仕事と経営

2009年11月16日 (月)

中華料理店は大丈夫か

今日の朝から、急に寒さが増して、本格的な冬到来の感じである。これからは、温かい鍋物が楽しみだ。流風、やはり食べることには関心が強い。贅沢はしないが、食材には、まずまず、それなりにお金をかけているかもしれない。

さて、話は変わるが、数ヶ月前、知り合いから、「流風さん、最近、どうも中華料理店がまずい気がするが、どう思うか」と聞かれた。最近は、あまり外食しないので、即答は避けたが、確かに、たまに外食すると、おかしいと感じることはある。

例えば、料理の質が落ちていると感じるのである。神戸市内の中華料理店で、彼の言うことを確認しながら、食してみると、確かにおかしい。価格は、変わっていないか、むしろ若干上がっているのに、味が落ちている。どうも料理人が変わった感じだ。

ある店は、以前、リーズナブルな価格で、比較的美味しい料理を出していた。しかし、味がどうも違うし、料理も雑な感じがする。出来たての料理ではなくて、出来合いの料理を温めたのではと、勘ぐりたくなるものなのだ。

別の店では、定食を始めたのはいいが、素材の質を落としている。料理人に代わりはなさそうだが、なぜ素材を落とすのか。外食における素材のコストは、そんなに大きくないはずだ。コストダウンの仕方を間違っているのではないか。

更に、もう一つの店は、店舗を改装して、きれいになったが、味がぐっと落ちた。店名は同じだが、経営者も、料理人は代わっているようだ。以前、穴場として、よく利用していたのに残念。もう、誰も連れて行けない。

そして、つい最近利用した店も、たびたび利用していた店だが、料理人が、ここも代わっていた。なぜこんなに料理人が代わるのか。いいように代わるのなら許せるが、みんなグレードダウン。

これは経営の何かが間違っている。確かに、客の入りが悪いから、人件費を削っているのかもしれない。だが、顧客からすれば、店の都合で、味を落とされれば、ますます利用出来ない。

まさに悪循環のサイクルに中華料理店は嵌ってしまっているのかもしれない。これは、案外、外食全般に言えることかもしれない。

*追記

もちろん、流風の利用する店は、庶民的な店で、決してグルメと言えるような店ではない。探して、それなりにお金を出せば、美味しい店はあるのだろう。しかし、こう軒並み、いい加減な店が増えてくると、探す意欲も萎える。

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2009年11月 7日 (土)

中小企業のビジネス

ある中小企業の社長と話していて、これからの美味しいビジネスは何だろうか、という話になった。はっきりしていることは、中小企業は、大企業と同じことをしないことと、国の方針にあまり同期しないこと、という風に落ち着いた。

凡そ、国が旗振りをして、そこにビジネスの中心が行くのだろうと思って、中小企業が進出すれば、ほとんど破綻している。もちろん、ほんのわずかの成功例もある。国は、それをアピールするが、多くの中小企業とって、あまり参考にならないのが事実だ。

やはり国が旗振りするビジネスには、大企業が参画するしかない。そうかと言って、時代に逆行するようなことをやれば、それも難しい。時代を読みつつ、大企業が食い荒らした残骸を整理する中に、ビジネスチャンスがあるのかもしれない。

基本的に、大企業は、ある規模の市場がないと、進出しがたい。費用対効果の点でも、資本効率の意味でも、経営者は、ある一定期間内に実績を求められる。となると、手間暇のかかるビジネスには、二の足を踏む。

やはり中小企業としては、大企業の嫌がるビジネスに進むしかない。だから、中小企業が手間暇を厭うようでは、最早、生きる道はないと考えた方がいい。若い経営者の中には、楽して儲けようというような安易な発想があるが、それでは成功は覚束ないと言えるだろう。

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2009年10月31日 (土)

食の実演販売

百貨店では、あいかわらず物産展が多いが、あまり買いたいものはない。価格も、安くはなく、高いものも多い。最初は、物珍しさから、それなりに人気があったが、今は、どうなのだろう。テレビでは、結構売れていると言っているが、限られた物品だけではないのか。

それに、どうしても人気のある地域の物産展に偏りがちだ。催す側から行くと、成果の上がらない地域の物産展は、開催できないということだろう。でも、そういうやり方が、流風には、あまり面白くない。いつも同じ地区の物産展の広告を見ると、もういい加減にせい、と言いたくなる。

ただ、その中で、興味を惹くのは、実演販売だろう。子供のころから、実演販売を見るのが好きだった、実際は、お小遣いが少ないから買えないのだが、そのにおいを嗅ぐだけでも満足だった。

それは、コロッケの実演販売だったり、煎餅職人が店頭で焼いている姿を見たり、回転焼きや鯛焼きの実演などをよく見たものだ。そのたびに、お腹がグーグー鳴り、よだれが出てきて、それを見た店主のおばさんから、試食させてもらったりもした。

ところで、客前で実演するということは、結構気合いを入れないと、うまく行かない。ある職人さんによると、健康管理が大切という。食べ物商売は、すべてそうだろう。体調が狂えば、舌の感覚が鈍くなるから、味を維持できない。

実演販売で、そのような裏の事情を慮りながら、観察するのは、いいかもしれない。それぞれの地区の一流の職人は、どのような味を追求しているのかを知りたいものだ。百貨店の物産展も、最早、地区に捉われず、いろんな地区の職人の食の実演物産展にしてはいかがだろうか。

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2009年10月27日 (火)

景気は自ら創りだすもの

電機業界が、エコポイント制度の延長を政府に申し出ているらしい。大変おかしなことだ。民間で本来やるべきことを国に依存するのは、何とも情けない。それに、もともと、この制度自体、歪んだ制度で、恩恵を受ける者が偏る、極めて不真面目な制度だ。これに国が関与すること自体、おかしい。

また、一時的に、売り上げが上がっても、それは売り上げの先食いに過ぎないことも明らかだ。前政府に、業界が、どれだけ政治献金したのか知らないが、国民の税金を不適正にばら撒く制度は、当然、廃止されるべきものだ。民主党政権は、この要求を拒否すべきだろう。

それに、大体、このような仕組みは、やりたかったら業界で話し合ってやればいいことで、何も政府を巻き込む必要はないはずだ。景気は自ら創りだすものであるべきだ。電機業界は、そういうこともできない状態なのだろうか。依存心が増せば、それは衰退を意味する。昔の業界人が生きていれば、きっと嘆くことだろう。

商売を国に依存するなんて、基本的にとんでもないことで、商売の主体性を放棄しているに等しい。それなら公共投資に依存する建設業界と何ら変わらない。電機業界は、いつからこんなに堕落したのだろう。

かつてサラリーマン経営者でも、オーナー経営者ほどではないが、意地を見せたものだ。それが失われているとすれば、今後の電機業界の未来は視界ゼロだろう。新市場を創造し、新取の精神を取り戻してほしいものだ。

*追記

以上のことは、自動車業界も同じ。エコカー減税など、馬鹿げたことだ。時代の必要としている物を、新取の精神で、挑戦していないから、こういう発想になる。今後は、基本的に電気自動車が普及するだろうし、いろんな業界からも新規参入も増える。そうなると、新市場が形成され、業界は再編される可能性が高い。基本的な戦略を練り直さないと、最早、既存の自動車企業も、世界で将来は残れるか怪しいものである。

*追記

小沢鋭仁環境大臣が、エコポイントを残すことに賛成の方向が予算に向けて、にじむが、環境政策を誘導するためのエコポイントというのは、おかしいだろう。民間企業が自主的に、あるべき姿の方向に誘導するのは、ばら撒きだけではないはずだ。それは古いやり方だ。彼は、とかく企業とのつながりが噂されているので、より注意すべきだろう。

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2009年10月26日 (月)

食産業の行方

9月のデータでは、外食産業は連休が多かったため、家族連れの客が多く、実績は、昨年を上回っているようだ。だが、今月も、外食店に、時々行くが、どこも割と客数が少ない感じだ。流風が行くのは、高級店でなくて、一般の庶民的な店だが、どこも閑散としている。大丈夫かな。人々の節約志向はより強まっているのだろうか。

そういうと、物販店では、水筒が売れているらしい。昔の大きなものでなくて、小型の物がたくさん展示してある。確かに、そういうものは、小さい鞄にも入れられるし、重宝だろう。喫茶店も、店によるが、飲食店ほどではないが、客足は落ちているらしい。一部店舗は、割引を始めている。

まあ、外食も喫茶も、無駄と言えば無駄なのだが、余裕を失っているのだろうか。しかし、皆が皆、何もかも節約しているとも思えない。節約しつつ、何かに消費している。いわゆる選択的消費だ。家計の予算の中で、メリハリをつけたいのだろう。その代表的な例が、お惣菜の店で、その勢いは落ちていない。

特に量り売りは、支持されているようだ。確かに予算内で、いろんなものが、選べるということがいいのだろう。消費者に選択を委ねるのは、マーケティングでも、その有効性は指摘されているが、それを地で行っている。もちろん、それでいて、味は確かさが求められる。

そして、従来は、駅地下など、会社帰りなどに求めることが支持されたようだが、最近は、それだけでなくて、自宅の近所の惣菜店が支持されるようになっている。いわゆるコンビニ型惣菜店だ。これがどのように進化していくのか、わからないが、外食店の不振に比べれば、まだまだ開発余地があるようだ。

それでは、外食産業は、どうすればいいかというと、規模の経済を追わないということだろう。昔から、飲食産業は、立地の選択と店を小さくして、運営するのが大切とされてきた。

つまり、人々の嗜好は年々変わるし、それに適宜対応しようとすれば、大きい店では、設備投資も過大になり、融通が利かなくなり、時代に取り残されてしまうことを先人は理解していたのであろう。小回りの利く運営規模にすることは意味がある。外食産業も原点に戻るべきかもしれない。

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2009年10月10日 (土)

中小企業の金融

現在、貸し渋りと貸し剥がしが話題になっているが、これは5~6年前にも話題になり、金融庁に、ホットラインが敷かれた。この中で、貸し渋りも、運転資金を充てにしているところは貸し渋りされると、確かに困るが、最悪なのは、何と言っても、貸し剥がしであろう。

これは融資の約束を、貸し手が一方的に破り、融資資金を引き揚げるものだ。確かに、貸し手側からすると、借り手の経営状況が悪化して、将来資金の回収が危ないと判断し、資金を引き揚げるのは、一種の防衛本能だろう。

だが、かつて貸し手の事情で、資金を引き揚げたのが、バブル崩壊後の金融機関であった。それで多くの中小企業は破綻した。あれはひどかった。金融機関も、差し迫った事情があったのだろうが、人間のすることではない。

ただ、今般の事情は、あの時とは異なる。基本的に、中小企業の経営問題だ。もちろん金融に対するBIS規制問題が複雑に絡んでいることは確かだ。メガバンクは、手間のかかる中小企業への融資は、最早、敬遠気味だろう。

それに大手金融機関に、企業を立て直す能力のある人材は、リストラ後、不足している。結果的に機械的に、融資作業をしているところも少なくない。それは規模が大きくなればなるほど、そのようだ。それが、貸し渋り・貸し剥がしにつながる。

まだ中小の金融機関は、中小企業とも共に考える姿勢がある。だから、中小企業も、大手金融機関による安い金利で融資という甘い誘惑に負けず、将来どれくらい面倒見てくれるかも勘案して、融資してくれる金融機関を選択すべきだろう。そして、自己資本比率を高め、過剰な従来の他人資本依存の経営を改めるべきだろう。

*追記

こうなると、将来問題になるのは、やはり雇用問題である。国内で、いかに新しい産業を興していくか。それに尽きるようである。

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2009年9月18日 (金)

人材の登用基準は何か

今回の鳩山新内閣では、どういう基準で大臣が選ばれたのだろう。報道によると、勢力バランス内閣だそうだ。昔で言う、派閥均衡内閣なのかもしれない。党内の勢力をバランスよく配置し、その上に乗っかる。

まあ、賢い選択だろう。このように人材の登用というのは、案外難しい。人と人の組み合わせを間違うと、組織はごたごたする。一角が崩れれば、脆いのも確かだから、しっかりやってもらいたいものだ。

ところで、大臣の登用もそうだが、一般企業での人材の登用はどのようになっているのだろう。大企業の場合は、変革時を除けば、すべではないが、ピラミッド型で、抜擢は少ないかもしれない。

中小企業の場合は、人材が少ないので、年齢ではなく、実力主義で、抜擢する場合もあるだろうが、平凡な企業は、家族的なしがらみゆえ、あまり思い切ったことができないのではなかろうか。組織内の登用は、それぞれの企業文化に基づき、ある程度、やり方は決まってくる。

しかしながら、外部からの登用の時は、少し事情が異なる。中小企業でも、外部から新しい人材をスカウトして、招いて、重要なポストを任せ、発展したところはある。現在、上場している企業の中にもある。一体、そのような人材発掘は、どのようになされるのだろうか。

各種関係先の紹介だろうか、あるいは金融関係からの斡旋だろうか、あるいは大学の研究者との関わりでスカウトしたのだろうか。いずれにしても、採用する基準は何だろうか。彼らを採用して、初めからうまいこと行くとは思っていなかったに違いない。

企業の風土、経営者の人柄、人材評価システム、スカウトした人材のネットワーク利用、社内人材との融和、良好な人間関係等が、うまくいった結果、力が発揮されたのだろうか。でも、どうして、その人を採用したか。

基本的には、その人材の情報を膨大に集めることなのだろう。つまらないことから、日常生活に至るまでの基本的な考え方や行動様式などが大切なのだろう。組織風土に、まず馴染める人材が第一条件だろう(それがいいかどうかは別として)。その上で、能力の査定をする。

となれば、面接する時には、やはり本人が記す履歴の内容が重要かもしれない。その表現で、経営者の感性に響くものがあれば、登用されることもあるだろう。結局、それは当事者同士の人柄のマッチングかもしれない。これは双方における、縁であり、運であるとも言える。人と人の出会いは、ある意味、奇跡なのだろう。

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2009年9月16日 (水)

タレント米は成功するか

兵庫県では、新規就農者が増えているそうだ。農業への関心が強くなっている。やはり国民一人ひとりが、食糧の自給率が危ういことに対して、疑問を持つようになったことは望ましいことだ。海外から調達すればいいという考え方は、今でもあるだろうが、それは海外に常に供給余剰があっての話だ。

これから、人口の多い国々が、少し需要を海外に求められば、たちまち、供給不足に陥るのは明らかだから、国内農業の立て直しは、喫緊の課題だ。そういう雰囲気の中で、一部タレントが、農業への参加や、米の販売をされている。

それは自分で作付けしたものや、地域の協力を得て作られたものに、オリジナルの冠をつけて販売したり、あるいはされようとしている。例えば、藤田志穂さんの「ギャル米」や、大桃美代子さんが手がけられている「桃米」(詳しくは、彼女のブログ『桃の種』はリンクを張っているのでそちらを)だ。

地域は、彼女らを広告塔にすることによって、地域活性化も図っている。だとすれば、多くのタレントの出身地は分散しているのだから、出身タレントに働きかけて、「タレント米」と作ることも可能だろう。そして、競わせればいい。

有名タレントは、出身地の米が、誇れるものであれば、故郷に錦を飾るではないが、販売促進の協力も必要だ。そうすれば、流風でも、ファンのタレントが、タレント米を発売すれば、買ってしまうかも(笑)。

もちろん、自ら農業するかどうかは別として、上っ面だけの協力では、あまり意味がない。農業への真の理解や、地域の掘り起こしの観点も必要だ。自分なりの考え方を発信することは、新しいファンを作る可能性もある。ミーハー的な観点だけでなく、タレント米はタレント自らの掘り起こしにつながると思うのだが。

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2009年9月 8日 (火)

デザインによる付加価値

別に秋が近くになったからと言って、デザイナーでもない流風が、デザイン論を展開するのもおかしいと思うが、一応、企業におけるデザインの自分なりの認識を示しておこう。いつものことだが、専門家でもないので、確認しながら、読んでください(笑)。

商品の機能で差別化できなくなると、企業は、デザインでの差別化を検討する。それは価格競争に巻き込まれないようにするということを意味している。競争は大切だが、行き過ぎた競争は、企業を疲弊させる。そこで、付加価値を高めるため、デザインを利用する。

しかしながら、商品は本来、機能が優れていれば、デザインは、基本的に決まってくる。優れた商品は、優れたデザインのはずだ。それをデザインで差別化しようとするということは、その商品の機能が、まだ十分でないことを意味している。

もちろん、市場価格の問題があるので、絶対的な機能を持った商品は、市場にはない。絶対的な機能を持った商品は、とてつもない価格になるので、市場に受け入れられない。そこで、まさに市場と折り合いをつけた「適正価格」での、商品供給になる。

以上のような制約条件のもとで、企業は他社と差別化を図るべく、魅力あるデザインを考案する。だが、全ての人に受け入れられる商品はない。そこで、人々のデザイン嗜好を調査して、いくつかのグループを作り、そこに対応するデザインを検討することになる。

つまり、平均的なデザイン、最大公約数的なデザインは、量産しても、基本的に売れないということを経験しているからだろう。ということは、売り上げの極大化は望めず、いくつかの山の頂点を目指す戦略を打ち出すことになる。いわゆる次善の策だ。

これは中小製造企業に有利に働き、ビジネスチャンスがあるということである。小回りが利いて、小ロット生産もできる中小企業は、デザイン差別化戦略になじみやすい。もちろん、あまり細かく過ぎると、その弊害もあるが、今はネット販売も可能だから、認知度を高める努力をすれば、それなりに売上アップも可能だ。

これらのことは、現在では、自動デザイン、コンピューター設計、ロボット生産でも可能かもしれない。そうなれば、大企業でも、対応可能ではないかと反論が来そうだが、時代の空気を読む感性は、人間しかできない。またモノの作り込みも職人の経験には、ロボットは及ばない。

これは何を意味するか。つまり、まず作り手の意思を明確にすることだ。その中で消費者とコミュニケーションしながら、グレードアップを図っていく。そうすることが固定客を生む。

ただ、中小製造企業者に一番欠けているものは、消費者とのコミュニケーションできる製品であろう。いい技術があっても、コミュニケーションがなければ、ビジネス拡大ができない。それに、新しい切り口を見つけ、支援するのが、いわゆるデザイナーであろう。

*参考

以上のことを意識したものかわからないが、現在、神戸市立博物館を中心に4会場で、『感性価値創造ミュージアム』が開催されている(平成21年9月13日まで)。博物館では、西日本エリアで生まれた60品目が展示されている。

展示されているものの多くは、多分に、遊び心が備わっている。もちろん、全てが実用的である。ただ、参考価格も提示されていないのが気になる。価格は、大変大切で、価格も、ある意味、デザインであることを忘れてもらっては困る。それによって、ビジネスで成功したり、失敗するわけだから、いくら公共の施設を使った展覧会でも、片手落ちである。

そういうことを除けば、デザイン重視の展覧会としては、まずまずである。設営も、行き届いているし、雰囲気もいい。提供された冊子を見ながらの展示品の展覧はよかったと思う。ただ、こういう展覧会は、継続して、繰り返して、何回も開催する必要がある。そして、今後の市場や消費者への販促は、企業の個別の努力であろう。

   『感性価値創造ミュージアム』のホームページ

       http://www.kansei-kachi.com/

       

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2009年9月 5日 (土)

20代の仕事はがむしゃらに

若い人と、時々会うが、確かに、いい奴ばかりかもしれない。しかし、多少、のんびりしている。鷹揚だという形容があるかもしれない。育ちはいいのだろう。ただ仕事に対する切迫感がない。真面目で素直に話は聞くが、貪欲に学んでいこうという意思が感じられない。もちろん、全く学んでいないということではなくて、もう後ひと押しが足りないと感じる。

しかしながら、若い人たちには、20代が最も大切だと思って欲しい。残念ながら、20代が最も大切と、若い人に説いても、なかなか分かってもらえないことが多い。多くの先人は、20代に成し遂げた遺産で、そのあとの時代を生きている。大器晩成も、20代に、きちんと何事かをやっていて、初めて可能だ。20代の評価は、その後も続くと思った方がいい。

もちろん、大きな組織に属していれば、個人ができることは限られているだろう。しかし、もう一段高い視点を持ち、問題意識は、常日頃から養っておく必要がある。それが後年、役立つのは間違いあるまい。20代は、仕事は、がむしゃらにやって欲しい。

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2009年8月30日 (日)

人件費と価値ある社員

企業経営者が、機会損失を失うことを恐れ、業績のいい時に、雇用を増やすと、業績が落ちた時には当然、人件費が負担になる。凡そ、人件費不況が起こる時は、概ね、このようだ。

だから経営者は、機会損失と、将来コストを常に考え合わせて、人を雇用しなければならないのだが、なかなかそれができない。それは顧客の要望に対して、断りきれないからだろう。ビジネスチャンスを逃したくない気持ちはわからぬでもない。

だが、顧客の要望と経営のかじ取りのバランスを取れない経営者が多いというのは、従業員にとっては悲劇だ。最悪の事態になって、人件費カットだ、リストラだと叫ぶ経営者。背に腹は代えられないのは、わかるが、なぜ、このような経営者が、いつまでも、なくならないのだろう。

結局、それは経営者が、人材を「数量」としてしか見ていないからだろう。会計上の机上の計算しかできないようになっている経営者が、最近増えているのは、実に嘆かわしいことである。

やはり社員に求められるのは、その「質」向上だろう。常に向上意識を持たせて、質のグレードアップをはかる。企業はそれを後押しし、それなりの活躍の場を与え、経営数値がわかる人材にしていく。

結局、それをやった企業のみ残るのだろう。従業員を「コスト」でなく、「価値」として、位置づけていく経営者が増えることを望みたい。

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2009年8月28日 (金)

書店経営はなぜ苦しいのか

現在、書店経営は大変なようだ。本が売れないからだ。本を読む人が大変少ないという。それに、小さい書店は、万引きの被害が多くて、閉店したところもある。万引きは、利益率の低い書店経営を追い込むことになるのだ。

やっているのは、学生たちが、ほとんどらしいが、万引きが、犯罪という自覚がないのだろうか。彼らの犯罪は、自分の人生に、ケチをつけるものだ。将来、本人が出世でもすれば、スキャンダルのネタにもなりうる。学生たちは、未来を傷つけないように行動したいものだ。

小さい個人書店は、そのように厳しい状態にあるのだが、全国的に展開している大きな書店も、実際、経営は厳しいようだ。印刷会社に株式を持ってもらうなどしている企業もあるので、そのことからもわかる。

それほど、人々の文字離れはひどいのだろうか。確かにネットが普及し、ほとんど情報が入手できることも影響しているかもしれない。全ての細かい情報はわからなくても、流れはつかめることができる。余程関心があれば、初めて書籍を読めばいい。そんなところかもしれない。

更に、出版物の多さも、業界を苦しくしていると言って過言ではないだろう。はっきり言って、「ゴミ出版物」が多すぎるのだ。出版物の内容を精査して、本当に社会貢献できるものなのか、業界で、第三者委員会などを設けて、「検査」する必要がある。

こういうことを言えば、いろいろ言う人がいるだろうが、いい加減に、業界は、「ゴミ出版物」の整理をするべきだろう。何も、それはエログロ出版物だけを指しているのではない。一見、真面目な出版物であっても、意味のないものはたくさんある。いや、大半と言っていいかもしれない。要するに類似出版物が多すぎるのだ。これらを整理して、出版物の質を上げなければ、今後も、書店経営は厳しい状態が続くだろう。

*追記

もちろん、やりかたはいろいろあるだろう。ある書店は、まるで顧客のコンサルタントのようにアドバイスして、必要な書籍を勧めている。そうするには、店主が、その本の内容を熟知していなければならない。すなわち、読んで納得したものしか、店においていない。よって、最近の話題本等は置かない。自分の目で読んで、厳選されたものだけが、店にある。そういう努力をしたところは、今後も、生き残っていくのだろう。

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2009年8月27日 (木)

旧作映画の流通

最近の大抵の映画作品は、人々の目に接することなく、上映は打ち切られることが多いようだ。もったいないことだとは思うが、映画が作られ過ぎているのだろう。作る前に、何か審査のようなものも求められる。シナリオの作り込みが大切だ。

制作者が作りたいから作るというのは、現在の著作物同様、資源の浪費になりかねない。最終的に、人々の目に接しなければ、自己満足に過ぎない。もちろん、映画の流通についても、問題があることを否定しない。

たとえば、最近の映画は、期待の高い作品を除いては、大体、1週間の上映がほとんどだ。それでは、なかなか作品が浸透しない。昔のように、1年間上映されて、人気が徐々に上がるという手法は現在では取れないのだろうか。

その後は、一部はテレビで放映されるかもしれない。若い時は、よく録画して、観たものだ。中には、ずっと保存しているものもある。一部はDVDになって、レンタルされる。最近は、旧作だと、100円レンタルというものもある。

流風も、そういうもので楽しむことはある。だが、ビデオにしろ、DVDにしろ、映画館ほど楽しめない(ただ、自分の都合に合わせて観るのには便利だが)。映画館の雰囲気は、一種独特だ。多くの人々と一緒に映画を鑑賞するというのは、別の感動を生む。

ところで、そういうことに、やっと気付いたのか、ワーナー・マイカルが、一部のシネマコンプレックスに、旧作を上映する専用スクリーンを設置するようだ。やっと映画市場も、その必要性に気付いたのかな。この会社は、中高年に利用してもらい、平日の鑑賞者を増やす目的らしい。でも、若者にも、意外にも受けるかもしれない。

その鑑賞料が500円(*注)。だとすれば、流風なんて旧作になるのを待ちますか(笑)。新作は、あらゆる分野の新製品同様、評価が定まっていない。結構、観てから、がっくりというものもある。旧作なら、ある程度評価は固まっているわけだから、損はない。

さらに、数年前の作品だけでなく、50年前ぐらい前の名作も上映されるらしい。昔の名作は、白黒でも、それなりに味わい深いものもある。両親世代が楽しんだものが観られるのなら、これも楽しみだ。

特に、戦前、戦中、戦後をテーマにした作品は、見ごたえのあるものが多い。そういうものが、日常的に上映されれば、人々が戦争に苦しんだことを、若い人にも、ある程度理解できるだろう。早く、関西にも、そういう専用スクリーンが、展開されることを期待しよう。

*注

現在の新作の正規の映画鑑賞代は、1500円くらいが多い。そして特別の日や、特定の対象者に対して、1000円にしている。地域によっては、特別の催しに限って、映画鑑賞代も、新作でも特別鑑賞券などで安くしている時があるが、それでも、せいぜい1000円だ。

旧作が500円は、場所代を考えても、リーズナブルと思う。映画ファンを増やすきっかけになるかもしれない。

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2009年8月23日 (日)

提携・合併のあり方

某大手ビールメーカーと某洋酒メーカーの提携・合併が騒がれて、少し時間が経った。果たして、この合併はうまくいくだろうか。合併と云うのは、違う文化の企業同士が合わさることだから、いろいろ問題がある。たとえで言えば、日本人が外国人と結婚するようなものである。

ところが、そのことを忘れて、安易に提携・合併する例が、度々見られる。銀行の合併もそうだろうし、百貨店の合併もそうだろう。第三者には、机上の数字合わせのように見えてくる。合併後の業績を見ると、必ずしも順調ではないことからもわかる。非効率な組織は残され、旧組織のまま、それぞれが運営する場合も見られる。

ところが、それぞれ、弱みを隠して、自らの思惑で、企業合併を推進することもある。ましてや、それぞれの経営者の顕示欲から始まる合併構想は、本来の合併の意味を失っている。これなどは、投資家にも、従業員にも迷惑なことである。また赤字隠しのための合併もあるだろう。

企業には、それぞれ強みも弱みもある。本来、両社が何のために合併するのかを、初めから、お互い提示して、合併構想を描くべきだろう。今後、日本の中小企業は合併を推進することが求められる。経営者は、仲介者を通じても、お互い、本音で、話し合うべきだろう。中小企業経営者は、サラリーマンである大企業経営者のようなことは、やらないとは思うが。

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2009年8月22日 (土)

屏風の教え

関西の商家では、昔から、次のような教訓がある。

   「屏風は広げ過ぎると倒れる」

最近では、家に屏風のある家は少ないだろう。流風の家にもない。ただ、室内用の物干しは、屏風型をしている。だから、実際、それは経験できる(笑)。この教えは、当り前のことを指しているのだが、経営者は、案外、気付かないことが多いようだ。

売上志向になると、どうしても、あれもこれも取り扱いたくなる。それが屏風を広げた状態と言えよう。だが、どれも結局、中途半端になり、結果として借金がかさみ、破綻する。商売のノウハウは、それぞれにあり、それをこまめに積み重ねないと、信用を築けない。大雑把な経営では、信用は築けない。

逆に、間口の狭い商売は成功すると言われる。一定の継続的需要が見込める分野で、専門性を発揮して、細々と商いしていると、大きい商売しているところと遜色ない利益を得る場合もある。一つ一つの儲けは小さいが、値切られることも少ないので、利益は確実に積み上げられていく。

確かに、間口の狭い商売をすると、当初は、なかなか売り上げも、すぐには上がらないし、商売を始めた頃は苦しい。それでも、そこを何とか潜り抜け、やりくりしていくと、少しずつ信用がついていき、更に顧客の継続的利用が利益を生んでいく。

しかしながら、「屏風はたたんでも倒れる」とも言う。利益を効率的に上げるため、あまりにも取扱品目を減らしても、魅力を失い、ビジネスとしては破綻する。ここら辺の塩梅は難しい。ABC分析により、売れ筋ばかりに商品を集中したばかりに、人気を失うこともあるのだ。やはり商売は、顧客に夢を見せる「見せ商品」も必要だ。そらそうでしょう、「店」は「見せ」だから(笑)。

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2009年8月20日 (木)

買ってみたら、中身が違う!

買ってみたら、中身が違うということは、よくある。そんなことを言えば、父が生きていたら、「なんで、きちんと確かめないのだ」と叱られるだろう。まあ、それはそうなのだが、最近は、ややこしい表示の商品も多いのは事実だろう。

玉井人ひろたさんが、緑茶表示のボトルが、実はハンドソープだったと紹介されていたが、流風も、チューハイのつもりで買ったものが、中身はウォッカだったということもある。外観は、チューハイに似ており、どこにも、ウォッカと大きく表示はしていない。大体、酒であるという表示も小さい(*追記)。

こういうやり方は、少し、ひっかかるものがある。本来の商品の中身を小さく表示して、成分の一部を多く表示するのは、それはメーカー本位のやり方で、消費者の立場に立ったやり方ではないだろう。やはり、どこかおかしい。メーカーの姿勢が問われる。

*追記

ウォッカと聞けば、結構きつい酒と思われるのだが、結構いけたので、それはそれで良かったのだが。

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仕事は最終的には体力

生前、父と話した時、父が「お前も、私も、蒲柳の質だから、お互い無理が利かないので、苦労するなあ」と、ぽつりと漏らした。父も、流風も、体力があるタイプではない。父も流風も、極力、残業を避けて、体力を温存した。

流風は、子供時代、次々と病気に見舞われ、身体が弱かったから、父は、流風がいかにして生計が立つようになるか、随分と心配したらしい。流風は、子供の頃から、体力不足を、いかに補うかということが課題だった。それは、例えば、早寝早起きであったり、適度な気分転換であったりした。

しかし、流風も、いろいろ努力したが、いかに励んでも、限界というものがあり、幾度も壁にぶち当たった。一部の先輩の理解は得られたものの、内心、自分の体力の足りなさに、苛立ったものだ。

いかに色々考えても、大きなことを実行に移すには、相応の時間も費やさなければならない。ところが、それができない。体力がないと、終盤には疲れてきて、思考の方もうまく働かない。ストレスは大きくなるばかりだった。

このように見ていくと、やはり昔から言われているように、文武両道は大切なのだ。バランス良く、身につけるのがいいだろう。どちらかというと、若干「武」の方が優先させた方がいいかもしれない。

「文」、すなわち「智」の方は、基礎的な考え方(人としての教養)がしっかりしておれば、後からついてくるし、最悪、その「智」に優れた人々を参謀に使えばいい。体力に加えて、人を使いこなす知恵と人間力があれば、なんとかなると思う。

*追記

在職時のストレスから、内臓の病気になり、それが十分治っていないのに、働き続けたものだから、危ない事態に陥り、早期リタイア(ちなみに会社には、そのことを告げていない。他の理由で辞めさせてもらった)し、回復するにも十分な時間を要した。

結局、自身の体力の限界の無視と健康管理を怠ったことが禍を招くことになった。そういう反省を含めて、ここに記した。若い方々には、そういうことのないようにしてほしい。

また体力に自信がなければ、それにふさわしい仕事を選択するか、補助的な仕事に徹することが望ましい。その分野で一番になればいい。高望みしてはならない。

*注記

もちろん体力だけではだめで、精神力が伴わないと、物事はなしえない。

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2009年8月18日 (火)

父の記憶法

父は、講演会等へも、会社から聞いて来いと言われて、行くのだが、いつも手ぶらだったそうだ。他の人は、手帳とか筆記用具を用意して、メモを熱心に取っていたが、父は前を向いて聞いていただけのようだ。それは父の同僚から、後日、教えられたと母が語っていた。

それでも、会社に帰れば、その報告は最も簡潔で、わかりやすく、的を得たものであったと言う。そこで、小学生の頃、一度父に聞いたことがある。「流風には、学校で聞いたことを、しっかりノートしなさいと言うのに、お父さんは、なぜメモしないのか」と。

そうすると、父は少し笑いながら、「人の話は、メモしていたら、それだけ遅れる。そこで、大事なことを聞き逃すこともあり得る。だから、聞くことに集中して、頭で整理している。流風は、学校だから、まだ聞き直すこともできるが、社会では、なかなかそうはできないのだ。お前は、まだ、きちんとノートしないといけないよ」と。

また別の機会に、父に違うことを聞いた。「前を向いて聞いていたら、メモもせず、段々眠くなると思う。どうすればいいのか」と。それに対して、父は「確かに、ずっと同じ姿勢で、聞いていたら、そういうこともある。だから、気分転換を頭の中で、10分か、15分ごとにする。そうすれば、眠くなることもないし、ちゃんと聞くことができる」と。

後年、思ったことは、人間の意識の集中は15分程度ではないかということ。それを工夫して、父は、学生の頃から、授業なども含めて聞いていたのだろう。父の言うことは、尤もだと思ったが、その後、大学に進学したり、社会に出て、講演会などを聞く機会を得たが、なかなか頭の中で整理できない。

結局、メモを多くとることになる。要点だけにすれば、いいのに、全てメモしようとした愚行。まあ、それでも、後には、慣れてきて、キーワードだけメモするようになった。そうすると、後で、次々と思いだされ、整理するとことができるようになった。しかしながら、ついに、父のようにはできなかった。多分、今でも。若い方には、早くから、父のやり方を真似してほしいと思う。

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2009年8月 6日 (木)

タレントブログの条件

いろんなタレント(俳優等も含む)のブログがある。必ずしも、売れている人ばかりではない。これからの人や、過去に人気があったが、今は一線から身を引いている人が再挑戦する場合や、方向転換・イメージ転換をはかるために、ブログを開いている人もいる。ブログは、イメージ戦略とアピール手段として、利用しているのかもしれない。

むしろ、売れっ子は、忙しいので、ブログどころではない。そういう人たちは、大概、オフィシャル・ホームページでお茶を濁している。それゆえ、彼らの考えていることは、ファンの会員になって、特別の情報をもらわない限り、わからない。基本的に、非公開の立場をとっている人たちが多い。公開すれば、そのイメージギャップによるイメージダウンを恐れているのかもしれない。

さて、タレントブログを書くのは、いろんな動機があるだろうが、基本的には、自分をよく知ってもらいたいからだろう。本音では、売り込みであるかもしれない。彼らは、認知されなければ、売れっ子にならないが、そのための手段として、ブログが活用されているのだろう。

そして、比較的書くことが好きな人が多いかもしれない。ただ現在は、携帯メールの延長のような文章も目立つ。それゆえ、内容はほとんどない小学生の作文に近いものが多い。

しかしながら、文章がうまいから、売れっ子になるとは限らない。その辺が、このビジネスの面白さであろう。一般企業で、学校エリートが必ずしも出世するとは限らないのと同じだ。但し、馬鹿では、芸能界で生き残れない。文章がうまければ、別の世界で生きられるかもしれない。能力開発の一つにはなりうる。

またブログトップに、出演情報などを記す例も多いが、うざいのも事実だ。タレントブログを読む人は、そういうことを知りたいのではないだろう。そういうものは、別ページに記せばいいことで、ブログトップに持ってくるのは、どうかと思う。宣伝臭を強くして、ああ、この人は自信がないのだなと、思われるのが関の山だ。

タレントブログは、事務所の意向もあろうが、基本的に、その人の人間性を伝える場ではないか。だから、小学生のような日記もいいが、自分が何を考え、どうしたいのか、伝えなければ、タレント価値は高まらない。つまり常識とセンスが問われているのだ。

競争の激しい業界だろうから、いかに存在価値を明確にしていくかが、ポジショニングを決定する。もちろん、採用される条件は、それだけではないだろうが、息の長いタレントになるには、自分の価値を高める日頃の進化が、大切である。

*注記

この業界については、何も知らないので、あくまでも、一般人の見解である。

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2009年8月 3日 (月)

功を譲るということ

競争社会において、全て自分の功としがちだが、平社員の場合は、それでもいいが、それなりの地位に就けば、部下を引き立て、同僚に功を譲ることが必要になってくる。それでも、出世第一に考える人は、他人に功を譲るなど、とてもできないと言う。

そんなことをすれば、出世競争から遅れてしまうと。確かに、短期的には、そういう面はあろう。ただ、長期的視野に立てば、仕事は多くの支えで、成り立っている。自分の功が、全て自分の業績かと問えば、それは多分に怪しい。せいぜい、名目上、その仕事の代表者に過ぎない。

となれば、仕事を手伝ってくれた人々への感謝のしるしとして、功を譲ることは意味がある。それはどんな仕事でも同じであろう。もちろん、競争意識は大切で、何もぬるま湯に漬かれとは言わない。あくまで、競争する中で、功を譲ることが大切なのだ。

そうすれば、将来、更に大きい仕事をする時に、多くの支援が得られることを忘れてはならないだろう。それが器を大きくするということだ。

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2009年7月29日 (水)

父の新聞の読み方

父は新聞が好きで、朝から晩まで、新聞を読んでいたと思う。新聞社から表彰されてもいいぐらいの、精読だった。朝食前の大まかな新聞読みから始まり、通勤途中の電車の中、そして、早めに会社に着いて、更に読み込み、会社で取っている新聞にも、ざっと目を通し、昼間の休憩時間も、惜しむように読み、帰宅すれば、夕食後、朝刊と夕刊を、また読んでいた。

まあ、よくも、飽きないものだな、母と笑いあったことがある(もちろん、父のいない時に)。しかし、流風が、適当な新聞読みなのに対して、父は、きちんと読みこんでいるので、大抵の知識はあった。更に、父の頭の中で、整理されているから、その分析は、いつも的確であった。そういうと、時々、考え込みながら、読んでいた。

だから、夕食時、政治、経済、国際、文化等について議論しても、淡々と分析結果を教えられるので、少し驚いたこともある。いつもは、そんなに賢いとは思われないのだが、時々発揮する、物事の判断力には、母とともに驚いたものだ。およそ、仕事に関係ないことも詳しく、世間のお父さんとは違っていたような気がする。

今では、ネットで情報が整理されているので、新聞をそこまで読みこむ必要があるのか、わからないが、情報を読み込む作業というものは、そんなものかもしれない。ネットに情報が溢れていても、私達は、全ての情報を持っているわけでもない。

むしろ、情報を捌く技術、すなわち基本的な考え方による切り口がより大切なのだろう。父が情報ネット時代に生きておれば、どんな読み方をしただろうか。

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2009年7月23日 (木)

名前が少し変

若い頃、先輩や上司に連れられて、赤提灯で一杯ということがよくあった。大体が、先輩の愚痴がほとんどで、流風は聞き役。飲み代は、先輩が負担してくれるので、嫌々いながらも、よく付き合っていた(笑)。

まあ、これも仕事の一部として、やむを得ない感じだった。いつも赤提灯というわけではなかったが、大体、安い居酒屋とか、たまに、老婆のいるスナックだった(笑)。まあ、先輩の懐具合がそうなのだから、奢ってもらう立場としては仕方ない。

ところで、最近少し流行りだしたのが、「緑提灯」というものだ。これは国産食材50%以上使用の店で掲げているらしい。でも、少し違和感がある。「緑提灯」と言うのなら、国産100%とすべきだろう。50%以上というのは、中途半端な感じだ。

イメージ戦略というのは、一歩間違えば、人々に誤解を与える。実質の伴わないイメージ戦略は逆に、不信感を与えてしまうこともある。でも「黄提灯」というのも、ちょっとね。ネーミングも、なかなか難しい。

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2009年7月 6日 (月)

求められる中小企業の合併

中小企業は、日本の70%近くを占めながら、経営効率と言う意味ではまだまだ問題がある。確かに、雇用という面では頑張っているのだが、経営者が、どんなに頑張っても、小さい組織では限界がある。

例えば、従業員の福利厚生の面では、やはり弱い。少子化対策でも、なかなか浸透しないのは、経営環境が厳しいから、それを受け止める余裕がないからだろう。もちろん、それだけで、合併を提案しているのではない。

特に製造業の場合、その営業力が課題だ。個々の企業のトップセールスには限界があるし、限られた得意先に縛られがちだ。リスク分散という発想はなかなかできない。結局、下請け発想に流されがちだ。だが、下請け環境は、今後も悪化していくだろう。

そうかといって、いきなり自主開発品の開発と販売ということに挑戦しても、成功の確率は低い。余程、入念に実行しないと、借金の山を作るだけだ。まずは、営業力をつけることが望まれる。

しかし、自前の営業組織を作るのも、これまた大変だ。となると、提携営業という考えが出てくるが、これもいろんな利害関係が絡まって、運営が難しい。となると、営業力のある企業と合併するか、組織の営業部門を切り離し、共同営業組織にする必要が求められる。

日本の中小企業は、今後は海外への展開なしに生き残ることもなかなか難しい。だが、中小企業単独での進出では、相手国から相手にしてもらえない。商社を利用する手もあるが、それも限界がある。自前の営業組織がどうしても必要になる。

このように考えると、中小企業の再編が必要になってくる。それぞれの経営者は、自社に対するいろいろな思いがあるだろうが、企業をランクアップし、雇用を確保する観点からも、検討してほしい。それを金融機関や国が後押しすれば、国内の中小企業が活性化されるだろう。

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2009年7月 5日 (日)

大きな勘違いの催し

JA宮崎経済連が、136キログラムの巨大ハンバーガーを作ったようだ。だが話題づくりをして、ギネス世界記録に申請することに、どれくらい価値ある行動と言えるだろうか。果たして、そのことに、どれくらい意味があるのだろう。大変古い感性のように思う。

地球上には、食糧に困っている人々は多くいる。これらの行動は、宣伝活動のつもりだろうが、食べ物に対する一種の驕りではないか。たとえ、後で、食したとしても、それは食糧に対する冒涜ではないか。日本の食糧体制は、必ずしも十分な物ではない。

アピールするなら、まさにそういうことだろう。JA宮崎経済連のやったことは、時代遅れと感じられる。最早、そういうことで、自己顕示欲を満足させる時代ではないはずだ。似たようなことは、他のJA経済連でも、やっているかもしれない。

かつてのように、自然に祈り、作物が自然任せであった時代とは違うと言うかもしれない。しかし、その不安定さは、今も否めないはずだ。もっと、農畜産物を大切に扱い、それを消費する気持ちを消費者に伝えることも大切だ。

消費者からすれば、JA経済連に、このような扱いを受ける農畜産物を、どうして積極的に消費できようか。消費者感情を逆なでするような催しは控えるべきだろう。

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2009年6月20日 (土)

高校生やり手スナックママ

先日、高校生やり手スナックママが報道されている。ただ、警察への届け出を怠ったため、摘発されたようだ。札幌の高校生が、スナックママとして、年上のホステス7名を使って、運営していたらしい。企画も上手で、飲み放題キャンペーンで、200万円も売りあげる月もあったようだ。

商売は上手だったのでしょう。商売の勘所を押さえるセンスが、この高校生にはあったと思われる。昔、よく親類の人が、商売を始めるのだったら、学校など行かずに、できるだけ若い方がいいと言っていたが、接客商売では、特にそのことが言えるかもしれない。

接客のツボとかは、若い時ほど呑み込みも早い。ある程度、年齢が上がれば、変なプライドから、接客の勘所をつかめない。流風は、学校に行くなとは言わないが、商売をするのなら、早く関与した方がいいというのは、当たっているかもしれないと思う。

むしろ、そういうタイプは、学校は、それからでもいいのだ。必要と感じた時、学びたいと思う時が、一番学べる時なのだから。惰性で学校に行くより、どういう事情だか知らないが、この女子高生の生き方も、一つの可能性と思えるのだが。

*追記

念の為に、申し添えるが、流風は、違法スナックをやることを奨励しているわけではない。最初から、きちんとした正しい商売を覚えることが望ましい。しかし、適法と違法の境界線に、ビジネスチャンスがあることも否めない。

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2009年6月18日 (木)

居眠り対応マニュアル?

大分県教育委員会は、会議(報告会)中、居眠りしていた某教育次長を戒告懲戒処分にして、更迭したようだ。毎回毎回居眠りしていたのだろうか。緊張感がないと言われてしまえば、そうだが、居眠りで更迭とは、ちょっと厳しすぎる感じだ(*注)。

実際、会議や講義を聞いていて、眠くなることはよくある。話し手の話し方が単調であれば、余計にそうなる。流風も、学生時代は、よく居眠りした。先生の方からは、それがよくわかるようで、チョークなどが飛んできた。

しかしながら、話し方に、もっと工夫をして欲しいもんだと、よく思ったもんだ。大体、企業でも、長い会議では、そうだろう。人間の集中力はそんなに長く続かない。話し手は。大体、15分単位で、聞き手の意識を切り替える話し方が必要がある。

それでも、眠くなれば、どうすればいいのか。誰が教えたか、席にずっと留まらなければならないという意識が、却って、眠気を生んで、居眠りが話し手を不愉快にさせるのだ。これに対応する方法はあるのだろうか。

言えることは、どこでも許されないかもしれないが、席を立って、外の空気を吸えばいいのだ。席に留まらなければならないという強迫観念が、より眠りを誘う。そうであれば、ちょっと席をはずして、気分を変えた上で、席に戻るようにしたらいい。居眠り対応マニュアルをもっと普及させよう(笑)。

*注

どうせ報告会なんて、レジメは渡されるし、内容は、読めばわかる。所詮、セレモニーに過ぎないではないか。だから、公務員は、こんなことに時間を費やして無駄遣いをしているんだろうね。公務員の会議を減らせば、人件費はもっと大幅に削減できると思うよ。

そういうと、国会もそうですね。事前に質問事項はわかっていて、その回答も用意しておいて、結局、国会は、セレモニー化している。議員さんたちの晴れ舞台なんだろうが、国として、意味があるのだろうか。

そうなると、まだ稚拙とはいえ、党首討論の方が意味があるかもしれない。政治家の実力が、そのまま反映される。

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2009年6月14日 (日)

地域の市民祭りは、物産販促の機会

6月10日が、時の記念日だったことで、明石(兵庫県)は、いつものように盛り上がっている。「時のウィーク」イベントとして、昨日(6月13日)は、いろんな催しが行われていた。まず、明石駅構内で、音楽イベントがあった。いろんな演奏や歌で、いつもは静かな構内が、賑やかだった。流風も、懐かしい音楽が流れており、よかったと思う。

駅の南側でも、いろんな催しがされていた。商工会議所で落語が演じられていたようだが、それは知らなかったため、観ることができなかったのは、少し残念。そういうと、駅に、のぼりを持った会議所の人が立っていたので、その時に気付くべきであったが、後の祭り。まあ、それでも、祭りのようで、祭り好きの流風としては、全体的に行ってよかったと思う。

これから夏の盛りから秋にかけて、あちらこちらで、このような祭りが催されることであろう。祭り好きな流風は、あちこちに行って、楽しむ。そこでは、どこでも屋台とかが見られることも多い。しかし、どこも変わり映えのしないことも多い。屋台で扱う物は、ほとんど変わらず、特色が見出せない。

その点、市民祭りである神戸まつりでは、中央広場で、地域の物産展のようなものが催される。そこで、いろんなものを食べたり、地域のパンフレットをもらって、新しい知識を得たりする。最近は、神戸市だけの物産に限らず、いろんな地域の物産や観光の売り込みに熱心だ。

もちろん、ここで得た情報で、すぐ購買する人もあれば、情報だけ得て何もしない人もいるかもしれない。しかし、少なくとも、認知には役立っているだろう。流風なんて、いろんな試供品や試食をさせてもらえば、ついついふらふらと買ってしまうこともある(笑)。結構、安いこともあるからね(笑)。

こういうのは、テレビ等のマスコミで得た情報と意味が違う。祭りの中で、マンツーマンで得た物は、どこか違うのだ。現在のところ、まだ、そのフォローシステムが甘いようだが、いずれ、もっと有効な販促がなされるだろう(例えば、ネットとの連携とか。祭りの時に得たパンフレットに記載されている番号をネットで登録すれば、安く入手できるとか)。地域の祭りは、人々の心が開放的になっており、売り込みに有効な手段の一つだろう。

*注

一応、ここでは、神社が中心となる祭りと、市民が中心となる市民祭りを区別し、後者の市民祭りの在り方を記しているつもりだ。

*追記

神戸まつり 平成21年7月19日

明石市民祭り 平成21年8月30日

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2009年6月12日 (金)

懲りない人々

多くの人々が、金融危機は去ったと錯覚しているようだ。なぜなら、株式市場や投資信託に投資している人々が増えているという。確かに、株式市場は、銘柄によっては、売られ過ぎたものも散見される。それに投資するのならまだわかる。

しかし、いかに株価が上がっていても、全体としては、不安定な相場ということに変わりはない。輸出企業は、戦略転換の最中だし、仮に転換ができたとしても、業種によっては、以前の利益水準を確保するには、まだ相当の時間がかかるだろう。

もちろん、株式市場が上げているのは、単純に企業業績だけではないことはわかる。株式市場の事情や、世界的な金融規制が強化される流れに、資金循環が変わったとも捉えることができる。

ただ、全体的な雰囲気で、投資するのは危ないことだ。慎重な投資姿勢が望まれる。ましてや、投資信託などは、個人は投資すべきでないだろう。大体、この仕組み自体、投資家にはあまりメリットがない。それは以前にも記した。他人に投資内容を委ねることは、いい加減になりやすい。投資信託するぐらいなら、株式投資の方がまだ許せる。

それなのに、投資信託の解約より申し込みが増えているという。どうも懲りない面々が多いようである。楽をして、運用益を上げるという欲の皮が突っ張れば、その行く先はいつも同じである。第二のリーマンショックはいずれ起こるのである。慎重なお金の運用をしてもらいたいものだ。それは企業の財務担当者にも言える。

*追記

「第二のリーマンショック」が、いつおこるか、それはわからない。そんなもん、わかっていたら、流風は大金持ちになれる(笑)。ただ米国景気が良くなったと、マスコミが持ち上げ始めたら、危機は迫っているということだろう。お金持ちの方は、「財産三分法」を守った方がいいだろう。

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2009年6月 2日 (火)

高齢者はいろんな分野の案内人

高齢者の活用がよく話題になるが、今のところ十分に活用されているとは言い難い。仕事の分野での活用を期待しがちであるが、むしろ人生の先輩としての教訓を活かす方がいいかもしれない。

仕事の分野での活用は、基本的に勤めていた企業での伝承となるのに対して、人生の経験は、普遍的である。そういう意味では、“高齢者はいろんな分野で案内人”と捉えた方が、その活用は有効のように感じられる。

若い人も、高齢者に相談すれば、悩み事も解決するかもしれない。高齢者を人生の案内人として活用する仕組みが、各地域社会及びネット上で求められる。

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2009年5月26日 (火)

業績目標を出さないボンクラ企業の行方

企業の中には、業績目標を出さないで、のうのうとしている経営者がいる。それが三流企業ならともかく、一流企業がそのようにしているのには、恐れ入る。それは多分、リスクを取れない経営者が、一流企業でも跋扈し始めたということだろう。日本経済にとっては、極めて危惧すべきことだ。

凡そ、企業経営者は、企業数値目標を明確にしてこそ、経営も可能になる。それを定めなければ、企業経営は、大海を漂う漂流船と同じだ。このような経営をしておれば、いつか難破するのは明らかだ。

企業経営は、その規模を問わず、経営者は、全身全霊で、未来を読み取り、運営していくものだ。そのためには、仮想目標でも、明確に数値を設定すべきで、それをなしに経営は本来できない。

多分、これらの経営者は、利益関係者から、うまくいかなかった時の攻撃に耐えられないのだろう。本来、そのような精神性で、経営者は務まらない。はっきり言えることは、これらの企業に決して投資してはいけないということだろう。

その日暮らしの経営は、いつまでも続かないことは明らかだ。数値目標できない企業は、いかなる理由であろうと、市場から退出してもらいたい。

*参考記事

http://news.nifty.com/cs/headline/detail/gendai-02041292/1.htm

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2009年5月21日 (木)

専業主夫の増加

海外でも、専業主夫が増えているらしい。例の金融破綻によるものが大きく影響しているようだ。ただ、あちらの方は、もともと家庭内分業とか、協働が進んでいるから、仕事がなくなっても、スムーズに移行できるのだろう。

それに対して、若い人はともかく、家庭内のことに疎い日本の男は、仕事を取られると、全てを失ったと勘違いしがちだ。大体、何のために働くか、という意識が薄い。流風も、若い頃、気になる女性に、そう尋ねられて、困ったことがある。

食べるためとか、生きるため、と言えば、それもそうだろうが、それだけでない、とわかったのは、歳を重ねてからだ。日本の婚姻率の低下も、そういうことが原因かもしれない。むしろ、結婚して一家をなすという目的があれば、仕事にも違う見方ができるかもしれない。

家庭が、一つの共同体としてみれば、働けるものが働いたらいいし、家事もできるものがやればいい。そういう考え方に、日本もなっていくかもしれない。でも、これは新しい考え方ではないだろう。かつて、男が失職すれば、妻は内職で支えたし、男は、案外、家事を手伝ったものだ。もちろん、手伝わない男もたくさんいたが。

今後は、家庭を運営していく上で、男女の柔軟な考え方がもっと求められるだろう。どういう家庭を目指し、それを運営するには、どれくらいのコストがかかるのか。そうしたら、二人で゛どれくらい稼がなくてはならないのか。病気とか、出産による働き手のリスクは、どう回避するか。

そういうことが話し合われて、家庭経営がなされていくかもしれない。現在は、そういう計画がないままに、働いて所得を得て、流されるままに、皆、仕事をしているのではないだろうか。専業主夫の是非はともかく、もう一度、家庭経済について、二人で話されることが若い人に求められるだろう。

*専業主夫増加の関連ニュース

 http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/moneyzine20090519152158/1.htm

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2009年5月 4日 (月)

食品事故と告知ネット

最近は、食品事故の報道はあまりされませんが、新聞などを見ると、時々、告知の記事が載っている。毎日とは言わないが、食品事故は起こっているようだ。しかしながら、事故米のような大きな事件性を帯びたもの以外は、あまり大きく報道されないので、消費者は、見過ごすことが多いようだ。

しかしながら、事業者を監視するのは、何も行政だけではないだろう。消費者も、日頃から、強く関心を持つ必要がある。実際、事故告知ネットでも、それは公開されているのだから(*注)、それを毎日チェックするだけでも、事業者の監視になるはずだ。

すなわち、消費者にとって、事故を起こした企業名はインプットされるから、仮に一つの製品でも事故を起こせば、イメージダウンだ。企業としても、自制が働く。もちろん、明らかになっていない事故品も多いだろう。内々で処理されているものもあるかもしれない。

そう考えれば、事故品を出したからと言って、単純に、その企業だけを非難することはできないと考えるようになるかもしれない。もちろん、事故品は出さないのがベストだが、そのためには管理コストを負担しなければならない。

情報をオープンにしているところは、次善的に評価できる。闇で処理している企業こそ非難されるべきなのだ。だから、食品事故は、もっとオープンにされるべきであろう。むしろ、その事後処理が、企業に問われる課題であろう。同じ事故を再度起こせば、その企業の品質管理能力が問われることになる。そして、信頼を失うことになる。

いずれにせよ、企業は、この告知ネットをもっと利用すべきだろうし、消費者も強く関心を持ち続けることが、よりよい製品を生み出すと思う。

*注  ネットで下記のように公開されている。   

     『食品事故情報告知ネット』  http://www.shokusan-kokuchi.jp/

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2009年5月 2日 (土)

値下げ、値下げと言うけれど

不況で物が売れないせいか、流通業などは、値下げ、値下げと繰り返している。でも、昨年は、原油高騰の煽りを受けて、物価は高騰したから、値下げと言われても、そんなに下がっているとも思えない。確かに、部分的には、元に戻っているものもあるが、多くは、実質、そんなに下がっていない。

もちろん、いろんな状況がある。外食産業は、国産の材料を使うことを求められているから、下げることはなかなか難しいかもしれない。コストダウンできるのは、大量に食材を扱うファストフードとか、コンビニぐらいのものだろう。他の食産業は、高止まりにならざるをえない。

ところがコーヒーチェーン店の提供価格は、これだけ円高になっているのに、価格は値上げして、据え置きのままである。もともと輸入品なのにだ。だから、流風は、かつて週三回ぐらい利用していたのが、今は一回ぐらいだ。父が喫茶店でお茶を飲むのは贅沢だと言っていたのを噛みしめている。もちろん、下げるには、タイムラグあるのかもしれないが、今後期待したい。

さて、流風の一番の関心事である食材の価格は、概ね安定していると思う。ただ、スーパーによってはアイテム数を減らしているところもある。そして、価格は安いが、商品の質を明記しないところもある。手に取れば、明らかにワケあり商品なのに、それを表示していないのだ。見ればわかるでしょと言うことかもしれないが、少し誠意が足りない。

もちろん、農産物が、かつての流通の事情から生じた食材のワケあり商品が安く提供されることは大歓迎だ。調理すれば、後は、全くわからないからだ。多くの農家で無駄になっていたワケあり農産物が有効消費されることは国としても望ましい。

このように、誰にもメリットのある低価格の商品はいいのだが、商品の組み換え操作したり、中身が劣化している場合もあると聞く。下請けに無理な価格を押しつける流通業者もいるようだ。

例えば、PB商品と言われるものでは、現在、その値下げ競争をしている。これは全く馬鹿げていることは、以前にも指摘した。流通業者は、三方よしを考えなくてはならない。消費者だけが得をするような、あるいは流通業者だけが得をするようなビジネスは長続きしない。

いかに利益関係者とコミュニケーションしながら、その落とし所を考え調整するのが流通の役割ではないか。消費者に単に安売りで、おもねても、いずれ、その正体はばれる。それで、結局、損をするのは消費者である。そうであるなら、無理な商売は考えぬことだ。

そして、消費者は、商品の選択眼をしっかり持つべきだろう。値下げ、値下げで、質の悪いものを買っていないか。いい物を、その価値より割安で買えるのなら、ともかく、そうでないケースが多いのではなかろうか。

安物買いの銭失いとは、昔から言われてきたことだ。それは何も消費者に限ったことではない。流通業者にとっても同じことが言える。消費者は、流通業者の値下げの根拠がどこにあるのか、見定める必要がある。それを見極めてから購入しても遅くないと思う。今こそ、どこから購入するかが問われている。

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2009年4月22日 (水)

記憶に頼る過ち~メモの効用

会社員時代、ある新任の上司の指示をメモしなかったことで、厳しく叱られた。指示を記憶にとどめるというのは、傲慢なことだと。凡そ、人間の記憶など、そんなに当てになるものではなく、次の情報インプットがあれば、前の情報は忘れてしまいがちである。そのことを上司は指摘したのだ。

いつも、すぐにメモせずに、席に戻ってから、確認していたので、その上司の叱責には腹が立ったが、後で考えると、その上司の言われたことは正しいと気づいた。それ以後、それまでのやり方を改め、何でも得た情報はメモするようにした。

現在でも、ブログネタを思いついた時は、すぐメモするし、必要な買い物と思った時はメモしている。ラジオやテレビで流される情報も、感性に引っかかれば、メモしている。読書でも、メモ式読書だ。ブログでも、読んで参考になりそうなことがあればメモする。

人と会って、参考にできることがあれば、メモするし、あるいは会談後、即座にメモする(*注)。人間の記憶は、瞬間的な物なので、接する情報は刹那的である。それをメモしておけば、後で思い出すこともできる。記憶力の衰えた現在は、流風にとって、当然だが、若い人も、今のうちから、習慣づけた方がいいかもしれない。

*注

外部の人間と会話中に、メモすると、それを嫌がる人もいる。メモしていいですか、と確認を取るのがマナーである。

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2009年4月20日 (月)

指示の仕方

会社員時代の若い頃、上司から明確な指示がなくて、右往左往した記憶がある。その後、上司により、その指示の仕方が異なり、それぞれに対応していくことを覚えた。だが、曖昧な指示には、随分と困ったものである。それで確認すると、それがまた曖昧な上司もいた。

基本的には、指示の仕方としては、まず目的を明確にする必要がある。だから、目的のない指示はない。何らかの目的があるから、部下に指示するのは当然だ。ここでの問題は、期限だ。その目的を達成させるために、いつまでやり終えないといけないのか。部下だって、他に仕事を抱えている。仕事の優先順序をどうするか調整しなければならない。

ところが、期限を切って指示されるとは限らない。大体、急ぐ場合が多いが、どれくらい急ぐかは、確認する必要がある。確認すると、「すぐだ」という上司もいる。それで、すぐにやって報告すると、ずっと、その書類は机の上で、それから何週間たってから、報告について、問い合わせがあったりする。だから上司は、指示を的確にしないと、部下から疎んじられる結果になりかねない。それゆえ期限を切らない指示は、重要事項に関してだと、指示者も認識しておく必要がある。

次に期間を指定して、その範囲内で目的を達成せよという場合は、部下の状況により、無理な場合もある。結局、できる範囲内でやれという意味も含んでいるだろう。もちろん、完璧にできれば問題はないが、ポイントを押さえておけば、やっつけ仕事でもいいというニュアンスがある。

上司と部下も、付き合いが長いと、阿吽の呼吸で、指示を処理できるが、新i任の上司や部下であれば、指示通り、目的が達成されないこともあろう。目的と期間について、考え方を詰めておくことが、ビジネスをスムースに進行させる。

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2009年4月14日 (火)

ある眼鏡店へのクレーム

長年使っていた眼鏡が、レンズは傷だらけ、フレームはボロボロのため、ついに買い換えることにした。誤魔化し、誤魔化し、使っていたが、さすがに限界。そういうことを考えながら、街を歩いていると、ある有名な眼鏡店が目についた。

いつもは、スーパーにテナントで出店している店で、作ることが多いのだが、以前作った時、接客が少し引っかかっていた。そういうこともあって、その有名な眼鏡店が目に入ったのであろう。ただし、この店はファッショナブルだが、高い店として有名だ。懐と相談すると、多分、厳しいだろう。

そうすると、店員がするすると寄ってきて、見事な接客術で接してきた。フレームの紹介や検眼(*注)などを通じて、その時、買うつもりはなかったのだが、ついつい買わされてしまった。予算ははるかにオーバーだ。その他の出費を抑えるしかない(苦笑)。

確かにフレームは、以前使っていたものより、ファッション性はあるし、いい感じ。だが、家に帰ってみると、その眼鏡には違和感があった。どうも文字も読みにくいし、遠くもなんとなく見にくい。これはおかしいと思って、店にもう一度訪問し、苦情を言うと、再度検眼してくれたが、「間違っていません。お客様がお馴れになっていないからだと思います」と、困惑顔で言うので、仕方なく帰った。

ところがである。一週間しても、その眼鏡は見にくく、使用に耐えないから、以前の眼鏡を使う羽目に陥った。そこで、再々度、店を訪問すると、担当の店員は不在で、違う店員が見てくれたが、「やはり間違いはありません」と不機嫌そうに、返してきた。

担当の店員にも連絡してくれと言ったが、なしのつぶてだ。一体、これが一流の眼鏡店なのか。お金をどぶに捨てたようなものだ。まさに詐欺師の手法に乗せられた。ここの社長は、マスコミなどで、顧客対応は一番ですなどと言うが、もう一度、全社を点検した方がいいだろう。もう二度と、この店では買わない。

*注

眼科での検眼通り作って、眼鏡が必ずしも合うとは限らないことを、たくさん経験しているので、最近は眼科での視力検査はやったことがない。

*追記

結局、別の眼鏡店で作りなおしたが、品質も価格も妥当で、全く問題がなく、現在は、それを使っている。上記の高級店との違いとして、一つ言えるのは、作りなおした店では、実に検眼が丁寧で、時間がたっぷりかけられていた。近視、乱視、老眼が混じっていると、そういう丁寧な検眼が必要なのだろう。

また現在は、安売りの眼鏡店がはやっているが、そういうところでは確かに検眼はいい加減だ。価格的には、安いから、そんなに不満は言えないかもしれない。だが上記に示した高級店で、いい加減な検眼をしているようだったら、この店はいずれ左前になるだろう。

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2009年4月 9日 (木)

えっ、エゴカー・エゴ家電?

自動車業界や家電業界が、政府にねじこんで、消費を活性化させる目的として、税金を投入し、エコポイントを付加させるようにしたようだ。確かに業界は苦しいのかもしれないが、わざわざ税金を使って、消費を増やさせようとするのは、あまりいただけない。これは、「エコカー・エコ家電」と言うより、「エゴカー・エゴ家電」と言うべきものであろう。

民間の企業が、国に大体、助成の圧力をかけること自体、おかしい。彼らは産業人の使命を忘れているのではないか。急激な環境変化であろうと、それに対応していくのが企業経営者の役割だ。次世代の技術的な開発のための支援を求めるのなら、まだ理解できるが、販売は、各企業の努力によつて、なされるものだ。

今、彼らは大きな勘違いをしていると言えるだろう。国に販売支援を求めるなど、企業経営力が劣化していると言わざるを得ない。各企業は、それぞれの努力をして売り上げを増やす努力をしてもらいたいものだ。

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2009年4月 8日 (水)

店舗の小型化

昔は、八百屋、魚屋、金物屋などが、別に商店街のようなものではなく、家の近くに、別々に存在していた。御用聞きが、それぞれにやってきたり、その他には、豆腐屋や野菜の行商等が、家の近くまで販売に来ていた。だから、小さな子供を抱えていたり、高齢者でも、買い物に困るようなことはなかった。

ところが、最近は、小売店も大型化し、家から遠い所にあったりして、車でないといけない場所にあったりする。確かに品揃えは豊富だし、物の入手に困ることはない。だが、ちょっと必要な物を買いたい時や緊急な時には、間に合わない。だから、大型店舗は便利なようで便利でない時もある。それに遊びに行くつもりならいいが、店舗が大き過ぎると、物を探すのに歩き疲れてしまうこともある。

最近は、コンビニがあるので、ちょっと買いの場合には、便利であるが、そうかと言って、すべて揃っているわけでもない。基本的には食品の購買がほとんどだろう。そういうこともあって、スーパーの中には、コンビニ型スーパーを展開するところも現れてきた。

こういうものが現れると確かに便利かもしれない。なんだか、昔返りしているような気もする。変わったのは、資本系列のあるチェーン店になっただけのような。であれば、もっとこういう業態を開発してもらいたいものだ。

例えば、コンビニ型ホームセンターが欲しい。特に園芸用材料などの入手には便利だと思う。わざわざ遠くまで、買いに行くのもうっとうしいものだ。その他に、昔、金物屋が扱っていた物を置けば、それなりに需要があるだろう。

店舗の小型化で、近所で、“ちょっと買い”できるような店が増えることを望みたいものだ。

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2009年3月31日 (火)

米自動車産業へ破産法適用か

オバマ大統領が、自動車産業へ破産法適用もありうると話したらしい。そのため、米国資本市場は荒れているようだ。しかしながら、もし、それが事実で、それが執行されるのなら、望ましいことだろう。

大体、米国の自動車産業は、実質破綻しており、現状のままでは、再生の見込みはない。それに国が大量の資金を投じたところで、どうなるものでもない。それなら、破産させて、それから再生させる方が、スピード再建される。

確かに、破産すれば、一時的に、関連会社への波及、大量の失業者の発生など、経済的に混乱させる可能性もあるが、それを乗り越えれば、新しい展開も期待される。現状は、あまりにも課題が大きすぎる。米国の自動車産業は、次の問題があるとされる。

 ①他国の自動車産業より、賃金が高い。それは強すぎる労働組合という問題がある。

 ②経営陣が、報酬を不当に高く得ている。

 ③新規の技術開発投資をしておらず、その技術は遅れたままである。

 ④一部の企業は、製造業なのに、金融関係に進出し、本業の経営に資源を集中していない。

このように見てくると、米国自動車産業の再生は、なかなか難しいことが分かる。結局、米国としては、自動車産業は、リストラして、売れる資源は外国企業に切り売りするしかないだろう。そこまで放置した経営者の罪は大きい。大きければ、国が救済されると思ったのだろうか。

この議論は、かつて日本でもされた。それは銀行をバブル崩壊後、大銀行は、潰したくても大きすぎて潰せないという議論があった。しかし、銀行と一般産業では、その重要性は異なる。金融機関は、資本主義の骨格だが、一般産業は、整理するしかない。

米国指導者も、やっと、そのことに気づいたようだ。それは日本の失敗をよく踏まえてのことであり、破産法が適用されるのなら、案外、米国の産業再生は、予想されたより、早くなるかもしれない。ただし、問題の金融再生は不可能に近いが。

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2009年3月30日 (月)

虚業と実業~福沢桃介の『互戒十則』から考える

経営者は、自ら社是や経営理念により、企業の目的を明示して、その方向性を明確にして、組織活動が円滑にいくようにする。そして、次に、その行動原理を明確にして、その運営がうまく運ぶように配慮する。

戦前の経営者、福沢桃介も、電燈会社の経営に関わった時、『互戒十則』を定めている。それは次のようなものだ。一応、現代的な解釈も付記しておく。

 ①吾々の享くる幸福は、十万需要家の賜物なり。

顧客の満足を得て、モノやサービスの提供者は役割を果たしたことになり、初めて供給者としての満足感を得られる。

 ②吾々は寸時も、需要家の恩恵を忘却すべからず。

顧客の存在なくして、モノやサービスの提供者の存在はあり得ない。常に感謝の気持ちが大切だ。

 ③需要家の主張は常に正当なり。懇ろに応接すべし。

顧客の要望に応えることは大切だ。彼らの希望を無視して、長期的なビジネスはあり得ない。期待に沿えるように努力すべきだ。

 ④故障を絶対に予防し、需要家に満足を与うべし。

品質・性能を確実なものにして、顧客に提供することが大切だ。また仮に、事故になっても、機敏に対応できるサービスシステムと品質保証が求められる。そして、それが、次のモノやサービスの開発に十分配慮されたものでなくてはならない。

 ⑤時間と労力は貴重なり。最も有効に使用すべし。

ムダ・ムリ・ムラのないように、各人が努力しなければならない。そのためには、組織システムが効率性と効果性に十分配慮されたものでなくてはならない。

 ⑥其日になすべき仕事は、明日に延ばすべからず。

今日の時間は今日しかない。今日できるものを明日に延ばせば、明日に負荷が大きくなって、結局、積み残すことになる。それは成果を上げるのに非効率だ。

 ⑦細事もおろそかにするなかれ。一物も損なうなかれ。

小さい穴も、時間をかければ大きくなる。これくらいはいいだろうという判断が、将来に禍根を残す。それは単にビジネスに対してだけではない。人に対しても、そういう配慮が大切だ。

 ⑧議論と形式は末なり。実益を挙ぐるを目的とせよ。

決められたルール通りに、いつも事を進めていては、企業環境が変われば、非効率になる。時が変わればやり方を変えて、実績が上がるように努力すべきだ。常に実績を上げるための組織運営でなければならない。

 ⑨不平と怠慢は健康を害す。職務を愉快に勉めよ。

組織にいれば、完全な人事はあり得ない。自分に合わない仕事と思っても、真正面から真剣に取り組めば、それなりに面白さが出てくる。自分目線で、新たに仕事を作るつもりで臨めば、すべてが自分ペースになる。これほど楽しいことはない。

 ⑩会社の盛衰は吾々の双肩にあり。協力奮闘せよ。

全社員が、全力で仕事をすれば、企業の業績は必ず良くなる。皆が力を発揮できるような環境を作って、全力で仕事をしよう。

福沢桃介は、本来、虚業の人だが、実業の世界に飛び込んで、その大変さを理解したのだろう。彼と同様に、虚業(金融関係、士業、コンサルタントなど)が、実業の世界に飛び込んで成功した例は少ない。

実業は、地道な努力を積み重ねて、利益を出すように努力するが、虚業は、他人の利益の上前をはねる仕事だからだ。実業で利益を出す苦しみを味わっていないので、利益を出すことを安易に考えがちなのだ。

だから、彼が、実業で成功したか疑問だが、上記の訓戒は、それなりの意味があるものだろう。彼も実業の世界で、その大変さを味わったに違いないと思われる。虚業の人々が幅を利かす時代をなくしたいものだ(*追記)。

*追記

最近、米国クリントン元大統領も、今回の金融恐慌に際して、そのような発言をしているようだ。彼も金融という虚業中心の時代が終わったと感じているのだろう。

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2009年3月26日 (木)

初任給とその使い道

4月になり、新入社員も、大体、月末には初任給を得ることだろう。昔を思い出せば、流風の初任給はあまりにも手取りの少なさにびっくりしたが、今は、皆さん、割ともらっているようだ。多く感じるか少なく感じるかは個人差があるだろうけれど。

それでも、初任給は、嬉しいものである。新入社員の方々はどのように使うのだろうか。何かを買ったり、遊びに行くのもいいが、親に感謝の念を示したいものだ。流風も、わずかばかりのお礼の品を渡したが、その時の親の喜びようはなかった。こんなに喜ぶものなのか、と少し驚いた記憶がある。

当時の人事部長のアドバイスに従ったものだが、アドバイスどおりにしてよかったとつくづく思ったものだ。今年の新入社員の皆さんも是非、何かを親に贈ってもらいたいものだ。大体、プレゼントされて喜ばない人は少ない。親にプレゼントするのが何もなければ、「何か買って」と現金を渡してもいいと思う。

自分があるのは、親や周囲のお陰と思えば、それは当然であろう。社会人になれば、周囲の多くの人に助けられる。そういうことを常に意識していれば、間違いも少ない。感謝の気持ちを持ち続けて欲しいものだ。

そして、わずかな給料であっても、少しずつ貯金を心がけることも大切だ。ただ安田善次郎も、次のように言っていいる。「貯金の出発はなるべく小額にとどめて、一年くらいそれをきちんと守って、だんだん増額する方法をとらなくては成功しない」。無理な貯蓄は戒めている。

さあ、新入社員諸君、自分のお金の管理も仕事の一つだと思って頑張ってもらいたいものだ。

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2009年3月25日 (水)

新入社員に贈る言葉

今年も、新入社員が企業に入社してくる頃になった。彼らは不安な時代を元気よく過ごしてもらいたいものだ。最近、たまたま入社2~3年くらいの若い社会人と接する機会が多いが、やはり若いっていいな、と思うことがたびたびだ。

大体、流風が接する若い人は、男女を問わず、あっけらかんとしたタイプが割りと多くて、明るくしてくれる(笑)。それに皆さん、元気があって宜しい。今年の新入社員はどういうタイプが多いのだろうか。

そこで、彼らに一つの言葉を贈ろう。信玄の言葉で、次のようなものだ。

 「人は、ただ、我したき事をせずして、いやと思ふことを仕るならば、分々躰々身をもつべし」

解釈としては、「自分がしたいことをせず、いやと思うことを積極的にやり遂げれば、それぞれの立場で、身を処することができる」、というような意味であろうか。

あらゆる組織において、やりたくない仕事はある。それを後回しにしたところで、いつかは誰かがやらなければならなくなる。それなら、最初から、そういう仕事に取り組んで、処理していけば、全体の仕事はスムーズに運ぶことになる。

新入社員も、最初は居場所がないが、少し経てば、仕事が少しわかってくる。その中で、できる範囲で、先輩のアドバイスを得ながらも、嫌がられている仕事をやることは大切だ。例えば、雑用というのは、皆が嫌がるが、案外、組織の問題点がたくさん隠されている。

それを処理しながら、企業の課題を探していく意識も大切だ。どっぷりと組織に安住していると見えないものが、案外、新入社員からは見えるものである。新入社員のあらゆる発見は価値がある。管理者も、そういう視点を引き出し、大事にしてもらいたいものだ。

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2009年3月 7日 (土)

玉石混淆の解釈と組織運営の考え方

玉石混淆という言葉は、よく使われる。その意味は、良いものと悪いものが混じっていると理解してきた。広辞苑にも、「よいものとつまらないものとが入りまじること」とある。出典は、以前にも取り上げた『抱朴子』だ。

ところが、本文をよく読んでみる(と言っても、翻訳だが)と、抱朴子すなわち葛洪の伝えたいことは、どうも意味が違うようだ。彼のいいたいことは、よい書物とされる経書(五経)も、そうでない諸子百家の書も、人々を教化するという目的には、違いない。それを経書のみが全てというのは誤りである、と言いたいようなのだ(『抱朴子』尚博)。

もちろん、経書などを読むのは別に悪いことではないが、諸子百家の書を見下すのはおかしいと言っているのだ。経書を読んでいると言うと、それは外見はよさそうに見えるが、案外、諸子百家の書の方が実があったりする。できれば、両方に目を通した方がいいのだろう。

これは企業で言えば、ちょっと違う喩えになるが、商品の企画担当者が、「営業」が聞いてきたことを馬鹿にしたりするのと似ている。企画というのは、市場を調べ、マーケティング調査に基づき、あるべき製品像を明確にして、商品開発するのが常識と考えている。「企画」というのは、営業より上流の仕事と思っている企画担当者も多い。

しかしながら、「企画」というと上質の仕事のように見えるが、実際は、「営業」のどろどろした物事を知らないと成功しない。ところが、「営業」を見下げる感じが抜けない。そういうこともあって、「営業」は、企画担当者が現場を知らないと馬鹿にし、企画担当者の作った製品は、売れないとクレームをつけ、製販の反目が生じる。

こういうことは、企業ではよくあることだ。葛洪の指摘するように、それぞれの捉われの心が、企業目的を曇らせ、本来の活動を阻害し、組織効率を低下させる。そういうことのないように、経営者は配慮したいものだ。経営者にとっては、玉も石も大切だし、彼らを相互理解させる努力を惜しんではならない。

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2009年2月28日 (土)

輸出企業は経営者を変えろ

関西の某家電大手の2009年度のスローガンは、「打って出る!」だそうだ。しかし、あまりにもタイミングよく、リストラ15000人とは、恐れ入った。中国でも、リストラで問題になっているようだ。もう、どの会社か、お分かりですね(笑)。

この会社の創業者は、リストラしないことで有名だったが、企業規模が大きくなりすぎて、そういうことはできなくなったのだろうか。それとも、創業者の遺志は無視され、欧米風の経営になってしまった結果だろうか。この会社も、普通の会社に成り下がってしまったのか。

確かに、あのグリーンスパンが、「百年に一度の危機」とか言ったため、それが流布されているようだが、経営者が見通しを誤ったことの言い訳に使うのは、感心できない。もちろん、グリーンスパンの言い回しに、多くの人間が騙されたのは事実だろう。そう考えれば、今回の急激な環境変化は、確かに完全に無傷な企業はないかもしれない。

しかしながら、彼は、既に危険を感じて退任しており、相当前から、危機は予測されていた。それを注意深く観測しておれば、危機に対する準備はできていたはずだ。だが、経営者は、初めて聞くが如くに、驚愕し、対応に追われている。

かの創業者は、「人を残す経営」をやっていたが、今の経営者は、目先の利益に捉われて、真の利益の出し方がわかっていないのだろう。数字を機械的に追いかけるから、中身のない経営になる。非正規労働者を過剰に使い、人を育成せず、モノ扱いするから、「人」というものが見えなくなっている。

ある経営者も言っていたが、非正規労働者の活用により、社員のモノづくりに対する改善運動が停滞しているという。モノをただ機械的に作って、不良品はなぜ出たかも追求せず、捨て置かれるという。コストだけ見て、非効率は御座なりにされる。

そういうと、車のリコールの多さも気になる。日本のモノ作りが揺れている証拠だ。以前、別の大手の家電メーカーの洗濯機を買ったが、明らかに製造ミスだった。すぐに交換すると言うことだったが、交換すれば、それでいいというものではないだろう。そして、その型式はいつの間にか、売り場から消えている。

日本の製造業は、その原点に戻り、人材を育成し、その成長以上の、企業の成長を求めないことだ。そんなことをすれば、国際競争に打ち勝てないというかもしれないが、日本の製品は、それはきっちりした日本文化が織り込まれてこそ、その価値が認められる。

何も発展途上国と価格で競争することだけが生きる道ではなかろう。国内では、付加価値の高い商品作りを目指し、海外では、その国の発展段階に合致した低価格の商品作りをその国で生産することが大切だ。

もちろん、多くの輸出企業は、そういう態勢が出来ているにもかかわらず、円高で大騒ぎし、国に景気対策を強く要望するのは明らかにおかしい。企業の国際戦略をはやく整備して、人を中心とする経営に力を入れるのが当然の姿ではなかろうか。

米国の新自由主義に乗っかって、過大に輸出した結果が、現在の大企業の実態だろう。そのための雇用調整で、多くの労働者が被害を被っている。もっと地道な経営姿勢に戻り、日本企業として、あるべき姿を、投資家をはじめ、多くの利害関係者に示すべきだろう。

大企業経営者には、今、大きな意識転換が求められている。そのためには、経営者を総入れ替えすることが大切だろう。過去の成功体験が、自己改革を阻害していることを、新自由主義経営をしてきた人々は悟り、身を引くべきだろう。

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2009年2月26日 (木)

新自営業の時代

今の日本は、大半がサラリーマンだ。だからサラリーマン社会と言えよう。しかしながら、そのサラリーマン社会にバブル崩壊後、歪が出て、十年以上になる。派遣や請負の問題が大きくなるのは、その比率が大きくなったことだろう。

だが、いかに、これから政策変更したところで、全てが解決するわけでもない。派遣や請負の人が全て正社員になれるわけでもないし、正社員も、これからはいつまでも正社員でおれるわけでもない。経営者が欧米式の経営に拘る限り、これはなかなか難しい問題だ(これらの経営者は、大きく方針変換しないと、未来の日本が危いことは明らかだが)。

だから、当面、非正規雇用の方々は、新しい挑戦が求められるだろう。もちろん、指示待ちに慣れた製造系の人々は、考え方の転換が求められる。そして、もっと自分が主体となって、顧客に近い仕事を作り出すことを検討すれば、案外未来は開けてくるかもしれない。

今までの所得の方がいいから、踏み切れないとか考えずに、一からやり直して、ビジネスを作るつもりで臨んで欲しいものだ。指示されるより、指示する方にまわれば、それは案外楽しいものである。それは所得の問題ではない。

もちろん、国が期待するようなベンチャービジネスの可能性は薄いだろうが、顧客に近い所でやるサービス系の仕事は、発想次第で、いくらでもある。そのためには、消費者の望んでいることを人と接しながら、把握することが重要だ。

決して机上の論理でかなえられるものではないだろう。顧客に聞けば、いろんなアイデアが出てくる。顧客のちょっとした困っていることに、ちょっとスパイスを利かせれば、それなりのビジネスになる。

最初は、そんなに大きいビジネスを目指す必要はない。可能性が出てくれば、少しずつ拡げればいいのだ。最近話題になっている農業や、林業とか、地方の福祉・医療周辺ビジネス、衰退した商店街など、新たな切り口(*追記)で、いろんなマイクロビジネスとしての新自営業が可能だろう。

必要なものは、主体性を持った、ちょっとした、やる気だ。後は、人とのつながりを大切にすれば、未来は開ける。

*追記

例えば、生産業と思われている農業でも、単に作るだけでなく、いかに消費者の立場に立って、考えるかが大切だ。つまり、そこに求められるのは、マーケティング戦略の確立、顧客満足志向、顧客の立場に立った流通再構築ということになる。

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2009年2月18日 (水)

日本企業の経営転機

今、円高になった結果、今まで円安過ぎたのだが、輸出企業は、欧米市場の破綻と共に、大慌てのようである。ついに大手の電機メーカーも正社員のリストラに踏み込んだ。確かに市場の急激な変化により、需要が急減し、パニックになっていると理解できる。

しかしながら、そういうことを予測できなかったとしたら、彼らの経営能力を疑いたい。まるで素人経営ではないか。五感の衰えた経営者がトップに居座っていたと考えられる。老舗ということで、伝統に胡坐をかいていたのではないか。

確かに急激な環境変化には、誰でもたじろぐことはあるだろう。だが、大企業の経営者にしては肝が据わっていない。バダバタするのはみっともない。まず今後の状況を見通し、打開策を考えることが大事だ。慌てて、緊急手術をしても、体力が落ちるだけだ。

もちろん、一時的な、ある程度の縮小均衡は必要なのかもしれない。それなら、まず社員を説得し、賃金カットで雇用を守ったり、株主を説得し、減配・無配をお願いして、利益の流出とコストカットを徹底することだ。

本来、利益が適正に社内留保されておれば、急激なリストラ策は避けられたはずである。社内留保があるのに、急激なリストラをするのは、経営に心がないからだろう。あまりに余裕のない対応にはあきれるしかない。

彼らの経営姿勢は、米国式経営の導入により、日本的経営を捨てたようだが、今後も日本で経営活動するのならば、日本的経営を見据えて経営をする必要がある。かつてのように人材を社内できちんと育成していく経営にする必要がある。

人材の成長を無視した過度な企業成長は期待するのは、本末転倒である。企業の成長は、人材の成長以上に成長させると、必ず歪が生じる。(輸出)企業の経営姿勢は改める必要がある。

そして、米国市場が壊れ、消失した現在、今後十年は、円高に、上下しながらも、円高に振れて行くだろう。新自由主義に基づく経営は、終わった。それに乗っかった経営は、止めにしなければならない。

よって、それを踏まえて、新目標を定め、戦略を立てて、日本的経営に戻って、じっくり新しい時代に対応できる人材育成をしていくべきだろう。そして、それは中小企業にも同様のことが言える。

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2009年2月12日 (木)

消費のケチ道?と企業

国内は、皆さん、倹約に走っているようだが、流風は実は、不景気の時に、よく物を買う。最近買ったり、買い替えたものは、ガスストーブ、電気釜、テーブル、ワゴン、FAX台、時計などだ。全て国産のものだ。今後買い物リストとしては、電動自転車、デジタルテレビ、古いパソコンの買い替え、古い箪笥などの買い替えなどを、考えている。

逆に景気の良い時は、ほとんど物を買わない。なぜ、そのようにするかは、多分、貧乏根性が染み込んでいるのだろう(苦笑)。でも、そういう買い方をして、あまり損をしたように思わない。

景気の良い時は、いろいろ新しい機能を多く持った製品が出されるが、新製品ゆえ、機能も多機能で不安定だ。価格も高い。故障する可能性も高い。複合機能を持つ故に、壊れやすい。また壊れたものは、修理費も高くつき、買い替えた方が安くつく。それは結構、ロスが多い。

日本の製造業も、かつてのような頑強な製品を長く売るのではなくて、次々新製品が出る関西風の壊れやすい商品が主流だ。今後は、環境問題で、そのような企業姿勢は、改めることが求められるだろうが、しばらく、そういうことがまだ続くだろう。

ということで、景気の良い時には、物を買わず、現在のように不景気になった時に、物を買っている。理由としては、まず、不景気になると、企業は経営を縮小均衡させるため、在庫処分をする。そこでは、製品としてはいいものでも、結構安い出物がある。それを買うのだ。

不景気の次の段階では、企業は、当然のことながら、市場に受け入れられるような製品開発をする行動をする。しかし、コストダウンさせるためには、技術力によるものもあるが、それだけでは限界があり、結局、機能の単純化をやらざるを得なくなる。あまり使わない不要な機能を落として、本当に必要な機能に絞る。そうすれば、価格も抑えられる。

そういった商品は、機能が単一であるので、故障もしにくく強い。結局、長持ちするので、買い物としては、トータルで割安になる。だが、流風は、すぐには飛びつかない(笑)。もちろん、市場の評価を見極めて買うことになる。だから、流風のような消費者が動き出すのは、少し先のことになる。だから、しばらく、企業は不況感を味わうことになるだろう。

だが、マスコミ等は、大袈裟に報道しているようだ。不況とは言うが、物を買うお金がないというのは嘘だろう。収入は確かに減るだろうが、必要なものは買う。問題は、買う内容と買い方が変わるということを、企業が理解していないと、その不況から脱することはますます難しくなる。考え方の転換を早くしたところが生き残るのだろう。

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2009年2月10日 (火)

現代の金融問題とノンリコースローンの時代

バブル崩壊時、銀行から融資を剥がされて、倒産した中小企業は多かった。銀行から融資していたお金を急に返済せよ、と言ってきたのだ。その時、大銀行も、街金と大して変わらないなと、思ったものだ。

経営者から、今の金融の仕組みが問題なのだと、当時、よく聞かされた。銀行ほど、無責任な仕事はないとのことだった。ボヤキを割り引いても、銀行は、当時、役割を果たしていなかった。それは、今も変わっていないかもしれない。

確かに、BIS規制とか、時価会計が銀行経営を困難にし、融資を難しくしているのはわかる。そして、大銀行が合併して出来たメガバンクは、国際金融市場で活動しなければならないから、それは止むを得ないのかもしれない。

ただ、欧米の作った仕組みが必ずしもベストとは限らない。日本も、あるべきルール変更をもっと積極的に提案すべきなのだ。そうしないと、国内の資金循環は悪化するばかりである。特に、内需振興のためには、現在の国際ルールは邪魔だろう。

ところが、ルールを急激に変えることは、国際的に相当強い政治力が必要となり、現在の日本の政治家には、あまり期待できないかもしれない。だが国内的に見れば、この国際ルールは、あまり意味がない。

企業の活動を阻害することになっているだけだ。それに長期的視野にたった経営が出来なくなることは、雇用にも悪い影響をもたらす。結局、米国の思惑に乗せられた金融の変な仕組みが、経済に動脈硬化を起こしているのが、今の日本の現状だろう。それが最終的に、多くの破綻企業を生んでいる。

しかし、問題は、それだけではないだろう。中小企業のように間接金融に頼る所は、現在の金融の仕組みが、その経済活動を萎縮させているとも言える。その中で、特に問題なことは、担保を取っておきながら、担保価値の変動によって、融資金額が変動してくることだ(このため、金融機関は、経営者に個人保証を融資時に求め、多くの経営者が、経営破綻時、悲惨な目にあっている)。すなわちリコースローンと言われるものだ。

例えば、貸した時より担保価値が上がれば、もっと借りてくれと言ってくるし、貸した時より担保価値が下がれば、追加担保を言ってくる。すなわち、市場の変化に対して、銀行はリスクを全く取っていないという事だ。こんな気楽な商売はない。

それでも、戦後復興時代は、高度成長によって、インフレ状態の時は、この融資の仕組みは有効だった。インフレが続いている限りは、貸す方も借りる方も、お互いがメリットがあった。

しかしながら、国家の基盤が整い、現在のように成熟している日本では、今後、この融資の仕方がいいかどうか疑わしい。今後は、融資時の担保価値は、変わらないものとして、融資することが望ましい。つまりノンリコースローンだ。もちろん、銀行は市場を睨んだ担保価値変動によるリスク管理に基づく融資が、求められるようになる。

このようにすれば、経営者も個人保証を求められることもないし、仮に破綻しても、再起しやすい。経営者は次々と生まれてくるという人がいるが、それは必ずしもそうではない。リスクを取って起業する人は、現実限られる。そう考えると、事業に失敗しても、再チャレンジできる仕組みにすることが、経済活性化に役立つと考えられる。そういう意味でも、ノンリコースローンに転換することは意味がある。

現在の日本は、企業側は融資を仰ぐことに慎重になり、金融機関も融資に慎重になるという、ダブル「慎重」が、景気の足を引っ張っているとも考えられる。国の中にお金が循環させるには、政府による財政政策などの景気対策より、このような金融の仕組みを変更させる方が有効ではないか。

もちろん、銀行からは反対意見が出されるだろうが、景気が停滞すれば、金融機関も困るわけで、国が活性化されれば、金融機関にとってもチャンスがある。借りる側は、返せなくなれば、担保を放棄すれば、借金はチャラだから、経営の見切りも早くなり、国全体としてのロスも防げる。その方が資金効率が良くなるはずだ。

尤も、資産の査定は、メガバンクしか出来ないという言う意見もあるが、資産査定のある程度の人材育成をやれば、地方銀行でも、それは可能であろう。百年に一度という危機なら、金融の仕組みも、大きく変更させる機会でもあるのではないか。

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2009年2月 1日 (日)

役員報酬を考える

大半の一般サラリーマンは関係ないけれど、今回は役員報酬について考えてみよう。すなわち役員給与のことである。しかし、サラリーマンの給与とは根本的に異なる。役員は経営に関与しており、本来、人件費として処理されない。

この役員報酬を時々、上場会社やベンチャー企業の役員のものを見ると、利益を出すどころか、赤字でも、役員が役員報酬を受け取っている例が見られる。それも非常に多い額だ。どのようにして捻出したのかわからないが、当局は見逃すのだろうか。

大体、数期も利益を上げず、役員報酬を受け取っているのもおかしいが、トップとして、いつまでも留まっているのは、もっと変だ。企業は、利益を追求する集団で、経営者は、その使命を負う。結果が出なければ、無報酬が当然だし、数期も利益が出なければ、仮に創業者でも退任すべきだろう。

このような経営者が、責任も取らず、いつまでも、のさばっているとすれば、日本全体として、資本効率の悪い企業が存在していることと同じ意味だ。東証やベンチャー市場は、早期に改善命令を出すべきだろう。また、そういう仕組みにするべきだろう。

さて、上場していない中小企業も様々では、いろんな例があるが、一般に、創業期ならいざ知らず、何年も、赤字を出しておきながら、存立している企業がある。これらの企業は、利益を出しても、経費を使って、僅かな利益しか出さないようにしている。大体、高い役員給与を得ている場合が多い。

税理士も、そのように指導する人もいるから、情けない(僅かな利益を出すのは、黒字でないと融資してもらえないし、補助金ももらえないことが多いから)。しかしながら、このような企業は、最終的には、整理することになる可能性が高い。利益を出す企業体質にしない限り、生き残ることは難しい。事業を継続するなら、いつまでも個人企業の延長ではいけないだろう。

凡そ、企業を存続させようとすれば、企業体質を強化し、利益を少しでも多く出して、納税すべきなのだ。その上で、内部留保を将来の景気変動や投資に備えて、蓄積すべきなのだが、どうも経営者側は、税を納めることを悪と考えている人々がいるのには驚く。結局、意味のないことにお金を使って、企業を長い目で見れば、自ら弱体化させている。

そのことで思い出すのは、かなり前のことで恐縮だが、ある中小企業の社長の役員報酬について尋ねた所、驚くべきことに、月15万円だった。確かに、住宅は、資産としてあり、ローンも終わっているようだったし、子供も独立しているようだった。

それでも、曲がりなりにも、中小企業の社長が、月15万円の役員報酬とは。この社長が説明するには、従業員に給料を払い、利益を出すには、自分の報酬をシビアに見ないと、従業員も真剣になってくれないと言うことだった。業績は、まずまず毎年利益を出しており、配当も出して、内部留保も少しずつ、いざというときのために備えていた。

なぜ、そのようにしているのかと問うと、創業した時、かなり儲かったが、経理が出鱈目だったため、税務署から、クレームがきて、追徴され、強く指導されたそうだ。そして、企業を続けるには、企業は利益を出して、それを継続することが大切であることが初めてわかったそうだ。

彼は、税務署の指導を善意に受け止めて、社内のいろいろな無駄な仕組みを整理して、最終的には会計に人材を得て、体制を整えたということだった。つまり税金を納めることを目標にすれば、経営は締まってくるそうだ。

本来、コストを抑えて、利益を捻出することが、企業の本来の役目である。コストには、自分の役員給与も含まれる(税法的には経費として認められないが)。役員も、過剰な報酬や経費を使うことなく、安定的な利益が出る構造にすることが求められる。その社長は、結局、配当が、ボーナスのようなものだと言っていた。そういう考え方の方が健全ではないか。

大企業の経営者も、ベンチャー企業の経営者も、中小企業の経営者も、なすべきことは基本的に変わらない。まず、経営者が報酬のあり方を厳しく戒めて、その経営姿勢を改めるべきだろう。

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2009年1月 6日 (火)

デフレに向けた年末年始のバーゲン

年末年始に、不況対策として、各社在庫処分を急いでいるようだ。百貨店、家電量販店ともに、結構、いい価格で、バーゲンをしている。福袋も例年より中身がかなり充実して、相当割安だったようだ。流風も、ある食品を買ったが、割安だった。昨年、その中の一部を買ったのだが、それと比べると、価格が全く違う。明らかに在庫処分だ。

また、年末には、家電量販店が、在庫処分市をやっていたので、行ってみたが、いつもの売り出しより、かなり安くなっていた。ということで、古くなった炊飯器を買い替えた。それにしても、最近の炊飯器は高いものが並んでいた。

十万円近くもする炊飯器には、さすがに手が出なかった。比較的安い物を、相当安く提示してあったのだが、レジで更に割引には、少し驚いた。ここも、在庫処分を急いでいるのだろう。おそらく、家電メーカーが在庫処分が後押ししているのだろう。

デフレ対策としては、メーカーにしろ、流通にしろ、在庫を最小限にすることが大切だが、日本企業は、そういうことには慣れていて、在庫処分を急いでいることがわかる。いわゆる換金だ。在庫を死蔵させて、経営を悪化させる企業はかつて多かったが、最近は在庫削減は常識になっている。

消費者にとっては、確かに有り難いが、これはいつまでも続くわけでもない。問題は、企業の次の一手だが、今後はどのような販売になっていくのだろうか。ユニクロのような新しい商品で、市場に臨むのも、一つの方法だろうが、女性市場を除いては難しいだろう。

結局、いい物を安く売るか、小ロットを売り切りで限定販売するような形になるのだろうか。市場の気持ちを観察しながら、適切に対応するのがいいのだろう。

それにしても、英国の陶器会社「ウェッジウッド」が経営破綻したようだが、どこかでバーゲンしてくれないかな。ちょっとコーヒーカップセットが古くなったので、買い替えたいので(笑)。

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2009年1月 4日 (日)

日本の新聞社の行方

毎年のことだが、元旦の新聞は、ご祝儀とは言え、やたらと分厚い。ただ、くだらない記事に、広告が多いだけのことである。2日が新聞休刊日なので、2日分の記事を集めたものとも捉えられるが、そんなに内容はない。たくさんのゴミが増えて、困るだけだ。

ところで、昨年の米国の新聞紙トリビューン社の破綻は、日本の新聞社にとっても、ドキリとする報道があっただろう。トリビューン社の破綻は、ネット新聞の普及により、新聞の部数が減ったことと言われる。

日本の新聞社にも、同様に危機は迫っているかもしれない。実際、朝日新聞は赤字を出したし、毎日新聞、産経新聞も、半期営業赤字だそうである。日本の新聞社にも、危機はひたひたと押し寄せている。

日本でも、読者は減っており、ネット情報の普及により、若者が新聞を読まなくなったことが原因と言われる。各新聞社は、それへの対応が遅れているのかもしれない。現代は、情報入手が多様化しており、新聞が唯一の情報入手手段ではない。

だから、新聞社は、多様な情報提供手段を持つ必要がある。単に新聞の部数を増やすだけでは、企業としては成り立つことはありえない。つまり新聞社の危機は、その経営センスと戦略が不足しているものと推定される。そういう意味では、一言で言えば、旧態依然ということになる。

さて、流風は、ずっと前から、一般紙は継続購読していない。基本的に、ネットで情報を得て、関心ある情報があれば、それぞれの新聞を、コンビニや駅の売店で適宜購入している。比較的、良く購買するのは、神戸新聞、日本経済新聞、毎日新聞、産経新聞であろうか。朝日とか読売とかはほとんど読まない。

つまり、日本の一般紙は、皆、情報の出所が似ており、個性がないので、全紙を読む必要はない。独自情報が極めて少ない。日本経済新聞は、その情報が他社とはやや異なるが、それでも、経済面を除けば、あまり変わらないだろう。

もちろん、政治・行政の基本的情報は共通情報は必要だが、その他の情報までも、なぜ、そうなるのかは、いろいろ考えられるが、各社が横並びを好む傾向があるのだろう。また、見方によっては、記者クラブの情報に胡坐をかいているのではないか。新聞記者のレベルが落ちていることも否めないし、編集者の横並び意識も強いのかもしれない。

だが、他社紙に掲載された情報が、自社紙にないというのは恥だと思うのは、どこかおかしい。読者からすれば、各社のスクープは、それはそれでいいと思う。他紙は、別にスクープを抜かれても恥と追わないことだ。それぞれに強い分野の情報が強くて、その分野のスクープをすればいいことなのだ。

ところが、トップ層や編集者はそれを許さない雰囲気があるのだろう。そこで、同じ情報を追いがちになり、無駄な活動をしていると指摘できる。そういうことが、記者の意欲を削いでいるのかもしれない。

その結果、どこも似たような記事になってしまう。だから、読者は、一般紙をたくさん読むことはナンセンスとなる。一日の間に報道される重要なものは限られる。それなら、ネット情報だけで十分となる。それだけ新聞を読む価値が落ちているのだ。

もちろん、各社共に、報道姿勢は異なるので、報道内容は、その情報の選択・解釈において、違っているとも言えるが、その情報の出所は限られているから、結局、それに賛成か反対かという報道になりがちだ。行き過ぎれば、それは意見報道になってしまう。それは本来の報道ではないだろう。

むしろ、これからは、各社の強みを明確にして、独自の情報を獲得して、流し続けることが求められる。そうすれば、読者の信頼感も増す。限られた情報を限られた人々に、というキャッチフレーズが望ましい。これからは新聞社がそれぞれ独自性を保たないと経営は厳しくなっていくだろう。

それでは、今後どのようにすれば生き残れるのだろうか。個人的見解を少しだけ示しておこう。

まず、各社、読者のターゲットがぼやけているような気がする。それは部数を伸ばす戦略で、闇雲に記事の内容を八方美人的に拡げてしまったことが、その個性を失い、面白いものでなくしている。そのことを改める必要がある。

次に、ネット対策である。ネット情報も、基本的に新聞社等の記事や情報がある程度ベースになっている。本来、持ちつ持たれつの関係であるはずなのに、ネットにのみ有利に働き、新聞社には、あまりメリットがないというのは、シビアに考える必要がある。

ネットに情報を流すのであれば、それなりの見返りがなくてはならない。それをどうビジネス化するか。相互にビジネスメリットのある手法を業界全体で開発すべきだろう。

そして、次には、情報の多様化への対応である。今までも、新聞社は、系列の雑誌や、フォト誌、経済誌、ネット・携帯への情報提供をしているが、それは十分に活かされていない。極めてマニア的な読者しか獲得できていない。

これらは新聞社の付属という位置づけであれば、本来意味をなさない。むしろ新聞社と同列として扱い、各社は独自の展開・営業力が求められる。それらが同期・競争することによって、記事レベルが上がっていく。そうすると、読者は、それぞれに違った関心を示し、購読層に厚みを増すことになるだろう。

それと合わせて、新聞紙情報の流通の多様化も求められる。毎日、朝刊と夕刊を配達すべきなのか。それを必要としていない読者もいるはずだ。朝刊のみ、夕刊のみ、サマリーを週末に、ウィークーリーのみ、土日のみ等、いろんな配達形態と、価格体系を作り上げるべきだろう。

また関連雑誌の配達も、積極的にやればいい。雑誌等は郵送され、新聞店から配達されないのは疑問が残る。もっと言えば、他誌の配達をやってもいいのではないか。

ざっと、見ただけで、疑問はいっぱいだ。新聞各社は、各業界の批判はしても、自業界は何も見えておらず、改革もできておらず、旧態依然なのは明らかだ、早急な自己改革が望まれる。

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2008年12月19日 (金)

政策金利引き下げとこれからの企業経営

本日(平成20年12月19日)、日本銀行は、政策金利を0.2%引き下げて、0.1%にすると発表した。政府首脳は、日本のアピールのため有効と発言していたが、(CPなどの買い入れなどの、その他の政策の有効性はともかく、金利の引き下げは)円高を止めるには何の意味もないだろう。もはや金融政策で、円高を止めることはできない。

結局、当局は為替介入に食指が動くだろうが、それさえも有効な手段とは言えない。為替介入は、無駄にドルを抱え込むだけになるだろう。こういう時は、流れが行き着くところまで行かせて、様子を見ればいいのだ。

どちらにせよ、海外市場は金融、モノ共に壊れているのだから、輸出を増やすことは困難だ。当面は輸出企業も体制を建て直し、新たな戦略構築をするのに時間をかければいい。円高が、どれくらい進むかは、誰も予測できないが、1ドル=80円突破は、来年には十分ありうるだろう。

しかし、慌てず静観すればいい。じたばたするのが一番いけない。最終的には、どこかに落ち着く。底を打った段階で、改めて事前に錬った対策を講じればいいのだ。今は事態の推移を見守りつつ、耐える期間だ。経営者も従業員も辛い立場が続くが、それも永遠に続くわけでもない。ただ今回は、耐える時間が長引くということだろう。結局、企業と企業の我慢比べに勝った所が生き残るのだろう。

もちろん耐えるだけでは駄目で、新しいパラダイム(paradigm,模範)を創造したところが、今後の新しい日本経済を支えることになるだろう。それによっては産業構造が大きく転換する可能性もある。少なくとも、自動車産業が基幹産業でなくなる可能性は高い。

*追記

基本的には、円高を有効に使う国の政策や、企業の体質転換が求められる。まず、仮説設定として、1ドル=50円になったら、どういうビジネスの可能性があるか、追求すればいい。

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2008年11月26日 (水)

現代の日本国家の胸算用

今、世界は経済的には混乱している。日本は、まだ一般人には、その感じが遅れているように感じるが、いずれ、その波はやってきて、人々は実感することだろう。しかし、悲観するには及ばない。混沌の中で時代を先読みする感覚が、国家にも、個人にも求められる。すなわちそれが胸算用だ。

胸算用と言えば、西鶴の『世間胸算用』が頭に浮かぶが、現代の胸算用は、どのようなのだろうか。彼の語っていることは、現代の相場の話に通ずるものがある。商売をするのは、最終的には、金儲けのためである。もちろん、お金儲けだけが目的では、稼ぐことができないのも世間だが。

  世になきものは、銀(かね)といふは、よき所を見ぬゆゑなり。

  世にあるものは、銀なり。

つまり西鶴が、この小説を書いた頃、明暦の大火で、江戸経済は壊滅的な打撃を蒙っていた。しかし、これをきっかけに、大阪は復興物資の供給により、飛躍的に発展した。兵庫県の知事は、東京圏の震災はチャンスと言って、非難されたが、現実は、まさにそのようだ。

これを今に引き写せば、米国の災難を、日本が機会にして、さらに経済を発展させる時であると言える。だから、日本の経営者は悲観的になる必要はない。混沌は新しい芽を生む。世界をどのように、「調理」するかが問われているのだ。必要なのはセンスだ。

確かに米国市場は、当面期待できないが、米国の弱い面を徹底的に補完し、それをビジネスする可能性もある。また米国が進出して中途半端になった国家・地域に対して、日本的な進出をする可能性もある。

また21世紀はアジアの時代と言われて久しいが、まさにそのチャンスがやってきたと言うこともできる。中国、インド、西アジアと、どのように絡んで、市場を整備し、いかに参画していくか。

日本として、アジアの時代に相応しく、中国、インド、西アジアの市場を創造し、拡大していくことが中心活動になるべきだろう。そして、米国等も含めて、環太平洋市場の成長をさせることが大義というか、目標になるだろう。

だから、そのためには、米国におんぶに抱っこの外交政策では全く駄目で、日本の独自の外交が求められる。それは過去の米国の政策がいつも正しかったとは言えないことから、当然だ。米国の外交に付き合っていると、結局、遠回りしなければならないようになって、大変非効率なのだ。

中曽根政権以後、日本外交は、日米同盟を基軸に、という、頭を使わない外交になってしまったが、今こそ、主体性を取り戻し、日本独自の外交を取り戻すべきなのだ。そして、それは日本経済にも大きく影響していくし、結局、、中長期的には、米国経済の復活にもつながっていく。今こそ、国の胸算用が問われている。そして、経営者も、個人も、それに対応して、手を打っていく準備が求められる。

*追記

いつまでも、政権に捉われて、くだらない政争を続ける与野党は、はやく目を覚ますべきだろう。器の小さい政治トップは日本の不幸だ。

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2008年11月20日 (木)

円高を前提とした中小企業経営を

相変わらず、報道は、円高で大騒ぎする傾向が強い。確かに、今回の米国金融危機は、国にしても、米国債をたくさん保持しているため、円高になれば目減りする。それが大変なことはわかる。

もちろん、景気を輸出に依存してきたため、米国経済の日本に対する影響は避けられない。特に大企業は大きく影響を受けるだろう。そして中小企業経営者も大変だと大騒ぎしているようだが、自分の経営能力を棚上げして、ちょっと騒ぎすぎだと思う。本来、中小企業が持つべき経営の柔軟性を失っていると思う。

もちろん中小企業経営者にとって、大変な気持ちはわかる。だが今回の危機は、前提とした条件が変わっただけのことだ。これで大騒ぎするのは、自分は能力がありませんと言っているのに等しい。経営に主体性がなく、流れに身を任せてきたから困るのだ。これは何も大企業の経営者だけでなく、中小企業の経営者にも当てはまる。

中小企業は、世界の大勢とは関係ないと思っている人が多いが、決してそんなことはないだろう。これらのことは、一般に真面目な技術屋の経営者に多く見られる。大手企業の下請けで仕事をこなすだけが習い性になっているのかもしれないが、独自の情報感は大切と思う。

やはり世界の流れには敏感になってもらいたいものだ。それは何も難しいことではなく、新聞をじっくり読んでいればわかることだ。スポーツ新聞も話題を知る上では大切かもしれないが、一般紙や経済誌にも目を通して経営感覚を磨いてもらいたい。

さて、前振りが長くなったが、輸出企業の下請けや、あるいは直接輸出している中小企業以外でも、為替の動きには、もっと関心を持った方がいいだろう。例えば、現在ドル=95円(2008年11月20日現在)程度で推移しているが、今後、どのようになるのだろうかと、自ら予測してみることも関心を持つ方法だ。

流風が思うには、基本的には、ドル=80円までは、円高と考えないことだ。この水準が当たり前と考えればいい。そして、さらに円高が進む可能性が高いと読んだ方がいいだろう。もちろん、為替の動きは誰にも予測はできない。

しかしながら、当面は、ドル=80円突破の円高も十分ありうるとして経営することも大切なのではないか。これは輸出業者(あるいは、輸出業者と仕事をしている)にとって、先の予測をして経営することが求められる。例えば、円高に進めば、海外への投資チャンスでもあるので、そのことに対する準備も求められる。ピンチはチャンスだ。但し、借金してビジネスする時ではない。その辺の慎重さは求められる。

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2008年11月 3日 (月)

パナが三洋を吸収に期待

最近、社名を変えたパナソニック(以下、略称パナ)がついに、三洋電機(以下、略称三洋)を吸収することを決断したようだ。このことは、前々から噂に上っていたので、驚くことはなく、やっと決断したんだという感じだ。

やはりパナは商売上手だ。以前、金融機関から持ちかけられた時は、話としては聞き届けたが、受けなかった。そして、今、株価が急落し、金融機関が弱って、三洋の株を処分することを迫られたのを機会に、とうとう買収に乗り出したようだ。

パナも三洋も、もともと根っこは同じだが、長らく別居していたので、社風が違うかもしれない。しかし、両方とも関西企業だし、他社のM&Aとは違って、合併すれば、比較的早く融合するかもしれない。報道によると、三洋のブランドを残すことになりそうだが、それに拘ることもなかろう。

吸収合併のきっかけは、同族経営で危機管理の甘かった三洋の経営危機から始まったが、一つの流れとして、三洋の社員からも歓迎されるかもしれない。同族経営の閉塞感というのは、社員に意欲を減退させる。いくら家族的経営と言っても、それはこれくらいの規模になると不可能になる。

もちろん、パナには重要な思惑があるだろう。つまり、白物家電の重複といったロスを考えても、世界戦略の一環として、三洋の技術が必要なのだろう。基本的に二番手商法で事業を拡大してきた過去がある(今は、全てがそうだとは言えないが)。パイオニア精神は、三洋の方が上かもしれない。

しかしながら、パナに統合されることは、一般人としては、少し安堵の感がある。関西企業の地盤沈下の傾向に歯止めがかかるからだ。それに三洋の技術も国内に保たれる。脱石油、超省エネ時代への対応として、商売が上手なパナの三洋統合には期待がかかる。

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2008年10月29日 (水)

大手食品会社の食品事故から考える

食品会社のナショナルブランド(NB商品)を信頼していたのに、最近、大手食品会社の食品事故の報道に接して、この業界がいかに病んでいるかを再認識する。監督官庁にも問題があるのだろうが、業界がまず姿勢を正さないと、大手食品会社であっても、消費者から見放されて、業界から消えていくかもしれない。

どうも基本的な品質管理が十分でないようだ。社内情報管理もまだ未成熟のようだ。企業規模は大きくても、社会的使命を忘れているのかもしれない。利益優先の経営になっているのだろう。創業者は地下で泣いているかもしれない。

実際の経験では、ある大手パンメーカーの食パンを食べると必ず、体調が悪くなるし、ある大手調味料メーカーが出している加工品で調理すると、体調が悪くなる。それは時間をずらして何回試しても症状も同じだ(*注)。

最初は、流風の体質と合わないのかと思ったが、最近の事故を考えると、必ずしもそうでないのかもしれない。消費者の周りは危険な食品がいっぱいなのかもしれない。

更に、スーパーなどが出すプライベートブランド(PB商品)では、製造会社を商品に明示していないので、食品の場合は、決して購入しない。大手食品会社を製造依頼する例もあるらしいが、消費者には見えてこない。今回のカップラーメンもどうもそのようだ。

また、ある業者によると、PB商品は、スーパー等の要請で価格を安く設定するため、商品グレードを下げるらしい。一般消費者には、その内容はわからないが、NBブランドとは、明らかに違う物を買わされている。スーパー等は、PB商品に熱心だが、そういう戦略は見直した方がいいかもしれない。利益より、消費者をまず守るべきだろう。

*注追記

どのような症状か、問い合わせがあったので、記しておく。

最近は、ほとんど食しないが、ある牛丼チェーンの牛丼を食すると、必ず頭痛がしていた。ところが、その他のチェーン店の牛丼や自分で作った牛丼では一度もそういうことがない。

あるメーカーの食パンは、トーストすると、必ず口腔内を傷つける。まるで針が刺した様になる。口の中は血だらけだ。ところが、他社品では同じ様にトーストしても、そういうことには決してならない。これは数年前からだ。

次に、ある調味料メーカーが出している、麻婆豆腐の素で、麻婆豆腐を作って食すると、必ず身体の一部(主として足)に蕁麻疹が出る。始めは豆腐を疑ったが、品質の良い新鮮な豆腐で作っても同じだ。これも数年前からだ。

そういう症状に懲りて一旦買い控えるのだか、しばらく間を置いて、そのことを忘れて購入すると、同じ現象になる。これが流風の体質によるものなのか、商品に問題があるのかはわからない。

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2008年10月25日 (土)

地方商業施設の買い物送迎バス

全国レベルで展開していた百貨店が、地方を撤退縮小し、人口の集中する都市部に資源の集中をし、その結果、各百貨店の統合が進み、メガ百貨店が生まれている。そのことについては、先のブログで記した。

さて、切り捨てられた地方の場合、地域の百貨店のみが残ることになる。あるいは、撤退した百貨店の跡は何もないかもしれない。地方の商業はどうすればいいのか。

基本的に、地方都市に集積ということでは、大都市と変わらない。問題は集積の内容であろう。何を集積すべきか。基本的に、百貨店を核とした商業施設、スーパー、ホームセンター、病院、介護・福祉施設、出先の役所等が揃うワン・ポイント・ショッピンクが可能であることが求められる。

但し、郊外型は、もう流行らないかもしれない。むしろ主要駅周辺に施設を集積させる伝統的なやり方が支持されるだろう。それはよく高齢者の方々と話するとわかる。郊外型施設では、売り場が広いだけで、楽しめないと言うのだ。郊外型施設には、せいぜい日常品のコンビニの拡大版のような施設があればいいということらしい。

だから、田舎に住む高齢者は、誘い合わせて、一週間に一、二度、バスに乗って、駅まで行って、駅近くの周辺地帯で買い物するのが楽しみという人も多い。そこにはいろんな施設が集積していた方が便利だ。できれば、いろんな催しが楽しめればベストだ。ショッピングは娯楽なのだ。商業地域内に、屋外型舞台などで、いろんな催しがされていれば、それに越したことはない。

後は、いろんな店で買い物した物が、一度に同じ時間にまとめて配達されるサービスがあれば、よりよい。よく街中で、高齢者の方々がたくさんの百貨店の紙袋を持って、ふらふらになりながら歩いているのは、何とも気の毒だ。

高齢者にとって、買った物を自分で持ち帰る喜びも確かにあるだろうが、配達してもらった方が有り難いものもあるだろう。できればある程度の金額合計で無料で。スーパーには、そういう仕組みがあるが、百貨店ではあまり聞かない。実際は、どうなのだろうか。

さて、ここに大きな問題がある。駅周辺の商業施設に行くにしても、「足」の問題だ。地方に行けば行くほど、車は必需品だが、自分で乗れなくなると、他人に頼らざるを得ない。そうなると、時間が拘束される。となると、自分で行ってみたいとなる。

ところが、地方では、バスの運行している本数が少ないことがある。それをどうするか。お買い物循環バスというものも、地域によっては運行しているようだが、そういうものでもいいかもしれない。

となると、これからの地方商業施設は、お客を連れてくる方法を探らなければならないのかもしれない。周辺と協力して、「買い物送迎バス」なるものを不定期(例えば、セールに合わせて)に運行するのがベストかもしれない。

*追記

駅周辺は地価が高く、小売業は進出しづらいという意見もある。その点は、むしろ地方行政で土地は公有にして、再開発する仕組みも大切だ。その他にもいろいろ方法はあろう。資本の論理の流れでなすがままにしておいては、地方の活性化はままならない。しかし、建物については、行政は指導だけで、民間に任せ、公的所有は避けるべきだろう。

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2008年10月21日 (火)

安くて、よい物は幻想か?

あるテレビ番組(NHK)を視ていると、某味噌メーカーの副社長が、原料の大豆を入手するために、世界を走り回っているとの事であった。日本だけでは原料の調達が不可能なので、世界で調達せざるを得ない。そして、次の発言が気にかかった。

 「消費者は、安くて、よい物でなければ、受け止めてもらえない」と。

確かに、消費者にとって、安くて、よい物は望ましいだろう。だが、そんなことが続くだろうか。大いに疑問を感じる。

まず、よい物を作ろうとすれば、それなりにコストはかかる。よい材料、よい道具、よい施設も必要だろう。もちろん、能力のある、いい人材は欠かせない。

だから、よい物を安く提供するのはどこか無理がある。以前、あるメーカーの担当者から聞いたことだが、実際、よい物を安く作ることは不可能で、どこかで手抜きしなければならない。

手抜きの内容は様々だ。材料の質を落とす、工程を省く、仕上げを落とすなどだ。後は、従業員の給料を削る、利益を少なくするしか方法は無い。

確か、「安くて、よい物」をいい始めたのは、某大手流通産業だったと思うが、それは誤魔化しの何物でもないだろう。消費者には、確かに受けの良いフレーズだが、それはまやかしでもある。

そうなると、消費者は、このフレーズを疑ってかかる必要がある。それはどこかに無理があることを消費者は理解しなければならない。うまい話には、無理があると。論理的に不可能なことを期待するのは、もう止めよう。メーカーも流通業者も、フレーズを変える必要がある。それは、

  「いい物を、その時々の、適正価格で」と。

また、消費者も、価値と価格の見極めは、今のようなネット時代、もっと学習することも求められる。高級ブランド品が、必ずしも、価値と価格が一致していないことは、それを売却してみて感じた人は多いだろう。商品価値は、利用価値(消費価値)と価格とのバランスで適正か、もっと考える必要があるだろう。

*注

だからと言って、経営者がコストダウンへの経営努力をしなくてもいいという意味ではない、ということは念押ししておく。

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2008年10月12日 (日)

顧客から遠ざかるメガ百貨店

最近、百貨店の経営統合が多く発表される。百貨店業界の行き詰まりを象徴するものかもしれない。また基本的に人口が大都市に集中する結果、地方での百貨店展開が苦しくなったという事情もあるだろう。

百貨店業界もサービス化社会の掟に従わざるを得ないのはわかる。製造業と異なり、顧客に近い所で展開しないと、ビジネスにならないのは明らかであろう。しかし、経営努力を怠り、安易な道を歩んでいるように見える。

現実には、都市に百貨店が集中する結果、競争が過大になり、儲からなくなったのは確かにそうであろう。どこの百貨店も特徴がなく、内容は皆、同じ様なものになっていることも百貨店経営を苦しくしている。

そういうことも相俟って、百貨店の統合という発想が生まれるのであろう。しかし、これは消費者としては、あまり有り難いものではない。統合すれば、サービス面が統一され、利便性が良くなると言うが、所詮、その程度だろう。結果的な行く末は、あまり期待できないということになる。

つまり、経営統合の次にくるものは、組織効率ということに行き着く。そのためには、権限を本部に集中し、本部企画のものを下部組織に押し付ける可能性が高い。

そうなれば、百貨店に個性が更になくなり、結果的に消費者に対する、きめ細かいサービスを不可能にする。その結果、消費者は、メガ百貨店を敬遠し、業績は悪化し、更なるリストラが必要になるかもしれない。これは悪魔のサイクルだ。

このように考えると、資本の論理でビジネス展開をしていては、大きな間違いを犯すと言うことになる。それはメガバンクで実証済みだ。メガ百貨店の将来は厳しいものが待ち受けているだろう。

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2008年10月10日 (金)

企業の三種類の人

よく言われるように、企業には三種類の人がいる。言い古されたことだけれど、改めて記しておこう。

一、人財

ほんの一握りだが、企業には、どうしても欠かせない人がいる。しかし、その比率は、あまり多くても、「船頭多くして」ということになりかねない。いい人財はたくさん欲しいが、どういう人物を選ぶかで、企業の業績は決まってくる。信念、哲学があること。主体性が確立した人。孤独に強いこと。

二、人材

企業の大半を占めている人で、企業経営者の持っていきようで、どうにでもなる人。いわゆる、代わりの人はいくらでもいるということ。すなわち、玉石混淆という段階の人。主体性がまだ確立していない人。よって、指導者・リーダーの役割は大きいし、彼らの命運を握っている。

三、人罪

いない方がいい人。いると組織が乱れ、健全な運営を阻害する人を指す。しかし、人は、最初からそうだったわけではない。人の活用を誤った結果がそのようであるとも言える。主体性がないとは言えないが、方向性を誤まった人。逆に言えば、環境を変えてやれば、人財になりうるとも言える。但し、妙に拗ねてしまえば、どうしようもなく、組織から放り出すしか手が無い。

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2008年10月 3日 (金)

園芸と適材適所

園芸は初心者だが、始めて見ると、いろいろ教えられる。爺臭いと思って、若い時は無関心だったのだが、案外、これは若い時に関心を持ってもいいかもしれない。現在、やっている園芸は、自己流だが、いろんな図書やネットで調べながら、作り上げていくとなかなか面白い。

植物のことだから、思い通りにならないが、それが却って面白い。いろんな発見があるからだ。学生時代は、「生物」の授業もいい加減に受講していたが、なるほどと思うことも多い。それに道理もよくわかる。

例えば、日当たりを好む植物を場所の都合で、日陰に植えると、どこか元気が無い。逆に日陰を好む植物を日向に植えると、これまた元気が無く、場合によっては枯れてしまう。そのような場合は、急いで、植え替えると、たちまち元気を取り戻している。植物の応えは速い。

また植え替えには、チャンスタイミングが大切で、時期を逸すると、枯れてしまう。そういう点は、非常に微妙だ。今の時期は植え替えに適しているが、その他の季節では移植に失敗したことが多い。

ところが移植に成功すると、今まで、それほど成長しなかったのに、飛躍的に成長することがある。その地味に合ったのだろう。元気良く成長している姿は、嬉しいものだ。そして適当な時期に肥料をやり、刈り込みをして、風の通りをしてやると、害虫に襲われることも少ない。

植物が元気に成長してくれるのは、嬉しいことだ。これは何かに似ている。子供の成長もそうだろうし、企業における新人が成長していくのも似たようなことかもしれない。今、再び、「適材適所」という言葉を噛み締める。

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2008年9月30日 (火)

創業者の遺訓に学ぶこと

一般人の眼で見ても、三井グループは衰退しているように感じる。かつてのような勢いは無い。もちろん戦後、財閥解体されたので、戦前のようなものがそのまま残ったわけではないだろう。しかし、企業グループは、戦後も形成されていた。企業文化としては、三菱が、「組織の三菱」と言われるのに対して、三井は、「個人の三井」と言われてきた。

ところが、三井の声はあまり聞かれなくなってしまった。その理由は核となるべき銀行が住友と合併し、実質、主導権は住友が握っていることもあるのだろうか。そんなことを言うと、かつての三井銀行も、グループで主導的役割を果たしていなかったと指摘する向きもある。それでも、両替商として、伸してきた歴史を見れば、そういうことも言えないのでなかろうか。

最近では、三越の不振が言われている。伊勢丹に統合され、実質吸収された。伊勢丹と言えば、三菱系だ。時代が変わったとは言え、少し情けない気がする。暖簾によりかかった経営が、経営革新できなかったのだろう。創業者は地下で嘆いていることだろう。

さて、三井と言えば、もとは藤原道長の流れである。右馬之助信正が京に出て、近江国三井に住まいを定めて、その土地の名をとって、三井と称したという。それから何代も続いたが、世継ぎがいなくなって、源氏の流れの佐々木六郎高久を養子に迎えた。それから代々、当主は「高」を名前につけているということだ。

それから戦国時代だから、いろいろあって各地に流れ、高久の子、高俊が三重の松阪で酒屋を始めたそうだ。その四男が優秀で、実質、三井の創業者である高利だ。彼は、まず京都に呉服店をオープンし、やがて江戸・大阪に支店を作る。それを更に発展させて両替商を始めた。ここに三井財閥の礎が築かれる。

子供がたくさんおり、その中の男子六人から、長男を総本家とし、他の五人の子供は各事業の本家とした。今で言えば、総本家が持株会社、本家が子会社と言うことだろうか。この時、総本家は家憲「宗竺居士遺訓」(*参考)を定めている。

流風は、三井とは何の関係もないが(笑)、三井グループには、もう少し頑張ってもらいたいものだ。それには、三井グループの歴史を改めて学ぶことだろう。結構、ヒントは、自社の歴史にあるものだから。このことは、全ての企業に当てはまることだろう。業績が頭打ちになったら、過去の歴史や創業者の志を再確認してみるのもいい。

*参考  家憲「宗竺居士遺訓」  

        http://www.mitsuipr.com/history/kaken.html

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2008年9月22日 (月)

これからは用心深く

父は、何か行動を起こす時、常に最悪の事態を想定していたようだ。父は用心深い人だったと思う。以前にも記したが、天気予報が晴れと予測していても、空を見上げて、風が少しあると、折り畳み傘を持ち歩いていた。だから、父が雨に遭って、ずぶぬれになったことは聞いたことがない。

流風が、雨に濡れて帰ると、またか、という感じであきれていた。また、新しく傘を買っていくと、傘が増えるので、無駄遣いを何とかせえ、と小言を聞かされた。そういうと、あの利休も用心深い人で、いつも傘を持って出かけたという。優れた人は皆、そうなのかもしれない。それは何も、傘だけのことではなかっただろう。すべてにおいて、そのようだったに違いない。

さて、最近は、急な雨が多いが、そういう災難にあわないためにも、予め用心して行動をしなければと、つくづく思う。世界経済は徐々に混乱していくだろう。先を見越して、落ち着いて行動したいものだ。基本的に、今後はゼロ成長をベースに考える必要がある。

一部の政治家の主張する経済成長の可能性は極めて低くなる。国も苦しくなるが、国民も苦しくなる。こういう場面では、お互いにオープンに知恵を出し合い、最善策を講じることが求められるのだろう。しばらく、辛抱の時期だ。

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2008年9月12日 (金)

コンビニの24時間営業規制について

京都でコンビニ24時間営業について、制限を加えることが行政が突然の話として出してきて混乱しているらしい。まあ、流風は、コンビニに限らず24時間営業はあまり、その必要性を感じていない。

確かに、24時間営業は不健康な社会を招きがちという気持ちはわかる。しかし、なぜコンビニだけに規制をかけるのだろうか。その他の24時間営業の店には、どのように対応するのだろうか。

それに、人々は既に24時間営業の店の存在を前提に仕事や生活をしており、ある日、そのような施設がなくなれば、不便を感じるだろう。ということは、まず仕事のあり方や生活のあり方を変えるよう、誘導や指導がまずなされるべきだろう。

そして、なぜそのようにしなければならないのか、人々に説明して同意を得なければ、いきなり規制しても、それは有効に働かないだろう。行政は思いつきで、規制をかけてはならない。

*追記

但し、地方においても、コンビニが深夜まで、看板や店内の照明の光が煌々と照らし出されているのは違和感を感じる。田舎であれば、農産物に悪い影響があるだろう。京都がどのような状態にあるのか知らないが、地区の状態差を把握して、政策にはメリハリがなければならない。

*平成20年12月11日追記

本日のNHKの「クローズアップ現代」で、コンビニの24時間営業規制について取り上げていた。その中で、コンビニ経営者にとっても、24時間運営は、生活を奪われ、大変なことであることを伝えていた。ビジネスとして、無理があるのなら、別の視点で、それは修正されなければならないだろう。何事も無理は長続きしない。

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2008年9月 8日 (月)

成果の正しい評価と狂言『雁礫』

世の中、どんな会社にも、部下の成果を横取りする上司がいるものだ。彼にすれば、部下に追い抜かれる恐怖があるのだろうが、そういった狭い料簡で、さらに評判を落とすことになる。部下の正しい評価をして、出世の手助けをすれば、将来、自分のビジネス構築に役に立つとは考えが回らないようだ。

凡そ、出世する人は、大抵が、部下の人材育成に心血を注ぎ、人材を育成した結果、自らも自然と地位を高めている。つまらない嫉妬で、組織活力を削ぎたくないものだ。

さて、狂言にも、『雁礫(がんつぶて)』(先日、NHKで放送されていた)では、大名がまさに弓で雁を射ようとした時、使いの男が礫(小石)で仕留めてしまい、「それは自分が弓で仕留めたものだ」と、いちゃもんをつけ、揉める場面がある。確かに、自分が目をつけた獲物を、横取りされた気分は悪いかもしれない。

しかし、それなりの地位にある人が大人気ない。大体、わがままに育てられた大名が、他人の成果を自分のものとしようとするのは、子供っぽい。だが、現実には、現代でも、そんな大人も多いのが事実だ。決して、この大名を嘲笑うことはできない。

もちろん、正面きって、この大名のように成果を横取りするのは、さすがに少ないかもしれないが、見えないところで、意外と成果を横取りしているものだ。部下に感謝する姿勢は大切と思う。部下あっての上司だから。

*追記

よく見てみると、この記事で1000本目だった。何本かは、途中で削除しているので、記録に残っている記事で1000本目ということになる。ブログを始めて、3年半が過ぎたので、まずまずのペースかもしれない。頭の体操なので、今後も続けていくつもり。

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2008年8月19日 (火)

昇進に対する考え方

  ながらへば またこのごろや しのばれむ

          憂しと見し世ぞ 今は恋しき

                 (藤原清輔朝臣、新古今集巻十八、百人一首第八十四番)

この歌は、昇進ができなかったことに対する不満を表したものと云われている。時に、藤原清輔朝臣、30歳頃の歌らしい。出世欲の盛んな年齢と言えなくもない。まあ、出世できないことを辛いと思えば、辛いのだろう。人間は、相対的判断をする。特に似たような年齢で、出世が遅れると辛くなる。

でも、人間はゆっくり出世した方がいい。人間の成長は、それほど早くない。促成栽培の人間は脆い。他がどうであろうが、自分なりの道をきっちり歩んだ方が、いい。だが、人間の煩悩は時として生じる。それが人間を苦しめることになる。でも、長期的に見れば、適正な評価されると思いたい。焦らず、じっくり歩みたいものだ。

さて、サラリーマンであれば、多かれ少なかれ昇進に対する気持ちはあるだろう。ただ昇進に対する考え方は、雇用者と被雇用者では違うかもしれない。本当は、昇進は結果に対する評価と将来に対する期待である。

だから、昇進して、それで成長が止まれば、企業としては、期待はずれということになる。ところが被雇用者側は、やっと地位が獲得でき、それで満足してしまうことも多いようだ。それはわからぬでもない。昇進のために、エネルギーをフルに活用してきたのだから、そこで一服したい気持ちがある。

もちろん、昇進の喜びを味わうのは悪くないが、できれば昇進する前に、昇進後の方策を用意しておくことが望ましい。よく言われるように、サラリーマンは、一つ上のランクの仕事を観察すべきなのだ。

つまり自分ならどうする、こうするという考えを日頃から蓄え、準備していることが大切だ。そういうことを準備せずに、昇進してしまうと、次の段階になかなか進めなくて、企業に迷惑をかけることになる。そうなれば、昇進させるべきでなかったとか、という意見が社内に出てくる。結果的に本人は辛くなる。そういうことのないように、中長期的に準備してもらいたいものだ。

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2008年8月 4日 (月)

困った浴衣姿

女性が浴衣を着こなせば、それは黒田清輝(*参考)の絵画ではないが、色気のあるものだ。昔、助平な、ある殿様が多くの女性の浴衣姿を見たくて、祭りにした地域もあるぐらい、その姿は色っぽい。

最近は、茶髪に浴衣姿と、ちょっと違和感を感じることも多いが、意外と似合っている方もいる。まあ、大抵が、そのようにすれば、芋ねえちゃんに見えるけれど。いや、なんば(南蛮黍、とうもろこしのこと)姉さんか(笑)。

ところが、そのなんば姉さんが、ある有名な百貨店の和菓子売り場に、店員として浴衣姿で大勢いたのには、少し引いた。浴衣は着崩れているし、お化けのような化粧だし、頭のセットはへんとこりんだし、とてもいい雰囲気を出しているとは言い難い。何とも言えない品のなさだ。店としては、夏の雰囲気を出したかったのだろうが、まるで逆効果。

結局、贈答用の和菓子を買うのは断念し、他店で買うことにした。店は、客の側に立った服装にすべきだろう。別に流行のスタイルはいらない。若い女性が日頃のファッションで売り場に立つのはどうかと思う。この百貨店全体のイメージ低下にならなければいいのだが。顧客の立場に立って、売り場に立つ人間のファッションチェックは必要だろう。

*参考 黒田清輝展

現在、小磯記念美術館にて、「近代日本洋画の巨匠 黒田清輝展」開催中(8月31日まで)

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2008年7月28日 (月)

出世主義は悪いか

最近の若い人は、なかなか前に出ようとしないらしい。自分が前に出ることを警戒しているのかもしれない。もちろん、先に前に出れば、いろんな困難があるかもしれない。そういうことで、安全運転を志向しているのかもしれない。

そういうことを考える上で、『葉隠』で、山本常朝が大切なことを言っている。それは次のようだ。

「名利を思ふは奉公人にあらず、名利を思はざるも奉公人にあらず」(旧仮名遣い)

言いたい趣旨は、次のようなものであろう。

「やたら出世主義に走る奉公人には困ったものだ。しかし、立身出世を考えない者も、また困った者である」。

これは具体的には、何を言おうとしているのだろうか。

凡そ、立身出世主義者は、どうしても、自己の利益中心主義になりがちで、会社の利益より私益を重視しがちになる。目前の利益を重視し、長期的視野が欠け、辛抱強く目立たない仕事を避けたがる。それは組織にとって、必ずしもよい影響をもたらさない。

しかし、その一方で、与えられた仕事をこなすばかりで、保守的な仕事振りでは、日々の進歩もないし、やがて、それは惰性になり、不満が募るだけである。それは組織の雰囲気を微妙に悪化させていく。

そう考えれば、そのような人間より、むしろ、立身出世主義者を正しく導く方が、組織にとって望ましいかもしれない。つまり企業目標が明確で、組織に対する基本的な忠誠心があれば、出世主義のエネルギーを新しい試みにぶつけさせて、働き甲斐を感じさせることが、企業に活力をもたらすことになる。

山本常朝の指摘は、的を得ているだろう。前に出ることを嫌がってはならないし、前に出る人たちを非難することも望ましくない。ただし、そのためには、適切な指導とコミュニケーションの充実が望まれる。

*追記

ちなみに流風は、若い頃、前に出すぎて、それは大変だったことを思い出す。それが良かったのか、悪かったのか、未だにわからない。ただ、常朝も言っているのだが、あまり早い出世は、本人にも、よくないだろう。出世主義はよいが、出世のスピードはほどほどが宜しいということになる。

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2008年7月24日 (木)

経営における悲観主義

悲観主義なんて言うと、なんて暗い奴だと言われそうだ。流風は、外見は、悲観的な考えの持ち主と思われているらしいが、母に言わせると、「お前は、楽天家。だから出世できなかったのだ」とのたまう。まあ、親はよく見ていると言うべきか。

さて、出光興産の社長だった出光佐三は、経営は、「順調にいて悲観し、逆境にいて悲観する」のが要諦と言っていたらしい。松下幸之助は、「雨の日に傘をさす」と自然体を強調したが、出光佐三の考え方はシビアだ。

彼は、いつも傘を用意していたかもしれない。もちろん、幸之助とは産業も違い扱うものも違う。装置産業とメーカーの違いがあるかもしれない。結局、二人の言っていることに最終的な差はないのかもしれない。だが、出光佐三の場合は、経営のリスク管理に重きが置かれたのだろう。

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2008年7月15日 (火)

大阪の二つの飲食店の廃業を考える

道頓堀の「くいだおれ」が廃業して話題になっているが、少し前には、「船場吉兆」が問題を起こして廃業している。この大阪を代表する二つの料理屋が同じ時期に廃業したのは、妙な巡り合わせだ。

しかし、その廃業の内容は「一応」大きく異なる。世間から信用を失って止む無く廃業した料理屋と、世間から惜しまれて、やめた料理屋。

一方は、賞味期限切れの販売、偽装、使い回しが発覚し、信用を失って廃業。もう一方は、周辺環境の変化で、将来の経営に見通しがつかないためとされる。しかし、実際のところはわからない。船場吉兆と同様のことがあり、早めに手を打って店を畳んだとも受け取れる。タイミングがよすぎるのだ。

もちろん、当事者は強く否定するだろう。しかし、残念ながら、船場吉兆のようなことは、飲食業では、長くどこでもあったことを踏まえれば、可能性はある。しかし、廃業された現在、それを追及してもどうにもなるものでもない。

それでは、この二つの飲食業は、一体何が違ったのか。まず指摘されるのが、広く顧客に愛されたかということ。片方は、高級料理で、庶民には程遠い所に位置し、もう一方は、庶民的な店だった。

一般人は、滅多に利用できない「船場吉兆」は、高い山のように、厳しい環境条件下にあったことを経営者は理解していなかったのだろう。高いお金を取る飲食店の経営としては、非常にまずかったと言える。そういうところは、針の一穴で世間から批判にさらされるというリスク管理が甘かったのだろう。

もう一方の、「くいだおれ」は、流風も若い時に利用したが、名前こそ有名だが、普通の食堂である。特別美味しいわけではない。どこにでもある食堂なのだ。だから、提供されるものもほどほど、価格もほどほどだった。そういうことで、親しみやすい存在だったことが指摘される。そういうところに対しては、庶民の批判は若干甘いかもしれない。

次に指摘されるのが、女将の差だろう。顧客対応が根本的に違う。「船場吉兆」の女将は、顧客になりうる一部の特別の顧客にのみしか対応したことがないので、ある意味、世間ズレしていない。

それに会見時のあの不遜な態度は、多くの人を敵にまわした。独裁的なイメージは、あまり宜しくない。そして、実際も、そうであったようだ。それで世間から、とことん叩かれた。あの時、身を引いておれば、助かったかもしれないのに、そういうセンスはなかったようだ。

これに対して、「くいだおれ」の女将は、ある意味、したたかで、いろんな層の顧客に対応慣れしている。その対応能力の差が、マスコミ対応に如実に出ている。それは、あの女将の笑顔から察することができる。

あの笑顔の裏には、明らかに強かさを感じる。ある意味、大阪を代表する女将かもしれない。彼女なら、「きたなく儲けて、きれいに使う」ことができるのではと思わせるのだ。正面から喧嘩はしない。相手が仕掛けても巧みにかわす。表面は笑顔でも、心の中では、舌を出しているかもしれない。そういうものを感じさせる。

飲食業は、接客業でもあるわけだが、結局、その差がマスコミ対応でも出たわけだ。もちろん、経営姿勢も大きく影響しているかもしれない。ただ、私達の反応は、その表面的な接客対応術で大きく違ってくるのも事実だ。今後の大阪の飲食業がどのように変わるのか、わからないが、一つのヒントを提供してくれた二つの飲食店の廃業だった。

*追記

ちなみに、「くいだおれ太郎」には、関西のロボット業界の表看板になって欲しい。

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2008年7月12日 (土)

パン屋の経営危機

パン屋は、経営危機に陥っているかもしれない。小麦粉等の値上がりは、他産業と同様、厳しい経営を迫られる。そして原料コストの値上がりを製品価格に転嫁するのは、限界が来ている。

つまり、あまり急激な値上がりには、消費者もついていけない。ある程度の価格アップは容認できても、予想以上の値上がりにはついていけない。消費者としても、ある程度の値上がりの覚悟ができていても、懐具合との相談で、あまりにも値上がりされると、パンの消費は抑えるしかない。

最近になって、やっとマスコミがはやしている米粉の利用と言っても、その流通は少ないし、すぐ対応できるわけでもない。そうなると、パン屋も消費者も打つ手なし、ということになる。パン屋は経営危機に陥っていると言って過言ではなかろう。

今のところ、パパママのパン屋さんの方が、まだ頑張っているかもしれない。もちろん、ある程度は値上がりしているが、その幅は抑え気味にして、いろいろなパンのデザインで付加価値を上げている所もあるようだ。

むしろ大手の製造直売のチェーンのように定番にこだわった所が苦しそうだ。効率と利益率を重視する結果、菓子パン等は、アイテムは減少し、パンの大きさは以前より本当に小さくなっているし、価格も五割近く上がっている。胃袋も満たされないし、値段が高いため、購買意欲は低迷する。

流風は、もともと御飯が多いので、不自由することはないが、パン屋さんには、もう少し頑張って欲しいと思う。今のままでは、業界の縮小と再編もありうる。

*小麦粉高騰へのコスト対応の一例

小麦粉の使用を減らすために、米粉の利用も大切だが、パンの部分を少なくして、他の材料を増やしてボリューム感を出すのも大切なことである。また小麦粉を一切使わず、極端に言えば、焼き御飯+惣菜のようなものも考えられる。

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2008年7月 8日 (火)

百貨店の行方

若い時、薄給でお金がなかったので、百貨店に行っても、ウィンドーショッピンクが主体だった。もちろん、女性のように買いたいものがたくさんあるわけではない。どちらかというと、気分転換を兼ねてのもので、百貨店の雰囲気が好きだった。

子供時代も、休日の楽しみは、両親と百貨店の大食堂で、昼食をとることだった。両親はなぜか正装し、お出かけしたものだ。別に堅苦しい服装などする必要もないと思うのだが、父の方針で、皆、そのようにした。当時、百貨店はそういう雰囲気を持っていたのだろう。

途中、知り合いに会って、「どちらに」と声をかけられても、いつもは「ちょっと」と言うところを「どこどこの百貨店へ」と少し誇らしげに親が応えていたように思う。それほどに百貨店というイメージは当時、両親の中では高かったのだろう。今だと、少し笑えてしまうが。

現在の百貨店は、ホテル同様、気軽な服装で、皆、出かけているので、気楽な場所になったかもしれない。それでも、女性たちは、若干オシャレに気を配り、頑張っているように思える。若い人たちや男はそれほどてもないが、女性の同伴者がいる場合は、それなりの服装をしている場合も見受けられる。

さて、百貨店の価値が落ちているという人々もいるようだが、それは百貨店次第だろう。確かにモノは溢れ、ネットなどで簡単に安く入手できる時代ではある。そういう環境下、ビジネスは難しくなるという指摘も無視はできないかもしれない。

しかし、百貨店の持つ信用力は捨てがたい。新しい商品を売り込む場合、百貨店の評価は一定の重みを持つのは現在でも変わらない。そういう意味では、百貨店は時代をリードする新商品やサービスの取り扱いに常に気を配る必要はある。そして、今まで以上に取り扱い品目が変わるものも確かにあるだろう。

だが、長期的に見直すモノ、中期的に見直すモノ、短期的に見直すモノ、そして流行りモノをいかに組み合わせて、タイミングよく提供していくかということは、今も昔も変わるものではないだろう。要するにマーケティングさえ、しっかりしておけば、百貨店の価値は保たれる。

そう考えれば、百貨店の価値は下がるものではないだろう。現在、業界の再編成が行われているのは、大名商売をして、新しいモノや仕組みを取り入れるのを怠った百貨店があったからだろう。店があるという長年の信用、ブランドという安心感、マーケティング力、ネットとの連携などを考えると、その可能性はまだまだ大きい。そういうことで、百貨店の存在価値は、やり方で、ますます高めていくことは可能だろう。

*追記

また、将来の百貨店は、ショールーム化の強化のため、出展料と入場料を取る可能性を否定できない。全てをそのようにするわけではないが、ネットのための全館ショールーム化はありうると考えている。

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2008年7月 7日 (月)

美味しくなった大手スーパーのお米

以前、大手スーパーの扱うお米がまずいと記した。つい最近、地元の米に少し飽きたので、大手スーパーのお米を試しに買ってみた。

というのは、大手スーパーが農業に進出するという報道があったからだ。彼らは、利益のサヤが抜けると思えば、どこにでも進出するし、そして撤退もする。果たして、彼らが本気で農業に取り組む気があるのかと思ったからである。

そういうところが取り扱うお米に変化があるか、試してみたのだ。購入したお米は、地方のお米だったかが、予想に反して、それは美味しかった。以前同じスーパーで買ったお米とは比べ物にならない。あれは兵庫県産米ということだったが、ひどかった。まあ、あれに比べれば、どこのお米でも美味しいとも言えないこともない。しかし、本当に味は良くなっている。

問題は、それはいつまで続くだろうかということと、生産農家を成長発展させる意思があるかどうかということ。彼らは、生産農家が言うことを聞かなくなると、容赦なく切り捨て、新しい農家を見つける行動に走るのではないか。

そういうことは、過去の行動事例から、十分推測できる。今までやってきた企業行動を見ると、どうも信用できない。ここはじっくり、その行動を監視するとしますか。

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2008年6月27日 (金)

商売の基本

商売は、時代が変わっても、基本は変わらない。信用をじっくり築き上げ、実績も少しずつ積み上げる。それが商売というものだろう。世の中、いろいろなことを言う人が多くて、惑わされることも多いが、基本を変える必要はない。

大原幽学も、そういうことを指摘している。このブログでは、以前にも、別の人の同様な見解を記したが、ここでは幽学的な見方を、現代的な言葉で解釈して、紹介しておこう。

一、仕入れは、即金で支払うべし。

いずれ支払わなくてはならない、お金をぐずぐずするより、気持ちよく支払って、次の商売につなげるべきだ(*注)。少々の金利をケチった所で、何もプラスになるものはない。人間、手元にお金があると、別のところに使いたくなるのを防ぐ効果もある。

一、どこまでも、コストぎりぎりの価格で、提供すること。

商売は、利益を薄く、多人数に売るのが基本。幽学は指摘していないが、当然、回収は現金に限る。掛け商売はしない。

一、贅沢な生活を夢見ることなく、何とか暮らせればいいというように、商売を丹精に磨くことが大切だ。

贅沢するために、商売するのなら、やめておいた方がいい。商売は、浮いたり沈んだりする。堅実で質素な生活が必要である。

一、古くなったものを、これぐらいはいいと思って、売るな。

古くなった物は、思い切り見切り、新しい物を仕入れて売る。商品価値をお客さんに誤魔化してはならない。そんなことはいずれ暴露する。正しい価値をベースに売るのが基本。

一、都会風の商売はせず、真心込めて、親切に、田舎風の商売を目指せ。

宣伝を派手にやって、急激に売上を増やす商売は、目立つが、長続きしないもの。お客様の役に立つものを、こつこつと適正価格で提供し続けることが、長く商売を続けられる方法だ。そうすれば、トータルでは、商売に勝ったことになる。

一、売上第一主義に陥るな。正しい利益とそうでない利益を分けて考えよ。

儲かれば、何をやってもいいということはない。常に社会に貢献しているか、考えながら、商売をすることが大切だ。

*注

但し、仕入先については、十分吟味しなければならない。すなわち「スジ」の良い仕入れ先でなければならない。仕入れコストだけで決めると、大きな過ちを犯す。

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2008年6月19日 (木)

おいしい水とは

「おいしい水」と言えば、あのボサノバのリズムが浮かぶ。この曲の着想につながったというブラジリアの泉の湧き水は、どんな味だったのだろう。それはともかく、早朝の喫茶店で、この音楽が流れていると気持ちいい。家でも、時々CDをかけて、聞いているが、心が落ち着くような感じがする。

ところが、某食品メーカーの「六甲のおいしい水」は、そうならなかったようで、うたい文句とは異なる六甲山の花崗岩とはあまり関係のない所で汲み上げたものをペットボトルに詰めて、販売していたようだ。

流風は、この水は、従来からあまり買っていなかったので影響はない。流風が感じるには、かつて飲んだ時、あまり美味しくなかった。水道水みたいなので。しかし、母はよく買っていたようだ。まあ、ブランドで買う人だったから。

それにしても、買っていた人は不信感を持つだろう。それも一番よく買う2リットル入りのものだから、これは問題だ。

それに、地元のことを悪く言うのは何だが、六甲の水(商品のことではない)自体、それほど美味しいものではない。神戸でおいしい水は、何と言っても、宮水だ。その神戸の宮水は海側で取れる。

だから、「六甲」を冠にしたこと自体、それほど感心したことでもないのだ。今後、このメーカーはどのように対応するのか知らないが、もう一度、おいしい水とは何なのか、練り直した方がいいだろう。ピンチはチャンスだ。

でも、環境のことを考えると、浄水器の時代かも。昔と違って、浄水器もいい物が出回るようになった。それにペットボトルのゴミは減らしたいからね。

*追記

この食品メーカーの問題は、業務管理システムということになろう。こんな大きな会社が、こんなことでは困る。

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2008年5月15日 (木)

鶯ボール

関西人だったら、大抵がご存知の植垣米菓の「鶯ボール」が最近になって、やっと関東圏で売れ始めた、と神戸新聞の記事にあった。この商品は1930年に発売しているというから、戦前からあったのだ。それが関東圏では知られていなかったと聞いて、少し驚いた。

子供の頃から、割と好きで、両親があきれていたのが、この「鶯ボール」だ。お餅を油で揚げて、砂糖をまぶした丸いビー球くらいの大きさのもので、何とも言えない食感だ。ということで、子供時代は、あまり菓子類は与えられなかったが、これだけは特別扱いにしてくれた。でも、ついつい食べ過ぎて、度々叱られたものだ。

ところで、関東圏で売れ始めた理由が何とも現代的だ。というのは、「化学調味料・保存料・着色料不使用」と掲載して、安全性を明記した上で、地域商品としてアピールしたからだそうだ。

姫路の菓子博でも、地域のお菓子には皆、強い関心を示したそうだから、全国ブランドの商品とは別に、地域の匂いのする商品が、今、期待されているのかもしれない。でも、売れすぎると、「鶯ボール」も全国ブランドになってしまいますね、植垣米菓さん。まあ、いつまでも、関西圏だけで埋もれてしまうよりいいかな。それから、ずっと、神戸のお菓子メーカーさんでいて欲しい(笑)。

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2008年5月 3日 (土)

食べ物の使い回し

子供の頃、流風の食べ残しを、母は、勿体無いと言って、食べていた。基本的に食べ残すということは、父の前では決して許されなかったが、母は私が調子が悪いと、「無理せんでええ」と言って、代わりに残りを食べていた。

父は、食べ残しを嫌い、特に自分で皿に取った分を残すと、烈火のごとく叱られた。「お前は自分の食べる量も計れないのか」と。とてもそんなことがわかるとは思えない年齢の時からだ。

ただ外食で定食のような物の時は、「食べられなかったら、残してもええ」と言われた。中身は自分で決めたものではないからだ。単品物の食べ残しは不可だったので、父と外食する時は、いつも定食を頼んでいた気がする。

さて、あの船場吉兆が、食べ残しを使い回ししていた事実が判明し、大騒ぎしている。しかし、有名な料亭はともかく、かつて外食産業が使い回ししているのは当たり前だった。子供の時も、両親は、「外食は、使い回ししている所がほとんどだから、子供には食べさせられへん」とよく言っていた。当時、それは当たり前のようだった。

最近の外食産業のことは知らないけれど、今回の事を聞いて、ああ今でもやっているんだと思った。吉兆は箸をつけたものは使い回ししていないと言うが、中華料理店では、客が食べ残したものも、もう一度戻して加熱しているという噂があった。

最近は、そういうことがないと願いたいが、かつて深夜、外食店の厨房を見せてももらったら、ゴキブリが大量にうようよしていて、とても外食では物は食べられないと思ったことと重ね合わせて考えると、外食するには勇気がいると今更ながら感じる。

外食で何を食べさせれているかわかったものではないということは消費者も頭に入れておいた方がいいということか。ということは、何も知らないほうが幸せかも(苦笑)。まったく困ったもんだ。

*追記

次々と外食産業の使い回しが発覚している。やはりずっと続いていたようだ。本当に困ったことだ。

また外食産業の提供の仕方も考えなくてはならない。食べきれないほどのものを提供するのは問題がある。一番有名なのが、温泉旅館等の派手な料理だろう。とても食べきれるとは思えないほどの量が出る。高齢者であれば、余計に無理だ。

たくさん提供して、高い料金を取るやり方を見直す必要があるだろう。すなわち、少ない量の料理の組み合わせにすればいいのだ。あるいは中心の基本料理にオプションで顧客に選ばさせたらいい。

残したものを使いまわすのも問題だが、食べ残さざるを得ない料理の内容と量を考えるべきだろう。提供者の力が問われている。

*平成20年5月28日追記

船場吉兆が廃業とのこと。止むを得ない。時代を読み違えたのだろう。あの女将の不遜な態度もいけない。彼女が会社に残ったことで、存続が難しくなったといえる。まったく新しい経営者で再興が望まれる。そして、料亭などは高い料金を取るのだから、もっとプライドを持って仕事をやってもらいたいものだ。市井の料理屋ではないのだから。

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2008年4月23日 (水)

危険水域に入った原油価格

原油価格が、更に高騰しており、憂慮すべき事態だ(*注)。いかに省エネの進んだ日本とはいえ、原油価格の高騰は、生活物資の価格に反映される。1バーレル=120ドルになれば、国民経済にも、強い影響をもたらす。特にガソリン価格のさらなる上昇は避けられない。

しかし、これに対して、国は何もできていないように感じる。基本は需要を減らすことだが、中国、インドなどの需要が増えれば、一国経済の努力だけではどうにもならないのも事実だ。よって、世界全体で、石油需要を減らす必要がある。

たとえば、家庭用電力にはソーラーシステムの普及も望まれる。一時、日本では国の補助金があった時は盛り上がったが、現在は停滞している。それに電力会社の電気買取が積極的でないことも災いしているようだ。

電力会社のエゴだけでは済まされないはずだが、経営者の器に問題があるのだろう。大体、国民経済を考慮に入れられない資質に欠ける公益産業の経営者が多いのには困ったことだ。もちろん、経済産業省の政策にも問題があるのだが。

またオール電化を電力会社は盛んにアピールするが、もしそうしたいなら、リスク回避の意味で、家庭用電力は全てソーラーシステムとし、電力会社から買う電力はなくすことが望ましい。オール電化は、片手落ちの電力会社のエゴのやり方だ。

家庭でソーラーシステムをつけられない所は、地域で共同ソーラーシステムなど可能であろう。それでも、ソーラーシステム導入の難しい地域だけ電力会社は電力供給すればいい。電力が余り過ぎている現在、電力会社はリストラすべき時代なのだ。

また、小型ソーラーの普及も望まれる。小型電気機器(充電の必要な小型の機器。携帯電話、携帯掃除機、デジタルカメラ等々)は使用電力が小さいとはいえ、数があるので、その合計は大きいと思う。一時、販売されていたが、普及には至っていない。これらの機器は、電卓のように、ソーラー搭載機器への転換が望まれる。

車についても、ノン・ガソリン車の普及が大切と思うが、燃料電池車は遅々として普及しない。開発が進まないのか、政府の支援が足りないのか、一国の需要では価格ダウンができないからか。原因は知るよしもないが、新興国を含めた世界市場を睨んで、トータルで考えるべきだろう。

石油を原料とするプラスチック包装材についても、食料品中心に使用が多いが、これをなくす必要も感じられる。これは毎日、全国で大量のプラスチックゴミを出している。ゴミの減量を考えるが、これが一番の難関である。

もちろんトレーの不要の生鮮食料品ばかり買えばいいのだが、そうもいかない。また昔は新聞で包装していたものが、いつのまにか、小さな八百屋でも、トレーで包装されている。これらをなくすためには何をすべきなのか。

原油価格の上昇はどこまで行くのかわからないが、国民生活においても、危険水域に入ったことは否めない。一人一人が石油を使わないようにするには、どうすればいいか考えなくてはならない。生活の見直しが求められる。

*注

原油価格の高騰には、各種原因が考えられるが、新興諸国の需要拡大と共に、サブプライムの崩壊によるドル安の影響が大きいとされる。この状況は、4~5年続くと考えられる。

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2008年4月15日 (火)

無責任経営

上場会社の中に、経営責任数値を出さない企業があるらしい。えっー、今時、そんな企業があるのか。数値を出さないということは、結局、無責任経営になりやすいはずだ。そんなことが許されるのか。

東証やベンチャー市場の上場審査基準や維持基準は、おかしくなっているのかもしれない。それはかつて説明責任を果たさず、金融商品を販売し続けた銀行や生保などと同類の企業なのかもしれない。

もはや上場しているからといって、社会的責任を果たしているとは言えないようだ。おかしな経営者が蔓延すれば、社会に進歩は期待できない。これらの経営者を大掃除する時が来ているようだ。

*追記

最早、米国の経営者のように無責任経営者の時代は終わっている。経営者には、くれぐれも彼らの真似をしないよう望むばかりだ。

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2008年4月 8日 (火)

後進に道を譲る

現役を引退した後、寂しくなったのか、復帰する人がいる。もちろん、事情は様々であろう。しかし、引退したものが、復帰して、後輩の仕事の邪魔をするのはいかがなものか。彼らには、後進に道を譲るという発想はないのだろうか。

また、その業界で、そこそこの年齢なのに引退しない人たちがいる。議員(定年制もあるようだが)やスポーツ選手が目立つ。プロ野球選手も、確かに運動能力が高ければ、続ける意味はあるのだろうが、それでも、ある程度の年齢になれば引退してもらいたいものだ。

そうしないと、後進は育たないし、結果として、その業界も衰退することになる。すなわち、頑張り続けることが、あまりよくない結果を招くのだ。誰でも、元気なうちは、前線でいつまでも頑張りたい気持ちはわかるが、後進を育成する意識を持たないと、社会はもたない。後進に道を譲るということは大切なことだ。

もちろん、それは民間企業にも言える。65歳への定年延長もその一つだろう。これは国策だが、あまり感心できる政策ではない。あまり長くおられると、若い人たちにとっては、心理的に重苦しい。新しいことを行うにも、やりにくいし、新しい発想も潰されがちだ。それは経験則が異常に重視されるからだ。

また官僚の天下りの場合は、官界を出ても、その影響力を行使する元官僚が後輩の仕事の重石になっている。それがいいように働ければいいが、大概は害になっている。彼らが天下り先から、引退した段階で、初めて後輩は自分の仕事ができるだろうが、次々と天下りしておれば、そういうことはいつまでたってもできないということになる。それが官界の腐敗を生んでいるのだろう。

今一度、後進に道を譲るということがどれほど大切なことか、皆が考えてみる必要はあると思う。

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2008年4月 3日 (木)

成功の原則

成功の原則は、最初に結論ありき、と云われる。ただし、いろいろ調査して、結論に導くことは難しい。結論は、直感によるものであるべきだ。それに対して裏づけを取るというのが順序というものだ。いきなり調査から結論を求めてはならない。

もちろん、目的達成のための実行には、冷静な判断は求められる。何でもかんでも、直感に基づいて実行していたら、転ぶのはわかりきっている。

やはり市場との継続的なコミュニケーションは欠かせない。求められるのは、切り口のセンスと市場を切り開く技術ということになる。その中で、柔軟に微調整することは求められる。

その上で、やるかやらないかを決める。でも、心配しすぎると、何もやれない。最終的には、本人のやる気で決まるようだ。一歩を進めるか、何もしないでおくか。

確かに、全てがすべて成功するわけではない。いろんな失敗事例を見てきた。しかし、見通しを厳しくして、前に進めた成功例は多い。若い時は、まだやり直しがきくので、とりあえず挑戦してみることだ。

*注意

ただし、直感を磨く必要はある。若い時に、哲学と五感に基づいて、頭と体で、かなりの情報量を仕込む必要はある。

上記のブログの内容は、流風の反省によるもの。

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2008年3月18日 (火)

初任給を上げる愚

一部の大手の企業が初任給を上げている。これは優秀な人材を確保しようとしているからだろうか。しかし、日本全体としてみれば、愚かなことである。自社だけよければいいという感じと受け取れる。確かに、労働市場から、有利な条件で、若い優秀な人材を獲得したい気持ちはわかる。

だが、学卒の優秀の判断は、非常に難しい。特に画一的な成績優秀という判断は、将来、企業を駄目にすることもわかっている。官僚の世界はその典型だろう。大体、どんなに学校の成績がよくても、必ずしも企業で戦力になるとは限らない。そうであれば、いろんなタイプを採用する必要がある。

そうだとすれば、初任給の高さで、人材を釣る行為は、あまり意味がない。それにまた、どんな人材も、戦力になるには、最低3年間は必要だ。日本の初任給は、現在でも異常だと思う。むしろ、初任給は切り下げる必要があるのに、一部の企業の身勝手で、引き上げようとしている。

一般に、初任給の高い企業は、企業間で業績の差はあるものの、その後の昇給が低いと云われる。結局、給与の財源が限られるため、それ成果主義だ、年俸制だということになる(もちろん、結構稼いでいる企業もあるが、どこか、その稼ぎ方に問題がある場合が多い)。

普通よく言われるのは、顧客と直接接客する、サービス業や流通業は、初任給が高く、その後の昇給が低い。それは業界の経営体質によるものかもしれない。それに対して、製造業は、比較的初任給が低く、年々昇給が高くなる傾向がある。

そういうことを加味しても、一部大手企業の初任給を上げる行為は、独善的だろう。このような馬鹿げた行為をする企業が続かないことを願いたい。また学生の方々も、初任給で会社を選ばないよう注意して欲しい。

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2008年2月29日 (金)

休日思考が価値を生む

以前、確か、谷口正和氏が、「個人の需要や地球の需要は、休日から生じる」と語っておられた。どういう論理で、そういうことを言われたのかはうろ覚えだが、彼が言う、この休日が、私達が普通に考えている休日とは違っていたように思う。

彼の指摘していることは、私達は、普通働いていると、一般的に土日祝日(あるいは別途、日にちをずらして獲得した休日)を休日と考え、仕事日と分離して考えているが、これからの時代は、そういう区別は無駄と考えることかもしれない。

すなわち、仕事と休日の区別がつかなくなり、仕事日も、ある意味、休日であり、休日も、ある意味仕事日であるということだろうか。ただ、この考え方は、自営業であれば当たり前のことである。彼は、サラリーマンに対して警告を発していたのかもしれない。サラリーマンも、自営業の感覚を持てということだったのかもしれない。

仮に、組織の歯車であるとしても、常に仕事と一体化して考える。そうかと言って、かつて言われた猛烈サラリーマンとも異なる。仕事時間も自分の持ち時間と考え、その他の睡眠時間や自由時間と一緒にトータルで、時間設計をしていくのがいいのかもしれない。

もちろん、組織に所属すれば、実質、時間が拘束されるわけだが、それさえも楽しんでしまう考え方が求められている。そういう発想を許す企業からは、いろいろなアイデアが生み出され、組織が活性化され、事業に伸びていく。

人間の脳は、拘束すれば退化していく。分かり易く言えば、公務員・官僚の脳と同じ様になる。しかし、税金で生きている公務員・官僚はともかく、民間企業は、それでは存続できない。脳の不活性をなくし、企業価値を高めていくには、組織に所属する人々の休日の考え方を改めていくことが求められるかもしれない。

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2008年2月27日 (水)

ニーズの発掘とは

マーケティングには、ニーズの発掘が必要だが、サービス化社会では、顧客との接触での顕在的ニーズが重視される。顧客がして欲しいことを企業に明確に表すことによって、それを事業化することによって、ニーズを吸収することができる。

しかしながら、これで満足してしまうと、企業の更なる発展性は乏しい。顧客の表面的な要望に対応しているだけでは、企業業績をアップすることが難しい。しかしながら、最近の流通産業や食品産業の対応を見ていると、これはかなり遅れていると言わざるを得ない。

すなわち、教科書的に言えば、顧客の潜在ニーズの発掘が全くできていないのだ。いや、無視されていると言うべきか。顧客の感情的・表面的ニーズに誤魔化されると、その心の奥底に眠る潜在的ニーズに気づかない。

もちろん、顕在的ニーズに対応することが大事ではないとは言っていない。すなわち、顕在的ニーズを把握しながらも、潜在的ニーズを読み込む努力が必要と言っているのだ。確かに、顕在的ニーズに対応している方が楽で、確実だ。

だが、それだけでは、一歩先を行くことはできない。何も十歩先を行けとは言わない。それは少しの努力の追加で可能ではないか。それは確かに難しいと思われるかもしれない。

しかし、ある流通経営者は、潜在ニーズは仮説の検証によってなされると言っている。つまり、自分自身が顧客の立場になって、何を望んでいるか確認し、それを市場に試験的にあたって見るというのも一つの方法かもしれない。今一度、消費者の立場になって考えれば、案外、少しのリスクだけで、簡単かもしれない。

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2008年2月24日 (日)

忘己利他

忘己利他という言葉がある。普通は、自利他利というのが商売と考えられがちだが、まず自分のことは忘れて、他を利することを優先する考え方。これは、大丸の経営理念の「先義後利」(*注)と似ているかもしれない。

企業も自分中心主義に陥ると、顧客のことなど忘れ、自己の都合で、勝手に事業を営みやすい。各種偽装が起こった要因はそういうことだ。顧客のことを全面的に考えておれば、そういう発想は出てこない。安易に儲けようとするから、おかしくなる。

商売は、顧客をじっと見つめておれば、ヒントはいくらでもある。それを顧客とコミュニケーションしながら、ビジネス化していくのが、筋だ。もちろん、簡単に儲かるビジネスなど、一つも無い。だが顧客のことを考えて、事業を進めていけば、自然と食べる分ぐらいは稼げるものである。後は、どのように始末するかしないかの差で、大成するかどうかが決まる。

*注 先義後利とは

この言葉は、大丸の創業者が、『荀子』の「義を先にして、利を後にする者は栄える」から、取ったとされる。社会や顧客に貢献して、初めて信用が得られ、少しの利が残ると言う考え方。最近の企業は、利益幅を喧しく言うが、本来は、牛のよだれほどに利が薄く、長く継続する事業がよしとされた。問題を起こした企業は、この精神を見習って欲しいものだ。

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2008年2月23日 (土)

隣の芝生は青い

隣の芝生は青いと言うが、経営者が自社の経営に自信を持てなくなって、他業種に進出しようとすることがある。もちろん他業種は、自社より儲かると思うからだろう。しかし、自社内に専門家がいない限り、成功することは適わない。それぞれの分野で、専門的な知識なくして、その分野での成功は難しいのだ。

最近のM&Aの動きを見ても、自社の分野とかけ離れた分野で成功することは稀だ。あのタバコ会社にしてもそうだろう。買収すれば、数字上では成功すると錯覚するらしい。しかし、それぞれの分野で、それぞれの難しさはある。

もちろん、専門分野だから、成功するとも言えない。専門分野に捉われて、視野が狭くなれば、人はどうしても悲観的になりがちだ。大きく世界を見れば、自社の仕事は、いろいろな可能性があるはずだ。それを切り口を変えて、見直せば、新しいビジネスも可能だ。

しかし、経営者も当座の仕事に追われたり、資金が窮屈だと、考える余裕をなくし、そういう考え方への展開を考えられなくなるようだ。ということは、新しい分野への進出は、既存分野での展開が比較的うまく行っている間に、用意しておく必要があるということになる。経営とは、つくづく大変なものだ。

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2008年2月11日 (月)

息抜きしたつもりが

企業で、営業の仕事というのは、どうしても顧客の動きに合わせる必要がある。顧客がいない所に行っても、結局、無駄足になる。しかし、社内にいると、サボっていると見られてしまう。仕方なく、出かけるのだが、どんなに準備しても、空き時間が出る。

そういった時、営業マンは、息抜きをする。一番多いのは、喫茶店だろうか。癒しのサウナという人もいる。車の中で一眠りという人もいるだろう。パチンコ屋という不良営業マンもいるらしい。そんなでは、息抜きにならないだろう。気分転換で真剣なってしまったらどうするのかな。

まあ、こんな営業マンも過去のことになりつつあるかもしれない。GPSを持たされて、位置確認までされては、変なところをうろつけない。ただ営業マンは、活動時間が不定期になりがちだ。あまりフルに働くと、身体がもたない事を管理者はご存じないのだろう。管理者の立場からすると、時間効率が優先するが、フルに働いたから成果が出るとは限らないのが営業だ。

基本的には顧客ターゲットを絞り、独特の切り口で市場を切り開いた者が成果を上げる。そういうことからすると、一見、無駄な会話や行動が、プラスになることもある。もちろん、ある程度、体系的な情報の収集の仕方が求められるのは言うまでもないが。いろんな情報の積み重ねと新鮮な切り口で、どう料理するかが成果に大きく影響する。

だから、GPSで、単に行動管理をしたところで、成果が保証されているわけでもない。かえって逆の結果が待っているかもしれない。それゆえ、営業現場を知らない管理者による営業管理の仕事は難しいと言われる所以だ。

さて、落語にも、『百年目』というものがある。大きな商家の番頭が内緒で、花見に出かけ、ドンちゃん騒ぎしているところで、主人に出くわし、青くなって家に戻る話だ。まあ、落語に限らず、ありうることだ。ちょっと休憩したつもりが、上司に見つかり気まずい雰囲気になることもある。

ただ、この落語の題名は、番頭が現地で主人に会い、言い訳するのに「どうも久しくご無沙汰を」を言ったのを、家に帰って主人に咎められ、「実は、お目にかかったのは百年目に存じましたので」とオチ。すなわち、「見つけられたが百年目」という言葉をもじっているのだ。

流風に、せいぜい車の中で、居眠りぐらいで、あまり、そのような経験はないが、先輩豪傑営業マンは、いろいろあったようだ。でも、成果を上げられていると、管理者も文句の言いようがない。営業は数字だ。しかし、レベルの低い営業マンが、そういう風聞を聞いて真似して失敗したのも聞いたことがある。息抜きも、営業レベルに合わせて、ほどぼどにということだろう。

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2008年2月 3日 (日)

食品産業・飲食産業の経営のあり方

食品産業や食業がいろいろ問題を起こしていて、またかという感じを通り越して、あきれ返る。同じ様なテーマで、以前にも記しているので、流風も、重ねて書き込みたくないのだが、やはり生命に関わることは無視できない。以下、ぐだぐだともう一度書いてみる。

まず、その一

ずっと前の報道では、ミートホープの従業員は、自社の生産現場を見ているので、自社商品を食べないと言っていた。正直こんな情けない企業はない。いくら生き残るためとはいえ、度を越している。倫理のかけらもない経営者だったのだろう。

いくら流通業者から要望されたとはいえ、おかしな物を作るのに、抵抗はなかったのだろうか。この経営者に、経営倫理というものはなかったのだろうか。

その二

船場吉兆に見られるように、ワンマン体質の経営は、うまく行っている時はいいが、歯車が狂うと、破綻しやすい。経営者が従業員の言うことに耳を貸さなくなる時は、その会社が危機に直面しているということ。サービス業同様、顧客をトップに見立てる組織経営をしないと、食品産業の経営は難しい。

その三

その経営体質は、国で決められたことを守っていないようだ。例えば、マクド(マック)の店長に残業代が払われていないらしい。見せ掛けの管理職で扱いで、残業代を支払わないというのは、悪い。

大体、従業員の給与を削って、利益を上げようという魂胆が、情けない。それにマクドは上場企業だ。社会的責任は重い。ついに裁判所から、不法を指摘されている。しかし、全国展開している飲食チェーン店は、似たり寄ったりの経営をしているのではないか。マクドは氷山の一角だろう。ビジネス・モデルそのものを見直す必要があるだろう。

これらの店を利用している方も多いとは思うが、このような会社は、結局、所得の低い人たちを生み出し、社会不安の要因になりうる。一生懸命に働いた人が報われる社会にしないといけない。そのために消費者は何をなすべきか。

その四

売れ残りの餡を再利用した赤福餅や消費期限切れの商品を売った船場吉兆。しかし、現実は、事件になっていないだけで、この業界は、不正で覆われているように感じる。そういう業界体質と言って差し支えないだろう。それは中小の業者が多く、生ものを扱うということで、行政が甘かったからだ。

生鮮食料品を材料として扱う業界は、経営が大変なことはわかる。特に飲食業は、誰でもできそうで、これほど難しい経営はない。経営に芸術的センスが求められる。さらに、生ものを扱うということで、品質管理は、大変だ。だが、単価が比較的小さく、品質管理費用を賄うことがやりにくい。それで、ファストフードのような量産思考になるのだろうが、今回のような事件があると、限界があることがわかる。

一体、これらの業界はどうすればいいのだろうか。

それなら、結局、それに合致した経営をする必要がある。それでは、これらのビジネスがどのようにあるべきかというと、基本的に、ビジネスモデルをスモール・ビジネスにして、作りたてを、「売り切れ御免」という営業方針にするのが望ましい。

確かに、そのようにすると、「売り逃がす」ということが生じるが、なま物を扱う限り、止むを得ない。機会損失は、仕方ないのだ。だから、今のままでは、ファストフードのような西洋風の経営は馴染まない。利益の極大を求めるのは無理があるのだ。つまり、ベストよりベターが、求められる経営姿勢だろう。

もちろん、経営管理専門の持株会社を作って、全国の様々な業態の地域飲食店を経営統括する方法はあるかもしれない。つまり、「地域飲食店経営自治」というべきものを認め、持株会社は、地域に不足しがちな情報やネット構築でバックアップするというものである。

しかし、これさえも、行き過ぎた管理は、地域飲食店の経営を歪めることになる。あくまで持株会社は後方部隊という認識が必要だ。基本はスモール・ビジネスに徹することが望まれる。

以上のことから、全国画一的展開の店の食べ物を食べるなとは言わないが、このような現在の経営システムのまま放置すれば、いずれ、消費者自らの身に降りかかることでもある。

今も問題になっている中国産の冷凍食品を使っている外食産業や中食産業も、品質よりコストにのみ関心があるのだろう。安すぎる食べ物を供給する事業者に対しては、その経営姿勢に対しても、一応疑念を持つ必要がある。

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2008年1月23日 (水)

アドバイスの仕方あれこれ

今年も四月になれば、各地で新入社員が溢れることだろう。新しい気持ちで頑張ってもらいたいものだ。

さて、新入社員の頃は、仕事を覚えるのに必死で、仕事本来の厳しさはまだ理解していない。しかし、新入社員も数年もすれば、仕事に慣れてきて、仕事の難しさも徐々にわかってくる。辛いことも増えてくる。先輩や上司からの怒鳴り声も聞こえてくる。

そうなると、仕事は、辛い、辛いとなる。流風もそういう時期があった。いくら努力しても、壁にぶち当たる。いつも難しい顔をしていたそうだ。

そうすると、ある先輩(直接の上司ではない)から、「仕事は楽しんでやらなければならない。君の人生の中で、仕事をする時間はかなり占めるので、それを辛い、辛いとやっていては、余計に辛くなる。それなら、楽しんで仕事をしてはどうか」と。

このアドバイスで、流風は肩の力が抜けて、気分的に楽になったと思う。気持ちの持ち方が変わったせいか、仕事がスムーズに運ぶようになり、仕事に対する自信もついた。それから、結構忙しく働いていたように思う。

数年して、同じ先輩と再会し、「仕事の方はどうか」と聞かれ、「ええ、先輩のアドバイス通り、楽しくやっています」と答えた。そうすると、その先輩から、「アホッ、楽しくやっている内は、お前は、仕事の厳しさがまだわかっていない」と怒鳴られた。

流風は、狐につままれたような気分で、立ちすくしていると、先輩は、すっと立ち去っていった。この人生の師といってもよい、この先輩は、残念ながら、若くして逝ってしまわれた。

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2008年1月14日 (月)

つぶしが利く

流風は、寿司飯を時々作るが、これは重宝なものだ。家庭で、寿司飯があれば、後に足すもので、いろんな種類の寿司をつくることができる。普通のにぎり寿司はもちろん、ちらし寿司、いなり寿司、箱寿司(押し寿司)もできる。特に、ちらし寿司の混ぜ物は、その時々で、いろいろ工夫することで、バリーエーション豊かな寿司ができる。手抜きの割には、人々に喜ばれ、そういう意味では、鍋物と似ている。

それと同様に、人材もそう言うことができる。企業には、確かに専門家といわれる人々が必要だが、つぶしが利いて、人材が転用できることが、企業経営にとっては望ましい。もちろん、一定の専門家は専門家で通す必要があるが、それ以外は、様々な職種を通じて、レベルが上がっていく。日本の企業は、かつて、ローテーション人事でそのようにしてきた。

しかし、最近の若い人の中には、職種を選び、入社後、職種転換を拒否する人がいるらしい。それは実にもったいないことだ。仮に技術職であっても、営業職を経験することは、人生においては、価値があることだし、仕事上においても、必ずプラスになることだ。

あまり自分の能力を狭い範囲で見ないことが求められる。自分の潜在能力というのは、意外なところで発揮されるというのが、過去の事例で多く見られるのだ。いろんな仕事を社内で経験できることは、いわば、企業からのプレゼントだと思えばいい。転職して、仕事を変わるよりリスクははるかに小さい。あまり自分自身を固定的に考えないほうがいいと思う。もちろん、人材も、ベースとなる寿司飯程度の能力は最低限度求められるが。

*参考 寿司飯の作り方をご存じない方へ

3人分ぐらいだったら、二合のお米をいつもより少な目の水で炊いて、桶に取り出し、お酢大さじ3、砂糖大さじ1、塩小さじ1をよく混ぜた物を、御飯を冷ましながら、混ぜ合わせていくと寿司飯ができる。砂糖と塩は、好みで、若干少なめにした方がいいかもしれない。

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2008年1月11日 (金)

松下が消える

戦後、バブルの頃から、企業が積極的に企業名を変更し、カタカナにする例が目立った。それ以前は、会社名を聞くと、何をやっている会社か、わかったものだが、現在は、わかりにくい会社が多い。社名だけでは、ピンとこないことが多い。

それほど、企業の事業内容が多様化し、社名で語れなくなったということなのだろう。ある意味、何をやっているかわからないという、ぼやけたイメージは免れない。仕事が分散しすぎて、本来の力を発揮していない企業群も多い。経営者は、常に大きくしなければならないという恐怖感に襲われているのだろう。

ただ、グループ企業トータルで見れば、規模は大きくなっているのであろうが、無駄な贅肉の多い組織になっている場合も多い。もちろん、情報化によって、スリムになったと主張する経営者もいるだろうが、人材も含めて経営の質という面では、落ちている企業がほとんどだろう。

しかしながら、縁起をかついだのか、えべっさんの日に、関西の老舗大手総合電機の松下電器産業も、ついに、社名とブランドを「パナソニック」とすると発表した。

ブランドを、いろんな理由から、国内は「ナショナル」、海外は「パナソニック」として、国内と海外を名前を便宜的に使い分けていたが、最早、そういう時代でないと、トップが判断したのだろう。この企業の場合、ブランドを統一したことは評価できる。

しかしながら、社名として、「パナソニック」が適当かは、微妙である。関西在住の人間としては、何か寂しい感じがするのは、流風だけではないだろう。松下幸之助氏の影響は、この企業グループと関係なくても、皆多かれ少なかれ、影響を受けている。会社がなくなるわけではないのに、あの「松下」がなくなるのかという感じを受ける。

「トヨタ(トヨタ自動車)」や「ホンダ(本田技研工業)のように、「マツシタ」では、駄目だったのだろうか。

ただ、企業は、社会的存在であり、個人の名前を企業名に冠すのは、よくないという意見もある。かつて、本田宗一郎氏が、仕事では悔いがないが、社名を「本田技研工業」と「本田」の名前を冠したのは、誤りだったと、何かで語ったおられた。

しかし、確かに、理想としては、そうであっても、日本のアイデンティティーを残すためには、間違いではないと思う。本田宗一郎氏は考えすぎだろう。

「松下」の名前が消え、いずれ忘れられる存在となり、普通の企業になってしまうのは、本当に残念だ。経営者は大英断を下したつもりだろうが、決していいようには作用しないだろう。松下幸之助は、あの世で、どう思っているのだろう。

*2008年10月追記

2008年10月、「松下」は「パナソニック」と社名を変えた。しかし、この名前は変な感じだ。「パナ」という名前と「ソニー」が一緒になったイメージだ。ソニーの関連会社と捉えられてもおかしくない。

それに、多分、外部からは、「パナソニック」とフルネームで呼ばないだろうし、「パナ」さんとかと業者に呼ばれるんだろうな。それなら、思い切って、「パナ」にすれば良かったんだと思う。

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2008年1月 5日 (土)

人材の種類

寝起きの悪い人がいる。そういう流風も、子供時代、今年の冬のように寒い時期には、母から、「もう起きなさい」と言われても、ぐずぐずしていたものだ。そして、痺れを切らした母に布団をめくられて、無理やり起された。それでも、布団にしがみつき、抵抗したことを思い出す。

話は変わるが、企業の人材でも、いろんなのがいる。一番いいのは、主体性があり、上司や先輩から、言われる前に、すでに行動の準備ができている人材である。自己管理できる人とも言える。脳に常に刺激を与えながら、社内外に興味の範囲を広げているのだろう。そういう人材には、ずっといて欲しい。

だが、多くは、いてもいなくてもいい人材だ。中途半端な人材とも言える。ただし、ちょっとしたきっかけで、これらの人々は、よくなる可能性もあり、悪くなる可能性がある。しかしながら、企業の中に、どっぷりと浸かってしまうと、脳が退化する可能性がある。そうなれば、企業にとっては、お荷物だ。

最悪なのは、人から指示がないと動けない人だ。もちろん、最初から主体性をもって動けとは言わない。しかし、何も考えず、流されるままに続けていくと、人間の脳は退化していく。そういう人材には、早く去ってもらいたいものだ。

ということで、自分を活かすためにも、“早寝早起きの人材”を目指したいものである。

*追記

普通の人を対象にした考え方である。上記で記していない最悪な人材は、企業に毒をもたらす人材である。こういった人は、犯罪を犯す悪とは異なる。犯罪は論外。間違った努力で、企業風土を乱す人たちがいる。それは決して悪意から出た行動でないだけに、性質が悪い。

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2007年12月22日 (土)

大手スーパーの価格凍結を考える

大手スーパーが、対象品目は限られるが、価格凍結を続行するらしい。さらに商品によっては、更に値下げするらしい。どういう品目かわからないが、基本的にスーパーのプライベート商品だろう。値下げのためには、業者の入れ替えもするらしい。大手メーカーがナショナルブランド商品の価格のアップをスーパーに要請しているのに対抗しての処置らしい。

一般に、消費者には歓迎されるかもしれない。しかし、ちょっと変だ。どこで作ろうと、原材料はアップしているはずだ。それを上げないというのは、どこかに無理がある。そこで、一つ、二つ少し考えてみた。

① 原材料は上がっているはずなのに、製品価格がアップされないということは、どこで、そのコストを吸収しているのか。

そもそも、プライベート商品は、スーパーが、工場を持たないメーカーの位置づけを狙っているのだろう。中間マージンをカットすることで、仕入れコストを下げられると考えているのだろう。流通を整理するのはわかるが、その分、下請工場には、コスト負担が増えてくる。その辺をどう考えているのか。

そして、スーパーのプライベート商品の下請けは、一般に中小企業と考えられる。一般に、中小企業の原材料コストは、ナショナルブランドメーカーより、高くついているはずだ。スーパーが、原材料を斡旋するにしても、若干割高だろう。製造コストについても、ナショナルブランドメーカーより高くついているはずだ。但し、管理コストは、ブランドメーカーより安いかもしれない。

そうなると、コストを削れるのは、人件費か、利益だろう。しかし、トータルでは、そんなに安くはできないだろう。となると、全てとは言わないが、手抜きしなければ、中小業者は生き残れないだろう。そんな状況で、良質な商品が提供できるだろうか。スーパーがものづくりをわかっているとはとても思えない。

② 業者を入れ替えて、利益率をアップするのはいいことか。

また、プライベート商品の価格を更に下げるということも、気にかかる。ただ、それだけでなく、仕入れの価格をカットするため、仕入れ業者も入れ替えるという。しかし、そんなことをすれば、ますます商品品質は劣化していくだろう。

仕入れ業者が疲弊すれば、長期的に見て、プライベート商品は成り立たない。どうも目先だけの営業政策のように見える。

①、②を総合して考えると、スーパーのプライベートブランドを作っている中小業者は、まともに対応しておれば、間違いなく、体力を落としていく。スーパーは、多分、仕入れ業者を共に成長する企業体とは見ていないのだろう。

仕入れ業者や従業員にも家族がある。彼らは消費者でもある。その消費者の所得が落ちれば、国内景気は悪化する。本来、流通業の役割は何なのか。

流通業者の役割は、一般消費者の意向を確認しながら、納入業者の意向も確認して、トータル的に、自社も含めて、全ての人々にメリットがあるように調整していくのが仕事ではないのか。

大手スーパーの価格凍結は、いずれ破綻するだろう。そして、それは大手スーパーさえも蝕み、消費者に見放されるだろう。今一度、共存共栄の精神を取り戻すべきだろう。そして、本来の流通業の役割に徹するべきだろう。

*追記

ちなみに、流風は、スーパーのプライベート商品の位置づけを変えるべきだと思っている。

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2007年12月 6日 (木)

自己評価の難しさ

自分自身を知ることは、なかなか難しい。だから自己評価というのは、なかなかできない。企業においても、自己評価制度なるものを主たる評価制度としている所もあるが、その運用は難がある。

流風の経験でも、会社員時代、自己評価制度があった。ほとんどの人間は、自己を控えめに評価して、厳しい評価を下していたが、明らかに能力の劣る人間が、高い評価をして、それが自動的に認められた時は、多くのブーイングがあった。

もちろん、一部の過大評価した人たちに問題があることは事実だが、自己を過小評価した多くの人間にも問題はある。基本的に、自己評価制度自体を過大評価した会社自体に問題があったという皮肉な結果になった。

自分自身については、よくわかっているようで、その実、わからない。本来、評価というものは、相対的なものだ。それを自分自身で評価すると、どうしても、正確さが欠ける。比較対象が異なれば、その評価は異なってくる。自分より高い人と比べれば、低くなるし、自分より低い人と比較すれば高くなる。

そういうことで、結局、会社では、自己評価も取り入れながら、第三者評価、関連部署評価、結果評価などの総合評価に落ち着いた。だが、これも曲者で、これだと、皆、同じ様な評価になり、区別できなくなる。そういうことで、成果配分も曖昧になった。

ただ、はっきりしたことがある。会社は儲からないと、誰もたくさん分け前をもらえないということだ。これは自然界と同じことだろう。もし会社が、そういうことを知らしめることを狙っていたとすれば、深謀遠慮だが。

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2007年11月23日 (金)

国産野菜の安定的利用

昨今の食品偽装事件を見ると、日本の食材でも危ないのかな、とも思う。しかし、海外の食材は、さらに信用できない。だが、残念なことに、多くの食材に、海外の農畜産物が使われている。食糧自給率が下がるはずだ。

先日も、あるスーパーで、納豆の豆の原産地を見ると、中国、アメリカ、カナダなどが多く、日本産を使っているのは、一種類だけだった。なぜそうなったのか。

業者は、消費者が安い物を求めるからだと言う。しかし、ちょっと待て。何も海外産の農畜産物を使ってくれとは頼んだ覚えはない。結局、流通業者の思惑のままに、海外の農畜産物を使っているのだろう。つまり安くして、大量に売り、利益を上げる経営パターンが見えてくる。

もちろん、安い物を求める消費者もいるだろう。だが、品質に問題があれば、安くても購入しないだろう。また、買えないほど高かったら、購買を諦めるだけだ。業者の、売らんかな、という考えが優先しているのだろう。消費者は、いいものを提供して欲しいのだ。そこに業者と消費者の思惑の差がある。

ということで、農林水産省が、やっと重い腰を上げて、国産野菜利用の促進を始めるようだ。産地と外食業者・流通業者が連携して、国産野菜利用を促すらしい。現在、外食産業には、不信感が募っている。適切な対応が求められる。

どちらかというと、世間の流れから、遅れている外食業界だが、このことに真剣に取り組めば、より付加価値の高い経営を可能にするかもしれない。もちろん、外食の多様性から、全てが、そのようにならないかもしれない。

しかし、消費者は、原材料を選択できない現在の外食産業である限り、業績の不振は続くだろう。業界は姿勢を正すチャンスだと思う。と同時に、国内野菜生産者は、これまで以上に品質管理を徹底すべきだろう。

*追記

健康に害のある安い物を提供して、成果を上げても、いずれ反動が来る。外食産業は、そのような業者の後追いは避けるべきだろう。

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2007年11月 4日 (日)

上司と部下

あらゆる組織で、上司と部下の関係は微妙だ。そういうことをうまく行かせるためには、相互の努力が求められる。ある戦国武将も次のように言っている。

  人をつかふに、二人こらへ候者あれば、譜第の者を召仕れ候也。

  其故は先内之者届ざる事を主人こらへ候。

  又主人に対し述懐を内之者こらへ候。

  之の如くお互いにこらへぬ候へば、子飼のもの余多出来、大事之時用に立候。

 これを現代的に、解釈すると、まず、「人をつかふに、二人こらへ候者あれば、譜第の者を召仕れ候也」は、人を使うには、必ず、上司も部下の両方の辛抱が求められる。だから、それを可能にするためには、お互いを知った関係が求められ、内部で育成した人材が前提条件になる。他社から中途で招いた社員では、そういう関係を築くことは難しい。

次に、「其故は先内之者届ざる事を主人こらへ候」は、その訳は、まず上司が、部下が自分の満足いくように行動してくれないことを辛抱し、鍛え育てていく気持ちが大切だ。何もかも、初めから、自分の思い通りにはいかない。そこには、多くのコミュニケーションによる相互理解の基があって、初めて可能なのだ。

「又主人に対し述懐を内之者こらへ候」は、また部下は上司に対して、常に不満を持って辛抱しているものだ。そういうことを上司になる人は、わかっていて欲しい。そして、常に部下を観察しながら、不満の原因を知ることが相互理解につながる。

最後の、「之の如くお互いにこらへぬ候へば、子飼のもの余多出来、大事之時用に立候」は、このようにお互いに辛抱していけば、子飼の企業人が育ち、いざという時に役立つのだ。そうでない者は、いざという困難な時には、逃げ出し、なかなか役立ちが難しいものだ。厳しい企業環境の時に、頑張ってくれるのは苦労を共にした古参の社員であるということだろう。

* 注記

ある戦国武将とは、朝倉宗滴のことである。

*今問題になっている、派遣や請負では、企業に対する忠誠心はなかなか養われない。やはり企業は正社員の育成に時間がかかっても注力すべきだろう。

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2007年10月28日 (日)

食品ビジネスの課題

多くの食素材にしろ、それらを加工した中間物にしろ、それを最終加工して消費者に提供するにしろ、その扱うものからして、規模の経済が働きにくいということが言える。

食品業界の多くの不正が明らかになっているが、これは単に経営倫理だけの問題ではない。そもそも生鮮食品を材料にした商材に限界があることを、経営者がわかっていないことからくる不正だといえる。

もちろん、戦後のモノのない時代であれば、問題にならなかったことが、現在では問題になるのは、モノが有り余っていることもあるし、人々の安全・安心志向が強くなっていることもある。そういうことが、更に経営の圧迫要因になっているのは事実だ。

その一方で、冷凍技術が格段に進歩している。すなわち、冷凍技術が、食品業界の規模の経済を可能にしている。現実、外食産業では、セントラルキッチンで加工したものを冷凍して、店に配達して、それを解凍して、使っている店も多いことだろう。

ただ、業界は冷凍が常識であっても、消費者は、そういうことを知らされていなくて、知っていないということだろう。しかし、冷凍が一概に悪いとも言えない。それは消費者が何を優先しているかによって決められる。安さと提供スピードなのか、高くても新鮮な材料を加工した出来立ての商品なのか。どちらがよいとも悪いも言えない。

ところが、食品産業や外食産業が使っている素材や品質は、消費者はチェックできない。そういう意味では、消費者は味と価格だけしか判断材料がない。食品産業、外食産業(中食産業)の素材も含めた品質基準を明確にする時期に来ているのだろう。いろんなことを不明にするから、不信感が高まるのだ。

それであれば、情報をオープンにすればいいのだ。後の価値判断は消費者がする。経営者は、それに対応する経営をすればいいのだ。よって関係官庁は、消費者保護のために、新しい時代に相応しい品質技術基準や法律を整備して、経営者をバックアップすべきだろう。そして、経営者は、現在の市場に相応しい経営形態を検討すべきだろう。

* 追記

なお食品業界の不正については、この業界の品質に対する甘い体質に加えて、指導官庁の時代に変化対応できない時代遅れの指導方法にも問題がある。例えば、経済産業省が指導官庁であれば、こんなに大きく問題にならなかったと想像できる。

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2007年10月 2日 (火)

あるドラマの視聴率

あるドラマの視聴率が比較的高かったらしい。それは先日終了したNHK放送の『どんど晴れ』だ。関東で19.4%、関西で15.7%だったらしい。NHKに対して比較的批判的な流風も、実家で度々目にした。

地方の老舗旅館の話で、若女将になるヒロインを中心とした話である。若干漫画的だが、最近のいろいろな問題も含まれていて、考えさせられる内容だった。

取り上げられた内容を流風の独断で見ると、次のようになる。

  一、地域の課題

  二、地方の老舗旅館の多くの課題

  三、旅館経営とホテル経営の違い

  四、サービスとおもてなしの違い

  五、国際化競争の中での日本旅館の位置づけ

  六、忍び寄る国際資本によるM&A

  七、地域に根ざす経営と経営改革

  八、家族経営と家族の葛藤

  九、人の和の大切さ

  十、顧客満足経営と従業員満足

  十一、笑顔がつなぐ人間関係

  十二、リーダーの人間力とプラス思考

  十三、リーダーとマネジメント

以上のように思われた。しかし、このドラマの終わり方は、やや漫画的。現実には、ありえないと感じられた。まあ、そこはドラマだから許されるか。全体としては、いろいろな問題提起が含まれており、なかなか面白かったドラマと言える。45分単位で編集した再放送を期待したい。

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2007年9月26日 (水)

ゴキブリ対策商品

母は、ゴキブリ対策として、「ゴキブリ●●●●」などをよく使っていたが、あれは匂いでゴキブリを集めるものだから、流風は好まない。何だか、他家のゴキブリまで集めるような気がするからだ。あれを設置すると、確実にゴキブリに遭遇する機会が増えていると感じるのは思い過ごしか。

だから、ゴキブリ対策は、基本的にゴキブリ忌避商品でなければ思っている。先日、ゴキブリ忌避鋼板が開発されたと記事に載っていた。やっとそういう商品が現れたか。犬・猫や蚊対策などは、そのような商品があるのに、ゴキブリにはないのが不思議に思っていた。

ただ、想定利用は、食器洗い機、冷蔵庫、電子レンジ、自動販売機のようだ。しかし、これだと、確かに、これらの機器には、ゴキブリは集まらないかもしれないが、その他の所に、ゴキブリが集まることになるだろう。

ゴキブリは、水周りから発生して、周辺に拡がっていく。つまり、水を使う、システムキッチン、風呂、トイレ、洗面台に対して、ゴキブリ忌避商品がまず求められることになる。まず、そういった商品を開発してもらいたいものだ。

*追記

ドラ猫忌避商品も、もっと効果のあるものを開発して欲しい。彼らのもたらす糞尿は本当に困ったものだ。地区によっては、放し飼いの猫は駆除されている。飼い主のマナーも徹底することが求められる。しかし、ゴキブリは、生活主が清潔を保つ以外に方法はなさそうだ。

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2007年9月25日 (火)

商売の志

商売を始める理由は色々あるだろうが、一般にビジネスになりそうだから始めたり、食わんがために始めたり、面白そうだから始めたり、きっかけはそれぞれだろう。

最初は、それなりに頑張るから、それなりの成果はあがりやすい。しかし、人を雇うことになる頃から、経営という難しさにぶつかる。雇う人も親兄弟など身内のうちは、各種問題を抱えても、なあなあで済んでしまう。

しかし、他人が入ってくると、様子は一変する。それなりにコミュニケーションがそれまでより難しくなる。それも10人ぐらいなら、まだ目も届く。しかし、20人以上になってくると、トップの目だけでは不十分で、別の管理者が必要になってくる。

そのころから、意思の疎通が怪しくなってくる。それが組織というものだ。そこで必要になるのが、その企業の事業意志だ。何をして社会に貢献しようとしているのか明確に、構成人員に浸透させる必要が出てくる。

商売の要諦はいろいろあるが、志・行・智という人もいる。うまい言い方だと思う。その中でまず志は大事だ。大きくなった企業は、皆、この企業の志は何か、と原点に戻った所がほとんどだ。もちろん、企業を大きくすることだけが正しいとは言えないが。

また名目的に、志を掲げる企業があるが、そんな底の浅いことでは、人々を導けないのは明白だ。経営者が迫真の思いを伝えて、人々の魂に触れる時、人々をやる気にさせる。形だけの志には何の意味もない。

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2007年9月13日 (木)

理髪店主のおしゃべり

比較的、散髪に行く流風は、静かな店に行く。子供の頃、通っていた理髪店は、店主がにぎやかでおしゃべりだった。そして、どこを刈っているのか、時間が異常に長かった。色々話しかけられて、子供心にうるさいなあ、と思いつつ、楽しんでいた面はある。

しかし、大人になるにつれ、このおしゃべりが無駄口に聞こえてきた。個人的なことを聞きすぎるし、そのことにいちいち応えるのも、うざい。それに、おしゃべりが多いと、手が止まっているし、おしゃべりが過ぎるところは、技術がイマイチという感じなのだ。

だから、最近は、作業を淡々とやってくれる理髪店を選んでいる。作業時間も短くて済むし、出来上がりも満足だ。また美容室も試してみたが、髭剃りをやってもらえないし、できあがりが、どうも、もっちゃりして利用は控えている。髪型は流行もあるのだろうが、どうも彼らの髪デザインは気に入らない。

話を戻すが、人間は、器用そうに見える人も、案外不器用。多くのことを同時には行えない。ということは、はっきり、どちらを優先するかで、理髪店を選ぶべきなのかもしれない。

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2007年9月10日 (月)

タクシー会社の選び方

母は度々タクシー会社を変えていた。なかなか満足できる会社がなかったそうだ。彼女の視点で、タクシー会社のサービスの問題点を挙げると次のようになる。

一、言葉遣いがなっていない。客を遠ざけるのがわかっていない。

二、行き先を言っても、確認の返事がない。本当に目的地に着くのか心配。

三、行き先を客に確認しないとわからないほど、地理に疎い。何の教育もされていない素人運転手。

四、長距離だと喜ぶが、近くだと不愉快そうにする。

五、客をなめて、わざわざ遠回りして、過大な請求をする。

六、運転が下手。乗り心地が悪い。悪路でも揺れないように運転するのがプロのはず。

七、車の運転が荒っぽい。ヒヤヒヤ運転で、心臓にも悪い。

八、運行中の態度が悪い。顧客サービスを理解しているのだろうか。

九、煙草の匂いがする。匂いがこもって気持ち悪い。

十、降車時、こちらが「有難う」と言っているのに、何も言わずにお金を受け取る。つっけんどんにお釣りを渡す。

大体、以上のようであった。そして、少しいい運転手が見つかっても、同じタクシー会社でも違う運転手だと、違う対応をされるので、タクシー会社を決めかねていたようだ。タクシー会社も経営が大変なようだが、もっと足元を見つめるべきだろう。

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2007年9月 8日 (土)

怠け者マーケティング

この世は、怠け者だらけと言ったのは、確か小林一三だっけ。よって、怠け者を探し出せば、ビジネスになると考えたのは卓見だ。この考え方は、現在のように、ますますサービス化する社会でも、十分に通用する。

マーケティングに苦労されている方は、一三の考え方を見習うべきかも知れない。そういうと、流風も含めて、怠け者は増えているように感じる。そして、怠け者を増やす販売促進が増えていることも影響しているのだろう。

ただ怠け者マーケティングで注意しなければならないのは、そんなに先をいく必要はないということだろう。世間の意識より、半歩か一歩先んじれば、成功すると一三は言っている。

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2007年9月 2日 (日)

身代を保つ

最近は、あまり使われない言葉で、「身代」と言う言葉がある。江戸時代には、よく使われた言葉らしい。近松あたりの作品にも見られる。

「身代」とは、商売上の資産というか、家の財産という意味のようだ。商売を引き継げば、先代より資産を大きくするよう云われたものだ。しかし、現実は、増やすより維持するのもなかなか難しい。

ただ現在は、サラリーマンが大勢を占めてしまって、自営業が減っているので、「身代」という意識は低いかもしれない。

ところで、新たに仕事を起すのも大変だが、引き継いだビジネスを拡大していくのも大変だ。先人は、それをするためには、倹約、貯蓄、商売熱心と説いた。

まず、倹約だが、節約と混同しがちだが、節約は単に費用を切り詰めるだけだが、倹約は、節約して、浪費しないという意味が加わる。ただ単に節約するだけでなく、なすべきことをなして、欠かさないようにすることを意味する。費用対効果が問われているのだ。また吝嗇(りんしょく)とも違う。これはなすべきことをなさず、単にお金を惜しむことを指す。それでは、商売はできない。

次に、貯蓄だが、利益の一割を貯蓄に回せと言っている。一割といえば、簡単にできそうだが、そういう意識が最初にないと、貯蓄はなかなかできない。倹約は利益を残す手段だけど、貯蓄は、次の段階への備えだ。しかし、それ以上に貯蓄に励んだところで、目的が不明確であれば、あまり意味がない。

最後に、商売熱心とは、本業に専心することとある。人間、少し辛い状況に追い込まれると、他のビジネスが美味しそうに見えるが、それほどビジネスは簡単ではない。やはり勝手知ったビジネスを掘り起こし続けることは、身代を保つことにつながると説く。

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2007年7月28日 (土)

常識訓

常識というのは、わかりやすいようでわかりにくい。ある人が常識であると思っても、違う人には常識が通用しない場合もある。地域や国が違えば、よりその度合いは強い。

そして現代のように社会規範が揺れている時代には、世代が違うと、その常識はなかなか理解されない場合もある。

それでも、ある程度の共通する常識が存在するだろう。特に、その中で、金がなるようにする常識は世界で共通するものかもしれない。

例えば、次のようなものがある。

 * よろず程よき *   正直 *   慈悲深き *   朝起き *   潔き *   辛抱強き *   油断なき *   稼ぎ *   費えなき *   養生よき *   家内睦まじき

前の三つは徳川家康が、その後の残りは細川幽斎が言ったものとされる。事実かどうかわからない。多分、彼らの生き方から、後世の者が、そのように例えたのだろう。

これらの末尾の「き」を「木」に喩え、絵にしたものもあるらしい。徳川家康の言を幹に、細川幽斎の言を枝にしているようだ。なるほど、そのように見ると、現代の経営に通ずるものがある。

このような言葉遊びにして、子供たちに伝えていくのも、一つの方法かもしれない。でも、それ以上に、経営者には、結構、警句にはなっている。目の見えるところに飾っておくのもいいかもしれない。

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2007年7月26日 (木)

折檻と改革

折檻というと、児童虐待の代名詞のように使われるが、これほど違う意味に使われる日本語も少ない。ご存知の方はご存知だろうが、一般には知られていないように感じる。

この言葉の出典は、『十八史略』とか『漢書』であるが、その意味は次のようである。時は、前漢、成帝の頃、外戚が勢力を得て、蔓延った。外戚関係が専横するのは、歴史的に日本も中国も変わらない。そこで、いろんな所から彼らの専横を批判する上申書が提出される。

帝の師である張禹という学者がいた。彼はいい加減な御用学者だった。御用学者という者はいつの時代もいい加減だ。帝が彼に相談すると、「そんなもの、ほっておけば宜しいのです」と答える。そこで、彼の言う通り放置した。

しかし、知事の朱雲という骨のある人物が、王に思い切って諫言する。かの不埒な学者を見せしめに殺たいと言う。王は、知事の分際でと、怒り、朱雲の首を刎ねよと命じる。命令を受けた御史は御殿から彼を引き摺り下ろそうとするが、檻(手すりのこと)に必死につかまり、なおも叫び続ける。

御史も必死だが、朱雲も必死。ついに檻が壊れ、二人とも地に落ちる。それを見ていた、ある将軍が朱雲の態度に感銘を覚え、朱雲を誅することを頭を地に叩きつけるほどにして、王に諌める。

そこで、やっと王も二人の心に正気に戻り、機嫌を直して反省する。その後、その檻は直諌のしるしとして、直されることはなく、王の在任中はそのままにされたという。しかし、そんなことは何の効果もなく、その後、外戚の専横はなくなるどころか、ますますひどくなり、前漢は滅びていく。

このように組織が腐ってしまえば、手の打ちようがない。腐った組織を一旦潰して、新しい組織を作り直した方がロスが少ない。つまり、ある段階まで組織が腐ってしまうと、改革は難しい。

果たして、トップも含めて、折檻が必要なほどの組織になっていないか、経営者はチェックして欲しい。危機は日常の中に発見される。日々の改革意識の継続しか、危機を避ける方法はない。

そういうと、テレビドラマ『どんど晴れ』でも、伝統格式を重んじる旅館の経営改革が難しいことを描いていますね。常に環境変化に組織全体が危機意識を持ち続けることが、危機を防ぐことです。

そこでは、リーダーの重要性が大切なのは言うまでもありません。正しい改革理念と共に、前例主義と激しくぶつかっていく気構えと率先垂範の行動が求められます。

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2007年7月22日 (日)

成功体験をなくす

どの企業においても、成功した者は表彰したり地位を上げたりする。しかし、彼ら成功者の扱いは意外と難しい。

なぜなら、彼らは成功のために、どこかに集中しているからだ。ビジネス理論からすれば、当然のことだ。ただ企業において、その後も、彼らの主張を通すことは簡単だが、リスクも背負うことになる。

つまり、成功は、ある程度ターゲットを絞ることによって生まれるから、企業環境の変化対応と言う意味ではリスクを伴う。成功者は成功経験に酔いがちだから、その他のビジネスについても、成功手法を持ち込もうとするが、成功の保証はない。

成功者が成功の記憶を捨て去ることができればベストだが、残念ながら、それはなかなか難しい。企業は常に、「集中と分散」に配慮が求められる。

ということで、企業内の成功者には、それなりの地位と成功報酬は保証して、一旦ラインからはずした職場に就けることが望ましい。その目的は、すなわち、彼らの狭くなった視野をもう一度拡げる機会を与え、更にもう一段上の能力アップを目指させるのだ。

彼らを適当な上位の地位に就けさせることほど、企業においてロスの大きいものはないと経営者は認識すべきだろう。大きく成長させたいのなら、成功体験を捨て去ることへの配慮が求められる。

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2007年7月15日 (日)

外食は大丈夫か

外食には、日々お世話になっているが、最近の偽装食品の事件を見ると、外食や中食はちょっと心配になってくる。だいたい食品業界は、産業の中で品質管理が遅れているのは事実だろう。

問題になるのは、次のことだろうか。

 一、農漁畜産物の問題

 二、食材加工の問題

 三、流通業者の問題

 四、最終提供のための加工品保存の問題

外食(中食含む)の問題は、このように幅広く、業界が一体となって品質管理しないと、安全な物は提供できない。そこに、この業界の難しさがある。

ということは、農漁畜産物を自家生産し、自社で加工し、自社倉庫で安全管理し、顧客に提供することが求められる。しかしながら、すべて、そのようにすることは不可能であろう。

そうであれば、私達はどのように対応したらよいのだろうか。よい農漁畜産物等を入手し、自分で調理するしかないのだろうか。

しかし、それも現実には難しいだろう。あの社長が言っていたように、消費者が安い物を求めすぎなのかもしれない。いい物を生産しようとしたら、ある程度のコストはかかる。

そういうことであれば、生産者の適正なコスト、適正な利益を消費者も知る必要がある。そうすれば、課題が明確になってくるはずだ。

消費者も農漁畜産物の生産(加工も含む)に間接的に関与することが求められるのかもしれない。

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2007年7月 9日 (月)

権力者の妻

社長夫人や社会のトップ層の御夫人は様々だ。もちろん社長と共に創業から歩んできた社長夫人の場合は、大体苦労しているので、人の痛みもわかる人が多い。

ところが、サラリーマン社長とか、公務員のトップ層の夫人というのは、どうもその感性を疑いたくなるような方々も多い。よく彼女等が威張っている様子を見る。結構、陰では悪口を言われている。

夫が高い地位に就いたというだけで、夫人が偉いわけでもない。確かに内助の功はあるかもしれない。しかし、仕事面では、そういうことはないだろう。

板倉勝重は、家康から重要な職を打診されると、必ず妻と相談するとして、即答しなかったという。それは妻に覚悟をさせるためだったという。公私混同をしないこと、差し出がましい発言をしないことなどを、まず妻を戒めてから、妻が了解・納得して初めて、仕事を受けたのだ。

要職に就く人たちは、周辺を整理しなければならないと言うが、彼の考えはもっと深い。権力者は周辺から身を誤まりやすい。お上手を言って、巧みに付け入ろうとする人々もいる。そのためには、まず家庭から固めなければならない。夫が高い地位の妻は、容易ではない。

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2007年7月 6日 (金)

おばさんの笑顔不足

あるスーパーを利用するのだが、そこの女性店員の笑顔が少ない。ある大手のスーパーの系列の会社である。真面目な会社として有名だ。

そして、働いている、ほとんどの人が中年の女性だ。ところが、一生懸命働いているのはわかるのだが、どこか余裕がない。お客様に対する挨拶も御座なりだ。どちらを向いて挨拶してるのかな、と感じられるのはいつもだ。

日本人ほど、商売で笑顔を重視する国民はいないと言われるが、やはり気持ちのよい笑顔は消費を促進する。作り笑顔をせよとは言わないが、社内の雰囲気は変える必要があるのではないか。

最近問題になっている、非正規社員の働き方は企業方針で変わる。この企業のトップは現場を歩いていないのだろう。スーパーのような前売り業は、現場で働く人々の気持ちがお客にすぐ伝わってしまう。

経営者の方々は、利益を生むのは現場だと言われるだろうが、この売り場に関しては問題がある。経営者が現場から遠くなれば、事業に黄色信号が灯り始める。このスーパーの行く末が心配である。

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2007年7月 3日 (火)

上場という危機

企業が上場しておかしくなるところがたくさんある。理由はなんだろうか。多分考えられることは、上場して、一つの目的が達成されたと思うからであろう。その心理的油断が、次の経営危機を招いているようだ。それに企業の上場は全てにメリットがあるわけではない。

最近のように、株主重視の世論がまかり通れば、それを無視できない。利益など、当面期待できないのに、無理して利益を捻出しようとすれば、どこかに無理が来る。当たり前のことを当たり前にやるだけでは、企業を回せなくなる。

本当を言えば、顧客満足を重視するならば、上場などはできないはずだ。周囲に煽られて、調子に乗って、無闇に上場することは、上場に関連する企業は儲かっても、当の上場した会社には、次の試練が待ち受けている。

そのことを理解して上場している企業のみが生き残る。だから上場を目指す企業は、上場は、新たな創業と考え、全社一丸となって危機感を持たなければならない。上場とは一つの危機だと理解してもらいたい。

*追記

顧客満足を掲げる企業は、基本的に上場企業に馴染まない。特に人的サービスを主体とする企業は、上場は避けるべきだろう。

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2007年6月 7日 (木)

訪問介護大手の破綻

訪問介護大手のコムスン(グッドウィルグループの傘下企業)が介護保険事業から撤退する可能性が高くなったようだ。水増し請求などで厚生労働省が新規開設や更新を認めない方針を決定したからだ。

もともと介護のような事業は、利益を追うと失敗することはわかっていたはずだ。価格が自由に決められない以上、市場原理には馴染まない。そのことを無視して、全国展開して、収益を上げ、総合力で利益を上げようとしたのだろうが、そうは問屋は卸さなかったということだろう。

結局、無理なことをして利益を上げようとして不正に走ってしまったようだ。介護のような仕事は、ボランティア精神が事業所の側にも求められる。それは規模の拡大で解決できるものではない。

結局、やはり介護は、地域の相互扶助ということに落ち着くことになるだろう。それは地域の再生という課題にそこに住む人々が真剣に考えねばならない問題でもある。しかし、今後、このような業者が出てこないことを望みたい。

*追記

グッドウィルグループは、コムスンの介護事業を同じく子会社の「日本シルバーサービス」に引渡し、厚生労働省の制裁から逃れようとしている。国は、それを見逃すのであろうか。彼らは、このビジネスから撤退し、新しい民間ビジネス分野に検討を加えるべきだろう。中途半端なことをしても、派遣や請負のようなピンハネ事業同様、不信感が増大するだけである。企業は利益を上げる前に、社会の公器であることを再確認してもらいたい。

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2007年5月24日 (木)

15分ということ

人間が集中できるのは、15分程度であるようだ。大学の講義が90分だったり、経営者向けのセミナーが2時間だったりするが、聴取者は本当に理解できているかといえば、疑わしい。これらの催しは、要点をまとめれば、大体15分程度におさまるはずだ。

これらの時間が長いのは、報酬の「支払い」側の事情によるものかもしれない。すなわち、1分間あたりの支払い金額が想定されていて、短ければ支払いが少なくなるのだ。つまり時間の長さと講師の人気度の基準で支払額を決めているのだ。そこでは、コンテンツについては吟味されないのだろう。

もちろん、その辺の事情を知っている講師達は、15分ごとに話題を変え、聴取者が飽きない工夫をしているようだ。しかし、それは結構無駄話が多いのも事実だ。それはハウ・ツー本と同様だ。誰でも、全編にわたって、いつもそんなに有効なネタを持ち合わせているとも思えない。

結局、間延びした講演を聞かされ、時間を奪われる。講演などを聞くのは、結局、確認に過ぎないのだ。それなら、講演録や著作を斜め読みした方がよいと気づき、最近は講演を聴くのも遠のいている。

だからと言って、全ての人に講演を聴くなとは言わない。それはそれなりの楽しみ方がある。それに暇つぶしにはもってこい(笑)。それはいろんな講演やセミナーに行くと、高齢者が多いことからわかる。だが、現役の人々には、講演を聴くだけが目的なら、あまり勧めない。それだけの時間があれば、もっと何かができるはずだ。

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2007年4月23日 (月)

中小企業の破綻の原因

中小企業の破綻の原因は簡単だ。

まず、銀行から見放されること。そして、経営者に公私混同の動きがあること。次に、特に大事なのは、人材育成を怠ること。この三つは指摘されて、長きにわたるが、なかなか実行されない。

中小企業の場合、どうしても間接金融中心にならざるを得ない。銀行との付き合いは大事だ。そうかといって、銀行の言いなりでもまずい。その辺のリスク回避的なシビアなバランス感覚は求められる。

次に、経営者は、少し儲かると、お金の公私混同が目立ってくる。会社のお金と私のお金の区別ができなくなる。そういったところは、確実に破綻している。基本は、会社を発展させることにより、私の利益も膨らむ仕組みが望ましい。

最後に、あたり前のことだが、人材育成を怠る経営者が多い。自分以外に経営者はいないと思うのは自由だが、いつまでも権限を握ったままでは、後進の人材は育たない。ある程度の失敗は覚悟で、人材の育成に注力するべきだろう。

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2007年3月 3日 (土)

管理者に相応しい人物の評価

仕事をさせる上での、管理者に相応しい人物の評価はなかなか難しい。それは人は変るからであろう。しかし、本質的なものは変わりにくいから、その辺で判断するしかないのかもしれない。一般的に、言われているのは次のようなことだろう(*注記参照)。

一、嫉妬深い人に大きな仕事を任せてはならない。

嫉妬深い人は、どうしても公平な視点が欠ける。それでは、人々をまとめることは難しい。それに、彼らは、ちょっとしたことで、裏切る可能性が高い。

二、目先より先見力のある人を用いることが望ましい。

全ての目先が無用ということではない。現在をきちんと押さえた上で、先見力が求められる。ただ、どちらを優先させるかというと、先見力が優先される。

三、反省して、思慮深い者は、責任あるポストにつけてよい。

省みることの大切さを説く。あの幸之助も、毎日、自分のやったことで、褒めることと、自分が反省しなければならないことをそれぞれ三つずつ寝る前に確認したようだ。のんべんだらりと、一日が過ぎ去っていては、進歩がない。そういう生活態度では、責任者に据えることはできない。

四、即断より、熟考の上、行動し、成果を急がない者を尊ぶ。

即断は誤りが多い。一見、格好よく見えるが、結果は乏しい。じっくり先を見て、決断するのが宜しい。成果は、遠くにある。

五、短期的な利益より、長期的利益を優先する者は、重要なポストに就けてよい。

特に、目先(目先の評価や金銭)に追われている者は、危い。成果主義の危さ。欧米のビジネスの仕方の危さ。目先の成果ほど、人間を堕落させるものはない。今は辛くても、長期的視点に基づく行動が求められる。

六、多くの部下から尊敬される人は、ポストに就けてよい。

仮に仕事はイマイチでも、尊敬されている人の下では、成果が出やすい。営業で著しい成果を上げた人が必ずしも、管理職やトップに相応しくないのは、そのことを指している。また頭のいい人は、目につきやすいが、組織から浮き上がりやすい。そういう人は、専門家として遇するべきで、管理者ポストには不向きである。

七、目先の成果で評価してはならない。評価には、時間をかけて行う。

短期的評価は、必ずしも長期的評価にはつながらない。人の評価を固定的に考えることは、企業にとってマイナスになる。目立った成果より、地道に確実に成果を上げ続けることが大切だ。

八、軽率な発言をする者は、用いてはならない。

軽率な、ということは、場面に応じた発言ができない人を言う。いくら真面目でも、その判断ができない人は、管理職に不向きだ。

九、安請け合いする者は、信用してはならない。

できる算段もないのに、約束することは、結局、信用を失う。できないことは簡単にできると言うべきではない。きちんと条件を明確にして、可能性を追求するべきなのである。

十、あまりにも小さいことに拘る人物は用いてはならない。

重箱の隅をつつくということでは、人々の士気に影響する。一般に、社内情報屋と言われる人々である。長所・短所を理解し、長所を伸ばす配慮が必要である。だからと言って、彼らを排除せよとは言わない。彼らは管理者には不向きだが、活用の余地はある。

十一、偏った考え方をする人物を用いてはならない。

常に環境は変化している。一つの考え方に捉われることは、大きなリスクを取り込むことになる。偏った考え方は、流れから逸れる可能性が高い。常に、客観視する姿勢が求められる。

十二、言葉の一つ一つを大事にする人は、大いに用いよ。

リーダーの言葉の影響力は大きい。一つ一つ吟味して発言することが求められる。言葉の重みを理解すべきだ。相手が、言葉の意味を考えるようになったら、それは成果だ。

*注記

これらの考え方は、『管子』をベースにしている。

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2007年2月 3日 (土)

渡辺崋山の心得

江戸時代の画家、渡辺崋山は、日本画についてだけでなく、商売の心得を残しているのは面白い。芸術家といわれる方は、金銭に疎いと言われるが、どうも渡辺崋山は違ったようである。実は、彼は藩の重役の長男として生まれるが、財政難のため、父の俸禄がわずかであったため、苦労している。そうしたことが金銭感覚を鋭くしているのだろう。

家計を助けるためにやったのが画業だったようなのだ。そんな中で、苦学して、儒教や農学も修めている。後、藩の家老にまでなっている。単なる芸術家でないことが、下記の様な発言になっている。

彼が言っているのは、流風的解釈を付け加えれば、次のようなことである。

一、まず朝は召使より早く起きよ。

これは、誰もよく言うことです。召使より早く起きると、召使も早く起きざるを得ない。模範を示せということでしょうか。ちなみに、早起きは、子供の頃より、習慣化させれば苦労はない。子供に何か役割を持たせると、比較的早く習慣がつく。

一、十両の客より百文の客を大切にせよ。

どうしても高額な商品を買ってくれる顧客に目が行きがちだが、商売は、利幅が薄く、長い取引の商売が成功すると云われている。この感覚は、子供の頃より商売していないとなかなか身につかない。

一、買人が気に入らず返しに来たら、売る時よりも丁寧にせよ。

返品は誰も嫌だ。いろんな客がいるのも事実だ。ここで言う客は普通の顧客である。いつも買ってくれる顧客が返品するのは、余程のこと。きちんと理由を聞いて対処する。

一、同じ商売が近所にできたら、懇意を厚くし、お互いに励めよ。

競争相手が近所に来たら、挨拶もしない経営者がいるのは情けない。競争しつつ、棲み分けすることは可能だ。そのためには、コミュニケーションが必要だ。

一、出店を開いたら、三ヵ年は食料を送れ。

店の者が暖簾分けして独立したら、食料を送って支援せよ、ということらしい。独立したから、ライバルになるから警戒するのではなく、お互い協力する姿勢が大切である。苦しい時の援助は、将来、回りまわって自社に返って来る。

*追記

昨年11月で発行が終わった情報誌『京都』には、多くの老舗の言葉が記されていた。下記のホームページにも掲載されているので、商売されている方には参考になるだろう。

  http://www.j-kyoto.ne.jp/j_kyoto/index.html

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2006年12月14日 (木)

戦前の商業の要諦教育

よく戦前の教育に問題があったという人々がいるが、必ずしもそうではない。確かに、古事記や日本書紀や歴史物語などの題材を通じて、天皇への忠誠心を醸成する教育は行われている。しかし、そればかりではない。評価できるものもたくさんある。意外と海外の人々も評価している事実がある。それは戦前の教育を受けた日本人の質は高かったというものである。

それでは、どういう教育内容だったのだろう。例えば、尋常小学校の『国語読本』には、「商業」と題して、次のように述べている。やや長いが、引用してみる(部分的に現代仮名つかいに変更)。

「商業は之に従事する商人だけを利するものではない。商人たる者は、よく共同生活の真意義を弁え、品質のよい品物をなるべく安価になるべく敏速に供給して、広く公衆の為を計らなければならぬ。これ即ち世間の信用を博して堅実に自己の事業を発展させる道である。

買う人の無智に乗じて安い品を高く売付け、見本には精良な品を使って、実際の注文に対しては、粗悪なものを送るような事は人として為すべからざる事である。又単に損益の点から見ても、かような仕方は唯一時の利益を得るに止まって永続することができないから、つまりは小利をむさぼって大損を招く結果になる。

外国貿易に至っては、之に従事する者の心掛け如何の影響が更に大きい。即ち、一人の貿易商が外人の信用を失うような事をすれば、忽ち国全体の商品の信用に関係して、貿易の不振を招き国運の発展をさまたげることになる。外国貿易業者はかえすがえす深くこの点に注意しなければならぬ。

昔は個人の利益を営むのが商業であると思われていた。それ故大多数の商人は、自己の利益を除いては、殆ど何物をも眼中に置かず、忍耐も努力も要するに皆自己のためであった。彼らが町人といって賤しめられたのも其の為であろう。これはひっきょう(畢竟。これはひらがなになっている)文明の程度が低いために、共同生活の意義が明らかでなく、随って商業の本質が理解されず、商人の人格が重んぜられなかったからである。文明の進んだ今日尚このような考えを持つのは、大きな誤りといわねばならぬ」

どうです。小学校の読本教材ですよ。商業における信用の重要性と、公益性を論じている。今なら、どこかの経済団体が、経営者に警鐘しているような内容です。やたら利益を貪ったり、詐欺まがいのビジネスをしている経営者は耳が痛いのではないか。

戦前は、そういうことを小学校の段階で教えていた事実がある。これだけでなく、多くの歴史逸話を通じて、人間のあるべき姿を説いている。これは亡き父からもらったものだけど、流風の頃の小学校の教科書には、このようなことは書かれていなかったと思う。当時、父が私の教科書を見ながら、最近の教科書は実がないなあ~当時、流風は父の言う意味がわからなかった~と言っていたのを思い出す。子供時代に正しい見識に触れることは、たとえその時、真の意味がわからなくても、重要なことと思います。

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2006年12月 8日 (金)

観光バスの行方

関西の観光バスが不振らしい。なるほど、そんなものかな。確かに、初めての地であれば、多少不安が伴うので、海外旅行同様、パック旅行に近い観光バスは有効かもしれない。

しかし、流風自体も、観光バスはほとんど利用しない。大体コースがワンパターンで、一回乗ればそれで十分だ。旅行に慣れてくれば、そういうワンパターンの旅行では満足できなくなるのが普通だろう。

大体、コースの内容も、バスガイドの説明も、ありきたりだ。観光バス旅行の企画に問題があるのは間違いない。惰性で続けるビジネスが続いた例はない。

そんなものは、今はネットで色々調べられる。そういうことを調べた上で旅行される方も多いと思う。自分でコース設定するか、ある程度目途をつけて、行き当たりばったりの旅のほうが面白い。観光バスが不振なのは、多分、そういうことに対応していないのだと思う。

だから、現在のビジネススタイルを前提にすれば、観光バスは、常に新しい顧客を必要とする。ということは、観光バスが不振なのは、新しい顧客を獲得できていないということが原因だろうか。

しかし、これを突き詰めて考えると、観光バスは、新しい顧客の開発も大切だが、顧客のリピーター化を図っていないことが、不振につながっていると思う。

リピーター化を図っていれば、次から次へと新しい企画が必要なのは言うまでもない。そういう意識が欠けているのだろう。リピーター化を図れば、評判が評判を生み、新しい顧客の獲得にもつながるはずだ。そういう視点で、ビジネスを見直す必要があるのだろう。

そういうふうに考えると、現在の顧客の満足が果たしてなされているか考える必要がある。そう考えれば、コースの企画の見直しも見えて来るし、バスガイドなどのソフト・コンテンツの見直しも必要と感じるだろう。至急、経営改革をしてもらいたいものだ。

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2006年12月 5日 (火)

即戦力と新卒者

デフレの時期に、企業側が即戦力になる人材を求めたといわれる。「高等学校は必要か」のブログに対して、「学卒は即戦力になるか」というようなことで、正体不明さんからコメントを頂いた。

実際のところ、企業において即戦力とは何を意味するのだろうか。確かにデフレ時、人件費削減のため、リストラをし、組織の簡略化を行った。しかし、必要な業務をこなそうとすると、高いレベルの人材が必要になる。しかし、それに見合うお金はない。

そういうところから、本来はありえない学卒の即戦力を言い出したのだと流風は思っている。しかし、企業の本音は、新卒では、間に合わないから、断る言い訳として、即戦力を言い始めたのだ。

ある程度の組織ができた企業では、新卒の即戦力はありえない。そんなことより、企業文化に馴染んでもらう方が大切である。日本のビジネスは、そのほとんどがチームプレーであり、企業文化の理解なしには進まない。

一時、成果配分の評価がもてはやされたが、導入した企業のほとんどが失敗している。現在では、チーム評価にウエイトを置く企業が増えつつある。

よって、新卒の新入社員が、その企業に馴染んで、まともに仕事ができるようになるのは、最低3年間は必要だ。それを仕事が面白くないから辞めてしまうのは、若い人たちが、そういった企業の事情を知らないことから起こっていると推察できる。だから、新卒者の新入社員は最初の3年間に自分を企業に知ってもらう期間と考えればいいのだ。

だから、何もあせる必要はない。即戦力なんて企業は期待していない。企業が期待しているのは、自社の文化に馴染んでくれるかどうかということである。それは何を意味するかというと、現在の企業の初任給は、仕事の割りに非常に高いことが示している。

見方を変えれば、これは終身雇用を前提としている。長期に働いてもらえることを前提にしているのだ。そこに現在の日本における労働コストに問題があるのだ。入社してすぐ辞めてしまう社員が多いのなら、最初から、そんなに高い給与を支払うのはおかしい。

そういうことであれば、本来、一般の新卒の新入社員も、本来「丁稚」期間が必要である。3年間働いて、周囲から認められて、初めて世間並みの給与が支払われることが望ましい。その辺は最低賃金法も含めて、労働法の修正が求められる。

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2006年11月27日 (月)

調査の危さ

一般ビジネスにおいて、広告代理店のやる調査は多くは作為的であろう。質問事項は、クライアントに心地よい答えが用意されている。クライアントの方ばかりを見ているから、クライアントに心地よい回答を顧客から得る必要があるからだ。そして、そのようにして、広告代理店は劣化していく。

結局、広告代理店の調査に疑義を感じた賢いクライアントは、顧客に直接聞くことが有効と判断し、またコスト削減のため、広告代理店を切ることにつながる。もちろん、顧客に直接聞くとしても、戦略に相応したもので、なければならない。その対象が誤っていては、正しいデータは得られない。

また、流風は、世論調査もあまり信じないことにしている。大体、アンケートそのものが、どこも作為的なものが多い。統計手法を悪用しているとも言える。質問者が欲しい答えを想定した質問が多いからだ。それでは、本来のアンケートにならない。

国がする世論調査は、一応、統計手法的には正しいが、最近は、質問事項に恣意的なものを感じる。やらせ問題が発覚し、信用を失っている。国のやる世論調査にしても、あまり信用できないという事態になっていることは嘆かわしい。

その裏には、多くの研究所や大手広告代理店が、中立的視点を喪失し、政治に汚されているということもあろう。今回のやらせ問題でも、内閣府が広告代理店に仕事を依頼した時点で、問題発生の可能性はあったと言える。

またマスコミの世論調査も同様である。質問事項で、その回答の傾向が出てしまうのは同じだ。まやかしとは言わないが、やはり、マスコミ主導の世論誘導の可能性は否定できない。

それでは、ネット調査がどうかといえば、これはもっと偏りが大きい。調査手法も質問事項も問題があると言われている。調査手法はいずれ改善されるだろうが、現状まだまだという印象を受ける。

だから、世論調査とか、アンケート調査は、そのデータを活用する人は、注意して見る必要がある。鵜呑みすると、とんでもない逆方向に進む可能性もある。用心したいものである。そのためには、どのような質問事項で、どのような回答項目があったのか確認しておく必要がある。

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2006年11月22日 (水)

論語と算盤

『論語と算盤』は渋沢栄一の著作だが、彼の言わんとしていることは、功利主義と道義的見方のバランスである。彼は明治時代に、民主主義・自由主義の問題点を喝破し、基本的な解決方法を明示している。

すなわち、功利主義とは、どちらが利益であるかという見方である。もう一方の道義的見方とは、どちらが正しいかということである。そのバランスをいつも考えることが産業人にとって使命である。

また、彼は、その功利主義さえも、「論語」で言われていることをベースにしていると述べ、次のようにも言っている。

「私は人の世に処せんとして誤らざらんとするには、まず論語を熟読せよというのである。現今世の進歩にしたがって欧米各国から新しい学説が入ってくるが、その新しいというのは我々から見ればやはり古いもので、既に東洋の数千年前に言っていることと同一のものを、ただ言葉の言い回しをうまくしているのに過ぎぬと思われるものが多い、欧米諸国の日進月歩の新しいものを研究する必要はあるが、東洋古来の古いものの中にも棄て難いもののあることを忘れてはならぬ」と。

これは、流風が若い頃、次々と経営書を購入する姿を見て、父から、そんな遠回りなことはするな、古典を読めば足りる、と言われたことに通ずる。これは、全ての原点は、「論語」にあるという渋沢栄一の考え方と一致する。こういうことは、明治時代以降、変っていないことを示すものだろう。若い人は、西洋の学問が優れていると錯覚しがちだが、必ずしもそうではない。特に人間学を要するビジネスにおいては、特にそのように言える。

残念ながら、これは現代の日本の経営者が忘れかけていることかもしれない。すなわち、最近の功利主義にならされた大企業の経営者の中には、道義が軽んぜられているように感じる。確かに法律の範囲内での活動には違いないが、広く世間を見渡した真の利益を追求していない。欧米的経営に影響されて、自分の企業さえよければそれでいいという考え方は偏狭すぎる。もっと上の経営者を目指して欲しい。

*渋沢栄一著 『論語と算盤』(国書刊行会)は若い方にも、是非読んで欲しい。最近の経営書を何冊も読むより役に立つはずだ。そして、『論語』を学んで欲しい。ビジネスの原点は『論語』にあるといって差し支えないと思う。

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2006年10月24日 (火)

成長と実行行動主体

よく新聞等で「成長率」などをよく目にするが、この「成長」とは何か。その理解に一部、混乱があるように感じられる。

簡単に言えば、この「成長」は、基本的に過去と現在の比較か、現在と未来の比較が多いであろう。そして「比較される」ものが「比較する」ものより良くなっているということだろう。

前者の「成長」は、結果としての「成長認識」と考えられる。また悪くなる場合は、マイナス成長などと言っているが、少しおかしい表現だ。生物等でも、枯れてなくなることはあっても、マイナスはない。プラスだから成長だと思う。マイナスの場合は別の表現が必要だろう。

よって、「成長(成長認識)」と政府や企業がよく言う「来年は何%成長」とは意味が異なる。前者が実績なのに対して、後者は、「そうであって欲しい」という期待が含まれている。

結局、後者は確定した現在と不確かな未来の比較ということだ。現代の言葉で言えば、行動主体の目標設定がもたらすものとも言える。未来は不確かだから、その成果は、不安の代償とも言えるかもしれない。

だから、主体でない研究所や調査会社などが、成長予測するのは本来おかしい。目標設定に伴う、実行意思が伴わないからである。

毎年、年末にかけて、各種研究所から色々な予測が発表されるだろうが、当てにしない方がいい。彼らは「成長認識」をベースにした予測に過ぎないからだ。実行行動主体の意思が含まれない。

そういうことで、私達は、彼らの予測は完全に無視した方がいいと言える。そのことが明らかになり、多くの経済研究所が苦境にあるのは、そういうことが原因かもしれない。

言い換えれば、成長というものは、なるべくしてなるような気がする。それは主体の個性によって左右されるのではないか。成長というものは実行行動主体次第ということかもしれない。組織においては、リーダーの役割が大きいのはそういうことだ。そして、それは個人に置き換えても、同じことが言えるのだろう。

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2006年10月 4日 (水)

スケジュール管理

電車の中で、若い女性が、手帳を広げて、スケジュールのチェックをしているのを見かける。ちらちら覗き見すると、「飲み会」「デート」「買い物」「スクール」などが書き込まれているようだ。大体、空きのスペースがいっぱいあるケースが多い。スケジュールをいかに埋めるか、手帳とにらめっこしている様子が、微笑ましい。

一般に、地位が上がれば上がるほど、スケジュールは、ゆったりと取れと言われる。ところが、政治家の方々の場合は、スケジュールでいっぱいらしい。あれじゃ、心身ともに大変だろうなと思う。実際、首相になって、命を落とした人もいる。

小泉前首相は、夜の宴会は出ないということで、調整されたらしい。健康管理をきちんとされたから、長期政権が可能になったのだろう。トップには、ある程度、要領が求められるということかもしれない。

安倍首相も、民主党の小沢代表も、健康には不安があるそうだが、健康管理はしっかりやってもらいたいものである。トップは、健康でなければ、的確な判断ができない。

また、日本の経営者も、余裕のあるスケジュールの人は少ないかもしれない。分、秒刻みのスケジュールだという話もよく聞く。これでは、まさに身を削って仕事をしているようなものである。

それがその人の人生観と言ってしまえばそうだが、何か侘しい。それにスーパーマンでない限り、大局的判断を正確に下せるとも思えない。経営者にスーパーマン幻想があるなら、それは止めて欲しい。

身体にしろ、精神力にしろ、走り放しでは、どこかで落とし穴に嵌る。スケジュールに余裕を持つことなど、無理だと仰るかもしれないが、組織の見直しをして、仕事の整理をすれば、案外可能と思う。忙しいということが仕事でないはずだ。今一度、スケジュール管理を見直して欲しい。

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2006年9月16日 (土)

古い家具のリサイクル

流風の住んでいる地域では、大型家具は、粗大ゴミではなく、「大型家具」として、無償で引き取ってくれる。役所の方で、再生可能なものは修理して、値ごろ感のある価格で、販売しているのだ。

それで、消費者としても部屋に合わなくなった家具を引き取ってもらって、大変助かる。そして、新しい家具も購入できる。

ところが、先日、違う地域に行くと、大型家具としては引き取ってくれなくて、細かく壊して、粗大ゴミとして出さないといけないらしい。大体、家具を壊すには、道具も要るし、どの家庭にも揃っているとは思われない。

そんな作業をする場所も、どこにもあるとは思えない。高齢者なら諦めてしまうだろう。その他の皆さんは、どうしているのだろう。結局、ゴミに出すのを辛抱し、不満ながら使い続けているのではなかろうか。

また業者に頼んで引き取ってもらう方法もあるが、当然有料である。結構、その費用は高い。そんなお金を出すなら、新しい家具が買えそうだ。

ということは、現状のままでは、この地域の家具の更新需要は発生しにくいだろう。

一方、家具業者は需要低迷で苦しんでいる様子である。需要の多様化に対応しきれない面もあるのかもしれないが、量的な「スペースの創造」も需要開拓のはずである。

そのためにも、業界としても、古い家具の引き取り、ゴミにすべきものはゴミにし、再生しできるものは修理して販売する市場を作り、リサイクルシステムを推進すべきではなかろうか。

それに、いくら家具のいらない仕組みの最近の家でも、古い家具を引き取ってくれれば、新しい家具が欲しくなるのは誰でもそうではなかろうか。

各地域により、家具のゴミの処分に関する仕組みが異なるのであろうが、家具引取りシステムは、需要と供給者の共通の利益に寄与するはずである。

さらに自治体の環境推進にも一役担うはずである。そういう仕組みのない各自治体と家具業界は検討してもらいたいものだ。

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2006年9月15日 (金)

遠距離通勤は良いことか

通勤に二時間もかけている人がいる。流風はナンセンスだと思う。これでは、会社に着くまでに一仕事した感じで、仕事を始める時には、疲れているだろうと思う。

ところが、小林一三は、逆のことを言っている。

「北の方に工場を持ったから、北の方に家を探すなんてアホなことだ。南に住め。わざと遠いところを選べ。そうして、毎日の行き帰りに、大阪の街をはしからはしへ、見て歩き、世の中をよく見、時勢におくれんようにせよ」と。

ただ一般のサラリーマンには辛いかもしれない。彼の指摘しているのは、経営者の心構えなのだ。経営者に求められる資質として、広く世間を観察することの大切さを説いているのだ。

一般には、遠距離通勤はナンセンスと言われている。実際、肉体的な負担は大きく、仕事にも影響が出る。しかし、物事は考えようで、一般のサラリーマンでも、仕事によっては、プラスのメリットがあるかもしれない。

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2006年9月 2日 (土)

成果を求めるなら

成果を求めるなら、それなりのことをしなければならない。それをせずに、ないものねだりをする人が実に多い。流風も、あまり人のこと、言えないけどね。

ところで、あの白隠禅師の指摘は、現世における種蒔きでけでなく、先祖の種蒔きが、現世に影響を及ぼしているという。白隠禅師といえば、『夜船閑話(やせんかんな)』とか『遠羅天釜(おらでがま)』が有名だけど、彼は次のように指摘している。少し長いけど紹介しておく。

        この世は前世の種次第 未来はこの世の種次第

          富貴大小あることは 蒔く種大小ある故ぞ

          この世は僅かの物なれば 善き種選んで蒔き給え

          種を惜しみて蒔かざれば 穀物取れたためしなし

          田畑に米麦蒔かずして 米麦取れるいわれなく

          米麦一合蒔きおけば 五升一斗稔るべし

          多くの宝譲るとも 持つ子持たねば持たぬ物

          少しも田畑譲らねど 持つ子あっぱれ持つものぞ

          我子の繁盛いのるなら 人を倒さず施行せよ

          人を倒して持つものは 我子にゆずり仇となる

          升や秤や算盤や 筆の非道をし給うな

          常々商いする人も あまり非道の利を取るな

流風も、前世の種蒔きがあるから、現在があるのかも。来世に向けて、種蒔きが少ないかなと反省。皆さん、それでは、未来に向けて、「いい種」を蒔きましょう !!

 

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2006年8月29日 (火)

取説を読まない人々

わが家の恥をさらすようだが、母は電気製品を買っても、全く「取説(正確には、取扱説明書)」を読まない。それで、商品に文句を言っている。本当に困った人だ。それで、取説はどこにある、と言っても、行方不明。文句は一流、管理は三流。どこかの部長さまと同じかも。父親と全く反対だ。父が生きている時は問題なかったが、亡くなった後は大変だ。ところが、母のように取説を読まない人は多く存在するらしい。

ところで、いろんな商品の事故で痛ましいことが起こっている。ここで考えなくてはならないのは、当然メーカーの責任は責められるとしても、事故にあわれた方々には本当に気の毒だが、消費者側にも問題がある場合もある。

もちろん、どんなに消費者側で注意しても、どうしようもない場合もある。その場合は、メーカーの製造物責任が問われる。しかし、事故が起こったからといって、全て、メーカーに製造物責任が生じるわけでもない。

どんな商品を作っても、事故は起こりうる。全ての空間に、完全に安全なモノは存在しないだろう。「完全な商品」を作れば、コストは膨大になり、消費者に寄与しないだろう。結局、全ての可能性をメーカーが把握することは不可能に近いと消費者も認識すべきだろう。

それに、購入した商品が、自分に馴染むには時間がかかる。消費者には、モノを取り扱う危機意識が必要だ。商品を買った時は、「取説(取扱説明書)」をよく読んで、その取り扱いに十分配慮する必要がある。それくらい周到に準備してモノを使う習慣が求められる。

私達消費者は、モノは人を傷つける可能性があるものだと理解して、商品を購入する必要がある。そのためにも、メーカーが商品に添付している取説を読んで十分理解しておく必要がある。

*追記

ちなみに、母に取説を読ませることは、諦めている。年を取ると、なぜにああ頑固なのか。どうしようもない。もうどうなっても知らん(笑)。親父も草葉の陰で笑っているだろう。

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2006年8月25日 (金)

降格を考える

冥王星が、惑星から降格されるようだ。天文学者も大変だな。流風にとっては、どうでもいいことだ。あのホルストの組曲『惑星』にも、冥王星は含まれていないし。まあ、惑星のことは、天文学者に任せるとして、今回は「降格」ということについて、考えてみたい。

企業において、一般に「昇格」はあっても、「降格」というのは、一般役職では少ないかもしれない。役員人事においては、「降格」は、まま見られるものの、一般役職で、「降格」人事は避けられているようだ。大体、「実質は降格」なのだが、表向き、他部門への移動とか、子会社への転籍とかが行われる。同じ部署での「降格」は少ないと思う。それは「降格」された人の意欲とかへの配慮もあるだろうし、周辺が仕事がやりにくいとかの配慮もあるだろう。

本来、あまり関係のない部署の移動とか転籍は望ましいものではない。だが、人事の配慮で、「新しい空気を吸って来い」というのも、わかる気がする。そして、そういうところから、新しい課題を発見して、這い上がっている人もいる。これこそ、まさに塞翁が馬なのだろう。

何らかの失敗で、配転されても、腐らず、新しいことに挑戦できる人だけが生き残ることになる。ここでも、やはり考え方が人生を左右する。

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2006年8月22日 (火)

見切り上手は商売上手

中小企業の経営は、どこも大変だ。景気の波にも影響を受けるが、市場の変動、新たな競争者、ニーズの変化などに真剣に対応しても、うまく行くとは限らない。少しの油断もできず、経営者の辛苦は単純には説明できないほど頑張っておられる。

その一方で、日本の中小企業の経営者は頑張りすぎだという指摘がある。経営が先行き厳しいのに、何とか、もう少しと頑張る経営者が多いのである。確かに、もう少し頑張れば、明かりが見えてくるという期待は誰でも持つだろう。だが、現代の中小企業を取り巻く経営環境は、残念ながら、そういう状態ではなく、見通しが不透明なら、一旦思い切りよく撤退するのも一法である。

事業を整理し、あるいは会社を整理することは大変辛いことではあるが、冷静に判断できる状態での整理がベストであるように思う。関係者のこと、従業員のこと、家族のことなど、いろいろ思いはあるだろう。だが、とことんまで行って、自分の身を断ずるような事態は避けて欲しい。余力を残して、次の事業に臨んで欲しい。仮にそのようにしても、信頼関係が深ければ、周囲はある程度理解してくれるはずだ。

事業を見切る勇気を経営者は持って欲しい。見切り上手は、投資上手と言われるように、経営も、そのことが当てはまると思う。執着心が必ずしもよい結果を生んでいないことを知るべきだ。見切る勇気を持つことは、日本全体の経済活性化によい影響を及ぼすはずだ。

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2006年8月12日 (土)

一杯の水

あまりに暑いのに、先日飲み物を買い忘れて、列車に乗ったら、のどがからからになったので、下車して、すぐ水を購入して飲むと、本当に美味しかった。でも、いつから「水」を購入することになったのだろうか。子供の頃は、水道水を蛇口から飲んでいたのに。

さて、話は変わって、二宮尊徳は次のようなことを語っている。

『江戸は水さえ銭が出るところと嘆くは、懶惰(らんだ)なり。水を売りても銭が取れるというは勉強人なり』と。

これとよく似た有名な話に、ある靴のセールスマンが、裸足で靴を履く習慣のない島に行って、これでは販売の可能性はないと諦めて帰ってきたが、別のセールスマンは、大いにビジネスの可能性があると判断したという話がある。

つまり、世の中は考え方次第で、どうにでもなる。塞翁が馬ということもある。不幸が幸になり、幸が不幸になることもある。それも、個々人の考え方次第ということを再確認したい。

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2006年8月11日 (金)

60歳問題

60歳問題と言っても、団塊世代の退職のことではない。今回、流風の指摘したいことは、60歳前後以降の経営者に問題のある人が多いことを指している。現在の日本人の経営者は、それぞれ真面目な人が多い。それ自体は喜ばしいことだ。だが、何に対して真面目なのか、そこが問題である。

60歳前後といえば、終戦前・戦後に生まれた人々である。しかし、戦争は知らないが、戦後の焼け野原は経験している。新しい教育で育ったが、彼らの親世代が戦前の教育と新しい思想で、考え方が混乱した時代に育っている。そして、彼らの世代は新しい教育で育ち、親との「思想断絶」を経験している。また、貧しさと高度成長を両方経験したため、高度成長になった戦後の米国の考え方を素直に受け入れすぎている。

そういう人たちが、現在、企業のトップに君臨している。いつの時代でも、そうだが、どの世代も自分の経験を無視することはできない。だが、時代と共に、世の中は変化する。もちろん、企業環境には敏感に反応しているし、利益にも敏感だ。だが、忘れ去られているものがある。

つまり、それまでの経営者は、戦前の教育を受けた親の影響を少なからず受けていた。だから、戦後の新しい教育は、それはそれで受けたが、考え方に儒教的なものもあった。だが、60歳前後の経営者からは、段々それが感じ取れなくなっている。西欧的経営に馴らされ、人間をベースにした経営に目が行かなくなっているのだ。

もちろん、個々の企業ベースで見れば、全てが全てではない。しかし、大企業はもちろん、上場したベンチャー企業経営者からは、企業目的が「利益中心」になっているように見受けられる。もちろん、利益は企業継続には欠かせないし、株主への配慮もあるのだろうが、それでは、どのような考えで企業経営がなされているのかは、わかりにくい所が多い。確かに、社是とか、企業方針は大抵が明示されている。だが、それは、上っ面だけの浮ついたもののように感じられるのはなぜか。

経営者の根本精神が見られないのは、多くなったサラリーマン経営者の限界なのだろうか。経営者は、今一度、何のために経営するのか、考え直して欲しい。そして、人間をベースにした新しい日本的経営を創造して極めて欲しい。

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2006年8月 8日 (火)

中小企業の倒産

中小企業の倒産は増えそうである。中小企業といっても、その経営内容は様々だが、借金の多い中小企業は会社を整理する所が増えそうである。今まで、ゼロ金利で、何とかやりくりしてきたが、ゼロ金利解除で、そうもいかなくなる。

景気回復期における倒産増加はいつものことだが、今回は異常に増えるかもしれない。本来なら、もう既に倒産していなければならない企業が生き残っていたからで、当然の成り行きである。

ただ、この根本を見ると、当時の銀行の過剰融資が、今まで尾を引いているということだろう。国の支援で立ち直った金融機関は、大いに反省して、今回の景気回復に熱くならずに、融資はもっと慎重に心がけてもらいたいものである。そして、中小企業再生にもっと力を入れて、金融機関の社会的使命を全うして欲しい。

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2006年8月 4日 (金)

スマートな経営者の出現

大手製造業で、『偽装請負』とか、どこかせこい『派遣から請負』に切り替えとか、怪しい労働形態が広がっているそうである。それも日本を代表する企業である。例えば、キャノン、日立、松下などが挙げられている。これは、人をモノと考える“スマートな経営者”の出現であると言えるのかもしれない。

海外競争における厳しさは理解できるが、労働者を食い物にして、成果を上げても、それは長続きしないだろう。経営者は日本の製造業のあり方を根本的に考える必要がある。もちろん、日本の一部の過保護ともいえる労働政策も見直しが求められることは否定しない。

基本は今後は、正規雇用が正しいあり方であることに間違いはあるまい。かつての日本の雇用形態に戻す時期に来ている。長いデフレの期間は請負や派遣という短期労働の活用は致し方なかったが、これからは経営者も雇用については考え直す必要がある。

特に大企業においては、派遣や請負の制限を課す必要があるかもしれない。派遣や請負は独立系の中小企業が必要な雇用形態と思う。大企業の経営者は、もっと大きい人材の育成に関する志を持ってもらいたいものだ。大企業においては、派遣や請負は考え直す必要がある。基本は、原点に戻って、長期人材育成に主眼が置かれた雇用にすべきだ。日本的経営を再評価する時期に来たようだ。

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2006年8月 3日 (木)

職人不足という課題

モノづくりにおいて、プロといえる職人が高齢化と後継者不足で、どんどん減っている。原因は、若者が「すぐに金にならない」と考えるからだという。そこに若者意識をみる。確かに、プロになるには、長い年月が必要だ。実際、下積みを経験せずに、いきなりプロの真似をしても、本物はつくれない。

しかし、よく考えると、長い間かけて身体で作った経験は、滅びることはない。もちろん、絶えず学ぶ姿勢は必要だが、他者に負けることはない。人生において、そんなに様々な経験ができるわけではないのだから、ある程度ターゲットを絞って、やり込めば、一生使える貴重な資産になる。

ところが、それを妨げる仕組みがある。最低賃金法である。これは、能力のあるなしに関わらず、ある一定の賃金を支払わなければならない。それでは、雇う方に負担がかかり過ぎる。これらの職人を抱えているのは中小企業が多いからだ。だから、この仕組みを多少、変える必要があると思う。

もちろん、“技を盗む”個人の向上心と先輩が常に新人の能力を引き上げる努力をするという前提だが、職人育成には、少なくとも入社3年程度 (実際問題としては、職人がプロになるには10年かかるが) は、最低賃金法を適用しない仕組みの検討が望まれる。

また、違う仕組みとしては、あの『吉本』の仕組みも参考になるかもしれない。若い人たちの目立ちたい欲望を刺激する何らかの工夫も職人を必要とする産業側に求められる。そして私達一般人も、環境問題を踏まえて、長寿命商品の見えない部分での評価をすることが望まれる。

いずれにせよ、下積みを経験することなく、一流のプロになることは難しい。そして器用なだけで人が大成するとは限らず、不器用な人が大成することも多い。やはり継続は力ということだろう。若い人たちは、職人に是非挑戦して欲しい。

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2006年7月25日 (火)

自動車産業は衰退するのか

自動車の新車の売れ行きがあまり良くないらしい。確かに国内に限ってみれば、高齢化と少子化で、自動車を運転する人は減るだろう。それに東京圏を中心として、人口の集中は自動車産業にとって、あまりよくないかもしれない。

人口の集中は脳の仕組みと似ているそうだから、ほっておけば、都市化はもっと進んで、自動車産業は衰退するかもしれない。

だいたい、狭い日本において、車が必要以上に多すぎるのも事実だ。そこを人々の欲求を広告宣伝等で無理やり作り出し、需要を創造してきたツケが今来ているのかもしれない。

もちろん、自動車産業はそれなりの手を打っているだろう。ロボット化など高付加価値化やノン-ガソリン車への転換にビジネス拡大のチャンスを見出すのかもしれない。いや、国内市場は、今後それほど期待していないかもしれない。

ただ流風が注目するのは、少子化問題も絡めて、国の非都市化政策をするかどうかだと思う。車の利便性、車が走る距離、車を保管する場所などを考えれば、人口政策が車産業に大きく影響すると思うのだが、どうだろうか。

いずれにせよ、自動車産業は産業の裾野が広いため、国民生活にも大きく影響する。今後の動向を見極めたい。

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2006年7月 1日 (土)

大企業の申告漏れ

大企業の巨額な申告漏れが国税局から指摘されている。武田薬品工業1,223億円、ソニー744億円、三菱商事50億円、三井物産49億円など、そうそうたる企業が名を連ねている。

主たる要因は「移転価格税制」のようで、企業側にも言い分があるようだが、これだけ大きな金額でありながら、当局と事前に相談しなかったのだろうか。そこに若干の不誠実を感じる。

国内外に子会社を設立することが多い大企業は、まだまだ、この問題の対象になりそうなところは多いのではなかろうか。国税側は多く税を徴収したいだろうし、企業側は、納税をより少なくしたい気持ちはわかる。しかし、セコイ節税は、あまり意味がないだろう。あの松下幸之助が、「納税は社会貢献」であると、言ったように、その意味をもう一度、噛み締めてもらいたい。一般人も、また、納税をきっちりする企業を評価すべきだろう。

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2006年6月21日 (水)

タクシー業界の問題点

タクシー業界が大変らしい。料金の真の自由化はされていないはずだが、それでも競争が激しくなって、経営は大変らしい。

だが利用者の視点で考えると、タクシー料金は適正かどうかの判断は分かれる。利用者にとって、是非利用したい時は、安く感じるかもしれないし、あまり利用したくない時は、高く感じるかもしれない。

初乗り運賃が安くなっていると言うが、海外と比べれば高い。利用者からすれば、利用頻度によって、初乗り運賃300円も可能なはずだ。

そして基本的に、タクシー利用者が絶対的に少ないのでは、と思う。タクシー会社はそれぞれ販促活動しているようだが、流風は、その点が非常に弱く感ずる。販促が弱いのだ。

よくわからないが、運転手も、利用者に販促サービスを積極的にやっていないように感じる。それは、利用者が販促サービスを利用すると、運転手の実入りが減るという仕組みになっているのではなかろうか。

その辺を経営者側が配慮しない限り、販促サービスは適正になされず、利用者は販促サービスに反応しない状態になり、客は増えないままの状態に陥る。悪循環である。

また駐車の取り締まり強化に伴い、流れの客をつかむことがことが難しくなる現在、基本的には、配車中央センターの強化とマーケティングに基づく契約駐車場を借りたタクシーの分散配置が望まれる。タクシーは基本的に呼び出しが中心になると思うからだ。

そして駅に着いても、タクシー無料電話呼び出しのないところは多いので、(携帯で電話する利用客が多いと思うが、広告の意味も兼ねて)その充実も求められる。

それに運転手も積極的にタクシー会社の名刺を配布して営業する人も少ない。更に販促サービスの説明もこちらから聞かない限り、説明もない。

これらのことを積み重ねるという少しの意識変化で、経営状況は変るはずだ。そのためにも、経営者は運転手の営業企画参画を積極的に求めるべきだろう。

経営者の顧客サービス意識の向上とリーダーシップで、運転手の意識を変えれば、経営状況も大きく変るだろう。そうすれば、こんなに大変だと騒ぐこともなくなるだろう。

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2006年6月20日 (火)

阪神が消える

阪神電気鉄道が、阪急ホールディングスに統合される。経営内容のよい企業が、それほどでもない企業に統合される。何か腑に落ちない嫌な気分だ。こんなことが横行してよいのだろうか。村上ファンドの罪は大きい。付け込まれた阪神の経営者にも問題があったかもしれないが、不正はしていない。そう考えると、対等合併にできなかった、この統合は一体何なんだと言いたい。

いずれ阪神の名は消えることだろう。阪急のベースで経営され、今までの経緯からすると、阪神タイガースも売却されるかもしれない。それは仕方ない。電鉄会社が球団を持つ時代ではないから。だが、何か得心がいかない不愉快な統合だ。

しかし、結局、阪神も、阪急も、両方とも名前が無くなるのかもしれない。一つの時代の終わりを告げているかもしれない。全く新しい統合名称ができるかもしれない。そう考えて、新しい時代を歓迎すべきなのかもしれない。

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2006年6月 2日 (金)

中小企業は誰が育てるのか

中小企業やベンチャー企業の起業・育成は、いつの時代でも必要だ。だが、この「中小」と「ベンチャー」いうのが紛らわしい。単に小規模で起業と捉える人もいるし、上場を手段とした起業を指すという人もいる。共通して言えることは、社会に対して新しい取り組みをする企業と言えようか。

しかし、中小企業の創業の場合、ベンチャー企業のように、高いリスクをとって、時代を革新するようなビジネスとは基本的に異なる。だから当初は上場を目標とはしない。中小企業にとって、本来それは成長・飛躍のための段階的手段のはずである。それを勘違いしている経営者や投資家がいたりする。中小企業の創業とベンチャー企業の創業はそこが異なる。だが、上場したベンチャー企業の中には、中小企業と同様の意識の経営者がいる。そういうことが、投資家を含めて、意識を混乱させている。

さて、中小企業を育成するのは誰なのか、と問われると、それはまた様々な回答がある。例えば、昔は、中小企業の創業には、これと見込んだ人物には、篤志家という人たちがいて、彼らに資金を融通していた。その返済には期限を設けず、成功したら返す(出世払い)というリスクの高いものである。成功して、元本に加えて、どれくらい返すかも決めていない。

だから現在の投資家のように、早く回収するなど思っても見なかったのだ。それでも、当時の中小企業の創業者は、そのことに恩義を感じ、意気に感じて、皆、馬車馬のように働いた。だから、皆成功した。もちろん、失敗した人たちもいたが、それで追いつめるようなこともしなかった。新しい働き場を紹介したり、与えたりして、次のチャンスを与えたのだ。

現在では、中小企業が成功するには、第三者の客観的なアドバイスと実行力が求められる。地域銀行が大変な時期、中小企業は資金を集めるため、やむなく直接金融という上場を目指したが、それは本末転倒というべきだ。当時は仕方なかったが、(メガバンクほどてはないが)地域銀行もやや落ち着きを取り戻した現在、中小企業は地域銀行が育成すべきだろう。

その中で、力を養った企業だけが、更なる事業拡大に向けて、資金調達をするために上場する本来の姿に戻るべきだ。未だに上場に期待を寄せる経営者がいるが、上場は目的ではないはずだ。上場はしないというのも選択肢の一つだ。上場したベンチャー企業の経営者が投資家や格付け会社から罵詈雑言の限りを言われているのを知っているのだろうか。ベンチャー企業の経営者は覚悟の上とはいえ、真面目な経営者であれば、見るに忍びない。

新規事業を行う場合、ある程度のプレッシャーは必要だが、プレッシャーをかけすぎると、経営者の本来の使命感の達成につながらない。あの“助長”のようにあせってはいけない。使命感を損なう外部の圧力をできるだけ避けるには、中小企業は、ベンチャー企業のような早すぎる上場は避けるべきだろう。じっくりと中小企業を育成していく地域銀行の活躍が今以上に期待される。

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2006年4月26日 (水)

格付け評価の有効性

最近は、第三者評価といって、格付けばやりである。格付けが有名になったのは、金融不安の時代の金融機関の格付けであろう。当時、海外の格付け機関が作為的に格付けをしていたと思う。格付けなど、あまり信用できないものだと思ったものだ。

ところが、最近では、範囲が広がり、企業の格付け、医療の格付け、介護業者の格付けなど、多彩になってきている。特に形のないものを販売しているサービス業関係に多く見られるようだ。だが、この格付けは、その前提条件も、内容の調査の仕方も偏りがあり、どうも十分でなく、奇妙である。

例えば、どのような組織も、運営も、多面的であり、外部からの格付け指標には限界がある。一番良いところと、一番悪いところは、確かに明確になるであろう。だが、そんなところは、格付けしなくても、わかっていることである。その他の中間層に含まれるものを格付けしないと意味がないのだが、これらは多分に恣意的である。

多分、外部からは正確に評価できないのだろうと察する。それ故、調査する人間の意思が働く。だから評価する人間によって、格付け結果にズレが生じる。仮に数値化されているとしても、それは100%信用できるものではない。かえって、数値に騙されるのがオチである。それに、仮にどんなに公平に評価しても、それは最大公約数的な判断になりがちである。

そうなると、そういう格付けは、未来に対しては、あまり意味がないことになる。あの偏差値というものもそうだろう。あれは人間の評価を一時点において一面的にした評価法である。将来を踏まえた全人格的評価など数字でできるものではない。格付けも同様で、そういうものをあまり信用しない方がいい。仮に過去のことがわかっても、未来はわからない。

結局、自分の五感で確かめて、個別に評価するしかないのではと思う。もちろん、格付けが全く無意味とは言わないが、その利用価値には限界があることを知っておくべきだろう。人間社会に対してデータ依存症にならないようにしたいものである。

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2006年4月25日 (火)

ビュッフェ・サービス

最近は、外食産業において、顧客が参加するのは当たり前になっている。古くは、ウエイター・ウエイトレスのいないセルフサービスの外食産業がその走りであろう。最近はそのセルフサービスも進化している。ビュッフェ形式(別の表現ではバイキング形式)のセルフサービスも、従来はホテル等で多かったが、一般の外食産業でも多く見受けられるようになった。

このビュッフェ形式に、高齢者が群がっている。その理由は、彼らの食欲には個人差があり、定食のようなものはなかなか食べきれない人も多いからである。未だに豪華料理にこだわる旅館も多いが、そういう所は高齢者に敬遠されて久しい。食べきれない料理をいかに彼らが嫌うか、わかっていない旅館も残念ながら多いのだ。

高齢者が外食に望むのは、結局、美味しいものを少しずつ、という考え方でそんなに間違いはないだろう。高齢になると、楽しみは食事だけだ、とよく父が言っていたが、実際、そのようである。ブュッフェ形式は料理を選べるのが、何といってもいい。それにホテルの立食パーティーと違い、座ってゆっくり食事できる。彼らがビュッフェ形式を選択したがるのも頷ける。どうやらビュッフェ形式は全ての業態の外食産業に有効なようである。

ただ問題もある。一部高齢者のマナーの問題である。食べきれないほど料理を皿に盛り、計画的な食べ残しを持参のプラスチックのケースに取り入れて持ち帰っているのが、時々見受けられるからである。彼女等を見ると、そんなに経済的に厳しい人たちとは思えない。店の方は高齢者ということで、黙認しているようだが、ルールを明確にすべきだろう。一食代浮かせようとする企みはわからんでもないが。

また時間制限90分としているところもあるが、それは正しい方法だ。特に女性の場合は、話が長く、食事が終わっても、なかなか店を出ようとしないから。あの単価(現在のところ、1000円~1500円程度のところが多い)で、店に長く滞留されるのは、店では迷惑であろう。

それはそれとして、ビュッフェ形式の店が、まだ、それほど多いわけでもない。だが、日常的に、ビュッフェ形式は、まだまだ増えていくと思う。またパーティー感覚になりやすいため、いろいろな催し企画も求められるところである。今後の動向に注目したい。

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2006年4月20日 (木)

買い替えラッシュ?

買い替えについて、うだうだと。

冷蔵庫がつぶれて、止む無く買い替えた。一ヶ月ぐらい前から、生ものはすぐ腐るし、カビが生え、野菜等も駄目になる速度が速いなあと感じていた。「強」にしても、そんなに冷えないし。それを騙し騙し使っていたのだが、流石にもう限界と観念して、買い替えた。

容量も前のよりは大きい。入れるものがなくて、ガラガラ状態だ。大きい方が比較的安くて、電気代も安いということだったのでそうしたのだ。もっともメーカーや機種によっても違うが。それにしても、最近の冷蔵庫は、ちまちまと細かいことが考えられている。主婦の意見がたくさん入っているのだろう。前に買ったのが15年前だから、そのシンプルな内容と比較すると、時代の格差を感じる。

また電気屋の人から、15年もよく使ったねえと感心されたが、実家は20年以上使っているはずだ。こういう電化商品は当たりはずれががある。メーカーは計画商品寿命を設定しているはずだが、使い方や諸環境で商品寿命は異なる。さあ、今度の冷蔵庫はどれくらいもつか。

そういうと、今年は腕時計も壊れた。これも15年前くらいに購入したもの。防水機能はもう駄目らしい。現在のところ、時計は何とか時を刻んでいるが、いずれ駄目になるかもしれない。シンプルだが、気に入ったデザインなので、また同じものを買うかもしれない。携帯をそんなに持ち歩かないので、腕時計は必要な人。まあ、これもとことん駄目になるまで使うのだろうけど。

更に、自転車も15年以上乗っているが、途中でタイヤや部品の入れ替えで何とか使ってきたが、限界に近づいている。最近は自転車をあまり使わず、健康のため歩くようにしているが、それでも流風にとっては、自転車は必需品。車体はしっかりしているので、修理すればまだ使えるかもしれない。しかし、全体的にガタがきていることも事実。矢張り、次はどんなタイプを買うか目をつけておこう。

どうも、今年は買い替えの年にあたっているようだ。だが、次々と壊れて欲しくないなあ。次に何が来るのか。そういうと、流風の気持ちもリフレッシュして、入れ替えないといけないなあ(笑)。

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2006年4月17日 (月)

創業者の苦労話

日本では起業家は成功しないと尊敬しされないが、起業そのものは大変なことである。それに起業しても全ての企業が生き残るわけではない。成功者は一握りに過ぎない。成功者に対しては世間に囃し立てられるが、失敗者には冷たい。

起業したときは、甘い言葉をかけても、失敗すれば人は冷たくなる。確かに、起業者としての心構えは必要だ。だが、起業した人々をもっと支えるという意識があってもいいのではないか。確かに全ての起業が筋の良いビジネスとは限らないので、厳しい起業審査のようなものは必要だろう。闇雲に起業しても、社会全体としてもロスが大きいからだ。

しかしながら、一旦起業すれば、バックアップする仕組みは求められる。経営者は日夜ビジネスに邁進すると、どうしても、時として時代や流れを読めなくなることもある。そういった時、客観的に適切なアドバイスをする人がいれば、経営者は助か