文化・芸術

2018年1月21日 (日)

電気代がフィーバー

先日、電気代の請求書を見て、あっと驚いた。寒さが続いているので、ある程度予測はしていたものの、これほどまでとは。昨年の電気代と比して5割も増えているのだ。

昨年と違う電気製品利用を考えてみた。そうすると違いは、電気ポットの利用、就寝時の布団乾燥機のの利用、トイレの便座の温め、空調暖房の長時間利用ということになる。

いつの間にか節電意識が衰えたのが原因かもしれない。とりあえず、電気ポットの使用を止めガスによる湯沸しに変更、トイレの便座温め中止、電気暖房はガス暖房との併用工夫することにした。

来月の電気代はいかに。ガス代は、どれくらい増えるだろうか。

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2018年1月11日 (木)

映画『パラダイン夫人の恋』を観る

昔から美女は男を迷わせる。クレオパトラしかり、楊貴妃しかりである。今回観た映画『パラダイン夫人の恋』は、ヒッチコック監督としては珍しい法廷映画。

若手の敏腕弁護士アンソニー・キーンが、夫の殺人被疑者パラダイン夫人の弁護を引き受けるが、彼女が美人過ぎて、よろめき、正常な判断ができなくなる物語。それを焼餅を焼きながら、見守る貞淑なキーンの妻ゲイを描いている。

最終的には、弁護に失敗して世間から冷たく見られている夫に静かに手を差し伸べる妻の姿が、しなやかだ。つまり妻のゲイの方が夫より、強く愛していたことが分かる。モノクロだけれど、なかなか味わい深い映画と思う。1947年制作。

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2018年1月 5日 (金)

平成30年の干支(えと)~戊戌(つちのえいぬ)について

平成30年の干支(えと)は戊戌(つちのえいぬ)だ。例年のように、兵庫県立図書館で頂いた資料に基づき記す。今年の干支、戊戌は「ぼじゅつ」とも読む。「戊」の意味は、茂が語源で、「草木が生い茂って盛大になること」を意味する。

そういうと、新聞によると、主要企業景気アンケートでは、経営者は五輪効果で強気な見方をしているという。2019年秋まで好況が続くとする経営者が多い。現況を景気は緩やかに回復していると見ているようだ。

だが、「戌」の方は、「滅ぶとか、もしくは切る」という意味で、万物が滅びゆく状態を現しているという。すなわち、土に還る。逆に言えば、新しいものが生まれる土壌となる。

よって、満つれば欠くということを経営者は忘れてはならないということだ。あまり調子に乘らない方が賢明だとも言える。環境の急変等、落とし穴が用意されていると考えておけばいい。それは投資家も同様。生活者も同様。浮利で幸せになることはない。今こそ堅実さが求められる。

それでは、戊戌の年に起こった歴史的なことを記しておこう。

518年(継体12) 弟国(京都府乙訓郡)に都を遷す

758年(天平2) 藤原仲麻呂を大保(右大臣)に任じ、恵美押勝の名を賜う

938年(天慶元)空也が念仏を唱え、京中の庶民を教化

1358年(正平13/延文3)足利尊氏死亡

1418年(応永25)明の使者・呂淵が捕獲した海寇を連れて兵庫に到着

1598年(慶長3)豊臣秀吉死亡

1718年(享保3)お蔭参りが流行

1778年(安永7)幕府、俵物生産を奨励

     ロシア船が蝦夷地を来航し、通商を要求

1838年(天保9)緒方洪庵が大阪で適々斎塾を開く

1898年(明治31)自由・進歩両党が合同し、憲政党を結成/隈板内閣成立

1958年(昭和33)インドネシアと平和条約・賠償協定調印

     関門国道トンネル開通

過去の事例で判断すると、時代が大きく変化する分岐点になるかもしれない。

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2018年1月 3日 (水)

新年のご挨拶 2018

新年、あけましておめでとうございます。今年は、どんな年になるのだろうか。まあ、今後も、あまりペースを崩さず、ブログ記事を記していきたいと思います。

拙ブログも始めてから13年になります。時々、古い記事へのアクセスがあり、記事の内容を見てみると、結構、調べて書いていることがわかります。当時は、肩に力が入っていたのでしょう(笑)。

最近は、適当に書き散らしていますが、初心に戻って、若い方に参考になるような記事にできるだけしたいと思います。ぼちぼちとお付き合いください(笑)。

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2017年12月31日 (日)

お節とりんご 2017

あっという間に、本日は大晦日。昨日、スーパーに行くと、お節セットが手ごろな価格で売られており、衝動買いしてしまった(笑)。お節は用意しない予定であったが、見事に覆され、お重に詰め替えたところ、なかなかのものになった。

スーパーでお節を買ったのは初めて。味の方は分からないが、見栄えという面では高級お節と遜色なし。詰め替えに要した時間は3分ほど。よって3分お節(笑)。まっ、いいか。こういうやり方なら、お金も手間も、あまりかからず、適度に満足できる。

そして、青森産のりんごが安売りされていたので、こちらも多数購入。冷蔵庫はりんごで満杯。そして、りんごも、味のあたりはずれが結構あるのだが、今回のは、大変美味しい。今年初めて巡り合った美味しいりんご。

りんごは好きな果物の一つだが、一年を通じても、こんなに美味しいりんごを食せるのは珍しい。幸せだ。年も押し迫って、やっといいことがあった。それでは、皆さま、よいお年を。

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2017年12月28日 (木)

餅花の記憶

もうすぐ正月。昔の写真を見ていると、子どもの頃、餅花をバックに母と共に写っている写真があった。母は私を抱っこして、にっこり笑っている。父が撮ったものだろう。それで思い出した「餅花」。

子どもの頃、確かに、母が柳の枝と餅球となるピンクと白の半球を買ってきて、柳に二つ合わせて玉にして留める作業を毎年していた。子どもにすれば、遊び感覚で楽しかった記憶がある。

これは本来、豊作を願うためのものらしいが、長らく、見ていなかった(意識しないと見過ごしてしまう)。もちろん、自宅でも、作ったことはない。やはり、こういうものは女性がいないと作られることはない。正月に商店街を歩いて飾ってあれば眺めるとしますか。

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2017年12月25日 (月)

正月を迎える準備 2017

クリスマスも何の感慨もなく終わるだろう。イブが日曜日だったせいか、街も比較的落ち着いていた。それにテレビやラジオのクリスマス特集も、それほどではない。むしろドラマ『陸王』の方で世間は賑わっている。日本も、そろそろ「脱クリスマス」の時代を迎えたのかもしれない。

そして、正月を迎える準備。室内の大掃除は、ほぼ終わっている。室外の掃除は、枯れ葉などの日常の処理だけ。先日も記したように、今年はお節は準備しない。用意するのは、三が日のお雑煮の準備だけだ。すべて異なるお雑煮のため、それなりの材料の揃える必要がある。それだけで正月の雰囲気は味わえる。

また今年は、好い年ではなかったので、神社へのお礼参りも必要なし。久しぶりに初詣も中止の予定。注連縄もしない。それに例の神社のおぞましい事件もあった。あの金銭感覚には唖然とした。他の神社も五十歩百歩かもしれない。彼らを太らせても、いいことはない。

神に祈るだけなら自宅でもできる。来年は、静かに正月を迎えるつもりだ。ゆったりした日程で、寝正月ができそうだ。

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2017年12月22日 (金)

中島敦を読む

学生時代に読んだ中島敦の作品を久しぶりに再読。1909年生まれの、この作家は、漢学者の家系に生まれたためか、題材を大陸に取ったものが多い。

今回は、中国に題材を取った『名人伝』、『山月記』、『弟子』、『李陵』の四作品。『名人伝』は射の名人、紀昌の人生。『山月記』は、虎になった李徴の人生、『弟子」は孔子の弟子の子路の人生、『李陵』は、匈奴に捕らわれた李陵の人生を描いている。

それぞれに厳しい人生を送っている。それは何故か。世間と妥協しないからか、強い人生観のためか。それとも性格か。あるいは環境が、彼らを追い込んだのか。いろんな角度から、彼は冷徹に観察している。

もちろん、どれくらい事実なのかは不明だ。創作の部分も多いことだろう。でも、ありえないことではない。若い人たちにも、生き方の参考にはなるだろう。

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2017年12月19日 (火)

刎頸(ふんけい)の友

ロッキード事件が起こった頃、国際興業社主の小佐野賢治氏が国会に呼ばれて、田中角栄氏との関係を問われて、彼とは「刎頸の友」だと答えていた。その時、初めて、この言葉を知った。刎頸とは、頸(首)を刎(は)ねるという意味だ。

これは「刎頸の交わり」というところから来ている。意味は、「お互いのために首をはねられても悔いはないという誓いをした友」ということになる。藺相如(りんしょうじょ)と廉頗将軍の逸話が出典。

藺相如は、胆力と知恵のあった人物で、趙の恵文王の時代に、「和氏の璧(かしのたま)」を秦の王と丁々発止とやりやって、持ち帰った。このことにより、彼は上大夫に任じられた。その後も、秦との争いは続くのだが、藺相如持ち前の胆力で、秦の野望を阻止する。

その功績で、彼は上卿(じょうけい)になり、廉頗将軍より上位になる。これに反発した廉頗将軍。「彼は身分が低い出だし、口先三寸で出世している。奴の下になるなんて許せない。必ず貶めてやる」と凄む。

それを聞いた藺相如は極力、廉頗将軍と顔を合わせることを避ける。そうすると彼の部下たちが不信感を持つ。そこで、藺相如に本音を確認すると、彼は、「廉頗将軍と秦の王と、どちらが恐ろしいか」と尋ねる。部下たちは、「もちろん、秦王です」と答える。

「そうなのだ。今、国内で争っている場合ではない。私と廉頗将軍がいる限り、秦は戦争を仕掛けない。そのためには、彼を避けるしかない」と。それを聞いた廉頗将軍は、大いに恥じて、藺相如に謝罪し、「刎頸の交わり」を結んだ。

人間、自分のプライドから、いろんな思いを致す。だが、本当に大切なことは何なのか考えることは重要だ。これは何も政治家に限らない。個人の生活、家庭でも、同じことが言えるだろう。

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2017年12月16日 (土)

忘年会の時期だが、、、

各地で忘年会が開かれていることだろう。年忘れの催しと捉えられているが、本来の意味は違う。年齢を無視して、才徳のみ評価した付き合いをいう。これは後漢の孔融(こうゆう)と禰衡(でいこう)の話から来ている。

孔融は、郡の宰相になったり、儒学を奨励したりした。結構活躍したのだが、後に曹操に疎まれ殺される。禰衡の方は、孔融より30歳程度若く、才気煥発だったが、かなり生意気。いろんな上司に仕えるが、傲慢さは治らず、やがて殺される。

そんな二人だが、孔融は禰衡を可愛がって面倒を看たという。馬が合ったのかもしれない。これを「忘年の交わり」という。年齢差に関係なく、交友関係を持つことを指す。また見方を変えれば、年齢差が忘年の交わりを生むとも言える。

年齢差が30歳ということは、高齢者が孫と付き合う感じ(昔の感覚。現在では40歳以上の年齢差が必要かも)。子どもより孫が可愛いように、ライバル関係ではない。むしろ、年輩者は、若い人に対して、自分の時代を重ね思い出しながら眩しく感じることの方が多いだろう。

でも、今の日本の忘年会で、そういう付き合いも、なかなか難しいかもしれない。むしろ、本来の言葉の謂れは無視されて、「年忘れ」の方が優先されるのだろう。

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