男と女

2009年12月19日 (土)

女性のオス化現象

仕事のできる女性は、どうしても男性化する。これは今に始まったことではなかろう。仕事ができたかどうかは不明だが、戦前の歌にも、“うちの女房にゃ、髭がある”というのがある。歌詞はネットで確認してほしい。

強くなって男性化した嫁さんのことを自嘲気味に歌ったものだ。杉狂児と美ち奴という人が掛け合いで歌っているコミカルな歌だ。戦後生まれの流風も、子供の頃、歌の調子がいいので、ラジオから流れるのを聞いて、よく歌った。母は嫌な顔をしていたが(笑)。

ところで、最近、某電機メーカーが、独身女性500人に対して、自分が男性化しているか調査したらしい。面白い企画を考えたものだ。企画したのが、女性かな。自分のオス化と同じ程度の人が、どれくらいいるか知りたかったのかもしれない(笑)。

確かに、最近は、女性の社会進出に伴い、周辺の女性は男性化した女性ばかり。皆、しっかりしている。そして、男は、逆に流風も含めて頼りない(苦笑)。でも、これは平和のなせる業か。男というのは戦争の時にしか、男を発揮できないのだろう。

いいのか、悪いのか。それでも、平和の方がいいだろう。でもなあ、付き合う前もオス化した女性で、結婚後もオスとなれば、変な感覚(笑)。それに付き合う前は女性でも、いつかオス化する女性。いずれにせよ、男は、あまり女性に対してロマンチックな夢を見てはいけないということだ、若い男性諸君。男はロマンチックだからねえ。

それでも、男としては、女性のオス化を当面容認しますかな。ところが、彼女らのオス化は、本質的なものではない。あくまでも、「男化」だ。男だと思って、話していたら、女性の顔が、臨機応変に出てくる。上手に男と女を使い分けるから、厄介だ。

ここら辺が、男を悩ませる。こうなると、帰国子女と付き合う感覚でいないと、いけないのだろう。やまとなでしこは、もう遠い夢物語というか、幻想なのだろう。まあ、過去に、やまとなでしこが、いたかどうかもわからないけれど。

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2009年11月19日 (木)

世の中の不思議

遠くて近くは、男女の仲と言うが、最初に言ったのは、清少納言と云われる。『枕草子』の第167段に、「遠くて近きもの。極楽。舟の道。人の中」とある。この「人の中」というのを、男女の仲と捉えるらしい。

それにしても、極楽も、そうなのかなあ。まあ考え方次第ということでしょうか。何を極楽と考えるかで、それは決まるのでしょう。追いかけるより、考え方ということを示唆しているように思う。舟の道は、当時の交通手段からすると、そうなのでしょう。

では、男女の仲は、どうかというと、確かに、それは言えているかもしれない。そして双方の好意があって成り立つのは明らかだ。距離が近くなったり、遠くなったりしても、気持ちが通じ合えば、男女の仲はなる。

男と女は、いろんな縁で結ばれている。これは、ある意味、奇跡だ。人間生まれてくるのが奇跡なら、男女が結ばれるのも奇跡ということだろう。奇跡と奇跡の結びつき。この世は、不思議だらけ。

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2009年10月 8日 (木)

相手に望む年収の幻想

若い女性も、年頃になれば、今も結婚を望むのは変わらないようだ。30歳近くになれば、それなりに周囲は、家庭を築く人も多いだろうから、少し焦り気味の女性もいるかもししれない。

逆は、私は私と、我を張る人もいるかもしれない(笑)。前にも、記したように、現代の女性は、そこそこ稼ぐし、実家では、経済的に比較的ゆっくりと育ってきた人も多いかもしれない。それがそのようにさせるのだろう。

それが結婚を望むのには禍ということも指摘されている。結婚して生活水準を落とすのが嫌という女性が多い。そんなことを言う人は、本当に人を愛したことがないからだろう。自己愛が強すぎて、他人を愛せない。

だから、相手に望む年収として、500~600万円(あるいは、それ以上)なければ駄目だと言う。しかしながら、男の一生は不安定なのもので、現在の年収で、相手を選ぶのは、極めて危険なことだ。いつまでも、その年収が保証されているわけでもなく、さらに年収が増え続けるかも、わからない。

むしろ、旦那が倒れたら、自ら稼ぎだすことも求められる。人生、何が起こるかわからない。であれば、相手の可能性を信じて、飛びこむ勇気も必要だ。女性は、男次第と言われるが、男も、女性で大きく変わる。

あなたは、下衆な言い方をすれば、「アゲマンか、サゲマン」かが問われている。それは、あちらのことを指しているが、それだけでなく、パートナーへの接し方で、男が変わることを忘れてはならない。相手に望む年収は幻想だと知って欲しいものだ。

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2009年10月 1日 (木)

こがれ死に、ということ

   ゆく蛍 雲のうえまで いぬべくは

        秋風ふくと 雁に告げこせ

                (在原業平、後撰集)

暑さがぶり返したかに見えたが、朝晩は、日を追うごとに秋らしくなっている。なかなか咲かなかった萩も、やっと咲いた。秋風は、まだ強く感じてはいないが。

最初に示した歌は、ある男に恋い焦がれた良家の女性が、こがれ死にしたことを、その母親に聞いて、男は駆けつけたが、もう既に、その女性は、この世のものではない。季節は旧暦6月の末で、まだ暑い季節に詠ったもので、日の入り後、少し涼しくなった状況を指しており、現実に強い秋風は吹いてはいない。

夜風にあたり、蛍が舞いあがるのを見ながら、情を交わすことができなかった無念を感じながら、男は、この歌を詠んだのであろう。結構、男は、こういう後悔をするものだ。だから、女性も、気持ちの意思表示を明確にした方がいいかもしれない(笑)。男は、概して鈍感だから、態度で示さないと、男には通じないものである。

さて、今でも、男女ともに、いろんな異性に、憧れたりするだろうが、こがれ死にする人は、さすがにいないかもしれない。大体、憧れるというのは、遠くから見て、その実体を知らないから(笑)。まあ、本当のことを知れば、憧れることもない。

ただ現代は、あまりにも、あけすけに相手が見えてしまうことが、異性の魅力を減じているとも言える。自分を全て見せることは、却って、逆効果なのだ。だから、大体は知っているけれど、わからない部分もあるというのが、望ましい。もちろん、悪意があれば問題だが。

でも、憧れる異性があるというのは、最早、羨ましい限りだ。あの若い時分には、もう戻れない。

*出典 『伊勢物語』

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2009年9月15日 (火)

声美人と美しい言葉

女性で、声美人というのがある。電話で話すと、聞き手に非常に気持ち良く感じる女性のことだ。それは声のトーンとか、話し方に魅力があるからだろう。受付とか、コールセンターの女性には、それが求められる。ラジオのアナウンサーも、そういう仕事の範疇かもしれない。

声はすれども、姿は見えずだから、聞き手は、声だけでイメージして、男は想像たくましゅうする。実際、会って見て、がっかりということもある(笑)が、それでも、声のトーンや話し方は、人柄まで規定する。

挨拶も同様で、すれ違った時に、明るく挨拶されると、実際以上に女性は美人に見える。それは容姿と言うより、全体の雰囲気で、その女性を評価するからだろう。ということは、女性は美容法や身体を磨く以上に、言葉の発し方を学んだ方が、賢いということかもしれない。

もちろん、容姿はいい上に、美しい言葉を発する女性は、完璧だろうが、そういう女性は近づきにくい。男は、意外と臆病なのだ(笑)。それは逆のケースもそうかもしれない。ということで、男女のカップルで、完全な美男美女という組み合わせは、世の中、極めて少ない。

話を元に戻すと、女性は美しい声で、美しい言葉を発した方が、得をするという話だ。それは男に媚びよということでもない。美しい声で、美しい言葉を発することで、自分の価値を高めることは、自分に大きくプラスすると考えてほしい。最近は、男言葉を真似て、乱暴な言葉が、変にいいように捉えられているが、それは大きな誤解だろう。

*参考

  「美しい行為は、美しい言葉から生まれる」(ゲーテ)

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2009年9月 3日 (木)

女の一生は男次第!?

先日、電車に乗っていて、若い女性三人組の話声が聞こえてきた。その内容は、ある若手女優が大資産家と結婚する話題で持ちきりだった。確かに、その若い女優が、玉の輿に乗ったのは、間違いないだろう。しかし、あまりそういうことに憧れる姿勢は、望ましくない。まあ、彼女らは、単なる芸能情報を楽しんでいるだけかもしれないが。

よく親が言っていたことに、「玉の輿は、必ずしも幸せではない」ということだった。お金持ちという者は、資産はたくさん持っているかもしれない。しかし、それらを湯水のように使えるわけでもないだろう。むしろ、資産を減らさないようにするには、一般のサラリーマンより、質素な生活を送らねばならない。

贅沢できると思って、嫁いだつもりが、大変な生活が待っていたという話もよく聞く。もし、嫁いで贅沢できたなら、その資産家の未来は暗いというのも、事実なのだ。そう考えれば、若い女性たちも、玉の輿の発想を捨て、もっと平凡な家庭を築くよう努力してほしい。平凡が幸せだと思って欲しい。平凡に暮らすのは、案外難しいことかもしれないが。

それでは、女性が男を選ぶ視線は、果たして、どのようにあるべきなのか。最近、婚活、婚活、と、騒がしいが、男女が出会える場は限られているのだろう。それに世話する、おばさんの数も減っている。そういうことで、自ら、異性と出会える場に参加して、パートナーを得ようとしていることはわかる。

自立した女性も、仕事ばかりしていても、あるいは楽しいことをいっぱいやっても、やがて満たされない自分があることに気付くのだろう。まあ、人間であれば、それは自然なことだろう。多分、何らかの理由で、心のブレーキが強く働いていた女性たちが、異性探しとして、婚活をしているのだろう。

だが、そういう場でも、繕われた自己を表面に出すのでは、真のパートナーは得られないだろう。いかに自分を、ある程度さらけ出して、長所も欠点も、容認してくれる異性を探すことが求められる。

角隠しなんて、結婚式の行事があるが、結婚してから、角を見せられる夫もかなわない。現代は、角は角として、結婚前からある程度、見せておくのも、長続きさせるコツだろう。その方が、男は覚悟できる(笑)。もちろん、ある程度は隠すことも必要だけれど。

もちろん、パートナーの選択は大切だ。現在、ある女優の薬物問題が、ずっと取りあげられ、その原因は何だったのか、と言われている。遊び人の彼を選択したのは、仕事へのストレス、管理されたイメージの窮屈さ等からの開放したい気持ちがあったのだろう。

確かに、彼女にとっては、面白い話題満載で、あちらこちらに遊びに連れてってくれて、非日常体験させてくれる男がよかったのだろう。結婚生活より、自分を解放してくれる男を選択したのだ。

しかし、これは明らかにパートナーの選択ミスということだろう。これは一般女性にとっても、参考になるのではないだろうか。結婚後、遊んで生活できるわけでもなかろう。そんなことをすれば、生活は破綻する(金銭的な面だけでなく)。ということは、仕事ばかりで、世事に疎く、あまり面白くない男でも、真面目であれば、彼の「母親」になるつもりで、パートナーにした方が幸せかもしれない。

女の一生は男次第と、よく言われるが、結婚は確かにそういう面もあるだろうが、女性の異性の選択の考え方が、その後の一生を決めると理解した方がいいかもしれない。

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2009年8月 5日 (水)

若造りの弊害

人間、いつまでも若いと思いたいのは誰もであろう。しかし、日々歳を重ねていくにつれて、老いていくのは仕方ない。年齢は、誤魔化せないものだ。それを無理して、若造りしても、却って老醜を晒すだけだ。歳相応の身なりは大切だ。特に女性にそのことが言える。

ある女優も、かなり高齢と思うが、かなり若い役をされている。もちろん、役者はある程度の年齢の幅の役は、こなさなければならないだろう。だが、それが行き過ぎると、いくら役者でも、みっともないだけだ。周囲も、それに配慮しなければならないが、それができていない。

それは一般の女性でもそうだ。中高年の女性が、美容だ、エステだ、特別の化粧だと言っても、すでに土台は崩れかけている。そんなところに、無理にいろんなことを施しても、若返るわけでもない。それに中身が伴わなければ、最悪である。むしろ、全体バランスを崩せば、それは却って醜いだけだ。

ファッションにしても、そうだ。いい年齢なのに、若い時のファッションにこだわり、それを着用すれば、まるでチンドン屋のような状態になる。それはいくら有名ブランドでも同様だ。自らの年齢を自覚し、それなりのファッションにすべきだろう。

年齢相応の美しさの表現は、きっとあるはずだ。それは経験からにじみ出る人柄だったり、言葉遣いや所作、それに若い人に対する接し方というような人間の中身であろう。あらゆる意味において、若い人の憧れの存在であって欲しい。

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2009年7月20日 (月)

接吻の謂れ

接吻なんて言葉は、今の若い人は、使わないだろう。日本語での表現は、そうなるが、ほとんどが、キスという言葉を使っているだろう。以前は街中で、若い男女が、いちゃいちゃしてキスをする風景を見かけたが、最近はどうなのだろうか。それにしても、外国人が、屋外でキスしても、様になるのに、日本人がすると、汚く見えるのだろう。

さて、この接吻、いやキスの謂れは、本来、女性からのものだったらしい。トロヤが戦争で落ちた時、生き延びた、いくつかの男女が舟に乗り、風に任せて、ローマのある地域に行き着いた。しかし、船旅が嫌になった男が舟を焼き払ってしまうと、他の男たちは怒った。

しかし、女たちも、船旅に飽きていたし、ここに定住するのもいいと思ったので、男たちの怒りを鎮めるため、男たちの口を自らの唇で塞いだことが始まりとされる。当時の女性は、なかなやりますね。日本の夫婦と事情が違うようで(笑)。

ちなみに、日本では、接吻に相当する言葉が文学で、初めて示されたのは、『土佐日記』とされる。その中に、「くちすい」という感じの言葉がある。わかりやすい。次のような一文だ。

 ただ押鮎の口をのみぞすふ。

 このすふ人々の口を、押鮎もし思ふやうあらむや。

舟には彼女は乗っていないから、あまりの恋しさに押鮎の口にあてて、キスをしている。イメージとしては、フレンチキスではなくて、ディープキスの感じ(笑)。元日なのに、旅の寂しさを紛らしている風景。果たして、彼らの彼女たちも、そう想ってくれているのだろうか。

この一文に関心を持ったのは、高校生の頃。口吸い、口吸い(笑)。当時は、今の高校生みたいにすれていないから、純朴な流風。それでも、こういったことには関心があった。友達のように、堂々とエロ本を学校で読んだりはしなかったが、父の週刊誌のエッチな記事を盗み読みしたり、異常に「性」という文字に惹かれたものだ。それは、ついに「人間」性、や個「性」の性にも、反応しものだ。懐かしい(笑)。

また違う方に脱線してしまったが、接吻は男女関係のきっかけでは、大切な意味を持つ。大きく言えば、世界の歴史も、接吻の歴史と言えないこともない。それにしても、石田純一、頑張るなあ(笑)。接吻のうまさで、落としたのかな。それとも、意外にも理子さんが、口を塞いだのだろうか。

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2009年7月16日 (木)

嗜好の違い

人間、嗜好の違いはある。その人間の育ってきた環境、プロセスによって、その違いは出てくる。だから、自分の嗜好や好みが、全ての人に受け入れられるとは限らない。流風も、よく失敗したことは、お中元やお歳暮で、自分が美味しいと感じたから、贈る先も、そう感じるだろうと思って、贈ったところ、意外と不評だったりする。

もちろん、お中元やお歳暮の場合は、贈った先の主人より、その奥様が、その評価をされるので、単純に、その相手との嗜好の違いとは、言い切れないが、トータルでは、嗜好の違いはある。

だから、自分が好きだから、相手も好くだろうからということで、推薦することは、ある意味間違っている。あくまで、自分は、これが好きだ、という表明に過ぎない。それ以上はない。

例えば、映画評論や書籍評論を時々、目を通すが、その評価は、その通りの場合もあるし、真逆の場合もある。評論家の見方は、専門家であれば、ある角度からでは、正確であるが、別の角度から見ると、その評論が適正でないことも多い。

物事は、全て、多面的だということだろう。もちろん、明らかに愚作であれば、それは、皆の意見は一致するだろう。だが、ある程度の監督や作家の創ったものであれば、全てが否定されることも少ない。

後は、評論家の感性による好き嫌いに過ぎないのではないか。それは言い換えれば、嗜好の違いとも言える。嗜好の違いは、感性の違いでもある。全ての人が、同じ感性である必要はないだろう。

男女が一緒になって夫婦になる場合も、その感性は違うだろう。結婚前の男女が、似たような感性だから、うまくいくと考えるようだが、必ずしも、そうではないだろう。むしろ、結婚前は、感性が大きく違っても、長い時を経て、似たような感性に近付くことは、よくあることだ。

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2009年7月 3日 (金)

女性の顔

ブスを主人公にした小説があると聞いて、少し立ち読みしてみた。子供時代、関心のある男の子に、皆の前で、ブス呼ばわりされて、拒食症になり、登校拒否する女の子。一体、ブスの基準は何なのか、そういうことを投げかけている内容だ(*注)。

そういうと、小さい子供の頃、近所の女の子に、「おかちめんこ」と言って、怒らせたり、泣かせたりする男友達がいた。流風じゃ、決してありませんよ。ホント。それに、その近所の女の子が、実際は、「おかちめんこ」ではなかったと思う。

大体、女の子に、暴言を吐くのは、確かに、額面通りの時もあるが、関心のある女の子に対してのことが多い。スカートめくりするのも、自分に関心を持ってもらいたいからだ。一種の男のテレなのだ。こういうのは、大人になっても、なかなか抜けないね。御同輩(笑)。

確かに、大きくなっても、若い時は、やはり女性の顔で区別する。もちろん、ある程度歳が行っても、最初は容姿やスタイルは注目する。いろんな経験をして、やっと真実にめぐり逢える(笑)。

ところで、以前、美人論でも触れたが、日本の男は、美人の要件として、一に瓜実顔、二に丸顔としてきた。もちろん、その下にも、いろんな呼び名がある。多くの女性に非難轟々の可能性もあるかもしれないが、れっきとした書物に紹介されているので、順番に記しておこう(笑)。男の場合は、どう呼ぶのだろう。男は顔じゃないが。

 一に、瓜実顔

うりざね顔とは、瓜のように細面の顔を言うのだろう。確かに、美人に見えやすい。色白は、七難隠す、と云われたが、それと似ている。そういうと、昔の美人の人形はこのタイプで作られている。

 二に、丸顔

丸顔は、説明要りませんね。流風の母も、丸い顔でした。どちらかと言うと、かわいい系。本人は、子供の頃、お盆のように丸いと言われて気にしていましたけれど、若い頃は、結構、人気があったらしい。男は、本能的には、丸顔が好きのようだ。流風もね。

 三に、角面

角面も、その通りで、四角い顔。あまり美人はいないと思うが、意外と順位が高い。エラがはった女性は、男を幸せにすると関西では言うが、本当かな。

 四に、長面

長面も同様に、馬のように長い顔。女優さんにも、割といますね。誰とは言いませんが。最初は、馬面と思っていましたが、最近は慣れました(笑)。

 五に、盤台

盤台は、碁盤のように広く平べったい、のっぺりとした顔のことらしい。それに日に焼けて黒いのだろうか。

 六に、●●●●

目のことらしいが、文字は伏せておく。書籍には、そのまま掲載されていましたが、現代では、身障者差別用語とされる。よって解説もよしておく。昔は、人権に、そんなに関心がなく、そういうことを言うことが当たり前だった。過去に、そういう文化があったことは間違いない。

 七に、みっちゃ

これは、あばた顔のこと。病気で、あばたなら仕方ないこと。明智光秀は、婚約者が病気で、あばた顔になっても、婚約破棄をしなかった。できるようでできない。彼は偉いね。ちなみに現代では、若い時に、太陽にあたりすぎて、ソバカスの多い人になったことを指すのだろうか。化粧で隠してほしいね。

 八に、でぼちん

おでこが、出っぱっていること。要するに額が出ていること。額が広いのとは違うのようだ。おでこが狭すぎるのも、広すぎるのも、美しいとは言えないけれど、それは問題にしていないのか。

 九に、顎(あこ゜)なし

顎が短く、ないように見えること。短くても、かわいい人はいる。逆に、顎がしゃくれていても、いいのだろうか。

 十に、しかみ

醜く、怖気づいた顔のこと。能面から出ている言葉らしい。こういう表情は、別にブスだからというわけでもなく、結構、美人と言われる人がする仕種だ。かえって、美人のしかみ顔の方が怖い。

このように、男が全て、瓜実顔とか丸顔の女性を選択しているかと言えば、そうでないだろう。やはり気持の合う女性が一番なのだ。顔なんて、好き好き。蓼食う虫も、好き好き、と言うではないか。

それに、どんな美人も、三日で飽きると言われる。一緒に暮せば、顔ばかり見ているわけでもない。結局、人柄に尽きる。言葉を投げれば、きちんと返ってくる。そういうことが大切だ。喧嘩も含めてね(笑)。

それに女性の容姿は、髪の毛、化粧、ファッションで大きく変わる(化ける)。そう考えれば、顔の容貌よりも、姿勢の美しさが問われるだろう。女性も、親からもらった顔に手を入れるのではなく、姿勢を正して、内面、外面の美しさにもっと関心を持つべきだろう。流風が言っても、説得力に欠けるなあ(苦笑)。

*注   西加奈子著  『きりこについて』(角川書店)

http://www.kadokawa.co.jp/sp/200904-02/

彼女の経験に基づく話のようにも捉えられる。ただ、西氏がブスかどうかは、コメントを差し控える。でも、知性が漲り、好い顔をされていますよ。

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