男と女

2017年11月 6日 (月)

昔受けたセクハラ発言に思う

かなり前にセクハラにあったことを今頃になって、内外で発言する女性がいる。いわゆる記憶による「セクハラ」告発だ。ただ、昔のことは、過大に表現される場合もあるだろう。当時、嫌だった記憶を思い起こし、何かのきっかけで発言しているものと思う。

なぜ、その時に不愉快だと抗議しなかっただろうか。もちろん、言える環境でなかったとも言える。パワハラも絡めば、事は複雑だ。長い時を経て、敢えて話を蒸し返すのは、それほどに、不愉快な記憶なのだろう。それが男の記憶と大きく異なることだ。

ただ、セクハラの範囲も、年々拡大解釈されているように感じる。以前、企業では、「セクハラ対策マニュアル」が発行されていたが、今は、その範囲を大きく超えて、女性は「セクハラ」だと言っている。

こうなってくると、個々人でセクハラの受け取り方は異なるので、男は、女性と接触の機会を極力避けよということになる。男女のコミュニケーションの手段も限られてくる。となれば、電車で「女性専用列車」があるように、働く場に於いても、「女性専用職場」が出てくる可能性もある。

でも、女性だけの職場は、基本的に、ぎすぎすした感じを受ける。異性が一人いるだけでも雰囲気は変わる。異性と共に働く効果はあるはず。セクハラを受ける方にも、何らかの原因があると思うが、職場ごとに話し合ってルールを定めることが求められるかもしれない。

そうしないと無用のトラブルを引き起こし、職場自体がうまく回らない可能性がある。それぞれの職場で、セクハラについて、オープンに話し合うことが求められる。そして、ルールを公開すべきだ。その上で、罰則規定を設ければいい。

*追記

逆に、女性による男への「言葉のハラスメント(言葉の暴力)」も厳しくルールを定めるべきだろう。口が達者な彼女らの発言が、時として男を傷つける。男は、案外、ナイーブだ。外見で判断してはならないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月11日 (水)

女性が輝く条件

昔から、女性が一生輝いて見える条件として、次のように指摘されている。それは、SCI。すなわち、スマイル、コンフィデンス、インテリジェンス。日本語にすれば、笑顔、自信、知性。母は美しく老いたい、と常々言っていたが、これらが揃えば可能だろう。

*追記

更に付け加えれば、ある年齢になれば、「思い遣り」も入るかもしれない。英語にすれば、cosideratenessとかcaringに相当。そうすると、人間が深くなる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年9月21日 (木)

芸能人の好き嫌いの理由

若い頃、ある人が「誰それの女優が好き」と言っていたが、流風は、あまり好きでなかったので、「なぜ」と聞くと、きょとんとされた。つまり、「好き」というのに理由はないのだ。同様に、「嫌い」という時も、明確な理由はない。

要するに、なんとなく好きであったり、嫌いであったりする。確かに細かく見れば、容姿がいいとか、話し方がいいとか、演技がうまいとか、いろいろあるだろう。そして、瞬間に、好き嫌いを判断している。

もちろん、個人同士であれば、長く付き合えば、その人間性を把握して、情が移ることもある。でも、芸能人の場合は、映像とか、あるいは舞台で直接見聞きしても、その実態を把握することは少ない。

虚像と言えば虚像。それでも、多くの人々は、好き嫌いを表明する。そのため、芸能事務所は、イメージ操作をしたりする。つまり良いイメージを拡大し、よくないイメージを隠蔽する。

しかしながら、今は情報社会。最早、そういうことをやるには限界がある。よって今は芸能界も、芸能人の全人格が評価される時代に突入していると言えるかもしれない。それでも、好き嫌いは無くならないだろう。もう、それは最早、遺伝子レベルの問題かもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年9月11日 (月)

男が女に言われて喜ぶ言葉?

『黒革の手帖』の原口元子ではないが、一流のホステス(元子が一流かどうかには異論もあると思うが)になると、一か月1億ぐらい稼ぐそうである。基本的に、偏らない接客と臨機応変な話術が必要と言われる。顧客のレベルに合わせて、絶えざる情報収集と学習も怠ることはできないという。

ところで、「男が女に言われて喜ぶ言葉」として、次のようなものが挙げられていた。それは「さしすせそ」で示される。すなわち、

一、さすが

二、知らなかった

三、すばらしい

四、センスがいい

五、そうなんですか

ということだ。まあ、確かに、このように言われて喜ばない男はいないかしれない。裏読みすれば、次のように指摘できる。

一、「さすが」と、ちょっとしたことでも言っておけば、相手を持ち上げ、気分よくさせることができる。内容など、どうでもいい(笑)。

二、「知らなかった」。仮に知っていても、知らないふりをするのは高等戦術。相手に優越感を持たせて気分をよくさせる。

三、「すばらしい」。「さすが」と似ているが、最上級の褒め方かも。これで自尊心がくすぐられる。

四、「センスがいい」。仮に大したことはなくても、まず褒めて自信を持たせる。それで相手は安心する。

五、「そうなんですか」。相手に同調し、同じ動作をすれば、「こいつは俺のことを分かってくれている」と勘違いする(笑)。

でも、このクラスは、平凡なホステスの段階。ある意味、入門編。レベルの高いホステスになると、同調しつつ否定する。ただ、誰でもできることではない。そこが難しいところ。常連客が飽きないようにするテクニックだ。「さしすせそ」は一般女性にも参考になるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年9月 7日 (木)

若い女優の結婚

最近、某若手女優の結婚報道が流れた。芸能事務所は反対だったが、強行したという。事務所による恋愛禁止は、よく聞く話だ。芸能事務所にすれば、結婚で人気が落ちて、投資が回収できなくなるか、今以上のうまみを享受できなくなることを考えるのだろう。

だが、女優も人間。好きな人ができれば、恋もする。それを止めるのは不自然だろう。昔の芸能界のような掟は無用だろう。むしろ少子化の日本では、若い女優が早く結婚して、幸せな家庭を築くことは、早婚の広告塔につながる。

そう考えれば、芸能事務所も、若いタレントや俳優の結婚に反対せず、むしろ促進する姿勢が求められる。もちろん、仕事に影響するような妊娠は、計画性が求められる。また結婚すれば、確かに、一時的に人気は落ちるだろうが、後は本人の精進次第だ。

むしろ結婚後の新たな視野を活かす彼らの活躍の場の提供が大切だろう。そして、彼女らが様々な困難に直面しても、各種課題を解決して、いかに頑張るかが問われる。そうすれば、それは一般女性への励みにもなる。

若い女優の結婚は歓迎すべきだろう。芸能事務所にしても、むしろ結婚後の彼らの生活のバックアップ(例えば事務所保育等)をした方がメリットが大きいのではなかろうか。情報化時代、彼らの発信する情報は貴重なものになるはずだからである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年9月 5日 (火)

『万葉集』にみる遠距離恋愛

今回は、『万葉集』にみる遠距離恋愛を見てみよう。それが天智天皇と鏡王女(おおきみ)の相聞歌。但し、天智天皇が、まだ皇子だった頃の話で、当時、彼らは相思相愛の仲。まず、天智天皇の歌が次のもの。

妹が家も 継ぎて見ましを 大和なる

 大島の嶺に 家もあらましを

(巻第二 九十一番)

「あなたの家を、いつも見ることができたら、いいのになあ。あなたの家を見渡せる大島の嶺に家があったらと思う」という風な感じ。

これに対し、鏡王女が返した歌が次のもの。

秋山の 木の下隠り 行く水の

 我れこそ増さめ 思ほすよりは

(巻第二 九十二番)

「秋山の木々の下に隠れ流れる水、それは表からは見えないけれど、同様に、私の想いの方が、あなた様より優っていることでしょう。(心から深くお慕い申し上げています)」

木々の下とあるが、落ち葉が川に浮いて水が流れている状態と思う。それを歌に詠み込んだ鏡王女は、慎ましやかな人物であったと想像できる。歌としても、天智天皇の歌より優れていると思う。

それはそれとして、当時は交通もそんなに発達していなかったから、会うのは大変だったことがわかる。鏡王女の名から、彼女の親は、渡来系の鏡づくりの職人軍団の長であったと推定出来る。彼らの居場所は特定されたであろう(鏡を作る技術は秘密とされた)から、行くのも大変だったに違いない。

それでも、相互に惹き合う何かがあったのだろう。今でも、そうだが、恋人たちは、離れていると思いは増すものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月29日 (火)

『万葉集』の秋風

まだ暑いけれど、雑草抜きをしていると、さわやかな風が吹くようになった。それがすっと汗をぬぐい取ってくれる。そして、秋となると、人恋しい季節。流風でも、感じないことはない。

さて、今回は、『万葉集』の中から、女性の歌を取り上げてみたい。

君待つと 我が戀ひ居れば わが屋戸の

すだれ動かし 秋の風吹く

巻四 四八八番 額田王(ぬかたのおおきみ)

この歌の前書きに、「額田王、近江天皇を思ひて作る歌一首」とある。すなわち、天智天皇を思って詠んだ歌ということになる。

「あの方をお待ちして、恋い焦がれていると、(その心を察するように)私の家の戸口のところの簾を動かす秋風が吹く」という感じかな。

風をだに 戀ふるはともし 風をだに

来むとし待たば 何か嘆かむ

巻四 四八九番 鏡王女(かがみのむおおきみ)

これは、先の額田王の歌に対するもの。鏡王女は、額田王の姉とも、親とも言われる。渡来人であることは間違いなさそうだ(*注1)。

「その秋風の音にさえ、恋しがっているあなたは羨ましい。私は、風だけでも、やって来ると思って待つなら、何も嘆くことは有りません」という感じ。待つものがない寂しさが伝わる。

額田王も鏡王女も、天智天皇に愛されたが、この時は、額田王に愛が移っていた。鏡王女は中臣鎌足の正室になった(鎌足が天智天皇から下賜。もう少しマイルドに言えば譲られた。注2)。鎌足は、鏡王女が好きだったので大事にしたと伝えられる。鏡王女も、それに応えた。この歌は、鎌足が亡くなった後の歌と言われる。

*注1

額田王はバイリンガルだったと言われるが、鏡王女は、そのようだったとは言われない。姉妹だったとしたら、少し変。やはり鏡王女は渡来一世で、額田王は鏡王女の子供で、二世であるように思う。天智が人妻の鏡王女を略奪していたら、成り立つ話。まあ、この辺は、いろいろ想像されるが、事実は不明だ。

*注2

この時、鏡王女は、既に天智の子を宿していたと言われる。なお、鎌足は、存命中に、「藤原姓」を名乗れていない。天智の血をひく子供のみだ。よって、鎌足の他の子供は中臣姓。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月27日 (日)

映画『シャレード』を観る

何回観ても飽きない映画が、いくつかある。私の中では、1963年制作の『シャレード』が、その一つだ。まず、話の筋と展開が面白い。そして、豪華キャスト。オードリー・ヘップバーン、ケイリー・グラント、ウォルター・マッソー、ジェームズ・コバーン、ジョージ・ケネディ等。

話の筋は、戦前、軍に国の金塊を運ぶのを横領した5人。その内の一人が、ランバートなる男。その妻がレジーナ(オードリー・ヘップバーン)。ランバートは、列車から突き落とされ殺される。彼は、埋めていた金塊を独り占めし、逃げようとして殺されたのだ。

そこで、残りの4人が、換金されたお金を巡って、レジーナに、その在り処を追求する。彼女には、全く覚えはなかった。また謎の男ピーター・ジョシュアが、接触してきていた。彼は敵なのか、味方なのか。疑心暗鬼になるレジーナ。

話の展開は、これくらいで置いておこう。ただ、多くの人間は、身近にあるのに価値のあるものを知らないことを、この映画は指摘している。なお、映画の原題は、「CHARADE」。意味は、「ジェスチャー」の意味もあるが、ここでは「見え透いた見せかけ」とか「偽装」の意。映画の内容に相応しい。

また、音楽と共に、ジバンシィとタイアップして、たくさんの服を着たオードリー。彼女の魅力をフルに惹き立てている。この映画は若い頃から観ているが、通算10回以上になるだろう。筋は分かっているのに、あらゆる要因で観たくなる映画だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月25日 (金)

谷崎の『秘密』を読む

誰にも秘密はあるかもしれない。ただ、第三者から見れば、その多くは大した意味を持たないことが多い。それでも、人は秘密を持ちたがる。それはなぜなのか。自己防衛本能が働くからであろうか。

さて、最近の高校の副読本にも選ばれているらしい谷崎潤一郎の『秘密』を読了。これも短編小説だ。隠遁している主人公の「私」は、新しい刺激を求めて、あまり行ったことのない下町のお寺に寄宿する(東京の下町の説明がしてあるが、土地勘なく、よく分からない)。

そこから古着屋で見つけた着物で女装して出かける。ところが、誰も気づかない。でも、そこから見える世界は違った。全く新しい世界だった。「私」は段々、凝っていく。そして、ある映画館に行く。席に座ると、次々席が埋まっていき、隣に、男女のペアが座った。

女は、普通の女ではない。推定するに、いわゆる玄人筋風。その女が突然、煙草を「私」に吹きかけながら、目を注ぐ。そこで、「私」は気づく。ああ、あの女だ。実は、「私」は、かつて上海旅行した時、船上で関わりのできた女だった(*注1)。

当時、女は、妙に蠱惑的な魅力のあったが、上陸後も、お互い、正体を明かさなかった。少なくとも、女の方は「私」に対して強い恋心を持っていることは分かっていたが、「私」は黙って姿を消す。今回は、それ以降、初めての再会であった。

そこで「私」は改めて、ちょっかいを出し、逢引の誘いをかけてみる。そうすると女の方は、きちんと「私」を見抜いていて、「やっと、捕まえた」と言う。更に、話に乗ってきて、馬車を向かわせるので、指定の場所で待ってと言う。以下の展開は省略する。

誰でも、秘密の時間を持ちたい時はあるかもしれない。この小説は、たまたま秘密の行動が、過去の秘事を掘り返すことになる。読んでいて、谷崎は、「女装の秘密」、「秘密の恋」に加えて、ブログてば紹介していないが、その後の展開の部分のヒントは、彼の実体験に基づくものなのだろうか。

谷崎は、秘密を小説にすることで、この女と決別したとも考えられる。でも、うろ覚えだが、確か『千夜一夜物語』にも似たような話がある。これが、谷崎の本当の「秘密」なのかもしれない。

ちなみに、小説の最終部分は次のようになっている。「私の心はだんだん「秘密」などという手ぬるい淡い快感に満足しなくなって、もっと色彩の濃い、血だらけな歓楽を求めるように傾いていった」(注2)

*注1

この作品が発表されたのは1911年。彼は、その後、1918年と1926年に上海に行っている。よって実体験に基づくものではない。

*注2

谷崎は、その後、倒錯した性を描いている。この文言は、予告の意味があるのかもしれない。もちろん、作品は、そのようなものだけではないが、過去の恋愛経験も生かして、時々、文章にして、様々な形の恋愛の揺れを楽しんだ可能性がある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月 7日 (月)

懐かしい「ザッツ・ザ・ウェイ」を聞く

最近、某ウーロン茶のテレビCMで流れる「ザッツ・ザ・ウェイ」を懐かしく思う。持っている「オールディーズ コレクションCD」にも収録されているが、テレビで流されると、印象は強く残る。この曲は、1975年のダンスミュージックで、KC&The Sunshine Bandが歌っている。

内容は、ベッドで愛し合う男女のベッド・トーク。男が、あれこれ女性に要求している。まず、手に取れ、私を褒めろ、愛してくれ、お前の中で抱かれたい、甘い言葉を囁いてくれ、身を揺さぶってくれ等々。

身をくねらせる彼女を弄んでいる感じで、あれこれ言っている。まあ、愛し合う二人の中では、何を言っても許されること。寝物語を音楽にすれば、こうなるのかも。

ダンスミュージックで流行っただけあって、なかなかリズムのいい音楽である。これを広告に使うとは、なかなかやるね。でも、ウーロン茶では、さすがに、このようなハイな感じにはならないから、ウーロンハイにすれば、マッチするかも(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧