考え方

2017年5月25日 (木)

李下に冠を整さず、というと

どこかの首相が、学園関係者に便宜供与したのではないかと前々から話題になっている。強い指示をしていたという状況証拠から言うと、かなり怪しいことは確かだ。少なからず、彼らと交流があったことから、その疑念は深まるばかり。

首相に限らず、トップにある人は、その職務権限において、他者から怪しまれるようなことはしてはならないだろう。法律上は問題なくても、そのような立場に身を置くことは好ましくない。

昔から、李下に冠を整(ただ)さずと言うが、今回は、この話の謂れを取り上げよう。中国・戦国時代の話だ。斉は威王が位にあった。国内は、佞臣(ねいしん)周破胡に握られ混乱していた。彼は有能で自分に都合の悪い人間を除外し、能力的に自分の意のままになる出来の悪い人間をかわいがった。

これを見かねた後宮にいた虞姫という女が「周破胡を退け、賢明な北郭先生を用いるべきだ」と大胆にも王に訴える。ところが、このことが、周破胡の耳に入ってしまう。彼は、そのことを恨んで、虞姫と北郭先生の二人の関係は怪しいと言いふらす。

このことにより、王は虞姫を幽閉する。破胡は、これ幸いと買収した役人を使って彼女を罪に落とそうとする。ただ、王は、この調べ方に疑問を持って、改めて虞姫に直接、質(ただ)す。

彼女は、「王のために尽くしてきました。よこしまな人間に陥れられたけれど、私は潔白です」と主張。更に、「『瓜(か)田で履を履き替えず、李下に冠を整さず』というように疑われることを避けなかったこと、幽閉されても誰一人申し開きしてくれる人がいなかったことが私の至らなさです」と言った。

そして、「群臣が皆悪いことをしている中で、破胡が最も悪いことをしている」と再度、警告する。王は、その真心のある言い分に目が覚め、即刻、佞臣を罰し、賢臣を改めて任じて、国政は安定することになったという。

為政者は、常に用心深く、慎みを忘れてはならない。他人から、怪しいと嫌疑をかけられるような行いや言動は極力避けなければならないと先人は教えている。教養のない政治家が跋扈すれば、国政は危うい。

*参考

「李下に冠を整さず」は、『文選』・楽府・君子行にある。この文の前に、「君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に處(お)らず」という一文がある。意味は、「君子たる者は、人から疑いを招くようなことを未然に防ぎ、嫌疑をかけられるようなことはしない」ということ。

某国の首相は、その点で非常に甘く、三流政治家の域を出ない。周囲の佞臣たちは、それをいいことに彼を利用している。

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2017年4月19日 (水)

沢庵の『不動智神妙録』を再読

最近は、塩分が多く含まれる、たくあんを食することが減ったが、以前は、よく食べていた。あのポリポリ感が好きであった。たくあん漬けは、昔から関西では普及していたようで、果たして、沢庵が考案者であるかどうかは不明なようだ。だが、彼の名を冠として被せることで、全国的に普及したのかもしれない。

今回は、以前にも、一文を取り上げた彼の著作『不動智神妙録』を再読した。但馬国出石の生まれの彼は、戦国時代、織田、豊臣、徳川の時代を生きていたので、バランス感覚が鋭い。よって、徳川家の方針に反したとして、流罪になったりしている。その後も、権力におもねることなく、仏教を独立したものとして捉え続けた。

その彼が、友人でもある柳生但馬守に対して、剣禅一如を説いたものが、『不動智神妙録』だ。貫かれる精神は、「今の世に順じれば道に背く、道に背くまじとすれば、世に順ぜず」というもの。

これを現代的に解釈すれば、例えば、マスコミが権力に近づいて取材しようとするが、近寄り過ぎると危なく、道を誤りかねない。そして、正しい道を追いかけると、権力に反することになる。よって、独立した精神を持ち、背骨をしっかりして取材することが必要だということになる。

比較的短い文章なので、関係者は熟読してほしいものである。また多くの各分野の指導者を目指す人にも参考になるかもしれない。

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2017年4月18日 (火)

遠水は近火を救わず、ということ

朝鮮半島が騒がしいが、戦争になった時、頼りになるのは隣国ということになる。昔の隣国と現在の隣国は、必ずしも距離的に一致しないが、それでも、近隣諸国との交流は大切である。

『韓非子』には、遠水は近火を救わずという文言も見える。魯の国は、隣国の斉に脅かされていた。そこで、魯の穆公は、公子たちを、強国の晋や荊に仕えさせる。これらの国と親しくしておくと、危急の場合、援けを求められると考えたのだった。

しかし、火事になった場合、遠くにある水源は役に立たない。同様に、晋や荊は遠く離れているので、斉に攻められたら、最早、救援は間に合わない。よって、これらの国々は、援けようとはしないだろうと、臣下が諫めたという話だ。近隣外交が大切だと当局は気づくべきだろう。

*追記

隣国との付き合い方は、確かに難しい面もある。それゆえ相互理解が欠かせない。

*追記

遠くの親戚より近所の他人が大切と、よく言うが、これも同じこと。近所との付き合いは大切だ。

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2017年4月13日 (木)

節度よろしきを得るということ

よく腹八分目ということが言われるが、健康維持には欠かせない。腹満杯というのは、時にはいいかもしれないが、それが常になると、腹の働きが悪くなり、健康を害すと言われてきた。そして、八分目というのは、何も食だけに限らない。

確かに、100%の力を出すことは、悪くはないが、続かないもの。80%の力で継続する方が、最終的には100%の力を出す人を凌ぐことはよくあること。もちろん、一時的に、100%の力を必要な時もある。でも、それは続けてはならないし、続かない。

よって、能力が足りなくても、悲観せず、切磋琢磨を続ければ、やがて成果はついてくる。要するに継続は力なりということになる。

*注記

ただし、昔の人は、この言葉を上記のように解釈していない。つまり仕事のためには、その他のことは、八割程度に留めておくというものであった。仕事以外のこととは、食事、酒、趣味、行楽、異性関係、そして、家庭のことも。要するに、仕事第一主義ということだ。仕事に対する心構えとしては適切であろう。

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2017年3月15日 (水)

人の世話ということ

子供の頃、親からは、人の世話になることは極力避けよ、とよく言われた。だが、この世の中は、一人ではやって行けないことも確か。世話になっているつもりはなくても、どこかで世話を受けている可能性もある。

親の言っていたのは、多分の金銭がらみのことであろう。多くの犯罪は、金銭の貸借から生じる。よって、世話になる、すなわち金を借りることだけでなく、世話をする、つまり貸す方もトラブルに巻き込まれる。貸せば、返却期限にきちんと返って来ればいいが、そうならないことの方が多い。

結局、双方が気まずくなり、関係が破綻し、それ以上の憎しみを持ったりする。よって金銭上の世話になることは避けることが必要だ。それが、たとえ少額であっても同様だ。人間関係を正しく保つには、日頃の心がけが重要で、借金が必要にならないような生活の仕方が問われる。

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2017年3月13日 (月)

失敗は成功の素~『菜根譚』より

久しぶりに『菜根譚』を取り上げよう。失敗は成功の素と、よく言われるが、同様のことが、『菜根譚』でも語られる。

 未だ就(な)らざるの功を図るは、

 既に成るの業を保つに如(し)かず。

 既往の失を悔ゆるは、

 将来の非を防ぐに如かず。

解釈としては、次のようになるかもしれない。

「未だ見通しのつかない成功に頭を悩ますより、既に成功している事業を一生懸命に続け発展させる方が価値がある。また、既に失敗してしまった過去のことをくよくよするより、将来、同じような失敗をしないようにすることの方が大切だ」

過去の失敗に囚われたり、未来を夢想するより、現実を直視せよ、と言っているように思える。

 

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2017年2月25日 (土)

蘇軾の三養

今回は、蘇軾の言葉。蘇軾は、蘇東坡のこと。彼が、「三養」という言葉を遺している。三養とは、福、気、財を養うことを指す。

すなわち、身分が安定すると福を養い、胃を休めると気を養い、無駄遣いを戒めると財を養うということを言っている。

尤もなことと思うが、凡人は、忘れがち。望み過ぎず、改めて気を引き締めたい。

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2017年2月 2日 (木)

情報を捌く力

現代のように情報が溢れる時代には、各個人に情報を捌(さば)く力が求められる。かつて「情断」という言葉が作られたが、無駄な情報や作為の情報は断つのが望ましい。問題は「無駄な情報や作為のある情報」とは何かということ。常々、そういう問題意識がないと、現代人は忙しく、情報に流されてしまう。一体、どうすればいいのか、難しい問題だ。私自身も試行錯誤の毎日だ。一般的に言われてるのは次のこと。

一、自分で情報を捌く技術を身に付ける

自分にとって何が重要な情報かの見極め。

二、情報を捌く技術を持つ人の意見を参考にする

やはり情報収集・分析専門家の声は参考になるかも。

三、確実な情報を流す情報源にのみアクセスする

マスコミ等媒体の信用度の再確認。またネット情報の信用度の確認。その上で、各種情報に接しても、丸呑みしない。自分で考えるくせを付ける。

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2017年1月26日 (木)

壮年、老年の天分

若い人たちで、解決できないことがある。その時、ベテランが乗り出して、解決する場合も多い。伊庭貞則は次のように言っている。

「壮年、老年、おのおの与えられた天分がある。若い者が出ては事が荒だち、老人が顔を出すと何一つ難しい理屈を言わずとも、丸く収まることがあるから妙じゃ」と。

もちろん、いつもいつも、壮年や老年が乗り出して解決することはないかもしれない。伊庭が言っているのは一般論で、最近は、壮年、老年が乗り出すと、かえって、こじれることもある(笑)。

よって、相談するのは、それなりに認められた壮年、老年でなくてはならない。若い人たちは、壮年、老年が、それなりに経験を重ねており、彼らに相談して、知恵を借りるのも悪くない。

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2016年12月19日 (月)

蓋し、この身と、、、

『千字文』に、「蓋(けだ)し、この身と髪は、四大と五常よりなる」という一文がある(*注)。身と髪とは、身体髪膚のこと。四大とは、地水火風のことで、人間の体の構成要素を指す。五常とは、仁義礼智信のことで、身を立てるための精神的要素を指す。

詳しい説明は避けるが、自分が何からなっているのか、時々考えてみるのも悪くない。

*注

但し、原文は、「蓋此身髪 四大五常」

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