文化・芸術

2017年5月27日 (土)

懐かしい言葉~寝押し

先日、新聞を読んでいると、懐かしい言葉に接した。それが「寝押し」。まだ、ズボンプレッサーなど普及していない子供時代、母が父のズボン類を夜、敷布団の下に敷いていた。朝、それを取り出すと、見事に折り目がついていた。

流風も学校に上がって、制服を着るようになると、同様にした。ところが、どうしても、うまく行かない。折り目がダブっていたりする。結局、母が、アイロンを当て直して修正。でも、父のは問題なくて、流風のは問題が出るのか。

後で、分かったことだが、父は、軍隊仕込みで、寝る姿勢が晩から朝まで一定。それに比べて、流風は激しい寝返りの繰り返し。その差と判明。その後も、何回もやっても、うまくは行かなかった。

今は、クリーニングに出すか、洗濯しても形状が変わらないものを使用。ずぼらな人間にも優しい時代だ。クリーニングに出すと余分にお金はかかるが。でも、今後も寝押しすることは多分ないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月26日 (金)

日本画鑑賞入門のテキスト

長い間に集めた日本画に関する書籍や図録は、割とあるほうかもしれない。その時、その時に催される日本画の展覧会で手に入れた図録や、たまたま、ある時に興味を持って購入した日本画関係の書籍を長らく処分せずに持っているからだ。

ただ、専門家ではないので、その集め方に統一性はない。関心のままに集めたからだ。そういう意味では、真に日本画の歴史的流れは把握していなかった。今回、たまたま見つけた『マンガでわかる「日本絵画」の見かた』(矢島新監修、唐木みゆイラスト。誠文堂新光社刊)を読んで、改めて、そうだったのかと日本絵画の歴史を再確認した。

本来、この本を読んで、個別の資料を集めるべきだが、残念なことに、その逆をやってしまった次第。若い方は、このような誤りはして欲しくない。この本では、日本絵画の歴史を順を追ってわかりやすく説明してある。それから各自掘り下げて鑑賞してほしい。

時代時代の代表的絵画を示しながら、エピソードを交えて、イラストで示してあるので、理解しやすい。日本絵画入門書として、若い方で、日本絵画に興味を持った方は、是非読んでほしいと思う。

*追記

ついでに記しておくと、日本画鑑賞の書籍は他にも持っていたが、あまりにも専門的で文章ばかりなので、一般人には難しかった。一応、蔵書としてあるのだが、書棚に眠っている。いつか読むだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月24日 (水)

ピーチクパーチクと言えば

ピーチクパーチクと言えばヒバリの子だと思うのだが、ある新聞のコラム欄を見ると、ツバメの子たちの鳴き声として記されていた。

でも、ツバメは、ピーチクパーチクと鳴かないと思う。彼らの鳴き声は様々だけれど、チュピチュピとかジージー、ジャージャーが比較的多いのではなかろうか。

確かに、ヒバリも、ピーチクパーチクというより、ピーツクピーツクと鳴くように思う。でも、ツバメよりは鳴き方はピーチクパーチクに近い。

いずれにせよ、賑やかな鳴き声を表したものかもしれない。若い女性の話声も、それに相当するかもしれない。喫茶店で、甲高い声で話されているのを聞くと、若干苦痛ではあるけれど。

そういうと、昭和期には、晴乃ピーチクパーチクという漫才師がいた。遠い記憶だけれど、彼らも賑やかだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月20日 (土)

老兵は死なず、と言うと

「老兵は死なず」というと、連合国軍最高司令官だったダグラス・マッカーサーが言ったとされる。その英文は、Old soldiers never die,but fade away。それを一般には直訳して、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と訳された。

ただ、これでは、軍人の彼の本意は伝わらない。この言葉は、彼の軍人精神を表した言葉として指摘される。当時、占領軍として絶対権力を握っていた彼が、朝鮮戦争に原爆を使おうして、トルーマンに追われた。

そういう悔しさを表しつつ、軍人として律していく精神を表している言葉だろう。私が、ここに居なくなっても、心は常に皆と共にあると言いたかったのだろう。

さて、映画にも、最近視聴した戦前の英国映画で、邦題『老兵は死なず』がある。但し、原題は、The Life and Death of Colonel Blimp である。直訳すると、「傲慢な保守的軍人の一生」となる作品。この映画は、戦後、日本に入ってきたものだろうから、邦題は、マッカーサーの言葉を意識したもののように思う。

映画は、美人女優のデボラー・カー主演。ボーア戦争(英国とオランダの争い)が1902年に終わり、武勲を立てたクライヴ・キャンディ中尉がロンドンに帰還することから始まる。彼は、カウニッツというドイツのスパイが英国を中傷している噂を聞き、ベルリンに向かう。

彼は、そこで、エディスという英人家庭教師と共にカウニッツを懲らしめに行く。殴り合いになり、彼は、ドイツ軍将校の代表と決闘しなければならなくなる。1943年の英国の制作だが、老軍人をからかった映画だ。

第二次世界大戦の頃に、このような映画を作る余裕があった英国。それはともかく、デボラ・カーは一人三役をこなしている。一人目が、先に示したエディスという女性。クライヴは、好きだったが、他の男(決闘したドイツ軍人)に譲ってしまう。

そして、後に、1918年、西部戦線に出征中、エディスに似た従軍看護師のバーバラを見初め、年齢の差20歳だったが結婚する。その後、妻は亡くし、第二次世界大戦が始まり、現役を退けられると、またまたエディスに似た、自動車運転手の婦人部隊員のショニィ・キャノンと出会うことになる。もちろん、彼女は恋愛対象ではないが。

これは何を示しているのか。男は似たようなタイプの女性を好むということだろうか。あるいは男はロマンチックだということだろうか。一応、戦争映画のはずだが、どこか喜劇仕立てになっている。

騎士道精神から脱せない老軍人の悲喜劇とも言える。若い兵たちは、ナチスの非道のやり方には、老軍人のやり方では対処できないと批判し追い出してしまう。果たして、彼は時代に取り残されたのだろうか。

時代が変わったのかもしれないが、彼の妻に対する思いは、いつまでも変わっていないと終わっている。全体を通じても、白黒映画だが面白く、163分が、そんなに長く感じられなかった。名作と言っても差し支えないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月16日 (火)

復讐の連鎖~『タイタス・アンドロニカス』より

かつて、日本には、仇討ちを認めていた時代があった。ただ、いかなる理由であっても、仇討ちされると、その家族は、仇討ちした人を恨むようになる。それで、逆に、仇討ちを考え実行すれば、それは復讐の連鎖になる。とめどなく、怨みが続いて行く。

シェイクスピアの作品にも、それを描いたものに、『タイタス・アンドロニカス』がある。ローマとゴートの戦いである。ローマのタイタス・アンドロニカスは、ローマの貴族で、ゴート討伐軍の将軍だ。

彼は、ゴート軍を討伐するのに成功するが、成功の生贄に、ゴート人の女王タモーラの長男を惨殺する。それに怨みを抱いたタモーラが、ローマの皇帝サターナイナスに、そのことは秘して、皇帝妃になる。そこから、元々タモーラの情夫エアロンの悪知恵を活用して、復讐を成し遂げていくが、、、。

話は、この辺で留めておくが、シェイクスピアも、戦争が、その実態としても、随分と残酷な物語を描いたものだ。彼の初期の作品のようだが、その後は、若干オブラートに包んで描いているように思う。

とにかく、戦争に限らず、争いは、相互に怨みを持たせる。人間には、闘争本能が組み込まれているそうだが、それを好いように使うことが人類の永遠の課題だろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月15日 (月)

男女の思いのズレ~映画『凱旋門』から

凡そ、男女の恋愛関係には、その思いにズレが生じるのは致し方ない。ただ、そこから悲劇が生じる。今回は、久しぶりに、洋画を鑑賞した。それが『凱旋門』(原題はArch of Triumph)。1948年制作のアメリカ映画。主演は、イングリッド・バーグマン、シャルル・ボワイエ。あらすじを備忘録として残す。

舞台は凱旋門のあるパリ。時代は、第二次大戦前の不穏な雰囲気漂う時期。当時、パリには、いろんな国からの亡命者で溢れていた。

オーストリア医師のラヴィック(シャルル・ボワイエ)も、亡命者の一人。ナチを逃れて、不法入国していた。当然、旅券もない。生きるため、闇のアルバイト医師をしていた。その彼が、ある夜、ナチの収容所で、彼の恋人を拷問にかけ殺したゲシュタポの手先ハーケを見つける。

復讐心に燃えたラヴィックは、その場は見失う。その帰途、セーヌ河で身投げしようとしているイタリア女ジョーン・マドゥ(イングリッド・バーグマン)を見つけ、止めさせる。彼女は行くところがないということで、とりあえず、亡命者が宿としているところに泊めてやり、何かと世話を焼き、ホテルの手配もする。

そんなこんなで、彼女は彼のことが忘れられず、逢瀬を重ねるうち、二人の関係は深まる。彼女は、売れない俳優で歌手であったところから、彼は知り合いのモロゾフを通じて、カフェの歌手の仕事を紹介する。

そういうこともあり、二人は、リヴィエラで暮らすことになるのだが、幸せは続かなかった。ラヴィックの不法入国がばれて、即刻スイスに追放される。3か月後、彼はパリに戻ってくるのだが、彼女は消えていた。というのは、孤独に耐えかねて、青年富豪のアレックスと同棲してしまっていたのだった。

ラヴィックが探し求めた結果、ジョーンは戻ろうとするが、嫉妬に狂ったアレックスは彼女を刺してしまう。その頃、ラヴィックは、ハーケを見つけ、罠に嵌めて殺害し、復讐を成し遂げていた。その夜には、ニュースで、連合国の対独開戦を伝えていた。

疲れて、うとうとしているところに、ジョーンから電話が鳴り響き、殺されると言う。彼が駆けつけると、アレックスは、おろおろして助けをラヴィックに求め、救急処置もし、医療施設の手配もする。手術は専門医師の到着を待つべきであったが、ラヴィックは、最早、時間がないと、自らやるが成功はしなかった。結果的に彼女は亡くなる。

その後、ラヴィックも敵国人として、収容所に引っ張られていく。最後に、パリ市民の象徴である凱旋門が夜の闇に浮かんでいたというような内容。果たして、彼の手術の失敗は不可避だったのか、あるいは故意か。恋人を永遠に手元に留めるには、その方法しかなかったのか。いずれにせよ、ジョーンが死地に陥って、初めて、思いが一致したのは皮肉なことであろう。

若い人たちがご覧になると、単なるメロドラマにしか映らないかもしれない。2時間12分の映画としては、疲れを催すという批判もないではない。まあ、これは、ある程度の年齢にならないと理解は難しいかもしれない。

ただ、戦争の場面こそないが、戦争映画でもある。戦争で被害に遭うのは、いつも一般国民であることは確か。見方を変えれば、それなりに意味のある映画だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月14日 (日)

続かないカメラの趣味

最近の若い方たちは、何でも写真で記録しているようで、食事まで写真で記録している姿を見かける。スマホ・携帯の普及で、いつでも写せる環境が整っていることもあるだろうが、私には違和感がある。そんなことをする前に、しっかり食事しろと言いたくなる。もちろん、食事記録を健康管理に使うのなら、それもいいのだが。

さて、私も、若い時、カメラを持って、一応旅行はした。ただ、その技術は上がらず、研究熱心でもなかったので、すぐに飽きた。その後も、他者が撮られた写真などを見て、一応、憧れるのだが、その興味はなかなか続かない。

フィルム写真カメラからデジタルカメラに移行しても、あるいは携帯カメラが普及しても、写真を写すことに、それほど関心はない。性格的に、一度に、あれもこれもできないので、カメラに注意が行くと、観光が楽しめないこともある。過去の観光写真を見て、思い出に浸るのもいいが、最近は、写真で敢えて残さず、観光は、記憶と割り切っている。

それでも、現在はガーデニングで、成長した木々や花々を撮ろうと一瞬、思うのだが、ずぼらな私は、結局、チャンスを失い、季節が終わっていることの繰り返しだ。この調子だと、一生、カメラとの縁はなさそうだ。

せいぜい、写真展などで、他人様が写された見事な写真を楽しむだけなのも、案外、悪くないと思う日々だ。その結果、過去に買った安物のカメラ類は、ほとんど使わず、押し入れに眠っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月12日 (金)

古い文庫本の処分

古い文庫本を久しぶりに読み返そうとしたが、誌面の変色と文字が小さすぎて、読みにくい。名作も多いのだが、思い切って処分することにした。最近の文庫本は、少し文字が大きいので読みやすい。結局、買い直すことになるが、仕方ない。読書意欲を減退させる誌面の変色と小さい文字では、楽しめないのだから、やむを得ない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月 9日 (火)

『トロイラスとクレシダ』を読む

シェイクスピアの作品も、その創作目的がよくわからないものがある。それが『トロイラスとクレシダ』。一応、トロイ戦争の末期を描いたもの。

トロイラスというのは、トロイの王、プリアモスの息子たちの末子。クレシダというのは、トロイの神官、カルカスの娘。トロイラスは、クレシダにぞっこんだ。

対するギリシャ側は、スパルタ王として、メネラオスがおり、彼の兄、アガメムノンは、ギリシャ軍の総司令官である。メネラオスは、妻のヘレネをトロイ王の息子パリスに奪われている。

これらを軸としながら、いろんな人が絡んで、いろんな話をする。それは非常に無駄話が多い。話好きの人たちが集まって、やいやいやっている感じ。戦争という緊迫感は、各所に見られるものの、その会話は漫談に近い。

日本で言えば、源平合戦のような感じだ。その中で、男女の愛の頼りなさを絡ませている。一旦、トロイラスとクレシダは、恋仲となったものの、捕虜の交換でクレシダがギリシャ側に引き渡されると、彼女は、ギリシャ軍の司令軍のディオメデスの愛を受け入れてしまう。

ここら辺は、男女の恋愛観の違いを描いているようにも見えるが、別の角度から見ると、女性の貞操観のなさを表している。戦争という悲劇を描きながら、人間喜劇の面もある。一体、シェイクスピアは、この作品で何を描こうとしたのだろうか。再度、読み直す必要があるかもしれない。だが、分かりにくいのは確かだ。

*追記

読んだのは、例によって松岡和子氏の訳本だが、一部、理解に苦しむ翻訳があった。それは男言葉と女性言葉の混乱だ。違和感がある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年5月 4日 (木)

シェイクスピアの『ペリクリーズ』を読む

若い時、それなりに関心を持ったシェイクスピアの作品だが、最近は、松岡和子氏の翻訳シリーズ(ちくま文庫)をよく読むようになった。彼女の翻訳は理解しやすく、文字も少し大きく、さらに紙面構成がゆったりとしているので読みやすいのだ。

そういうことで、シェイクスピアのあまり有名でない翻訳本も、すらすら読めて楽しめる。今回は、『ペリクリーズ』を読んだ。ペリクリーズはタイアの領主。彼は、アンタイオカスの王の娘に求婚を試みるが、この父娘の怪しい関係を読み取ったために、危機に陥り、逃亡の道に。

その先々で、妻に出会えたり、娘を得たりするのだが、その道は厳しく、家族はばらばらになってしまう。彼ら親娘の波乱万丈の物語。夫への愛をいつまでも、持ち続ける妻のタイーサ、絶望的な局面でも、決してあきらめず、積極的に考え、周囲の人間をも感化してしまう娘のマリーナ。

ペリクリーズは、民衆の信頼も厚く、不幸な人々を助ける犠牲的精神も持ち合わせていて、臣下や家族に信頼され、それが結局、大きな幸運を生む。舞台は、地中海沿岸になっており、違った視点で見ると、『千夜一夜物語』に通ずるものがあるように思う。

実際、このような流転の人生は大変だろうが、物語としては面白い。イギリスでは人気が高いそうだ。もっと多くの人に読まれてもいいだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧