男と女

2018年10月23日 (火)

男の自惚れ~万葉集より

日頃、見慣れている異性が、場面が変わって、オシャレしている姿を見ると、驚くことが多い。昔、中年のおばさんがパートで勤めていた。その人は実務的に仕事をてきぱきと、こなしていたが、ひつっめ髪で、風采は上がらない感じだった。

ところが、ある日、パーティが催されることになり、当日、あまり見たことがない美人がいるなあ、と思っていたが、それが、あのおばさんだった。いつもと違って、化粧も施し、オシャレな服を着て参加していたのだ。これには、誰も、びっくりした。どう見ても、同一人物とは、じばらく思えなかった。

さて、男というのは、まず外見で判断する。まあ、これは女性もそうかも。ただ、最近のことは分からないが、一般に男は選んだ女性を自慢することは少ない。むしろ、他人には、卑下して表現することが多い。

ところが、嫁自慢する人もいるにはいる。お目出度い感じもしないではないが、本人が幸せであれば問題はない。そう思える人は確かに幸せだろう。

万葉集にも、次の話がある。歌垣の集まりでの話である。歌垣というのは、一種、祭りのようなもので、歌を掛けあい、踊るもの。そして、恋愛の場でもあった。それは現代も同じ。わいわいやって、熱くなる。その結果、男女の愛が生まれる。

祭りというものは、豊年を祈願したり、感謝するものだが、段々、それが男女が知りあう場となった。それは何も独身同士に限らず、夫婦者も含めてだ。当時は、性の解放が進んでいたとも言える。

その中で、住吉の歌垣も有名であった。昔、そこに氏名不詳だが、一組の田舎の夫婦がいた。ある時、歌垣の集いがあり、地域の男女が集まって野遊びしていた。その中に、例の夫婦も参加していた。ただ、当時は、別居婚であるから、別々に参加した。

ところが、妻の姿を見て、びっくり。あまりにも、いつもの容姿と異なり、他の女と比べても抜きん出ている。日頃、農作業で真っ黒な顔も、化粧して、派手におめかししている。それを見て浮気心も萎えて、いよいよ妻を愛するようになったとさ。それで直接口に出して褒めて詠んだ次の一首。

住吉の 小集楽(をづめ)に出でて うつつにも

 おの妻すらを 鏡と見つも

「小集楽(をづめ)」とは、歌垣の集まりのこと。「鏡」とは、喩で、その光る様を示す。とにかく、その衝撃をうまく歌にしている。これは、男の自惚れと言えないこともない。

*追記

ある解説者によると、これは二人が田舎者だったための錯覚だと指摘している。まあ、そうだとしても、少し言いすぎかも。

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2018年9月10日 (月)

見えない顔

人は、誰しも、いろんな面を持つ。それが当たり前だ。ところが、恋愛期間は、相手に自分のいいところだけを見せようとする。相手に嫌われたくないからだ。まあ、その気持ちも分からぬでもない。

ところが、男にしろ、女にしろ、結婚した途端、相手が変わったとは、よく聞く話。それは、相手が変わったのではなく、あなたが、ある一面しか見ていなかったということ。結婚して、相手の別の面が見えて、相手が変わったというのは違う。

パートナーは、もともと、そういうものを持っていた。それを恋愛中は、あなたは気づかなかっただけ。恋は盲目、と言われる所以だ。それを歌っているのが、ビリー・ジョエルの『ストレンジャー』。

歌詞を見ていくと、鋭い指摘だと思う。若い方で恋愛中の人たちは、一度、この曲をじっくり聴いてほしい。もちろん、冷静すぎる恋愛など、楽しくはないが、ちょっと頭に入れておいた方がいいかも。

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2018年9月 6日 (木)

心の愛より

時々、視るバラエティーで、タレントが、呑み屋街に繰り出し、そこにいる男たちに、妻に対して「愛してる」と言うように伝えると、大抵の男は抵抗する。「そんなことは日頃言ったことはない」、「そんなこと、とても言えない」等々。

日本の男は、西洋の男と違って、日常的に口に出して「愛してる」とは言わない。実は、本当は言ってもいいと思っているが、長年の習慣で、言い慣れていない。日本男子独特の照れだ。

ところが、番組では、なんだかんだと理由をつけて、タレントが言わせようとして、一人の男性を抽出。そして、しぶしぶ、スマホを取り出し、妻に電話して、恥ずかしそうに「愛してる」と言うと、音声だけなのだが、大抵、妻の方も一瞬びっくりするが、声が弾んで嬉しそうにしている。

そして、番組を明らかにして、妻の方はどうなのかと聞くと、こちらも大抵、渋々だが「愛してるわよ」と返って来る。でも、その声は嬉しそうだ。これらのケースは、日頃の結婚生活状態がいいのかもしれないが、女性は、常々「愛してる」と言われたいようだ。

*追記

そういうと、スティービー・ワンダーの『心の愛』も、「アイ・ラブ・ユー」を歌っていたような。また聴きたくなった。

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2018年9月 2日 (日)

若い女子学生の化粧に思う

母は、すっぴんは父の前では、決して見せなかった。寝る時は、寝化粧と称して、化粧してから寝間に入っていた。もちろん、ちょっと買い物に出かける時でさえも、軽く化粧していた。それは女の心得と思っていたようだ。

子供の時、不思議に思って、聞いてみると、「女のすっぴんなど見られたものではない。世間で、どんなに美人と言われる人も、すっぴんを見たら男は覚めてしまうだろう。大人になったら、やがて分かるから」と笑っていたことを思いだす(*注)。

テレビで、都市部の若い女子学生が厚化粧しているのを見ることがある。それも、幼い雰囲気を残す十代らしき人々。勿体ないなあ。この年代だと、ぴかぴかつるつるのお肌。化粧なんて全く必要ない。むしろ、化粧すれば、肌を傷めるだけ。それが分かっているのだろうか。

そうでなくても、ある年代になれば、すっぴんでは見られない顔になるのに、残念だ。テレビで彼女らが話していて、子どもの頃、親が化粧していて、それに憧れたのは実に小学生の時だという。それに対して、親は何も言わないのだろうか。

*注

確かに、人気美人女優と言われる方も、すっぴんを見れば、がっかりということは多い(笑)。男はすっぴんを見ない方がいいだろう。

*追記

そういうと、昔、ビリー・ジョエルが歌った『素顔のままで』(Just the way you are)というものがあった。容姿だけでなく、君らしく、あるがままの君がいいといった内容。若い人は、一度、聴いてみて。

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2018年8月20日 (月)

改めて、“Be My Baby”を聴く

時々、ラジオ等で流れている、“Be My Baby”を聞く。曲調は、すぐにでも踊りたくなるような、快活なものだ。歌は、ザ・ロネッツが歌っていて、当時、米国の若い女性に支持された。しかし、50年以上前の曲だが、歌詞の意味は知らなかった。

改めて確認すると、その内容は、一目で気に入った男子に、「私のものになって」(英語が、そのような意味になっていないが、解釈で)という積極的女子を描いている。「ものにする」なんて言うと、日本では、男の専売特許のように捉えられてきた。「あの娘を、今度こそ、ものにする」とか言って、勇んでアタックしたものだ。

この曲は、明らかに逆バージョン。以前に記したように、現代は、実際は、選択権は男にありそうで、実際は元気な女性が握っていることが多い。それが戦前と異なるところ。ということで、今は、選ばれる男子になるように努力せねばならいのかも。

*追記

ついでに記せば、「君の瞳に恋してる(“can't take my eyes on you”」も、同様な意味を持っている洋曲だった。

*追記

これも古い話で恐縮だが、朝鮮戦争時の男女の悲恋を描いた映画『慕情』では、歌の中に、「愛は男を王にする」という文句がある。せいぜい、現代の女子は、選択権を行使しつつ、そのようにするべく頑張ってほしいものである。但し、育てようでは、「良い王」にも、「悪い王」にもなりうる。その点は要注意(笑)。

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2018年8月10日 (金)

夏の恋の終わり~スカイハイ

少し酷暑から解放されて、蒸し暑さはあるものの、朝夕は、少し過ごしやすくなった。昼間、空を見上げると、秋の空のようにも思える。まるで「スカイハイ」の感じ(笑)。昔ヒットした、この曲は、テンポがよく、かっこいい曲調だが、実際は失恋の歌。

せっかく、好きな彼女を獲得したのに、急に捨てられた男の嘆きが、この歌。彼女を得た時は、天にも昇る気分だったのに、そこから投げ出された気持ちを、うまく表現している。今も、夏の恋が終わったケースが、世界で見られるのだろう。

山高ければ、谷深し、は株屋の金言だが、恋愛にも当てはまるということだ。でも、若い人は、大いに経験すればいい。それも人生の味付けになる(*注)。

*注

但し、女性の場合は、あまり恋愛グセを付けない方がいいかもしれない。うまく行かなければ、かつてシャーリーンが歌った『愛はかげろうのように』のような人生を歩みかねない。

*追記

若い方は、以上の二つの曲は、ご存じないだろうから、ネットで訳付きのもので歌詞の内容を確認してほしい。

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2018年7月 3日 (火)

赤染衛門と大江匡衡 その四(完)

実は、このやりとりの前に、二人の間では、いろいろあった。というのは、赤染衛門が、夫の匡衡に滅多に逢わず、冷たい仕打ちをするので、彼は、浮気心を発揮する。まあ、当時としては当たり前。

浮気相手は、稲荷神社の神主の娘。彼女を愛人として通っていた。だが、本当は、それほどには気に入らず、愛情は沸かない。それにもかかわらず、結構長く、留まっていた。そこへ衛門から、次の歌が送られてくる。

我が宿は、松にしるしも なかりけり

 杉むらならば たずねきなまし

これも独断で解釈。「松」と「待つ」。「杉」と「過ぎ」。そして、「杉」は稲荷神社の杉。「我が家の松は、見つけにくいので、いらっしゃらないのですね。杉むらだったら、迷わず訪ね来られるのだろうに」という感じの猛烈な皮肉。

裏を返せば、早く帰って来なさいよ、ということ。衛門も、やっと匡衡を夫として認めた。よく言われるように、焼もちや嫉妬は愛情の裏返し。それに気づいた彼は、愛人のもとを離れて、急いで衛門のもとに帰り、元の鞘に収まった。このことで。二人はやっと理解しある仲になったようだ。まあ、結婚生活はいろいろある。

その後は、彼も、尾張守になったりして、経済的にも安定し、子どもにも恵まれ、赤染衛門は幸せ者よと言われる。その仲のよさを示す歌が、次のもの。

匡衡が、妻と共に、尾張に下向した時、独り言を言う。

とうかのくにに いたりてしがな

これを下の句として、衛門が、上の句を付け足す。

宮こいでて けふここぬかに なりにけり

通しで解釈すると、「都を出てから今日で、九日になりました。十日には、尾張国に着きたいものだ」と別に、どおってことない内容だが、こういうやりとりができるのは関係が正常なこと。このように、おしどり夫婦になる道程は長い。

*注記

赤染衛門は、現代に言う教育ママ、ステージママであったようで、子どもの出世にまで口出ししている。親心は分かるが、ちょっとやりすぎの感じ。そのことは、ここで取り上げるのは止めた。

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2018年7月 2日 (月)

赤染衛門と大江匡衡 その三

大江匡衡は、妻に対して、募る思いを伝えていく。これはおかしいと思う人もいるだろうが、大体、見合い結婚すれば、結婚してから、相手を知って恋愛が始まることも多い。彼は道長に同行して、住吉大社にお参りした時、衛門に歌を送る。それが次のもの。

こひしきに 難波の事も おほ゛ほえず

 たれすみよしの まつといひけん

いろんな解釈が先生方によってなされているが、今一つピンと来ない。そこで、独断で解釈(間違っているかもしれないので、学生諸氏は無視して(笑))。

「あなたへの恋しい思いが強すぎて、難波に来て何をやっても、上の空。一体、住吉に誰が待ってくれているというのだ」と。赤染衛門のいないところに来ても、少しも嬉しくないという気持ちかな。

衛門の反歌が次のもの。

なをきくに ながゐしぬべき すみよしの

まつとはまさる 人やいひけむ

ところが、赤染衛門は、これを正直に受け取らず、皮肉を込めて返している。これも独断で解釈。「住吉という名を聞くと、居心地がよさそうで、長居しそうですね。私に優る、あの人が、そう、おっしゃいましたか」と。

裏解釈としては、「私のことは、もう、いいんですね。それなら、あなたを待つ気持ちはありません」という感じ。焼きもちと軽い嫉妬心と反発。この時期には、赤染衛門も、匡衡に傾いているとも見える。女心は時と共に変わる。男女の心のずれは複雑ですなあ(笑)。

次回に続く。

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2018年7月 1日 (日)

赤染衛門と大江匡衡 その二

実は、どうも赤染衛門が、大江匡衡と結婚したのは、歌の交流があって、好意を抱いていた男から突然、連絡を絶たれたことも影響しているのかもしれない。現代でも、ありそうな話。

ところが、古書(*注)に「赤染衛門といふうたよみは、(中略)、心ならず、まさひらをおとこにして、いとわかきはかせにありけるを、ことにふれて、のかひいといひ、あはじとしけれど、おとこはあやにくに、心ざしふかく成りゆく」とある。

つまり、大江匡衡のことは、はっきり言って、好きでなかった。大江匡衡は若い少壮学者とは言え、背はひょろりと高く、風采は上がらず、肩は出ていた(いかり肩)上、なりが少し変で、その歩き方も見苦しく、女性には人気がなかった。

それに、まだ大した功績もなく、官位も進まない。当時、衛門は、既に一流の歌人。わが身と比べてと考えると、彼女が敬遠したくなるのも分かる。以前、付き合っていた男の影響を惹きずっているとも考えられる。

ところが、その意に反して、結婚せざるを得なくなった。これは親の意向とも考えられるが、彼女は、当時、藤原道長に仕えていた。道長は、匡衡の能力を認めていた。多分、彼の強い勧めで、親の赤染時用を巻き込み、止む無く結婚したのではなかろうか。

彼女が結婚したのは、推定20歳から22歳。大江匡衡は24歳から26歳。当時としては、そんなに若くないとしても、選り好みしたい年代。それで、覚悟のできていない赤染衛門は、結婚したのに、匡衡を嫌って、何かと理由をつけて、遠ざける。ところが、ところが、男の方は、逆に、愛情が深くなっていく。何という皮肉。

*注

『古本説話集』等。

次回に続く。

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2018年6月30日 (土)

赤染衛門と大江国衡 その一

やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて

 かたぶくまでの 月を見しかな

   (百人一首 59番 赤染衛門)

この歌は、赤染衛門の姉妹(どちらか不明)に通う中関白藤原道隆が訪ねると言って、約束を違えたので、彼女が代詠したもの。「(おいでにならないことを知っていたら)ためらわずに、寝てしまったでしょうに。ついに月が西の山に傾くまで月を見てしまいましたよ」という感じ。

赤染衛門(あかぞめえもん。推定956年~1041年)は、平安中期の女流歌人。その出生は少し複雑で、母親の前夫の平兼盛と婚姻中に、身籠ったとされ、再嫁した赤染時用(ときもち)の赤染家で出産されたと言われる。こういうのは現代でもある。まあ、それはともかく、親権は、裁判で、赤染家になっている。

その彼女が、大江匡衡と結婚する。その大江匡衡(まさひら。952~1012)も歌人だが、本職は儒者。大江重光の子。大江家は、菅原道真の失脚後、儒家の中心的存在になった。そういう環境で育った。いわゆる学者一門の一人。

当時隆盛の藤原家と交流があり、願い文や奏上分などを代作している。文章博士・東学学士・式部大輔。学者としては一流であった。それゆえ道長の信望も厚かった。そういうところから、年号の勧進などもしている。また、単なる頭でっかちの学者ではなく、晩年、尾張に三度、叙せられたが、守地方官としても有能で善政をしたと言われる。

一般に、この二人はおしどり夫婦と呼ばれている。ところが、結婚当初は、必ずしも、そうでもなかったらしい。

次回に続く。

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