブルと思う。映画ファンを増やすきっかけになるかもしれない。

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2009年8月26日 (水)

離れ離れになった親子~謡曲『花月』

子供の頃、夕方になると、「夕焼け小焼け」の音楽が一帯に流れ、子供は早く家に帰るように自然と促された。最近の子供は、外で遊んでいるのをあまり見ないが、どこで遊んでいるのだろう。母は、少し帰りが遅いと、流風を捜し歩いたようで、遅れて帰って、よく叱られた。

暗くなって、遊んでいたら、誰かにさらわれて、ひどい目に遭う、とよく脅された。それは、当時、まだ時々見た角兵衛獅子にされてしまう、というようなことだった。あれは、物凄くしごかれるというのは、映画でも観たような気がする。

昔から、神隠しにあう、というようなことは、あったから、時代が変わっても、同様なことはあると、母は、流風の目を見て、真剣に語ったものだ。角兵衛獅子が、さらわれた子供かどうかわからないが、あんな曲芸は、運動神経の鈍い流風では、とてもできないだろうなと思ったものだ。

特に、水商売の集まりの繁華街へ行くことは厳禁だった。あの辺りは、いろんな人がいるから、危ないというのが、母の判断だったようだ。実際、子供の行方不明は、当時は、今ほど騒がれていなかったが、よくあったらしい。近所のおばさん達が、よく、そのような噂話をしているのを聞いたことがある。だから母の心配も、もっともな事だったわけだ。

さて、謡曲にも、子供がさらわれ、離れ離れになった子供を探すため、出家した父親の姿が描かれている。現代でも、いろんな事情で、親子が離れ離れになったりする。外国に拉致された事件も報告されているが、なかなか解決しない。拉致した人々は、親の悲しみがわかっているのだろうか。拉致した国が儒教国家だなんて、信じられない。決して、人間のやる行為ではなかろう。

ところで、今回取り上げる、その謡曲は、『花月』という。本来、冬の謡曲だけれど、それは無視(笑)。花月なんていうと、吉本の劇場名みたいだが、実際、どういう意味で、吉本は名づけているのだろう。そのことは措いておいて、そのあらすじは、以下、いつものように、流風が若干、脚色。

筑紫の彦山の麓で、左衛門と言う男が、一人の男の子と暮らしていた。その男の子が、七つの時に、彦山に登ったまま、行方不明になる。もともと、彦山は、七つ隠しで、当時問題になっていたという。

それも、少しかわいい子供だけを狙う。かわいい子供を狙うというのは、中世的と指摘する向きもある。現代では犯罪だが、当時は、かわいい子供を性的にかわいがるということがあった。小姓とかも、その類だろう。

そのような目的かどうかは不明だが、七つ隠しとして、自分の子供がさらわれる。ということは、かわいかったのだろう。左衛門は、ショックを受け、子供を探そうと、諸国を行脚するために、出家する(出家しないと、諸国行脚できない)。この男にとって、子供がすべてだったのだろうか。子のない人生は考えられなかった。

今は、父親は娘を可愛がり、母親は息子を可愛がるが、当時は、後継ぎの息子を大事にするから、そのようになったのだろうか。母親は、この謡曲では描かれていないが、すでに亡くなっていたのかもしれない。それが思いを強くしたのかもしれない。

諸国行脚する中で、ある年、京都の清水寺に詣でる。そこに、一人の喝食(佛家の食事の雑用をする童子姿の男を指す)が来て、やや大層な言い方(*注1)で、花月と名乗る。誰でも、親は子供に名づける時、それなりの意味を以て名づけるかもしれないが、彼の場合は、誰が名づけたのだろう。多分、売り出すための養父の知恵なのだろうか。当時、すでに、そういう専門家が生まれていたのかもしれない。多分、それは最初、僧侶辺りが始めたものであろう。

そして、小歌(*注2)を謡ったり、鶯が花を散らすとして、射落とそうとしたりする。また清水寺のいろいろの奇跡を縁起とする曲舞を長々と舞ったりする。 このように、清水寺縁起が、謡われる。こういう奇跡話は、誰が作るのだろうか。ちょっとした不思議な出来事に尾ひれがついて、広まっていくのだろうか。

そうこうする内に、左衛門は、この花月は、自分の息子ではないかと感じ取る。顔とか全体の雰囲気は、他人同士でも、長い間、離れていても、なんとなくわかる。ましてや、親子だったら余計のこと。

それで、いろいろ質問すると、間違いないと判断し、自分が親であることを告げる。これも清水寺の不思議か。滅多にない、離れ離れになった親子の再会。花月は喜び、天狗にさらわれて以来のことを舞いながら話す。その後、親子は、一緒に修行の旅に出る。

一体、この謡曲は、何を語ろうとしているのだろうか。表面上は、子供の時、さらわれた子供と親が再会することだ。その中に、いろんな仏道の話を交えながら、話が進んでいく展開だ。ところが、注記した、名乗りにしても、小歌にしても意味深だ。意味深というのは、考えすぎかもしれないが、本当の作意は案外、ここにあるのかもしれない。いろんな話をして、真意を隠すおばさん達の話に近い(笑)。

*注1

    月は常住にして言ふに及ばず。

  さて、くゎの字はと問へば、

  春は花、夏は瓜、秋は菓、冬は火。

  因果の果をば末期まで。

  一句のために残すと言えば、

  人これを聞いて、さては末世の高祖なりとて、

  天下に隠れもなき花月と、

  我を申すなり。

*注2

    来し方より今の世までも絶えせぬものは、

  恋と云える曲者。

  げに恋は曲者。

  くせものかな。

  身はさらさらさら。

  さらさらさらに、

  恋こそ寝られね

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2009年8月19日 (水)

カラオケ嫌い

以前にも記したかもしれないが、流風はカラオケが大嫌いだ。飲みに行くと、二次会は、どうしてもカラオケに行こうと言う人が多い。理由はわからないが、話すことがなくなれば、二次会では、カラオケで、時間を過ごそうとする考えからかもしれない。

だが、カラオケで、3時間とか、4時間過ごすという人の気持ちはわからない。確かに一種のストレス発散にしているのだろうが、やり過ぎれば、何事も逆にストレスになるはずだ。それにカラオケ環境はあまりよくない。インフルエンザの温床になっているとも聞く。不潔な環境のカラオケは多いかもしれない。

また、スナック等のカラオケも、頂けない。店側は、接客がその分、省けて楽だろうが、本来、カラオケのための店ではなかったはずだ。お酒は、ゆっくり嗜みたいのに、これらの店でカラオケに誘われるとうんざりする。

何も話さなくても、共通の時間を過ごすだけでもいいではないかと思うのだが、そうはいかないようだ。でも、他人の歌う歌を聞いても楽しくはないし、自分の歌う歌も、特に聞きたくもない。音痴な流風は特にだ。

もちろん、カラオケ愛好家を否定するつもりはない。しかし、全ての人がカラオケが好きでないということを知っておいて欲しいものだ。

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2009年8月16日 (日)

映画 『the Visitor』を鑑賞

基本的に、他人の推奨では、本を買ったり、映画を鑑賞したりしない。他人の感性による評価は、異なることが多いからだ。ただ、今回は、気まぐれで、他の予定を変更し、特別に、映画を観に行った。それは、時々、コメントをくれるSACHIさんが強く推奨したからだ。

その映画は、『the Visitor』で、邦題は、なぜか『扉をたたく人』だ。内容は、舞台は米国で、大学で教えている老教授が主人公。彼は妻を亡くし、教員生活も惰性に流されている。

20年間、教える内容は同じで、昔のことはわからないが、最近は一コマしか受け持っていない。それでいて、各所からの要望も拒否し、論文もろくに仕上げていない。今までに、書いた本は4冊ほどだが、それは共著が多く、それも名前を貸しているだけだ。

でも、このような大学の先生は、日本でも多いだろうな。せいぜい通学する学生向けに書いた教科書を押し付け、新たな論文は、発表せず、のうのうとしている。ただ在籍が長いだけで、教授の看板も、下されることもない。なんて楽な職業。一般教員同様、教授免許の更新が必要だろう。

あらら、また本題からずれてしまった(笑)。まあ、彼は、このように惰性で、無駄な時間を過ごしている。その彼が、ひょんなことからシリア出身の青年と交流を持つようになり、彼が、不法滞在者であることから捕まり、それを解決すべく奔走する。何か見えない力に押され、新たな生きがいを感じたのかもしれない。

だが、米国は、それまでいい加減な処置だったのに、9.11以後は、取り締まりが厳しくなり、彼は、米国を追放され、シリアに送還される。それまでの彼の周辺の人々(彼の母親や恋人)の交流や、アフリカの楽器(ジャンベ)に惹かれたことを織り交ぜながら、世知辛く、余裕のなくなった米国社会を見つめた映画と言えるかもしれない。

米国は、かつて、アメリカン・ドリームともてはやされ、誰でも成功するチャンスがあるとされた。しかし、今では、新しい人々を受け入れる可能性も薄れ、徐々に活力を失ないつつあるのかもしれない。制作者の意図はわからないが、それを感傷的に描いているのは、多くの米国の人々が何か限界を感じているのかもしれない。

この映画を、どのように評価するかは、観る角度で違うだろう。いわゆるインテリが、表面的な観察で、感傷的になっただけとも捉えられる。不法入国者の扱いについては、深くは表現していないのは物足りない。いわゆる上っ面の映画と評することもできる。

また、法治国家では、法の下に、個人は無力感を感じて、何もできないと諦めざるを得ないのが、限界とも言える。法治国家の秩序は守られなければならないが、ルールを変える努力を怠れば、社会を行き詰まらせてしまう。

ルールは人間の作ったもの。時代に合わせて、それを変える努力をしなければ、社会は進歩しないという見方を、この映画が示唆しているとも捉えられる。それでは、私達は何を変える努力をしなければならないのか。

これは、多くの人にとっての命題となるかもしれない。そして日本の命題とも重なってくる。考え、主張し、行動することが、今、改めて、多くの人々に求められている。惰性に流されないためにも。

*参考  『the Visitor』(邦題『扉をたたく人』)のホームページ

       http://www.tobira-movie.jp/

*追記

映画としての評価は、敢えてしない。SACHIさんほどの感動はなかったものの、入場料金1500円を回収するべく、鑑賞したので、それなりの解釈はできたと思う(笑)。大人の感傷映画と観れば、少々安っぽいが、それは見方の問題。いろんな面から鑑賞のできる映画と言えよう。

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2009年8月15日 (土)

見えないものは怖い~謡曲『羅生門』

最近、テレビで昔の映画『羅生門』が放送されていた。白黒だが、なかなかの出来だった。この映画は、記憶は定かではないが、子供の時にテレビで観たような気がする。

この映画の原作は、芥川龍之介の『藪の中』を主体に扱っているのだが、映画の題名は、『羅生門』になっている。確かに、羅生門は舞台の一つだが、少し違和感がある。小説の題名通り『藪の中』で、よかったように感じるが、制作者の意図はわからない。

芥川の『藪の中』は、確か読書好きの叔母が、芥川龍之介の本を小学生の時にプレゼントされ、その中にも収録されていた。小学生の理解では、大人の世界は、理解しようもないが、子供なりに、人の通らないところに行くのは危険だとか、旅行の時には、知らない人に気を許してはならないとか、そういう感想を持った記憶がある。本当の理解は、ずっと大人になってから(笑)。

ところで、謡曲にも、同じ題名で、『羅生門』がある。但し、内容は全く別のものだ。以前にも取りあげた源頼光の四天王の一人の渡邊綱の勇名を轟かした話である。あらすじは、彼らと、平井保昌と酒宴を催していた中で、保昌がちょっとした噂話を切りだす。

凡そ、酒宴となると、噂話や、自慢話。そしてシモネタ(笑)。それは男女、あまり変わらないのではないか。ここでは、噂話から、話が膨らんでいく。火のない所に、煙の立たないといわれるように、噂話も元がなければ、出てこないから、皆、聞きたがる。

さて、この噂話は、九条の南門である羅生門に鬼神が棲んでいて、日が暮れると人が恐れて通らないという。それを渡邊綱が聞き咎めて、そんなことあるはずがないと、保昌と言い合う。

それならと、確かめてこい、ということになって、言い出しっぺの渡邊綱は、証拠の札を頼光から授けてもらい、それを、羅生門に、その札を立てに行く。まあ、どの世界でも、言い出しっぺというのは、辛い目に遭う(笑)。本人は、そういう気がなくても、引っ込みがつかないことがある。

結局、渡邊綱は、皆が止めるのも聞かず、勇んで出かけ、門にその札を立てかけようとすると、鬼神が兜のしころをつかんで引き留めたので、太刀で鬼神の腕を切り落とすと、鬼は逃げて虚空に去る。一体、虚空て、どこなんだ。単に逃げただけかも。それを「虚空に去る」と表現すると、面白いものになる。

これで、渡邊綱は名声を上げたというものである。結果、良ければ、全てよし、の典型ですな。まあ、渡邊綱が、剛毅なものであったことは事実らしい。でも、ここでも、鬼神は何だったのかということになる。現実的に見れば、盗賊の一味だったことが考えられる。彼らは人々から奪ったものの隠し場所にしていたのだろう。

こんなことを書くと、流風は、また文学作品を貶めていると非難を受けそうだが、当時の人々にとって、見えないものは、全て鬼神であったのではと思う。だから、こういう解釈も許されるのでは。

凡そ、人は恐ろしいものは見たくない。お化け屋敷のように、楽しむのものもあるが、あれは人が作ったものであるとわかっているから、楽しめるのだ。当時は、治安は乱れていたし、安心して、住める状態ではなかっただろう。そこで、いろんな噂が流布する。それに尾ひれがつく。そんな状態だったのだろう。

そういうことをネタに、この謡曲では、渡邊綱の手柄話にして、盗賊を鬼神に代えて、制作しているのは、作者は、盗賊に配慮したというより、その方が面白くなるからだろう。受け手には、鬼神という見えないものが、いかにも存在しているように見せたかったのかもしれない。

作者は、観世小次郎信光と云われるが、実際は世阿弥であったかもしれない。いずれにせよ、彼の着想がこの作品になっているように思う。ますます深まる世阿弥に対する関心。彼はどんな人物だったのだろう。今後の関心項目の一つである。

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2009年8月 9日 (日)

20代の感性か~エリック・サティ 『ジムノペディ』

以前にも記したが、クラシック音楽に対しては、流風はミーハーで、そんなに詳しくない。だから、その音楽について、記しても、愛好家や専門家からは、馬鹿にされるかもしれないが、敢えて記す(笑)。

さて、流風の好きなクラシック音楽に、エリック・サティがいる。ただ彼の作品の中で、好きなのは、1曲だけで、『ジムノペディ』だ。あの、ゆっくりとしたテンポは、流風に合う。これはギリシャ東方音楽の特徴があると言うが、そういう専門的なことは別にして、心地よいので、時々聴く。

でも、この曲は、若い人の感性としては、異質に感じる。というのは、この曲は、サティが21歳の時の作曲とされている。作曲の趣旨は、ゆっくりと、悲しみ、苦しみ、厳粛さを味わうと言うもので、結構重い題材だ。

一体、彼に何があったのだろうか。その後、彼の曲には、このようなものはなく、不思議な感じだ。そして、後の作曲は、流風の判断では、『ジムノペディ』を超えていない。『ジムノペディ』が、あまりにもインパクトが大きすぎて、超えられなかったのだろうか。

エリック・サティが一発屋の感じで、段々と、曲想が悪くなっている感じがする。晩年の曲は、曲調は、若い人の感性になっており、これも違和感を感じる。むしろ、若い時に作曲し、後年発表したように受け取られる。妙な感じだ。

『ジムノペディ』が果たして、彼による作曲なのだろうか。どうも若い人の感性とはかけ離れ過ぎているように、流風には感じられるのだが。人々は、年齢にふさわしい感性を持つべきだろう。

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2009年8月 8日 (土)

“ノーモア・ヒバクシャ”を考える

米軍による広島・長崎への初めての原爆投下は、約20万人の悲惨な死を招いた(その他に、空爆で、一般人が40万人亡くなっている)。それは、多くの一般国民の生命の殲滅だった。これは、ナチによるホロコーストを超えるものだろう。

日本への投下は、米国の人種差別もあると言われる。未だに、米国は、これを正当化を主張し、反省していない。父は、米国とロシアは、決して信用してはならないと、生前よく言っていた。人間に対する大した哲学もなく、ご都合主義の三流国と断言していた。

そのことはともかく、日本は唯一の被爆国である。ただ報復主義では何も解決しない。それでは、世界は破滅するだけだ。今後、このような悲しみは、世界のいかなる国においても、招いてはならない。昨日、NHKでは、特集の「ノーモア・ヒバクシャ」が放送されていた。

日本は被爆国として、世界にもっと日常的にアピールしなければならないのに、政治面では、為政者は、従来、米国への配慮かもしれないが、遠慮気味だった。やっとオバマ大統領の発言に伴い、日本も核兵器に対する考え方を明確にすることが可能と認識しているようだが、その意識の低さに愕然とする。日本が被爆国であると、本当に理解しているのか。

そして、核兵器は使える武器ではない。未だに、核兵器に対して、一部妄想を持つ指導者が世界にいるが、その妄想を早く捨てさせる必要がある。それは使えば、もはや地球を破壊させてしまう。自国だけ助かるということはありえない。

また日本の軍事専門家・政治家等の一部は、日本も核兵器を持つべきだとなど、議論する輩がいるが、彼らは、日本が唯一の被爆国だと言う認識が薄いのは非常に残念だ。核兵器の所有が防衛と考えるのは、世界の一部の妄想指導者同様、むしろ危険な存在でもある。

国を守るものは、何も武器だけではない。被爆国家として、“ノーモア・ヒバクシャ”の国際世論を作ることに意義がある。被爆者の苦しみを、最早、いかなる国の人々も味わうべきではない。“ノーモア・ヒバクシャ”でなくてはならない。これは、日本の国是にしても、いいくらいだ。そして、それを全世界に根付かせる必要がある。

確かに、これからも、正義と正義のぶつかりあいで、世界の争いは無くならないかもしれない。しかし、いかなる場合も、核兵器は使わないという共通の理解は、意思疎通しておかなければならない。

あらゆる国は、相手国の存在があって、はじめて自国も存在できる。相手国民を殲滅させても、いずれ、その死の灰は、自らに、あらゆる意味において、自国民に降りかかってくるという認識を深めるべきだろう。

このような状況下、むしろ、一般の国民が一人ひとり強く意識して、政治家等をリードしなければならないのかもしれない。世界から核兵器をなくすことを、多くの困難を伴うかもしれないが、日本がリーダーシップを発揮して、世界の人々の共通の認識にするようにしなければならない。

それが被爆国の使命だろう。そして、それは一人ひとりの意識の仕方で大きく変わる。さあ、世界の人々を巻き込んで、これからも、“ノーモア・ヒバクシャ”を、一人ずつ推進しよう。そして、同じ意識の仲間をもっと増やしていこう。

*参考

  http://www.nhk.or.jp/no-more-hibakusha/link/

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2009年8月 6日 (木)

タレントブログの条件

いろんなタレント(俳優等も含む)のブログがある。必ずしも、売れている人ばかりではない。これからの人や、過去に人気があったが、今は一線から身を引いている人が再挑戦する場合や、方向転換・イメージ転換をはかるために、ブログを開いている人もいる。ブログは、イメージ戦略とアピール手段として、利用しているのかもしれない。

むしろ、売れっ子は、忙しいので、ブログどころではない。そういう人たちは、大概、オフィシャル・ホームページでお茶を濁している。それゆえ、彼らの考えていることは、ファンの会員になって、特別の情報をもらわない限り、わからない。基本的に、非公開の立場をとっている人たちが多い。公開すれば、そのイメージギャップによるイメージダウンを恐れているのかもしれない。

さて、タレントブログを書くのは、いろんな動機があるだろうが、基本的には、自分をよく知ってもらいたいからだろう。本音では、売り込みであるかもしれない。彼らは、認知されなければ、売れっ子にならないが、そのための手段として、ブログが活用されているのだろう。

そして、比較的書くことが好きな人が多いかもしれない。ただ現在は、携帯メールの延長のような文章も目立つ。それゆえ、内容はほとんどない小学生の作文に近いものが多い。

しかしながら、文章がうまいから、売れっ子になるとは限らない。その辺が、このビジネスの面白さであろう。一般企業で、学校エリートが必ずしも出世するとは限らないのと同じだ。但し、馬鹿では、芸能界で生き残れない。文章がうまければ、別の世界で生きられるかもしれない。能力開発の一つにはなりうる。

またブログトップに、出演情報などを記す例も多いが、うざいのも事実だ。タレントブログを読む人は、そういうことを知りたいのではないだろう。そういうものは、別ページに記せばいいことで、ブログトップに持ってくるのは、どうかと思う。宣伝臭を強くして、ああ、この人は自信がないのだなと、思われるのが関の山だ。

タレントブログは、事務所の意向もあろうが、基本的に、その人の人間性を伝える場ではないか。だから、小学生のような日記もいいが、自分が何を考え、どうしたいのか、伝えなければ、タレント価値は高まらない。つまり常識とセンスが問われているのだ。

競争の激しい業界だろうから、いかに存在価値を明確にしていくかが、ポジショニングを決定する。もちろん、採用される条件は、それだけではないだろうが、息の長いタレントになるには、自分の価値を高める日頃の進化が、大切である。

*注記

この業界については、何も知らないので、あくまでも、一般人の見解である。

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2009年8月 4日 (火)

心頭滅却すれば、、、。

今年の夏は、雨が多いせいか、そんなに暑くない。朝方も、比較的涼しく、過ごしやすいと言えよう。それがいいのか悪いのか、一概には言えないが。作物には、虫がつきやすく、被害も大きいかもしれない。

それでも、昨日、やっと近畿でも、梅雨明宣言をしたようだ。これからは、本格的に暑くなるのかな。暑いのは、暑いので、それは大変だが、やはり夏は暑い方がいい。ただ、外へ出て、少し運動すると、かなりの汗が出てきた。下着がじとっとしてきて、汗でびっしょりだ。

ただ、心頭滅却すれば、火もまた涼し、と思えば、ある程度、暑さ感は避けられるのであろうが、凡人には、なかなか、この領域には達しない。ただ、暑いと思えば、余計に暑く感じるのも事実だ。意識しないように努力するとしますか。でも、暑い(笑)。

この言葉は、恵林寺の快川和尚が、織田信忠に取り囲まれて、焼き打ちされた時、言ったため、有名になった。

  安禅不必須山水 

  滅却心頭火自涼

(安禅は必ずしも山水を須(もち)いず、心頭を滅却すれば火も自ずから涼し)

快川和尚がも火に囲まれて、言ったというのだが、誰が伝えたのだろう。ちょっと、嘘っぽい(笑)。多分、日頃から、そのような言葉を発していたのだろう。

この禅語は、『碧厳録』の第四十三則に対応したものと云われている。そこでは、寒暑が到来したが、どのように回避すべきでしょうか、という問いに対して、避ける必要はないとしている。

すなわち、暑い時は暑いし、寒い時は寒い。それを避ける無駄な努力をするより、とことん暑さ寒さを透徹すべきだと、説いているのだろうと云われている。「云われている」というのは、『碧厳録』は、表面上の解釈では、なかなか理解しがたいものだから。

ただ僧侶でわからないものを、俗人には、表向きの解釈で考えるしかない。せいぜい心頭滅却して、光熱費を節約しよう(笑)。まあ、庶民は、暑い暑いと言いながら、夏を過ごし、やがて秋になり、冬を迎えて、寒い寒いと言う。

そうして、一年を終え、毎年繰り返す。地球温暖化と言われる時代でも、寒暖の差はあった方がいい。それでは、夏を楽しもう。でも、今年の夏は、いつまで続くだろうか。

    

   

  

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2009年8月 2日 (日)

ちちんぷいぷい、と言うと、、、、。

ちちんぷいぷい、と言うと、関西某局のテレビ番組の名前になっているが、この言葉は、どういう意味で、採用しているのだろう。子供の頃、母が擦り傷を負った流風の脛を消毒して、軟膏を塗りおわってから、確か、そう言っていた。そう言えば、早く治る呪いなのだろうか。となると、この番組は、世間に疲れている人々の癒しを目指しているのかもしれない。

さて、この言葉は、一説によると、これは春日の局によって作られたものらしい。まあ、多分に、こじつけの感じもするのだが、それは次のようなものと云う。

  “智仁武勇は御世の御宝”

さあ、“智仁武勇”を何回も言ってみよう(笑)。ちちんぷいぷいに聞こえましたか。実際、言ってみると、そのように聞こえないこともない。かなり訛っているけれど。そういうと、そういう、こじつけをするラジオ番組もあったような。ちょっと無理があるようにも思うが、当時の日本の方言・言葉遣いからすると、あり得ないことでもない。

まあ、智仁武勇を発揮すれば、怪我も止むなし、というところか。御世のためにのためには、怪我も厭うな。武家封建社会の心がけというところか。まあ、一生懸命にやっていると、怪我もしないと言うけれど。戦時中、相手の弾を恐れたものは、戦死し、無我夢中で突っ込んで、何とか大きな怪我をせず生き残った人もいる。

現代でも、ちちんぷいぷい、は有効なのだろうか。一生懸命やっていたら、誰かが見守って助けてくれるのだろうか。でも、脛に疵持つ身(*注)を解消してくれるわけでもなさそうだ。流風にも、誰か、ちちんぷいぷいと言って(笑)。

*注

念のために記すけれど、ここでは深刻な意味ではありませんよ。ちょっと軽い意味です。まあ、小さい恋に破れたとか(笑)。ブログは、いろいろ解釈する人がいるので、難しい。まあ、流風の文章力に問題があるのかも。

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2009年7月31日 (金)

母の読書

母の読書法は、自身が語っていたように、斜め読みの速読だった。その点、精読の父とは、全く対照的に逆だった。以前のブログにも記したが、母は家事があまり好きでないらしく、まあ、それでも、今の若い人と比べれば、結構やっていたが、暇があれば、本を読んでいた。

読書傾向としては、いろんなジャンルのノンフィクションや小説とともに、『婦人画報』とか『婦人公論』なども、読んでいたと思う。流風が学校に上がると、学校図書室からの貸しだしは、ほとんど母の要望によるものだった。

借りた本を数冊持ち帰ると、嬉しそうに、すぐさま家事の手を止めて、無心に本を読み始める。その間、家事は完全ストップ(笑)。そんな時、夕食は、子供から見ても、明らかに手抜きだった。父も諦め顔だった。それらの本好きの理由は、はっきりとは分からないが、戦前・戦中と、読書がままならなかったのかもしれない。それゆえ、本に飢えていたのかもしれない。

翌朝、起きると、母が目を真っ赤にしている。本を深夜まで読み続け、あまりにも感動して泣いてしまったという。そういうことが毎回だった。まあ、涙もろい母だから、そうなったのだろう。でも、子供向けの本を読んで、感動するのだから、いつまでも少女の気持ちだったのかもしれない。

ただ、有難いことは、母が、読んで本のあらすじをわかりやすく説明してくれるので、読書感想文は楽だった(笑)。かなりの速読なのに、あらすじはいつも正確だった。感想文は、流風が書くものの、結構、母の感想が入っていたと思う。そのようにして、図書室から借りた本は多いと思う。先生は、よく読書する生徒と勘違いされたかもしれない。

流風が学校を卒業してからは、気になる本の書評を見つけては、あれを買ってこい、これを買ってこいと依頼があった。そして、また貪るように読んでいた。しかし、一回読むと、父のように再読はなく、もったいないが、全て処分を流風に任された。それが唯一の贅沢だった。流風が関心のあるような本なら、読むのだが、関心のないものがほとんどで、図書館に寄贈したり、ゴミとして捨てた。年に30冊~50冊ほどで、数十年、ずっと続いた。

それらのほとんどが、半日ないし1日で読んでいた。本当は、もっと読みたかったに違いない。その母も、晩年は、眼が悪くなり、あまり読めないことを辛そうに語っていた。読書好きの母にとっては、眼がよく見えなくなったことは辛かったことだろう。もう少し、長く、読める状態だったら、よかったのにと時々思う。

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2009年7月30日 (木)

映画が観られない!

最近の映画の興行はどのようになっているのか、わからないが、よく思うことは、少し関心を持った映画が、なかなか映画館で鑑賞できないことだ。少しマイナーな映画だと、やっと見つけた映画館でも、日程の都合で、行けないこともある。大体、一日しか上映されない映画をどのようにして観よというのか(実際は、公開が1日だけということはないが、イメージとしては、そんな感じ)。

つまり、やっと都合をつけて、観に行こうとしても、1日遅れれば、上映は、すでに終わっており、次の作品の上映になっている。そういうことで、見逃した作品は数知れずだ。一体、映画館業界は、どのようになっているのだろう。採算上、止むえないのは、わかるが、もう少し何とかならないのか。

別に、大きな映画館でなくてもいいし、シネマ・コンプレックスでなくてもいい。どこかの文化会館や美術館の小さいホール、博物館のホールでも、学校でもいい。そういうところでも、新作を予約制で、ある一定の期間、上映してほしい。現在のようなことが続けば、映画業界は、折角のファンを逃すことになるだろう。

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2009年7月15日 (水)

アラフォー女優の身長は伸びるのか

昨夜の熱帯夜で、頭がぼぉーとしているので、軽いネタで本日は、済まします(笑)。

さて、ある個性派女優のブログを見ていると、そのプロフィールの身長が、事務所のオフィシャルのプロフィールのものとは異なっていた。そのアラフォーの身長が、ブログでは、3センチ高い。よく芸能界は、歳を誤魔化すというが、この身長のケースはどうなのだろう。

一般に、男は18歳くらい、女性は16歳くらいで、身長の伸びが止まる。もちろん、個人差はあるし、20歳代になっても、伸びる例はあるらしい。だが、アラフォーでは、どうだろう。何か、特別の訓練と食事内容で、伸びることがあるのだろうか。

まあ、この女優の場合は、正確な値は、ブログの数字が正しかったが、長い間、訂正しなかったのかもしれない。でも、それなら、オフィシャルの方を訂正してほしいな。まあ、どうでもいいことだけれど(笑)。歳のせいか、つまらんことに気がつく。

でも、あなたのことだよ。ある女優さん。ブログも、刷新され、以前のものより数段よくなった。それでは、その女優さんは誰でしょう。当ててごらん(笑)。当てても、何も差し上げられないけれどね。

*追記

正解は、坂井真紀さんでした。最近、結婚されたようで、彼女のブログは明るいですよ。更に身長が伸びるのかは、わかりません(笑)。

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2009年7月11日 (土)

中国テレビドラマ『三国志』を視聴

子供時代、中学生から高校生にかけて、父に薦められた中国関係の書籍がある。なぜか父は読めとは言わなかった。それはそう言えば、流風が反発して読まないだろうと考えていたのだろう(笑)。そういわずに、「あれは読んだか」「これは読んだか」という言い回しだった。流風の性格をわかった上での薦め方である。

そして、その推薦書としては、『史書』、『十八史略』、『菜根譚』、そして『三国志演義』だった。その他にも、『千字文』は父も蔵書していたが、特にこれは薦めなかった。これは、もっと幼い年齢を対象としたものだったからかもしれない。

だが、結局、学生時代は、大学生の時も含めて、読むこともなく、読んだのは、全て社会人になってからだ。『史書』に関しては、国内に適当な翻訳本がなくて、陳舜臣の『中国の歴史』で代用し、『十八史略』、『菜根譚』は、一通り、目を通した。

しかし、残念ながら、『三国志演義』に関しては、未だ通読できていない。断片的に、いろいろ読んで、知識としてはあるが、全編知っているかと言われれば、否である。

その、『三国志演義』のドラマが、現在、サンテレビで『三国志』として、放送されている。制作は中国であるが、吹き替えがしてあるため、わかりやすい。但し、午前11時の放送なので、録画して、視聴している。

映画『レッド・クリフ』では、「赤壁の戦い」にスポットをあてて、制作されていたが、この『三国志』では、全編描かれているようなので、その前後関係も含めて、よく理解できる。知っている内容のものもあるが、やはり面白い。

もちろん、これは小説であり、細部に関しては、歴史的事実ではないことが大半だろう。それでも、著者の羅貫中の人間観がよく出ていて、日本でも、よく読まれてきて人気があったのはよくわかる。ただ、この作品は、当時すでに流布していた講談を羅貫中がまとめたとされる。

だから、どこの国でもそうだが、歴史的事実関係は、極めて曖昧で、いい加減な部分もあるとされる。そういうと、父も、日本の浪曲や講談は、創作がほとんどだから、嘘っぽいと嫌がっていたのに、なぜ、この『三国志演義』を薦めたのだろう。

それは、この小説の人間観が優れていたからかもしれない。父は、日頃の理詰めの言動とは異なり、「情」のある小説を好んだ。そういうことが、人間が生きていくうえで、大切と思って、子供に薦めたのかもしれない。

このテレビドラマを視聴し終わったら、その『三国志演義』を読むとしますか。それで、やっと父との約束が完了する。

*平成21年8月5日追記

本日で、放送が終了。全編を通じて、知っている内容のものがほとんどで、違和感はなかった。またCGとかを使わず、大量のエキストラを使っているのは、中国らしい。また時代考証も、しっかりしていると思う。ただ、全38回で描くのは無理があったと感じられる。ところどころ、雑な描き方になっている。感想としては、まずまずかなという感じ。また中国人が捉えている三国志の内容だった。やはり国威発揚の意思が感じられる。まあ、これは仕方ないか。作品『三国志演義』自体が中国のものだから。

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2009年7月10日 (金)

雨の歌~20年前のCD(橋本一子)から

本は割と整理処分するのに、CDは嵩が低いためか、どうしても御座なりになる。それでも、やっと重い腰を上げて、今回整理にかかってみた。大体、クラッシックが多いのだが、それも十分聴きこなしたものは少ない。クラシックを聴きますと言えば、聞こえはいいが、はっきり言って詳しくはない。全く、ミーハー的(笑)。

いろいろ見ていくと、若い時に、気まぐれで時々買ったものが、積み重なって、たくさんある。クラッシックの他には、軽音楽とか、映画音楽のものが少しある。後は、親が遺した古い歌謡曲のテープやCDが割とたくさんある。いずれ処分しようと思っているが、なかなか思い切れない。あ~あ、今回も、整理できないのかな。

そういうものも含めて整理していると、懐かしいCDが出てきた。流風が20年ほど前に買ったものだ。確かFMで流されていたので、衝動的に購入したものだ。若い人には、無駄遣いはいけませんよと、よく言っているが、流風も、若い頃は、それなりに使っていたかもしれない。

そして、そのCDが、橋本一子さんの『ロマンチックな雨』というものだ。当時は、音楽だけ気に入って、買ったのだと思うが、改めて歌詞を読んでみると、作詞も一子さんが手がけられているのだが、なかなか面白い。20年目で、初めて気付く、この間抜けさ(笑)。

女性にしては、結構、哲学的で、なかなか難しいことを歌詞にしている。流風も、今の歳になって、やっと理解できるような。当時は、歌詞を読んでも、あまり理解できなかったのではないか。流風と同じ年代だから、頭のいい人は、時代を先行するんですね。

その割に、音楽の方は軽いから、そのアンバランスが不思議だ。と思いながら、一子さんのブログがあるということで、アクセスしてみた。そうすると、彼女は、そのアルバムにある「すこしときどき」を今でも、歌われているとのこと。

また最近、ニューアルバムを発売された。『Arc'd-X(アークト・エックス)』というものだった。ということで、久しぶりにCDショップに行き、ミーハー的に衝動買い(笑)。若い人には、衝動買いを戒めながら、自ら破っている、この愚かさ(苦笑)。そして聴いてみると、ガーン。ダンスミュージックだった。いつもは視聴するのに、慎重さが足りなかったか。

若い人には受けるだろうが、中高年男には、ちと辛い。『ロマンチックな雨』から20年たてば、音楽も変わるのはわかるが、ちと変わりすぎ。まあ、それでも、20年も経てば、仕方ない。折角だから聴いてみると、それは基本はダンスミュージックがあるが、それにいろんなジャンルの音楽が重なっている感じで、フュージョン化している。

ただ歌詞がないので、イメージしにくい。多分、ご本人は、歌詞がなければ伝えられないものは作品ではないと考えているのだろう。それは、『ロマンチックな雨』の歌詞の中にも、そういうことが歌われていたように思う。

音楽を身体で感じ取り、それをダンスで表現し、コミュニケーションできる。それが本来のあり方で、そういう感性を持つ必要があるということだろうか。確かに、そう言われると、現代人は、文字に追われ過ぎているのかもしれない。そのため、本質を見失っているといいたいのかもしれない。文字は、余計なものかもしれない。

彼女は、独特の感性で掴んだものは、言葉では伝えられなくて、音楽を通じて伝えていこうとしているだろう。そういう意味では、彼女は、“現代の巫女”なのかもしれない。彼女の本当の考え方は、わからないが、この2枚のCDからは、そのように捉えられる。その間のCDは買っていませんので、聴いてもいませんから、あまりにも大胆な推論だが(笑)。

でもね、果たして、何を伝えようとしているのか。CD内に、若干の説明書きはあるが、それがヒントなのだろう。否、それが答えかもしれない。だが、皆が皆、音楽から、その伝えたいことをわかることはないだろう。

できれば、DVDで、ダンス映像と一緒にしてほしかった。もちろん、それでも意図は汲めないかもしれない。でも、わかる方にはわかるのだろう。まあ、それはそれとして、梅雨空を眺めながら、再び『ロマンチックな雨』を聴いている。

そして、『Arc'd-X(アークト・エックス)』が理解できるには、更に何十年も要するのだろうか。CDは、一向に片付かない(苦笑)。

*参考

  ブログ *    橋本一子のnajanaja生活

               http://ub-x.txt-nifty.com/blog/

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2009年7月 8日 (水)

のぞきはダメよ~謡曲『安達原』(下)

謡曲『安達原』は、結構上演されるので、ご存知の方も多いと思う。なお『安達原』は、曲題は、そのようになっているが、読みは「安達が原」だ。安達原は、テキストによると、福島県岩代国安達郡大平村黒塚だそうだが、今では、地名も変わっているかもしれない。

例によって、多少、茶化しながら、流風的解釈で、そのあらすじを見ていこう(長いので、覚悟してください)。能や謡曲を鑑賞する前の、予習的解釈だ。この能は、まだ鑑賞していないので、観た後は、解釈が違ってくるかもしれない。念のため。

一、那智の東光坊の阿闍梨、祐慶一行は、回国行脚の途中、日暮れに安達原に着く。

山伏修行として、日本六十六カ国を廻る順礼廻国は、どうしてもやらねばならない。そのため、今回は、遠国陸奥の旅で、安達が原に着いた。修行とはいえ、当時は、何の交通手段もないわけだから、当然徒歩で行ったのであろう。托鉢行脚とはいえ、大変なことだ。まあ、人生も、同じことかもね。

二、いつものように野宿をしようと思ったが、幸い一件の庵を見つけ、宿を乞う。

当然、夕方になれば、眠るための休息場所を確保しなければならない。しかし、当時は、ホテルも旅館もない。野宿すると言っても、当時は、狼をはじめ、野生の動物がたくさん、うろうろしている。火を焚けばいいとはいうものの、それはそれで大変だ。冬であれば、野宿も難しい。民家が、運よく見つかればいいが、田舎に行けば、案外見つからない。と思ったら、運よく、灯りが見つかり、宿を乞う。

三、宿の主の女に、中に通してもらうと、そこに枠桛(かせ)輪があり、これが何か興味を持つ。

再三の交渉により、泊めてもらうことになったが、そこの主人は賤しい女だった。だから、侘しい住まいである。それでも、いつもの野宿に比べれば、有難い。ふと見ると、そこに木でつくられた四角い枠のものが置いてある。少し気になって、これは何ですかと聞くと、これは麻を紡いで作った糸を巻き取るものです、と答える。

四、枠桛輪が、どういうものかわかってもらうため、女は糸を手繰って見せて、その動きから、人の身のはかなさを嘆く。

子供の頃、母が、不要になった毛糸で作られたセーターなどをほどいて、糸をこのようなもので巻き取っていた。よく手伝いをさせられたものだ。巻き取ったものを、更に今度は、毛糸玉に丸めていく。今では、そんなことをしている家庭はあるのだろうか。

女は、糸を毎日、巻き取るような日々の繰り返しを嘆く。人間生活は、多かれ少なかれ、そんなものだろう。非日常が連続で続けば、疲れてしまう。案外、平凡なのが幸せなもの。

祐慶は、真の道にかなっておれば、日々に明け暮れ、暇なく暮らせば、浄土への道が開かれると説く。あれこれ思う人間の迷いが、不幸を生んでいるのだ。人間の寿命は限られている。その中で、夢見たところで、儚いものだ。

そういうことを延々とさらに述べる。いくら真実とは言え、少しくどい(笑)。そういうと、お寺のお坊さんの説教も確かに長い。足のしびれが気になって、段々、話が耳に入らなくなる(笑)。修行が足りませんか。すみません。

五、夜も更けて寒くなってきたので、その女は、薪を拾いに外出すると言う。ただ留守中に、閨の中を決して見てはいけませんと言って、出かける。

そうこうするうちに、夜寒になってきた。薪が不足してきたので、それを拾いに出かけると言う。薪というのは、予め、準備しておくものだが、急な来客で、女手では、それを用意するのも大変なのだろう。

そして、このブログのテーマ、留守中、閨の中を決して、のぞいてはいけませんと、女は言う。人間と言うのは、他人の秘密を知りたいもの。さてさて、祐慶たちは自制できるか。

六、しかし、能力は、のぞこうとするので、祐慶は、それを止める。

能では、中入り後、間狂言で、示される。能力は、『鶴の恩返し』のお婆さんの役割。能力(のうりき)とは、霊能力をもった者のこと。能力は、怪しいと感じていたので、祐慶に進言すると、彼は約束を守ろうとする。

約束を守る前提条件は、確かにそれぞれ違う。身の危険を感じているのに、約束を守ると言うのは、少し愚鈍かもしれない。常識を守る人々の間では、約束を守らなければ、信用されないが、非常の時には、それはルール外だろう。だが、それを見極め、こういうことを適宜判断することは、案外難しい。常日頃から、危機意識の高い者に限って、感じ取れるのだろう。

七、能力は、祐慶たちが寝入ったすきに、のぞきに行く。

ここも、間狂言。能力は、あくまでも、自分の判断を信じて、のぞきに行く。この能力の判断は、結果的に正しかったことになる。だが、その判断が、間違っていれば、どうなったか。『鶴の恩返し』と同じような結果になったかもしれない。

八、のぞくと、あら大変。閨の中にあったのは、山と積まれた人の死骸。

まあ、誰だって、驚くわな。現代的に言えば、殺人犯の住まいに、宿を借りたわけだから。それも、死骸は一つや二つではない。まさに、女の怨念がこもったような感じ。どのような人生であったかはわからないが、男に騙され、道ならぬ道を歩み続けたのかもしれない。

九、慌てた能力は、急いで、祐慶たちに教え、これを確かめると、庵から急いで逃げ出す。

祐慶も、それを聞いて驚いただろうな。実際確かめてみると、死骸の山。これでは、あの女に殺される前に、庵を退散するのも、尤もだ。いくら宿に困っても、安易に宿を求めてはいけませんよ、と言っているようにも思える。

十、すると、先ほどの女が、鬼女となって追いかけてくる。

のぞかれて、本性を見破られた女は、ついに鬼女として現れ、彼らを追いかける。でも、鬼女とは何だろうか。結局、迷い人のように感じられる。鬼女でなくても、女性は捉われの心を持つと、よく言われる。

現世第一と考える、現実主義者の女性は、なかなか、諦めの境地には至らない。しかし、捉われるのは、程度は違えど、男も変わらないかもしれない。いきなり、悟る人間など、どこにいようか。捉われ迷うのが人間。それを人生修行で、コントロールできるかどうかは大切だが。修行は、必ずしも、宗教者だけに限らない。生きるという修行は、皆、知らず知らずやっている。

十一、祐慶たちは、これを祈伏するため、必死に祈る。

ここでは、鬼女を何とか祈伏して、身の危険を取り除こうとする。祈伏すると言うのは、基本は、魂を鎮めること。念ずる効果は、現代でも、認められている。

そういうと、流風が子供の頃、病気をした時、母が仏壇の前で、しきりに念じていた。何を念じていたかは知らないが、念じるとことで、子供の病気は治ると信じていたようだ。その姿を見て、子供心に、早く治らないといけないと思ったものである。

十二、ついに鬼女は、祈伏され、恨み声を上げながら、消えていく。

鬼女は、祈伏され、恨み声をあげなから、といっても、案外、鬼女は安らかだったかもしれない。誰かに念じてほしかったのかもしれない。孤独で、思い込みが、不幸をスパイラルにしていくのも、一つの事実だろう。

この能は、比較的人気があるが、なぜだろう。のぞきという、人間の弱さか、人は自分一人で迷ってはいけないということだろうか。見方によって、いろんなことを教えてくれる。鑑賞者が、いろんな観点から、想いを致すということが人気の秘密かもしれない。ただ、いきなり鑑賞すると難解だろうな。

ブログのテーマとして見ていくと、のぞきも、場合によっては、認められるかもしれない。のぞきはダメよ、と言っておきながら、それを否定するつもりはないが、それもケース・バイ・ケースだ。現代日本人は、頭だけで考えずに、身体感性をもっと磨くべきかもしれない。中途半端な感想になってしまったが、いずれ、能を鑑賞したら、また記してみたい。

*追記

能『安達原』が、六甲アイランドにある神戸ファッション美術館5階オルビスホールで公演されるようだ。

時:平成21年9月20日(日)開場17時30分 開演18時

チケット: 前売り4000円 当日4500円 特別自由席

なお、事前解説(能楽セミナー)が8月18日15:00~17:00 にあるようだ。入場料1000円。公演チケットがあれば無料とのこと。

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2009年7月 7日 (火)

のぞきはダメよ~謡曲『安達原』(上)

7月7日は七夕であるが、これは、織姫と牽牛(彦星)が一年に一回逢うという話で話す人が多いだろう。しかし、本来は、棚機というお盆の行事の一環と棚機津女の伝説が重なりあったものらしい。

つまり、棚機は、精霊棚とその幟を安置するのが、7日の夕方という行事と、日本の、水辺で機を織りながら、神の訪れを待つ少女の伝説と合わさったもののようだ。

だから、どうも織姫と牽牛(彦星)が一年に一回逢うというロマンティックなものとは、少し違うようだ。こういう話は、中国で始まった。ただ日本の伝説にしたって、神を待つ少女と言っても、その「神」は、多分、身分の高い男性だっただろう。実際、その子供を産むのだから。

そう考えれば、織姫と牽牛の話と重ねても、おかしくはない。要するに、遠距離恋愛。どこの国でも、同様な話はあるということだろう。それに、先祖を迎えるお盆の棚機の行事が重なっただけだ。いずれにせよ、結果的には、待つと云う行為には違いない。

さて、今回は、七夕の話ではないが、もう一つの機織り女の話に触れておこう。よく見てはいけませんとか、してはいけませんとか言われると、見たくなったり、したくなる。それが人間の性(さが)なのだろう。

それを抑えることは、大人でも、案外難しく、規制されると、余計にやりたくなる。人間社会では、それを法で制限しており、それを犯せば、罪を問われることになっているが、法を犯す者も絶えない。社会秩序を保つためには、大切なのだが。

童話でも、『鶴の恩返し』では、機織りしている娘に、織っている姿を見てはいけませんと言っているのに、結局、お爺さんとお婆さんは見てしまう。それでは、ここで、突然、問題。機織りしている娘の姿を見ようと、最初に言ったのは、お爺さんでしょうか、お婆さんでしょうか。子供時代のことを思い出してください(笑)。

  ・

  ・

  ・

  ・

  ・

答えは、お婆さんですね。お婆さんがお爺さんにのぞきたいと言って、そそのかすのです。やはりお婆さんの方が野次馬根性が強くて、見たがりなのでしょうか。案外、男は、若い娘の言うことに従うかもしれません。

娘さんをお持ちのお父さん、如何です。ボーイフレンドのことを心配しながらも、意外と、娘の言うことを信じてしまう。そして、母親だけが真実を知っている(笑)。まあ、女性の母親の方が、カンが働いて、真実を知ってしまうのでしょう。

次回は、そういう、のぞきの場面が出てくる、謡曲『安達原』について、少し触れてみよう。但し、この題名は、観世流のもので、他の流派では、『黒塚』としている。

次回に続く

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2009年7月 2日 (木)

ある男と、その愛人~謡曲『花筐』(下)

男大迹皇子は、結局、照日の前と別れを告げ、都に上るのだが、その後の、この謡曲のあらすじについて、流風の独断の解釈を添えて触れておこう(笑)。

一、越前にいらっしゃった男大迹皇子は、皇位継承のため、側に仕えていた照日の前に使いを出し、手紙と花筐を贈り、賜った照日の前は故郷に泣く泣く帰る。

花筐とは、花摘みに使う籠のことだ。流風なんて、籠など使わず、切った花を鷲掴み(笑)。そんなもん、あらへんもん。さすが、宮人。別に宮人でなくても、籠ぐらいは使うかな。そういうと、流風家にも、野菜籠ぐらいはどこかに。

二、彼女と別れて後、皇子は上洛されて、継体天皇になられる。彼は、照日の前に未練がなかったわけでもない。文の中に次のような言葉がある。

  誘われ行く雲の上。廻り逢ふべき月影を。

  秋の頼みに残すなり。

  頼めただ袖ふれ馴れし月影の。

  暫し雲居に隔てありとも

いずれ、迎えたい気持ちはあるようだ。まだ都に行かれて、日も浅いから、未練はあるだろう。まだね(笑)。

三、帝は、玉穂の都に御宮を造成され、一段落ついたので、ある日、紅葉の行幸を遊ばれる。

  萬代の恵みも久し富草も。

  恵みも久し富草の。

  種も栄ゆく秋の空。

  露も時雨も時めきて。

  四方に色添ふ初紅葉。

  松も千歳の緑にて。

  常盤の秋に廻り逢ふ。

  御幸の車早めん御幸の車早めん。

天皇に即位されたことで、世が安定し、きちんと回っていることを確かめに行かれるのであろうか。本来、行幸とは、そうしたものだろう。単に自身の楽しみだけなら、意味がない。庶民の生活の状態を把握して、為政の参考にする。

四、帝の手紙の文言は信じたいが、心揺れる照日の前。君を慕う気持ちは、ますます強くなり、思い余って、御文と御花筐を携えて、侍女とともに都へ赴く。

でも、こういう事態になると、簡単に捨ててしまう男も多いから、女性の方は不安やろうな。そりゃ、いくら文があったとて、そんなもん、あてにはできひんわ。愛は移ろいやすいもの。

天皇の周囲には、美女ばかりだろうし、都に入れば、いろいろ世話する人も出てこよう。いくら寵愛された照日の前とは言え、長いこと逢わなければ、日々に疎し、ということで、天皇の気持ちも離れるかもしれない。居てもたっても、いられない照日の前。

五、そうすると、ちょうど行幸に行きあい、その前に進み、帝を妨げたので、供奉している官人が、「無礼者」と、御花筐をたたき落とす。

気も動転しておれば、もう逢いたいという気持ちでいっぱい。行幸に行きあったのでなくて、多分、事前に調べはついていたのだろう。しかし、前後の見境もなく、帝の行幸をわざと妨げる。ただ、これは男から見ると、少し厄介。これほどまで慕ってくれるのはいいが、こういう女性は、愛を独占したがる。当時の天皇は、夫人(妃)がたくさんいる。その中で、うまくやっていけるのかな。実際、継体天皇は、后以外に、7人の女性を侍らせている。

六、しかし、照日の前は、おじけることなく、「これは帝から賜ったものである」と告げ、帝と会えない苦しみを嘆く。武帝と李夫人の反魂香の故事を語って、恋慕の情を述べる。

花筐を、はたき落した官人は、こりゃ大変と、驚いただろうな。罰せられる可能性高いし、えらいこと、やってしもうた。今後、照日の前から嫌がらせを受ける可能性がある。ああ、どうしよう。そんな官人の気持ちとは関係なく、照日の前は、延々と恋慕の情を語る。武帝と李夫人の反魂香の故事については、以前のブログで取り上げたので省略。

七、訝った官人が、帝に確認すると、それはまさに照日の前に与えた花筐であった。帝は、その女が、照日の前と確認し、連れ帰る。

帝が、花筐を確認すると、まさに照日の前に与えたもの。これはいい機会と連れ帰る。帝も、どのようにして連れ帰るか、思案していたのかもしれない。そういうことで、めでたし、めでたし、となっている。なお、この花筐の物語から、恋しい人の手馴れし物を「形見」と呼ぶようになったという。なるほどね(笑)。

先の説明でも、触れたが、照日の前は、少し情が深い。それだけに取り扱い注意(笑)。こういう女性は、どうしても感情的になりやすい。関係がうまくいっている時はいいが、少し気持ちが行き違うと、ちょっと大変。継体天皇も、その後、苦労したのではないかな(笑)。

*注記

基本的に、上記の解釈は、継体天皇の場合、あり得ないことを記しておく。上記の解釈は、あくまでも、一般的な男女の場合の解釈である。念のため。

というのは、この照日の前は、継体天皇即位前に、後の安閑天皇、宣化天皇を産んでいる。出自はともかく、皇子を二人も産めば、左うちわ。随分と権力風を吹かせたのかな。尾張目子媛とも云われたそうだが、実際、詳しいことは伝わっていない。

つまり、継体天皇の出生年は、不明で西暦450年頃と云われている。他方、皇子たちは、安閑が466年、宣化が467年出生となっている。ということは、継体天皇が即位した時は、58歳だから、皇子たちは、もういい大人。すなわち、皇子を引き連れての即位であったわけだ。

だから、その母親を放ったままにすることは、まずあり得ない。むしろ、話としては、継体天皇の即位に伴い、新しい后を迎えることで、照日の前と、揉めた可能性の方が高い。テーマの持って行きようにズレが感じられる。

この作品は、云い伝えなのか、創作なのか不明だし、世阿弥元清の作とされるが、それもはっきりとはわかっていない。随分とぼかしている。

ということは、世阿弥時代の、どこかの権力者を、遠まわしに、揶揄している可能性の方が高い。登場人物を現在の人を使えば、当局から、うるさいことを言ってくるかもしれないしね(笑)。そういうことで、この作品が作られたのかもしれない。

いずれにせよ、かなりの脚色が入っていると言える。まあ、時代的に、権力者のことは、悪く描けないしね。現代で言う、歴史小説の類と同じかもしれない。でも、暗くなくて、楽しめる内容には違いない。

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2009年7月 1日 (水)

ある男と、その愛人~謡曲『花筐』(上)

大体、後継ぎが必要な家でも、次男坊は、外に出される。昔は、農家は、長男が財産を継ぎ、次男以下は、養子とかに出された。まだ養子はいい方で、自分で仕事を探し、食い扶持を見つけなければならなかった。

それが武家階級の人々でも同じで、次男坊以下は、どちらかと言うと冷や飯を食わざるを得なかった。例えば、吉宗は、次男坊と言っても、上にたくさん兄がいたから、紀州家を継ぐことはあり得なかった。ところが、兄たちが次々と病気でなくなったりして、お鉢が回ってきて、紀州家を継ぎ、ついには将軍家さえも継いでしまう。

ここら辺の人生模様は不思議と言わざるを得ない。それが天の配剤と言ってしまえばそうだが、世の中、いろんな運命の人があるものである。今回取り上げる、謡曲『花筐』も似たような話である。

『花筐』と言えば、少し脱線するが、昔の作家で、花登筐(はなとこばこ)という人がいた。特に関西の商家を題材にした小説が多かった。『銭の花』という小説は、テレビで『細腕繁盛記』として放送され、話題になったものだ。この作家のペーネームは、『花筐』を参考にしたと言われている。当初、この筐の読みが分からず、変な名前と思ったことを覚えている。

さて、この謡曲『花筐』の主人公の一人は継体天皇である。そもそも、彼は、応神天皇の5世で、天皇を継ぐことは、まずありえなかった。越前の国で、呑気で気楽かもしれないが、この地で終わるのかと、鬱々と過ごしていたかもしれない。

ところがである。時の武烈天皇が、後継を定めず、お亡くなりなったものだから、朝廷は大騒ぎ。誰かおらんかということになって(笑)、探し求め、白羽の矢が立ったのが、男大迹(おおあとべ)皇子だった。すなわち、後の継体天皇。

現在でも、天皇家では、少し前までは、皇太子に男のお子様がいらっしゃらなくて、周囲は大騒ぎしていた。男系天皇は、ある意味、世界遺産だから、これを遺すために、皆が憂慮するのはよくわかる。でも、昔のように、后以外に、たくさんの妃を持つことができない以上、皇子を産むことは、至難の業。そのことをどう考えるかですよね。

そのことはさておき、男大迹皇子には、すでに寵愛している女性がいた。その女性の名は、照日の前。名前から察するに、ぱっと明るくしてくれる女性だったのかな(笑)。ちょっと暑苦しい感じもしないわけでもないが、田舎で鬱々としていたなら、その存在は大きかったかもしれない。

次回に続く。

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2009年6月27日 (土)

美術館か、ギャラリーかという問題

日本の美術館には、大変規模の小さいものがある。これが果たして、美術館と呼べるのだろうかというものまである。所詮、これらはギャラリーではないかとよく感じる。それなのに、結構高い料金を取る。展示数で料金を決めるものではないだろうが、100点以下で、1000円近くとるのは、全く解せない。

本来、美術館として、入場料を取れるところは、本当は限られているのではないか。以前、公共投資として、上物投資された“美術館”という残骸が全国にあるが、大半は企画内容も大したことないし、もうこれらは、明らかに美術館と言うには、おこがましいのではないか。

そうであれば、ギャラリーに格下げするか、他の美術館と合併・再編して、真の美術館にすることが求められている。文化政策には、どことも少し甘い所がある。しかし、これらにも大ナタを振るい、無駄な文化施設の見直し・転換及び、予算の大幅な削減が求められる。

*追記

基本的にギャラリーは無料であり、そのような美術館まがいの施設は、ギャラリーに変更して、NPOあたりに運営を任せればいい。その中で貴重な美術品は、国立美術館等が買い取りすればいい。

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2009年6月25日 (木)

方言による文章は傲慢か

かつて著名な作家の方が、文章の中に、方言を入れるのは、独善主義とか、語っておられたような記憶がある。しかし、果たして、そうなのだろうか。この作家の出身地はわからないが、東京方面の生まれではなかったのか。残念ながら、確認はできないが、そんな気がする。

もちろん、方言を使えば、その意味は、その地方に住む人にしか理解できず、作品としては、限界があることはわかる。しかし、今はネットで調べれば、わかるし、どうしても伝えたかったら、注記すればすむ話だ(*注1)。

例えば、以前にも少しふれたが、『源氏物語』の現代語訳でも、標準語で訳せば、そのニュアンスは微妙に違ってくる。やはり、その訳は京都弁(*注2)でなくてはならない。京都弁の微妙なニュアンスがわかれば、『源氏物語』の真の理解ができるだろう。

確かに、これまでの訳者は、それなりの努力はされているが、ニュアンスを伝えるために、余計に文章が長くなり、本来の文章の美しさを伝えきれていないのだ。これは、『源氏物語』だけに限らない。古典の京都文学はすべてそうだ。

こう考えると、方言のもつ地域性や文化は、それなりに尊重されてもいいと思う。方言の意味を知らない方に、伝える努力も大切だが、方言のもつ文化を知ってもらうにはいい機会とも言える。

*注1

確かに、方言ばかりだと、他の地区の人には、まったく理解されないかもしれない。その辺は程度問題だろう。内々の文学なのか、広く読まれたい文学なのか、という差で、方言の扱われ方は異なる。

*注2

京都弁を方言とすることに違和感を覚える京都人も多いかもしれないが、ここは例証として、勘弁頂きたい。

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2009年6月24日 (水)

翻訳しやすい日本語で話すこと

義務教育の小学生での英語教育が盛んに言われるが、あまり成果を上げていないようだ。小学生での、バイリンガルは、脳を混乱させるだけだろう。言語は、文化であり、きちんとした教養のない上に、自国言語以上の言語を学べば、混乱するのは当り前である。

外国語は、基本的に学びたい人だけが学べばいい。全ての日本人に英語が必要なわけではない。きちんとした日本人としての意見が言えることがまず優先される。

ただ、国際交流時代に、外国語に触れる機会は、日常的になりつつある。その中では、異文化のコミュニケーションは必要になってくる。そこで、求められるのは、通訳や翻訳機を利用するにしても、翻訳しやすい、わかりやすい日本語を使うことだろう。

そうすれば、翻訳が的確に行われて、コミュニケーションは、スムーズになる。だから、むしろ話し方の訓練が求められる。結論から話すというのも、一つの方法だろうが、基本的に短いセンテンスで話す方が伝わりやすい。そのような話し方の工夫をすることが、国際社会でのコミュニケーションをスムースにすることだと考える。

ただ、話したいことを明確に話すことは、簡単なようで簡単でない。日頃からの伝わりやすい話し方の訓練が必要で、日本人に求められているのは、まさにそういうことであって、外国語教育がすべてではない。

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2009年6月21日 (日)

茄子と和尚

家庭菜園で、今、夏の野菜の定番、キュウリと茄子と、トマトの苗を買ってきて植えている。それを日経流通によると、「自産自消」というらしいが、まあ、流風が作るのは、どれも、所詮、趣味の範囲内だ。それほど、たくさん作るわけでもない。

それでも、一応順調に育ち、キュウリは先日、1本収穫し、そのあとに2本収穫した。1本は、収穫が一日遅れたため、少し巨大化(笑)。後、4~5本はできるだろう。茄子は花が咲いている。実はなりかけているが、収穫は少し先のようだ。トマトは、何個か青い実をつけて、少しずつ大きくなっている。これも、しばらくすれば収穫できるかもしれない。

さて、今回は、落語の話だが、茄子関係のものを一応取り上げておく。公演はあまりされない。ちょっとシモネタでもあるからだろうか。

嫁に茄子を食わすなとは言うけれど、ある和尚さんが茄子好きだった。女性は、イモ、たこ、南京が好きと言うけれど、流風も、どれも好きだ。別に男が食ってもいいでしょ。この和尚さんは、嫁ではないが、茄子がお気に入り。

茄子は炒めものにしても美味しいし、漬物、あるいは焼き茄子なども堪らない。生姜醤油につけて食べると、天下一品だ。先日は、茄子の煮物を作ってみた。出汁は、二つの方法を取る。一つは、エビを甘辛く焚いて、その出汁で、茄子を煮る。もう一つは、出汁雑魚(煮干しのこと)で出汁を取り、砂糖、醤油、みりんで味付けし、煮る。油を少し落とした方がいいかもしれない。ちなみに流風はゴマ油を少し、風味づけに入れる。どちらも美味しい。

この和尚さんも、どのような料理をしていたかは不明だが、寺の後ろの空きスペースとなる庭に、毎年、茄子を作っていた。手入れを十分するものだから、実もたくさん成る。それを食べるのを楽しみとしていた。

ある年に、お盆の施餓鬼を終えて、ホッとして、夜は湯浴みをした。施餓鬼は、仏教徒なら、みな御存じなように、たくさんのお坊さんによるお経が延々と続く。だから、施餓鬼は長い時間、お経を唱えるので、聞く方もお経を上げる方も大変だ。終われば、ホッとするのは、お坊さんだけでなく、檀家の皆もそうであろう。暑い季節だから、湯浴みすれば、多少疲れも取れるかもしれない。

後は、庫裏でくつろぎ、寺男も盆踊りとかで出かけたので、夜食に酒を飲みながら、くつろいでいた。どうも、生臭(なまくさ)坊主のようだ。僧侶としての規範を守らず、呼び名を変えて(般若湯など)、肉や魚や酒を食らう。まあ、僧侶を聖人扱いするのは、洋の東西を問わず間違っているは思うが、節度は必要だ。

そうすると、眠くなって、うとうとしていた。そこへ、若い娘登場。こりゃ、危ないぞ(笑)。酒とくれば、女、相場は決まっている。坊さんの恋は、はりまや橋だけに限らない。そして、その娘が言うには、「私は、日頃可愛がってもらっている畑の茄子でございます。いつものお礼に、肩でも揉んでみせましょう」と言う。きたきた、何か魂胆があるぞ。

ところが、その和尚は、無防備にも、酒のお酌をさせる。そして、後は、よくある、男と女の仲、契りを結んでしまった。据え膳食わぬは、男の恥だなんて、いうけれど、あんたは、一応僧侶でしょ。困ったもんだ。でも、今の宗教界でも、あるんでしょうね。

事を終えて、これは厄介なことをしてしまったと思ったら、目が覚め、夢だったと気付いた。ああ、よかったと一安心(笑)。それでも、この和尚は、「これは、愚僧が、まだ修行が足りなくて、煩悩に迷わされている証拠だ」と気付き、そのまま寺を出で、諸国行脚の旅に出かけてしまった。

何年かして、寺の近くまで戻ると、畑を歩いていた小さい娘が、「おとうちゃん」と走り寄ってきて、足にすがりつく。以前、流風も、祭りで、小さな子供さんに、間違われて足にまとわりつかれて、同じことを言われた(笑)。和尚は、「これはこれは、何かの勘違い。私のような世捨て人に子供はいない。どこの子供さんかな」と言う。

しかし、娘は、「いや、確かに、おとうちゃんだ。今から7年前、施餓鬼の晩に、茄子のお腹に宿った子供です」と言う。まさかと思ったが、「もしや、誰かと。親はナスとも、子は育つか」とオチ。

この落語は、馬鹿げていると言えば、馬鹿げている。しかし、若い女性に迫られたら、どうするか、という問題は残る。それが誰かの差し金なのか、本当に好意を持ったからなのか。そういうことも、男の修行と言えば、一般人にも、同じことが言えるかもしれない。

一時的な歓喜のために、子供ができて、養えるのか。子供を責任を以て養育できるのか。単に親はなくても子は育つともいうが、それでいいだろうか。やはり無責任な男女関係は避けるのが望ましいと言うことだろう。やはり、家庭菜園の、茄子、キュウリ、トマトの収穫で満足する方がいいようですな。これらだったら、いくらできても、食べるだけ。できすぎるのも困るのだけれど。

*追記

もちろん、この落語はフィクションであり、事実ではありません(笑)。でもね、・・・。

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2009年6月19日 (金)

地域ミニFM局の面白さ

最近は、地域オリジナルのミニFM局が、あちらこちらで開局しているが、聞いてみると、意外と面白い。全てがすべて、自局の作成ではなさそうだが、結構、方言が入っており、面白いのだ。そして地域の観光情報なども流されており、旅行者にも楽しい気分を届けてくれる。

確かに、今は、ネットや携帯で、それらの情報は入手できるが、ミニFM局から流される情報もなかなか捨てがたい。地方に行くと、まだまだ娯楽も少ない。これは、いずれテレビのデジタル放送で、ある程度、解決するだろうけれど、それでも、地域が発信する、コネタの情報による情報発信は貴重だ。

音楽の選定にしても、懐かしい音楽が流されることもあり、それは地域のリクエストから、そうなるのかもしれない。地域住民の要望に応えていたら、そうなるのであろう。これも、なかなかいいことだ。

そして、仕入番組として、東京制作の情報番組も適切に組み込まれているのもあるようだから、それなりに番組の多様化も図られている。こうなってくると、大都市のFM局の番組は、案外、若者だけを対象としているのとは差別化を図り、今後は、狭い範囲での、きめ細かな、いわゆるミニFM局は、ますます増えていくのだろうと思う。

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2009年6月11日 (木)

価値あるものとは

昔、ある人が、高価な茶碗でも、使わないのなら、それは意味がないと語っていた。確かに、使えば、割ったり、欠けたりするであろう。だが、その高級な茶碗で、食事をすることに、本来所有している意味がある。

同様に、美術品でも、蔵の奥深く所有して、一般にはほとんど目に触れないようにしている所有者もいると聞く。そんなものは、自己満足に過ぎないのではないか。美術品は、多くの人の目に触れて、初めて価値を持つものだろう。

また時々、テレビなどで、個人が持っている骨董品の評価がなされている。見ていくと、へぇー、こんなものに、そんな価値があるのか、ぴっくりするようなものもある。

しかし、それは永久に続く価値ではないように思われる物が多い。確かに希少性とかが、一定のある人々には需要があるとすれば、それは価値があるものなのだろう。だが、それは狭い市場での価値で、汎用性はないだろう。

結局、それは持つ人の自己満足に過ぎない。そう考えると、市場が大きくならない骨董品は、財産的には、あまり価値がないということになる。

ただ、思い出すことがある。子供時代、友達と廃坑に行って、水晶や黄銅鉱などを採掘して、家に持ち帰り、大事にしていた。しかし、ある時、家に帰ると、入れておいた空き缶がなくなっている。どこを調べてもないので、母に尋ねたら、ゴミのような石ころがあったので捨てたとのこと。しばらく、母とは口をきかなかった。

これほど、悲しくて、腹が立ったことはなかった。第三者から見ると、大したものでないものも、本人にとっては宝物である場合がある。骨とう品も、その類と言えないこともない。

ということは、その人の一生において、密かに楽しめる価値があるのなら、一代限りの道楽としての意味があるかもしれない。流風は、それは否定しない。誰しも、そんな無駄遣いは、多かれ少なかれ、しているものだ。

単に、論理的に価値がないから、そういうものは持たないというのも、一つの生き方だろうが、感性的な無駄遣いは、ある程度認めた方が、生活に潤いがあるだろう。但し、他人に処分されないようにね(笑)。

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2009年6月10日 (水)

小雪さんの犬

小雪さんのオフィシャル・ホームページを何気なく見ていたら、彼女の飼っている犬が、ブログ風に紹介されていた。これは最近、掲載を始めたようだが、犬を飼っていない流風から見ても、かわいいなと思い、引き込まれる(*注参照)。

女優やタレントのオフィシャル・ホームページと言うと、仕事のアピールばかりが目だったりして、味気ないものが多いが、小雪さんのは、彼女の愛犬を掲載することによって、その飼い主の人柄までも、表わしているようで、いい感じだ。

さて、彼女の作品は、以前にも、『わたし出すわ』という映画に絡んで、記したが、この映画は、10月からロードショーらしい。紹介した者としては、鑑賞せねばなるまい。

そして、彼女が出演している他の作品に、映画『カムイ外伝』があるのには、少しびっくり。子供時代、この漫画はよく読んだものだ。白土三平の作品で、友達同士で、回し読みしていた。実際は、子供が読むような内容ではなく、かなり深刻なものなのだが、何といっても、当時は忍者物が人気があった。

カムイは、抜忍のため、追われ続けるという内容なのだが、いつまでも追われ続けるという過酷なものだ。今から、考えると、白土氏は、何を描きたかったのだろうか。忍者の過酷な世界を通して、作品の裏には、人は、時間に追われ続けるということを示したかったのだろうか。彼も、当時、締め切りに追われていたのではなかろうか。

表向きの深刻なテーマは別にして、そういう意味もあったのではないか、と思われる。映画の方は、かなり活劇が入って、面白そうである。日本の最近の時代劇は、活劇が足りなくて、不満だったのだが、それを満たしてくれそうだ。9月19日ロードショーとある。

さらに、フジテレビで、山崎豊子原作、『不毛地帯』のドラマにも出演されるようだ。あの瀬島龍三氏がモデルだ。彼のことは、このブログでも、取り上げたので、関心がある。彼は、関東軍の参謀総長だったが、ソ連にシベリアに抑留され、帰国後、商社で活躍したり、日本政府の仕事をしたりしている。毀誉褒貶の多い人物だが、彼なりの苦闘の物語と言える。このドラマで、どのように表現されるのか、見てみたい。10月から半年間の放送予定とか。

たまたま関心のある映画やドラマが続く。それに小雪さんが出演されている。こんな紹介記事を記していると、流風は、まるで、小雪さんの忠実な広報「犬」のようだ。でも、見返りの餌はいりませんよ(笑)。それにしても、こんな話題作に、次々と出演されて、恵まれている女優さんだと思う。実力もあるんでしょうがね。

*注   http://koyuki.jp/soy/

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2009年6月 5日 (金)

ブランドで買う人々

世の中には、流風からすると、不思議な人々がいる。それは商品の内容も確認せずに、ブランドだけで、物を買う人々だ。それは企業の業務内容や業績も知らずに投資する人々と似ている。もちろん、ブランドを掲げているということで、ある程度の信用はできるのは確かだ。

だが、そのブランドの内容は、日々変化している。いかに有名なブランドでも、毀損していることはよくあることだ。例えば、有名になる前は、こつこつと職人が、手間をかけて作っていたものを、あまりにも売れるので、それに対応するため、外注に出して、間に合わせてしまう。外注に出せば、似たものは作れるかもしれないが、初期の精神は失われている。

今、世界でブランド物というものは、そういうもので溢れているのではないか。ある意味、随分、怪しいものが出回っていると言って過言ではない。それはコピー商品のように偽物ではないかもしれないが、「本物」ではないだろう。もちろんブランド物でも、きっちりと管理している企業の物はまだいい。でも、今は玉石混交と言ってよいだろう。

このようにブランド物は絶対ではない。そして、これは物だけでもなさそうだ。有名な作家の、新作の小説が内容も不明なのに、バカ売れしているらしい。流風は、元来、ベストセラーには、手を出さないが、内容もわからないのに、ベストセラーとは恐れ入った(*注)。

日本には、まだまだ無駄遣いしている人々が多くいるということだろう。お金の使い方には、もっと慎重であるべきだろう。

*注

彼の作品は、過去に一冊だけ読んだことがある。この作家の手法は、膨大な日記と、その分析に基づくものだ。もちろん、彼の無理のない考え方が反映されているのだろう。人々が過去を忘れ去ったことを利用して、既視感で呼び戻そうとするのが、基本的な彼の戦略だと思う。それが人々に支持されて読まれるのは、別に否定はしない。

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2009年6月 4日 (木)

反魂香の話

反魂香については、以前にも少し記したが、能や落語の題材に使われたりして、人口に膾炙されているとはいえ、興味を引く話なので、もう一度、覚えとして詳しく記してみる。

漢の武帝が、河北出身の李延年という歌舞の師匠から、『絶世傾国の歌』という詩を聞かされる。それは次のようであったという。

   北方に佳人有り

   絶世にして独立す

   一顧すれば人の城を傾け

   再顧すれば人の国を傾く

   寧んぞ傾城と傾国とを知らざらんや

   佳人は再び得がたし

まあ、全詩を通じて、言いたいことは、私の国には、絶世の美人がいますよ、という意味。もし、よかったら紹介しますよ、という含み。大体、権力者に取り入るには、人、物、金と相場は決まっている。人とは、女性のこと、物は貢物、金は賄賂のことですね。

特に、権力を握った男は、美しい女に弱い。彼は、そこに付け込もうとしたのだ。女を世話すれば、いずれ、その関係で、自分たちも重用される。そういうことを期待してのことだろう。そういうことは、歴史の中で延々と繰り返されてきた。

実は、この絶世の美人は、李延年の妹のことだった。名前は不明だ。彼女は容姿がいい上に、兄の仕込み宜しく、歌舞にも秀でている。

武帝は大変関心を示して、この兄のたくらみは成功し、妹を呼び寄せ、武帝に会わせる。武帝は、彼女があまりにも美人なので、すぐに気に入り、自分の愛人にする。大体、近親者は、身内を過大評価しがちだが、これは額面通りだったようだ。確かに、この妹は、実際、美人だったらしい

ところが、美人薄命というように、彼女は、しばらくして、病に陥る。最近の美人は、そうでないから、昔の美人は不健康な生活を強いられていたのかもしれない。武帝も大変気になり、様子を見にいくが、どうしても彼女は会えないという。追い返され、武帝は、仕方なく、帰っていく。

つまり、彼女は、病気で容姿の衰えて、こんな醜い姿は姿は見せたくないと思ったのだ。大体、どんな美人も、年齢とともに、容姿は衰えていく。それは美人ほど、その落差が大きい。同様に病気で、容姿が見る影もなくなり、それを見られるのが嫌で、李夫人は武帝と会わなかったのだ。

結局、武帝は、彼女の最後の姿を見ることなく、彼女は死んでしまう。ということで、武帝には、彼女の美しい、いい記憶しか残っていない。彼女が武帝に会わなかった本心は、武帝には、自分のいいイメージだけを残したかった。自分を本当に愛してくれているのではなくて、自分の容姿だけで私を愛しているのだろうから。

結果的には、武帝には、いいイメージ残像だけが残り、亡き李夫人に対する想いは募るばかりであった。彼女のことが忘れられず、甘泉殿の壁に、彼女の姿を写して、悲嘆に暮れる。

そこに死者を呼び寄せることができるという、斉の方士、少翁の評判を聞いて、彼を招いて、彼女を呼びださせる。いつの時代にも、胡散臭い人間はいる。武帝の取り巻き連中が手配したのだろう。少翁は、武帝が帳の中で李夫人を想いさせながら、反魂香を焚いて、霊を呼び戻すことを実行した。そうすると、焚いたところに、死んだはずの李夫人が現れたという。

つまり、想いは通じるということを言いたいのだろう。現実的に考えれば、何かを飲まされたか、嗅がせられたりして、武帝は、幻覚に陥ったのだろう。その前に、李夫人とスタイルが似ていて、同じような格好させれば、武帝は、李夫人と錯覚するだろう。

多分、そういうことだったに違いない。こういうと、夢も希望もないね(笑)。でも、大体、このようなことを勧めるのは、この手の人間だろう。トリックは、あったと考えるのが自然だ。ただ当事者たちは、真剣に考えていたかもしれない。

でもね、李夫人にすれば、死んだ後まで、魂を呼び寄せるなど、いい加減してくれと思ったかもしれない。歌の文句じゃないが、「疲れ果てた あなた。幻を愛したの」と。そして「愛は消えたのよ。二度と呼び出さないで(*注)。疲れ果てた あなた。私の幻を愛したのよ」と。(以上、“オリビアを聴きながら”改作)。でも、記憶には残してと。

だが、李夫人の深謀遠慮は、夫人亡き後も、夫人の一族(兄の延年や、もう一人の兄、李広利など)は、普通は権力から遠ざかるのに、重用され続けたという。そう考えると、彼女は、単に美人だけでなく、身内を大切にする賢い女性でもあったようだ。だが、女の浅知恵が、彼女の死後、国を混乱させていく。そうだとすれば、権力者が女性に溺れることはいかに危険かを示している。

*注

原曲 “オリビアを聴きながら”では、「呼び出さないで」ではなくて、「かけてこないで」となっている。若い頃、杏里の歌で、よく聴いたものだ(笑)。場面設定は、全然違うけれど。

*追記

李一族の繁栄は長くは続かなかった。李夫人の子供を皇太子にすべく、李広利が皇帝に働きかけたことから、おかしくなる。権力闘争に巻き込まれ、没落していく。

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2009年6月 1日 (月)

不良と呼ばれた人たち

子供の第二反抗期を、親がうまく扱えないと、子供がぐれたり、更に進んで、不良になったりすると言われている。親をはじめ周囲は、注意深くみていないと、とんでもない方向に暴走することがある。

だが、子供には、第二反抗期があるのが当たり前で、そういうものがなく、成長してくると、大人になって、大きな問題や犯罪に走ったりする例も多い。普段は、周囲から大人しいと見られている人物が、とんでもない事件をよく起こしている。

いわゆる、大人が扱いやすい、大人しくて、いい子ぶる子供は、ある意味、大人になってから、危ないのだ。それは過度に自己をコントロールしすぎるからであろう。

だから、子供が反抗的になったり、ぐれたりするのは、本来、自然の形だと、親は理解しなければならない。それを大人が遠ざけたり、煙たがったりすると、子供は、不良化する例が多い。

ある意味、不良化する子供は、孤独で、疎外感を持ちやすい、感性豊かで、純真であるタイプが多い。ちょっと、不合理に見える大人の世間の常識に合わせるのが嫌なだけだ。そのことを案外、大人は理解していない。

以前のブログでも記したが、流風も、中学生頃、何もかもうまくいかなくて、将来が見えないので、茫漠とした不安に襲われ、ぐれかけたことを記した。父が真正面からぶつかってくれ、流風の考えていることを、とことん聞いてくれたので、結局、最終的には、ぐれることはなかった。父は、後年、あの時は、正直きつかったと苦笑していた。

また不良との関わりでは、流風は、高校生になってから、勉強が面白くなくて、不良の一団と関わりそうになったが、その時、彼らのリーダー格から、「お前は、そんなことに首を突っ込むな。勉強していたら、ええんや」と諭され(笑)、流風は、その後、彼らから手出しされることは一度もなかった。彼の統制力には、少し驚いた記憶がある。

芸能人で、活躍している人をみれば、若い頃、不良や暴走族のリーダー格で、結構無茶をしていた人が多いのだが、また成功例も多い。それは修羅場を経験していることが多く、組織の統制の仕方、仕切り方を熟知しているからかもしれない。芸能界で、そういう場面に遭遇しても、強いことが、生き残っている要因だろう。

もちろん、流風は、不良がいいとは言わない。彼らは、世間のルールや常識を守らず、常識外の行動により、世間に迷惑をかけるので、周囲にとっては、困った存在でもある。しかし、彼らの言い分も聞き届けることも大切だ。特に不良のリーダーは頭が悪くてはなれない。

彼らは、ほとんどリーダー主導で動いており、リーダーの話をまともに聞くだけでも、彼らの態度は変わる。なぜなら、彼らの思いや主張が、聞いてもらえないことが、不満の最も大きな要因だからだ。もちろん不良になるには、いろいろ個人的な要因もある。ある意味、いろんな要因が重なり、追い詰められているから、本当に理解してくれる相談相手が必要なのだ。

また最悪、不良が犯罪に走るのは、限界点で止まることができないからだろう。それが、、「生まれか、育ちか」という議論を引き起こす。いずれにしろ、不良と言うのは、危うい所にいるのも事実だ。だが、更生すれば、すごい力を発揮する場合もある。これは、そういう時に、巡り合える人がいるかどうかで、その人の人生が大きく変わる。

*参考ブログ

拙ブログ 「生まれか、育ちか」

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2009年5月29日 (金)

猫を追いかける人

最近は、犬や猫を飼う人が大変多い。その一方で、世話できくなると、簡単に、モノのように捨てる人も多い。動物を責任をもって飼う人が少ないのだろうか。ただ、流風も、動物をを飼うことに関しては、子供の頃、苦い思い出がある。

親戚の人から、子犬を飼わないかと、言われて、親から「お前が責任をもって世話するのなら」ということで、親の了解も得て、飼いだしたのはいいが、途中、流風が病気もしたことで、なつかなくなり、世話を放棄して、結局、病気になり、死んでしまった(*注)。

それ以後、一切の動物を飼うことができなくなってしまった。今でも、心の隅に、悔悟の念が常にある。それに、きちんと世話するには、手間暇も含めて、人間を育てるくらいコストがかかることも、それを妨げている。結局、他人さまが飼っている動物を見るだけにとどまっている。

しかしながら、犬や猫など、好きな人は、本当にいる。ちょっと羨ましいくらいだ。彼らとの関係性を築くのがうまいのだろう。人間より楽だと言う人もいるが、そうかなあ。確かに、人は意思を持っており、自分の思うままに動いてはくれない。

確かに、犬は、飼い主に忠実だろう。猫は、ちょっと距離感があるが、それでも、飼い主を認識しているだろう。そういう意味で、人間より楽なのかもしれない。そういうことで、犬や猫を追いかける人がいる。

さて、今回は、たまたま見つけた猫を追いかける人を題材にした映画を紹介しておこう。題名は『私は猫ストーカー』で、主演は星野真里さんだ。内容は、サンマを猫に取られて、追いかけるサザエさんの話ではないようだ(笑)。

あらすじは、主人公のハルは、古本屋でアルバイトしている。その主人夫婦は、子供がないので、代わりに猫を飼っている。その名前は、チビトムというらしい。これがかわいくて仕方ない。ハルは、時間の許す限り、猫を追いかけている。

そして、その周辺にいろんなことが起こる。猫をただ追いかけるだけでなく、そこには、多くの人間の煩わしさも観察している。生きておれば、ややこしい人間関係も味わうのは当然だ。

しかし、煩わしさを感じながらも、何かの縁で一緒にいる。そうなのだ。同じ時間を過ごせるのは、猫にしろ、人間にしろ、わずかな時間しかない。まあ、これも何かのご縁だ。袖振りあうも多生の縁、仲良くやろうではないか。

そんなことを描いているのかな(笑)。原作を読んでいないもので。まあ、猫を追いかけながら、いろいろ考えた女性が書いたものかな。女性独特の感性のかたまりのようだ。動物と関わりのない流風にとっては、わかりそうで、わからない題材だが、少し興味がある。上映はまだ少し先らしい。

*注

普通なら、子供が病気なら、親が犬の面倒みてくれると思うのだが、父は、母にも、頑として、「世話をしてはならぬ」と言ったようだ。母は、隠れて餌だけはやっていたようだが、父が怖くて、散歩などには連れて行けなかったという。

後年、母に聞いたところでは、父は、子供に、「責任」とは何か、教えたかったらしい。しかし、そのため、一匹の犬を犠牲にすることになった。

*参考 映画 『私は猫ストーカー』 星野真里 主演

     原作 浅生ハルミン     http://nekostalker.jp/#

           浅生ハルミンさんのブログ http://kikitodd.exblog.jp/

 *参考 猫好き関係ブログの一例

  ●niuさんのブログ 『日々のhour』

     赤ちゃん猫から、手間暇かけて育てた

           「ひよこまめ」をお嫁に。

     http://hibino-hour.blog.so-net.ne.jp/

   ●久保田智子さんのブログ 『日日猫猫』

     http://www.tbs.co.jp/anatsu/nekoneko/

           猫に夢中なTBSのアナウンサー

    ●大村聖子さんのブログ 『Magicats co.』

     http://magicats7.blog121.fc2.com/

               

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2009年5月25日 (月)

安田善次郎の寄付

このブログで、安田善次郎を取り上げるのは、三回目。どうしても気になる存在だ。多分、当時、どぎつい個性だったと思うのだが、人間として面白い。今回は別の切り口から記してみる。人間には、多くの面があるので、一義的には、捉えきれないからだ。

前にも記したが、彼は84歳の時に、朝日平吾という者に暗殺されている。寄付を依頼しに行って、断られたからという理由だ。しかし、彼は断られることはわかっていたので、初めから殺しに行ったというのだ。それほどケチが徹底していたのだろう。

確かに、安田は寄付嫌いだった。寄付をするぐらいなら、事業に精進して利益を上げることが社会に貢献すると考えていた。だから、慈善事業にも寄付していないし、故郷にも錦を飾るとして寄付もしていない。その点は、彼の哲学に迷いはない(*注)。

更に慈善で売名行為をすることは、父親からも禁じられていたのが、強く影響しているという。むしろ事業を通じて、人々を豊かにできると考えたようだ。だから、世間からケチと言われても、あまり気にしなかった。だが、その行為は、一般人には理解されない。そこで、恨みを買うことになる。

だが、ケチと言われた安田善次郎は、実は莫大な寄付をしている。但し、死後に。彼も晩年、お金は持って、あの世に行くことはできないと悟ったのか、当時の東京市長だった後藤新平の東京再生のプロジェクトの、俗に言う、大風呂敷演説を聞いて、感ずるところがあったらしく、資金の提供を申し出ている。それも、いろんな資金が入れば、ややこしくなるので、単独で、すべての資金を賄うとしているのだ。

ところが、翌年に暗殺されてしまった。この話は、飛んでしまったのかと思ったら、遺産整理する中で、東京市への寄付が記された書類が発見され、子息が代わりに寄付しているそうだ。お金の他に、本宅や土地もだ。

その額、現在の金額にして、百数十億円を超える(但し、その評価金額は、もっと多いという人もいる)という。戦災で焼けたとはいえ、東京の原型があるのは、後藤や安田のお陰ということだろう。安田らしい寄付が、後世の者に寄与している。そして、これは、ケチのあり方と、寄付の仕方の一つの方法として、示唆していると言えるだろう。

*注

彼は、晩年、匿名では、生前に寄付している。

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2009年5月24日 (日)

小さな幸福、大きな不幸

かつて高橋義孝氏が、「小さな幸福、大きな不幸」というような内容のことを述べられていた。不幸は、往々にして、ど~んと来るほど大きいが、幸福は、案外小さい。そして、大きな不幸が先行して、小さな幸福で少しずつ穴埋めしていく。

だから、たくさん小さな幸福を感じる力が弱ければ、不幸に負けてしまう。うろ覚えだが、そんな内容だったと思う。多分、このような考えに至ったのは、老齢になられてのことだろう。若い時には、そんなことは考えない。夢も希望もあり、時間のある若い人には、まだ見ぬ未来がある。

そう考えると、歳を重ねるとは、辛いことかもしれない。経験により、いろいろ知識や知恵を得ることは、大切であろうが、それが全ての足かせになる。そうなると、知っている方がいいのか、中途半端に知らない方がいいのか、ということになる。

だが、人は、いつも前を見ている。そういうことから逃れられないとすれば、高橋氏の知恵は、確かかもしれない。

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2009年5月22日 (金)

花の色は短くて

花は、咲いているうちが花。終わってしまうと無惨だ。美しく咲いていた花も、終わりごろには、色も変色し、汚くなっている。この落差は、一体何なのか。

先日、咲いていた大きなバラも、結局は、変色し、色褪せてしまった。ボタンも、もう、その影もなく、シャクヤクも終わりかけている。そういうと、ツツジやサツキの花も、豪快に色とりどりに咲いていたが、今は無残な姿をさらしている。

少し前には、沈丁花が、いい匂いを放っていたが、もうそれもなく、いつの間にか、花も終わっている。シャリンバイも、ついに終わってしまった。花モモやボケの花も、賑やかに咲いていたが、それも終わり、カリンやヒイラギナンテンも、かわいい花は終わり、小さい実を作っている。

それにしても、花の命は短い。よく女性にたとえられるが、最近の女性は、以前より花の期間が長いように思える。錯覚かな(笑)。流風自体が歳を重ねたから、女性が少し年齢がいっていても、若く見えるのだろう。でも、花の命は短くても、女性は、いつまでも美しくあってほしいものだ。

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2009年5月19日 (火)

額縁の役割

若い時、割と美術館に行って、絵画を鑑賞した。しかし、正確に言えば、当時は、絵画をよく“見た”ということだろう。残念ながら、“観た”とは言えない。絵画については、何も予備知識もなく、暇つぶしに、“眺めた”というべきか。時々、ちょっと面白そうな絵画については、わかったようなふりをして、見ていた(笑)。

こういうのは、若い時に、内容など、ほとんど理解できないのに、ちょっと背伸びをして、哲学書を読むようなものである。まあ、少し優越感を持ちたいという、自己満足的な行動だ。もちろん、今となっては、それも無駄ではなかったと思っている。お陰で、長い間、図録だけは残っており、後日、ちらちら見ていたから、全く、役に立たなかったということもない。それなりの知識も得た。

さて、そのことはさておき、本題に入ろう。昔、先輩で絵を描くのが好きな人がいた。その人がいいだろう、いいだろうと言って、一枚絵をくれたことがある。画用紙に描いた水彩画のようなものだったと思う。ペラペラで、こんなものをと思ったが、一応、お礼を言って、持ち帰った。

さすがに、すぐに捨てることもできないし、押し入れの奥に入れておけば、先輩が来た時に都合が悪い。止む無く、画材屋に行って、安物の額縁を入手し、それに入れてみた。

ところが、額縁に入れると、貧相な絵が、ぱっと活きてくる。これが同じものかと言うほどだ。この時ほど、びっくりしたことはない。これは一体、絵が主体なのか、額縁が主体なのか。結局、お互いが補いながら、一つの絵画の世界を構成しているのだろう。

そこで、初めて、額縁の果たす役割を知ったわけだ。額縁は、一つの世界を作るのだ。これは人間社会でも同じような気がする。絵の役割をする人と、額縁の役割をする人。どちらも必要で、どちらが欠けても、十分な成果は得られない。

本来、何もない空間に、ある特定の場所を切り取って、新空間を作る。産業人の役割もそうであろう。この世界は、もっと複雑で、モザイクのように組み合わさって、一つの空間を作る。絵画の世界は、それの最も小さい単位と言うことだろう。

誰にも、与えられた役割がある。どのように他の人と組み合わさって、新しい空間を作るかが、皆に問われているのだろう。

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2009年5月18日 (月)

晩餐の恩

食い物の恨みは恐ろしいというが、逆の話がある。昔の中国での逸話に次のようなものがある。

ある身分高い人が、晩餐に招かれた。もちろん、出てくる接待料理は豪華なものばかりだ。給仕が次々と料理を持ってくる。ある時、給仕が、それを、もの欲しそうな顔をしているのを見てとった。そういうことならと、気を配って、その者に、その料理を与えた。

当時、こういう習慣はない。周囲は、宴会の席で、下僕などに物を与えるなど、つまらない同情だと、嘲笑った。しかし、彼は、同じ人間なのに、ただ給仕するだけでは、その料理の味も知らず、かわいそうではないか、と気にしなかった。

時は流れ、国は乱れ、身分の高かった人は別の地に行かざるを得なくなった。知らない土地では、いろいろな苦難や危難があった。だが、そのたびごとに、誰かが助けてくれた。不思議に思っていたが、ある時、気になって調べたら、例の給仕していた下僕だった。

彼は、出世しており、それなりの立場にあったのだ。情けは人のためならず、というが、現代でも、このようなことはあるだろう。情理バランスと言われるが、情は、若干、理に優先する方がいいのだろう。

*出典  『世説新語』

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2009年5月14日 (木)

釈迦が説く金持ちになる法

本当かどうか知らないが、釈迦が金持ちになる方法を説いているという。高邁な大僧正が、そのように語っていたらしい。その方法とは、次のようである。

 一、酒を飲むのを好んではいけない。

酒飲みは、酒を飲めないものを馬鹿にするが、いくら酒に強くても、いずれ災いは起こる。それは財産を失うきっかけになる。

 一、博打を打ってはならない。

博打に限らず、勝負事は、負けるようにできている。勝ったように思うのは錯覚にすぎない。それをわからずして、財産を失うのだ。

 一、早寝早起きで、仕事に精励すること。

要するに、人が働いている時は、しっかり働けということ。遅寝遅起きでは、一日のスタートが遅れて、結局、遅くまで仕事をせざるをえなくなる。これは人生において、貴重な時間の無駄遣いだ。

 一、必要な交際は、最低限度に抑える。

人間社会は、交際は必要だが、それにも限度がある。際限なく付き合っておれば、出費はかさむばかりだ。交際の意味を整理して、必要最小限の付き合いにとどめるべきだ。

 一、悪い友達とは、つきあわない。

悪いという意味は、いろんな意味がある。反社会的な人間は、もちろんとして、自分勝手な人もさす。そして、時間とお金を無駄遣いさせる人も指す。

 一、傲慢になって人を軽んじないこと。

つい自分に勢いがあると、人を見下げたりするが、相手は、それを十分感じており、いずれ、しっぺ返しされ、財産を失うきっかけとなる。

こうして見ると、なるほどと思える。特に「必要な交際は、最低限度に抑える」というのは興味深い。たくさんの友達と付き合うより、少ない親友と内容のある付き合いをした方が意味があるということだろうか。

釈迦が、もし、上記のような話をされているとすれば、何と人間臭いことであろうか。案外、釈迦は世渡り上手だったのだろうか。

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2009年5月12日 (火)

平家琵琶を聴く

やっと、『平家物語』の再読を終了したのだが、以前のブログても記したが、感慨深い。人間の業は恐ろしいということだろうか。そうかと言って、若い時から、悟ったようなことを言って、老成するのも頂けない。

結局、成長、成熟、老成と段階を踏むしかないのだろう。だから、若い時にいろんな欲をもつのも止むをえないし、それで失敗するのも仕方ないとも言える。多くの人間が、そういうことをわかっていて、同じ過ちを起こす。

昔の人は、そういう無常感を琵琶などで伝えようとしたのかもしれない。ところで、その琵琶にもいろいろあるそうだ。五弦琵琶、楽琵琶、平家琵琶、盲僧琵琶、唐琵琶、薩摩琵琶、筑前琵琶など。

流風が知っているのは、筑前琵琶と平家琵琶だ。筑前琵琶は、元宝塚の上原まりさんが有名だ。以前、一度、公演を見に行ったことがある。なかなか重々しくて圧倒された。その後、もう一度機会があったのだが、申し込みはしたのだが、スケジュールが結局調整できず、行くことはできなかった。

平家琵琶の方は、鈴木まどかさんによるもので、CD-BOOKを持っている。彼女も、あちこちで公演されている。残念ながら、まだ直接、聴いたことはない。結構、お寺などでも演奏されているようだ。お寺も、住職が、檀家にいろいろお話するより、この演奏を聴かせた方が効果があると思っているのだろう。御詠歌のように聞こえないこともない(笑)。

それでは、CDを聴き直してみるとしよう。

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2009年5月 5日 (火)

南蛮美術展に行く

連休で、人が多いだろうなとは思いながら、街に出かけると、意外と観光客は少ない感じだ。インフルエンザ報道のためだろうか。いつもの土日より少ない感じ。いつものように、散歩していると、博物館が目に入ったので、久しぶりに入館してみた。

その神戸市立博物館で、南蛮美術企画展として、『近世初期風俗画と南蛮工芸』が、催されていた。かつて、この博物館で鑑賞したものもあるが、初めて観るものも多かった。展示点数は、24点(他に2点)と、少ないが、なかなか面白かった。

南蛮のパトロンとしての、信長と秀吉像や、遊楽図、洛中洛外図。その他に、初期洋風画、南蛮屏風、南蛮工芸、輸出漆器などが展示されていた(以上、2階南蛮美術館室)。江戸時代にはあまり見られなかった豪華絢爛な感じだ。やはり安土桃山時代はあったのだ(笑)。

1階には、あの有名な「聖フランシスコ・ザヴィエル像」と、狩野内膳による「南蛮屏風」の複製が展示されていた。流風は、あの自信ありげな、そして見下げたような雰囲気のザヴィエルが嫌いだが、この「聖フランシスコ・ザヴィエル像」は、教科書にも出ていて有名だ。彼は、日本に対して、キリスト教布教による植民地化を望んでいたのは言うまでもない。彼は、その先兵だ。結果的に、日本の武力を知って、諦めるのだが。

もう一つの「南蛮屏風」の複製は、京都文化協会とキャノンの協力の下で、作成されたものらしい。そういうと、最近は、展示用に、複製画を用いることが多い。実物では、見にくい所が、復元されて複製されると、観る者にとってもわかりやすくてよい。このように見ると、この屏風は、かなり絢爛豪華だ。秀吉時代を象徴するものだろう。

彼は、キリシタンを禁止したが、南蛮貿易は容認した。ここら辺が、彼の現実主義が読み取れる。貿易が富を産み、権力基盤を支えてくれると判断したのだろう。この屏風は、当時の雰囲気をよく出している。安土桃山時代は、権力者の彼の性格を反映して、絢爛豪華で明るい。権力者は時代に影響する典型であろう。その結果として、芸術が残る。芸術はパトロン次第という感を強くした。

*追記

その他に、別の企画展の展示としては、古地図企画展示として、『江戸時代の世界図遊覧』と、『ズームアップ!日本の銅板画』があったが、こちらは軽く流した(笑)。あまり興味がないし、地図の方は、今まで鑑賞済みのものばかりだったから。当時の世界図の展示は、定期的に、よくされるが、もっとほかのものの展示をやってもらいたいが、こういうものに関心がある人も多いのだろうか。

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2009年4月29日 (水)

『平家物語』の絵本

『平家物語』を読み直しているが、人間の世界は、どの時代も似たようなものだとつくづく感じる。たかだか百年の命なのに、いろんな私欲・権力欲から、争いを起こし、恨まれ、復讐し、それがずるずると繰り返し争っている。多くの原因は、トップの為政者の考え方に原因があることが多い。

ただ、『平家物語』は、単に争いごとだけを描いているのではない。間に挟まれる多くの人間的なエピソードが満載だから、ずっと庶民にも人気があった。そこには、義理や、男女間の情がある。それに、多くの人たちが共感したから人気がある。

しかし、それさえも、短い人間の生命からすれば、どうってことないというようにも感じられる。すなわち、作者は、無常観を伝えている。無常観を認識しつつ、生と死はつながっていることを知り、いかに生の中で死を感じつつ生きるか。作者は、そういうことを伝えたかったのかもしれない。生き方を示唆する文学と言えるだろう。

ところで、この『平家物語』は、清盛が、福原京を造ったので、神戸とも関わりが強いのだが、残念ながら、いろんな祭りも一部催されているが、それほどには目立たない。大学関係でも、公開講座で、一部講演されているが、限られたものだ。

神戸は、どうしても西欧と結び付けたいようで、清盛については、あまり関わりたくないような感じを受ける。清盛は神戸に港を開き、中国との交易で利益を得て、それが権力基盤になっているから、神戸とは、本来、関わりが強いにも、かかわらずだ。福原が現在、歓楽街になっていることが影響しているのかもしれない。

ところが、先日、兵庫県立歴史博物館で、『妖怪天国ニッポン』を鑑賞したところ、姫路文学館で、『安野光雅が描く絵本平家物語の世界』(*注1)を開催していることを知ったので、ついでに行ってきた。だが、姫路は、本来、『平家物語』には、登場しない、あまり関係のない土地柄だ(*注2)。『平家物語』で登場するのは、せいぜい加古川までぐらいだろう。その姫路で、この展覧会が開かれていたので、若干の違和感を感じた。

だが、比較的狭い空間での展示であるにもかかわらず、安野氏の描く絵本は、見ごたえがあり、状況がわかりやすい状態だった。『源氏物語』でも、フランスの方が、絵巻を挿入させながら、豪華本を作っていたが、日本では、過去にそういうものが作られなかった。日本の歴史文学は、その見せ方において、まだまだ工夫が足りないということだろう。

今回、同様に、物語とは関係のない土地での『平家物語』の絵の展示は、この文学館で、作られたものではなく、安野氏の作品は、津和野にある彼の美術館(津和野町立安野光雅美術館)からの借り物であるのだが、関係美術資産の掘り起こし企画という意味においては価値がある。そういう観点から見れは、こういう企画は、一応成功と言えるだろう。

安野氏の絵は、本を読んで文字を追うだけでは、なかなかイメージできない場面が、描かれていて、本当によかった。こういう企画をしたのが、神戸の美術館や博物館でないのが残念だ。更に、その図録を読むと、『平家物語』の神戸の舞台となった場所がたくさん紹介されており、ますますその念を強くした。このような催しは、神戸市立博物館で、定期的に開催してほしいものだ。

* 注1

    平成21年6月28日まで。姫路文学館 特別展示室(北館2階)

*  注2

         実際は、御津港も、旧姫路市に含めて考えると、無縁ではないとのこと。

    だが、全体的に関わりは薄い。

* 追記

図録では、展示品すべての掲載がなく、少し残念である。図録価格が高くなることへ配慮したのかもしれない。あるいは安野氏の図録が別途あるのかもしれないが、それは販売されていなかった。

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2009年4月26日 (日)

妖怪の源流と『妖怪天国ニッポン』展

来春のNHKの朝ドラは、『ゲゲゲの女房』らしい。あの『ゲゲゲの鬼太郎』の作者である水木しげるの婦人の原作によるものらしい。彼の妖怪は、流風が学生当時、随分と奇妙に思えて、あまり好きではなかった。ところが、同級生には、結構ファンが多くて、不思議だった。

さて、日本に伝わる妖怪は、見方によっては、日本のサブカルチャーである漫画の源泉であるとのことだ。漫画風のものを描き始めたのは、禅僧あたりと思う。それがだんだん進化して、その周辺の人々が描くようになったものと思われる。

そもそも、古代には、現代のように科学が進歩していないから、多くの自然現象に慄き、自然への怖れと敬意が原点と考えられる。だから、妖怪は、古代に、巫女などの一種独特のカンの鋭い人々が見たことを、形にして、一種「神格化」させたとも考えられる。土偶なども、その一種と言えないこともない。あれは人のようで人でない。夢で見たような形なのだ。単に古代の人の表現能力が劣っていたとは考えられない。古代人の人々の中には、自然の中から多くの妖怪を見たに違いない。

やがて、これらの人々を利用して、地域の有力者が、自分と結び付けて、畏敬の念を持つ手段に使われていったと考えられる。私達人間にはわからない世界がある。それらが私たちを監視ししている。そういうことで、人々に恐怖や畏敬の念をもつようになる。人々は、一度恐れを持つと、それをなかなか克服できない。権力者は、それを利用したに違いない。

以後、時代が下るにつれて、巫女とは異なる、陰陽道のような特別な感性の持ち主の人たちが、普通の人には見えないものを形にしていたとも言える。禅僧にしても、修行を突き詰めれば、普通の精神状態ではいられないだろう。そうしないと、真理は獲得できないだろう。また、霊感の強い人は幽霊などという、そういう存在を示すことによって、人々の心を自制するように持って行ったとも考えられる。

やがて、それは仏教の哲学と相俟って、思想的に表現されたものもあったものが、一般民衆にも流れ、更に都市化により、そういうものが見える人達が減ったこともあって、民間人が、世間や権力者を皮肉る手段なっていったと思われる。

それは世間的事実は覆い隠し、支配からのストレスや嫉妬心の発散をしていたのだろう。それでも、見る者が見れば、真意はわかるというものを表現していった。ここでは、権力者や思想家と違って、楽しむ手段に移行していることがわかる。

つまり民衆が、かつて権力者の支配手段だったものを逆手にとって、権力者やお上に対する、密やかな抵抗の表現手段になっていった。それが、現代はキャラクター漫画として進化していると言えるのではないか。

以上のような流風の観点か正しいかどうかはわからないが、兵庫県立歴史博物館で、平成21年4月25日から、『妖怪天国ニッポン』展(平成21年6月14日まで)が開催されている。この展示会では、主として江戸時代の妖怪から展示している。江戸時代には、かつて恐怖の対象であった妖怪が、茶化して楽しまれる対象になっていた。そこに、現代の漫画精神の源流があるとする。

最初、見に行ったら疲れるだろうなと思っていたが、案外気楽に鑑賞できた。もちろんお化け屋敷のイメージでの展示ではない(笑)。確かに、慣れるまでは、変な絵ばかりと思うが、観ていくと抵抗感も薄れ、不思議な世界に連れて行かれる。深刻そうで、深刻でない。

裏読みすれば、それには深刻な事態があるのだろうが、そこまで踏み込んでは鑑賞できなかった。鑑賞するには、歴史を十分知っていないと、その皮肉も理解できない。流風の浅学な知識では、なかなかわからないのだ。そういうことで、今回も図録を入手し、理解を深めて、再訪しようと思う。

*参考

  公式図録『図説 妖怪画の系譜』

   兵庫県立歴史博物館・京都国際マンガミュージアム編

   但し、この図録は展示ごとに説明したものではなかった。

   どちらかというと、マンガを強く意識した展示全般に対する解説書だ。

   流風にとって、多くの図の説明の方が参考になった。

*参考

 兵庫県立歴史博物館 「ひょうご-妖怪・自然の世界」

 http://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/legend3/index.html

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2009年4月25日 (土)

ブログのコメントとの、つきあい方

ブログのおかげで、いろんな人に接することができる。世の中、素晴らしい考えの持ち主の方も多いし、似たような考え方、真逆の考え方の人、いろいろいて面白い。そこで、時々、気分が乗った時は、コメントをしている。まっ、気まぐれですけれどね(笑)。以下、コメントについて、自戒の念を以って、記しておこう。

まず、気づいたのが、コメントしやすいブログと、そうでないものがあるということ。例えば、テーマがはっきりしていて、シンプルな文章の場合は、コメントしやすい。でも、いろんなことが書かれていて、それが本来の日記とも言えるが、小学生がお母さんに報告するようなブログには、なかなかコメントしづらい。

それは書き手の本当の意思がどこに隠されているか、読み手にはなかなか分からないからだ。もちろん、そういう場合は、書き手も、コメントを期待しているわけでもないかもしれない。だから、本来、コメントは不要なのかもしれない。

でも、他の人がコメントされている内容を読むと、そこらへんの感性は、熟年世代と違うのかもしれない。それは単なる会話に近い感覚だ。携帯メールと同じなのだろう。暇つぶしのコメントと言える。ま、そういう場合も、コメントしている流風がいるけれどね(笑)。あまり意味のないコメントになっている場合が多いので、あまり偉そうなことも言えない。

では、流風のブログはどうかというと、基本的にコメントはあまり期待していない。というのは、大体、このブログが意見表明のものが多いからだ。当然、賛成の人もいれば、反対意見の人もいる。直接会っているわけでもないので、それをコメントで、賛成だ、反対だと議論しても始まらない。

だから、十分文章を読んで頂き、自分のブログで、意見としてまとめてもらった方がありがたい時が多い。つまり、このブログとリンクし、自分のブログで意見表明してほしいと思う(*注)。そして、そのブログを流風が読んで、お勉強させて頂く(笑)。まあ、そんな形かな。

もちろん、意見表明でないブログへのコメント頂くのはありがたい。コメント頂いて、それはそれで嬉しい時もある。その時の気分によるけれど(笑)。でも、残念ながら、ましな回答もできていないのが、現状だ。相手の顔を見ながら、コメントしているのではないから、細かいニュアンスが伝わりにくいと思ってしまう。

結局、もっと表現力を高めないとね。ということで、流風が、頓珍漢なコメント、あるいはコメント返ししても、寛容の精神でお願いします(笑)。

*注

リンクされた場合は、出来るだけ、お知らせいただければ幸いです。そうしないと、意見を読み取れませんので。

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2009年4月23日 (木)

今はタレントに世の中は厳しいか

有名なタレントが、深夜酒を飲み、公園で裸で騒いで、公然猥褻罪だとして逮捕されている。まあ、何があったかしれないが、嫌なことがあったのだろう。誰でも、そんな時はある。うまく憂さを晴らさないと、こういうことを起こす。しかし、若い時は誰でも起こしかねないことでもある。

流風も、若い時、先輩とお酒を飲んで、ぐでんぐでんになり、千鳥足で、大声を出して帰ったらしい。先輩と別れて、電車に乗るまでのことは、まったく覚えていない。それでも、電車に乗ったことは不思議だ。電車の中でも、ぐじゃぐしゃになり、眼鏡は落とすは、鞄は放り出すはと、周囲の人もはらはらして見ていたらしい。

このことは、後で知ったのは、同じ電車に乗っていた近所の人の奥さんから教えられ、恥ずかしい思いをした覚えがある。それ以後、お酒には、十分注意するようになった。それにしても、よく捕まらなかったものだ。まあ、裸にならなかったのが幸いしたのだろうか。

だが、このタレントの場合、世間の制裁は厳しい。例の某元大臣同様、公に恥をさらしてしまったから、当然と言えば当然だが。有名なだけに、世間も厳しい。業績の悪化している有名企業も、テレビ広告を、ここぞとばかり契約破棄し、その他の出演番組も見合わせられるようだ。

従来、タレントの犯罪には、甘い傾向があった。しかしながら、今は、法の前には、誰も平等であるということで望んでいるのなら、それは好ましいことだ。人間だから、辛いことはいろいろあるだろう。有名なタレントであれば、息苦しいほど、その管理も厳しいだろう。息抜きしたつもりが、行き過ぎてしまったのかもしれない。それにしては、失ってしまったものが大きすぎる。だが、薬物犯罪でもなさそうだし、早く復帰してもらいたいものだ。流風は甘いだろうか。

*追記

流風は、このタレントに甘いのでは、と言われてしまった。確かに、厳しい拘束管理と引き換えに高額の報酬を得ているのだから、批判されても仕方ないと言える。自己管理が足りなかったのも事実だろう。結局、早く嫁さんをもらうことだな(笑)。タレントも人間だ。

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2009年4月17日 (金)

心をつなぐ『妙心寺』展に行く

先日、京都国立博物館で開催されている『妙心寺』展(*注1参照)に行ってきた。妙心寺と言えば、禅寺で、臨済宗妙心寺派大本山である。流風家も、妙心寺派の末寺の檀家である。そういうこともあって、若い時、ふと気になって、一度訪問したことがある。

総本山の妙心寺には随分と、たくさんのお寺があり、どれをどのように訪問すればいいのか、わからなかった記憶がある。理由を話して入れてもらい、天井の龍図などを見せてもらったのを覚えている。

ところで、宗教との関わりあいは、両親も、臨済宗の教義とか、禅の理解とか、祖先を祀るという意味では、熱心な信者であったが、お寺とは適切な距離を置くように言われたものだ。宗教と宗教施設は、その持つ意味が全く違うという判断からだ。

だから、毎日、先祖を敬う気持ちが大切とか、お墓は大きくしてはいけない、寄付は生活に支障のない範囲で適切にすること、先祖のお祀りと直接関係ないことには、参加しなくしてよいとか、いろいろ言われた。お寺にすれば、不良檀家の類かもしれない。

まあ、それはそれとして、やはり妙心寺に関する展覧会が催されるのだから、それはそうそう見られるものでもないだろうということで、今回京都まで行ってきたのだ。当日は、平日のためか、観覧者はそんなに多くなく、また年配者が当然多かった。若い人は、親子と思われる人々を除けば、ほとんど見られなかった。若い人に、辛気臭いかもしれない。

この妙心寺は、花園法皇によって開山された。初代の住持として迎えられたのが、諡号が無相大師の関山慧玄であり、今年が650年遠諱(おんき)にあたるため、開かれた特別展示会ということだ。

妙心寺は、すべての宗教がそうであるように、今まで順調に来たわけではない。とりわけ、権力とは距離を置き、時には権力と対峙したため(*注3)、迫害も受けている。絶対権力者にとっては、厄介な存在だったのだ。それでもめげず、独立独歩の道を歩み、理解者や強力な檀家の支持を受けて、現在に至っている。

しかし、この展示会の内容は、名僧の像や書が中心で、予備知識なくしては、なかなかその理解は難しい。まして古い作品が多く、修復されていないので、大変見づらい。近寄って見ようとするが、それでも画像は確実にわからないものも多かった。

もちろん眺めるだけだったら、それでも他の展示会同様、あっという間に終わるのだろうが、どうも今回の展示会は、それだけでは満足できない。事前にNHK等でいろいろ解説していたので参考にはしたものの、すべてを理解するのはあきらめた。

毎月、お寺から送られくる雑誌にも、あまり目を通していなかったが、これからは読むことにしましょう(笑)。やはり信徒としては、それなりの意味も理解したいという意欲が増したようだ。総本山の思惑通り(笑)。

結局、分厚い図録(*注2)を買い求めることにした。前期が4月19日までで、後期が4月21日から5月10日までなので、再度読みこなして、時間があれば、また行って再確認してみたい。果たして、いつか不良信徒が、口伝を超えた心伝という禅の真髄を多少なりとも理解できるようになるだろうか。

*注1 『妙心寺』展      http://www.myoshinji2009.jp/

*注2  もちろん、すべての時代を通して、そうであったわけではない。権力者とつながった時代もある。権力闘争に巻き込まれ、有力者の庇護が必要になったのだ。しかしながら、その法灯に関しては、妥協することがなかった。

*注3  図録『妙心寺』は、総439ページで、1.9キログラム。かさばって重いので、来館者が高齢の人が多いので、敬遠するかもしれない。檀家であれば、買い求めたいだろうが、どうだろう。注文だけ受けて、別途配送という販売手法も許されるのではないか。配送料を負担しても、展示会を観覧して入手したい人はいるだろう。このことは、その他の展示会にも同様のことが言える。

*追記

ちなみに流風も、多くの日本人同様、感覚的宗教心の持ち主だ。外国人のように、宗教教義を学習する姿勢は本来持ち合わせていない。学ぶとしても、それは趣味の範囲内であることをお断りしておく。もちろん、その教えを知らないということはない。それは、意識を超えて生活の中に溶け込んているのが、日本の仏教というものであろう。

 

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2009年4月 4日 (土)

パソコンの買い替えから昔を思い出す

パソコンが故障して、ついに買い換えた。古くなったし、動作環境が悪くなったので、いつか買い替えしなけばと思っていたが、つい先日、朝起きて、パソコンを起動しようとすると、全く動かない。理由はわからないが、落下させたような破損に気がついた。前日の夜まで、何ともなかったのに。泥棒でも入ったのだろうか。しかし、その形跡はない。

全く状況は理解できないが、パソコンが動かないでは仕方ない。止む無く買い換えた。パソコン購入は、これで通算6台目だ。パソコンとの付き合いは、かれこれ20年くらいになるが、一向に上達しない(苦笑)。

20年くらい前に初めて買ったのは、確かノートタイプで、NEC製だった。ウインドウズもない時代だから、マニュアルや参考書とにらめっこで、機械音痴の流風には、動かすのが大変だった。やっとのことで何かにつながるのだが、すぐに切断されてしまう。結局、せいぜいワープロ代わりに使うぐらいで、その他は、おもちゃみたいな存在だった。

その後、ウインドウズが導入されて、パソコンの世界も大きく変わり、素人でも通信に接続ができるようになった。これが2台目。デスクトップの富士通製だった。ウインドウズ関係でメーカーを変更したのだろう。この時も、マニュアル以外に、多くの参考書を入手しても、なかなかつながらなかったが、やっとつながった時は、大変嬉しかったものだ。

ところが、つながるようになると、今度はそのスピードが気になるようになった。接続しても、つながるのに時間がかかりすぎるのだ。その結果、終日パソコンの前にいることになった時もある。これじゃパソコンオタクになってしまうと、適当にやっていると、しばらくして、機能がアップしたとのことで、買い換えた。これもデスクトップで3台目だ。富士通製だった。

この頃より、持ち運びできるノートパソコンが流行りだした。そこで試しに買ってみた。富士通製は高かったので、某大手メーカーのものだった。日本製ではなかったが、価格は比較的手頃だった。4台目だ。しばらくして、続いてサブ用に同じメーカーのノートパソコンを入手した。5台目だ。これも国産ではなかった。

今回壊れたのは、4台目のものだ。3台目までは国産で、10年以上使えたし、壊れたから廃棄したわけではない。それが、今回、5年も使っていないのに、壊れてしまった。ちょっとショックだったので、今回は少し高くても国産に絞り、メーカーも変更した。果たして、どれくらい使えるだろうか。ちなみにメーカーは富士通だ。さて、今回はどれくらいもってくれるだろうか。

なんだかんだと言いながら、パソコンとの付き合いは長くなり、離せなくなった。若い人は携帯を主に使っているようだが、流風にとってはパソコンが扱いやすい。今後もお世話になることだろう。そういうと、外では鶯が鳴いているが、少し心もとない鳴き方だ。だが、いずれ、うまくなるのだろう。しかしながら、流風のブログ鳴きは、一向に向上しそうにないのに、最後まで、読んで頂き有難うございます(笑)。

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2009年4月 2日 (木)

一所懸命ということ

現代は、なかなか一つのことに集中するのが難しい。いろんな誘惑や興味があるからだ。そういうことに関心を持ちだすと、本来のやるべきことに集中できない。それは勉学でも仕事でも同じだ。もちろん、集中できる時間は、限界があるので、気の分散はある程度、やむを得ない。

しかし、過度の気の分散は、集中力を損なう。これは現代人だけだと思っていたら、昔の人も、そういうことを言っている。それは世阿弥の『花伝書』(*注)だ。いわゆる能楽理論だが、その内容は、一般人にとっても、大切なことを示している。

その中で、彼は、次のように語って嘆いている。

「当今の申楽者たちを見ると、自分の芸の稽古は、よい加減にして、専門外のことばかりやっている。たまに申楽をやっている者があるかと思うと、その連中は、目先を追って、ぱっと人の目に着くことばかりやり、一時的な名声にとらわれて、根本を忘れ、目標を見失っている有様なので、こんなことでは、もう申楽も駄目になってしまうのではないかと残念でならない」(『花伝書』、現代語訳川瀬一馬より)

このように見ていくと、昔も、そのようだったのかと思うと、少し笑えてくる。今も昔も、いろんな誘惑には弱いということだろう。誘惑のネタは、金銭であったり、名誉欲であったり、その他の誘惑であっただろう。

現代は、さらに、時間を無駄に使わせる誘惑にあふれている。余程しっかりしないと、そういうものに押し流されて、本来やるべきことをなすことができないままになってしまう。それには、明確な目的意識と、使命感のようなものがなければならない。それに基づき、時間管理を適切に行うことが、求められている。一所懸命には、「捨てる」発想が必要なようだ。

*注

世阿弥の『花伝書』の正式名は、『風姿花伝』。実は父親の観阿弥の理論を整理して著したと云われる。題名の意味は、伝統を風のように受け取り、花のように自らの発想を加えるということのようだ。守・破・離の考え方に近い。

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2009年4月 1日 (水)

ブログ5年目突入

このマイナーなブログも、本日で10年目突入だ(嘘)。10年前には、ブログはなかったもんね。本当は、5年目突入らしい。まあ、しこしこと記事を書き続けてきたものだとも思う。文章だけなので、工夫が足りないという批判もあるけれど、結局、残るのは文章だ。本来、日記なのだから、それでいいと思っている。

だから、アクセスなんて、全然増えないよ(笑)。最近こそ、1日のアクセスが100件程度あるが、4年間平均だと、1日60アクセスぐらいだ。年間平均22000アクセスぐらい。ただ、それより関心があるのは、どのような方が読まれているのかな、ということ。

公開日記の性格上、これでも抑えて表現しているつもりだけれど、知らず知らず刺激的な表現もしているかもしれない。この辺が実に難しい。文字の伝わり方は、受け手により、様々に伝わる。文章力の向上をさらに目指していきたい。エイプリルフールじゃないよ(笑)。

*追記

でも、あまり配慮しすぎると、書きたいことも書けなくなる。難しいなあ。ホント。

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2009年3月30日 (月)

虚業と実業~福沢桃介の『互戒十則』から考える

経営者は、自ら社是や経営理念により、企業の目的を明示して、その方向性を明確にして、組織活動が円滑にいくようにする。そして、次に、その行動原理を明確にして、その運営がうまく運ぶように配慮する。

戦前の経営者、福沢桃介も、電燈会社の経営に関わった時、『互戒十則』を定めている。それは次のようなものだ。一応、現代的な解釈も付記しておく。

 ①吾々の享くる幸福は、十万需要家の賜物なり。

顧客の満足を得て、モノやサービスの提供者は役割を果たしたことになり、初めて供給者としての満足感を得られる。

 ②吾々は寸時も、需要家の恩恵を忘却すべからず。

顧客の存在なくして、モノやサービスの提供者の存在はあり得ない。常に感謝の気持ちが大切だ。

 ③需要家の主張は常に正当なり。懇ろに応接すべし。

顧客の要望に応えることは大切だ。彼らの希望を無視して、長期的なビジネスはあり得ない。期待に沿えるように努力すべきだ。

 ④故障を絶対に予防し、需要家に満足を与うべし。

品質・性能を確実なものにして、顧客に提供することが大切だ。また仮に、事故になっても、機敏に対応できるサービスシステムと品質保証が求められる。そして、それが、次のモノやサービスの開発に十分配慮されたものでなくてはならない。

 ⑤時間と労力は貴重なり。最も有効に使用すべし。

ムダ・ムリ・ムラのないように、各人が努力しなければならない。そのためには、組織システムが効率性と効果性に十分配慮されたものでなくてはならない。

 ⑥其日になすべき仕事は、明日に延ばすべからず。

今日の時間は今日しかない。今日できるものを明日に延ばせば、明日に負荷が大きくなって、結局、積み残すことになる。それは成果を上げるのに非効率だ。

 ⑦細事もおろそかにするなかれ。一物も損なうなかれ。

小さい穴も、時間をかければ大きくなる。これくらいはいいだろうという判断が、将来に禍根を残す。それは単にビジネスに対してだけではない。人に対しても、そういう配慮が大切だ。

 ⑧議論と形式は末なり。実益を挙ぐるを目的とせよ。

決められたルール通りに、いつも事を進めていては、企業環境が変われば、非効率になる。時が変わればやり方を変えて、実績が上がるように努力すべきだ。常に実績を上げるための組織運営でなければならない。

 ⑨不平と怠慢は健康を害す。職務を愉快に勉めよ。

組織にいれば、完全な人事はあり得ない。自分に合わない仕事と思っても、真正面から真剣に取り組めば、それなりに面白さが出てくる。自分目線で、新たに仕事を作るつもりで臨めば、すべてが自分ペースになる。これほど楽しいことはない。

 ⑩会社の盛衰は吾々の双肩にあり。協力奮闘せよ。

全社員が、全力で仕事をすれば、企業の業績は必ず良くなる。皆が力を発揮できるような環境を作って、全力で仕事をしよう。

福沢桃介は、本来、虚業の人だが、実業の世界に飛び込んで、その大変さを理解したのだろう。彼と同様に、虚業(金融関係、士業、コンサルタントなど)が、実業の世界に飛び込んで成功した例は少ない。

実業は、地道な努力を積み重ねて、利益を出すように努力するが、虚業は、他人の利益の上前をはねる仕事だからだ。実業で利益を出す苦しみを味わっていないので、利益を出すことを安易に考えがちなのだ。

だから、彼が、実業で成功したか疑問だが、上記の訓戒は、それなりの意味があるものだろう。彼も実業の世界で、その大変さを味わったに違いないと思われる。虚業の人々が幅を利かす時代をなくしたいものだ(*追記)。

*追記

最近、米国クリントン元大統領も、今回の金融恐慌に際して、そのような発言をしているようだ。彼も金融という虚業中心の時代が終わったと感じているのだろう。

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2009年3月27日 (金)

今年も、桜咲く

    さまざまの 事おもひ出す 桜かな      芭蕉

今年は、桜の開花が例年より早い。近くの公園でも、ちらほら咲いている。花冷えと言われるように、今年も寒い。冬物を整理してしまっていたのも、また取り出した。暖かい日が続いたので、もう冬物は要らないと思ったが、大間違い(苦笑)。お彼岸を過ぎても、こんなに寒いとは。

桜の頃は、入学、進級、進学、就職、いろいろあった。毎年毎年、これからやるぞと、気持ちを新たに心を入れ替え(笑)、それなりにやってきたのかな。桜の頃は、やはり寒かったが、かすかな緊張が伴い、気分が高揚していた。今年も、気持ち新たに、ブログ更新するとしますか。4月から5年目突入だ。でも、その前に、誰かを誘って花見をしよう。いつがいいかな。次の俳句のような状況になる満開まで、もう少し待とう。

    木のもとに 汁も膾も 桜かな     芭蕉

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2009年3月19日 (木)

夢の中~落語『一日公方』

六本木とは、随分と物騒な所のようだ。報道によると、犯罪の温床のなっている場所という。都市の発展は、ある程度の猥雑性は必要と思われるが、統制がとれなくなると、暴走するのだろう。それは大阪のアメリカ村も同様だろう。人々は、法治国家の中で、不統制を夢見るのであろうか。

話は例によって、変わるが、子供の頃、流風はいろいろ夢想したものである。小さい子供の頃は、土手に寝転びながら、あの空に浮かんでいる雲が綿菓子であればいいなあとか、蟻の巣を発見しては、それを支配できたらとか、蛙や雀を追いかけては、彼らを自由に扱うにはどうすればいいのかとか、近所の権太(ガキ大将のこと)にはどうしたら勝てるのかとか、いろいろ夢見た。

学校に行くようになってからは、勉強せずによい成績を上げるにはとか、少しませてきて、かわいいあの娘は、どうしたら仲良しになれるのか(笑)とか、思い浮かべたものだ。そういうと、以前、アイコラ(アイドルコラージュ)など、著作権に反する行為が問題になっていたが、最近は、それを合法的にビジネスにしている例もあるようだ。

DVDで、韓国有名俳優と、まさに“夢の共演”しているようにコラージュするものらしい(日経MJより)。これは女性向けのサービスのようだが、案外、男の高齢者にも受けるかもしれない。若い男は、その程度で満足できるかどうかわからないが(笑)。

ところで、夢見る落語に、『一日公方』というものがある。主人公は、大工の市兵衛で、麻布の六本木に住んでいた。当時は、現在のように開発されておらず、江戸時代は、木の多い所であったようだ。市兵衛は、老いた母親を抱えながらも、親孝行であった。

ある日、いつも仕事の世話をしてくれる出入り先の珍斎という先生の所に行くと、来客中だった。よいところに来たということで、一緒に話に加わる。何の先生か知らぬが、気安い先生だ。

ところが、どうしたことか市兵衛は、飛び出していき、酒を一升買ってきて客人に向かって言うには、「あなたさまは、公方様(将軍のこと)に非常に似ておられるので、こうして一緒にお酒を飲んでいるような気がして、もうこの世に思い残すことはない」と。

それを受けて、「そなたはなかなか面白いことを言う。何か、望みでもあるかな」と言うと、市兵衛、応えて言うには、「一日でもいいから、公方様になりたい」と大胆な発言。大体、飲めない奴ほど、飲むと大胆になる。そうすると、その客人は、珍斎と、ひそひそ話。珍斎は、お酒の中に何かを入れた模様。ああこわ。最近も、そういう犯罪事件が六本木でありましたね。そうとは知らず、市兵衛はしばらくすると、寝息をたてて、熟睡。

翌日、市兵衛が目を覚ますと、日頃と雰囲気が違う。酔った状態で道路の上に放置されたのではなくて、いつもと違う高級な夜具に包まれていた。びっくりして起き上がると、老女が「あなた様は、公方の君でございます」と言う。「何を、そんなこと、あってたまるかい。何言ってるんだい、私は麻布の市兵衛だ」

「いえいえ、それは市兵衛の夢をご覧遊ばしていたのでございましょう。あなた様は、間違いなく公方様でいらっしゃいます」。市兵衛、ますますわけがわからなくなって、そうこうする内にお召し替えされて、一段高い所に坐らせられる。

それではと、そういう気分になって、やけくそで、町奉行を呼び出して、「麻布の市兵衛は親孝行なので、200両ほど与えよ」と指示。その後は御殿女中と飲めや食えの大騒ぎ。ところが、どうしたことか、狂人扱いされて牢屋行き。どうにか、自宅に帰されたが、未だに、何のことかわからない。

数日経って、再度、珍斎先生の所に行くと、例の客が来ていた。悪い予感。それにしても、よくお忍びでやってくる公方様だ(笑)。落語は、その辺、適当なところがいい。彼が尋ねるに、「市兵衛、望みどおりに公方になれて、嬉しかったか」と。市兵衛が「何が何だか、わかりません」と応えると、珍斎先生、言うには、「この方こそ、公方様であらせられるぞ」と。

市兵衛、びっくりして、「あなた様が、公方様でしたか。どうも、大変失礼しました」。「あはは、お前は、面白い奴だ。親孝行に賞でて、一町四方を、その方につかわす。以来、市兵衛町と改めよ」。「それでは、遠慮なく、頂きます。有難うございます」。

「どうだ、嬉しいか」。「どうも様子がすっかりわかりません。市兵衛が公方様で、公方様が市兵衛で・・・」。「また゜わからんか」「こいつは、麻布で気がしれねぇ」

流風も、若い頃は、お酒を飲んで夢心地で、結構饒舌になった。そういう時は、夢か現かということになりやすい。日頃の鬱憤を晴らして、上司をハラハラさせたこともある。でも、市兵衛のようなことは、とうとう経験しなかった。今となっては、もう、そんなことはどうでもよくなった(笑)。

まあ、将軍のお膝元の江戸でのお話ですね。大阪ではありえない題材だ。仮に大阪に将軍がいても、そういう夢想はしないのが、関西人だろう。でも、一日首相もいいかもしれない。いやいや、気苦労が多くて大変だろう。変な夢は見ずに、庶民の暮らしが一番だ。

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2009年3月 7日 (土)

玉石混淆の解釈と組織運営の考え方

玉石混淆という言葉は、よく使われる。その意味は、良いものと悪いものが混じっていると理解してきた。広辞苑にも、「よいものとつまらないものとが入りまじること」とある。出典は、以前にも取り上げた『抱朴子』だ。

ところが、本文をよく読んでみる(と言っても、翻訳だが)と、抱朴子すなわち葛洪の伝えたいことは、どうも意味が違うようだ。彼のいいたいことは、よい書物とされる経書(五経)も、そうでない諸子百家の書も、人々を教化するという目的には、違いない。それを経書のみが全てというのは誤りである、と言いたいようなのだ(『抱朴子』尚博)。

もちろん、経書などを読むのは別に悪いことではないが、諸子百家の書を見下すのはおかしいと言っているのだ。経書を読んでいると言うと、それは外見はよさそうに見えるが、案外、諸子百家の書の方が実があったりする。できれば、両方に目を通した方がいいのだろう。

これは企業で言えば、ちょっと違う喩えになるが、商品の企画担当者が、「営業」が聞いてきたことを馬鹿にしたりするのと似ている。企画というのは、市場を調べ、マーケティング調査に基づき、あるべき製品像を明確にして、商品開発するのが常識と考えている。「企画」というのは、営業より上流の仕事と思っている企画担当者も多い。

しかしながら、「企画」というと上質の仕事のように見えるが、実際は、「営業」のどろどろした物事を知らないと成功しない。ところが、「営業」を見下げる感じが抜けない。そういうこともあって、「営業」は、企画担当者が現場を知らないと馬鹿にし、企画担当者の作った製品は、売れないとクレームをつけ、製販の反目が生じる。

こういうことは、企業ではよくあることだ。葛洪の指摘するように、それぞれの捉われの心が、企業目的を曇らせ、本来の活動を阻害し、組織効率を低下させる。そういうことのないように、経営者は配慮したいものだ。経営者にとっては、玉も石も大切だし、彼らを相互理解させる努力を惜しんではならない。

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2009年3月 6日 (金)

こじつけ話

落語に『千早振る』というものがある。『千早振る』は、皆さん、ご存知の在原業平の歌だ。すなわち、「千早振る 神代もきかず 立田川 唐くれなゐに 水くくるとは」である。これを物識り顔の横町の隠居が、歌の主旨とは全く異なる、知ったかぶりのこじつけ話を八さんにする。これは、こじつけ話というより、出鱈目な解釈だが、私達の身近でも、そういうことが感じられることがある。

例えば、経済評論家や経済学者が、過去の景気を状態を調べて、その理由付けを後講釈する例は多く見られる。大体、後講釈ほど気楽なものはない。過去のデータは揃っているわけだから、理由は、どのようにも付けられるからだ。それでも、彼らを利用して儲けようとする企業があるから驚きだ。さらに、それを信用する投資家も多い。

世の中、一体、どのようになっているのだろうか。凡そ、経済というものは、動態的だから、未来の予測は難しい。言い換えれば、人々の心の動きの総計が、形になって現れたものが、経済と言うことも出来る。ましてや世界の人々の心の動きなど、誰も把握できない。

だから、過去の経済の分析をしても、あまり役に立たないと思う。もちろん、人間の行動は、繰り返して行われるかもしれないが、個々の似た様な行動は把握できても、いろんな人々の組み合わせてともなると、無限の組み合わせが考えられ、予測は立ちにくい。

それでも、過去の経済の動きを参考にしようとするのは、未来を把握するのに、何か頼りないものでも、頼りたいという人間心理が働いているのかもしれない。しかしながら、過去のデータは、所詮、過去のデータ。未来にそれを援用しても、それが当たる確率は低い。

落語のこじつけは、無茶苦茶だが、私達の周りにあるこじつけにも注意したいものだ。

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2009年3月 5日 (木)

水清くして魚棲まず

子供の頃、家族で、いろんな議論をする慣わしがあった。子供でも、政治や経済や文化のことについて話すのを常としていた。子供だから、せいぜい新聞とかテレビを視ての情報に基づく意見なのだが、その論争は、親が子供の意見にも、耳を貸してくれるので、大変うれしかったことを覚えている。

その中で、父と政治汚職について論争したこともある。当時も、政治汚職が話題になっており、流風が、「汚職はなくさないといけないし、政治献金もやめるべきだ」と主張した。

しかしながら、父の意見は違っていた。「お前の意見は、確かに机上の理屈では正しいが、現実の世の中では、それではうまく行かないこともある。お前は、まだ若いから、そういう考えでいいが、多くの人を養っていこうとすれば、そうも行かない時が来るだろう。それはいずれ大人になればわかる。その中で、何が正しくて、何が正しくないのか、判断していくことが大事になる」と諭された(*注)。

諺にも、「水清くして魚棲まず」と言うが、魚は、美味しい餌がないと集まらない。潔癖に、水を浄化すれば、飲み水には適しているかもしれないが、魚は窒息して死んでしまう。凡そ、世の中は濁っていて、その中で、人々は生活している。

それは政治も、同様で、身奇麗な政治家には国民はあまり期待できないだろう。やはり、やや泥臭いことをしても、経済を活性化させてくれる政治家の方が望ましい。その点が政治家と官僚の違いだ。官僚が政治家の真似をすれば、後ろに手が回るのは止むを得ないが、政治家は、そのようにしていれば、国は停滞する。

もちろん、政治家もやり過ぎれば、それもいけないかもしれない。問題はバランスだ。だが、現在のように景気の悪い時は、正論を述べて何もできない無能な政治家より、何かを実行してくれる政治家が望ましい。国民にとって必要な政治家は、その時々で異なる。

ただ、今回の職務権限のない野党政治家の秘書の逮捕は、政界を混乱させ、経済も停滞させるだけだろう。いずれ与党の政治家の秘書にも捜査の手を伸ばす(検察は、小沢氏の金額が大きいというが、それはおかしい。金額の多寡の問題ではない。むしろ、職務権限のある与党の政治家を摘発すべきなのだ)。

そうしないと、検察として、バランスが悪いからだ。そういうこともあって、政治の混乱を嫌気して、円は売られている。輸出企業は、若干ホッとしているかもしれないが、悪い円安だ。

そういうことを考えると、検察の立場は理解できるが、タイミングが極めて悪すぎる。経済が安定している時は、いいが、検察も、いらぬことをやってくれたものだ。まかり間違えば、日本の景気は、更に悪化する可能性もある。それは恐慌への入り口である。検察の観点は、やや視野が狭いように感じる。

*注

父の名誉のために記すと、父はどちらかというと、正邪に関して、潔癖症に近かった。そういう父が、こういう発言をするので驚いたことを記憶している。

*追記

それにしても、マスコミは、この問題について騒ぎすぎだ。改めて、一面的に物事を捉えるそのレベルの低さに情けなさを感じる。これらの問題は、他国では、ほとんど話題にならないだろう。所詮、権力闘争に利用されているだけだ。

だから、米国のように、政府高官が、元在籍した企業に、十兆円近くを合法的に還元させるスケールと比べれば、笑えてくる。それが汚職にならないのだ。そういう意味では、日本は、政治家が、いろいろ問題を起こすとしても、まだ健全だろう。

ただ、政治献金の仕組みの見直しは迫られるかもしれない。だが、民主主義において、政治に金がかかるのは、避けられないだろう。どんなに見直ししても、完全な献金の仕組みはありえない。政治献金を否定することは、民主主義の否定につながることを、認識しておく必要がある。

*追記

平成21年11月追記

民主党が政権を握ったので、野党は自民党になった。攻守所を変えたわけだが、民主党も、これからは職務権限と政治献金との関係は、問題になる。野党時代のように気楽にはならない。ただ政権を握る前のことを、うるさく追求しても、あまり意味はない。監視するのは、これからだ。

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2009年3月 1日 (日)

ある老数学者の火傷事故を思う

数学者で、京都大学名誉教授の森毅氏が火傷で重態らしい。森先生と言えば、軽妙なエッセイで知られている。流風も、若い時は、息抜きに(笑)、よく読んだものだ。

さて、その火傷の原因だか、昼食の準備で、フライパンで卵料理をされていて、衣服に火が飛び移ったそうだ。でも、卵だけなら、そういうことにはならないと思う。一体、どのような状況だったのだろうか。

一般にフライパンを加熱して油を敷き、材料を入れて調理するが、具の状態によっては、火が飛び上がることがある。素材に水分が含まれていると度々そういうことに出くわす。あるいは酒やワインを加えたときにも、そういうことがある。

別にそういう状況に慣れていれば、きちんと対応できるであろうが、先生は、対応を間違われたのだろうか。かなり慌てた処理をされたことが想像できる。人間、平時は、偉そうなことを言っていても、いざという時には、日頃の訓練がないと、即座に対応できない。それは流風も同じだ。

不幸にも、先生の奥様は、病気のため入院されているらしい。こういう時、男は残されると辛いものがある。家事全般簡単なように見えて、そこにはいろんなノウハウがいる。それを誰もできるだろうということで、やってみると、いろんなトラブルに巻き込まれるというものだ。

先生の年齢では、なかなか家事全般をこなすことは難しかろう。年齢的にも81歳とのことだから、いろんなことに挑戦するのは、ボケ封じでいいだろうが、よく考えていただきたいものである。今はいろんな生活サービスがあるのだから、それを利用してもらいたい。

ところで、先生の作品の蔵書はほとんど処分してないと思っていたが、探してみると、一冊だけ残っていた。それは『考えすぎないほうがうまくいく』(三笠書房)だ。見開きを開くと、そこに「いい人生を送るには」と題して、一文が紹介してある。

 「時にはちょっと常識をはずして見る力」が必要条件

 「現実に合わせて要領よく行動できる力」が十分条件

とある。先生は、わざと必要条件を試してみたのだろうか、それとも、十分条件が満たなかったから、起こった事故だろうか、と不謹慎ながら思ってしまった。先生の、回復を祈りたい。そして、お元気になられれば、真相を知りたいものだ。できれば、これをネタにまた何か書いて欲しいな。早く、お元気に。

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2009年2月27日 (金)

磯の鮑の片思い

ある落語(*注)で、地主の所に婿が来るというので、少し足りない男が、長屋からのお祝いとは別に、鮑を持っていくシーンがある。お祝い返しを別途、期待する女房にそそのかされて、それを持って行った男に、地主は、彼の女房のやり方を見抜いて腹を立て、いちゃもんをつける。つまり、「磯の鮑の片思い」と言われる鮑をお祝いの品として持ってくるとはどういうことだ、と。

男はびっくりして取って返すが、途中で鳶の頭に出会い、事情を話すと知恵を授けてくれる。「祝い物には、すべて熨斗(のし)をつけるが、その熨斗を返すかって言ってやれ。熨斗というものは、鮑から作るものだと」。それをそのまま言うと、地主は感心して驚くが、所詮、借りてきた知恵には限界があり、逆に地主に突っ込まれる。それを何とか切り抜けるという話だ。

借り物の知恵で、自分の知恵のようにいう人は、現代でも多いが、身に付いた知恵と借りてきた知恵とでは雲泥の差がある。流風も、そういう過ちをしている可能性があり、この男のことを笑うことはできない。ご用心、ご用心。でも、この男は、地主から、鮑の代金より大きいお祝い返しをもらったであろう。知恵のない者も、周囲にアドバイスを素直に聞けば、いいことがあるのかもしれない。まあ、一番得をしたのは、最初に、そそのかした女房か(笑)。

ところで、前振りが長くなったが、先に出で来た「磯の鮑の片思い」は、片貝ゆえ、そのように言われるのだろうが、昔の人はうまく表現したものだ。でも、世の中、両思いは稀なことのようにも思う、皆さんは、どうだろう。

若い頃、小心者の流風は、ちょっといいなあと思った女性に話しかけられなくて、随分と片思いで悩んだものである。大体、気軽に話しかけるということが出来なかった。時々、興味のない女性から話しかけられたが、それはそれで対応に困ったものだ。嫌なものは嫌という態度をどうしてもはっきり示すので、女性たちからは嫌われたものだ。

まあ、人見知りが激かったのは事実だろう。今でも人見知りはするかしもしれないが、以前ほどではないだろう。世の中、いろんな人がいる。先入観と実際に会って話すのとでは、大きな差異があることが多い。まあ、今となっては、片思いも懐かしい経験だ。流風の受ける第一印象なんて、あまりあてにならないことがわかったからね(笑)。

*注  落語『鮑熨斗』

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2009年2月25日 (水)

「士」の心がけ

ある書物(*注)に「士」のあるべき達人の心がけについて、触れている。「士」とは、国民の上に立って、重要な仕事をしている人たちを指す。武士の「士」も、本来、そういう意味を持つ。それでは、その心がけについて、若干の注釈を加えて紹介しておこう。

 一、士は貴ぶべき行いをすることはできるが、世間から必ずしも貴ばれる保証はない。

士というものは、常に、高い理想を掲げて、それが達成できるように努力しなければならないが、国のためと思って、やったとしても、それが全て評価されるとは限らない。常に批判される立場にあるが、それを乗り越えて、正しく導かねばならない。

 一、用いるべき才能を磨くことは出来るが、当世に必ず用いられる保証はない。

常に能力を高めるために切磋琢磨しなければならないが、それを使う、時と人に恵まれなければ、使われることはない。しかし、それでも、努力しなければならない。また無理して、使われようとしてはならない。

 一、粗末な服を着て、野菜を食べ、釣り糸を垂れ、ウサギを追っていれば、心は満足、これで一生終えてもいいぐらいに思っている。

いろいろ努力しても、報われないかもしれない。そういう覚悟をして、日々質素な生活を送りながらも、いざと言う時のために準備は怠りなくやっておく。自分が使われても、使われなくても、いいぐらいの自然体が大切である。

 一、冠をつけ、馬車に乗り、朱や紫の印綬を帯びることがあっても、もとから持っていたように平然として、布衣(ほい。庶民)の時と少しも変わらない。

仮に、高い地位を与えられようと、それまでと何ら生活態度を変更することはない。自分は常に自分であり、地位という飾り物の衣服が付いたところで、自分の本質が変わるだけでない。いつでも脱ぎ捨てる覚悟が大切だ。

これらの言葉は、日本の政治家や官僚にどのように届くだろうか。日本の政治家や官僚がサラリーマン化して、それぞれの仕事で所得を稼ぐことが重要な意味を持ってしまっている。これは忌々しき事だ。初心に戻って、常に志を新たにすることが求められる。

しかしながらも、民間にあって、「士」に値し、高い志のある人を支え、育てることも、必要だ。彼らが失意の時に、私的利益を超えて、支援することは、一般人も大切な心がけと思う。彼らを育てるのは、国民自身でもある。

*注

中国の古典『抱朴子』(翻訳、本田済、平凡社刊)より。

 

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2009年2月24日 (火)

継子いじめにあった姫~中将姫

昔から、継子いじめはある。子供時代、継母にいじめられている近所の子供さんがいた。流風とあまり歳は変わらなかったと思う。いじめにあっている現場は見たことはないが、母は、子供さんが折檻されているという噂話をよく近所の人としていた。

場合によっては、食事を与えられないこともあったようで、近所の人は、可哀想に思って、食事等を与えていたようだ。その後、引越しされたので、その子供さんがどのようになったかは知らない。普通なら、横道にそれて、ぐれてしまうだろうな。

自分の子供でも、親子は多くの行き違いがあるのに、まして血のつながっていない子供とは、コミュニケーションを取るのはなかなか難しいのは確かだろう。でも、子供がいることを覚悟で、嫁いでいるのだから、子供がなつかなくても、それは耐えるべきだろう。

最近では、継父の継子いじめが目立って報道されている。継母と同様に、難しい問題だ。子供を作りながら、安易に離婚して、また、すぐ再婚しようとするからおかしくなる。再婚する親に、子供はいい迷惑だ。新しい親にすぐ馴染むというのは、安易過ぎる考えだ。

さらに再婚相手との間に子供が生まれれば、余計に事態は複雑になる。どうしても、実子に愛情が行ってしまうからである。時たま、再婚相手との約束で、子供を生まない条件にして、それを貫いている人もいるが、珍しい。

多くのトラブルを防ぐには、それが一番いいのだが、継母の場合は、まだいいが、継父の場合は、血のつながった自分の子供が欲しいものだ。子供のいる場合の再婚は、いずれにせよ慎重さが求められる。

謡曲でも、継子いじめにあった中将姫を扱った『雲雀山』がある。続きの話と考えられる『当麻』と共に、有名だ。雲雀山は、紀伊の国にあったらしいが、大和にもあったとも伝えられている。この謡曲では、紀伊の国にあったとする。地名からすると、ピーチパーチク、雲雀の鳴き声が盛んだったと想像できる。まあ、田舎ということかな。

この話は、『当麻時寺縁起』に材を取っていると云われる。すなわち、藤原豊成の息女が、十歳の時、継母の讒奏にあい、葛城山に捨てられ、更に紀伊国に移設させられて、殺されそうになったことを素材としていると言うのだ。

後妻の言うことを真に受けた豊成も豊成だが、余程巧妙な讒奏だったのかもしれない。まあ、寝物語で、耳元で囁かれれば、嘘も真実に聞こえてくることは、多くの男性諸氏が経験していることだろう(笑)。

そういうことに長けた女性は確かにいる。自分にのみ、愛情を受けたいことが、そういう狭い了見にさせる。結局、中将姫を殺す命を受けた従者は、お経を熱心に唱える姿を見て、助けることを決心する。こういう話は、戦国武将についても、同様なことを読んだ気がする。

この話が、事実かどうかはわからないが、当時でも、似たような話はあっただろう。継母と継子の関係は、いつの時代も複雑だろう。男は、妻なしの生活は大変だし、そこそこの地位にあれば、妻の必要性は求められる。そして、そこでは子供の存在は軽視される。

なお、この謡曲では、中将姫は、後、乳母や従者のお蔭で、豊成の誤解が解け、彼の下に戻るというようになって、一応、めでたし、めでたし、ということになっている。しかしながら、後の話(『当麻』)では、どういう事情かしらないが、彼女は、家を出て、出家している。複雑な彼女の家庭環境が、彼女をそのように仕向けたのなら、実に可哀想なことである。

この謡曲の題材の継子問題は、いつの時代も存在し、子供たちは、皆、苦悩する。そういう問題の投げかけとしては有効だろう。現実、継母になる方も、それなりに苦労はあるだろう。そういうことを乗り越える意思がないのなら、再婚は望んではならないだろう。親のエゴは子供を傷つけるしかないことを忘れてはならない。そういう示唆に富む作品だ。

*追記

ただ、本当の話は、大臣であった豊成の弟が、ある人を讒訴した結果、兄の豊成の身にも及び、筑紫に流され、そこで、豊成の娘である中将姫は、逃れるため、当麻寺に身を隠して尼になったということも伝わっている。

だが、なぜか、先に示したような、まったく違う話になって、現代まで伝えられている。どこからどこまでが創作なのか、残念ながら不明だ。よって、一つの小説として、この謡曲は味わった方がいいのかもしれない。

もちろん、この謡曲に限らず、文学作品のほとんどは、ヒントとなる事件を題材としながらも、多くは創作と考えていいだろう。現代でも、様々な歴史小説があるが、大半は作家による創作だ。テレビドラマになんかなると、史実と錯覚しがちだが、ほとんどが作家の感情移入による創作というのが事実だ。

なお、『当麻』については、未鑑賞だ。いずれ取り上げてみたい。

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2009年2月22日 (日)

舌先三寸と落語『柳の馬場』

暖かくなったり、寒くなったり大変だが、それでも、春を告げるネコヤナキ゜の花穂がきれいな時期になってきた。他人の家にやってきて、糞尿を撒き散らすネコは嫌いだが、このネコヤナギの花穂はなかなか美しい。だが、スズメバチも好きらしい。ジコチューだが、かわいいニャンコ娘に、悪い虫がつくイメージ(笑)。

さて、話はころっと変わって(笑)、世の中、口先三寸で、人々を惑わす人がいる。結果的に、人を騙して、損害を与えたりする。ただ、自慢たれは、人々にはあまり迷惑をかけず、むしろ自分自身に災いが及ぶものだ。例えば、気になる異性の前での、男の自慢話は、後々それがばれて、馬鹿にされるぐらいがオチだ。

落語にも、『柳の馬場』というものがある。京都にも、そういう地名があるが、馬場とは関係あるが、その地名とはどうも関係ない話のようだ。知ったかぶりで自慢たれの富の市という按摩の話だ。大体、知ったかぶりというのは、ボロが出やすい。嘘と同じで、どこかで話の辻褄が合わなくなることが多い。さらにこの話は、知ったかぶりに嘘が絡むから最悪だ。

話は次のようだ。出入りの旗本屋敷の暇をもてあましている殿様に、ある日行くと、ちょうどいいところに来たという感じで、からかわれる。「その方、武芸も相当達しているようだな」と。このように言われると、調子に乗りたくなる富の市。ついつい、あることないこと、言いまくり。

まあ、自分より地位の上の人には、ちょっと自慢してみたい感じもわからないわけでもない。だが、それも程度問題。おっちょこちょいの富の市は殿様にうまく乗せられたということのようだ。

「殿様には申し上げにくいのですが、武芸十八般、何事にも通じております。まずは剣術は一刀流の免許皆伝ですし、弓は日置流、槍は宝蔵院流。そして馬は大坪流、柔術は揚心流。いずれも免許皆伝であります」と鼻高々に言う。まあ、口から、次から次へとでまかせを。お前は、B型か(笑)。

殿様は心得ているから、しめしめと、「武家でも、なかなか免許皆伝とはならないのに、そちは、そんなに免許皆伝を持っているのか。ことに馬はどうにもならん。最近、癇が強い馬を入手したが、お前なら乗りこなせるだろう。一鞍攻めてもらいたいものだ」と言う。

これには、富の市もこれには驚き、しまったと思い、いろいろ逃げ口上を言うが、後の祭り。殿様は、最早、逃さない(笑)。なんたって、暇をもてあましている殿様だ。馬を引き出して、無理やり、富の市を馬に乗せて、馬場へ引き出す。そして、あらんことか、馬の尻を叩いた。

驚いた馬はもちろん、一目散に駆ける。富の市は、何がなにやら、必死に馬の首に抱きついて、わめいている。殿様は、それを見て、「山に登るな、谷に落ちるぞ。寄るな、谷に落ちるぞ」とからかう。「殿様、後生だから、助けてください」と必死の形相。実際は、馬場の中をぐるぐる回っているだけなのだが、目が不自由だから、そんなことはわからない。

脂汗一杯の富の市は、ついに顔に触れた。蜘蛛の糸の如く、すがるように、何かをつかんだ。それは柳の枝で、つかまると、馬はそのまま行ってしまった。そこで、また殿様はからかう。「それ、手を放すな。離せば、谷底に落ちるぞ」「殿様、助けてください。わたしが死ねば、家族が困ります」「大丈夫だ、家族は面倒見てやるから、安心しろ」と殿様。

「もう駄目です。腕が抜ける」「おおそうか。それなら手を放してみよ。これで成仏できるぞ。舌三寸の誤りに気づけ。そして手を離すことだ」「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、手を放します」とぱっと手を放した。

結果は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

手を放すと、大地に立った。それもそのはず、足下三寸だった。冷や汗たらたら、その場にへなへなと崩れ落ちたのであった。

凡そ、人を騙す人は、言葉が多い。丹念に発したその言葉を分析すれば、矛盾点は多い。だが、人は騙される。論理矛盾より、その話の雰囲気に呑まれてしまうからだろう。嘘が真実らしく聞こえてくる。この落語の場合は、明らかに無理ということが、聞き手にわかるため、誰もが嘘と見抜けるが、世の中、真実そうに嘘を話す人がいる。

それは何も詐欺師に限らない。無意識に、多くの人がやっている。特に名士と言われる人が、それをやっている。政治家もその部類かもしれない。評論家もそうかもしれない。学者もそうかもしれない。専門家は、狭い分野での真実に拘り、広い分野での真実とは食い違うことも多い。我々は何を信じればいいのか。

結局、言えることは、残念なことだが、常々、「何を信じればいいのか」と疑問を感じて生きていくしかないのかもしれない。そして、自分の心に、嘘を受け入れる悪い虫がつかないようにしたいものである。

*注記

この話は必ずしも、身体の不自由な人を冒涜するものではないと思う。目の不自由な按摩が、自慢たれで墓穴を掘るということになっているが、いかなる人も、嘘をつく行為自体に問題があるという話として、取り上げている。

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2009年2月21日 (土)

学卒エリートの危さ

最近、非常に凶悪な犯罪が多発している。何も罪のない一般人が巻き込まれる悲劇が起こっている。また少し前の元官僚に対する殺人行為も異常というしかない。常軌を逸している。犯罪者もいろいろなタイプがあるのだろうが、この事件は、調査にも慣れ、計画性も強い。その上、殺し方に強い憎悪が感じられる。

これらの犯罪の理由はわからないが、意外と学歴が高く、成績優秀だった人が多いように感じる。そういう人が社会に出て、初めて挫折を味わい、自分の不幸感を埋めるため、他人を殺めているような感じだ。出世した、その他のエリートに対する嫉妬のようにも取れる。彼らは成功し、自分はなぜ駄目なんだという一種あせりのようなものを感じさせる。

さて、普通、子供の頃から、小さい挫折を積み重ね、それを乗り越えると、それが節になって、竹の様にしなやかになるが、それを経験しないと、ちょっとした衝撃でぽきっと折れやすい。大人になってから、心をしなやかにすることは、本人の努力にもよるが、なかなか難しい。

結局、犯人は、挫折を経験しなかった学卒エリートのような感じもする。それが社会に出て、それまでに経験のない挫折を味わう内に、「こんなはずではなかった」という焦りが、学卒エリートのプライドを傷つけるのであろう。このようにして、考え方がおかしくなったと考えられる。

一般に若い人が、順境を歩み続けると、社会に出て、挫折には弱い。よく商売人は、三代目で、身上を潰すと言われる。生まれた時から、何不自由なく暮らしていると、世間の厳しさがわからず、ちょっとしたことですぐ挫折する。学校エリートも、同じ様なものだ。

学校時代は、成績が良いから、周囲からちやほやされる。そして、そのような状態が当たり前と思い込むようになる。当然、プライドは高くなる。そのため、社会に出ると、「あれはできない、これもできない」と理屈をつけて、仕事から逃げの姿勢になる。

結局、企業側からすると、使いにくい人材になって、学歴では見下している人材に追い抜かれてしまうのだ。新卒にしたって、就職が大変だとは言うが、企業を選び過ぎだろう。自分を磨くつもりなら、いろんな経験が出来る中堅企業や中小企業が相応しい。

だが、学校エリートは、そういう選択はできない。どうしても、学校エリートに相応しい企業や地位・役割があると幻想する。そう考えれば、高い学歴を誇り、官僚になっている方々も危いと言うことになる。これらから、はっきり言えることは、学校時代の成績は、社会での成功とは、必ずしも連動しないということを各人が認識することだろうと思う。

*追記

一般に学卒エリートは挫折に弱いが、世間体を気にするためかスキャンダルを過剰に怖れたりする。そういうことも相俟って、学卒エリートを、基本的に企業のトップに据えてはならない。よく言われるのが、東大卒が社長になると、その企業は衰退期にあると。

これは何を意味するのか。企業の草創期や、リスクの伴う成長期には、挫折を怖がる人材は、決してトップに就かない。学卒エリートは、基盤が既に整っている成熟期から衰退期に、トップになることが多い。今の米国経済や日本経済を救えるのは、学卒エリートではないことは確かだ。

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2009年2月16日 (月)

酒は身を滅ぼす

酒は百薬の長と言われるが、深酒して、酒に飲まれてしまえば、それは健康も害すし、醜態をさらす羽目になる。中川財務大臣が、酔っ払い状態で記者会見して、世界に恥をさらしている。大体、酒を飲みながら仕事をする神経が理解できない。

昔、建設現場の人たちは、確かに「酒を飲まないとやってられない」と言いながら、一杯ひっかけて、仕事をしているのをよく見たものだ。さすがに最近は、そうした光景を見ることはなくなったが、お昼の食事時に、明らかにそういう人たちが、お酒を飲んでいるのをよく見る。

大丈夫かなと思うが、本人達は、現場で飲みさえしなければいいと思っているのだろう。特に夏場の現場は大変だから、飲みたい気持ちはわからないでもない。でも、建築現場で、足を踏みはずせば、悲惨な事故になりかねない。

ところが、最近は、現場とは何の関係もない、明らかに営業職と思われる人たちも、昼間からお酒を飲んでいる風景に出くわす。おいおい、そんな状態で、顧客先に行くのだろうか。それとも、顧客と飲んでいるのだろうか。でも、顧客に誘われても、断るべきだろう。

先日は、昼間から、酒の臭いのするサラリーマン風の男女が電車に乗ってきた。会社の書類を持っていたから、そう判断したのだが、そうではないのだろうか。会話の内容は仕事の話だったから、やはりビジネス関係の人間だろう。しかし、これらの規範の乱れはひっかかる。これは社会の弛みと言えるだろう。

それにしても、世界にその醜態を晒した中川財務大臣は、国の恥だ。即、更迭されるべきだろう。更迭する人も問題は多いが(苦笑)。最早、この内閣は崩壊しているのだろう。もう誰も相手にしなくなるのは時間の問題だ。それにしても、経済の大変な時に、こんな、いい加減な人々が権力者であるのは、本当に憂えることだ。

*追記

ちなみに中川財務大臣は、風邪薬を飲んだ影響と弁明している。一体どんな風邪薬(笑)。まあ、玉子酒も風邪薬にはなるけれど。飲酒が過ぎたことを白状したらどうですか。

*平成21年2月17日追記

ついに、中川財務大臣は辞任をするようだ。途中、予算が通ってから辞任すると言っていたが、それは身を引くタイミングが悪い。すぐ辞めて当たり前だ。後任の財務・金融相に与謝野氏が兼任するという。

しかしながら、これも大変心配な人事だ。与謝野氏は、リーマンショック時にも、トンチンカンな危機感のないコメントをしていたし、定額給付金に対する意見も、内閣を混乱させている。麻生内閣を崩壊に導いた張本人の一人だ。彼の政治センスでは、国の困難な、この時期に、きちんとした方向性を示せるか疑問だ。他に適任者はいなかったのか。これなら、解散・選挙して、次の政権に全てを任した方がいい。

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2009年2月15日 (日)

無駄な努力

一般に努力は尊いと言われるが、それは正しい方向に、正しい努力をして、結果を出した時のみ言えることだ。いかに努力しても、それが間違った方向であれば、それは結果を生まない。むしろ、それは時間をロスするに過ぎない。

確かに、未来の方向性が見えない場合は、試行錯誤するため、いろんな方向への努力がなされるため、なかなか結果が出ない場合もある。そういう場合は、ある程度仕方ないが、それでも、期間を限定して、投入する努力も、それなりの効率が求められる。

子供の頃、腕白な悪ガキでも、渋柿か甘柿かの区別は知っていた。柿がたくさん生っているからと言って、無闇に取りに行くことはしない。しかしながら、大人が、案外、それをやっている。それは国の場合もあるし、企業の場合もある。当然、それでは成果は出ない。

中国の古書にも、「樹は道辺にありて、実多し。これ必ず苦李ならん」と柿を李(すもも)に置き換えて、王戎が子供の時に言ったことを伝えている。これは、道端にたくさん李の実が生っているのに、誰も取った跡がなく、きれいな状態で残っていたので、多くの子供たちは、それを取ろうとしたが、王戎だけは、それを疑い、取ろうとしなかったのだ。

私達は、結果を生むかどうか、よく考えて、努力をする必要がある。そこには、観察力や洞察力が求められる。

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2009年2月14日 (土)

家康遺訓

徳川家康の遺訓はよく知られていると思っていたのだが、若い人の中には、ご存じない方もいるらしい。先日、若い人と話していて、知らないというので、少し驚いた。マンガばかり読んでいるのかな。ということで、それを紹介しておく。

  人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。

  急ぐべからず。

  不自由を常と思えば、不足なし。

  心に望おこらば、困窮したる時を思ひ出すべし。

  堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思へ。

  勝つ事ばかり知りて、負くる事を知らざれば、其の身に到る。

  己を責めて人を責むるな。

  及ばざるは過ぎたるよりまされり。

彼は、狸と言われたが、苦労人らしい含蓄のある言葉だ。余計な解釈は止めておこう。一言一句、味わいたいものだ。

  

 

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2009年2月12日 (木)

消費のケチ道?と企業

国内は、皆さん、倹約に走っているようだが、流風は実は、不景気の時に、よく物を買う。最近買ったり、買い替えたものは、ガスストーブ、電気釜、テーブル、ワゴン、FAX台、時計などだ。全て国産のものだ。今後買い物リストとしては、電動自転車、デジタルテレビ、古いパソコンの買い替え、古い箪笥などの買い替えなどを、考えている。

逆に景気の良い時は、ほとんど物を買わない。なぜ、そのようにするかは、多分、貧乏根性が染み込んでいるのだろう(苦笑)。でも、そういう買い方をして、あまり損をしたように思わない。

景気の良い時は、いろいろ新しい機能を多く持った製品が出されるが、新製品ゆえ、機能も多機能で不安定だ。価格も高い。故障する可能性も高い。複合機能を持つ故に、壊れやすい。また壊れたものは、修理費も高くつき、買い替えた方が安くつく。それは結構、ロスが多い。

日本の製造業も、かつてのような頑強な製品を長く売るのではなくて、次々新製品が出る関西風の壊れやすい商品が主流だ。今後は、環境問題で、そのような企業姿勢は、改めることが求められるだろうが、しばらく、そういうことがまだ続くだろう。

ということで、景気の良い時には、物を買わず、現在のように不景気になった時に、物を買っている。理由としては、まず、不景気になると、企業は経営を縮小均衡させるため、在庫処分をする。そこでは、製品としてはいいものでも、結構安い出物がある。それを買うのだ。

不景気の次の段階では、企業は、当然のことながら、市場に受け入れられるような製品開発をする行動をする。しかし、コストダウンさせるためには、技術力によるものもあるが、それだけでは限界があり、結局、機能の単純化をやらざるを得なくなる。あまり使わない不要な機能を落として、本当に必要な機能に絞る。そうすれば、価格も抑えられる。

そういった商品は、機能が単一であるので、故障もしにくく強い。結局、長持ちするので、買い物としては、トータルで割安になる。だが、流風は、すぐには飛びつかない(笑)。もちろん、市場の評価を見極めて買うことになる。だから、流風のような消費者が動き出すのは、少し先のことになる。だから、しばらく、企業は不況感を味わうことになるだろう。

だが、マスコミ等は、大袈裟に報道しているようだ。不況とは言うが、物を買うお金がないというのは嘘だろう。収入は確かに減るだろうが、必要なものは買う。問題は、買う内容と買い方が変わるということを、企業が理解していないと、その不況から脱することはますます難しくなる。考え方の転換を早くしたところが生き残るのだろう。

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2009年2月 8日 (日)

2月8日は針供養?

朝、ラジオを聴いていたら、2月8日は「針供養」だと伝えている。少し変だなと思ったら、関西は、12月8日らしい。「らしい」というのは、もちろん、流風は針供養などしたことはないからだ。

ボタン付けなどでも苦労しているが、針を折るほど、裁縫ができるわけでもないし、裁縫が上手になりたいとも思わない。時々、不便を感じることは確かだが、まあ、そんな時は、知り合いの女性に頼むわけでして。最近は、そういうことをやってくれる店もあるにはあるが。

子供の頃、裁縫好きだった母は、一年に何本も針を供養していた。確か、針供養の日には、こんにゃくに突き刺していたように思う。そうすれば、裁縫が上達すると言われていたらしい。

それにしても、子供の頃の服は、全て、母の手作りだった。端切れを買ってきて、いろんな服を作ってくれた。皆、近所の人が褒めてくれるので、流風のお気に入りだったらしい。後年、母から、そのように伝えられた。

当時は、既製服もなく、母も作るしか方法がなかったのも確かだ。今は、作るより買った方が安くて楽だという雰囲気があるが、親による手作りも悪くない。母は、一旦作った物を成長に合わせて、服を解き、再度作り直していたようだ。そうすれば、資源の無駄もない。現代のように、使い捨てはもったいない。

針にまつわる話としては、子供の頃、よく「指きりげんまん 嘘ついたら 針千本飲ます」として、よく約束事をしたものだ。実際、飲まされたことはないけれど、約束を破ったこともある。両親には、お尻を叩かれて、別の罰が待っていたが。

そういうと、聞いた話では、子供が、はいはいできるほどの赤ちゃんの時、ある女性が裁縫をしていた。そして、来客か何かあったのだろう、少し席をはずした。戻って、裁縫を続け、夕方になり、裁縫箱を整理すると、縫い針がどうしても1本足りないということになって大騒ぎしたようだ。

結局、いくら探しても見つからない。そして、疑ったのは、この赤ちゃんだ。もしかして、飲み込んだのではないかと疑ったのだ。そこで、病院に連れて行き、レントゲンを撮ると、針らしきものが映っていたらしい。しかし、医師によると、処置の方法はない。ただ排出されるのを待つしかないということだったらしい。

その女性は、それから毎日、毎日、子供の便をチェックしたらしい。しかし、出る気配はなかった。だが、一週間目にやっと念願の針が、便から出たらしい。それまで、生きた心地がしなかったようだ。つまり、彼女は、ずっと針の筵だったわけだ。

この赤ちゃんは、何も知らず、一本だけだけれども、針を飲んだ経験をしたわけだ。前世で、どんな約束を破ったのだろうか。まあ、それでも、千本でなく、一本だけで良かったとも言える。その不幸中の幸いの子供さんも、今は、針供養しているのだろうか。

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2009年2月 6日 (金)

外食が美味しいのは幻想か

若い頃、東京に旅行に行って、かなり年上の知り合いに、ご馳走してもらったことがある。有名な料亭だそうで、緊張しながら食事したことを覚えている。しかし、その知り合いが、いろんな薀蓄を披露しながら、美味しいと言っていたが、流風は、そんなに美味しいとも感じなかった。

もちろん、緊張していたから、きちんと味わえなかったということもあろうが、当時、高級料亭も、この程度かと思った。確かに、器も盛り付けも、見てくれは立派で、美味しそうに見えるが、味は大したことがなかった。

確かに、この後の経験では、全ての店が美味しくないということはなかった。東京にも美味しい店はあった。だが、異常に高いのだ。寿司一つをとっても、ネタが新鮮などと言うが、関西では当たり前で、それは「東京内では、比較的新鮮」ということで、別にどうってことはなかった。

今では、流通が進歩し、全国どこでも、新鮮な魚が入手できるだろうが、当時は事情も違ったこともある。しかしながら、東京は概して美味しくないと感じた。そして、少しましな料理を味わおうとすると、高いお金を出さなければならないが、全ての高級店が美味しいとも限らない。

そんなこんなで、東京の外食のイメージはあまりよくない。テレビなどで、グルメだ、グルメだと騒いでも、本当かな、と疑いの眼で視ている。まあ、テレビのグルメ番組なんてものは、作為的に作られたものだろうから、余計にだ。

だが、関西も、最近は、段々、その雲行きも怪しくなってきた。美味しい店は少なくなってきたのだ。もちろん、念入りに探せば、いろいろあるのだろうが、狭い経験知では、どうもまずくなっているような気がする。

その理由は何なのか。一つには、チェーン展開する店が増えて、味が固定化して、オリジナル性が薄れていることもあるだろう。また他店の味が評判になれば、すぐそれを真似することもあるだろう。そのため、段々、本物がわかりにくくなっているのかもしれない。

そして、全体的に味が濃くなっているようにも思う。関西の味は基本的に薄味で、素材のよさを引き出すのが、その料理法の中心であったが、洋風の濃い料理に慣れた結果、顧客が味の濃いものを求めているのかもしれない。

それとも、味の濃いお弁当やお惣菜の中食に慣れたことが影響しているのかもしれない。かつて、家庭のおふくろ料理というものは、薄味料理が主体で、味の濃い料理は、敬遠されたものだが、今は、家庭で日本料理することも減り、薄味を経験することが減っているのかもしれない。

味は、舌で味わう。そのように考えると、人々の舌の感性の劣化が、外食のまずさを容認しているのかもしれない。今、内食の時代と言われるが、これを機会に、改めて、関西の食文化を取り戻したいものだ。

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2009年2月 4日 (水)

節分に五目豆を作ったけれども、もう立春

昨日の節分は、皆さん、豆まきされたのだろうか。流風は、結局、豆まきはせずに、五目豆を作った。よく作るのだが、今回の出来は上々。もともと、豆類はよく食べる方だが。昔は、五目豆は、作らずに、出来合いの物を買っていた。

とは言っても、大豆は水煮されたものを使っているので、完全に料理したものとは言えないかもしれない。それでも、味付けは、自分で調整できるので、満足している。市販されているものは味が濃くて、どうも苦手なのだ。

作り方は極めて簡単。市販されている大豆の水煮を用意し、鶏肉、人参、昆布、こんにゃく、ゴボウなどを豆くらいの大きさに切って、出汁で煮るだけである。出汁に、みりん、醤油、砂糖を入れ、火にかけ煮立ったら、材料を入れ、強火で煮て、沸騰したら、弱火にして、汁がなくなるまで煮たら出来上がり。

だし汁の目安は、1カップの出汁に、みりん、醤油、砂糖各大さじ1程度だが、適当に入れている(笑)。材料は、野菜の残りを使うので、その量はいつも異なる。出汁カップだったら、人参やゴボウは各半本ぐらいが目安かもしれない。こんにゃくも、それくらいがいい。鶏肉は適当に。

ということで、昨夜は、豆まきはせずに、五目豆を恵方巻と共に食べて終わった。そして、本日2月4日は、もう立春。でも寒くて、とても春の感じはしない。椿のように、すでに芽吹いているものもあるが、総体としては、まだそんな感じではない。

また立春とは、占いの世界では、今日から新年ということだ。ということは、初詣でのおみくじは、無効で、また引きなおさなければならないのだろうか。折角、今年は大吉だったのに、ありゃりゃ。

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2009年2月 3日 (火)

王者の心配とは

『抱朴子』で、葛洪が「王者の心配」について、記している。

  一、自分が心驕って贅沢になること

  二、賢人が自分のために働いてくれぬこと

  三、自分が使っている者が賢くないこと

現代における「王者の心配」とは、何だろうか。ここで言う王者とは、それぞれの分野で活躍しているトップと言えよう。それは企業だけでなく、家計でも同じことだろう。企業におけるトップのあり方や従業員について考えてみると、当てはまることも多いだろう。

家庭でも、これは、妻が王者とすればわかりやすい(笑)。それでも、一、のことができない妻なのに、パートナーに過剰な要求をするのは、止めにしようね(笑)。よくある事だが、自分がだらしないのに、相手にいたずらに期待をするのは、おかしいでしょう。

人を使うには、それなりの態度を示さなくてはならない。見上げられる存在の、いかに息苦しいことよ。「王者の心配」とは、なんと辛いことよ。その点、流風のような庶民は気楽なことよ。

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2009年2月 2日 (月)

道具持ちの実際

何事も質素だった母だが、子供から見て、贅沢しているなと思ったのは、料理道具の多さであった。以前にも記したが、母は料理が下手ということはないのだが、嫌いで、あまり熱心ではなかった。ところが、料理道具は、通販などで見つけて、あれやこれやと購入していた。

使うのは、最初だけで、結局、どこかにお蔵入り。使うのは昔からある使い慣れた道具ばかりであった。だから、棚を開けると、いろんな道具でぎっしり。使わないのなら、処分したらと言うと、いつか役に立つこともあるだろうから、置いておくという。

そういうわけで、キッチンは荷物で一杯になり、使い勝手の悪いものになっていた。こういうことは誰にでもあるのかもしれない。私は、割と不要な物は処分する傾向が強いが、それでも、書籍の処分にはいつも少し躊躇する。多分、今後も読み返さないものも、また読むかもしれないと、置いておくことはある。

人間、人のことはわかっても、案外、他人から見れば、流風も、使われない道具をいつまでも持っているのだろう。でも、母のように、料理道具だけでなく、何でもかんでも、ガラクタのような物をいつまでも持っていたのは、未だに理解できない。道具は使ってやって初めて価値を持つと常々考えたいものだ。さあ、今日も、整理整頓(笑)。

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2009年1月31日 (土)

恒産ある者は、恒心あり

「恒産ある者は、恒心あり」は孟子の言葉だ。一般には、その後で、述べている「恒産なき者は、恒心なし」の方がよく知られている。民は、経済的に潤えば、その心も落ち着き、正しい道を歩むと理解されている。

だから、心さえ正しければ、何とかなるとは、孟子は説いていない。それは、孟子の先人である孔子も同様と思う。経済的に苦しければ、心も正しく保つことは難しいのだ。民の生活を隅々まで安定させることは為政者の役目だ。

もちろん、経済だけが全てではないという人もいるだろう。それは確かだ。お金だけあっても、味気ないだけだろう。無趣味で、家庭生活も不安定で、友人もなければ、それは意味のある人生とは言えないだろう。

しかしながら、経済の余裕ががなければ、それらを獲得することは不可能だ。大体、人間というものは、経済的にゆとりが出ると、それを失いたくないという心が働く。つまり保守的になるのだ。

それは、行動にも影響を与える。経済的にゆとりのない時代とは、明らかに違ってくるようになる。そして、道徳的な意味も理解できるようになる。若い時は、散財して遊びたいものだが、それを若干辛抱していると、お金は貯まっていく。

ある程度貯まれば、後は時間が増やしてくれると言われてきた。しかし、日本の経済はバブル崩壊後、国内経済は停滞し、金利もほとんどつかない状態だから、財産を時間で増やしていくことが難しくなっている。

そこで、政府は、「貯蓄から投資へ」と旗振りしたが、素人が利回りを確保することは難しく、デフレ状態であれば、結局、しっかり働いて、少しずつ貯蓄していく方が賢明と判断される状況だ。

貯蓄などというものは、結局、どのレベルの所得であっても、見栄をはらず、支出をコントロールして、それなりの生活をすれば、可能だ。別に、お金持ちになる必要はないけれど、人生の変動に耐えられるほどのある程度の貯蓄は求められる。

若い人は、時間があるのだから、時間をかけて、「恒産」に励んでもらいたいものだ。そして、同時に、家族の形成、親友の確保、自分に合う趣味などにより、人生を豊かにしてもらいたいものだ。

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2009年1月24日 (土)

一を聞いて十を知る

世の中には、世の中のちょっとした現象から、全てを見通す人がいる。流風は、一を聞いて、やっと一を知る凡人だが、一を聞いて十を知る人が羨ましい。父は、子供の頃、周囲から、そのように言われたらしいが、その後も、そのようであったかはわからない。

ただ言えることは、こまめに新聞情報から得た情報を分析し、近未来は正確に予測していたように思う。流風が社会人になってからも、ちょくちょく父に相談したが、その判断にほとんど間違いはなかった。

度々、その判断力に驚いたが、父は誰にでもできることだ、と言い、お前は努力が足りないのだと注意を受けた。確かに、父は閃きの天才型というより、秀才型だろう。そして、その努力は確かだが、また勘所を押えるのも、うまかったと思う。

何が問題で、その中の何が課題で、その解決策はどのようにすればいいのか、自然にそういう思考が日常的に出来ていたのだろう。父は、度々、哲学と歴史から、人間学を習得することが大事たが、現代教育は、それを等閑にしていると憂えていた。

父によると、小学生時代は、最低限覚えなければならない詰め込み教育も必要だが、人間社会でどうあるべきかを十分理解しないと、世の中を見通すことはできないと常々言っていたことが懐かしい。

さあ、流風も、一を聞いて、二ぐらいわかるように努力しよう(笑)。遅すぎることもあるまい。

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2009年1月22日 (木)

為政者と庶民の生活

  日出でて作(はたら)き

  日入りて息(いこ)う

    井を鑿(ほ)りて飲み

  田を耕して食う

  帝力我に何かあらんや。

最近の為政者は、おおっぴらに庶民の生活を見学するようだが、昔の偉い為政者は、お忍びで、庶民の生活状況を観察したものだった。自分の知っている国民の状況と本当の国民の生活状況にズレがないか確認したのである。

あの水戸黄門が全国を行脚したというのは創作で、彼は水戸藩を一歩も出ていないが、その代わり、家来に命じて、民の生活を報告させたという。ただ家来がどの程度の正確さで、庶民の生活を伝えていたかはわからない。間接情報には、歪みが伴うものだ。

子供の頃、糸電話で、最初に話した内容が、最終者には正確には伝わらなかった経験をお持ちの方は多いだろう。あれは社会、企業社会でも同じで、中間に介在者があると、当初の意図とは違った伝わり方をする。

そういう意味では、私達がマスコミ等を信用するのは危い。だが、いつの間にか、刷り込まれていることもある。自分自身をもっとしっかり持たなければ現代は厳しい。

さて、また脱線してしまったが、最初に挙げた歌は、『一八史略』にある。ある老いた百姓が、何かを食べながら、腹を叩いて、木ゴマをぶつけ合って遊んでいた。そして、この歌を歌っていたのだ。これを聞いて、お忍びで町に出ていた中国の皇帝、堯は安心したと云う。人々の生活が皇帝のことを気にすることもなく、安寧にやっていると。

もちろん、この話は創作だろう。作者の意図は、若い皇帝に、皇帝というものは、そうあらねばならないと諭して作ったように感じられる。大きい組織では、トップには、いつも正しい情報が伝えられるとは限らない。だから、正確な判断が出来るように、多様な情報ルートを持たなければならないということだろう。そのための一つの手段が、直接の多様な視察だ。

現代の日本でも、為政者は正確な情報入手に心掛けてもらいたいものだ。内密に、こまめに庶民の状況を視察して、その状態を把握することは大切だ。そして、多様な情報入手ルートを確保すべきだろう。マスコミ報道で知って、始めて動くようなことのないようにしてもらいたいものだ。

  

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2009年1月20日 (火)

歌舞伎『山姥』と金太郎

子供の頃、よく歌った童謡『金太郎』は、ひらがな部分を感じにすると、次のような歌詞だ。

  一 

     鉞かついで 金太郎

     熊にまたがり お馬の稽古

     ハイシドウドウ ハイドウドウ

     ハイシドウドウ ハイドウドウ

 二

     足柄山の 山奥で

     獣集めて 相撲の稽古

     ハッケヨイヨイ ノコッタ

     ハッケヨイヨイ ノコッタ

子供の頃、流風は、菱形の腹掛けを着用して、父の背中にまたがって、いつも嬉しそうにしていたらしい。後年、母から懐かしそうに教えられたが、当時、父も流風が、「ドウドウ」と希望すると、喜んで、背を貸していたという。親の気持ちとしては、皆、そんなものだろう。

さて、歌舞伎に、謡曲と同じ題名で、『山姥』というものがある。能同様、未だ鑑賞したことはない。調べて見ると、これは、謡曲とは、全く内容が異なり、金太郎が出てくる。山姥は金太郎の母(ちなみに父親は雷神だ)という設定になっている。源頼光の家来の三田の仕(つかさ)が、頼光の家来となりうる勇者を探し出す筋になっている。源頼光は、土蜘蛛退治で有名で、以前のブログでも取り上げた。

頼光にはも四天王と呼ばれる四人の強者の家来がいた。すなわち、渡辺綱、卜部据季武、碓井貞光、そして、金太郎のモデルと云われる坂田金時だ。彼の出生は不明だ。兵庫県川西市の満願寺にお墓があるとも伝えられているが、その出自はわからない。

封建制度が確立していなかった時代は、いろんな階層から、能力がある者が取り立てられたと推定できる。凡そ、いつの時代も、新興勢力は、実力主義だ。武家集団の勃興が、少し評判を聞けば、実力ある者を取り立てたのだろう。

ある子供の評判を聞いた三田の仕は、スカウトのため、足柄山で、山姥に会いに行く。そして、その息子怪童丸に接見してみて、その豪力に驚き、頼光に仕官するよう促し、山姥は、自分の素性が子供の将来に傷をつけると考えて立ち去るという、身分社会の少し悲しい筋だ(*注記)。

現在でも、若い時、やんちゃをやっていた若者が、いい指導者の下で、いい仕事をしている人たちがある。いかに彼らを覚醒させ、チャンスを与えるかが指導者に問われている。酒呑童子を退治した金太郎のように、現代の金太郎の出現を望みたいものだ。

そのためには、彼らの持つエネルギーを社会に正しく向かわせる仕組みとリーダーが大切だろう。そして、いろんな価値観を尊重し、偏った教育にならないようにして、多様な人材を育成できるように、為政者は配慮してもらいたいものだ。

*注記

まあ、こういうことは、封建社会後も続けられ、美しい町娘などを自分の養女として、迎え、自分の娘として、それなりの家に嫁がせた武家は、たくさんあった。日本は、割と家系にシビアでなく、養子を受け入れたのは、家というものを絶やさない工夫とも言える。今は割りと減ったけれども、少子化の現在、また増えるかもしれない。

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2009年1月18日 (日)

謡曲『山姥』の物語を考える

東京や大阪の繁華街に行くと、いまだに山姥(やまんば)頭をした若い女性を見かける。あれはファッションなんだろうが、昔、子供の頃よく見たルンペンのおばあさんと、あまり変わらない。彼女達は、どういう目で見られているかわかっているのだろうか。

まあ、流風も、若い時、朝、髪が固い質のため、強すぎてなかなか髪の毛が寝ない。電車の時間に間に合わないので、止む無く、髪が立ったまま出社して、先輩や上司からからかわれたから、あまり、それと違わないかもしれない。しかし、彼女等の髪型は、自分で意識して、ああいう格好をしているのだから、違和感を感じる。

彼女らのファッションは、流風には全く理解できないが、彼女らにすれば、あれが自己主張の一つの表現なのだろうか。考え方によっては、誰も寄り付かないようにしているとも考えられるが、それとは逆に、かえって近寄ってくる人を選り分けているのかもしれない。

そう考えれば、人間は誰でも、好みで付き合う人間を狭めているかもしれない。彼女等とはお近づきになりたいとは思わないが、それは彼女等もそうであろう。だとすれば、安易に彼女等を笑うことはできない。

さて、話は全く変わるが、山姥を題材にしたもので、謡曲にも『山姥』というものがある。残念ながら、能はまだ鑑賞したことがない。そして、正直言って、その内容は、なかなか解釈には、難しいものがある。余程、中国の詩歌や日本の古典・仏典に通じていないと、真の理解は無理があるようだ。

それを敢えて取り上げようとするのだから、無謀と言われても仕方ないが、流風なりの印象や感想を少し記してみよう。

内容は、山姥山廻りの曲舞を得意とし、そのため「百萬山姥」と呼ばれている遊女が、険しい上路越えをしていると、本当の山姥が現れ、一緒に舞う情景を描いている。単に一緒に舞うだけでは、別にどうってことないのだが、そこには、仏教思想を底辺に、東洋の文学や思想をあしらい、より複雑な内容になっている。表面的なあらすじは次のようになっている。

山姥の曲舞を得意とするため、「百萬山姥」と渾名されている遊女が、従者を連れて、善光寺詣を思い立ち、越後越中の境川に着き、そこから徒歩で、上路の山にさしかかると、急に天候が変わり、困っていると、女が現れて、宿として自分の庵を勧めてくれる。

ついていくと、その女性が「山姥」の曲舞を舞い詠ってくれと所望し、自分が本当の山姥だと告白する。それに慄き、舞おうとすると、それを止めさせ、夕月の頃、一緒に舞おうと言って、消えうせる。

約束の時間になると、怖ろしい姿の山姥になって現れ、山姥の曲舞を舞う。そして舞いながら、どこともなく消えうせる、といったものだ。

これは作者、世阿弥元清は、何を意図して創ったのだろうか。実際に、山姥が現れたというのとは違って、あくまで、それは、ある夜の雷鳴の時、眠りに落ち、夢による啓示の様なものを作者が感じ取ったのではなかろうか。それを謡曲に表現したのではないか。それは上歌に、表されているような気がする。

  鬼一口の雨乃夜に、鬼一口の雨乃夜に。

  神鳴り騒ぎ恐ろしき。

  その夜を思ひ白玉か何ぞと問いし人までも

  我が身の上になりぬべき。

  浮世語も、恥かしや浮世がたりも恥ずかしや。

作者は、山姥の夢で、ヒントを得て、百万山姥が、芸をより高めるため、昔の山姥と遭遇し示唆を得たという作品を創出したと思われる。そこに、仏教思想の輪廻というテーマを絡ませて、人々の魂は、時代を超えて、伝えられていると考えたのではなかろうか。

輪廻とは、生死一体ということ。生きることでの色々な思い悩みや捉われ、死後の世界から見ると何もない現世の空しさ。生死は別々ではなく、一体で、ぐるぐる回っている。それは同心円状なのか、螺旋状かはわからないが繰り返されている。私達は、時々立ち止まり、先人に学ぶ必要があるのだろう。世代を超えて大切なことは変わらないのだから。

そして自分の意思を後世に伝える。身近な所では、親から子へ、子から孫へ。世代から世代へ語り継いで、伝承され、継承されること。もっと私達は、大切なことを忘れてはいないだろうか。この『山姥』の謡曲は、そのような意味を含んでいるように感じられる。

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2009年1月15日 (木)

鋳掛屋のこと

子供の頃、「いかけや~、いかけや~、いかけやっか~」と、言いながら、家を回る行商の人がいた。鋳掛屋さんである。穴あき鍋や穴あき弁当箱の修理や包丁研ぎなどを、出張しながらやってくれるのだ。最近は、そういう風景はほとんど見ないが、当時は、母はお願いしていた。

包丁研ぎの方は、父が砥石を購入して、やるようになったから、頼まなくなったが、アルミ鍋や弁当箱に穴が開くと、頼んでいた。当時は、戦争の影響で、鉄鍋の入手は難しく、ほとんどの鍋はアルミ製が多かったが、品質が悪く、穴が開きやすかったようだ。アルミの弁当箱も、梅干で穴が開くという代物だった。

最近は、鍋に穴が開くようなことはないが、包丁研ぎは、時々、スーパーや百貨店で催しをしている。流風は、包丁を持ち歩くのも面倒だから、自分で磨いているが、父のようにはうまくいかず、出来はイマイチかもしれない。そこで最近はダイヤモンド研磨機なども売っているので、そちらの利用が多いかもしれない。

そのおじさんは、家の前で、火を起こして、ふいごで火力を増しながら、記憶が曖昧だが、こてのようなものを使いながら、うまく穴を埋めていたと思う。穴の下に何かの板を当てて、トンカチしながら、溶接のようなことをしていた。小さい子供時代のことなのに、不思議と思い出される。

ただ、穴が開いても、行商だから、タイミングよく来てくれるとは限らない。鍋は大、中、小とあり、一つではなかったが、適当な鍋がない時は、料理嫌いの母は、それを言い訳にして、作る料理の種類が限られていたように思う。本当に困った母だった。

ただ父の弁当箱に穴が開いたことに朝、気づいた時は、母は本当に当惑していた。結局、しばらく、お弁当の代わりに、おにぎりが続いたようだった。父も恥ずかしかっただろう。少し、母ともめていた。当時は梅干弁当は当たり前で、母の責任ではないのだが。

今は、物が溢れ、傷んだら、すぐ買い替えるようになっているが、物のなかった時代は、修理して使うしかなかった。その心掛けは、今も大事にしたいものだ。

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2009年1月11日 (日)

昔の須磨のイメージ

   淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声の

         幾夜寝覚めぬ 須磨の関守

            (源兼昌、百人一首第七十八番)

神戸の観光で、須磨は興味ある面白い地域だ。この点については、以前も多少触れたので、ここで改めて記さないが、場所によっては、意外と観光客が少ないので、ちょっとした穴場なのだ。特に散歩ルートとしては、気持ちよい。

ただ、冬の季節には、ちょっと厳しい。というのは休憩できる屋内の施設が少ないからだ。基本的に、夏の屋外でのレジャーや春と秋の観光を前提としている。冬に観光客を増やそうとすれば、何らかの催しと、気軽な飲食施設が必要だろうが、現状ではペイしないだろう。難しいところだ。

さて、その須磨のことを詠ったのが、先に挙げた有名な歌だ。当時は、貴族にとって、須磨は侘しいイメージが強い。現代のように、移動手段が十分にあったわけでもないから、それは想像上の世界に過ぎない。在原行平のように実際に須磨にいった人は稀であろう。

例えば、『源氏物語』では、光源氏が流されて、須磨のわび住まいをしていると描いている。だが、紫式部も、実際には須磨を見ていないだろう。文学の描いたイメージは一人歩きする。

そして、この歌の作者の源兼昌は、『源氏物語』の須磨の巻を参考にして創作しているのだから、尚更だ。イメージによる作歌に違いない。『源氏物語』の須磨の巻に取り上げられているのは、次の歌だ。

   友千鳥 もろ声鳴く あかつきは

        ひとり寝覚めの 床もたのもし

源兼昌の歌は、光源氏の心理を須磨の関守に重ね合わせながら、詠んだものだろう。実際、冬空の下で、須磨や明石の海辺に立ち、ぼぉっと見える淡路島を眺めると、寒さで、この歌の心境になるから、源兼昌の洞察力には、恐れ入る。

しかし、現在は、須磨は、そんなわび住まいのイメージはなく、住みやすい地域になっている。確かに、冬の海辺の寒さは、多少侘しい感じもしないわけでもない。だが季節によって、感じる落差が大きい場所としては面白い土地だ。

そして震災では、古い家は大きく傷ついたが、今は大半は回復している。海と山を同時に経験できるので、歳がいくと、こういうところに住んでみたいと思う人は多い。イメージも時代と共に変わるものだ。 

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2009年1月 9日 (金)

安田善次郎の蓄財

安田善次郎と言えば、戦前、安田財閥を築いた逸材だが、そのやり方はえげつなかった(「えげつない」という言葉がわからない方は、ネットで調べてください)と言われる。多分、多くの人々に恨まれていただろう。実際、彼の無惨な最後は、それを象徴している。

しかしながら、彼の経営センスは、ある意味、ユダヤ商法に通ずるもので、国際ビジネスでは、有効な考え方かもしれない。但し、このやり方は短期的には通用するが、長期的には、信用されない。彼は、どちらかというと、策士だ。

だが、当時、財閥を築き上げた先人は、皆、そうであったとも言える。一般に、策士は策に溺れるが、彼は商売に関しては、そういうことはなかったようだ。全て計算ずくで、事実、彼の思惑通り、獲得したいものは全て得た。結果的に、人を騙すことになるので、多くの人々に恨まれた。

彼に欠けていたものを強いて挙げれば、それは社会の気持ちを無視したことだろう。自分だけよければ、それでいいという考え方だった。敗者への思いやりにも欠ける。勝ち過ぎるのだ。商売と言う戦争に勝つには、何をやってもいいという考えが、彼の意識の下に横たわっていたことは間違いない。

もちろん、それでも、彼のやり方が全否定されるわけでもない。商売においては、目先が利くことも大切な成功の要因だ。彼は考えたことをすぐに実行したし、即断即決の行動力は大変評価できる。ただ、孫子の兵法は学んでいなかったようだ。百戦百勝が危いということを理解していなかったのではと思われるのは、少し残念だ。

ただ、その彼が晩年、人々に貯蓄の大切さを問いている。まず、貯める決心をして、実行し、継続すれば、誰でも、蓄財できると説く。そのための心構えとしては、次のようなものを示している。若い人には参考になるかもしれない。

まず第一に、とても無理な貯蓄計画をしないこと。

できない計画を立てると、結局、早期に挫折する。まず可能な第一目標を立て、現実的に貯蓄する。貯蓄の芯「タネ銭」をまず貯蓄し、貯蓄の基礎を作る。

第二に、少し貯まっても、誘惑に耐え、使わないこと。

貯蓄に最も大きい障害は、「見栄」だと指摘する。現代は買い物の欲望を刺激してくるが、買う前に、何回も考えるくせをつける。「タネ銭」を流用しないで、地道に、ひたすら大きくしていく。

第三に、一攫千金を狙わない。それはむしろ財産を失う素だ。

うまい投資話などには乗らない。それに運用で増やすと言うのは、簡単ではない。「貯蓄から投資へ」と、政府は、その旗振りをしたが、無責任、この上ない。細かいことを言えば、宝くじなどはナンセンスと言える。そんな無駄遣いをする余裕があるのなら、貯蓄すればいい。出ずるを制することは大切なのだ。

第四に、こつこつと辛抱強く貯蓄すること。

最初の芯(タネ銭)ができれば、後は時間が経つにつれて、雪達磨式に増えていくことを、知るべきだ。それは現在のデフレ時代も変わらない。貯蓄のくせがつけば、次の段階に自動的に進む。まあ、その前に、しっかり働くことが大切だけれど。働いて稼ぐことは、貯蓄の最大の第一歩だと説く。

このように彼の金銭感覚は当たり前と言えばそうだが、鋭い。彼の成功は、その金銭感覚がベースにあったとも言えるかもしれない。まあ、上記の四項目は、簡単なようで、なかなかできないのが、凡人だが、逆に言えば、決心次第で、誰にでもできるとも言える。

そして若い時に、早くそれに気づいた人は誰でも、安田のように成功するかどうかは別にして、ある程度蓄財できることになるのだろう。この安田の蓄財の教えは、まさに正鵠を射たものだろう。ただ流風のような年齢になって、気づいても遅すぎる(苦笑)。

*追記

彼の言いたいことは、次のような意味だったのかもしれない。

商売や投資の成功で、財産を増やした人は、少ないと言うことを、しっかりと認識することは大切だ。一般庶民は、仕事をしっかりして、生活を堅実にすることが賢明だということだろう。

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2009年1月 7日 (水)

プレイボーイと狂言『業平餅』

『伊勢物語』では、プレイボーイぶりをいかんなく発揮する在原業平は、彼の時代以後も、実際よりオーバーに表現されているだろう。まあ、有名税みたいなものだ。実際は、彼の行状でなくても、彼の仕業にしてしまった場合も多いのではなかろうか。それに、彼のブランドにしておけば、観客の反応もいいから、さらに大袈裟になっていく。

それに、前にも記したが、女性はブランドに弱い。天皇の血筋であり、男前であれば、どこかの追っかけみたいに、キーキャーと当時もあったに違いない。ちょっと見つめれば、妄想に走り、尾ひれがいっぱいつく。後の時代の女性たちも、恋憧れたに違いない。女性にとって、理想化された男性像よりも、少し危なっかしい男に惹かれるものだろう。

それは女性の対象とした観客に受けるためにも、創作活動にも取り入れられたことだろう。例えば、能や狂言だ。もちろん女性の観客を意識してのことだろうが、作者は、プレイボーイの裏側を描いて、女性に忠告しているとも受け取れるだろう。

例えば、狂言『業平餅』も、その一つだ。これは業平が傘持ちなど多くの家人と共に、和歌の神様を祀る玉津島明神へ参詣の途中の話ということになっている。和歌を詠みながら歩いていると、餅屋の前を通りかがるが、大体、お金を持っていない。当時の殿中人は、お金を持ち歩かない。

今でも、現金は一切持たず、カード主義の人もいるようだが、当時は、貴族は、そのようだった。お金なんて、賎しい者が持つものと考えていた。しかし、その後、貴族は没落し、お金を無視した生活はありえなくなる。業平の時代は、まだ、のんびりした時代だったのでしょう。

さて、お餅を食べたい気持ちは止まない。人間、お腹が減ると、食欲に身分の上下はない。そこで、小町の話(雨乞いの歌を詠って、奇跡が起こり、見事、雨を降らせたことにより、帝から褒美として、餅を賜ったという逸話)をしてやるから、それで餅を食べさせよと言うが、餅屋の主人は、それはできないと言う。

そこで、業平は、鏡餅から始まり、草餅、桜餅などの「餅尽くし」の謡を謡う。今だったら、海苔餅、納豆餅、きな粉餅、あんこ餅、大根おろし餅、焼き餅、汁餅などいろいろ考えられるが、当時の餅は、実際、どれくらいの食べ方があったのだろうか。食いしん坊の流風は、関心がすっとそちらの方にいく(笑)。

話を戻すと、さすがに、主人も関心を示し、家人に、「どなたさまですか」と問い、在原業平と知る。そこで、自分の娘を奉公させてくれるのなら、お餅を差し上げてもよいと約束。「奉公」させるとは、愛人として差し出すこと。

曖昧な返事をしていると、主人は娘を迎えに行く。その間に、業平たちは、お餅を盗み食いして、急いでたらふく食べようとするが、咽喉につかえて、大変。それでも、食べ続けている。ちょっと茶化しすぎじゃないかい、狂言の作者よ。彼らは、そこまでも卑しくないだろう。ここら辺は、街中の感性。

ところが、主人が連れてきた娘の容姿を見て、あらっ、びっくり。とんでもない醜女だった。これはたまらんと、傘持ちに押し付けようとする。彼女を見ていない傘持ちは、最初は乗り気だったが、顔を見て、(実際はいないのに)決まった女性がいるのでと、急に尻込みして断る。結局、最初喜んでいた娘は取り残され、悲しむ、というような筋。

人間、外見が大事ということか。流風も、若い頃、まったくオシャレとは程遠いところにいたので、ある先輩から、もっとちゃんとすれば、異性は寄ってくるのになあ、と言われたことがある。その当時は、仕事に集中して、そういう方面には、関心がなかった。まあ、まったく関心がなかったのは嘘だが、邪魔臭いの域だった。別に女嫌いじゃなかったよ(笑)。いわゆる、むっつり助べえ(笑)。

また脱線してしまったが、業平は面食いで冷たいなあ。『源氏物語』の光源氏と違うね。でも、あれは紫式部の理想かもね。また時代は下がるが、明智光秀は、婚約していた妻木熙子(ひろこ)が、疱瘡になり、顔はあばた顔になったが、それでも彼は婚約を解消せず、妻を大事にしたとのことである。そのため、妻は恩義を感じ取り、光秀に一生尽くしたという。こうでなくてはね。難しいことだけれど。

それにしては、業平は、あまりにも軽すぎる。それがプレイボーイというものかもしれない。そして、概して、女性はプレイボーイを好きになる。まあ、こまめだから。女性にもてるには、こまめじゃないとね。だが、釣った後は、餌をやらないということになり、別れが待ち構えている。業平も、『伊勢物語』では、それを繰り返している。学習能力なし。今でも、そういう男いるねえ(笑)。でも、お餅のために、約束をしてしまうとは、シナリオとしては、ちょっと行き過ぎじゃないかえ。

まあ、この狂言は、業平の御乱行を皮肉ったものとも言える。お餅を食ったとは、「女を食った」とも言えるかもしれない。現代のプレイボーイも、新作の狂言の台本にされないように注意した方がいいよ。あの世に行ってからも、舞台で笑われ続けるから。

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2009年1月 5日 (月)

今年の初詣

今年も例年の如く、ほろ酔い加減で、初詣に行ったが、大変な人出だった。大変な時代だから、神に祈りたい気持ちはよくわかる。流風も、お賽銭を多少はずんで、お願いしてきた。はずむといっても、小銭だけれど(笑)。

そして、おみくじ。最近は、神社も商売がうまくなって、おみくじの種類も多様化している。恋愛運、福運、交通運、財産運、家内運などいろいろ。とりあえず福運を選んで、出てきたのは、まずまずの運だった。でも、おみくじの料金が値上がりしていたのには、少し驚いた。この不景気なのに、強気の商売だ(笑)。

いつもは、可愛い巫女さんがいる所に並ぶのだが、今年は不作(苦笑)。でも、おみくじの内容には満足。世の中、全ていいことはないようだ。外見より中身が大事と考えれば、異性選びに通じる所がある。

次に、お札を頂いて、帰途に。行きより多い人の波が続き、出口まで相当かかった。神社はホクホク顔かな。みんな、神社さんのようになればいいのだが。全ての人が前向きになれば、この不景気は乗り越えられるのかもしれない。神社の営業戦略に学ぶ必要があるかもしれない。

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2009年1月 4日 (日)

日本の新聞社の行方

毎年のことだが、元旦の新聞は、ご祝儀とは言え、やたらと分厚い。ただ、くだらない記事に、広告が多いだけのことである。2日が新聞休刊日なので、2日分の記事を集めたものとも捉えられるが、そんなに内容はない。たくさんのゴミが増えて、困るだけだ。

ところで、昨年の米国の新聞紙トリビューン社の破綻は、日本の新聞社にとっても、ドキリとする報道があっただろう。トリビューン社の破綻は、ネット新聞の普及により、新聞の部数が減ったことと言われる。

日本の新聞社にも、同様に危機は迫っているかもしれない。実際、朝日新聞は赤字を出したし、毎日新聞、産経新聞も、半期営業赤字だそうである。日本の新聞社にも、危機はひたひたと押し寄せている。

日本でも、読者は減っており、ネット情報の普及により、若者が新聞を読まなくなったことが原因と言われる。各新聞社は、それへの対応が遅れているのかもしれない。現代は、情報入手が多様化しており、新聞が唯一の情報入手手段ではない。

だから、新聞社は、多様な情報提供手段を持つ必要がある。単に新聞の部数を増やすだけでは、企業としては成り立つことはありえない。つまり新聞社の危機は、その経営センスと戦略が不足しているものと推定される。そういう意味では、一言で言えば、旧態依然ということになる。

さて、流風は、ずっと前から、一般紙は継続購読していない。基本的に、ネットで情報を得て、関心ある情報があれば、それぞれの新聞を、コンビニや駅の売店で適宜購入している。比較的、良く購買するのは、神戸新聞、日本経済新聞、毎日新聞、産経新聞であろうか。朝日とか読売とかはほとんど読まない。

つまり、日本の一般紙は、皆、情報の出所が似ており、個性がないので、全紙を読む必要はない。独自情報が極めて少ない。日本経済新聞は、その情報が他社とはやや異なるが、それでも、経済面を除けば、あまり変わらないだろう。

もちろん、政治・行政の基本的情報は共通情報は必要だが、その他の情報までも、なぜ、そうなるのかは、いろいろ考えられるが、各社が横並びを好む傾向があるのだろう。また、見方によっては、記者クラブの情報に胡坐をかいているのではないか。新聞記者のレベルが落ちていることも否めないし、編集者の横並び意識も強いのかもしれない。

だが、他社紙に掲載された情報が、自社紙にないというのは恥だと思うのは、どこかおかしい。読者からすれば、各社のスクープは、それはそれでいいと思う。他紙は、別にスクープを抜かれても恥と追わないことだ。それぞれに強い分野の情報が強くて、その分野のスクープをすればいいことなのだ。

ところが、トップ層や編集者はそれを許さない雰囲気があるのだろう。そこで、同じ情報を追いがちになり、無駄な活動をしていると指摘できる。そういうことが、記者の意欲を削いでいるのかもしれない。

その結果、どこも似たような記事になってしまう。だから、読者は、一般紙をたくさん読むことはナンセンスとなる。一日の間に報道される重要なものは限られる。それなら、ネット情報だけで十分となる。それだけ新聞を読む価値が落ちているのだ。

もちろん、各社共に、報道姿勢は異なるので、報道内容は、その情報の選択・解釈において、違っているとも言えるが、その情報の出所は限られているから、結局、それに賛成か反対かという報道になりがちだ。行き過ぎれば、それは意見報道になってしまう。それは本来の報道ではないだろう。

むしろ、これからは、各社の強みを明確にして、独自の情報を獲得して、流し続けることが求められる。そうすれば、読者の信頼感も増す。限られた情報を限られた人々に、というキャッチフレーズが望ましい。これからは新聞社がそれぞれ独自性を保たないと経営は厳しくなっていくだろう。

それでは、今後どのようにすれば生き残れるのだろうか。個人的見解を少しだけ示しておこう。

まず、各社、読者のターゲットがぼやけているような気がする。それは部数を伸ばす戦略で、闇雲に記事の内容を八方美人的に拡げてしまったことが、その個性を失い、面白いものでなくしている。そのことを改める必要がある。

次に、ネット対策である。ネット情報も、基本的に新聞社等の記事や情報がある程度ベースになっている。本来、持ちつ持たれつの関係であるはずなのに、ネットにのみ有利に働き、新聞社には、あまりメリットがないというのは、シビアに考える必要がある。

ネットに情報を流すのであれば、それなりの見返りがなくてはならない。それをどうビジネス化するか。相互にビジネスメリットのある手法を業界全体で開発すべきだろう。

そして、次には、情報の多様化への対応である。今までも、新聞社は、系列の雑誌や、フォト誌、経済誌、ネット・携帯への情報提供をしているが、それは十分に活かされていない。極めてマニア的な読者しか獲得できていない。

これらは新聞社の付属という位置づけであれば、本来意味をなさない。むしろ新聞社と同列として扱い、各社は独自の展開・営業力が求められる。それらが同期・競争することによって、記事レベルが上がっていく。そうすると、読者は、それぞれに違った関心を示し、購読層に厚みを増すことになるだろう。

それと合わせて、新聞紙情報の流通の多様化も求められる。毎日、朝刊と夕刊を配達すべきなのか。それを必要としていない読者もいるはずだ。朝刊のみ、夕刊のみ、サマリーを週末に、ウィークーリーのみ、土日のみ等、いろんな配達形態と、価格体系を作り上げるべきだろう。

また関連雑誌の配達も、積極的にやればいい。雑誌等は郵送され、新聞店から配達されないのは疑問が残る。もっと言えば、他誌の配達をやってもいいのではないか。

ざっと、見ただけで、疑問はいっぱいだ。新聞各社は、各業界の批判はしても、自業界は何も見えておらず、改革もできておらず、旧態依然なのは明らかだ、早急な自己改革が望まれる。

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2009年1月 3日 (土)

今年のお餅は大正解

今年のお雑煮は大変美味しかった。それには、いろんな原因があるが、それは矢張りお餅が美味しかったことが大きく影響している。実は、昨年にも記したが、例年、購入するお餅屋が商売を辞めてしまったので、いろいろ探し回った結果だ。

昨年、百貨店やスーパーで、袋入りの杵つき餅を試しに買って、食してみたが美味しくなかったので、結局、老舗の和菓子店で購入した。実は、この和菓子店は、例の事故米使用でリストに挙げられた店である。

だが、このお餅は、大変出来がよかったので、正月の餅として採用したのだ。大体、あのような問題を起こした後なので、店も真剣になっている。材料も吟味されたものを使用したようだった。

その結果、今年は大変美味しいお餅を味わうことができた。皆にも、喜ばれ、鼻高々。この店にしても、従来、老舗の看板に酔っている雰囲気があったが、禍を転じて福にしたようだ。店は、このような緊張感を失わないようにしてもらいたい。流風も、今まで以上に贈答用に使う予定だ。

今年は、年初から縁起がよい。

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2009年1月 1日 (木)

今年はナンテンがよく似合う

新年、明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

と、ここまでは、年賀状のような挨拶。さて、今年はいかなる年になりますやら。お神酒も頂いたし、お節もお雑煮も、たくさん食した。そろそろ、本年、第一号記事を書き進めるとしまししょう。ちょっと酔っているから、うまくまとめられるかな(笑)。

ところで、ナンテンは花より実が美しい。赤色あり、橙色あり、白色もある。生け花のベースに使うと、他の花が映える。それに結構日持ちもよい。また栽培するとわかるのだが、実生から育てるのもあまり苦労はいらない。比較的、日当たりのいいところに植えれば、ずんずん大きくなって、嬉しいものだ。

母は、このナンテンが、「難を転ずる」ということで、好んで植えた。まあ、実際は、何事もずぼらな母が、手間要らずだったのが本音だったとは思う。それでも、それらのナンテンは皆大きくなって、庭を賑やかにしている。植える場所によって、その大きくなり方が異なり、違う雰囲気を出している。与えられた地に、それぞれ適応して成長していることは好感が持てる。

そういうことを考えていると、今の日本経済も、「ナンテン」そのものになることが求められるのではないか、ふと思った。欧米の経済が大変なことは、確かに日本経済にも、大きく影響していることは確かだが、それでも状況適応は大切で、次の新たな展開を考える機会が与えられたと考えたい。それなりに、よい一年にしたいものです。

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2008年12月31日 (水)

平成20年大晦日と来年は丑年

いよいよ今年平成20年も終わりつつあり、カウントダウンが始まった。それにしても今年は、本当に激動の年だった。予想はされたものの、米国金融破綻は、予想以上に各国の経済を大きく傷つけた。早く新しい年を迎えて、忘れたいくらいだ(苦笑)。

さて、来年、平成21年は丑年だ。牛が何回も反芻するように、私達も大いに繰り返し反省しなければならない年になるのだろうか。

ところで、南方熊楠は、その著『十二支考』では、十二支考としながらも、丑については、何も記していない。一体どういうことなのだろうか。彼は、十二支について、徐々に情報を集めたようだが、その情報は偏りがある。

ある干支については詳しいが、逆に簡素な干支もある。しかし、丑については、全く記していない。丑についての情報がなかったとは考えられない。何か別の意思が感じられる。まさか彼が、牛を神聖なものとするヒンズー教徒ではないと思うが、後世の者には、はっきりしたことはわからない。

歴史のことも含め、世の中はわからないことばかりだ。そのことをわかったように記している拙ブログだが、本来は、「何もわかりません」と記せばいいのかもしれないが、それでは面白くない。ああだ、こうだと書き散らしながら、ブログ遊びをしているのかもしれない。

そうこうしているうちに、いつのまにか大晦日。来年は、どう考えても悲観的になりがちだが、まだ何もわからない。丑年に新しい時代を築いていきましょう。本年は、拙ブログをお読み頂き有難うございました。それでは、皆様、よいお年を。

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2008年12月29日 (月)

酒屋と饅頭屋の話題と落語『清正公酒屋』

本日は、非常に寒い。朝、起きるのが辛かった。でも、大掃除もまだ少し残っているし、仕方ない。買い物も多少しなければならない。

ところで、年末とあって、さすがに酒屋は大忙しのようだ。流風も、日本酒を大瓶、中瓶と二種類買い求めた。一つは兵庫県下のある地酒で、もう一つは、灘の銘酒だ。普段は、そんなにお酒は飲まないが、お正月は別だ。生より、燗をして飲むことが多い。

また饅頭屋も、帰省と、帰省帰りのためのお土産ということで、どこもてんてこ舞いの様子だ。最近は、饅頭屋もクリスマス商戦に参入しているので、連続して、忙しい状態が続く。どこに不況感があるのだろうという雰囲気だ。

さて落語に、酒屋と饅頭屋を両方扱ったものがある。それは『清正公酒屋』である。「せいしょうこうざかや」と読む。お題は、酒屋だけだが、饅頭屋も登場する。清正公とは、もちろん加藤清正のこと。

秀吉の家来だった清正は、生涯、秀吉に忠誠を誓ったが、秀吉亡き後の権力闘争で豊臣側が分裂した後、徳川家康にうまくつけこまれ、結局、豊臣政権を崩壊に導いていくことに加担してしまう。それでも、彼は豊臣秀頼に忠誠を尽くすあまり、徳川方から目障りとして、毒饅頭で毒殺されたと云われる。

清正公を尊崇する、ある酒屋が彼の木像を店頭に飾っていた。そういうことから、「清正公酒屋」と呼ばれていた。上戸相手の商売ということで、法華宗の信者でもあった。

そして、その向かいに饅頭屋があった。屋号は「虎屋」と言って、木彫りの虎の看板を屋根に掲げていた。虎屋というと、現在では、羊羹が有名だが、高くて滅多に買うことができない。この虎屋さんの先祖がモデルなのかな。酒が飲めない下戸を相手としており、念仏宗の信者だった。

こういうことで、近所なのに仲が極めて悪かった。それはそうだろう。清正公は、虎退治で有名だし、宗派の違いは、交流を妨げる。それに甘いものと辛いものと正反対のものを扱うからだ。

でも、考えようによっては、酒屋と饅頭屋は、顧客が全く違うわけで、ある意味、棲み分けしているので、本来、関係が悪化するのは、少しおかしい。それに宗派は違うといっても、同じ仏教だから、根は同じだ。清正公と虎にしたって、お互いがあるから、相互の価値が高まる。

こういう対立軸で、物事を見るのは、わかりやすいので、周囲は盛んに囃すが、実際は、もっと違う所で仲が悪かったのだろう。おっと、また脱線してしまった。あらすじに戻すと、ここからはロミオとジュリエットばりのお話だ。

酒屋の一人息子の清七は、水も滴るいい男。町内きっての美男子だった。他方、饅頭屋の一人娘のおなかは、町内きっての小町娘と噂も高い美人だった。この二人が、人目を忍んだ深い仲になる。

清七は親を説得して、一緒にさせてくれと頼むが、親同士仲が悪いから、了解してくれない。おなかの親も、彼女を親戚に預けて、遠ざけてしまう。そうすれば、ますます強まる恋心。二人は思い余って、大川への心中を決意する。

おなかは先に川に飛び込み、清七も飛び込もうとすると、その襟首を捕まえて、押えた者がいた。蛇の目の紋の烏帽子兜で、鎧姿の清正公だった(ように見えた。あるいは亡霊)。清七はびっくりして、「私を助けて頂きますなら、彼女も助けてください」と言うと、「それはまかりならん。俺の敵の饅頭屋の娘だから」とオチ。

毒饅頭の恨みは、いつまでもということだろうか。後世、武者人形の代表型となり、名声を大きくした加藤清正だが、これだけは許せなかったのだろうか。いくら、邪魔になっても、やり方を間違えば、あの世から、一生恨まれることになる。徳川方への怨念があると庶民は感じていたのだろうか。ご用心、ご用心。

でもねえ、清正さん、ちょっと狭量ではないかえ。おなかはお蔭で、どんだとばっちり。でも、この世で愛した記憶で、あの世に行けたことはある面、幸せか。現世での幸せなど、大したことがないものだから。小さいことを喜びと感じることは大切だけれども。

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2008年12月28日 (日)

修業の意味

             桂林荘雑詠             広瀬淡窓

    道(いう)を休(や)めよ他郷苦辛多しと

    同袍友あり自から相親しむ

    柴扉暁に出づれば霜雪の如し

    君は川流を汲めよ我は薪を拾わん

昔の修業と言えば、住み込みで、まず生活の知識の習得があった。職人の家には住み込みで入り、ボンさんとして、まず生活周りの手伝いから入った。商家には、丁稚として住み込みとして入り、やはり同様のことだった。現在では、わかりやすいところでは落語家が、そのようなシステムになっている。

ところが、現在は、進学はするものの、そういう修業の場は与えられていない。寮制度を導入している所もあるが、数は少ない。多くは、寮のような住み込みでないので、学校の掃除~最近では一部ボランティアとして、地域の掃除には参加しているようだが~を嫌々やっても、真の修業にはなっていない学生が多い。

親方や番頭から、掃除の意味を教えられることもないし、その仕方について、注意を受けることも少ないし、ましてや頭をどつかれることもない。そういうことを学校がやれば、即、暴力行為として訴えられる。

そして学校における共同生活のあり方も十分に説明されているようには見えないし、当然、学生が真に理解しているとは思えないフシがある。現在は、学業がよければそれでいいというムードが、学校にも親にもある。

その結果、そういう人たちが、就学中に、あるいは社会に出て、問題を起こしている。問題の程度は様々だ。事件こそ起こさないが、企業組織で問題を起こす若い人も多く見受けられる。それは就学中に、社会への準備期間として、志を以って修業をしているのだという意識が極めて低い人が多いのかもしれない。

さて、先に挙げた漢詩は、江戸時代の儒学者、広瀬淡窓のものだが、彼は詩学を教育の中心に据えた。詩の涵養が人材の意識を育てると思ったのだろう。そして、「桂林荘又咸宜園」を開設し、多くの門人を育てている。詩の内容は意訳すれば次のようだろうか。

「そこには、多くの人たちが生活を共にしながら、お互いが支えながら、勉学していく。基本的なことを私から学んで、各人、思うところを議論しよう。当然、意見が異なるから衝突も生じる。しかし、志を同じくする限り、それは問題がない。

また家を離れて辛いこともあるだろうが、同じ様な志を持つものが集えることは楽しいものであると理解して、精進しようではないか。

朝早く起きると、あたり一面、霜で雪のように真っ白だ。寒さは辛いけれど、炊事の時間は迫っている。君は川に行って水を汲みたまえ。私は山に行って薪を拾いに行ってくるよ。さあ、今日も元気に励もう」。

ここで重要なことは、先生も学生と共にあるという姿勢だろう。先生は先生であると同時に、「学生」でもある。「タテ」と「ヨコ」の柔軟な関係が、当時、封建社会であっても、既に築かれていたと推定される。

修業は何も学生だけでもないということは、現代でも通用することだろう。過去の実績だけに依存して権威主義を標榜するどこかの教授たちには耳の痛いことだろう。そして、志が明確でなければ、いかに修業らしきことをやっても、それは実質修業でないということを示すものだ。

      

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2008年12月26日 (金)

目黒の秋刀魚がうまくて安い?

秋刀魚は、栄養価が高いし、昔から庶民の魚だった。そのまま焼いても美味しいし、開きの秋刀魚もうまい。秋刀魚も、最近は七輪で焼くことは、さすがに難しいが、ガスレンジでも、焼ける。それに大根おろしにポン酢の醤油で、美味しく頂ける。

ところが、秋刀魚が円高になって、輸出できなくなって、業者が困っているらしい。でも消費者にとっては価格が安いことは有り難いことだ。ただ、安いと行っても、いっぺんにそんなにたくさん食するわけにもいかない。

業者の方々は、いろいろ加工して、消費者が料理しやすいようにして、食べやすい料理として、流通させることも必要だ。缶詰だけでなく、もっと多様な加工品を提案して、流通させるべきだろう。よく野菜なども、たくさん採れ過ぎて、廃棄するということも聞くが、そういうことはせずに、もっと有効活用してもらいたいものだ。

さて、秋刀魚を題材にした落語では、あの有名な『目黒の秋刀魚』がある。ある殿様(それは赤井御門守や雲州松江の松平出羽守などがよく取り扱われているが)が、江戸郊外で馬で遠乗りをしていると、元富士(現在の東京都目黒区上目黒1丁目辺り)まで行き着いた。そうすると、農家のどこからか、いい匂いがする。農家に家来と共に行くと、それは秋刀魚を焼いているのだった。

食欲がそそったので、その農家で、御飯と秋刀魚を食べ、満足して帰館するのだが、あの秋刀魚の味は忘れられない。そのことを他の大名に言いふらしていると、筑前の殿様、黒田公は、それほど美味しいのなら、同じ物を食べたいと家来に命じて、秋刀魚を料理させる。

ところが出てきた料理は、現代で言えば、どこかの高級料亭で作ったような手の込んだ料理の上、毒見をするので、冷めたものだった。しかし、まったく美味しくない。そこで、美味しい、美味しいと言っていた、かの殿様に尋ねると、その殿様は、「果たして、その秋刀魚はどこのものかな」。応えて、「家来によると、秋刀魚の本場の房州から取り寄せたとのこと」。「ああ、それは駄目だ。秋刀魚は目黒に限る」とオチ。

相変わらず、テレビのグルメ番組では、手の込んだ料理が持て囃されているが、食してみると、そんなに美味しいものではないことも多い。また洋風料理は外国人には美味しく感じても、日本人には合わないものもある。日本料理でも、高級料亭のように、器や建物の雰囲気はいいが、料理はどうも、というものもある。外食でも同様だ。

自分で調理した方が断然うまいということもある。いい素材であれば、あとは、そんなに手を入れずとも、シンプルな料理方法で、手早く調理すれば、十分満足できるのだ。日本料理は、いかに新鮮な素材を、あまり加工せずに、作り上げることが肝要だ。人間、偉くなると、かえって真に美味しい物を味わえなくなるのだろうか。庶民でよかった(笑)。

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2008年12月23日 (火)

栴檀は二葉より芳し

いつ頃か、人々は臭いに敏感になった。男の加齢臭が話題になったのは、少し前からだが、嫌な臭いを人々は嫌がるようになった。そもそも臭いは文化でもある。昔は、その臭いが当たり前であっても、文化水準が上がれば、それを嫌うようになるという。

しかし、そうとも必ずしもそうとはいえないのではないか。外国人は、日本の醤油を臭いというのは、食文化の違いによるものだろう。最近では、日本の食文化を理解し、その醤油も欧米に広がりつつある。また日本人も、かつてアジアの人々が作るニンニク料理には、顔を背けたはずなのに、今では、ニンニクを料理に使っているご婦人方も多い。

車内に、持ち帰り豚饅や餃子を持ち込んでくる、おばさん達も多い。さすがに若い女性は少ないが。韓国のキムチにしたって、あんなに臭い物を今では、多くの人が食べている。臭いに関する感覚は変化するのだろう。

逆に、若い女性が好む「におい」は、芳しい「匂い」だ。あの百貨店の化粧品売り場の匂いが、それを代表しているのかもしれない。しかし、あれは皆、西洋風。日本には、日本の芳しい匂いがあった。

例えば、線香で有名な白檀(びゃくだん)は、その一つだろう。白檀、すなわち栴檀は、発芽の頃から、いい匂いを発するらしい。つまり、別に線香にして、焚かなくても、それ自体がさわやかな、いい匂いを発するのだ。それも発芽の頃から。

そいうことから、「栴檀は二葉より芳し」という諺が生まれている。意味は、成功する人は、子供の時から何かが違う、ということだろう。まあ、末は博士か大臣か、と嘱望された子供が、平凡な人生を歩むことも多いようだが(笑)。

流風なんて、栴檀どころか、せいぜいドクダミ程度だったんだろうな。期待されずに、よかったとも言えるが。でも、そのドクダミ、発芽時から、臭いが、お茶になったり、塗り薬になっている。それなりに役立っているのかな(苦笑)。

*追記

栴檀の「檀」という意味は、人に役立つ木ということのようで、インドや中国では薬用として利用されている。インドネシアやインドで採取されるが、近年、入手が難しくなっている。

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2008年12月22日 (月)

画家はなぜ自画像を描くのか

高名な画家たちは、ほとんどが自画像を描いている。絵画方面には疎いので~そういうわけなので、若干トンチンカンなことを以下に記しているかもしれない~、それがどういう理由なのか知らないが、まず自分自身を描いて自分を知ろうというのだろうか。それともモデルを雇えないので、鏡に映る自分を描いているだろうか。

確かに自分を観察するということは、単に外見的なものだけでなく、自分がどのように見えるかという検証にもなる。そして、それは心の状態で見え方が異なってくるから不思議だ。人間の顔はいつも同じ様に思っても、いつも違う。顔は手相のように、常に変化しているのだろう。

だが、画家の描く自画像は、大抵が一点だけということも少なくない。それは画家の自惚れなのか、自尊心のなせる業か。自分の変化には関心がなくなるのかもしれない(もちろん、男が女性のように鏡をいつも見るのも少し気持ちが悪い)。

それとも、他者への関心が強くなるのかもしれない。もちろん、その観察は、自画像と同じ様な捉え方かもしれない。それはその画家が描いた人物像を見ると、全てどこか似ていることからわかる。モデルを、自分が映った鏡と重ね合わせて、観察しているようなのだ。

つまり他人を描きながら、他人の中に自己を見出し、自分を描いているように見えるのだ。そして、それが画家の個性になっていくのかもしれない。画家というのは、ナルシストが多いのかもしれない。

しかしながら、一般人も同様なことをしているかもしれない。他人を見るのに、自分の先入観で見ることは多い。視野を広げようとしていても、ついつい自分の考え方に捉われ、狭い見識になることも多い。

他人の観察もいいが、時々、もう一度、自分の顔がいい顔しているか(自分の考え方が、捉われていないかどうか)を再確認してみるのは良いことかもしれない。つまり、観察手法の見直しも、時として求められるだろう。

*追記

画家が、自画像を描くのは、一部には、自分の顔は、見ることができないから、という見方もある。そういう見方もあるが、そんなに単純ではないと思う。それは一要素に過ぎない。

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2008年12月17日 (水)

病は気から~落語のネタと共に少々脱線気味に

病は気からと、よく言われるが、それは確かにそうかもしれない。気持ちが緊張し、ストレスがたまれば、胃腸の具合が悪くなったり、頭痛を起したりする。人間の身体は微妙で、ちょっとしたストレスで、身体がおかしくなったりする。

落語にも、『薬罐(やかん)なめ』というものがある。薬罐とは、漢方薬などを煎じるために、鉄瓶の代わりの、銅等で作った湯沸し瓶だ。鉄瓶は漢方薬を煎じるのは不適とされる。流風は耐熱土瓶を使っているけれどね。

この落語のあらすじは、あの家の内儀(商人の妻)が、癪を起した時は、薬罐をなめると治るということがあった。妙な癖だが、鰯の頭も信心からというのと、同じ類かもしれない。この内儀の癪の原因までは、落語では言及していないので不明だが、商家に慣れないのか、あるいは、よくあることだが亭主の浮気かもしれない(お内儀の年齢がわからないが、更年期障害の可能性もある。でも、ここでは、そうでないと想定しておく)。

癪は癇癪を起すの「癪」だが、胃腸に激痛が走ることをいう。流風も若い頃は、ストレスでよくあった。そして下痢になるという最悪のパターンだった。仕事に慣れると、そういうことは少なくなったが、それが完全になくなったのは会社を辞めてからだ。

さて、その内儀は、女中と共に花見に出かけたのだが、途中で、蛇に出会い、癪を起こしてしまう。しかし、出先であるので、薬罐がない。ところが、そこにたまたま老武士が部下を伴い、歩いてきた。

その頭を見ると、見事な薬罐頭。女中がその武士に事情を話して、頭を舐めさせてくれと言う。最初、その武士は怒っていたが、事情を知って、了解してくれることになる。多分、その内儀は相当美人だったのかもしれない。

内儀は薬罐に似た頭をなめると、癪はあっという間に止んでしまった。お礼を言って、別れるが、老武士は、謡を詠いながら、ご機嫌になって歩いていくが、どうも頭がひりひりするので、部下に頭を見させると、歯型がついているという。

ということで、「あの内儀は狐で、化かされたのでは」と、部下が言うと、「なるほど、狐か。そういうことで、やかん(薬罐と野干とかけている)を好んだのか」、でオチ。念のために記せば、野干とは狐のこと。

落語のオチはあらぬ方向へ行ってしまったが、癪の要因を断つには、この内儀に関しては、主人の浮気の心配であったとしたら、なかなか難しいことだ。女性は、自分の勘(*注)に頼って、目の前のことにくよくよしがちだ。旦那は商売などの別のことで悩んでいるのかもしれないのに、女性独特の考え方で疑いを持ってしまうことはよくあることだ。

男にとっては、それがかえって疎ましく、結果的に浮気に走らせてしまうことになりかねない。女性の嫉妬が、男を思わぬ方向に導いてしまった例は、たくさんある。女性の皆さん、一旦一緒になったからには、相手を信用しましょうね(笑)。嫉妬の病は気からですよ。

*注

確かに、女性の直感は鋭いが、いつも当たるわけでもない。夫婦間でも、誤解が誤解を招く例は多くある。ただ言えることは、その場合は、コミュニケーション不足がほとんどの原因だ。

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2008年12月16日 (火)

冬の花

  水仙や 白き障子の とも移り (芭蕉)

秋バラも終わり、冬到来だ。山茶花があちらこちらで、咲き始めている。まだ全開とはいかないが、徐々に開花が進んでいくのだろう。たくさんの蕾が開花するのはいつ頃だろうか。

それから水仙も、一部咲き始めた。山茶花と比べれば、可憐な感じがするが、強い花だ。夏に工事をして、掘り返してしまって、多くの球根を傷つけたのだが、この季節になって、ちゃんと成長し、花を咲かせている。

先に挙げた芭蕉の句の水仙は、生け花としての感想だが、地植えされている水仙そのものも、それなりに味わいがあり、生命力を感じさせる。そして、場所が少し違うだけで、咲く時期が少しずれる。

同じ品種でも、早く咲くもの、遅く咲くものがある。これは人間とても同じだ。そして、これらは皆、自分の咲く時期を知っている。人間にも、それぞれ咲く時期がある。他人の開花を羨まず、自分の開花時期を待ちたいものだ。

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2008年12月13日 (土)

全体の見せ方を大切に

全体の見せ方というのは、見る方に影響を与える。全体のバランスが崩れていると、それは美しくない場合がある。もちろん、日本の美学は、不均衡の美であるが、それでも、その中には、それなりのバランス感覚というものがあって、始めて、不均衡の美が成り立つ。

このことは、文化、芸術、ファッションで、常に指摘されてきたことだ。例えば、かつて、六代目尾上菊五郎は、歌舞伎においては、全体の「みてくれ」がいいのが大切と指摘した。

これは何を意味するかというと、歌舞伎全体のみてくれが大切ということで、いかに個人が優れていても、それだけでは、調和せず、全体は美しく観客には見えないということのようだ。

すなわち、個人のスタンドプレー、つまり「みてくれ」だけでは、いかに舞台を台無しにするかということを言っている。舞台全体の演技が流れるように自然であることが望ましいのだ。そういう意味では、スタンドプレーも全体の中で計算されたものである必要があるのだ。

最近は、各界で、全体感のなく、自分だけ目立とうとする人がいるが、あまり褒められたものではない。非常に視野が狭い発言が多い。彼らは過激な発言をして、マスコミに囃されるが、全体のことを無視している。特にトップ層の方々や、そうであった人々の発言は、注意を要するだろう。

全体として美しくない発言は、決して褒められたものではない。それはどこかに無理がある。作為があると言えようか。自分の発言が、社会にどのような影響を及ぼし、あるいは所属する組織に負担をかけるかに、もっと配慮しなければならない。それには、まず心を正し、洞察力を深める必要がある。

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2008年12月12日 (金)

お墓の意味

     古墓何れの代の人ぞ。

     化して路傍の土と作(な)り、

     年々春草生ず。

                        (『白氏文集』より)

一昨年、『千の風になって』という歌が流行ったが、その中で、「私のお墓の前で、泣かないでください。そこに私はいません。眠ってなんかいません」というフレーズがあった。この歌詞について、ある僧は、「これは日本の歌」ではないと断じていた。

確かに、原詩は外国人のものということだから、確かにそうだろう。お墓には、仏教は魂魄思想として考える中で、故人はお墓に常に「魄」がある、と理解する。「お墓にいない」というのは確かに引っかかる。更にお盆に、先祖の魂が戻ってきて、魂魄一体となるのだから、この歌詞は日本のものではないとも言える(*注)。

さて、先日、若い人がお寺の墓地で酒盛りをして、たくさんの墓をなぎ倒したそうである。被害額1500万円と報道されていた。その金額を聞いて、その若い人たちもびっくりしたそうだが、お墓は高額だ。それを賠償する親も可哀想だ。馬鹿な子供を育てたものだ。

それにしても、お寺の戦略かもしれないが、分家すれば、新たな墓が必要になるから、お墓はどんどん増えていく。お墓は高額だが、果たして、どれくらい墓がきちんと参られているだろうか。お盆くらいは参っても、その他はお寺任せも多いかもしれない。この若い人たちは論外だが、多くの人たちはお墓にどれくらいの意味を感じ取っているのだろう。

だが、最近は、海外旅行とかで、お墓参りも等閑にされているという声もよく聞く。本来、お墓は誰のためにあるのか。それは先祖のためにあるのではないだろう。子孫の中にある先祖を確認するためにあるものだろう。それは位牌と似た存在だ。

自分を再確認する手段として、お墓は意味がある。だから、子孫が絶えたなら、そのお墓はその存在意義は薄れる。そして冒頭に示した文言のような状態になるのが常だろう。お墓の大半は無縁仏になると言う。

繰り返すようだが、お墓は生きている子孫のためにある。お墓はいずれ路傍の石になり、土になる。せいぜい、お墓参りをして、先祖が何を考え、実行していたのかに思いを馳せ、自分の存在価値を見直したいものだ。

*注

この歌の日本の作詞者も、キリスト教の影響が大きいのかもしれない。ただこのフレーズも、風が「魂」と考えれば、別に仏教でも問題なく理解できると思う。多くの人は、そのように理解して、同感し、人気になったのだろう。ただ、「魄」の持つ意味をもう一度、確認してみる必要はある。

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2008年12月11日 (木)

人生は与えられるものか

人生は与えられる、とか言うと、多くの人は、人生は自分で切り開くものだと反論を受けるかもしれない。そんな心構えでは、人生をまっとうに送れないという人もいるかもしれない。

それは確かにそうであろう。しかし、人は多くの人の影響下にあることは事実だろう。いろんな意思決定も、自分の意思だといいながら、環境に支配されている。教育自体も、そうと言えるだろう。

だから決定の仕方も、それは周囲の人だけでなく、何らかの形で情報を得れば、それは直接的でなくても、それは他者の影響下にあると言えよう。

つまり、そのような情報に基づき、私達は判断し、自己決定している。そのように考えると、それは自己決定しているようで、他者に依存していることがわかる。それが人間社会の特徴だろう。

以前から、ビジネスの社会でよく言われる「顧客満足」という言葉も、ビジネス提供側が、顧客により決定支配されていると言える。それを大きいスケールで見れば、それは社会が決定していると言えよう。

現在の世論形成は複雑だが、それでも、社会の決定したことに素直に従うことは、少々納得がいかなくても、従う必要があるのかもしれない。人生は、自己決定できるようで、広い意味で社会に縛られているのかもしれない。

そういう意味では、社会の期待に応えることは大変なことだ。それは地位が上がれば、上がるほど、期待は大きくなり、難しくなる。そういうことなので、権力を持った人は、人々の「期待」というものにどのように対応するか常々考えておかなくてはならない(*注)。

*注

但し、人々に迎合するだけでは、うまく行かないことも多い。社会に善である、あるべき指針を示して、人々を説得し、折り合いをつけることも大切なことである。

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2008年12月 8日 (月)

考えさせられる謡曲『善知鳥』

人間が生きるということは、何かを殺して、その生命を頂いて、命を保っている。このことを否定する人はいないだろう。生きるということは、多くの矛盾を有している。でも、生を享けた以上、生き続けるのも、生者の義務であり、権利であろう。そして、多くの犠牲に対しては、感謝の心を持つことは大切である。

そういうことを題材にしたものに、謡曲『善知鳥(うとう)』というものがある。実は、善知鳥という文字を、謡曲に接するまでは、「うとう」と読むとは知らなかった。「うとう」は、ウミスズメ科の鳥で、親子の情愛が強いと云われているらしい。

ただ、この謡曲が題材としている、善知鳥が、果たして、その鳥なのか、若干疑問が残る。何かの鳴き声を鳥の鳴き声と勘違いしたのではないかと思われるのである。例えば、海亀である可能性も、流風には感じられる。

現実、うとうの鳴き声を聞いた人は、いなかったのにもかかわらず、違った声をその鳥の声と勘違いしている可能性はある。それは実際、鳴き声を早とちりで、違う鳥であった他の例もある。

さて、その謡曲では、次のことを前提としている。すなわち、砂の中に卵を産みつけ、母鳥が「うとううとう」と鳴くと、子鳥が「やすかた」と応じ、這い出る。善知鳥は、子鳥を失うと、涙を流すほど親子の愛情が深い、としている。

猟師が、その善知鳥の母鳥の真似をして、「うとううとう」と言うと、子鳥が勘違いして、這い出るので、それを猟師が取って、殺して、商売にしていたという。そのことにより、彼は死後、善知鳥の霊に苦しめられるのである。それは彼らに感謝することなく、善知鳥を殺して商売にしてきたことへの因果応報である、というのだ。

これは、現代でも、人は、生きるために、ある程度の動植物を食することは、致し方はないが、そういう目的で過剰に、彼らを苦しめることは、望ましいことではない。日本は、隣国の韓国同様(*注)、魚でも捕り過ぎとよく批判を受けるが、確かに、そういう面はあるかもしれない。動植物を食糧にする場合、少しも無駄にしないということは、せめてもの感謝の表し方だろう。

*参考  善知鳥神社

       http://www.actv.ne.jp/~utou/utou.html

*注

韓国は、日本の領海で盛んに密漁をして、さらに捕り過ぎている。漁場の侵害のみならず、魚の捕り過ぎは、将来、漁業資源の減少を強める。いずれ彼らも、いずれ善知鳥の霊に悩まされるだろう。そして、日本政府は、もっとしっかり取り締まるべきだろう。

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2008年12月 7日 (日)

寒い日のおしくらまんじゅう

一昨日から、急速に寒くなって冬本番を感じさせる。しかし、いきなりの寒さは堪える。いきなり十度以上も気温が下がるとは、予想もしていなかった。下着も、冬用を取り出し、ついにパッチも着用となった。でも、これを履くと、当面、離せなくなる。

また、コタツも暖房機も、全開だ。もちろん、温度調節もしているが、なかなか温度が上がらない。仕方なく、部屋着も厚手の物を取り出し、ついにひざ掛けを取り出した。しばらく、寒さに慣れるまで時間がかかりそうだ。

報道によると、香川県小豆島の銚子渓自然動物園「お猿の国」では、あまりの寒さに、いつもの年よりも多く、百匹の猿が集まって、暖をとる「サル団子」をやっているらしい。確かに、集まると、その体温で、温かくなるだろう。これは猿の本能で、猿知恵ではなさそうだ。

そういうと、子供時代を思い出すと、氷点下の寒さでも、外に出て遊んでいた。氷を割ったり、焚き火にあたりながらも、外を走り回っていた。ある程度の人数が揃えば、円を地面に描いて、おしくらまんじゅうを、わーわー言いながら、よくやったものだ。

あれは、鬼から逃げ回るため、結構走るし、皆と体を寄せ合うので、その熱気で、身体が温かくなる。体がほっかほかになると、友達の家に行ったりして、そこで焚き火で焼いた熱々の焼き芋などをもらって、楽しかった。

でも最近は、そういう遊びをしている子供たちも見ないし、焼き芋を焚き火で焼いている風景も見ない。そういうことをできる環境でないのだろうが、少し寂しい感じがする。また、どこかで、そういう雰囲気を味わいたいものだ。それにしても寒いなあ。

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2008年12月 6日 (土)

用心のための観察

一般に危機に強い人は、その思考や行動が慎重だ。念には念を入れるというか、石橋を叩いて渡ることが徹底している。普通の人は、危機が迫っていても、案外、暢気に構えている。そうかと言って、石橋を叩いて、なお渡らないのは行き過ぎかもしれない。

危機に強い人は、観察力が鋭く、細かい事象に対しても、何かを感じて、手を打っていく。そうすることが、被害を最小限に抑える。『徒然草』第百八十五段と第百八十六段にも、それが記されている。

まず、第百八十五段では、城陸奥守安泰盛は、類稀なる馬乗りだったようで、馬の動作を細かく観察することにより、危険を察し、危ない馬には乗らなかったと伝えている。

馬の世話をしておれば、馬のちょっとした動きから、その馬が、どのような行動をするのか予測できるであろうが、彼もそのようだったのだろうか。

更に、第百八十六段では、吉田某という馬乗りは、人は馬と争ってはいけないと諭し、まず馬の強い所と弱い所を把握する。その上で、轡と鞍の具に気にかかることがないか注意することが肝心と言っている。

全ての道において、達人といわれる方は、馬乗りに限らず、用心のための観察がしっかりしておられる。現代でも、その道の達人から学ぶことは多い。

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2008年12月 2日 (火)

花深く咲く処

福田前首相が、日本流行語大賞の出席を辞退して、次の言葉を提供したが、その解釈をどうするかと、話題になっている。

    “花深く咲く処、行跡なし”

彼の意図はわからないが、額面通りの意味は、「深山に花が咲いているようなところには、誰もやって来ないので、歩いた足跡も残らない」、というような意味であろうか。裏には、首相を退任すると、誰も来なくなって静かだよ。それでも、私は、誰にも邪魔されず、静かに時を過ごしている、というような意味かもしれない。

だから、俗世間の日本語流行語大賞には、行くことはできません、悪しからず了承ください。すみませんが、騒がないで静かにしておいてください。福田前首相、こういう解釈で宜しいですか。まあ、老僧の気持ちなんですかねえ。でも、早く議員職を引退されて、ご意見番として、次代の政治家を育てて欲しいですね。

*追記

この言葉は、棟方志功の作品の中にある言葉らしい。但し、彼が作った言葉ではなかろう。仏教に接する内に、どこかの仏典か何かで、この言葉を見つけたのであろう。その大意としては、「大自然の中では、人の足跡など、すぐ消されてしまう」と紹介されていた。流風の解釈とは異なるが、いろいろな解釈があるのだろう。

*平成21年2月22日追記

福田前首相が、党内で麻生政権批判することに対して苦言を呈しているようだが、彼にそのことを言う資格はないだろう。政権を投げ出した者は、静かにしていることだ。それは安倍元首相も同様だ。お二人とも、終わった人たちだ。

*平成21年9月2日追記

首相になった人が、退任後は引退するルールを作らないと、国のためによくない。引退すれば、それなりの役割を与えることもできるのに、それがわからないのか。結局、福田氏は、引退せず、今回の衆議院選に出馬し、議員職を継続される。大変残念なことだ。

それは森氏、羽田氏、安倍氏も同様だ。麻生氏も、次回の衆議院選挙には出馬しないでもらいたい。

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2008年12月 1日 (月)

一刹那一念

二兎を追う者、一兎をも得ず、と、よく言われるが、確かに、それは事実だろう。異性に二股かけたつもりが、両方に逃げられることはよくある。確かに、若い時は、そういうチャンスがあり、迷うことも多いだろう。流風でも、若い時は、そんなことがあった。そして、結局、両方を失っている(苦笑)。

あの『徒然草』にも、そういうことが記されている。確か、教科書に載っていたと思う。弓の師匠が、初心者を戒めて、次のように言う。

 初心の人、二つの矢を持つ事なかれ。

 後の矢を頼みて、始めの矢に等閑の心あり。

 毎度、ただ、得失なく、この矢に定むべしと思へ。

学生時代は、そんなものかなと思っていたが、社会に出で、現実に接すると、確かにそういうことは度々あった。機会は複数あっても、選択することは求められる。複数追いかけると、成果は出ない。吉田兼好の示唆は、今の人にも、十分警告となる。

一瞬一瞬を大事にして、それに集中する。特に大事に臨んでは、優先順序をよく考えて、そのことが求められる。もちろん、平時に、いつもそのようにしていては、疲れきってしまう場合もあろう。メリハリは大事だ。心の集中と分散が大切と言えるかもしれない。チャンスに強い人は、そういうことに通じているのだろう。

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2008年11月30日 (日)

税金を“取る”“取られる”意識の転換を

一般に、税金を取るとか、取られるという表現がある。この「取る」という意識は、本来、封建制度の意識だ。残念ながら、この意識が、現代日本においても、続いていることは悲しむべきことだ。それは国家側も、国民側も同じである。

この取るという意識は、孔子が、「臣より取る、これ取ると謂ふ、と。仮ると曰(い)はず」と言い、君臣の位置づけを明確にしたことから始まっている。すなわち、お上は、臣下から欲しい物を取り上げるが、臣下から借りるということはありえないとしたのである。

従来、税金を納めることはしても、その使い方は知らされておらず、庶民は無関心にならざるを得なかったが、現在は、与野党伯仲で、いろんな情報がもたらされることになった。マスコミはそのことを報道し、庶民は否が応でも関心を持たざるを得なくなった。

政官は、今までのような運営の仕方では、切り盛りすることは不可能になった。政官は、国民が納得のいく、税金の使い方と、その集め方にせざるを得ない。政治も、官僚も、もはや特別の仕事ではなくなった。ある意味、代わりはいくらでもいる時代になった。少なくとも、もう学校エリートの職場ではないだろう。

政治家は、政治で金儲けは最早出来ないし、官僚も、年功序列、天下り、高額の俸給や退職金は、もう続けられないだろう。変なエリート意識は捨て、普通の政治と行政を執り行うことが求められている。

そして、一般国民も、もう孔子の時代ではないのだから、国に納得を求める必要がある。しかし、それは公私のレベルでバランスして考えることも求められることを忘れてはならないだろう。すなわち、国任せではなく、自分でも、どうあるべきなのか、考えなくてはならない、厄介な時代であることを認識する必要がある。

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2008年11月29日 (土)

戦い続けることの浪費

     鞭声粛粛夜河を過る

     暁に見る千兵の大牙を擁するを

     遺恨なり十年一剣を磨き

     流星光底長蛇を逸す

                            頼山陽 『題不識庵撃機山図』(*注)

 

世の中、ライバルというものは、自分を成長させる。企業同士のライバル競争は、市場を拡大させる。企業においても、社員同士がライバルを持つことは、お互いの仕事を切磋琢磨させる。適度なライバル心を持つことは大切である。

しかしながら、それが行き過ぎれば、かえって、それは害になる。歴史的に、それを証明したのが、上杉謙信と武田信玄だろう。彼らはライバル心に捉われて、大目標を見失ってしまった。ライバル心のため、多くの時間を無駄に過ごし、天下統一という大目標を両者共に達成できなかった。

もちろん、二人とも、強い自尊心のある個性的な武人だったから、それは止むを得なかったのかもしれない。しかし、本当に大目標に対する信念があったのか、疑問が残る。歴史に、「もしも」は禁句かもしれないが、彼らが同盟を結んで、天下統一を目指していれば、現在の日本とは違ったものになったかもしれない。

ただ織田信長のような革新的思想の持ち主でなかったから、新しい日本を創ることはできなかったかもしれない。信長は、世界最強の軍事国家を作り出し、新しい国家の枠組みを作った。当時、欧米諸国家も、日本には手を出せなかったと云う。

それが、謙信・信玄連合では、世界から侵略されたかもしれない。そういう意味では、謙信と信玄が、無駄に戦い続けたことは、適切な天の配剤だった訳で、今の日本があるのは、そのお蔭かもしれない。歴史は皮肉のものだ。

*注  頼山陽 『題不識庵撃機山図』

大変有名なので、解説は不要と思う。ご存じない方に、念のために記すと、「ふしきあん きざんを うつのずにだいす」と読む。

不識庵とは、上杉謙信の出家後の法名で、同じく、機山とは、武田信玄の法名。この詩は、上杉側に立って詠われているので、「長蛇」とは、信玄を指している。

謙信の奇襲をもってしても、もう一歩のところで、信玄を仕留めることは出来なかった。しかしながら、謙信が、本当に信玄を仕留めなかったと言うより、わざと取り逃がした印象が強い。

      

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2008年11月28日 (金)

正月の準備は、世間と同様、手抜き?

時の経つのも早いもので、もう年末だ。もういくつ寝るとお正月とは、子供時代の楽しみだが、流風ぐらいの年齢になると、あまり感慨もなくなる。それでも、お餅とお節の準備はしなければと思う。

今時、正月と言っても、2日ぐらいから店は開いているので、お正月の意味も薄れてきた。日本人が、けじめというか、節を忘れたからかもしれない。そうなると、そんなに多くのお節も必要がない。日本文化を忘れた商業主義はあまり感心しないが、この流れは止められないのだろうか。何かを失っていると思うのだが。

さて、正月の準備だが、落語では、『尻餅』というものがあるが、あれは大晦日に餅つきのお金もない夫婦が、見栄をはって、一芝居するものだが、嫁さんのお尻を叩いて、餅つきの雰囲気を出すとは涙ぐましい。一応、流風は、お餅を買うお金はあるが、餅つきの代用の嫁さんのお尻がなく、年を越しそうだ(笑)。

その本物のお餅は毎年、杵つき餅を買う。機械でついた餅が最近は多いが、どこか風味が違う。しかし、今年は、いつも買っている餅屋が仕事を辞めてしまったので、別の餅屋を探さなければならない。困ったものだ。

次に、世間の流れに逆行して、毎年田舎お節を作っていたが、今年は買うことにした。しかし、最近は、お節も色々で、小家族向けのものも販売されているが、正月の気分が出ない。最低三段ぐらいは欲しい。でも、そうすれば、たくさん残ってしまう。食べ残しは出したくない。難しい判断が求められる。

それに相変わらず高いなあ。この値段の根拠は何なのか、ご祝儀相場なのだろうが、それにしてもなあ。どのチラシを見ても、割高なものを買わされる感じだ。時々買うお弁当の方が、内容もいいかもしれない。

それに値段に合致するような、本当に吟味された材料を使っているのだろうか。今年は食に対する不信に覆われた一年だったし、業界の姿勢もまだ改まっていないような気がする。あれやこれやと思いあぐねたが、一つのお節を注文した。

さあ、今年は、世界は大変なことになった。日本も、落ち着かない感じだ。来年は、どのようになるのだろうか。正月は、お餅とお節を食べながら、ゆっくり考えてみますか。

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2008年11月25日 (火)

誤算の人生

先日の日本経済新聞に「誤算のおかげ」(平成20年11月23日付)という記事が目に入った。内容は、サントリーのビールのシェアが伸び、やっと利益が上がるようになったということだ。但し、ビール事業は先々代が始めて、ずっと赤字だった。それを補ったのがウィスキー事業だった。しかし、経営者にとっては、意外だったようで、「ビールがこれほど売れないとは思わなかったし、ウィスキーがこれほど売れるとも思わなかった」という点が、印象に残った。

ただ、このことは、多くの企業の経営者も感じていることかもしれない。多額の研究投資をしたにもかかわらず、事業としては市場に受け入れられず、赤字続きだったが、あまり研究も投資もしなかったのに、ちょっと遊び心で出した、ある商品が市場に受け入れられて、大変売れるというようなことはある。

また主力事業だけで、経営は十分成り立つのだが、たまたま知り合った人物が熱心だったので、付き合い程度に扱った商品がバカ売れすることもある。ところが、主力事業は、振るわなくなったりして、随分助かったという話も聞く。

同様に、育成事業より、傍流の事業が当たったりする。経営者の思い込みで、育成したつもりのビジネスは、結局、開花せずに終わることもある。ところが、一部の社員が拘って開発した商品が市場にマッチングして、一大事業になったりする。これらは、皆、誤算のビジネスと言うのかもしれない。

人材の例では、成績優秀で期待した人材は、平凡な成果しか達成できないことがある。その一方で、学業成績も良くなく、あまり期待できないのだが、何となく、人柄の面白さを感じて、お情で採用した人材が、事業に貢献したりする。

採用側の先入観なんて、いい加減なものだ。人材の将来までは読めない。一般的な常識があれば、人材にそんなに差がないのかもしれない。このように見ていくと、経営とは、誤算にいかに適切に対応するかと言うことなのかもしれない。

そして、これは人生にでも言えるだろう。子供の頃、親に将来何になりたいと尋ねられると、子供は直接目にする運転手とか、パイロットとか、お医者さんとか、ケーキ屋さんとか、よく返事する。

しかし、これをそのまま夢として持ち続ける人は少ないであろう。そして、少し大きくなって、夢を抱いても挫折する人は多いかもしれない。結果的に、現実を知り、流されるままに人生を過ごす人もいれば、誰かがひいた路線に乗ってしまう人もいるだろう。しかし、そのまま人生を送れればまだ幸せな方だろう。

現代の日本では、夢もなく、方向感もなく、儘ならない人生を送る人々も多いかもしれない。例の元官僚を殺した殺人犯にしても、思い通りにならず、誤算の人生を感じていたのかもしれない。学校エリートがどこで挫折したのか。彼は暴走して、他人の生命を奪うという卑劣な手段で、人生を捨ててしまった。

しかし、自分の思い通りにならない人生を、誤算の人生だと思い込み、後悔として捉えるのは本人次第だろう。人生の誤算でも、意外な喜びもある場合もある。夢を持ちつつ、人生の誤算を楽しむ余裕が欲しいものだ。山があったり、谷があったりしながらも、それでも、淡々と人生を歩んで、『無事是貴人』という心の領域に達したいものです。

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2008年11月21日 (金)

隠れた美術館?兵庫県公館

JR元町西口を北に上がっていくと、国の登録有形文化財である兵庫県公館がある。文化を感じさせる古い建物だ。1902年に山口半六によって設計され、県本庁舎として利用された。戦争末期に、内部消失したが、戦後、復旧工事や改造工事を繰り返し、1985年(昭和60年)に「兵庫県公館」になった。

この公館で、現在、「兵庫県公館県政資料館収蔵資料展」が開催されている(平成20年12月22日まで)。兵庫県域の古文書と記録の展示だ。その内容は、地価取調帳、企業の就業規則届、村の覚書・文書・陳情書・上申書、企業の定款、罹災救助米等給与通知、海難救助褒状、訓令などが展示してある。

本来は、2階にある県政資料館の一環の展示なので、そういうものに関心がないと特に面白いというものではない。残念ながら、これらの内容は詳しくはわからなかった。まあ、そんなもの